へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

理想と現実

2009年04月17日 03時24分53秒 | Weblog
一年以上も前の記事に「カメ好き」さんがコメントを入れてくれたのだが、彼?の意見ももっともではあるが「理想と現実」をどのように折り合いをつけるかが難しい問題なのである。
「一方の意見を聞いて沙汰するな」と言うように、消費者の意見だけで結論を出すのは、一種の「欠席裁判」と言えよう。
「お客様は神様」と言う言葉で問題がかたずけられてしまう傾向が強いのだが、商人の家に生まれた私から見ると「余りにも身勝手」に見えて仕方がなく、悪い言い方をすれば「弱い者いじめ」ではないだろうか?。
「買い手は少しでも安く買いたい」と考え、「売り手は少しでも高く売りたい」と考えるように、お互いに「水と油」の関係と同じなのであるが、その位置関係はけして「対等」ではない。
「数が多い方が正義」と言うような考えから「多数決」と言う手段がとられてしまいがちなのだが、これは過去に何度も書いているのだが「数の暴力」でしかなくなってしまう。
多数決と言う「数の倫理」を当てはめれば、数の少ない売り手側は、「数の上で圧倒的に優勢な消費者」に太刀打ち出来るはずがないのである。
この事は「労使紛争」にも当てはまることで、数が多いか少ないかで判断することは出来ないであろう。
理想論を言うなら「お互いが相手の立場に立って考える」と言うことが必要なのだが、現実的には「売り手の側は買い手の気持ちも分かるが、買い手の側は売り手の気持ちがわからない」と言う矛盾した結果になってしまう。
これは労使の関係でも言えることで、「経営者側は労働者を経験しているので労働者の気持ちも理解出来るが、労働者の側は経営者になった経験がないので経営者の気持ちが理解出来ない」と、同じような矛盾が生じてしまうのであるが、同じように考えると「親の心子知らず」は当然の話で、「子の心親知らず」はおかしな話になってしまうと思うのだが・・・・。



コメント
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