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へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

救急患者の「たらいまわし」問題について

2008年10月26日 04時28分47秒 | Weblog
今回も脳内出血を起こした妊婦の受け入れ先が見つからず命を失ったことが問題になっているのだが、過去の同じような事例を思い出しても、報道されるさまざまな意見は「その殆んど」が核心に触れない部分で終わっている。
更には「受け入れを拒否した医療機関の責任の追求」と言うことだけに重点を置いているように感じてならないのだが、それでは永久にこの問題の解決は望めないであろう。
受け入れを断った医療機関が決まって口にする言葉に「医師不足」と言うことがあるのだが、「何故に医師不足が起きるのか」が問題にされることは極めて少なく、NHKが時折放送することもあるのだが、こちらも毎回のように核心部分がぼかされて終わってしまう。
それでは何故この様な事が起きるのであろうか・・・・。
答えは至って簡単なのだが、公の立場にいる人が口にすることはかなりの覚悟が必要で、一般市民からの「猛烈なバッシング」を覚悟しなくてはいけないだろう。
私の場合はバッシングを気にする必要がないので書けるのだが、問題を解決するための答えは「健康保険税の大幅な引き上げ」以外にはないのである。
「これ以上健康保険税が増えたら生きて行けない」と言う意見が大半だろうが、今の税額を維持しようとするならば「いざと言うときの命の保障はアキラメロ」と言うしかないだろう。
命の値段は年々高騰していると言うのに「保険料負担は減少」では、計算が合わなくなるのは当然の結果である。
「後期高齢者医療制度」にも大きな批判が出ているのだが、「国民皆保険」と言う理想の元で出来た「政府管掌健康保険制度」だが、時代が変わると共に「高度な医療」が増加して、「その分余計に医療費が掛かるようになっているので仕方のないこと」と言うより「もっと取るべきだ!」と私は思っている。
かなりきつい言い方になってしまったが、民間の保険会社に入ることを考えれば安いものだと思うのだが・・・・。
そもそも、民間の医療保険は「後期高齢者は入れない」か「入れても保険料が高い」と言うことになるのだが、「政府管掌健康保険でまかなえない部分を補う」と言う程度の保障内容でもこのレベルなのであるが、「全てを賄う」と言うことになったら一体何倍になるのであろうか・・・・。
更に問題にしなければならないことがあるのだが、これもまた迂闊には口に出来ないことなのである。
その問題とは、政府管掌健康保険には「加齢による増額」もなければ「健康状態による加入拒否」もないと言うことで「病気になっている人でも入れる」と言うことある。
政府管掌健康保険が出来た当時は「後期高齢者」などと言う言葉も存在せず、60になれば「還暦祝い」などが盛んな行われていたのだが、今の時代では66の私でさえ年寄りとしては扱われなくなり、昔は60でもらえた「敬老祝い金」も、今では77にならないともらえないそうで、私が77になる11年後には多分もらえなくなってしまうだろう。
民間の保険会社は「社会状況の変化」に合わせて保険料を決めているので成り立つのだが、政府管掌健康保険制度では「社会状況の変化」と言う事は念頭にはなく、社会状況の変化に対応していないのである。
本来、「医療報酬の財源の多くを、働く若い労働者に負担させる」と言う事で成り立っていたものが、「若者が減り、高齢者が増え、更には医療機器・技術の発達」と言う、現状の保険制度にとってマイナス要因ばかりが出てきているのだが、政府かこの問題に取り組むためには「ネズミ(政府)がネコ(有権者=票)の首に鈴(保険料の引き上げ)をつける」のと同じ事で、とても出来る相談ではないだろう。
ドサクサにまぎれて決まった「後期高齢者保険制度」でさえ難航しているのだから・・・・。
コメント
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