へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

産科医に無罪判決

2008年08月20日 21時39分44秒 | Weblog
何か複雑な心境である。
昔は医療事故の訴訟などと言うことはほとんどなかったように記憶するのだが、最近はチョッとしたことでも訴訟になるケースが増えているようだが、この事について個人感情を出来る限り排除して考えてみたい。
交通事故などの事故で命が奪われたケースなどでは、億単位の損害賠償が請求されることが多いように、命の値段はかなり高額なものになるのだが、その一方で、その命を救うために働く「医療従事者」に対する報酬は年々少なくなっている。
過去においては「医者は儲かる仕事」と言われていたのだが、最近では、「報酬の割りに仕事がきつく、万一事故でも起こせば一生を棒に振る」と言われるように「割に合わない仕事」になってしまったように感じる。
昨年ある病院の看護婦さんから聞いた話なのだが、その病院のある外科医が「ノイローゼになってやめてしまった」と言う話を思い出した。
なぜノイローゼになったのかと言うと、原因は「医療ミスによる訴訟が心配」と言うことにあったのだそうである。
看護婦さんの話によると、手術中には「予期せぬ事態」や「2つ・3つと問題が同時におきる」と言ったことはけして珍しいことではなく、「とっさの判断」と言うものが要求されると言う。
「とっさの判断」である以上、ゆっくり考える余裕などあるはずがなく、後で考えると「ああして置けばよかった」「あれで良かったのか?」などと言うことになり、そのことが原因で「手術の前夜は眠れない」と言うことになってしまい、「睡眠不足の状態で手術をする」と言うことに耐えられなくなってしまったのだそうである。
人間は、手術と言うことに限らず、「極度の緊張状態」を一体どれくらい持続できるものであろうか?。
答えは「その人によって違う」としか言いようがなく、「医者なら長時間維持するべきだ」と言う人もいるだろうが、「そんなことを言ったら医者がいなくなってしまう」と言うことになるのではないだろうか・・・・。
医者がいなくなってしまえば「助かる命も助けられない」と言う「本末転倒」の状態になってしまい、「救急患者の受け入れ先が見つからない」と言うのもその一つの表れと言ってよいだろう。
「悪意や故意」によるものは当然裁かれるべきだが、「ヒューマンエラー」まで問題になる状態は、少し「異常」だと思うのだが・・・・。
さて、この「ヒュウマンエラー」についてだが、すべてを「エラー」として考えるのは「少々問題があるのではないか」と思うのだが・・・・。
これも大分前に聞いた歯医者の先生の話なのだが、「同じ治療をしても、人によっては上手く行かない場合もある」と言う「個人差」があるからである。
私などは傷の直りが早いせいか、「抜歯後2・3週間で型が取れる」のだが、人によっては、3ヶ月どころか「半年経たないと型が取れない」と言う人もおり、抜歯の時の出血も、私のように「少ない」と言う人から「多くてなかなか止まらない」と言う人までさまざまだと言い、「治療をしてみないとわからない」というのが実情のようである。
不幸にして、亡くなられた本人や残された遺族の心情もわからなくはないのだが、「医療訴訟の増加」が、「医療現場の荒廃」を招くことがないようにしないと、「必要なときに必要な医療が受けられない」と言うことになっては「元も子もない」と言うことになってしまう。
後になってあれこれ批判することは簡単なことだが、最も重要なことは「その時の医者がどの様な状態(精神・身体)におかれていたのか」ということを考えることだと思うのだが・・・・。
コメント (2)
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