へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

魚を食べる?

2015年10月11日 23時15分49秒 | Weblog
「牛肉を食べる」「豚肉を食べる」「鶏肉を食べる」と言う言い方はしても、「魚肉を食べる」と言う言い方はあまりしない。

こんなことを書くのは、昼間ある人と話しをしたことがきっかけである。

その人も同じ考えで、昔の人は「魚を食べた」と言ってもよいだろうが、最近の人は「魚肉を食べた」と言うべきではないかと思うのだが・・・・。

と言うのも、最近の子供は「この魚骨がある」などと言う子もいるほどで、骨の無い「切り身(魚肉)」しか食べないのである。

私が子供の頃は、塩焼きのさんまなど、頭から尻尾まで殆んど何も残さずに食べた程で、「猫跨ぎ」と言う言葉もあるほど綺麗に食べたものである。

最近は余り見かけなくなったが、メザシは頭から丸ごと食べるのが当たり前であった。

栄養面から言っても、頭から尻尾まですべてを食べつくすほうがいいと思うのだがね。
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「高齢者と若い世代」どちらが大切?     追記します

2015年10月09日 23時25分32秒 | Weblog
優等生の答えであれば「どちらも大切」と言う事になるのだろうが、どちらも大切にするためにはどのようにすればよいのであろうか?。
私自身が高齢者なので、通常であれば「高齢者寄りの意見」を書く事になるのであるが、それでは「へそ曲がりの名が廃る」と言う事になるので、敢えて中立の立場に立って書いて見たい。
極めて「現実的で冷酷な考え方」をすれば、「高齢者がいなくなったとしても若い世代は成り立つが、若い世代がいなってしまえば高齢者は生きてゆけない」と言う決定的な違いが存在する。
人口に占める年齢構成が、「ピラミッド型社会」であれば安定した社会構造を維持できるのだが、高齢者が増えることによって起きる「釣鐘型社会」は非常に危険な状態と言うべきで、近い将来に「逆ピラミッド型社会」に進む危険性をはらんでいる。
医療技術の発達により、「助からない命が助かるようになる」と言う事が高齢化社会を招き、高齢者の増加と高度な医療技術が「健康保険財政を圧迫する」と言う副作用をもたらし、その結果として「後期高齢者医療制度」と言うものが必要になったのである。
それでは、現状の「後期高齢者医療制度」で十分なのかと言えば、「この程度では焼け石に水」と言うより仕方ないのではないだろうか?。
「年寄りは死ねと言うのか!」と言う話があるが、「自分の身は自分で守る」と言うことも少しは考えるべきだと思うのだが・・・・。
若い世代ばかり当てにしていれば、仮の話、若い世代がつぶれてしまえば「年よりもつぶれる」と言う事になり、「元も子もない」と言う事になってしまう。
「年寄りは大変だ」と言う話もあるが、これからの「先行き不透明な時代」を考えれば「若い世代はもっと大変だ」と言う事になるであろう。
私自身、66年人間をやってきて感じることは、今の高齢者は「アリとキリギリス」の、キリギリスと同じに思えてならない。
全ての高齢者がそうではないのだが、多くの高齢者の話を聞いていると「いい大人が甘ったれた事を言うな!」と言いたくなってしまう。
私自身は、「そんな高齢者にはなりたくない」と思ってはいるのだが・・・・。

2008.06.14.



追記します

この記事は7年以上も前に書いたので、今は後期高齢者の仲間入り寸前になっています。

そして「そんな高齢者にはなりたくない」と言う願望も空しく、健康保険財政の悪化に手を貸す身と成り果てています。

なので、若い世代には申し訳ない思いで一杯です。


正直な話し、気楽な稼業は、サラリーマンではなく「能天気な高齢者」の方なのです。

が、議員さんたちにとっては大事な「票田」である。

日本は数が物を言う社会である。

「穀潰し」ではあっても、1票にかわりは無いので、何とも困った問題でもあるのです。
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お母さん、ここのトイレおかしいよ!

2015年10月09日 23時09分10秒 | Weblog
2週間ぶりに車を運転して出かけてきたが、とある園芸センターでの出来事である。

タイトルは、私が用を済ませてトイレから出るのと同じくらいのタイミングで、幼稚園の年長さんか小学1年生くらいの女の子が出てきて、外で待っていた母親に言ったせりふである。

その母親が「どこが?」と聞くと、「便座が暖かくない」と言うのである。

そこのトイレは保温便座ではないので、暖かくないのは当たり前なのだが、その子にはそれが理解できないらしい。

たまたま近くにいた従業員がその話を聞き「申し訳ありません」と謝っていたが、何ともおかしな時代になったものである。


私の幼少期のトイレ(トイレなどとは言わず、便所と言っていたが)は「和式の汲み取り」だから、冬はお尻に冷たい風が当たって寒かったものだがね。

時には「おつり?」が返ってきた事もあったが・・・・。

トイレットペーパーなど無い時代で、古新聞で拭いたものです。


財布やメガネを落として泣いた人も、どれだけいたことか。
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昔話?     1(タイトルを少し変えてみた)

2015年10月09日 03時29分45秒 | Weblog
「昔々あるところに・・・・」と言うと、大昔のことだと思っている人が多いだろうが。お爺さんが山にシバを刈りに行き、お婆さんが川で洗濯をしたのは極最近まであったことです。

そう、昭和30年代くらいまでは全国各地で見られたのです。

便利な電気釜も洗濯機も無い時代である。

銭湯(公衆浴場)全盛の時代で、家に風呂があるうちは極僅か。

我が家にはあったが、木製の風呂桶で、薪を燃やして沸かしました。

木製の風呂桶なので、いくら洗ってもぬめりが取れず、沸き上がるころには独特の臭いがしました。

その家によって多少違ったらしいが、我が家の場合は「アサリの茹で汁」のような臭いがした。

今考えれば「不衛生極まりない」と思うかもしれないが、冬至はそのようなことなど全く考えません。

なので、銭湯のお湯だって余り綺麗ではなかったのです。

小さな子も入るので、お風呂の中でオシッコをすることも結構あったようで、今ではとても想像は出来ないかも。




「井戸端会議」もそのころはまだ残っていたと思うが・・・・。

今でも言葉自体は残っているようだが、肝心の「井戸」は殆んど残っていない。

が、近頃は近所付き合いが希薄になってしまったので、井戸端会議をする機会も無いだろう。

が、会社では「給湯室会議」と言う形で残っているらしいが・・・・。
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足が冷える

2015年10月08日 23時27分58秒 | Weblog
まだ10月も8日しか経っていないと言うのに、座っていると足が冷えてたまらない。

室温は19度だが、秋になって空気が乾いているためか、耐寒温度はそれより低く感じる。

正直、ストーブが欲しくなるが、時期的には早すぎる。

暖かい飲み物でも飲んで体を温める方法もなくな無いが、そうすると、今度はトイレが近くなる。

季節が1ヶ月くらい先に進んだ感じで、冬支度を急がないといけないのかも。

そろそろ灯油を買いにでも行くか。

今年の春に買った残りがあるので、急ぐ必要は無いのだが・・・・。
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一日一万歩

2015年10月07日 17時51分38秒 | Weblog
健康のために一日一万歩歩くとよいと言うが、一万歩・・・・。

その人の歩幅にもよるが、歩幅が65センチであれば、一万歩で6.5キロと言うことになる。

普通に歩くと1時間半くらいか。


さて、私はどれ位歩いているのであろうか。

かつては「万歩計」を買って使ったこともあるが、歩数から言うと、一万歩にどかない。

が・・・・。

これは致し方ないことだと思っている。

私の場合は、ウオーキングなどは殆んどせずに、庭で植物の手入れをしていることが多いため、庭にいる時間は長くても、歩数計の数字としては反映されにくいのである。

が、天気が良ければ4時間から5時間は庭にいて、その間は椅子に座ることも無い。

4時間から5時間は立ちっ放し。

その間はかなり動き回るのだが、我が家はアンチバリアフリーである。

足元が悪いだけでなく、しゃがむことも多いし、重い鉢や何かを持って移動することも多い。

草取りなどするときは、しゃがんですることも多いので、結構足腰に堪えます。

今日もかなり動き回ったので、少々お疲れである。

それと、週に3日くらいは、生後9ヶ月の子を抱いて歩くこともある。

10キロを超えているので、10分も歩くと腕が疲れるが、足は疲れない。

ベビーカーを併用して、1時間くらい散歩をすることも多い。

歩くだけだと足しか鍛えられないが、私の場合は「全身運動」と言ってもよいのかも。


と言うことで、こんな時間にブログを書いているのです。
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肩がこる

2015年10月07日 03時11分17秒 | Weblog
最近やたらと肩がこるようになっている。

が、肩がこるようになった原因はわかっている。

その原因は・・・・。

寒くなってきたからである。

なので、暖かい時期は肩こりは無いのである。

が、寒さが直接の原因ではない。

寒くなるとどうしても保温のために服を余分に着るようになる。

そう、着る服が増えることによって、服の重さが肩にかかり、それが原因で肩こりが起きるのである。

なので、肩に負担のかからない服を着ると肩こりも起きないが、そのような服は余り無い。

あと、服のサイズも関係してくる。

ゆったりサイズでは、服の重さはもろに肩にかかるので、肩こりが起きやすいが、なかなか体にフィットするサイズは売っていない。

本当は「Sサイズ」があるとよいのだが、Sサイズはメッタに売っていない。

私の身長は「153.5センチ」で、日本人ではそれ程少ないわけでも無いのに、何故かSサイズは少ないのである。

あと10センチ身長が高ければMサイズでもよいだろうが、売っているのはMサイズまでが多い。

私と同じような悩みを持つ人は多いと思うのだがね。

私は自分で買いに行くが、世の亭主どもは奥様任せ。


文句を言えないので、しょうがなしに着ている?。
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やっと500万人に一人

2015年10月06日 22時55分01秒 | Weblog
今年二人目のノーベル賞受賞者が決まり、これで受賞者の総数は24人に。

が、これで喜んでいてよいのであろうか。

少し前にも書いているが、日本の人口で考えると、これでも「500万人に一人」でしかない。

で、最近のデータは得られないが、2年前のデータによると。17万4267人と言う人口(セントルシアと言う国)でノーベル賞の受賞者を輩出している国もある。

これは例外的な話ではあるが、2位のスイスや3位のスエーデンなどの国では、「30万人弱」で一人の受賞者を輩出している。

これは2年前の話しなので、今はもっと少ないだろう。

日本の20倍近い受賞率である。



ちなみに、2年前の資料によると・・・・。


イギリスは8位で、1000万人当たりで言うと「17.4人」

アメリカは12位で、「10.5人」

ドイツは13位で、「9.8人」

フランスは17位で、「8.9人」

で、肝心の日本はと言うと・・・・。

31位(1.4人)である。


この後2年経過しているので、若干数字は上がっているが、日本が自慢できるような数字で無いことは確かである。

自慢したいのであれば、受賞者の数が、せめて三桁くらいにはなっていて欲しいと思うのだが・・・・。


「名ばかりの技術大国」と言われても仕方ないのでは?。


余りよくないことばかりを書き並べてしまったが、私が言いたいのは「勝って兜の緒を締めよ」と言うことである。

「敵を知り、己を知らば百戦危うからず」とも言うが・・・・


日本人は敵(世界)を知らなすぎるのである。

別の言い方をするなら、「井の中の蛙」である。
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やっとトリアージに一区切りが

2015年10月06日 21時59分56秒 | Weblog
何日か前に一部分だけやって放置していた雑草取りを、3日前から再開し、今日やっと一段落。

が、少々時期が遅かったようで、種が熟してしまった草も多く、来年が思いやられる。

が、今やらなければもっとひどいことになるので、遅いのを承知で始めた。

そして、この後の作業性を考えて、邪魔になる一部の植物を始末した。

その時の人間の気まぐれで植えて置いて、邪魔になれば容赦なく処分をする。

が、愛玩動物とは違い、「虐待」と言われる事は少ない。

それどころか、雑草を抜くことに罪悪感を感じる人は稀ではないだろうか。

罪悪感を感じるどころか、「目の敵」だと思う人も多いと思う。

昭和天皇は「雑草と言う名の草はない」とのたまわれたが、雑草は、その人によって対象となる草の種類が違ってくる。

なので、ある人は「雑草」だと思っていても、その草を大事に育てる人もいるのである。

反対に、通常は「園芸植物」として扱われているのに、それを雑草扱いする場合も出てくるのである。

私の場合が正にそれである。

「トレニア」「インパチェンシス」「オオハンゲ」「クリスマスローズ」・・・・。

余程我が家の庭の土がお気に入りなのか、マメに抜いていても、抜き忘れなどが大きく育ち、何時の間にか種で増えてしまう。

その結果・・・・。

消えてほしくない植物が生存競争に負け、気が付くと消えている。

また、元気良く育つ植物によって日光を奪われ、瀕死状態に追いやられるものも・・・・。

最も、自然界は「弱肉強食」の世界なのだから、これが当たり前ではあるが・・・・。
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ノーベル賞

2015年10月06日 03時02分56秒 | Weblog
今年また受賞者が出て日本中が大騒ぎになると思うが、私は騒ぐ気にはならない。

その理由は・・・・。

人口に対する受賞者の割合で見ると、日本は先進国の中では「下位」に位置するからである。

例えば、アメリカの人口は日本の2倍あまりだが、受賞者の数は「10倍以上」

北欧の国の中には「30万人くらいで1個」と言う国だってある。


人口30万。

地方都市でも30万くらいいるところは多い。

東京の人口であれば「30人以上」と言うことに。


安倍さんのはしゃぎぶりが実物である。
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