ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『天には み栄え、地には平和を』と。

2022-12-26 06:57:49 | 日記
クリスマスです。
残念でしたが、今年も自宅でのクリスマス礼拝とさせていただきました。
早くコロナが治まって、教会堂で、しっかりと讃美歌を歌い主の聖誕を喜び合いたいと願っています。
帰天なされて8年以上となる井上洋治神父さまの「ことば」を懐かしく思い起こしていたクリスマスでした。

《十二月二十五日のクリスマスといえば、今では誰でも、師イエスの誕生の祝日だということは知っているだろう。
師イエスの誕生について『ルカによる福音書』には、幼子イエスは、泊まる宿がなかったため、生まれたとき飼い葉桶に寝かされていたと記されている。
これらの「誕生物語」は、私たちの想像をいろいろとかきたててくれる美しい物語であることは間違いないが、これらを歴史的事実として受け止める必要はないであろう。
多くの聖書学者たちの言うように、師イエスはナザレの村でお生まれになり、お育ちになったのだと考える方が自然であると思う。
・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・
宮澤賢治の作品のなかに、『鹿(しし)踊りのはじまり』という美しい物語がある。
銀色の穂をだしたすすきに囲まれた苔の野原で、夕陽を浴びながら、六匹の鹿が、栃のだんごと置き忘れた手拭いをかこんで、きれいな鹿踊りを披露するという幻想的な透明感にみちたすばらしい物語であるが、賢治はこの物語の最後を次の様な言葉でしめくくっている。
「苔の野原の夕陽の中で、わたしは このはなしを すきとほった秋の風から聞いたのです」》
と。

そして、井上神父さまは、続け記しています。
《秋の風から聞いた物語りだと賢治が言っていても、それはテープレコーダーで録音できたなどというものでないことは明らかです。
「イエスの誕生物語」も、科学的な事実かどうかと考えるよりも、まず、これらの物語が語りかけてくる深い真実をこそ私たちは受け取るべきです》
と。

《身重の妻マリアを連れて泊まる部屋もなく、止むをえず家畜小屋に泊まって、イエスをマリアが産んだという物語は、当時、家畜小屋は家畜が逃げ出さないために、当然客の監視下におかれていたはずであり、それらのことを考えあわせてみれば、家畜小屋での出産ということは、ヨセフにとってもマリアにとっても、この上ない苦痛であり屈辱であったと思われるのである》

《だからこそ、この物語の作家(福音記者)は、主イエスが、家畜小屋から十字架の上まで、私たちの苦悩と屈辱と孤独とを、共に歩んで下さっている方なのだという信仰告白が示されているのではなかろうか》

と、井上神父さまは記しています。
   (井上洋治著作選集「わが師イエスの生涯」第一章から要約抜粋)

私も、
『天には み栄え、地には平和を』
と祈ります
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私はアルトで唱和。

2022-12-25 06:43:57 | 日記
クリスマスイブです。
今年もクリスマスを元気に迎えられますことに感謝。
連れ合いも、このところ発熱することもなく「晩酌」が楽しめています。
飲む分量が増えて来ますと、〈もう止めたら〉の視線をチラチラ送る私を気にしながら。

孫一家は、あまり遠くはない貸別荘に一泊して、一日早いクリスマスをして来ました。
広いウッドデッキがあり、雪も積もりましたので、ひ孫達は雪だるまを拵えたり、パパと雪の投げ合いをしたりして楽しい時を過ごして来た様です。
ラインで、その様子が送られて来ましたので、私ども、ひい爺・ひい婆も楽しい気分で過ごすことができました。
いつの日か、この幼い者たちと一緒に、教会でのクリスマスを過ごすことなどを夢見ている私です。

所属教会では、夜、『燭火礼拝』が行われていますが、寒いので私は不参加とさせていただきました。
その代わりというわけではありませんが、北九州市の東八幡教会の『燭火礼拝』にネットで参加いたしました。
奥田知志牧師の宣教は、
『今年のクリスマスは「戦時下のクリスマス」です。
地球上で戦争(戦い)が全くない時代などはありませんが、ロシアのウクライナ侵攻によって始められた世界の分断と言う状況の中で、教会は、そして私たち一人一人は、キリスト教信仰による「救い主があなた方のためにお生まれになった」という意味が問われているのではないか。』
と話されました。
とても、心に響く宣教でした。
誰にも迷惑が掛かりませんので、大きな声で、マスクなど付けずにクリスマスの讃美歌を歌うことができました。
牧師先生がテナーの音程で歌われていましたので、私はアルトで唱和。
2022年の、クリスマスイブ。
とてもいい『燭火礼拝』をさせていただきました。
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不安を通り越して怒りすら覚えています。

2022-12-24 06:56:45 | 日記
昨晩は強い風が吹いていましたが、当地方、本日は晴れ。
乱れた千切れ雲が飛んでいましたが、日射しがあるので室内は暖かでした。
日本海側の地域ではまだ停電している場所もありますのに、25日にかけて強い冬型の気圧配置が続き、北日本と東日本から西日本の日本海側を中心に大荒れや、大雪となる見込み、との予報です。

寒いと、電気の有難さが身に沁みて感じられます。
ほんの数時間の停電であっても、生活への影響は大きく、当たり前のことですが、「電気」は社会を維持していくための大切なインフラであることを実感させられます。

ウクライナの戦火は止むことなく、「戦禍」は世界中に広がっています。
そうした機に乗じたわけではありますまいが、政府のエネルギー政策の転換に驚きと危惧を抱いている私です。
《政府は22日、2050年の脱炭素社会の実現に向けた政府の基本方針を取りまとめた。
脱炭素化とエネルギーの安定供給を目的に、次世代原発の開発とリプレース(建て替え)の推進や、既存原発の60年超の運転を認める方針を明記。》
             (毎日新聞12/23)

と、報じられました。
岸田首相は、この政策転換をロシアのウクライナ侵攻後のエネルギー環境の激変や、脱炭素を大義名分にしていますが、将来に影響を及ぼす重大な決定が、国民との議論も無しに決められた事に対して、不安を通り越して怒りすら覚えています。
私は、福島第一原発事故に遭遇し、未だに帰還困難者がいる福島県内の居住者です。
溜まり続ける一方の「核のごみ」も解決のめども立ってはいませんし、廃炉作業の「デブリ取り出し」にしても、まだ手探りの状態と言う現実です。
日本は地震国。
いつ何時、想定外の大きさの地震や津波が起きるか分からないではありませんか。

じゃぁ、あなたはどうする?
と、訊ねられれば、「政策」としての考え方など保有してはおりません。
せいぜい、個人的に絞っていえば、「節約」「ムダを省く」、程度の事しかできませんし、言えません。
それに、過度な装飾的電気の使用は社会的に控えた方が・・・の程度。

でも、「トイレの無いマンション」と称される原子力発電は、安全な「トイレ」ができるまでは使用してはいけないものだとだけは言い切れます。
政府が推奨する『革新軽水炉』なるものも、さほどのものとは思えません。
2050年に温室効果ガス排出を実質ゼロにする国際公約実現に向け、国民の英知を絞っての政策を策定していくべきだと私は考えます。
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『眠りから覚める』というのは、

2022-12-23 06:54:17 | 日記
発熱が続いていた連れ合いでしたが、本日病院での診察を受けてきました。
この1週間内の発熱は無かったので、普段の生活に戻ってもいいとの診断。
年が明けてから、念のため再度の検査(MRI・CT・その他)を受けて下さい、とのこと。
正直、良かった!との思いです。
長女が、日本酒を届けてくれましたので、連れ合いは機嫌よく、20日ぶりの晩酌となった次第です。

今週末から、また寒波が到来するとのこと。
教会もクリスマス礼拝を迎えますが、私は自宅での礼拝になると思います。

「クリスマスページェント」の主人公は、もちろん イエスさまです。
そして、天使ガブリエル、マリヤさま、三人の博士、の登場。
マリアさまの夫ヨセフは、どちらかといえば脇役に演じられがちです。

聖書はこう記しています。
《母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、
聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
夫ヨセフは正しい人であったので、
マリアのことを表ざたにするのを望まず、
ひそかに縁を切ろうと決心した。》


結婚前に身ごもってしまった妻を受け入れるということは、当時のユダヤの社会状況を考えますと、とても困難なことで、正しい人間であれば、婚約を破棄する選択をすべきなのです。
だから、ヨセフがマリアを「ひそかに縁を切ろう」と考えたのは、至極当然なことでした。

聖書は続いて記しています。
《このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。
マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。
この子は自分の民を罪から救うからである。」》

ヨセフは眠りから覚め、天使が命じたとおり、妻マリアを迎え入れました。

以前、O牧師の語って下さった説教を思い出しています。
〈愛を欠く『正しさ』は人を殺します。〉と語り、人を生かす『愚かさ』について話されました。
聖書のなかの『正しい人』とは『良き人』とも訳されているそうです。
また、
『眠りから覚める』というのは、置かれた状況から逃げないで、立ちあがる決意であり、ヨセフは父に「なった」のである、と。
正しい人・良き人、は、『思いやりのある人』である、と。
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冬至です。

2022-12-22 06:46:50 | 日記
冬至。
いよいよ本格的な「冬に至る」の季節なのでしょう。
「週末からは冬型の気圧配置が強まり、今回の寒気よりさらに強い寒気が流れ込むでしょう。」
との予報が出されています。
東北から北陸を中心に平地でも大雪に警戒が必要とか。

寒い季節を迎えるのは、ちょっと厄介に思っている私です。
若い頃の様に、出勤前に道路事情など気にする必要などなく、降っても照っても寒い日は家に籠ってやり過ごせばいいだけなのに。
大きな声では言いたくないのですが、厄介なのは夜中のトイレ。
3回ほど起きてしまいますと、寒さが身中に入り込み眠れなくなってしまったりすることが多くなるからです。
これも、老化現象と諦め受領はしていますが。

季節は厳寒に向かっていても、日が伸びて行くということは嬉しいことです。
ひと足早い春を迎える気分になれますから。
本日の当地における日没時刻は16時25分。
10日前ごろに比べますと4分遅くなりました。

「冬至カボチャ」を拵えたかったのですが、カボチャを買うのを忘れていましたので本日は炊けません。
私の地方では、カボチャとアヅキを甘く炊き合わせます。
私の好物の一品で、冬至でなくとも寒い季節になりますとよく拵えています。

27年前、副鼻腔に悪性の腫瘍が出来、入院加療を受けました。
丁度今の季節です。
連れ合いが、冬至カボチャを煮て病室へ持参してくれたことを思い出します。
担当の医師から、私の病状についての説明を電話で受け、勤務を早退してきて、私に「ガン細胞が発見された」ことを説明してくれました。
最近耳が遠くなってきた連れ合いにイライラすることも多いのですが、当時、心配をかけたことなどを思い出し、反省もしています。

暮れも詰まって来ましたが訃報が入って来たりして・・・
みんな逝ってしまうなぁ、と呟いたり・・・

   この世さへ
   うからうからとわたる身は
   来ぬ世のことを
   何思ふらむ
       (『良寛さんのうた』童話屋刊 より)

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