ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「椅子の背もたれ」にも。

2014-12-24 06:40:16 | 日記
歳の割には足腰が丈夫です。
自分もそう思い、友人達からも そう見られています。

駅の構内を歩く時、階段があればエスカレーターには乗りません。
一緒に出かけた息子が、
『達者な足だねぇ』と呆れ顔で眺め、
『口も達者だけど』
と、付け加えます。
揶揄と冷やかし半分の声音で。
〈何 言ってんだか、まーだ50を少し越しただけじゃないか、運動不足め!〉
と、私は負けずに言い返します。
〈メタボに気ぃつけな〉と付け加えて。

口達者は、若い頃から定評がありました。
《口から先に生まれた》
のではなく、友人達は
《口が一週間先に生まれた》
と、私を評していました。
夫との口げんかは、百戦百勝。

けっこう長く歩き回れます。
電車で2時間ほど立っていても平気です。

そんな私ですが、バランスは歳相応に劣化していました。
講演会に行き、椅子に掛けようとした際に身体のバランスをくずしました。
並べられていた一人掛けの椅子と椅子との間に、腰をおろしてしまったのです。
椅子が動いてしまい、私は何とも不様な姿勢で床に尻もちをついてしまいました。

『だいじょうぶ だいじょうぶ』
と周囲を気にして平静を装っていましたが、痛いやら、恥ずかしいやら、何とも「トホホホホ」でした。

帰り道、痛む腰をさすりながら、〈やっぱり歳なんだ〉と、実感しました。
そして、茨木のり子さんの「詩」の一つを思い浮かべたのです。

    『倚(よ)りかからず』
    
     もはや
     できあいの思想には倚りかかりたくない
     もはや
     できあいの宗教には倚りかかりたくない
     もはや
     できあいの学問には倚りかかりたくない
     もはや
     いかなる権威にも倚りかかりたくない
     ながく生きて
     心底学んだのはそれぐらい
     じぶんの耳目
     じぶんの二本足のみでたっていて
     なに不都合のことやある

     倚りかかるとすれば
     それは
     椅子の背もたれだけ

     この「詩」に自身を投影させ、意気がっていた「若さ」は、もう去って行ってしまったようです。
今日、
〈倚りかかる椅子〉に逃げられてしまいました。
苦笑い。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする