私、実はずっと大きな悩み事を抱えております。
納得がいかないのですが、それが社会のルールということであれば、黙従しなければならないものなのでしょうか?
しかし、どうにも不条理の感が拭えません。
それは何かと言うと、「配膳位置」の問題。
和食で「一汁三菜」の場合、ご飯を左手前、汁椀を右手前に、主菜を左奥、副菜を右奥、ちょっとした副菜に中央に置くのが正規のマナーのようです。
吉野家の朝定食で恐縮ではありますが(笑)、写真をご参照下さい。
日本の伝統文化に基づき産み出されたものと思いますが、この配置は大きなリスクを内在しているのであります。
右利きの方を例にとってご説明致しましょう。
この配膳を前にした食事者は、右腕肘部を支点とし、右手に摘んだ箸により食物を器の中から取出し口に運ぶという動作を繰り返す訳です。
ワイパーの一片が、右手前を支点にして、左右に動くのを想像してください。
これって危険じゃね?
お膳の左上部、左下部、右上部はたまに箸が上空を通過するだけであるのに対して、右手前だけは常に箸やら腕が低空飛行を続けるのであります。
飛行機、じゃ無かった箸や腕が上空を飛びかう地上にはいったい何があると思います?
そうです、言うまでも無く汁椀でごぜえます。
箸の先や服の袖でもちょっとでも引っ掛けようものなら、汁椀が倒れ、内容物が周囲に流出するという大惨事になりかねません。
和服などの場合、偶然性の産物で、食物由来染料により袖を染めるという前衛的かつエコロジカルな行為を、食事者が無意識の内に行ってしまう可能性もございます。
ですから、普段の食事に於いて私は、日本の伝統的な食文化に果敢にも挑戦する、人間工学的見地から独自に編み出した配置に変更するのであります。
この記事の読者の方に特別にそのノウハウを開陳致しましょう。
その配置は……、
汁椀は左奥、左手前にご飯、右奥に副菜、右手前に主菜を配備するのです。
これにより、最も危険な汁椀の上空を飛行物体が飛来する確率は激減。
また、万一流出事故が発生しても液体はテーブルの向かい側の人の方へ流れて行くので食事者は被害を被らずノープロブレム。(オイオイ)
ところで、何故伝統的な、ご飯は左、汁椀は右という配置が生まれたのでしょう?
それは、中国から伝わった「左重視の思想」があるかららしいです。
例えば、左大臣は右大臣より偉いのです。
この思想により、主食(ご飯)や主菜を左側に置くようです。
そっかぁ!日本も縄文時代は原始共産制だったんだよな。だから左重視なんだ。(何か違うのでは)
岩城宏之指揮NHK交響楽団(DENON盤)
最近ずっと日本人作曲家に興味を持っており、色々な方の作品を聴いてみたいと思っております。
現代音楽を含む広義のクラシック音楽の中で、日本人作曲家の認知は必ずしも高く無いように感じておりますが、いやいやどうしてどうして。何人もの素晴らしい作曲家が数々の素晴らしい曲を書いている、武満徹くらいしか最近まで聴いて来ませんでしたが、宝の山の一つではないか、とさえ思っております。
先日、細川俊夫「観想の種子-マンダラ」を聴き(http://blog.goo.ne.jp/golf130/e/f6bf048f5db6ab014ee428219094b76b?guid=ON)、「曼陀羅交響曲」を聴いてみたくなりこのCDを購入しました。
黛敏郎さんの作品では、以前「涅槃交響曲」を取り上げたことがあります。(http://blog.goo.ne.jp/golf130/e/95a007650b24546870572b35cc0bd1e9)
バレー音楽《舞楽》(1962年)は、第1部、第2部から成る24分ほどの作品。
西洋のオーケストラという器に伝統的な和の響きを盛った音楽。
「涅槃交響曲」では梵鍾の響きをオーケストラで音で再現する試みがされていたけれども、ここでは笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、鼓(つづみ)といった雅楽器の音色がヴァイオリン、木管楽器、ティンパニという西洋楽器で再現され、それが日本の舞とも西洋のバレーともつかない舞曲の中で響く。
「曼陀羅交響曲」(1960年)は、仏教思想をオーケストラの前衛的響きに取り込んだ作品。
皆様、曼陀羅という仏様が図式化され配置された絵をご覧になったことあるでしょ。
金剛界曼陀羅、胎蔵界曼陀羅と題された2つの楽章から成り、演奏時間約16分。
一見、前衛的なオーケストラ曲なのに、根底に東洋的伝統的な響きを感じる不思議な存在感のある音楽。
どちらの曲も、日本の現代音楽界が世界に誇れる素晴らしい作品と思います。
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納得がいかないのですが、それが社会のルールということであれば、黙従しなければならないものなのでしょうか?
しかし、どうにも不条理の感が拭えません。
それは何かと言うと、「配膳位置」の問題。
和食で「一汁三菜」の場合、ご飯を左手前、汁椀を右手前に、主菜を左奥、副菜を右奥、ちょっとした副菜に中央に置くのが正規のマナーのようです。
吉野家の朝定食で恐縮ではありますが(笑)、写真をご参照下さい。
日本の伝統文化に基づき産み出されたものと思いますが、この配置は大きなリスクを内在しているのであります。
右利きの方を例にとってご説明致しましょう。
この配膳を前にした食事者は、右腕肘部を支点とし、右手に摘んだ箸により食物を器の中から取出し口に運ぶという動作を繰り返す訳です。
ワイパーの一片が、右手前を支点にして、左右に動くのを想像してください。
これって危険じゃね?
お膳の左上部、左下部、右上部はたまに箸が上空を通過するだけであるのに対して、右手前だけは常に箸やら腕が低空飛行を続けるのであります。
飛行機、じゃ無かった箸や腕が上空を飛びかう地上にはいったい何があると思います?
そうです、言うまでも無く汁椀でごぜえます。
箸の先や服の袖でもちょっとでも引っ掛けようものなら、汁椀が倒れ、内容物が周囲に流出するという大惨事になりかねません。
和服などの場合、偶然性の産物で、食物由来染料により袖を染めるという前衛的かつエコロジカルな行為を、食事者が無意識の内に行ってしまう可能性もございます。
ですから、普段の食事に於いて私は、日本の伝統的な食文化に果敢にも挑戦する、人間工学的見地から独自に編み出した配置に変更するのであります。
この記事の読者の方に特別にそのノウハウを開陳致しましょう。
その配置は……、
汁椀は左奥、左手前にご飯、右奥に副菜、右手前に主菜を配備するのです。
これにより、最も危険な汁椀の上空を飛行物体が飛来する確率は激減。
また、万一流出事故が発生しても液体はテーブルの向かい側の人の方へ流れて行くので食事者は被害を被らずノープロブレム。(オイオイ)
ところで、何故伝統的な、ご飯は左、汁椀は右という配置が生まれたのでしょう?
それは、中国から伝わった「左重視の思想」があるかららしいです。
例えば、左大臣は右大臣より偉いのです。
この思想により、主食(ご飯)や主菜を左側に置くようです。
そっかぁ!日本も縄文時代は原始共産制だったんだよな。だから左重視なんだ。(何か違うのでは)
岩城宏之指揮NHK交響楽団(DENON盤)
最近ずっと日本人作曲家に興味を持っており、色々な方の作品を聴いてみたいと思っております。
現代音楽を含む広義のクラシック音楽の中で、日本人作曲家の認知は必ずしも高く無いように感じておりますが、いやいやどうしてどうして。何人もの素晴らしい作曲家が数々の素晴らしい曲を書いている、武満徹くらいしか最近まで聴いて来ませんでしたが、宝の山の一つではないか、とさえ思っております。
先日、細川俊夫「観想の種子-マンダラ」を聴き(http://blog.goo.ne.jp/golf130/e/f6bf048f5db6ab014ee428219094b76b?guid=ON)、「曼陀羅交響曲」を聴いてみたくなりこのCDを購入しました。
黛敏郎さんの作品では、以前「涅槃交響曲」を取り上げたことがあります。(http://blog.goo.ne.jp/golf130/e/95a007650b24546870572b35cc0bd1e9)
バレー音楽《舞楽》(1962年)は、第1部、第2部から成る24分ほどの作品。
西洋のオーケストラという器に伝統的な和の響きを盛った音楽。
「涅槃交響曲」では梵鍾の響きをオーケストラで音で再現する試みがされていたけれども、ここでは笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、鼓(つづみ)といった雅楽器の音色がヴァイオリン、木管楽器、ティンパニという西洋楽器で再現され、それが日本の舞とも西洋のバレーともつかない舞曲の中で響く。
「曼陀羅交響曲」(1960年)は、仏教思想をオーケストラの前衛的響きに取り込んだ作品。
皆様、曼陀羅という仏様が図式化され配置された絵をご覧になったことあるでしょ。
金剛界曼陀羅、胎蔵界曼陀羅と題された2つの楽章から成り、演奏時間約16分。
一見、前衛的なオーケストラ曲なのに、根底に東洋的伝統的な響きを感じる不思議な存在感のある音楽。
どちらの曲も、日本の現代音楽界が世界に誇れる素晴らしい作品と思います。
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コメント有難うございます。
そうですよね、やはり正式配置は食べにくいですよね。yokochanさんも並べ替えていらっしゃるとのことで安心致しました。
コップ、グラス、お猪口に関しては、「歯医者さんのコップ方式」を熱望しております。置くと自動的に満杯になるあれです。
宴会とかで、注いだり注がれたりって面倒臭いじゃないですか。
この方式なら自分のペースで(ガンガン)飲める。お店も売上増えるはずだし。どこか実現してくれないでしょうか。
黛敏郎さん、改めて素晴らしい作曲家だと思いました。
コメント及び新配膳へのご支持有難うございます。
記事では触れなかったのですが、「器の高さ」の問題もあります。
一般的に、主菜の入ったお皿より汁椀の方が背が高いじゃないですか。
この点でも、ぶつかるリスクの高い右下側にはお皿が配置されるべきだと思っております。
涅槃交響曲、曼陀羅交響曲も機会ありましたら是非聴いてみて下さい。
実に興味深い配膳論といえよう。
わたしは、はなから意識したことない並べかたですが、定食屋では気が付いたらいつも自己流に並べかえておりましたね。
やっぱり、その方が食べやすいし、箸が進む。
おや左党さんとおんなじ。
ちなみに、酒のグラスは左、ボトルは右ですな。
涅槃も曼荼羅も、黛作品は、ほんとうによく書けてますねぇ。
ワタシも強く支持致します(^^;。恥ずかしながら袖アクシデントの経験もあり。。。
ご飯茶碗も汁椀も左にあると、食事が左右のブレなく効率よく行えると思います・・・それ故ワタシは喰いすぎて太ってしまうのか(笑)。
右だ左だってところに黛さん。。。しばし唸ってしまいました(爆)。涅槃交響曲・曼荼羅交響曲、聴いてみたいです。