(「上」の続き)
ところで、「上」にて紹介した「上海必死だなw」という独特な動き、これににちょっと似た出来事が夏にありましたね。上海を舞台にした日本人を巡る謎の事件。「斜陽の広東王国に村民のハンストに上海の情報戦」(2005/09/01)で既報したもので、詳細はそちらを御参照頂ければと思います。
●「上海の街頭で日本人ビジネスマンがホステスを殴打」(国際在線/新浪網 2005/08/31/10:11)
http://news.sina.com.cn/s/2005-08-31/10116828922s.shtml
という『民主と法制時報』の報道を上海市当局が声明を発表して打ち消した一件です。
●『上海の街頭で日本人ビジネスマンがホステスを殴打』は事実に反したもの(解放網 2005/08/31/12:42)
http://www.jfdaily.com.cn/gb/node2/node142/node200/userobject1ai1048311.html
「8月30日に新浪網(SINA)など商業系サイトに転載された『民主と法制時報』王敏記者による記事『上海の街頭で日本人ビジネスマンがホステスを殴打』は事実から著しく逸脱した内容である」
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当時は「八・一五靖国参拝」がなかったために「反日」を発端とする政争を仕掛けられなかった「アンチ胡錦涛諸派連合」による情報戦(殴打事件→反日感情高まる→デモだデモだあ→暴動だ暴動だあ→胡錦涛馘首)かと考えていました。実際にそうだったのかも知れませんが、これまた外資に身を任せた上海市当局の必死さが伝わってくる事件です。
とは、「新浪網」が「殴打」報道を掲載してからわずか2時間半後には、当局(上海市公安局)がそれを否定する声明を発表し、各メディアに報じられているからです。各メディアとはタイトルを太字にして重要ニュース扱いにした「解放網」(『解放日報』の電子版)をはじめ、「新華網」「人民網」それに「新浪網」など大手ポータルのニュースサイト。
たったの2時間半ですよ。上海市当局が何を最も恐れていたかといえば、
「広範なるネットユーザーは虚報に踊らされないようにしてもらいたい」
と声明の中でわざわざクギを刺していることから明らかです。「殴打→反日→デモ&プチ暴動の再発」ということになるでしょう。外資に逃げられたら失血死する、という生存本能が「2時間半」というレスの速さに出ているのではないかと思うのです。
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……という訳で、
●「友好の花」一直線
●殴打事件報道への即レス(「報道は事実に反する」声明)
という「上海必死だなw」の実例を挙げれば、第3のケースを思い出す方も多いことでしょう。
……そうです。上海にとって最も危険だった今春の反日騒動における「デモ&プチ暴動」です。上海市当局にとっては「四・一六事件」ともいうべきものでしょう。
あのとき破壊された日本人経営の店鋪などには弁償措置が講じられた(ただ補償金額が低すぎて折り合わないようですけど)ようですが、北京市での反日デモ(4月9日)以上の被害となり、振り返ってみれば反日騒動における最大規模の騒乱でした。
「上海にとって最も危険だった」というのは、「中央に対する面目が云々」「それで中央からの介入が強まって云々」なんてことではなく、この「四・一六事件」が全世界に報じられ、その結果として日本の外務省から「退避勧告・渡航延期勧告」が出された場合、外資の柱である日系企業の動きが止まってしまう可能性があったからです。
もし欧米諸国がこれに足並みを揃えれば?……あの1989年の天安門事件による経済制裁の再演となります。外資依存度が高まっている現在は、まさに失血死状態になる恐れがありました。同時に不動産バブルが一気に弾けたことでしょう(上海市当局のサイドビジネスが頓挫したともいえますね)。
「上海にとっての危機」であることは、市当局もよく認識していたことでしょう。……古い話を続けますが、そこであの怪文書、反日デモを激しく断罪した『解放日報』(2005/04/25)の論説記事(評論員文章)となる訳です。
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●解放日報評論員:本質を見極め、違法行為には厳罰を(解放日報/新浪網 2005/04/25/09:09)
http://news.sina.com.cn/c/2005-04-25/09095742012s.shtml
いやーまだリンクが生きているとは思いませんでした。以下、当ブログ「怪文書」(2005/04/29)から引用しつつ話を進めます。
前述したように、『解放日報』は上海市党委員会の機関紙、つまり上海における中共の代弁者ということになります。その新聞に「四・一六事件」から1週間以上経った4月25日、この重要記事が1面トップを飾ることになります。唐突、というのが「怪文書」の「怪」たることその1です。
「怪」たることその2は、記事の内容そのものです。真っ向から容赦なく「四・一六事件」を否定し断罪し、反政府行動とまで決めつけていることです。
「大量の事実が証明している。最近発生した非合法デモは、愛国的行動でも何でもなく、違法行為なのだ。民衆の自発的な動きでも何でもなく、背後に黒幕を控えての陰謀なのだ。」
と、冒頭から「反日デモ」や「愛国無罪」を非合法認定。「陰謀」とは反政府活動のことです。デモがその「陰謀」だと断定されています。凄まじいの一言です。
当時の党中央・中央政府サイドから出ていた記事や通達がいずれも反日活動参加者の「愛国の情」は認めつつ、「なだめすかす」「諭す」「説教する」「自重を促す」といった姿勢だったのに対し、この「怪文書」は「デモに参加した奴らはみんな有罪。こうした動きを上海は断固許さない!」と、明確に「対決姿勢」を打ち出しているのです。要するに、
「デモに加わった者は人民の敵」(つまり反政府分子)
という認識なのです。一連の反日活動に対する記事において、明らかに敵対姿勢を打ち出したのはこの文章だけです。
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そしてこの鬼気迫るが如き記事は「新華網」をはじめ大手ポータルのニュースサイトにも次々と転載されていきました。……が、なぜかほどなくして今度は次々と削除され始め、最後には記事の発信元である『解放日報』の「解放網」からも消されてしまうのです。これが「怪」たることその3。
消された原因はいまもって謎です。この記事に対しネット世論が激しく反発したことは事実ですが、そんな簡単な理由ではないでしょう。反日騒ぎに対するその後の対応ぶりから、党中央が「勇み足に過ぎる」と判断したのかも知れません。あるいはより高度な政治的判断により、党上層部が反日デモを断罪しない方針で固まった可能性もあります。この場合は、
「反日デモを断罪することで反政府的な気運が出ては困る」
「騒ぎを放置しておくことで国際的イメージが傷つく」
「反日デモの断罪を避けておけば、いずれ必要なときにまた反日を口実にした政争が仕掛けられる」
など、様々な思惑が交錯したかと思います。ちなみに「反日を口実にした政争」とは党上層部内の主導権争いだけでなく、「反日」を対日外交上のカードに使えるかも、という意味合いもあった筈です。ただいずれにせよ、それらはあくまでも北京から中国全土を見渡した大局的見地によるもので、外資に命を預けてしまっている上海市の感覚を実感することはできなかったでしょう。
デモ&プチ暴動の激しさに接した上海市当局は驚愕し、これは厳しく断罪しないと死活問題になる(外資が逃げる)という認識が生まれたのだと思います。要するにこれまた「上海必死だなw」の発露なのです。
「経済制裁や外資一斉引き揚げなどは可能性が低いですからリスクというほどでもありませんが」
と「上」で書きましたが、そのとき上海市当局は確かにそのリスクが現出する気配を感じたのだと思います。
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以上は上海閥への応援歌ではありませんし、私にとって1年暮らした街ではあっても、全てが変貌している以上、いま行ってみたところで何の感慨も湧かないでしょう。ただ単に、上海には「外資に身を任せた街」という個性(行動原理)があり、そのために中央と感覚を共有することができない部分があるように思える、というだけの話です。
考えてみれば外灘に並ぶ重厚な趣の欧風建築、これは本来中国にとって屈辱的な租界時代の名残りですが、中共政権の成立後もそのまま接収されて政府機関などとして利用され、現在に至っています。私がいたころからすでに観光スポットでしたが、現在は道路も修復されライトアップもされて、一段と磨きがかかっていることでしょう。
「偽りの正面」と呼ばれたあのビル街こそ、上海が昔から、そして現在においても「外資に身を委ねた街」であることを示しているようでもあります。
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