よく晴れた空の下、まだ朝の気配を残す静かな参道を、蝉時雨を浴びつつ歩くというのはいいものです。
都心でありながら近くに高層ビルが少ないこともあって、靖国神社から見上げる空は意外に広くて大きくて、青空がまたよく似合う場所でもあります。
今年も好天であれかし、と願っています。
と書いてから1年が経ちました。一昨年がそういう清々しい空気に包まれていたのです。参拝の後に立ち寄った喫茶店では先日亡くなられたお婆さんと縁を結ぶことができました。
昨年は悪天候のうえ小泉純一郎・首相(当時)の参拝に出くわしてしまったため散々でしたけど、今度は栃木県から朝一番で上京してきたというお婆さんと一緒になりました。
どうも私は、8月15日の靖国神社参拝に際してお婆さんと縁があるようです。今年もそうなるのでしょうか?とりあえず暑さで熱中症になるのを案じて参拝を断念した恩師から「私の分もお祈りしてきて下さい」と頼まれています。
8月10日に閉店した馴染みの床屋で常に私の担当だった「尊攘さん」も行くそうですから、会うことができたらいいな、と楽しみにしています。
今年は天気に恵まれそうですね。報道陣は肩透かしの気分かも知れませんけど、あの清々しく爽やかな雰囲気のなか参拝できると思うと、何だか遠足前夜のような気持ちです。
私は午前の早い時間に参拝を済ませて、例によって零戦&海軍コーヒーを楽しんでから帰ろうと考えています。
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日本の近代化に尽くした人たち、その過程で戦没した人たち、そして大東亜戦争で心ならずも戦死された人たちや戦争に巻き込まれて亡くなられた民間人の人たち、そして戦争を生き抜き戦後の復興に尽力された人たち。……いまなお健在の人たちも含めて、いまの日本を私たちに遺してくれた先人たち全てに心から、
「ありがとうございました。本当にありがとうございました」
と感謝と敬意を表したいと思います。皆さんのおかげで現在の日本があり、繁栄を享受している自分がいます。
「それは違う」
という声が挙がることでしょうけど、私にとっての靖国神社は「みたま」だけに祈りを捧げるだけでなく、そういう場所なのです。
「ありがとうございました。本当にありがとうございました」
と祈念する一方で、先人の方々からバトンを渡された私たちはどうあるべきか、ということにも思いを馳せたいと考えています。私にとっての靖国神社は、自分が日本人であることを再確認し、そのことに向き合う場でもあるのです。
8月15日だけでなく、毎回足を運ぶたびに祈り,思いをこらすのです。日本人の生活とは切り離せない、春夏秋冬を身体いっぱいに浴びながら。
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心に沁み入る絵本『お父さんへの千羽鶴』の「あとがき」に、次のような一節があります。
折り鶴を集めて作る千羽鶴は、仕上げるまでに大変な手間と時間がかかりますが、それでも作り上げる根気というのは、願いや思いの強さによるものです。
あの人の病気が治りますように。
あの人が無事でいますように。
あの人の願いが叶いますように。
あの人が安らかに眠りますように。
そんな祈りの込められた千羽鶴は、自分のためではなく、他人への祈りから作られます。
その祈りの対象は、今生きている愛する人から、会ったことのない故人まで、実に様々ですが、いずれの千羽鶴も、自分の時間、つまり寿命の一部を割いて,私心なく他人の幸せを祈って作られるものなのです。
私もまた、千羽鶴を折るような心持ちで、普段と同じように、明日、靖国神社に行こうと思います。
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