日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 中国について多少の知識をお持ちの方なら『文匯報』という新聞の名前は聞いたことがあるでしょう。ただ今回は上海のそれではなく、香港の文匯報の話です。便宜上『香港文匯報』と呼ぶことにします。

 香港における親中紙の筆頭格であるこの『香港文匯報』は、例えば一昨年(2003年)7月1日に地元香港で行われた歴史的な50万人デモ(七一大遊行)を全く報じなかったという力技(笑)で知られています。

 先日の趙紫陽・元総書記の葬儀(厳密には遺体告別式)でも中国国内で統一して使われた新華社電をメイン記事に持ってくるなど、とにかく「中共の走狗」として日々頑張っております。同紙をマジメに読むのは一部の奇特な香港人、それに私のようにチナヲチを趣味とする人ぐらいでしょう。あ、あとプロのチャイナ・ウォッチャーを忘れてはいけませんね。

 とはいえこの『香港文匯報』、昔から「左報」(左派紙)と呼ばれてはいましたが、ある時期まではもう少しマトモな新聞だったのです。少なくとも「走狗」呼ばわりされるほど堕ちてはいませんでした。

 ……ここまで読んで「あ、こいつまた六四ネタに逃げるな」と思った方、申し訳ありません図星であります。

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 今年の1月18日といえば、趙紫陽氏の死去が伝えられた翌日で、中国国内メディアが揃って沈黙したのに対し、香港・台湾マスコミや反体制系ニュースサイトはもうお祭り状態。あれやこれやの消息筋情報が乱れ飛んでいました(※1)。

 何とも騒がしかったこの日は、実は金堯如氏の一周忌でもありました。往年の『香港文匯報』編集長です。

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 今でこそ経済改革の推進が至極当然の事として語られる中国ですが、胡耀邦氏や趙紫陽氏が第一線で活躍していた80年代の政治状況は現在とは全く違っていて、改革に手をつけること自体が冒険であり、政治的リスクを伴うものでした。当時はマルクス・レーニン主義に忠実で、改革を「資本主義的」と非難する「保守派」が現役バリバリで力を持っていた時代です。

 最高実力者であるトウ小平が改革・開放を支持していたので改革基調の路線が辛うじて守られてはいましたが、保守派も機を捉えては反撃したりしていたので(現に当時の胡耀邦総書記がこれで失脚しています)、当時は改革路線を維持することで精一杯だった、と言ってもいいかも知れません。

 これが「改革当然」となるのは、前にも書きましたが1992年のトウ小平氏による南方視察(南巡講話の発表)からです。1989年の天安門事件(六四)で武力弾圧を決断して血しぶきを浴びたトウ小平が、すでに高齢であり人生最後の勝負に出たともいえるその凄みには、さすがの保守派も沈黙し、これ以降は鳴りを潜めてしまいます。趙紫陽・胡耀邦の両氏に比べると、江沢民や胡錦涛は実にやりやすい仕事環境を与えられたものだと思います。

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 さて、往年の『香港文匯報』とは、保守派という政治勢力がまだ力を持っていた時代のことです。確かに香港マスコミにおける地位は「左報」ではありましたが、同紙は基本的に改革派に与するスタンスを維持していました。その時代の最後の編集長が金堯如氏です。

 1989年の大学生・知識人による民主化運動に際し、北京の党中央は4月末には早々と「動乱」認定を下しました(※2)が、金堯如氏率いる当時の『香港文匯報』はまずこれに抵抗します。このころ香港でも各所で大規模なデモが行われ、香港人も民主化運動を支持・支援(カンパなど)する姿勢を明確にしていました。

 浙江省の政協(政治協商会議)常務委員でもあった金堯如氏はこのとき帰国して関連会議に出席し、北京にならって学生運動を「動乱」と位置づけた浙江省政協の決議に異を唱え、

「浙江省に動乱は起きているか?学生はデモが終わればちゃんと大学に戻っていくではないか。動乱などどこにもない!」

 と強く主張、ついに決議文から「動乱」の部分を削除させることに成功しています。

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 しかし、北京における事態は進んで、5月半ばに趙紫陽氏が事実上の失脚。ハンスト学生を見舞って「申し訳ない。私は来るのが遅すぎた」と語りかける有名なシーンはこのときのものです。そして当局は5月19日深夜、北京市に対する戒厳令実施を宣言。軍隊による武力弾圧への道がここに開かれました。

 これを受けて香港市民が憤激したことは言うまでもありません。それは金堯如氏をはじめ『香港文匯報』の編集スタッフも同じでした。そして、編集長・金堯如氏のゴーサインにより、伝説として語り継がれている社説が翌日の紙面を飾ることになります(※3)。

 80行は入るであろう大きな縦長の囲み記事。普段は社説によって埋められるそのスペースが真っ白のまま残され、中央に大きく「痛心疾首」(※4)の四文字。「左報」と香港人に揶揄されていた同紙が、このたった四文字の社説を以て北京に対し叛旗を翻したのです。

 この「社説」が当時の香港に巻き起こした反響の大きさは例えようがありません。そのニュースは北京にも伝わり、李鵬を激怒させたといわれています。そして6月4日の血の弾圧事件後、事態が鎮静化してから金堯如編集長が解任されたのをはじめ、『香港文匯報』の編集部がほぼ総入れ替えになります。

 その後、同紙は次第に「中共の走狗」としての色彩を強め、50万人デモを「なかったこと」(報道せず)にしてしまったり、趙紫陽氏の葬儀に関する報道の親記事に新華社電をそのまま使うような、機関紙同然の情けないスタイルにまで堕ちるに至っています。

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 以前にもちょっと書きましたが、1989年の民主化運動の時期、私は某大都市に留学生として滞在していました。

 友誼商店に中国人が入れなかった時代です。もちろんネットも携帯もない時代ですから、OCS(海外新聞普及株式会社)を通じて日本の新聞や雑誌を定期購読していなければ、留学生にとっての日常の「情報」は短波ラジオで聴くNHK、それにVOAとBBCの中国語放送が頼りでした。

 あとは、外国人の宿泊する一部ホテルへ行って半日遅れで届く香港の新聞か、1日遅れの日本紙を買うぐらいです。香港の新聞は「左報」の『香港文匯報』か『大公報』で、値段はFEC(外貨兌換券)で2元でしたか。民主化運動が本格化してからは、北京でちょっとした動きがあるたびに、郊外にあった大学から自転車で市内中心部のホテルに行って(あるいはデモをかけた帰りに立ち寄って)、香港紙を買うのが習慣になりました。

 あれは、北京に戒厳令が敷かれた直後のことでした。デモのリーダーの一人でもあった親しい中国人学生が私のところへ来て、香港紙を貸してくれないかと言うのです。

「運動に同調してくれている新聞社に持っていって、たくさんコピーしてもらう。それを街のあちこちに貼りまくるんだ」

 そいつはいいアイデアだ、ということで応援してやりました。もちろん私だけでなく、他の留学生や他大学でも似たようなことが行われていたと思います。翌日には市内の目抜き通りなどにこのコピーされた香港紙が一斉に貼り出されました。

 今回試しに使ってみた画像は、そのとき記念に撮影したものです。見開きの形で貼り出された『香港文匯報』、その左頁の左上の一角が前述した「四文字社説」なのですが、ちょっと見えにくいかも知れません。

 ちなみに、「六四」の惨劇もこの方法で市民に伝えられました。香港の新聞は死体写真OKです。親中紙であろうと人民解放軍に虐殺された学生や北京市民の写真が容赦なく掲載されましたから、市民はみな怒りに震えて、私のいた街もその後一週間近くは無政府状態同然となりました。

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 「六四ネタに逃げた」割には長々と書いてしまっていますが(笑)、今回の趙紫陽氏をめぐる一件でふと上のことを思い出したのです。あれから15年以上になりますが、情報統制の厳しさは基本的に何も変わっていないのではないでしょうか。

 ネットや携帯メールといった小道具は増えましたが、事実を伝えようとする思いを持った有志にとって最も効果的な手段は、情報量と伝播する階層の広範さからみて、やはり海外の華字紙を街中に貼り出すということになるのかも知れません。それをできる条件があれば、ですけどね。

 以下は追記として。

 ●「六四」を簡単に振り返られる動画(※5)
 http://www.rebuildhk.com/upload/64glory_ppc.mpg

 ●上の動画を収録したHP。他にも資料がたくさんあります。
 http://64memo.com/index.asp


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 【※1】当ブログ「乱れ飛ぶ消息筋情報」(2005/01/18)

 【※2】「動乱」認定を下したのはトウ小平ですが、これは当時の李鵬首相(保守派)の幾分か誇張された報告をもとに決断されたとされています。総書記だった趙紫陽氏は一貫して「事を荒立てるべきではない」という立場でしたが、このとき北朝鮮訪問中で不在だったことが悔やまれます。

 【※3】当時香港における中国政府の出先機関だった香港新華社の許家屯社長(当時)の回顧録によると、「四文字社説」は同氏にも事前に知らされ、その裁可を受けて掲載が決定されたとのことです。いわば香港における「中国当局」が自ら学生支持・趙紫陽支持に回ったようなものです。「六四事件」後、同氏は米国に亡命しています。

 【※4】『中日大辞典』増訂第二版(大修館書店)によると、「痛心疾首」は「ひどく悲しみ恨む」という意味だそうです。

 【※5】バックに流れるは「六四」のために作られた故アニタ・ムイ(梅艶芳)の「血染的風采」です。そういえばこの人も一周忌を終えたばかりでした。


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 華人圏と仕事の付き合いがある方はおわかりでしょうが、いま旧正月(今年は2月9日が元日)を前にした「第二の年末」真っ盛りです。

 それで中国では出稼ぎ農民や学生の帰省ラッシュが物凄いことになっています。毎年物凄いです。日本の総人口ぐらいが動く民族大移動なのですが……そんな話ではなくて、私は愚痴を言おうとしています(笑)。

 いや笑い事ではなくて、私はいま「第二の年末進行」の真只中です。あまり計画性を顧みない業界なので、夏休みの最後に待っている宿題パニック状態です。今年こそは、といつも思うのですが相手のある仕事ですし、結局最後の10日ないし2週間で3週間分の仕事をする破目になります。

 そんな訳で、趙紫陽氏死去の余熱がまだ散じていない状態ではありますが、今回はちょっと小ネタに逃げます。

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 一昨年あたりから中国国内でときおり話題になる広告問題。馬鹿らしいですね。トヨタが獅子をどうしただの、日本ペイント(立邦)が龍をどうしただの……ちょっと前にはナイキがありまして、マクドナルドがありまして、吉野屋がありました。あとアディダスもあって当ブログでも取り上げましたが、これが粘着な騒ぎに至らなかったのは、些細なミスだからなのでしょうか(日本企業ではないということもあるかも知れません)。

 で、新ネタの登場です。ところがこれは中国側による初の「反撃」らしいのです。反撃の相手ですか?そりゃもちろん日本です(笑)。

 著作権とかの絡みで広告写真をここに貼るのはどうかと思いますので、URLだけ書いておきます。

 ●人民日報
 http://culture.people.com.cn/GB/22219/3142357.html

 ●香港文匯報
 http://www.wenweipo.com/news.phtml?news_id=CH0501250027&cat=002CH
 http://www.wenweipo.com/news.phtml?news_id=CH0501250028&cat=002CH

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 ええ香港の親中紙まで報じているのです。見りゃわかるのですが、太陽に向けていざ矢を射掛けんとばかりに、中華風味の武将がを弓を引き絞っています。ただそれだけです。それだけなんですが、

「これは日本の一連の広告に対する中華民族の反撃だ!」

 みたいに中国国内のマスコミが騒いで、香港の親中紙まで……まあ『香港文匯報』なんて読者が少ないから構いませんけど。太陽が日本を象徴しているらしいんです(笑)。

 「広告の中日戦争勃発だ」なんて勇ましいタイトルの記事もどこかにありました。血が沸き立つままに、どうにも書かずにはおれないネタのようです。

 当の広告の作者にはそういう意図がなかったようですが、騒がれてうれしいのか、

「まあ見る人の感じ方次第ですから」

 と澄ましてコメントしています。ちょっと調子に乗り始めた感じです(笑)。

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 さて広告を見て、記事を読んでの感想ですが、

 ……それで?

 ……だから?

 というリアクションしか当方はできません。例によって、病的な自尊心とコンプレックスが赤剥けになっている印象ですねえ。だって日本人がこの広告をみて、日本なり日本人に対する挑発とか侮辱なんて思います?

 結局、民度なんでしょうか?……民度なんでしょうね所詮は。

 あまり「民度」で一刀両断にするのも紋切り型めいてしまうのですが、この場合それ以外にどう反応しろというのでしょう。中国の伝統的な諷刺の型を踏んでいる云々……とでもすればいいのでしょうか(笑)。

 こんなもので溜飲が下がるものなんですかねえ。だとしたらビョーキでしょう。病んでいるとしか思えません。ダメ出ししときます?清末で自己変革に失敗した時点でヘタレ認定。同情の余地なしです。

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 最後に、制作者及びクライアントへ一言。せめてカラー広告にしてほしかった。これじゃあ『三国演義連環画』じゃないですか(笑)。その線を狙ったのなら仕方ありませんが、『人民日報』で日本側のカラー広告と並べてみると、あまりにショボすぎます。

 そのショボさが「土八路」の誇るべき伝統だというのなら、ああそうですか、と言うしかありませんけど。日中戦争(1941-1945)の正面を担当した国民党軍は一応米軍の装備で戦っていたんですが、そんなこと毛沢東の知ったこっちゃないですよねえ。



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 御存知の方も多いでしょうが、今日(29日)午前、趙紫陽氏の「遺体告別式」が北京で開かれました。

 前回掲げた香港主要紙(27日午前時点)の情報では、

 ●29日か30日に「遺体告別式」として開催。
 ●党中央が主催(葬儀委員会はすでに発足。委員長は王剛・中央弁公室長らしい)。
 ●式は高い格式とする。
 ●式の中で「経歴」は発表されない。
 ●これまで趙紫陽氏宅に弔問に来た人のうち、連絡先が判明している弔問客には遺族から招待状を出す。
 ●式の後に新華社から関連原稿が各メディアに対して出される。内容は死去時のものより詳しいもので、国家指導者として80年代の経済改革に功績があったことも書かれる。

 とのことでしたが、概ね間違ってはいなかったようです。ただ現実には、

 ●希望した全ての人が参列できた訳ではなかった(反体制系の人物は締め出し)。
 ●「80年代の功績」とともに1989年の天安門事件(六四)における「重大な過ち」が並記された。

 という、「いかにも中共」たる部分が顔をのぞかせました。

 もっとも、趙紫陽氏そして89年の民主家運動に対する評価が変わらないという状況ながら(※1)、式の後に出された新華社電に趙紫陽氏の「80年代の功績」が書かれたのは、ひとつの前進だと思います。ここは遺族の頑張りと党内長老グループの強いプレッシャーにより、現指導部が妥協せざるを得なかったところなのでしょう。

 ただ、「重大な過ち」が書かれたことは、「六四」の恩恵を受けた政治家(江沢民及びその子分、それと李鵬など)がなお健在でいる以上やむを得ないとはいえ、現指導部の統率力に傷をつけるものでしょう。ちょっと激しく言うとすれば「禍根を残した」ということになります。「党内の意見対立」という表面化してしまった事態が、これで解消されることはないでしょう。

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 ともあれ、死去から葬儀(厳密にいえば「葬儀」ではなく「遺体告別式」)まで10日以上を要したというのは、胡錦涛政権の失態としか言い様がありません。趙紫陽氏の病状に伴って、昨年末から胡錦涛直接指揮による専門チームが死去時の対応についてのシミュレーションを行っていたという報道がありましたが、事実とすればそういう準備作業が全く機能しなかったことになります。

 そして今回、生じてしまった党内の「意見対立」は、何かの機会にまた顔を出すかも知れないというリスクとなり、胡錦涛による政権運営をある程度縛ることにになるでしょう。今後そのための「配慮」が、対日路線を含めた様々な政策に反映されてくる可能性もあります。

 それは「中共の延命措置を講じる」ことが至上課題である筈の胡錦涛政権にとって、ときに余計な回り道をしなければならないことも出てくる、ということです。

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 胡錦涛政権、ひいては中共による統治にとって、趙紫陽氏の死去は、いたずらにマイナス面ばかりを際立たせた格好になったように思えます。政権基盤の意外な弱さを露呈してしまったと同時に、「死去」の機会を捉えて何らかのガス抜きを果たすこともできなかったからです。

 特にガス抜きができず、民衆に改めて「六四」を考える機会を与えてしまったことは、どう影響するでしょうか。「六四」単体ならともかく、貧富の格差、失業問題、党幹部の汚職といった問題とのコンボで、4月5日の清明節(お墓参りの日)に「人民葬」への動きが出ることも考えられなくはありません。

 何度も強調していることですが、結局は本来「経済改革」と「政治改革」でワンセットであった筈の改革・開放政策が、「政治改革」に手をつけずに「経済改革」一辺倒で野放図に走ってしまったこと、そのツケが「六四」から15年以上を経たいまでも清算されていないということでしょう。そして、いまさら「政治改革」をやろうにも、悪化した社会状況がそのための時間を与えてはくれないでしょう。

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 それにしても、趙紫陽氏が「中共人」である以前に「中国人」であり、それゆえギリギリの段階で「中共」より「中国」を優先させた、ということを改めて考えてしまいます。1978年からスタートした改革・開放政策下において、どれほどの政治家が氏のようであったでしょうか。

 国家指導者レベルでいえば、故・胡耀邦氏(元総書記)と朱鎔基・前首相、この2人に辛うじてそのニオイが感じられたのみで、トウ小平も李鵬も楊尚昆も江沢民も、そして現在の胡錦涛も、みな「中国人」である以前に「中共人」であり、常に「中共」ないし「中共内部における私利」を優先させているのではないかと思うのです。

 今後、もし「中共か中国か」というギリギリの選択を迫られた場合、「中共人」である高官たちは、やはり組織防衛を優先させるのでしょうか。


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 【※1】前回ふれましたが、趙紫陽氏の名誉回復が行われないことは外交部の記者会見で事前に言明されており、香港の親中紙『文淮報』がそのことを報じています。

 http://www.wenweipo.com/news.phtml?news_id=CH0501260021&cat=002CH




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 速報です。

「趙紫陽氏の葬儀等に関する内容について、昨日(26日)夕方、趙紫陽氏の遺族と党中央の間で行われていた話し合いが大筋で合意に達し、今週末である29日(土)か30日(日)、八宝山賓儀館にて『遺体告別式』が執り行われることになった。」

 ……と、『東方日報』『蘋果日報』『明報』『太陽報』など香港紙(電子版含む)が今日(27日)未明から一斉に報じています。

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 趙紫陽氏が17日に死去して以来、双方が一歩も譲らない形で揉めに揉めていたこの問題、互いに妥協することで決着がついた模様です。どうにもまとまらず袋小路に陥っていた状況を、温家宝首相が間に入って調停役を務めることでまとめ上げた、という報道もあります(温家宝はいつもオイシイところを持っていきますね)。

 先に言っておきますが、「妥協」といっても遺族にとっては色々圧力をかけられた上でのものです。警官多数を門前に貼り付かせて弔問客を中に入れないような意地悪に始まって、最後は遺族が香港を含む海外メディアの取材に応じていることを指して、

「それは党と国家の機密を漏らす行為だ」

 と恫喝までしたそうです。国家機密が聞いて呆れますね。陰険というか奸佞というか卑劣というか、とにかく「いかにも中共」というべきやり方です。

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 さて今回のニュース、香港紙が遺族の話を引用しつつ一斉に報じていることから確度は高いと思われますが、日取りすらも29日か30日か明らかでないように、確定していない部分があちこちにあります。各紙の報道を総合しますと、

 ●29日か30日に「遺体告別式」として開催。
 ●党中央が主催(葬儀委員会はすでに発足。委員長は王剛・中央弁公室長らしい)。
 ●式は高い格式とする。
 ●式の中で「経歴」は発表されない。
 ●これまで趙紫陽氏宅に弔問に来た人のうち、連絡先が判明している弔問客には遺族から招待状を出す。
 ●式の後に新華社から関連原稿が各メディアに対して出される。内容は死去時のものより詳しいもので、国家指導者として80年代の経済改革に功績があったことも書かれる。

 といった内容で、遺族はよくぞ頑張ったという感じです。

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 一方で、この争いを「代理戦争」と位置付けている私からみると、党長老グループの圧力もなかなかのものだな、という印象もあります。特に元人民日報社長の胡績偉氏などは、

「今さら投獄を恐れる歳でもない」(当年とって90歳)

 と語り、党中央に趙紫陽氏の名誉回復を求める公開書簡まで出しています。これにすでに物故した元老の家族なども加勢したので、現指導部は相当なプレッシャーを感じたことでしょう。さもなくば、温家宝が調停役に出てくる筈もありません。本来指導部の意向で「押し切る」つもりだったのが、押し切れなかった訳です。

 器の小ささと陰険さでは他者の追随を許さない江沢民は、「押し切れ。絶対に押し切れ」と胡錦涛ら指導部の尻を叩いていたでしょうから、さぞや悔しかったことでしょう(笑)。

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 とはいえ、新華社の出す原稿に、1989年の天安門事件(六四)で「動乱を支持し党を分裂するという過ちを犯した」という一文が入るのかどうかは未だ不明です。ここは遺族が一番重要とした点ですから扱いが注目されます。ちなみに家族の言い分は、

「父(趙紫陽氏)は過ちを犯していない。動乱も支持していないし党の分裂も図ってはいない。ただ武力鎮圧に反対して、他の方法で騒ぎを収めることを主張しただけだ」

 ごもっともです。

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 「手打ち」については、昨日(26日)の朝にその兆候が出ていました。香港の親中紙筆頭格である『香港文淮報』が、外交部の記者会見を報じた記事がそれです(※1)。

 http://www.wenweipo.com/news.phtml?news_id=CH0501260021&cat=002CH

 孔泉・報道局長が
「遺体告別式の準備はいま行っているところだ」と語ったと伝えていますが、これは「そろそろ話がまとまるから」と海外に対してサインを送ったものでしょう(ちなみにこの部分、国内では全く報道されていません)。

 この記事で孔泉は
「趙紫陽氏に関する評価についてはすでに党内で結論が出ている」とも語っています。たとえ新華社の原稿に「過ちを犯した」と書かれることがなくても、趙紫陽氏に対する評価は従来通りで動かない、好転する訳ではない、ということです。

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 ところで、「遺体告別式」に関して「式は高い格式とする」という点には説明が必要かも知れません。中共はこういうところにうるさくて、格式につり合わない者の参列は一般に認められません。葬儀の格式に対して、党内での序列が高すぎる人もダメで、低すぎる人もダメ。その基準をどこでみるかは、葬儀委員長の党内における格付けです。

 トップクラスの葬儀なら胡錦涛が直々に葬儀委員長を務めますが、今回は王剛、国務委員クラスでしょうか。ですから本来なら王剛よりずっと格上の人物は参列しないことになりますが、今回は「高い格式とする」という但書きがついています。これによって喬石、朱鎔基、李瑞環なども参列したければどうぞ、ということになります。万里や田紀雲は達者ならもちろん参列するでしょう。趙紫陽氏失脚当時に直属の部下だった温家宝はどうするか、注目が集まるところでしょう。

 続報待ちの部分が多いのでこのぐらいにしておきますが、ネットの力で何事かが起きるかも知れないという淡い期待を抱いてしまいます。今回はネット上で話がまとまって上海で「趙紫陽追悼OFF」を開こうとしたところ治安当局に介入されたケースなど、いくつか「事件」は起きています。他に「維権人士」による「携帯メールで追悼を」など様々な働きかけもありました(※2)。

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 余談になりますが、某巨大掲示板の「タテ読み」よりも早く、しかも高い技巧を要する「斜め読み」が中国で行われています。「六四事件」から1年か2年ぐらい経ったころでしたか、『人民日報』文化欄に掲載された漢詩がそれで、右上から左下へ斜め読みすると、

「李鵬下台平民憤」(李鵬が失脚すれば民の怒りも収まる)

 となる、というものです(※3)。で、今回も「人民網」の「強国論壇」により手の込んだ趙紫陽追悼詩が出ました。私は現物を見ていないのですが、『蘋果日報』によると、タテか斜めかはわかりませんが「三九送此絲耳日」という一見意味不明の句が浮かび上がります。

 「三九」は冬至から27日目で、一年のうち最も寒いとされる「大寒」
 「送」はそのままの意味。送り出すこと。
 「此絲」は「絲」が「糸」です。「糸」の上に「此」を乗せると、趙紫陽の「紫」。
 「耳日」は「耳」がこざと偏、その右に「日」を置くと簡体字の「陽」。

 つまり
「最も寒く冷たいときに(趙)紫陽を送り出す」ということになります。寒い冷たいというのは季節でもあり、時節でもあるでしょう。

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 という訳で余談終了。ともあれ続報を待ちましょう。


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 【※1】この記事は速報したかったです。無情にもブログサイト全体がメンテで今朝6時まで書き込み不能。残念!

 【※2】当ブログ「趙紫陽氏死去3:胎動?」(2005/01/19)

 【※3】現物を持っているのですが手元に置いていないので年月日を確認できません。すみません。



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 また趙紫陽?そうですまた趙紫陽です。ただ標題はそのままながら、前回あたりから主題が別の方向に移りつつあります。

 当初は市民への影響が懸念されて、中国国内では厳重な報道統制が敷かれたりしましたが、意外にも不協和音は中共上層部から出てきたのです。すでに政争の様相を見せ始めています。かなり深刻な意見対立です。目下のところ、たぶん昨年夏の「江沢民おろし」(江沢民引退に向けた駆け引き)よりもずっとハイレベルなもの、という印象です。

 やや古い話になりますが、1992年初め、当時の最高実力者であったトウ小平が突如深センや広東省を視察に訪れたことがあります。その際トウ小平は一連の重要演説(南巡講話)を発表することで、1988年以来の経済引き締め路線を改革路線へと一変させ、「改革路線は資本主義的」と難じていた保守派はこれにて大破炎上、以後は大人しくなってしまいます。

 実はその手前に、『人民日報』(保)と上海の『解放日報』(改)との間で丁々発止の論争(保守派と改革派の代理戦争)が展開されたのですが、今回の党上層部における意見対立は、それを彷佛とさせるようなパワーを持っているように思います。

 そしてひょっとすると、今回も「代理戦争」かも知れません。

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 連日のように趙紫陽氏関連情報が香港・台湾のマスコミや反政府系ニュースサイトから大量に発信されています。当ブログの「趙紫陽氏死去」シリーズはそのひとつひとつに振り回されつつ、事態の推移を見守っていこうとするものです。

 前回紹介したように、実のところこの問題における焦点は2つしかありません。

 (1)趙紫陽氏の生前の事蹟が公正に評価されるかどうか。
 (2)首相、総書記を歴任した人物にふさわしい格式の葬儀となるかどうか。

 通例として、葬儀においては党中央から故人の経歴が発表され、それが新華社発のプレスリリースとなって内外に発表されます。この「経歴」の内容が(1)に関わってくるのですが、要するに党中央(担当は中央弁公庁か)と趙大軍氏ら遺族との間に埋め難い溝があるのです。

 具体的には、党中央が書き上げた「経歴」に遺族側から「これは譲れない」と提示された問題点は2つ。第一に1989年の天安門事件(六四)において趙紫陽氏が「動乱を支持し、党を分裂させる重大な誤りを犯した」という文言が織り込まれていること。第二に80年代に経済改革・政治改革の道筋を定め、中国の発展に寄与した(政治改革は実現できませんでしたが)という功績に全く触れられていないこと、です。

 葬儀の格式について遺族側はそれほどこだわっていない様子ですが、要人の葬られる場所である「八宝山革命公墓」の中の、国家指導者クラスの墓地に限定された「第一墓区」に埋葬されることを望んでいるようです。

 いずれにせよ、「経歴」に関する要求が容れられなければ葬儀実施は許さない、という強硬姿勢で遺族側は臨んでいます。

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 前回紹介したように、この遺族を強力にサポートしているのが党長老グループやすでに物故した元老クラスの子女などです。重複を恐れずに改めて列挙しますと、

 ●いまなお健在の長老
 万里、田紀雲、エイ杏文、胡績偉など。

 ●物故した元老(の家族)
 葉剣英、楊尚昆、習仲勳、陶鋳、陳毅、胡耀邦など。

 この政治勢力ともいうべき団結あるいは連携を持ったグループが、

「趙紫陽氏に対する公正な評価を」
「趙紫陽氏の経歴にふさわしい格式の葬儀を」
(※1)

 と、しきりに胡錦涛ら現執行部に求めている訳です。それが事実であることは、前回引用した香港紙『明報』電子版で明らかです。そういう活動が行われていることを、胡績偉氏夫人が直接『明報』記者に語っているのですから。

 http://www.mpinews.com/content.cfm?newsid=200501240904ca10903t

 政争は常に密やかに展開される中共にあって、これは異例の出来事です。それと関係があるのでしょうが、台湾・中央社の報道によると、趙紫陽氏関連で取材活動を行っていた香港人記者多数が当局に拘束され、このうち『明報』の記者2名は国外退去処分(香港人ですから厳密には「国外」ではありませんが)になったそうです。

 http://tw.news.yahoo.com/050124/43/1fjnp.html

 現指導部からすれば好ましくない情報がどんどん発信されているのですから、神経を尖らせるのも無理はないところです。かつて、しつこく食い下がって江沢民をマジギレさせた香港マスコミの面目躍如といったところでしょうか。

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 そういえば今日の『明報』(2005/01/25)は、

「趙紫陽氏の墓は李先念(元国家主席)と陳雲(元中央顧問委員会主任)の墓の間に建てられる」

 という消息筋情報に基づき、記者が上記「八宝山革命公墓」の「第一墓区」まで足を運んで、写真を撮ったり周囲の景観をこと細かに描写したりしています。

 http://hk.news.yahoo.com/050125/12/18uw3.html

 その取材の途中である午後1時ごろ、突然役人や警官など大勢が現れ、「第一墓区」や斎場、休憩室などを30分ほど念入りに検分して帰っていったそうです。斎場は1月31日まで中共名義で貸し切り状態になっているため、現執行部はそれまでに葬儀を執り行う心積もりなのでしょう。

 さてその現執行部の柱である胡錦涛総書記や温家宝首相、その胸の内がどうであるかを知る術はありませんが、余裕に欠ける内政面での不安要因は極力排除したいでしょう。趙紫陽氏の名誉回復を行えば、じゃあ「六四」はどうだという流れになります。その声は海外からも上がるでしょう。いまの胡錦涛政権にとっては、こういう余計な、寝た子を叩き起こすようなことはしたくない筈です。

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 まあ、とりあえず胡錦涛や温家宝が板挟みで苦しんでいることは確かでしょう。言うまでもなく、昨秋に何とか引退させた江沢民・前党中央軍事委員会主席が、長老グループの要求を容れることに断固反対しているからです。趙紫陽氏が「六四」で失脚したことで総書記の後釜に抜擢された江沢民は、いわば「六四」の既得権益者。趙紫陽氏を再評価すれば自分が総書記に就いたことの正統性が疑われかねませんので、ここは断固譲れないところです。

 前にも書きましたが、江沢民は甲斐性なしです。自らの引退と引き換えに、腹心である曽慶紅・国家副主席を党中央軍事委に滑り込ませることすらできなかったのですから、院政を敷く実力などありはしません。ただ曽慶紅ら江沢民派ともいうべき勢力が現執行部の中にも残っていますし、胡錦涛が完全に軍部を掌握した訳でもなさそうですから、甲斐性なしでも足を引っ張ったり、チクチクとイジメたり、あるいは一発芸(単発の反撃行動)をやる力ぐらいはまだ持っています(※2)。

 その江沢民が断固譲れないと言えば、胡錦涛も全く無視する訳にはいかないでしょう。特に今回の場合は利害の一致する部分もありますので、趙紫陽氏の遺族や長老グループからのプレッシャーに一歩も退かぬ姿勢を貫いているのだと思います。ただそれでは事態が進まず、進まない限りは胡錦涛政権の求心力・指導力に影響が出てきてしまいます。ここが胡錦涛には痛いところでしょう。

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 ところで、長老グループがどうしてこんなに団結して、頑張っているのかということを愚鈍なりにぼんやり考えてみました。

「趙紫陽氏に対する公正な評価を」
「趙紫陽氏の経歴にふさわしい格式の葬儀を」

 というのは、純粋に趙紫陽氏への友情から出たものではないでしょう。友情や思慕だけでこんなに団結したり頑張れたりする訳がない……と意地悪く考えていくと、「ひょっとして江沢民潰し?」という線(妄想?)が浮かんできます。ええ、昨夏のは「江沢民おろし」で、今回は「江沢民潰し」です。

 潰すと言うと大袈裟ですが、要するにその影響力を大幅に削いで大人しくさせてしまおう、という狙いがあるように思えるのです。長老グループの要求が通ると一番困るのは誰?といえば、これは江沢民ということになるでしょう。

 やや具体的に言いますと、例えば「趙紫陽氏に対する公正な評価を」というのは、80年代における趙紫陽氏の経済改革に対する功績を認めてやらなければ、経済発展は全て江沢民のおかげ、ということになってしまいます。これは取りも直さず、80年代に趙紫陽氏と苦楽を共にした人々の功績も曖昧にされてしまうことになります。

 つまり、趙紫陽氏をどう評価するか、どういう格式で葬儀を執り行うかは、長老たち自身の利害(名利)にも関わってくる問題なのです。だから現在の「遺族vs党中央」の丁々発止も、実は長老グループと江沢民派の「代理戦争」ではないかと。

 小さい理由としては、革命を経験した世代として社会の現状に危機感を抱いている、ということも挙げていいかも知れません。本来は経済改革と政治改革でワンセットだった筈の改革・開放が、経済改革一辺倒で野放図に走ったからこうなるのだ、という憾みがあるとすれば、野放図に走った馬鹿は誰だ、ということになります。これももちろん、江沢民です。

 ちょっと飛躍しすぎですか?……そうですか。それでは例によって私の邪推ということにしておきましょう。

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 以上、今日(25日)正午までの情報に頼ってのヲチです。午後に葬儀が行われたって、そんなの私の知ったこっちゃありません(笑)。


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 【※1】前回、「香港紙『東方日報』の消息筋情報では、喬石、朱鎔基、李瑞環など近年第一線を退いた大物政治家も趙紫陽氏の告別式に参列したいとの意思表示をしているそうです。」とあっさり書き流してしまいましたが、実はここも重要な部分なのです。中共要人の葬儀は、その格式によって参列者の格も決まります。喬石、朱鎔基、李瑞環らであれば、国家指導者クラスの格式でないと主客の釣り合いがとれないため参列しません(例外はありますが)。つまりこれら大物政治家は、参列の意思表示をすることで趙紫陽氏の葬儀の格式を高いものとせよと言っている訳です。

 【※2】当ブログ「政争です。政争!」(2005/01/15)



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 故・趙紫陽氏に関する問題は、要するに葬儀・追悼会の格式と生前の業績に対する評価をどうするかという点に尽きます。胡錦涛政権がこれをどう処理するかに内外の注目が集まっています。

 ……でも注目が集まって、もう何日経ちました?初七日だというのに、伝えられる報道をみる限り、事態は全く動いていません。香港紙『成報』が、

「葬儀は月曜(24日)に」

 とこの週末に報じ、台湾メディアがこの報道を引用したりしたのですが、どうも外れたようですね。

 こうなると、事態が進まないということが胡錦涛政権にとってはマイナスポイントとなって積み重なっていくことになります。

 面倒くさいので前回この話題で書いたものの一部を以下に引用しましょう。

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 現実的に、現時点での趙紫陽氏の名誉回復は難しいでしょう。それを踏まえた上でなのか、子息の趙大軍氏からは、

「父は軟禁中に党中央に向けて少なからずの手紙を書いている。それを国内で公表したい」

 という声が出ました。趙紫陽氏は生前、1989年の民主化運動は民主と法治を以て解決するべきだったとの自説を最後まで捨てなかったそうですし、トウ小平氏から「自己批判すれば政界復帰を許す」との誘いがあったのを3度にわたって断っています。

 (中略)

 それにしても遺族からこうした強気ともいえる要求が出て、それが海外にも報道されるというところが興味深いです。遺族は海外はもとより、国内でも孤立している訳ではなく、陰で支える政治勢力が少なからず存在する、ということを示すものではないでしょうか。あるいはそれが胡錦涛の動きを慎重にさせているのかも知れません。

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 今日(24日)の台湾紙『聯合報』(電子版)によると、趙大軍氏はいまなお強気の姿勢を崩さず、党中央の関係部門と渡り合っているようです。同紙の報道によると、

「われわれ家族も早く送り出してあげたいという気持ちだ。だが、(趙紫陽氏の)経歴と評価について党中央と折衝をしているが、双方の認識には重大な隔たりがある。絶対合意に達しなければ駄目、ということではないが、もし内容が父(趙紫陽氏)の生前の意思とはかけ離れたものであるなら、われわれは絶対に同意しない」

 相変わらず強気ですねえ。もちろんその強硬姿勢は陰で支えてくれる政治勢力があってのことでしょうが、それに関する報道が香港・台湾あたりから次第に出揃ってきました。

 どうやら趙紫陽氏とかつて事を共にした党の長老格、それに物故した元老の家族などが支持母体のようです。

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 香港・台湾はじめ海外メディアの情報をまとめて反政府系ニュースサイト「大紀元」が紹介しているのですが、名前を列挙してみましょう。万里、田紀雲、エイ杏文(エイ=草かんむりに「内」)、胡績偉……いずれも懐かしい名前ですが、これだけではありません。葉剣英、楊尚昆、習仲勳、陶鋳などかつて広東省を治めた(趙紫陽と同様に)ことのある元老(すでに故人)の子女、さらに陳毅、胡耀邦などすでに物故した国家指導者クラスの家族などが、様々なやり方で趙紫陽氏に哀悼の意を捧げ、また遺族を慰めているのです。それは取りも直さず、趙紫陽氏に公正な評価を与えるよう現指導部に迫っていることを意味するものです。

 一方、香港紙『東方日報』の消息筋情報では、喬石、朱鎔基、李瑞環など近年第一線を退いた大物政治家も趙紫陽氏の告別式に参列したいとの意思表示をしているそうです。

 香港紙『明報』電子版が今日午前(2005/01/24/09:04)報じたところによると、上にも名前が出てくる胡績偉・元人民日報社長の夫人が同紙に対し、元老クラスの政治家多数が、公正な形で趙紫陽氏を送り出すよう求めていると語っています。当の胡績偉は党中央に対し趙紫陽氏の雪冤を要求しているとのこと。ここには他に喬石、万里、田紀雲などの名前が出てきます。

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 私は、胡錦涛が江沢民を引退に追い込めたのは、党内の支持や民意の味方もあったでしょうが、何より経歴の古さでは江沢民を子供扱いできる党長老たちの強い推薦があったからだと考えています(私見にすぎませんが)。それだけに、胡錦涛はいま、とても困っているのではないかと思うのです。

 本来なら従来通りの評価のまま老党員という扱いで静かに葬儀を済ませておしまい、としたいところでしょうが、それでは胡錦涛自身の支持基盤でもある長老連の意見をないがしろにすることになってしまいます。

 趙紫陽氏のブレーンだった陳一諮・元国務院経済体制改革研究所長がニューヨークでの追悼大会の席上明らかにしたところでは、長老のひとりである万里が、腰の定まらぬ党中央執行部の姿勢が腹に据えかねたのでしょう、21日夜に怒りを発し、現指導部を「このトンチキめが!」と罵ったそうです。

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 こうした長老たちだけではなく、80年代に趙紫陽氏と苦楽を共にした当時の部下が大勢います。さらには当時を知り、趙紫陽氏を慕う民衆がいます。……これで中国共産党が二つに割れた、とは言いませんが、強力なプレッシャーが現執行部にかかっているのは事実でしょう。

 この問題の処理如何によっては、本来「強権政治・準戦時態勢」によって中共の延命を図ろうとしていた胡錦涛の政権運営がスムーズにいかなくなり、さらに4月(清明節)に向けて時限爆弾のスイッチを入れることにもなりかねません。

 4月の清明節は、日本のお彼岸のようなものです。1976年4月5日の第一次天安門事件は、同年1月に死去した周恩来を清明節にちなんで追悼する動きから、当時政権を牛耳っていた四人組に対する批判へとつながり、民衆の集まった天安門広場に公安(警官)が大規模投入されたことで流血の事態となりました。第二次天安門事件(六四)で象徴される1989年の民主化運動も、胡耀邦・前総書記(当時)追悼を端緒に、全国的規模のムーブメントへと発展していきました。

 「時限爆弾」とは、今年4月の清明節に趙紫陽氏を偲ぶ民衆が天安門広場に集まることに他なりません。貧富の格差や失業問題、農民の困窮、党官僚の汚職など燃え上がる材料は揃っていますから、もし民衆が大挙屯集することがあれば、後はもう止まらないでしょう。

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 なお香港紙『蘋果日報』の報道によると、趙紫陽氏が死去してから最初の三日間(1月17日-19日)で、遺族が自宅に設けた霊堂への弔問客は3300人に達したとされています。届けられた花輪の数も3000-4000個にのぼり、霊前に並べ切れないほどだそうです。上で紹介した『明報』電子版の報道によると、花輪には田紀雲、エイ杏文、胡績偉、杜導正らのほか、葉選平(故・葉剣英の息子で広東省のボス)、斉心(故・習仲勳の娘)の名前が確認されているそうです。

 弔問の際に記された弔詞には故人の名誉回復をはじめ、暗に民主化(政治改革)要求や現指導部批判を示唆したものもありますが、それらは詰めている警官が除去しているとのことです。

 一方、各地でも内々に追悼活動が行われ、一部ではそれに対する軟禁・拘束といった事態も発生しています。

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 もはや、動かないことが政局の表れ、という観を呈してきているようにも思われます。これで党が割れる、ということはないでしょうが、事態が動かぬことが何よりも雄弁に意見対立の存在を物語っているのではないでしょうか。

 状況としては、昨夏の「江沢民おろし」よりも緊迫したもののように思われます。……ええい紋切り型で締めてしまいましょう。

 これはちょっと目の離せない状況になってきました。



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 ここ数年で著しく台頭し、ときには外交カードにも用いられる「ネット世論」。胡錦涛政権が発足してからは「反日度」の抑制と言論統制などによって以前の元気を失っているようにも思えますが、その規模は着々と拡大していることが調査結果で明らかになりました。

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 中国互聯網信息中心(CNNIC=中国インターネット情報センター)が19日発表したところによると、中国の典型的な「網民」(ネットユーザー)というのは、

 ●男性
 ●未婚
 ●25歳以下
 ●学歴は大専以下
 ●月収2000元以下

 ……とのことです。他の特徴をみると、全体の8割が36歳以下で占められ、そのうち25歳以下の比率が半数以上にのぼるとのこと。職種でみると学生や専門職・技術職が「網民」の主体(全体の約4割)となっており、その中でも学生の比重が高まる傾向にあるようです。

 それにしても、25歳以下といえば天安門事件(六四)のときは10歳以下ということになります。道理で政治教育・民族主義教育・反日キャンペーンといった江沢民による愚民教育路線で純粋培養された糞青(自称愛国者の反日教信者)がわらわらと湧いて出てくる訳です。

 なお、低所得層に位置する「網民」が増加しつつあるのは、関連費用が低下傾向にあるため、金銭的な敷居が低くなっていることが原因だと分析されています。
 http://news.xinhuanet.com/newscenter/2005-01/20/content_2486333.htm

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 申し遅れましたが以上はCNNICによる「第15次中国インターネット発展状況統計レポート」によるもので、中国における「網民」の総数は9400万人で前年同期比8%増、このうちブロードバンド利用者が4280万人に達しています。

 「網民」の平均ネット利用時間は毎週13.2時間、平均日数では4.1日となっており、平均利用時間は半年前に比べて0.9時間の増加。ネットの用途もニュースやメールばかりではなく、サーチエンジン、ネットバンク、オークション、広告、ネットゲームといったサービス業が急成長を遂げつつあります。

 「網民」が気にかける情報としては、教育(29.3%)、求人(24.2%)、自動車(13.8%)などが主流。ちなみに用途としては相変わらずメールがトップに来ていますが、メールアカウントに対する満足度は有料のものが32.6%、無料のものが71.9%となっています。

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 一方でネットを利用しない人たちが都市部だけをみてもまだまだたくさんいる訳ですが、その理由としては、

 (1)コンピュータやインターネットについて無知(40.1%)
 (2)インターネットをするための設備がない(23.1%)

 とのことで、関連知識の普及や教育水準及び経済発展水準の向上、特に地方経済の発展が今後の課題となっています。
 http://media.people.com.cn/GB/40728/40731/3131232.html
 http://news.xinhuanet.com/it/2005-01/19/content_2481448.htm

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 ところで、こういう状況を反映をして、国家的にネットゲーム開発に力を入れていこうという動きも出てきています。

 中国社会科学院が19日発表したところによると、同部門はネットゲーム用エンジンの研究、及びモデル製品の開発という2つのプロジェクトを「国家863計画」に組み込むこということです。
 http://news.xinhuanet.com/fortune/2005-01/20/content_2484090.htm

 この報道によると、ネットゲーム技術の研究開発といったプロジェクトが国の科学技術計画に織り込まれるのはこれが初めてだそうです。

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 ネットゲーム云々については、どうせ無駄になるのだからやめた方がいいのに、というのが私の率直な感想です。サブカルチャーというかオタク文化(例えばマンガ、ゲーム、アニメなど)に限っていえば、ごくまれに例外があるのは別として、一般に政治的自由のない社会で世界に通用する作品は生まれようがない、と思うのです。

 どうしてかは言うまでもありません。この種の作品に不可欠である筈の自由な発想や創意が、ともすれば制度的に殺されるからです。

 水は高いところから低いところへと流れるものです。例えば日本、中国、香港、台湾、韓国といった極東地域に限ってみても、この種の文化が常に日本を川上にして、他の国家・地域へとほぼ一方的に流れていく構造が形成されている(しかも川下では海賊版や稚拙なパクリも出現する)のはなぜかと考えてみれば、自ずと回答が得られるかと思います。

 もちろん、国際市場を目指すのではなく、国内9400万人の「網民」をターゲットに、半ば強制的に押し付けるのであれば話は別です。そういうことであれば、如何に娯楽性に乏しい無聊きわまるネットゲームであろうと、ペイするかも知れませんね(笑)。

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 まあ、試しにやってごらんなさい。作品の完成を楽しみに待っています。



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 香港・台湾メディアと反政府系サイトは相変わらず故・趙紫陽氏に関する話題が多いです。日課の記事漁りは死去以来、毎日ふだんの倍近い時間を要しています(涙)。

 でもその割に、事態はあまり動いていないような印象です。

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 結局のところ、残された問題は趙紫陽氏の葬儀や追悼会をどうするか、生前の事蹟に対する評価をどうするか、というところでしょう。党中央は胡錦涛自らが長となる専門チームを設立、この問題を検討しているそうですが、中共の腰が据わったと感じさせる報道はありません。未だに色々な説が飛び交っていて、どうなるのか見定めがきかない状況です。

 何というか、これまで胡錦涛が要所要所で見せてきた切れ味、それは「強権政治・準戦時態勢」を本質とする武断的な措置ですが、それがこの問題に関してはどうも鈍っています(※1)。胡錦涛自身に迷いがあるのか、党内の意見をまとめ切れないのかは不明です。

 トウ小平時代のようにツルの一声で物事が決めることのできない集団指導体制ですから、簡単には事が運ばないのでしょうか。例えば田紀雲・元副首相、万里・元国家副主席をはじめとする第一線からすでに退いている老幹部あたりからは、元首相・総書記にふさわしい礼で趙紫陽氏を遇すべきだという声が出ているようです。20数名の連署による国葬要求という噂も、まだ噂のままですが消えてはいません。

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 これも迷いの一表現なのかなと思うのですが、

 17日 趙紫陽氏が死去し、遺族が自宅に霊堂を設けての弔問受付(関係者限定)開始。
 18日 霊堂を一般人にも開放するや、朝から晩まで引きも切らずに弔問客が来訪。
 19日 同上。この2日間で数千人が訪れたとの報道も。
 20日 自宅付近の警備を強化し、一般客の弔問を禁ずる。

 霊堂の一般開放は遺族からの要求を党中央が了承する形で実現したといいます。17日に反体制派知識人を一斉に軟禁あるいは拘束したのに比べれば態度が軟化した印象です。しかし一般開放したら予想以上に人が集まったため(※2)、影響が広範に及ぶのを恐れて慌てて再び規制を強化した、というところでしょうか。

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 同時に、当ブログ「趙紫陽氏死去3:胎動?」(2005/01/19)でも紹介した農村から合法的陳情活動のため上京してきた「上訪人士」への拘束が再開されています。お金に余裕のない彼らはスラムのような「上訪村」で寝泊まりしていると書きましたが、そこへ警官が大挙踏み込んでの一斉拘束です。

 日本でも報道されましたが、香港では昨日(21日)、趙紫陽氏の追悼集会が開かれました。参加人数は主催者の予想を遥かに上回る1万5000人。警察発表でも1万人ですから、成功裡に終わったイベントということになるでしょう。中共はこの集会の動員力に強い関心を持っていたようですが、好ましくない結果になってしまったようですね。

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 葬儀や追悼會に関した問題で目立つのは、趙紫陽氏の遺族の発言です。国葬を求める連署が出たと伝えられる一方で、遺族はささやかな家族的雰囲気の葬儀を望んでいるという報道もあります。実はそんな形式よりも、趙紫陽氏の事蹟を中共がどう扱うかに遺族の関心はある、という記事もありました。

 現実的に、現時点での趙紫陽氏の名誉回復は難しいでしょう。それを踏まえた上でなのか、子息の趙大軍氏からは、

「父は軟禁中に党中央に向けて少なからずの手紙を書いている。それを国内で公表したい」

 という声が出ました。趙紫陽氏は生前、1989年の民主化運動は民主と法治を以て解決するべきだったとの自説を最後まで捨てなかったそうですし、トウ小平氏から「自己批判すれば政界復帰を許す」との誘いがあったのを3度にわたって断っています(※3)。

 「国内で発表したい」というのがキモになる訳ですが、これはいよいよ実現する可能性が低いように思います。ただ指導部としてもこの問題の処理をいたずらに引き延ばす訳にもいかないでしょうから、来週中には決着がつくのだろうと思うのですが……。

 それにしても遺族からこうした強気ともいえる要求が出て、それが海外にも報道されるというところが興味深いです。遺族は海外はもとより、国内でも孤立している訳ではなく、陰で支える政治勢力が少なからず存在する、ということを示すものではないでしょうか。あるいはそれが胡錦涛の動きを慎重にさせているのかも知れません。

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 以下は余談です。

 趙紫陽氏といえば1989年の民主化運動で学生に一定の理解を示し、武力鎮圧に反対したことで失脚した悲劇の政治家とされています。同年5月中旬、運動の真只中に訪中したソ連のゴルバチョフ書記長(当時)と会談した際、

「一党独裁で民主や腐敗の問題が解決できないならば、多党制の導入も考えなければならない」

 という趣旨のことを発言した(※4)、とゴルバチョフ氏の回顧録にも出てくるなど、前にも書きましたが、趙紫陽氏は「中共」や「私利」だけでなく、「国家」をも真剣に考えた数少ない政治家の一人でした。

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 ただ、そういう民主化とか政治制度改革といった面の他に、中央の舞台に躍り上がる以前は、地方指導者として農業改革で業績を上げていたことを忘れてはならないと思います。

 趙紫陽氏は1965年に広東省党委員会第一書記に就任しています。当時は毛沢東が展開した大躍進政策の反動ともいうべき50年代末から60年代初めの食糧危機により、中国全土で餓死者が多数出た直後の時期でした。このため広東省では隣接する香港に密入境する農民が後を絶ちませんでした。

 もちろん失敗して連れ戻され投獄される者も少なくなかったようですが、このとき広東省のトップである趙紫陽氏は「食わせられないのは我々の責任だから」と、彼らを全て無罪放免にしたそうです。同時に、食糧危機から立ち直るべく積極的な増産措置を講じました。農民の生産意欲を引き出すために「働けば働いた分だけ実入りが増える」という種の政策だった筈ですが、1967年に文化大革命で失脚するのはこれと関係があるでしょう。

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 その後、復活して内蒙古自治区の党委書記(1971年)を経て同氏は再び広東省党委第一書記(1973年)に返り咲きます。当時同氏の下で働いた広東省の老幹部(すでに定年退職)たちはいまなおその業績を慕い、趙氏の死去を知ると内輪で追悼会を開いて故人を偲んだそうです。

 その後1975年には四川省のトップに転じます。ここで当時としては大胆な(それだけ政治的リスクも伴う)農業改革を断行します。これで注目を集めて後に中央へと抜擢されるのですが、発音が似ていることをもじって、

「要吃糧,找紫陽」

 ……食料が欲しければ(趙)紫陽のところへ行け、という言葉が流行するほど成功した政策でした。農民に慕われた一面、というのも趙紫陽氏やその死去に際して見逃してはいけない点だと思います。

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 事態が動かないので散漫な内容になってしまい申し訳ありません。(胡錦涛のせいにするな>>自分)


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 【※1】私は、胡錦涛の武断的な措置を評価すると言っている訳ではありません。念のため。

 【※2】趙紫陽氏の故郷である河南省からも農民がたくさん弔問に訪れたそうです。

 【※3】トウ小平にしてみたら、江沢民や李鵬の無能さや改革に対する消極的態度に苛立っていたのでしょう。

 【※4】この言葉が一党独裁制を大原則とする中国共産党の総書記(党のトップ)の口から出たということに、私たちは驚かなければならないと思います。



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 小ネタです。

 トヨタの広告、マクドナルドの公式サイト、ナイキのCM、吉野屋の広告、など色々ありましたが、今度はアディダスが中国ネット世論の槍玉に挙げられるかも知れない、という話。

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 馬鹿馬鹿しくてあんまりヤル気の出ないネタなんでタイトルの翻訳などもいい加減になりますが、昨日(20日)、「新華網」に次のような記事が出ました。

 ●アディダス中国のウェブサイト、チョモランマの帰属国をネパールのみと表記
 http://news.xinhuanet.com/world/2005-01/20/content_2484689.htm

 タイトルそのまんまの内容です。アディダス中国のHPが、世界最高峰であるエベレスト(チョモランマ)の場所を「ネパール」とだけ書いてあるのは問題だ、ということのようです。

 広州の某社に勤務する張さんが、同HPを見ていたところ、Flash動画の中で偶然発見したとのこと。

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 元記事は『南方都市報』のようです。それを『新京報』の転載を経て「新華網」に掲載された次第。また騒ぎになるのかどうかわかりませんが、国営通信社のオティシャルサイト(新華網)に進出してきたという点からみて、中国側はヤル気満々のようですね(笑)。

 ●アディダス中国
 http://www.adidas.com.cn/

 一応私もアクセスしてみましたが根詰めて探さなかったので発見できませんでした。探し当てた方は是非御一報下さい。

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 この記事によると、

「昨夜7時から8時にかけて、記者はずっと中国国内のアディダスに電話して連絡を試みたが、上海オフィスは留守番電話になっており、北京オフィスは話し中のまま。広州オフィスは電話をとる者がいなかった」

 だ、そうです。お疲れ様でした。

 もしかして、今度はこれを機に中国国内の外資系企業のウェブサイトを事前審査&定期審査にでもするつもりでしょうか。いや、こういう事例を集めて「要するに中国への理解と認識が足りない」と論じている評論なんかも出ていましたから、シャレじゃないかも知れません。

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 まあ、それより米国に密入国したという中国人テロリスト4名を何とかしてほしいものです。

 昨日の孔泉・外交部報道局長による中国外交部の記者会見。

 記者「未確認情報ではありますが、米国は科学者とみられる中国人4名が米国国内でテロ活動を行う恐れがあるとみています。これに対してコメントをお願いします。」

 孔泉「中国もまたテロリズムの被害者です。この問題に関するわが国の立場は非常に明確で揺るぎないものです。すなわち、国際社会が力を合わせ努力して、いかなる形のテロリズムをも根絶することを支持するというものです」

 未確認情報だと一蹴してもいいのに、わざわざ相手になってやって、しかも歯切れが悪いですね。

 頭ごなしに居丈高になったり逆ギレしないところをみると、全く何も知らないのか、あるいは実は中国政府が一枚かんでいる、のどちらかなんでしょうか(笑)。


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 【※】ナイキCM事件等は当ブログでも過去に扱っております。お時間のある方はどうぞ。

 ●チベット独立を謳う素敵なネットゲーム(2004/12/11)
 ●今度はナイキですか。(2004/12/12)
 ●ナイキ事件余話――水面下で進む『統制強化』?(2004/12/12)



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 前々回、前回と趙紫陽氏の死去という大ネタを扱いました(※1)。

 ちょっと弱音を吐かせて頂くと、この話題、目を通さなきゃならない記事の分量が半端じゃないのでなかなか大変です。それで今回はひと息いれて小ネタ(イラクで中国人8人が人質に)でお茶を濁そうとしたのですが、あにはからんや「きんぎんすなご」さんに先を越されてしまい(前回のコメント欄参照)、そのネタはひとまずお預けということに。

 ということで、3連発と相成りますがどうか諒として下さい。今回は草の根……と言うと何だか怪しげなので格好つけて「草莽」ということにしましょう、草莽視点で趙紫陽氏死去というテーマに迫ってみることにします。

 いや、そんな大袈裟なことではないのです。3日目になると、そろそろ草莽が動き出します。その一端をweb上で垣間見ることができるので、かいつまんで紹介していこうというだけです。

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 香港・台湾マスコミそして反政府系ニュースサイト複数の報道を総合して先に状況説明をしておきますと、17日朝に趙紫陽氏が死去したあと、入院先の病院には黒塗りの高級車が次々に乗り付けられ、生前に縁のあった高官や元高官など関係者が引きもきらずに訪れて、病院はごった返したそうです。

 そのあと遺族は王府井から遠くないところにある自宅(北京市灯市口西街富強胡同6号。四合院だそうです)へと戻り、霊堂を設置して弔問客に備えました。趙紫陽氏は失脚後ずっと軟禁状態だったため、正門横に警官の詰め所が以前から設置されていたのですが、当然ながらこの日はそれに加えて門前から自宅へ入る路地までを、私服を含めた警官多数が固めていました。弔問客はまず路地のところで身分証などを示した上でないと、中には入れてもらえません。プレスも相当数が集まったそうですが、全てこの「関所」で弾き返されました。17日だけで多数の弔問客が訪れたそうです。

 天安門広場は万一に備えて警戒の人数を増やしているそうですが、今のところ騒ぎは起きていないようです。ただし毎日行われる国旗掲揚のセレモニーは、18日も行われたものの普段通りで、半旗を掲げることはなかったとのこと。

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 さて草莽の動きですが、まずは反体制系人権団体「中国人権」(HRIC=HUMAN RIGHTS IN CHINA)のプレスリリースからみていきます。

 今回は中共の情報統制にもかかわらず、死去に至るまで色々なニュースが国外へと流出しましたが、その最大の理由は反体制派の人権活動家が趙紫陽氏の家族と親しい関係にあったからのようです。その組織が「中国人権」なのですが、ここが昨日(18日)発表したプレスリリースによると、北京や上海で市民レベルの追悼の動きが早くも、しかし密やかに始まっているようです(※2)。

(中文)http://big5.hrichina.org/big5/news_item.adp?news_id=1950
(英文)http://www.hrichina.org/public/contents/press?revision%5fid=19946&item%5fid=19945

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 このプレスリリース、まずは国内消息筋からの報告として、北京での動きを伝えています。それによると、18日午前9時すぎ、地方から陳情に上京している人たち(上訪人士)が次第に屯集して400-500人の一団となり、花輪を買い求めると、白い花を胸につけたり黒い布を腕に巻いたり(哀悼を意味する)して故・趙紫陽氏の自宅へと向かいました。手には「名総理の死を悼む」との横断幕を持っていたそうですから人数からすればデモ同然ですね。

 もちろん路地のところで幾人もの私服警官に行く手を阻まれましたが、警官側は路地のところに花輪を置くことは許可し、一団の各々が哀悼の言葉を述べ終えるのを待って解散させたそうです。現代中国の一象徴ともいえる「上訪」については稿を改めたいと思いますが、田舎から出てきたこれら上訪人士(大半は農民)は北京の一隅に小屋掛けするなどして「上訪村」を以前から形成しています。

 嚢中が乏しいためそこで暮らしつつ陳情(合法的活動です)の結果を待つのですが、担当部門からは冷たくあしらわれることが多く、さらに治安当局に邪魔をされたり、あるいは罪もないのに拘束されたりして原籍地に送り返されてしまいます。表面上は「親民路線」を掲げる胡錦涛政権の本質がどういうものであるかを最もよく示しているのがこの「上訪人士」に対する扱いです。しかし、もちろん国内ではその実情を報道されることがないため、上京してくる陳情者が後を絶たないのです。

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 今回はその「上訪村」にいた陳情者たちがたまたま趙紫陽氏の死去を知り、その死を惜しんでせめて弔問に行こうという空気で自然にまとまったようです。消息筋によると、以前から警察当局に監視されているこの「上訪村」、党の重要会議が開催される時期などには踏み込まれて陳情者が故なく大挙拘束されることもあるのですが、万一に備えたものか、「進駐軍」(監視する警官)の兵力がいまは普段の数倍に膨れ上がっているそうです。

 一方、趙紫陽氏との縁が深く、首相、総書記時代にはブレーンを務めた知識人、あるいは反体制派の知識人などは例外なく自宅軟禁状態にされ、弔問に出るどころか、中には拘束されたケースも出ています。中国肺炎(SARS)の蔓延を当局が隠していると告発し、昨年には天安門事件(六四)の名誉回復を求める公開書簡を発表した老医師・蒋永彦氏もまた自宅軟禁の状態にあり、治安関係者が24時間態勢で張り付いています。記者が電話取材を試みてもすぐ切られてしまうとのことですが、これは他の著名な反体制派知識人、さらに宗教関係者や市民の権利保護に積極的な学者なども同じだということです。

 そんな中で、心ある北京市民は自宅に霊堂を設けて密かに故人を悼んだりしていますが、中には数十人がまとまっての静かな追悼活動も行われているようです。上海の消息筋によると、趙紫陽氏の死去した1月17日は上海市ではちょうど市の立法機関にあたる市人代会議及び市政協会議が開催されていたのですが、陳情活動、それに趙紫陽氏の死を知って追悼を兼ねることにした民衆700-800人が会議場へ押し掛けようとして、千人を超える警官隊と衝突。数百名が拘束されたほか、衝突による負傷者も出ている模様です。

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 これとは別に、普段は陳情者や市民の権利を守る活動に従事している有志(維権人士)による活動も始まっています。

 反日サイトの総本山だった「愛国者同盟網」、これはHPを胡錦涛に潰されたため現在は「青年先鋒網」というサイトに残党が移り、李登輝氏来日時には北京の日本大使館前で「何ちゃってデモ」をやったりしていますが(※3)、こうした糞青(自称愛国者の反日教心信者)にも一片の赤心があるのか、「青年先鋒網」には趙紫陽氏追悼のスレがいくつも立っています。読んでみると趙紫陽氏の業績を知らない連中がかなりいるようで、知らないまま追悼の書き込みを行っていたりしますが、これは糞青ですから仕方ありません。

 その糞青のたまり場である「青年先鋒網」に、上述した「維権人士」のサイト「公民維権網」の関係者がスレを立てて、追悼活動への参加を呼びかけています。

 http://bbs.54man.org/dispbbs.asp?boardID=17&ID=162881&page=1

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「趙紫陽氏はかつて国家指導者として中国の改革・開放を推進し、市場経済の基礎固めに卓越した貢献をした一方、政治改革の方向付けや民主政治の推進にも力を注いだ」

 から始まる冒頭に掲げられた声明は、檄文と言っていいでしょう。

「何よりも得難く貴いことは、氏が六四事件の問題に際して、自らの至高の権力と政治生命を犠牲にすることを顧みず、軍隊による鎮圧に断固反対することで、一人の政治家としての高貴な人格と良知ある尊厳を余すところなく示し、後世に向けて不朽の範を垂れたことである」

 ……などなど、多分これを書いたのは私と同世代(六四世代)の「学潮」(学生運動)崩れだと思います(笑)。この「檄文」の内容と、糞青たちが書き込んだ弔詞の大半との間に微妙な温度差やある種のギャップが感じられるのは、まさに世代の差、1989年の民主化運動を身を以て経験したかどうか、というところにあるのでしょう。

 この声明文の結語は、
「趙紫陽先生永垂不朽!」。何日か前に当ブログで「紫陽精神永垂不朽!」と似たようなことを書いていた人がいましたが(笑)、これも同世代ゆえかも知れません。

 閑話休題。この「公民維権網」のグループが各地で集まって追悼活動を行っています。

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 杭州では18日、宝石山のふもとに白い花を胸元に差した有志が参集。まず黙祷を捧げたあと、金を出し合って買い求めた銘酒を地に注ぎ、各々も杯を干し、最後に揃って「叩頭」(頭を地に打ち付ける、非常に敬意の込もった礼)。それから交々に語り合って故人の業績をしのんだそうです。儀式めいた所作に彼らの思い入れの深さが感じられます。

 もっとも、このメンバーの大半が1989年当時は「まだ何もわからない無知な子供だった」と率直に吐露しています。それだけに、彼らにとって1989年の民主化運動は伝説であり、その運動や「六四」の悲劇を一身で象徴する存在だった趙紫陽氏の死去に、じっとしていることができなかったのかも知れません。少数派とはいえ、若い世代にこういう変に生真面目な、奇特な一群がいることには驚きました。

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 北京では自宅に弔問するよう呼びかけています。

「趙公霊堂はもう一般に開放されている。住所は北京市灯市口西街富強胡同6号。行くことのできる人は是非足を運んで弔問してほしい。向こうに着いたら、花を捧げて一礼、そして家族の人と握手をする。最後に入口にいる警官のところで身分証(番号と氏名?)を書き込めばおしまいだ。今日は数人ぐらいずつで、大体もう60組ぐらいが弔問に来ている」

 それから唐突に海南島へ飛びますが、ここでも有志が海口市中心公園の英雄碑のところに花籠を捧げ、

「趙公の名は青史に轟く」(適当訳)

 といったような弔詞を添えてきたようです。

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 また、携帯のメールを追悼活動のアイテムにする動きもあります。

「いまや形勢は一変した。強権政治制度はテレビや紙媒体を支配することができ、あるいはネットをも掌握することができるかも知れない。しかし、それを以てしても支配下に置けないものがある。それは私たちの口であり、携帯のボタンであり、私たちの親指だ」

 という名調子で始まる文章は、趙紫陽氏追悼の携帯メールを全ての友人に送ろう、と呼びかけるものです。それによって、様々な職業や階層に追悼の空気を浸透させていこうというのです。

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 もっとも、こうしたメッセージを書き込まれた「青年先鋒網」の方はまたサイトを潰されてはかなわないと思ったのか、あるいはすでに圧力がかかっているのか、趙紫陽ネタで話題が香ばしい方向へと発展していくスレには、管理者がスレッドストッパーを発動しています(笑)。

 しかし、香ばしい方向へと話題が流れていくこと自体がひとつの変化と言えるでしょう。政治学習で学んだ内容とは大きく異なる民主化運動や「六四」という「歴史」に対して積極的に興味を示す糞青も出てきており、掲示板では規制もかかるので、互いのQQ番号を交換してその話題について語り合おうとする動きが一部で見られます。これはなかなか興味深い兆候のように思います。

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 なるほど、胡錦涛が死去のニュースすら極力隠そうとする訳です。

 趙紫陽氏死去、という報道が流れれば、趙紫陽氏の業績について、また1989年の民主化運動について、政治学習で純粋培養された若い世代にも「真実」がごく密やかに、しかし確実に浸透していきます。

 こういう変化がどれほどの広がりを持つことになり、また政治・社会状況に如何なる作用を与えることになるのかはわかりません。いまはまだごく一部での小さな変化にすぎないからです。ただ、趙紫陽氏追悼を端緒にこうした動きが起こりつつあることは、チナヲチのオタとしては拾い上げておく必要がある、そう思ったまでです。


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 【※1】当ブログ「趙紫陽氏死去1:終わりの始まり」(2005/01/17)及び「趙紫陽氏死去2:乱れ飛ぶ消息筋情報」(2005/01/18)

 【※2】「中国人権」トップページは「http://www.hrichina.org/public/index」。

 【※3】当ブログ「糞青どもの反日デモに重大な変化が!?」(2004/12/31)



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 趙紫陽氏死去から一夜明けて、きょう(18日)午前だけで色々な関連情報が出てきています。というより乱れ飛んでいます、消息筋情報。

「とりあえず、趙紫陽氏への評価が今回の報道のようにヒラ党員としての扱いにとどまるのか、そして葬儀は国あるいは党が執り行うのかどうか、というところに私は興味があります。扱いはヒラ党員のまま、国葬でも党葬でもない。……となれば、かつての劉少奇を想起する人もいるでしょうし、それなら俺たち民衆で送り出してあげようではないか、という動きも出るかも知れません。このあたり、胡錦涛政権がどう対応するか見守りたいところです」

 と前回私は書きましたが、香港マスコミやチナヲチで食っているプロのチャイナ・ウォッチャーの方々も、そこら辺が焦点だとみているようです。

 まずは当局から出た唯一の情報である新華社電を改めて掲げておきます。

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 ●趙紫陽同志が逝去
 http://news.xinhuanet.com/newscenter/2005-01/17/content_2469579.htm

 【新華網1月17日電】趙紫陽同志は長期間にわたり呼吸器系統と心臓血管系の各種疾病のため、何度も入院治療を繰り返していたが、最近病状が悪化。手当ての甲斐もなく、1月17日、北京において死去した。享年85歳。

 では消息筋情報、どうぞ。

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 ●「同志」は今後に含みを持たせた証拠
 http://www1.chinesenewsnet.com/MainNews/SinoNews/Mainland/2005_1_17_15_10_44_869.html

 趙紫陽氏は党から除名された訳ではなく、ヒラとはいえ共産党員であるため「同志」を付けたのだろう、と私は単純に考えていたのですが、「同志」をつけたことで、今後生前の評価が見直される可能性があるとみる向きもあるようです。

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 ●ネット上では哀悼の声が殺到
 http://www1.chinesenewsnet.com/MainNews/SinoNews/Mainland/2005_1_17_17_0_47_388.html

 大手ポータルではニュースひとつひとつに附随した掲示板があるのですが、「捜狐」(sohu.com)は私が見たときにはもう書き込みができなくなっていました。ところが「新浪網」(sina.com)では管理者の粗忽か故意か、とにかく通常通り書き込めたため、趙紫陽氏の死を惜しむカキコが殺到。ほどなく削除職人が登場して掲示板を閉鎖したのですが、網民(ネットユーザー)は次々に板を移動して削除職人とのイタチごっこを繰り広げつつ、追悼の言葉を書き込んでいたようです。

 実は私も某大手論壇に書き込んだら5分で削除されました。すぐに別の人が追悼スレを立てましたが、こちらがレスをつける前に瞬殺。でも一部反日サイトではいくつも追悼スレが立っているのを見ました。その後どうなったかは確認してませんけど。

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 ●CNNも約15分間の放映カット
 http://tw.news.yahoo.com/050117/15/1e9m9.html

 NHKだけでなくCNNもやられたそうです。昨日(17日)午前10時ちょうどのニュースで趙紫陽氏死去を伝えた途端にプッツン。

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 ●駐香港中央聯絡弁公室の黎桂康・副主任「趙紫陽氏の件については党中央によって善後策がとられるだろう」
 http://tw.news.yahoo.com/050117/39/1eavb.html

 香港駐在の中聯弁は北京の出先機関みたいなものです。「善後策」という以上悪い内容ではない筈。ただしどんな善後策なのか黎副主任は明らかにしませんでした。

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 ●中共上層部は趙紫陽氏の追悼会開催を検討中
 http://hk.news.yahoo.com/050118/12/18mlg.html

 問題は追悼会の格式、やり方、そして故人への評価をどうするか。これについて専門チームが組まれて各方面の意見を集めつつ検討を重ねているそうです。ただし逝去時の身分がヒラの党員ということ、そして影響の及ぶ範囲の広さを考慮して、ごく内輪でささやかに、非公開の形がとられるという情報も。火葬や追悼会がどうなるのかは一切党中央が仕切っているので、家族も何も知らされていないそうです。

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 ●CNN「追悼会は開かれぬ見通し」
 http://www1.chinesenewsnet.com/MainNews/SinoNews/Mainland/2005_1_17_17_35_20_628.html

 著名なチャイナ・ウォッチャーであるウイリー・ラム(林和立)氏が消息筋の話として紹介したようです。胡錦涛も温家宝も万一を恐れて中止を決めたらしい、とのこと。
 同氏によると、指導部は先週末、「趙紫陽氏の死去を利用して社会と政治の安定を破壊しようと企む『反政府勢力』への警戒を高めよ」との内部通達を出したそうです。胡錦涛政権は昨年末から趙紫陽氏が死去した場合を想定したシミュレーションを練っており、それが現実となった現在、胡錦涛も温家宝もピリピリしているそうです。

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 ●田紀雲元副首相が病院に趙紫陽氏を見舞う
 香港紙『蘋果日報』(2005/01/18)

 1987年に胡耀邦総書記(当時)が失脚した際、トウ小平のツルの一声により首相を務めていた趙紫陽氏が後任の総書記に昇格したのですが、その後継首相の座をめぐって保守派の李鵬と争ったといわれているのが田紀雲氏です。趙紫陽系列の改革派でしたが1989年の天安門事件(六四)で趙紫陽氏が失脚。それ以降影が薄くなって表舞台から姿を消したも同然の存在になっていました。それでもやはり旧恩を忘れず、節義を尽くしたんですね。

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 ●温家宝は趙紫陽氏を見舞わなかった?
 香港紙『蘋果日報』(2005/01/18)

 趙紫陽氏と言えばまず思い出されるのが、1989年の民主化運動で涙を浮かべて「私は来るのが遅すぎた」とハンスト中の学生に語りかける、あのお約束のシーン。実はハンドマイク片手に話す趙紫陽氏の右隣にいるのが、まだ若手だった温家宝です。
 趙紫陽氏は直属の元上司であり可愛がられてもいたようですが、いまは首相という立場を重んじたか、見舞いには来なかったようです。ということで、口さがのない香港の新聞によって温家宝は忘恩の徒&ヘタレ認定されています。
 それにしても今日の『アップルデイリー』(蘋果日報)は大特集を組んで飛ばしに飛ばしています。他にも「胡耀邦・趙紫陽コンビに遥かに及ばぬ胡錦涛・温家宝」とか言いたい放題です。でもこの特集を読めば趙紫陽氏の全てがわかるというくらい微に入り細に入り様々なエピソードを拾っています。

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 一方でキナ臭い情報も出ています。

 ●党の高官約20名が趙紫陽氏の名誉回復を求める連署を上程
 http://www1.chinesenewsnet.com/MainNews/SinoNews/Mainland/2005_1_17_15_10_44_869.html

 読んで字の如しです。どういうメンバーなのかは不明。胡錦涛政権への揺さぶり、と読めなくもないので気になります。

 ●こっちではその20名、党・政府・軍部の元高級幹部となっています。
 http://tw.news.yahoo.com/050117/43/1easz.html

 そういえば1989年に胡耀邦氏が急死した際、私は某大都市にて留学生活を送っていたのですが、

「胡耀邦氏の死を悼む――退職幹部一同」

 なんて張り紙が真っ先に大学構内に貼られていました。あいつらは事があるごとに「忘れてもらっては困る」とその存在を主張したがる(そして何らかの利益にありつこうとする)のだ、と中国人学生が解説してくれましたが、それと似たようなものでしょうか。それにしてはリスクが大きいように思います。と言いつつ、最後のひとつへどうぞ。

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 ●曽慶紅・国家副主席が病院へ見舞いに
 http://hk.news.yahoo.com/050117/12/18m0s.html

 ええ、トリを務めるだけあって、これが最も危険な香りのする情報です。ただ趙紫陽氏の家族の証言もあるのでガセネタではないようです。でもどうして曽慶紅?趙紫陽との接点が見当たらないように思うのです。
 曽慶紅は元々上海市の小役人だったのですが、当時同市を治めていた江沢民に目をかけられて抜擢され、中央に連れてきてもらったという、いわば江沢民派の筆頭家老なのです。趙紫陽氏の存在を最も煙たく思っていたのは、同氏の失脚によって総書記になることができた江沢民に他なりません。
 なぜに曽慶紅?……判然としませんが、何となく火薬のニオイがしませんか?上の20名の連署といい、趙紫陽氏の死去という機会を捉えて蠢動する政治勢力があるのかも知れません。だとすれば、「てことは江沢民派?」というような単純なものではないように思います。
 いや、何となくそう思うだけで根拠はありません。ただ「新華網」が昨日あたりからちょっとテイストの異なる記事を流し始めているような……やっぱり私の気のせいでしょう。これはもう少し様子をみる必要がありそうです。

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 ということで、さてどう締めたらいいのやら。とりあえず言えるのは、胡錦涛政権にとっては「靖国」以上の難題が降って湧いたということです。
 国民であれ党内であれ、胡錦涛がこの問題をどう処理するかを、興味津々で見守っていることでしょう。その如何によって、胡錦涛の政治力や器の大小が見定められてしまう訳です。旧正月を前にした抜き打ちの期末テスト、というところでしょうか。
 ここでグラつくようだと北京五輪だなんて言っていられなくなるでしょうね。さあ盛り上がって参りました。


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 もう御存知の方も多いでしょうが、趙紫陽・元中国共産党総書記がきょう(17日)午前に死去しました。

 天安門事件(六四)から今年でもう16年になります。「趙紫陽」と聞いてパッと色々なイメージを思い描けるのは30歳以上の世代でしょうか。

 痛心疾首!
 紫陽精神永垂不朽!!

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 『朝日新聞夕刊』(2005/01/17)は家族に近い関係者の話として、17日午前7時1分(現地時間、以下同)に逝去したと報道しています。APECでの日中首脳会談もそうでしたが、こういう重大ニュースは第一報を国営通信社・新華社の原稿で統一するのが中国の習わしです。あのときは随分待たされましたが(※1)、今回は「新華網」に出たのがわずか2時間後の午前9時13分。重要人物の死去を伝えるニュースとしては異例の速さです。

 もっとも、その内容は実に素っ気無いものです。以下に全訳しておきます。

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 ●趙紫陽同志逝去
 http://news.xinhuanet.com/newscenter/2005-01/17/content_2469579.htm

 【新華網1月17日電】趙紫陽同志は長期間にわたり呼吸器系統と心臓血管系の各種疾病のため、何度も入院治療を繰り返していたが、最近病状が悪化。手当ての甲斐もなく、1月17日、北京において死去した。享年85歳。

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 上の記事を主要なインターネットメディアが転載するのも早かったです。もちろん記事本文は新華社電の通り、一字一句とも動かせません。ただタイトルは多少違います。それが何を意味するかはともかく、更新時間とともに並べておきましょう。

 新華網  09:13「趙紫陽同志逝去」
 人民網  09:30「趙紫陽同志、1月17日北京にて逝去、享年85歳」
 中新網  09:29「趙紫陽同志、病気により手当ての甲斐なく今日北京にて逝去、享年85歳」
 中青在線 09:45「趙紫陽同志、1月17日北京にて逝去」
 新浪網  09:13「趙紫陽同志逝去」
 捜狐   09:13「趙紫陽同志、病状悪化により今日北京にて逝去、享年85歳」
 tom  09:43「趙紫陽同志、病気により1月17日北京にて逝去、享年85歳」

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 ……ざっとこんな感じですが、日本各紙の報道を総合すると、今回のニュースについて、中国国内ではネットと新聞での報道はOK(たぶん上の新華社電以外はNG)で、テレビやラジオはNG、となっているようです。NGがいつ解禁されるかも未定とのこと。

 この規制に一体どんな意味があるのか、理解に苦しみます。ネットに出ている以上口コミで瞬時に広まりますし、実際反日サイトの掲示板などにはいくつもスレが立っています。それにVOA(美国之音)やBBCの中国語放送を聴いている中国人もいるでしょう。明日の新聞にも出るでしょうし、きょうの夕刊(晩報)にもう出ているかも知れません。

 NHKの国際放送が趙紫陽氏死去のニュースになったところで中断されたそうですが、そりゃ海外メディアの報道なら1989年の民主化運動で涙ながらに語る趙紫陽氏の映像なんかが流れますから(趙紫陽氏の隣に温家宝がいますね)、胡錦涛政権や趙紫陽氏の失脚で総書記になれた江沢民には都合が悪いでしょう。

 でも中国国内のテレビ・ラジオ局なら上の新華社電を読み上げておしまい、で済ませられるのではないかと思うのですが、いまはそういう統制も効かない状況なのでしょうか?内政上の不安要因を排除するため「靖国」にも報道統制を敷いたりするほどですから、生放送でアドリブをやられるという万一を恐れているのでしょうか。

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 冒頭に書いたように趙紫陽氏はすでに過去の人でしたし、思想教育で純粋培養され、物質的にも恵まれている若い世代に現状肯定派が多いことから、これによって1989年の民主化運動のようなものが起こる、ということはないように思います。ただ旧正月を前にした民族大移動ともいえる里帰りラッシュの真只中ですから、一発芸的な、組織的でない「意思表示」はあるかも知れません。

 新華社電に「趙紫陽同志」とあるように、趙紫陽氏は「六四」によって総書記から中央委員に至るまで一切の役職を解任されましたが、党籍剥奪にはなりませんでした。ただ総書記まで務めた人物に「偉大な指導者」「偉大な革命家」といった称号を一切つけなかったのは異例です。それまでの功績は「六四」で全て帳消しになった、ということでしょうが、民主化運動の名誉回復がなされていない現状ではやむを得ないとはいえ、釈然としない国民は少なくないでしょう。

 とりあえず、趙紫陽氏への評価が今回の報道のようにヒラ党員としての扱いにとどまるのか、そして葬儀は国あるいは党が執り行うのかどうか、というところに私は興味があります。扱いはヒラ党員のまま、国葬でも党葬でもない。……となれば、かつての劉少奇を想起する人もいるでしょうし、それなら俺たち民衆で送り出してあげようではないか、という動きも出るかも知れません。このあたり、胡錦涛政権がどう対応するか見守りたいところです(紋切り型)。

 ――――

 私は当時の民主化運動を現地で経験しましたので、個人的に趙紫陽氏の死去には万感の思いがあります。が、それを脇において考えるとしても、結局中国は趙紫陽総書記の時代、より正確にいえば1987年の「十三大」(第13回党大会)での趙紫陽報告「社会主義初級段階論」(記憶モード)から半歩も前進していないように思います。

 この趙紫陽報告に描き出された本来の改革・開放政策は、「経済制度改革」と「政治制度改革」をワンセットにしたものでした。ワンセットにしなければどうなるか、という問いへの回答が、現在の中国の姿です。汚職や貧富の格差など様々な矛盾を改善できないまま、いたずらに深刻の度を深めて、爆発寸前まで至らしめてしまっている。趙紫陽氏の当時のやり方が正解だったかどうかは疑問ですが、政治制度改革を置き去りにして15年以上走ってしまったツケを、中共はいま支払わなければならなくなっている、と言うことはできるでしょう。

 ――――

 政治制度改革の中で「党政分離」構想まで温めていた趙紫陽氏は、中共の政治家が一般に「中共」のみ、ひいては私利のみを考えるだけなのに対し、「中国」にも考えをめぐらせた数少ない政治家の一人だったのではないかと私は思います。

 最高実力者となってからのトウ小平は、結局「中共」しか眼中になかったでしょう。トウ小平死後の江沢民は「中共」よりむしろ「私利」に力を入れた醜悪な指導者でした。胡錦涛はあたかもトウ小平の衣鉢を継いだがごとく、徹頭徹尾「中共」のみの政治家です。

 ……ともあれ陳腐な言い方ではありますが、趙紫陽氏の死去は一つの時代の終焉を意味するものです。本来的な意義を失ってすっかり歪んでしまった中国の改革・開放は、いよいよ歪んだことによる反作用を受け止めねばならない段階に入った、と言えるのではないでしょうか。

 それは、あるいは後世の史家によって「終わりの始まり」と表現されることになるかも知れません。


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 【※1】当ブログ「中共お手製の首脳会談報道」(2004/11/23)



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 おお、久々にビビッときました。

 ●靖国サイトへの攻撃を報道、反日機運高まる恐れ(サーチナ・中国情報局)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050114-00000005-scn-int

 政争です。これは強烈に政争のニオイがします。結論から言ってしまいますと、政争だとすれば、たぶん下記のどちらかでしょう。

 (1)胡錦涛政権による党内強硬派(あるいは軍部)への迎合。
 (2)江沢民の地盤である地域で主導権を握ろうとした胡錦涛政権に、江沢民が反撃。

 あるいは、両者が絡み合った可能性もあるでしょう。ええ、もちろん私の邪推に過ぎません。でも邪推したくなる材料は揃っていますよ。ああ、心なしか浮き立つような気分です(笑)。

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 まずは上の記事(サーチナ)を読んで頂きたいのですが、「靖国サイトへの攻撃を報道」なんて、何をいまさらという感じでしょう。

 日本ではこのニュース、今月6日未明に読売新聞(電子版)が報じています。
 http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/seiji/20050106/20050106ia02-yol.html

 このときからもう1週間経っているのです。全くもって「何をいまさら」でしょう?

 でも実は違うんです。中国国内の各メディアは今までこのニュースを放っておくことなく、読売の報道が出てすぐ速報しています。いちばん早かったのはたぶん大手ポータル「捜狐」(sohu.com)のニュースサイト、ここが6日夕方、「今日の日本主要紙」みたいな記事の中で、上の読売の記事に基づいて報じています。

 翌日には「靖国」単体で記事になりました。これも読売の同じ記事が元ネタです。

 ●靖国神社HPにハッカーの攻撃 毎分90万ヒットの猛攻
 http://news.sohu.com/20050107/n223821137.shtml

 「捜狐」だけでなく、中国の他の各メディアも同じように読売報道を基に報じています。これが1月7日。

 ――――

 じゃあどうして今さら改めて、となるのですが、その理由は上記「捜狐」の記事を読めばすぐわかります。「捜狐」をはじめとした1月7日の中国メディアによる報道内容には、規制がかかっているのです。中国メディアの全てが元ネタにしている読売の記事でいうと、

「警察当局は、中国のハッカー集団などによる組織的攻撃との見方を強めている。」

「靖国神社がネット上の住所に相当する「IPアドレス」を調べたところ、ほとんどが中国のものだった。昨年2月から被害相談をしている警察当局も、不正データの発信元は中国が大半と見ている。」

「靖国神社はHPに掲載した声明で、『国家のために尊い生命を捧(ささ)げられた250万柱の御祭神に対する攻撃であり、日本国に対する悪意に満ちた挑戦だ』と攻撃を非難している。」

 といった部分には全く言及せず、単に靖国神社のHPがハッカーに攻撃されたという内容の記事になっています。もちろんハッカーが何者かにも言及していません。言及してはいけなかったのでしょう。

 ――――

 それが昨日(14日)になって、規制が解禁となったらしく、主要メディアの大半がこのニュースを改めて報じました。冒頭のサーチナの記事はそれを伝えたものです。『北京晨報』からの転載という形で「新華網」をはじめ大手ポータルの「新浪網」(sina.com)などが足並みを揃えています。新聞からの転載ということなら、紙媒体でも広く報じられていることでしょう。

 みな同じ内容のようなので、「新華網」のURLだけ出しておきます。
 http://news.xinhuanet.com/world/2005-01/14/content_2457684.htm

 サーチナによると、

「靖国神社は、『(靖国神社が)昨年9月から、しばしばサイバー攻撃を受けている』『靖国神社のアドレスを詐称した中国語のスパムメールが大量に発信されている』『(それに関連した)エラーメッセージが中国国内のメールサーバーから、大量に送られてきている』としているが、これらの部分に関しては、中国側の報道も、靖国神社の発表をほぼそのまま紹介した内容になっている。」

 とのことですが、確かに靖国神社HPに出た声明を引用しています。ただし、大人しい引用の仕方ではありません(笑)。

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 例えば「新華網」の記事の後段からかいつまんで訳しますと、

「この文章(訳者註:靖国神社の声明文)は、送りつけられたメールの大半が中国語で書かれており、大量のエラーメッセージが中国のメールサーバーから送られたものだと悪意を込めて強調している」

「厚顔無恥にも、『国家のために尊い生命を捧(ささ)げられた250万柱の御祭神に対する攻撃であり、日本国に対する悪意に満ちた挑戦だ』と書かれている」

 と、「引用」はここまで。そしてここからはお約束の内容が展開されます。

「靖国神社に行ったことがあるか、あるいは同神社のHPを見たことがある人なら知っていることだが、靖国神社の境内では戦争を賛美・宣伝するものを至る所で目にすることができ……(後略)」

 と続いて、話題は「遊就館」にも及ぶのです。及ぶのですが、なぜか零戦の美しさや海軍コーヒー、海軍カレーに全く言及されていない。遺憾の極みです(笑)。

 まあ、マクドナルドのHPがやられたときも中国側の報道はハッカーを非難も賛美もせず、「よくやった」という言葉を行間から溢れさせていましたが、今回はさらに踏み込んで、「よくやった。もっとやれ!」とけしかけているような気迫を記事のあちこちから感じ取ることができます。ええ、民度でしょう。民度としか言いようがありません。

 ところで「新華網」の記事、タイトルの下にドーンと神社の写真がレイアウトされていますが、これって本当に靖国神社?

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 さて、7日時点ではNGだった部分がなぜ一週間を経て解禁となったのか。

 内容が濃くなった(笑)とはいえ、一週間前の旧聞を改めて持ち出してくるのも不自然な感じがします。だいたい当ブログ(「『靖国』は国内問題。だから国民には内緒」2005/01/13)でも紹介したように、少なくとも13日付の記事までは、中国側は「靖国」について報道統制をしていたフシがあります。

 そしていちばん不自然なのは、足並みを揃えていないメディアがあるということです。それもあろうことか、

 「人民網」(党中央の機関紙『人民日報』のサイト)
 「中青在線」(胡錦涛の広報紙『中国青年報』のサイト)

 の2つです。私の見落としでなければ、肝腎の両サイトが今回の靖国報道を黙殺しているというのは異様です。先例に照らして素直に考えれば、今回の靖国報道はどうやら胡錦涛の本意ではない、と読めることになります。

 そこで政争ということになる訳ですが、これは胡錦涛の進退がかかった……というような、天下分け目のようなものではないように思います。でも重要な局面です。権力を掌握していく過程で超えなければならない壁に、いま胡錦涛がぶつかっている、という種類のものでしょう。冒頭にも挙げた、

 (1)胡錦涛政権による党内強硬派(例えば軍部)への迎合。
 (2)江沢民の地盤である地域で主導権を握ろうとした胡錦涛政権に、江沢民が反撃。
 あるいは、
 (3)上記(1)と(2)の両方が絡んでこうなった。

 ……そのいずれかではないかと私は考えています。

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 妥当な考え方としては(1)ということになるでしょう。江沢民もかつてやった軍部の機嫌取り、あるいは党内の対日強硬派への迎合です。大体そういう政治勢力がバックにいなければハッカーも存分には暴れられないでしょう。

 それが江沢民一派である可能性もあります。ただその場合、動機となっているのは政策論争でも胡錦涛イジメでもなく、利害絡みではないかと思うのです。すなわち(2)ということになります。

 江沢民の地盤といえば上海ですね。そして上海市に隣接しており、江沢民の故郷(楊州)を含んだ江蘇省もまた重要な根拠地といえるでしょう。……ところがその江蘇省で、いま「政変」が進行しつつあるのです。それも僅々10日前ぐらいから、にわかにメディアの注目を集めるようになった動きです。

 ●中国・江蘇省住民、行政に「満足」99%…批判呼ぶ(読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050112id26.htm

 政変といっても下克上ではありません。江蘇省のトップ、読売の記事が言うところの「胡錦濤総書記派」である李源潮・江蘇省党委員会書記が、「大掃除」を始めたというところでしょう。江蘇省内では昨年から汚職で摘発される幹部が相次いでおり、報道されている「万人評議」はこうした「政変」を強く印象づけるための仕上げのイベント(デモンストレーション)だと私は捉えています。

 例えば幹部にとっての「悪魔の錬金術」、その方法のひとつに開発区設立があります。農民から土地を取り上げて企業に転がすだけで大金が入ってくる。江蘇省(李源潮省党委書記)はその開発区を昨年から整理にかかり、同省内の各種開発区の77.5%に当たる合計544カ所を閉鎖。戻ってきた土地のうち8367ヘクタールは再耕地化されました。同時にこの過程で汚職などにより170人が処分を受けています。
 http://news.xinhuanet.com/newscenter/2005-01/14/content_2458905.htm

 最近では姜人傑・蘇州市副市長を汚職(収賄など)で解任。上海市のミシン工場の党幹部を務めていた時期がちょうど江沢民が上海を治めていた頃に重なるため、多少の縁があるとみられていた人物です。
 http://news.xinhuanet.com/legal/2005-01/12/content_2447859.htm

 いずれにせよ、自分の狩り場である筈の江蘇省をこうも「胡錦涛派」に荒らされては沽券にも関わることですし、江沢民も黙ってはいられないでしょう。院政を敷けない甲斐性なしではありますが、引退したからといって政治的に全く無力になった訳でもありません。あちこちに手を回してちまちまと動けば、今回の「靖国報道」くらいの「反撃」も出来るでしょう。

 結局そのくらいの事しか出来ない、ということもできますけど。

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 いずれも邪推ではありますが、報道の内容やタイミング、さらに足並みの乱れなど不自然な点が多々あるのは事実です。少なくとも「何事もない」と言い切るには説得力に欠ける状況ではないでしょうか。……何だか尻すぼみで終わりそうなので、

「政争です。これは強烈に政争のニオイがします」

 と、最後に改めて強調しておきます(笑)。いや、たまには香港の政論誌を真似てみても、いいのではないかと思いまして。



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(「上」からの続き)

 では新卒者はどうか、といえばこちらも厳しいのです。昨年実績によると、9月末時点での大学新卒者(中国は9月から新学期が始まります)で就職できたのは204万人、新卒者全体(280万人)でみると73%で、大学新卒といえども10人のうち3人までが就職浪人になっていることになります。
 http://news.xinhuanet.com/newscenter/2004-12/11/content_2320263.htm

 今年については新卒者数がさらに増えて338万人(前年比58万人増)、しかし前述したように経済政策は「軟着陸」(ソフトランディング)を目指した減速基調ですから、就業機会が劇的に増えるということはまず考えられません。周済・教育部長も「今年の就業圧力は例年にない強さだ」と、厳しい表情。全員の就職はもちろん、昨年実績の就職率73%を実現できるかどうかも難しい、といったところでしょう。

 こういった件に関しては、以前コメント欄で「きんぎんすなご」さんが指摘されていた記事が言及しています。

 ●中国:若者の失業者続々、社会問題に 親の「すねかじり」家でゴロゴロ「求職貴族」
 http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/china/news/20050111ddm007030060000c.html

「新失業群の学歴は中卒や高卒が中心で、就職の経験はない。受験勉強重視の教育制度の中で育ち、職業訓練を受けていない。80年代に始まった一人っ子政策初期の世代で、親や祖父母に溺愛(できあい)されて育った『小皇帝』。親の経済力に頼る『すねかじり』で、家でゴロゴロしている『求職貴族』でもある。」

 と記事にはありますが、日本と違って、中国の親の世代にはかじれるほどスネに肉はついていません。ごく一部の富裕層、準富裕層を除けば、「貴族」なんて優雅なものではなく、いたずらに貧困層を拡大していることになります。

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 こうした状況を受けて、上で厳しい表情をしていた周教育部長は、試験的に一部新卒者を「下放」させようという措置の導入さえ考えているようです。
 http://news.xinhuanet.com/newscenter/2004-12/11/content_2322103.htm

 「下放」とは文化大革命時に政策として実施されたもので、「労働者の苦労を体験することが必要」などという理屈で都市部の知識人や学生が農村や僻地に送られました。文革の終息とともに出身地に戻ることのできた人もいれば、はからずも下放先に根を下ろさざるを得なくなった人もいます。

 今回は「都会は就職難だから、僻地へ行け。キツい仕事でも我慢しろ」というもので、強制ではなく奨励ではあります。奨励措置として、応募した学生には奨学金も出るようです。中国農大、北京交通大などではすでに実施されており、人材が必要とされている内陸地区の末端部門への就職を奨励しているとのこと。

 一人っ子で蝶よ花よと可愛がられて育った世代が、どれほどこれに応じるかは甚だ疑問ではあります。が、ここまでやらないといけないほど状況は深刻ということなのでしょう。

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 失業者は増えこそすれ、減少することはないでしょう。それは取りも直さず、貧困層の拡大、貧富の差の拡大に直結するものです。あとは当ブログ「浦島太郎」(2005/01/08)でも書いたことですが、ちょっと見にはパーセンテージで1-2ポイントといった小幅な動きでも、物価上昇は貧困層の台所を直撃し、大きなダメージを与えることになります。

 昨年後半は食品価格の上昇や水道・電気料金の引き上げが大きく響いたようですが、食品については豊作を記録したものの、農業生産材の価格が高止まりになっている現状から、大きく改善されることはないように思います。一方の水や電気、これは全国的・慢性的に不足を来たしているものですから、下がることはありません。

 実際、北京市ではバス・地下鉄運賃、医療費、中学・高校の学費、それに液化ガス、暖房、水道などの料金を今年中に引き上げる予定だと発表しています。
 http://news.xinhuanet.com/fortune/2005-01/12/content_2448947.htm

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 昨年の小幅な物価上昇が低所得層に痛みを与えたことは『経済参考報』(2004/10/25)が詳しく報じています。
 http://news.xinhuanet.com/fortune/2004-10/25/content_2136201.htm

 この記事は、

「生活に欠かせない物の値段が上がるのは、給料が高くてたくさん稼いでいる人には何てことないでしょ。でも私たちみたいに、1カ月の生活費が400元ばかりで他に収入の当てもない家なんかは、食べる物だけでもう精一杯。他の物を買うゆとりなんて全然ありゃしないんだから」

「物価を上げるなら上げるで、私ら収入の低い家のことも少しは考えてほしいね」

 という庶民の声を拾っています。一方、

「9月(2004年)の消費者物価指数は5.2%の上昇だったが、食料品やエネルギー価格といった物価上昇の主因を除けば、1%ぐらいしか上がってはいない。」

 というのが国家統計局の言い分で、豊作だった穀物が市場に入れば物価も落ち着くとの見方を示していますが、これが実際どう推移していくかは要注目です。

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 ともかく土地の強制収用問題が一段落した観のある現在、「失業者増=貧困層の拡大」は、都市部に不穏な空気を充満させる今年最大の要因となるでしょう。貧富の差が拡大しているという不公平感、そして昨年の一連のデモや暴動の中で失業問題を核に据えたものがなかったことから、この問題に対する不満は発散されることなく蓄積される一方、と言うこともできます。

 ちなみに、当ブログ「貧富の差拡大を裏付け――浙江・北京レポート」(2005/01/11)で北京市での貧富の差の拡大(同市の都市戸籍保有者に限定)について、

「世帯ごとの1人当たり平均可処分所得を最高値と最低値で比べてみると、2000年の『3.1:1』から2003年には『4.7:1』に拡大しているそうです。」

 という北京市統計局のレポートを紹介しましたが(※1)、そのときに自分で拾っておきながらうっかり見過ごした記事がありました(膨大な量なので……すみません)。
 http://news.xinhuanet.com/fortune/2004-12/24/content_2375712.htm

 この記事には昨年11月末時点での速報値が出ており、2000年の「3.1:1」から2003年には「4.7:1」にまで拡大した所得差(世帯ごとの1人当たり平均可処分所得)は、いまや「5.8:1」に至っているということです。

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 十分な補償を受けられなかったため、「地上げ」で流民同然の境涯となったまま都市に居つくしかない農民や都市住民。これに加えて失業者の我慢が限界に達したとき、あらえっさっさーが始まります。

 今年は都市部の暴動に期待していいのではないでしょうか(笑)。


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 【※1】http://news.xinhuanet.com/fortune/2005-01/09/content_2434578.htm



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 何やら中国にも「流行語大賞」のようなものがあるようですね。「2004中国主流新聞十大流行語」なるものが12日、発表されました。総合部門が文字通りの流行語Top10で、他に経済や国内時事問題、国際ニュースなど分類ごとのランキングも出ています。

 詳細はこちら。
 http://news.xinhuanet.com/newmedia/2005-01/12/content_2451357.htm

 で、総合部門Top10の中に、「執政能力」「アテネ五輪」「津波」などと並んで、「失地農民補助」がランクインしていることに注目したいです。

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 「失地農民」とは文字通り、国家あるいは地元政府の政策(ダム建設など)、有り体にいえば主として中央から末端組織に至る党幹部たちの汚職絡みの思惑によって、土地から引き剥がされた農村の人々のこと。詳細は当ブログ「悪魔の錬金術」(2004/12/19)にて述べましたが、土地を失った農民は移転先で窮乏し、流民同然の生活に堕ちてしまいます。

 この問題は都市部でも再開発の名の下に強行されたケースがいくつもあるので、土地から引き剥がされたのは農民だけではありません。正確に言うなら「地上げ」というところでしょうか。

 何はともあれこの話題、暴動や流血事件も起きるなどして去年はまことに「旬」だった訳です。ただ指導部もさすがにマズいと思ったのか、そしてまた経済政策が減速基調であることから、12月あたりになって乱立した開発区の整理や開発区設立に伴う許認可権の回収、また使われていない造成地の再耕地化、さらに土地収用に関する補償などについて善後策が出され、最近は年末ということもあって下火になった観があります。

 ちなみに、これら「善後策」は胡錦涛政権が中央による統制力を強化するために行った(地方政府からの権限回収)という側面もあると思われます。

 いずれにせよ、この問題は今年は昨年ほど深刻化することが少ないのではないかと思われます。規制が強化されたことだけでなく、そもそも昨年は「引き締めが本格化する前にやっちまえ」という駆け込み型のケースも多かったでしょう。

 では不安要因限定(笑)で、中国の今年の「旬」は何か。

 ……と問われても私には即答できやしないのですが、あえていうなら都市部における「失業問題=貧困層の拡大」だと思います。それに火をつける要素として「物価上昇」にも注目です。あるいは日中間の問題が中国の内政に影響を与える(例えば靖国参拝)可能性も小さくはないのですが、そっちへ話が行ってしまうと今回の主題に入れませんので(笑)。

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 肝腎の失業率ですが、労働保障部がうまい具合に今日(13日)発表してくれました。都市部で4.2%(2004年末時点)ということです。
 http://news.xinhuanet.com/zhengfu/2005-01/13/content_2455720.htm

 ただここにはカラクリがあります。この指標、「城鎮登記失業率」というのですが、「都市部で失業者登録を行った人」の割合を示すものなのです。失業者登録については現地にいる方が詳しいと思いますので間違いがあればフォローして頂きたいのですが、

 (1)失業する。
 (2)役所へ行き失業者登録の申請を出す。
 (3)申請が認可されて「国家公認の失業者」となる。

 というもので、申請をしていない人が多いうえ、申請は出せば必ず認可されるというものでもないようです。例えば業績悪化で工場の稼動が停止するなりして自宅待機扱いとなった国有企業の従業員、これは従業員の身分のまま給与が支給されないケースがありますが、こういうケースでは失業者登録申請は通らないのではないかと思います。

 そういうカラクリを使っても4.2%あるということは、たぶん都市部だけで実質2ケタに乗っていても不思議ではないでしょう。

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 上海や広州などと並び発展著しい北京市の例をみてみましょう。
 http://news.xinhuanet.com/newscenter/2005-01/10/content_2441185.htm

 同市で今年職を必要とする人の数は77.9万人。その内訳は都市住民(47.9万人)、農村からの転業者(10万人)、新規上京者(20万人)となっていますが、これに対して北京市における就職機会は49.3万人分しかなく、実に28.6万人があぶれてしまうのです。これは単純計算で、「この仕事をやりたいのに口がない」というミスマッチ、それにいわゆる「3K」を市民が敬遠する(そこを農村からの出稼ぎ労働者「民工」が補う)こともあり、

「就職口を増やす努力は続ける。お前らも好き嫌いを言っている場合じゃないだろ。あと自分を磨け」

 という趣旨の当局側による発言も記事の最後の方に出てきます。

 就職希望者はもちろん新卒者だけではなく、リストラなどによる失業者も含まれています。失業関連の記事にあたっていると「『4050』人員」という言葉がしきりに出てくるのですが、これはリストラされた40-50歳代の失業者を指すもので、頻発されるだけに状況も深刻なのでしょう。当局は「『4050』人員」の再就職を最優先課題のひとつに数えていますが、日本同様、この年代の就職口はなかなか見つからないようです。

(「下」に続く)



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