日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





【2003/07/01】

 香港には都合7年間住んでしまったので多少の思い入れはあるけれど、愛着はない。それでも仕事仲間がたくさんいて、駄文の供給先でもあり、政治に向き合う意識の極めて希薄な香港人が大挙してデモを行うと聞けばさすがに無関心ではいられない。そんな訳で香港電台第一台をインターネットで16時から23時まで流しっ放しにしていた。

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 デモの集合時間前から銅鑼湾が人であふれていて、維園(ビクトリア公園)に入ることもできない……というのっけからの報道に何だかすごいことになっているなと思っていたら、結局50万人が参加するという空前絶後のデモとなった。50万人は主催者発表だけど、警察発表も当初35万、後に40万人へと修正されたらしいから、実数はもっとあったかも知れない。主催者と警察の発表にこれほど差のないケースも香港では珍しいかも。

 さてデモ隊の先頭は15時に維園を出発して、1時間ちょっとかけて目的地たる中環の政府庁舎前に着いたんだけど、もちろんその時点では最後尾が出発していないどころか、起点(維園)に入るのに延々と人間の大渋滞が発生しているという有様。

 それで地下鉄が最寄り駅への停車を一時的に取り止めたり、地上への出口が封鎖されたりもした。手際が悪いのではなくて、想像を絶する参加者の数によるものだ(主催者の当初予想は10万人)。まさに人津波。

 結局最後尾が維園を出たのが20時ごろ。灼熱といっていい暑さだったようだが、小競り合いとか待たされる不満からの騒動といったものもなく、香港人は平和的かつ秩序だったデモを見事にやり遂げた。これは賞賛に値する。

 私は96年の「保釣運動」、あの低能無知にして感情的な乱痴気騒ぎ(マスコミを含む)を思い出して、香港人も成熟したものだと感心することしきり。それとも無責任に騒いで済む「保釣運動」と違って、今回は自分たちの社会に直接関わることで、ヘタなことをすると即座に厄災が降りかかってくるからオトナだったのかな……などと意地悪く考えてみたりもした。

 ●香港で経験した「保釣運動」の馬鹿さ加減(2004/08/04)

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 配偶者は香港人だけに50万人という数に素直に感極まっていた様子。私もまた感動したけれど、一方で人口約700万にして50万人をもデモに走らせる事態の深刻さを思った。「反23条」の旗のもとに行われたデモではあるけれど、参加者の思いは様々だった筈。

 例えば民意を逆撫でにするが如き政権運営、お粗末な経済政策、その具体的表現としての高失業率、中国肺炎(SARS)への対応のマズさ、閣僚の不正をかばう姿勢……などだが、いずれにしても特首(行政長官=香港のトップ)と立法局議員の全てを自分たちで選ぶことができない、つまりは民意を政治に反映するシステムがないから、市民はデモをするしかなかった、ということではないだろうか。

だって欧米とか日本ならこんなものすごいデモに発展する前に政権交代が起きているだろうし、民意に拠って立つ以上、まともな政権ならここまで事態を悪化させることもあるまいに。その意味で、「反23条」という主題よりも「還政於民」(政治を民の手に返せ)というスローガンの方がこのデモの本質を示しているように思う。

 香港にいるころ「香港は自由な社会だ」と香港人が口にするのをしばしば聞いたけど、心の中で私はいつも「どこが?大陸と比べてならわかるけど」と思っていた。

 何でも報道できて何でも言えることで香港人は自分たちが自由であると思っていたようだが、その一方で自分たちの政府に口をはさめないんだから、有り体は如来様の掌の上で心ゆくまで踊る孫悟空に過ぎない。植民地時代しかり、九七以降もまたしかり。

 例えばお隣の台湾と比べれば、香港の「自由」と民主政治のシステムは10年以上遅れている……といっていいのではないか。さてさて香港人はこの歴史的なデモを通じてそのことに気付き、動き出すのかどうか。

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【2003/07/03】

 デモから2日、香港主要紙は相変わらず関連ニュースに大きく紙面を割いているようだが、突っ込みが甘過ぎると感じるのは気のせいだろうか。

 「23条」とか董建華の失政とかは表面的なことで、問題を突き詰めれば政治制度の問題に行き着くと思うのだが(もっと突き詰めれば中共による統治の問題にぶち当たる?それは言わないお約束)、それを正面から論じた報道を見ないのは私が見落としているからだけなのか?

 立法局の全面直選と真の民選特首制度(普通選挙制)、これが実現しないことには民意を反映した政治が行われる筈もなく、何かあったら香港人はやはりデモをするしかないということになる。……とでも、どこか書かないものだろうか。

 基本法(及びその附則)の定めるところによれば、上記の制度を実現することは不可能ではない。ただし、手続きの最後には必ず全人代常務委員会の批准が必要となる。

 つまり中共が首をタテに振らない限り……ということになる。その中共の情報統制下にある大陸人民も、香港問題については大多数の香港人とは懸絶した認識を持っている。やがて多くの人が、香港という地名に悲哀を感じることになるのだろうか。

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 昨日『××』の原稿を出した。いま香港で起きていることに知らん顔をして日本の××市場の話を書く気には到底なれなかったので、半年前に提起した問題(香港××業界は作品の発信地たり得るか)に時節柄のネタを絡めた。時局ネタとはいえむろん毒気を抜いて、オブラートにくるんだ大人しい物言いとなっている。――少なくとも私はそのつもり。

 で、読者各位は知らないことだが、実はこの文章の掲載について、当初『××』編集部は躊躇した。このまま載せることはできないと言ってきた。敏感な問題なのでいくつかの表現をもっと軟らかくしてほしい、内容には編集部一同大いに賛同するが、なにぶん敏感な問題なので……というのだ。

 私も『××』に迷惑をかけるのは本意ではないので、どこが問題なのかと聞いた。編集部はいくつかの点をあげた。それを聞いて、ああダメだこりゃと思った。それで、

「それなら掲載しなくていいよ。この文章は他の雑誌に出すから、『××』には掲載しなくていい」

 と、伝えた。すると編集部は、

「ちょっと待って。いま思いついたことがあるから、一同に諮ってみる。あとでまた連絡する」

 と慌ただしく電話を切った。

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 一服つけてコールバックしてくるのを待っているとき、15年近く前に、同じようなことがあったのをふと思い出した。

 私が上海に留学していたとき、天安門事件が起きた。翌年2月の修了式の際、留学生代表のような形にさせられていた私が答辞のようなスピーチをする破目になった。やりたくなかったが仕方ないので予定稿を準備した。ところが、その中の一節が引っかかった。

「この一年間、私たちは上海で色々なことを見聞しました。見るべきもの、見なければいけないものは、全てはっきりとこの目で見ることが出来たと思います。これは今後さらに中国を理解し、中国と付き合っていく上で、大きな助けとなることでしょう」

「冬が終われば春が来る、これは人の意志では変えようのないことです。中国の冬(2月だったしw)が終わり、春が来ることを心から待ち望んでいます」

 ……まあこんな内容だったが、これで私はスピーチをやらずに済んだ(笑)。大体引き締めに転じていた当時の政治状況にあって、「六四」当時からマークしていた学生に話をさせようという方がおかしいと思うのだが。

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 ほどなく編集部から来電。全文をそのまま出すという、何とも呆気ない結末。私がもう『××』では書かないと言い出すかと思ったのだろうか。先刻とは打って変わって、

「実は前に『反23条』の広告を載せようかと考えたこともあるんだ」

 などと言っている。さらに、

「今回この文章を出すという行動を以て支持を示すのだ」

 とも。一体何の支持表明かは知らぬが、私を政治に巻き込まないでもらいたい(笑)。だいたいそんな内容の文章ではない。

 まずは一件落着となったのだが、何だか胸くそ悪くて休む気がしない。もちろん編集部に対してではなく、へんぺんたる××誌の編集部にも気を使わせるいまの香港の空気を思ってのことだ。

 そんな訳で、写真を添付しておく。老戦友(フォトグラファー)が閉鎖直前の啓徳機場を撮影したシリーズの中で、私が最も気に入っている一枚。どうやら香港は、すっかり変わってしまったらしい。




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 妙といえば妙なのです。異例といってもいいでしょう。

 例によって勘繰ってしまうといかにも意味ありげに思えてくるのですが、他に材料がないので事実のみを以下に書きとめておきます。

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 麻生外相が8月にも訪中か、という報道がちょっと前に日本で流れましたね。共同通信の配信記事です。

 ●麻生外相、8月訪中で調整  中国、来月にも正式招請(東京新聞 2006/06/25/17:46)
 http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2006062501002460.html

 さて中国側の反応はどうかな、と私は思いました。ニュース自体を報道せずにお澄ましして済ませるのか、それとも何らかの言及があるのか。……外交部報道官の定例記者会見は毎週火曜日と木曜日です。25日は日曜日でしたから火曜日である27日の定例会見に注目が集まるところです。

 で、その定例会見。予定通り行われ、記事になりました。報道官は姜喩という最近報道官の列に加わった女性です。

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 私は国営通信社・新華社の電子版である「新華網」で記事を拾いました。

 ●外交部報道官定例記者会見(新華網 2006/06/27/19:17)
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-06/27/content_4757077.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-06/27/content_4757077_1.htm

 目を通してみたのですが、麻生外相訪中の件はどこにも出てきません。何だいスルーかよ、と思いつつ今度は『人民日報』の電子版「人民網」に飛んでみました。するとトップページに日中外相の相互訪問云々、という見出しが並んでいるではないですか。

 ところが、です。その記事をクリックしたところ、リンク先は「人民網」による「外交部報道官定例記者会見」だったのです。

 ●外交部報道官定例記者会見(人民網 2006/06/27/19:08)
 http://world.people.com.cn/GB/8212/9491/57325/4537132.html

 さてこの記事、「新華網」による報道同様、「外交部ホームページ」がニュースソースになっているのですが、ただ1カ所異なっているのは、「新華網」版には出てこなかった日中外相の相互訪問の件について、「人民網」版ではちゃんと応答がなされている、ということです。

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 記者「ASEAN地域フォーラムが7月に行われるが、中国側からは誰が派遣されるのか?それから中印国境線画定協議の状況を教えてほしい」
(「新華網」版)

 ……と、「新華網」版にはこれだけの質問になっているのですが、「人民網」版ではここに日中外相の相互訪問に関する質問がはさまっているのです。

 記者「ASEAN地域フォーラムが7月に行われるが、中国側からは誰が派遣されるのか?
日中外相の間に会談がもたれる予定はあるのか?それから中印国境線画定協議の状況を教えてほしい」(「人民網」版)

 姜喩報道官はこの質問にはっきりと回答しています。もちろんこれも「新華網」版には出てきません。

 姜喩「中日両国外相が適当な時期に接触や相互訪問を行うことは両国関係の改善と発展にとって重要な意義があり、双方がこのために適当な雰囲気作りに努めるべきだ。具体的な情報は現時点ではまだない」
(「人民網」版)

 これは恐らく昨年秋以来、中国政府が公式に日中外相の相互訪問に言及した最初のケースかと思われます。日中関係にとってはきわめて重要な発言です。さらに「靖国神社」のような具体的な名称が登場せず、「責任は中国側には一切ない」というお決まりの文言も出てきません。

 逆に「双方が……努めるべきだ」となっており、これはかなり軟化した姿勢ということになるでしょう。大体「相互訪問」なんて記者が質問していないのに姜喩報道官は勝手に踏み込んで言及しているのです。むろん、そこまで踏み込んでいい、という指示があったからでしょうけど。

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 念のために中国政府のオフィシャルサイトである「中国政府網」に飛んでみたところ、日中外相云々が登場する「人民網」版と同じものでした。

 http://www.gov.cn/xwfb/2006-06/27/content_321189.htm

 ……以上、ただそれだけのことです。言うまでもないことですが、「新華網」版、「人民網」版そして「中国政府網」に掲載されている記事はいずれも中国国内からアクセス可能です。

 日中外相相互訪問の部分を落としたのは「新華網」側の単純なミスかも知れません。であるとすればいまこれを書いている時点では修正がなされていないので、「新華網」側が自らのエラーに気付いていない、ということになります。

 しかし、「新華網」でカットされている?部分は記者の質問だけでなく、姜喩報道官の回答も前後はそのままに、日中外相云々のところだけをきれいに削ぎ落としているのです。エラーだとすれば随分器用なエラーですね(笑)。

 飛ばした内容が内容だけに何やら意味ありげに思えてしまうのですが、冒頭で書いた通り、勘繰るに足る材料が他にありません。

 こういうことがありました、とっても珍しいですね。……とだけ書きとめておきます。


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 今年はまた早かったですねえ。

 中央軍事委員会、つまり軍部の大元締めが6月24日付で将官10名を上将(大将)に昇進させました。中央軍事委主席は他ならぬ胡錦涛・総書記ですから、昇進式典には例ののっぺりとした軍服姿で出席し、中央軍事委のメンバーや新大将らと記念写真に収まっていました。

 ●「新華網」(2006/06/24)
 http://news.xinhuanet.com/newscenter/2006-06/24/content_4743480.htm

 昨夜の「新華網」(国営通信社の電子版)のトップニュースがこの話題でしたから、大々的に喧伝されたイベントということになるでしょう。大型人事や世代交代の行われる党大会を来年に控え、人事の主導権争いが表でも裏でも行われている時期です。胡錦涛側による一種の政治的示威活動と捉えてもいいでしょう。

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 制服組を昇進させたり、階級は元のままなれどより格上のポストに異動させる。……という形で軍部を手なずけようとする手法は、先代の江沢民以来、際立って行われるようになりました。もはや「型」といってもいいでしょう。

 江沢民にせよ現在の胡錦涛にせよ軍籍にはありませんし、実戦経験者でもない。ところが中共というのは「銃口から政権が生まれる」という言葉があるように、表向きのポストはどうあれ、実質的に人民解放軍を手元に引き付けている者が最高実力者なのです。

 ちなみに人民解放軍というのは中国共産党の私兵であって厳密には中華人民共和国軍ではありません。

「軍隊の非党化や国軍化といった動きには断固反対しなければならない」
「軍は常に党の絶対的な指揮のもと……」

 といった言葉が軍機関紙の『解放軍報』にしばしば登場するほど、あからさまに「党の軍隊」なのです。

 それはともかく、最高実力者になるためには軍部を掌握しなければなりません。鶴の一声で軍部を動かす、という芸域に至るのは無理としても、「鉄砲の打ち方も知らない奴に指揮されたくはないものだな」と軽侮されたり、指示や通達を無視されたりするようでは政権基盤が不安定のままで、最高実力者として振る舞うこともできません。

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 そこで階級を昇進させたり栄転させたりして軍部に恩を売り、あるいは機嫌をとることになります。制服組が一応言うことを聞くようになるまで、形式的な最高指導者はそうした「お中元」攻勢を続けることになります。

 「お中元」としたのは、階級やポストの大盤振る舞いはたいてい人民解放軍の誕生日とされる8月1日の建軍節を控えた時期に行われるからです。昨年もやっています。胡錦涛によって少将や中将が量産された筈です。公安(警察)と軍に両属する準軍事組織、「警官の制服を着た軍隊」といっていい武装警察もこの恩恵に浴することになります。

 ●「中共人」たちの熱い夏、始まる。(2005/07/21)

 今年はなぜ1カ月ばかり早くから「お中元」攻勢をかけるのかはわかりません。わかりませんけど、この「一挙10名が大将に」という一手によって、党大会をにらんだ主導権争いで「擁胡同盟」(胡錦涛擁護同盟)が対抗勢力である「反胡連合」(反胡錦涛諸派連合)に先んじつつあるのを感じます。

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 私見をいうなら、元々軍主流派が胡錦涛を礼讃することでそれを擁護し、その見返りに政治的発言権を胡錦涛からもらうといった関係にあった両者が、これによっていよいよ紐帯を碓固たるものにした、という印象です。

 実際に軍主流派との取引がまだ行われていなかった1年前(上記エントリー)に比べれば、胡錦涛の足元は随分固まってきたように思います。

 ただ、胡錦涛が最高実力者の座に登り詰めたのかといえば、そればまだ果たせていないとみるべきでしょう。江沢民はその全盛期に、

「江沢民総書記を核心とする指導集団」

 と呼称されていましたが、胡錦涛はいまなお、

「胡錦涛同志を総書記とする指導集団」

 と扱われています。
「核心」の域には達していない、江沢民の全盛期ほどの指導力はまだない、ということです。

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 今回上将に昇進した顔ぶれにはなかなか興味深いものがあります。

 劉永治(総政治部副主任)
 孫忠同(総政治部副主任兼中央軍委紀律検査委員会書記)
 遲萬春(総裝備部政治委員)
 トウ昌友(空軍政治委員)
 彭小楓(第二砲兵政治委員)
 裴懷亮(国防大學校長)
 符廷貴(北京軍区政治委員)
 喩林祥(蘭州軍区政治委員)
 朱文泉(南京軍区司令員)
 王建民(成都軍区司令員)

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 まず目立つのは、「総政治部」や「政治委員」が多いということです。政治将校あがり、というのは文官という訳ではないにせよ、主に政治学習の場で腕を振るい、党中央の意思を徹底させることを本務とするポスト。戦場では専ら督戦役であり、ドンパチやチャンバラを担当する本来的な意味の軍人ではありません。

 軍部における政治思想の統一・引き締めにかかった、というところでしょうか。胡錦涛が提唱する「科学的発展観」に対する『解放軍報』の礼讃報道は昨年末から行われていますが、それに加えてやはり胡錦涛オリジナルの「社会主義栄辱観」「調和社会」を軸とした指導理論の理屈づけがいま行われているところです。

「マルクス主義を特殊な国情を持つ中国において現実に照らして実践したもの。それを体現しているのが科学的発展観であり社会主義栄辱観であり調和社会だ」

 という具合にまとめ上げることで左派を黙らせ(黙らせなくても左派に政治的実力なんかありませんけど)、やがてそれが「胡錦涛思想」と呼ばれることになるのでしょうが、軍部でもそのための足場固めが始まったのかも知れません。「胡錦涛思想」シフト(仮称)、といったところでしょうか。

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 このニュースを報じた香港各紙はそこまで踏み込んで解説していませんが(私が出鱈目なのですw)、『明報』が総政治部副主任であると同時に中央軍委紀律検査委員会書記を兼任する孫忠同が昇進したことに注目しているのは「やるねえ」(木村和司調)という感じです。

 ちょっと前に汚職で斬られた海軍の高官がいましたが、「中央軍委紀律検査委員会」からの抜擢は軍部に対する風紀粛正の強化を狙ったものではないか、と同紙は指摘しています。

 いままで、軍の汚職摘発などは党中央政治局常務委員で党中央紀律検査委員会書記を兼任する呉官正が主にその任に当たっていたのですが、孫忠同の昇進によってこの方面での動きが強化されることになるのでしょう。だから何?……って汚職を暴き立てて政敵を潰すのは権力闘争の常道ではありませんか。

 『明報』はまた、陸軍である第二砲兵(ミサイル部隊)の彭小楓・政治委員や空軍のトウ昌友・政治委員が昇進したのに対し、海軍の政治委員(胡彦林)が抜擢されなかったことに留意し、昇進が有力視されていてた対空母戦術の権威で副総参謀長を勤める許其亮(空軍)と呉勝利(海軍)がいずれも選に洩れたことを意外としています。『蘋果日報』も同様の観察を行っています。

 なお前述した第二砲兵政治委員の彭小楓は江沢民派と目されていたそうですが、「新華網」や『解放軍報』で最近、胡錦涛と第二砲兵が互いに相手を礼讃していることからみて、彭小楓そのものを重視すべき必要はないと私は思います。むしろ第二砲兵からの抜擢は科学技術を重んじる胡錦涛路線を反映した人事ではないかと。

 ……あ、それから朱文泉・南京軍区司令員の昇進は、台湾有事に対応する役割を振られている南京軍区の重視=台湾問題への注目度アップを示すものだと『明報』はみています。このあたりはさすがです。

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 ●『明報』(2006/06/25)
 http://hk.news.yahoo.com/060624/12/1p56e.html

 ●『蘋果日報』(2006/06/25)
 http://appledaily.atnext.com/

 ●『東方日報』(2006/06/25)
 http://orientaldaily.orisun.com/new/new_c01cnt.html
 http://orientaldaily.orisun.com/new/new_c52cnt.html

 ●『香港文匯報』(2006/06/25)
 http://www.wenweipo.com/news.phtml?news_id=CH0606250012&cat=002CH

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 で、香港各紙はこの人事について
「胡錦涛の軍部掌握が進んでいることを示すもの」と異口同音に結論づけているのですが、そうやって紋切型で片付けてしまっていいものかどうか、私は迷っています。胡錦涛と軍主流派の絆が強化されたのは確かでしょうが、それを単純に胡錦涛の指導力向上とみていいのか、どうか。

 なるほど「改革」に関する論争においては、……具体的には格差上等の先富論を掲げた「反胡連合」の「従来型」改革に対し、「擁胡同盟」は格差是正、規模の拡大より効率向上重視、GDP信仰放棄を謳った「科学的発展観・調和社会」型改革路線という正論を以て勝利したようです。

 ただ一方で対日外交面でのブレや先の尖閣問題についての不徹底な対応ぶりをみると、胡錦涛の指導力が高まった、と断定しにくいように思います。経済面だけをみれば、中央の統制強化策に関わらず各地方政府は勝手に突っ走ることをやめずにいます。中央=胡錦涛政権であり、各地の「諸侯」はそれをないがしろにしている、という図式です。

 その挙げ句が第一四半期のGDP成長率が10.2%増という過熱状態。日本でいえば日銀総裁に当たる中国人民銀行の周小川・行長は先ごろ、第二四半期のGDP成長率も10%台に乗るだろうとの見方を示しています。まあ、中央による様々な対応策は第三四半期あたりから奏効する見込みだ、といわれてはいますけど。

 ●『明報』(2006/06/25)
 http://hk.news.yahoo.com/060624/12/1p5iy.html

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 そうした印象の断片をかき集めていうなら、今回の人事は胡錦涛の軍部に対する指導力強化を示すものではなく、胡錦涛を担ぐ形で軍部が台頭しつつあるという実情の反映なのではないかと。……天の邪鬼ですか、そうですか。ただ胡錦涛が未だに「核心」と呼んでもらえないでいることは確かです。

 ともあれ、胡錦涛から軍部への「お中元」は上将量産だけではなく、将官・佐官クラスに対しても7月末までに派手なバラマキがある筈ですから、留意していきたいと思います。


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 以下は「御家人の中文書館」で使おうと考えていたのですが、話が長くなりそうなので勝手ながら久しぶりにこちらで「楊子削り」をさせて頂きます。

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 唐突な話ですが、外国語の発音というものは最初の1年でほぼ固まってしまうそうです。そのあと癖を治そうとしてももう後の祭りだとか。……逆にいうと、最初の1年に全力を挙げて発音練習に取り組めば、その後
「よほど不憫な環境」に身を置くことがない限り、悪くない形で発音が固まってくれることになります。

 私は大学で中国語を習いました。幸い1年目は自分なりに努力したのがよかったのか、1年間の最後の授業のあと教官が私を呼んで、

「あなたは発音がいいから2年生になってからも手を抜いたらいけませんよ」

 と激励してくれました。そのころは中国語を学ぶのが楽しくて仕方ない時期で、発音も舌先が荒れて少し出血するくらいまでは根を詰めましたから、褒められて素直に嬉しかったです。

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 2年生のとき、学部は異なるのですが親しい先輩の中に中国の民主化運動を支援している人がいまして、ある日、

「ちょっと手伝ってくれないか」

 と自宅に呼ばれました。そこには民主化活動家の中国人も来ていて、日本語が下手なので中国語で雑談しました。中共保守派の政治家が近く来日するのに際して、中国大使館前に街宣車をズラリと並べるのだそうです。むろん並べるだけでなく、反中共のシュプレヒコールをスピーカーからエンドレスでがなり立てることになります。

 ほーそれはすごい。でも近所の人は迷惑だろうなー。……と思っていたら、何と先輩が、

「そのシュプレヒコールなんだが、君の中国語で録音してほしい」

 と言い出したのです。はぁ?と思ったのですが手伝ってほしいという用件がそれなのでした。活動家の声だと大使館側に特定されかねないので、日本人で民主化運動とは接点のない私に白羽の矢を立てたというものです。先刻の中国語による雑談が「面接試験」だったようで、中国人活動家からも、

「アナタ、ダイジョブ」

 と合格判定を出されてしまいました。

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 この活動家いわく、鼻音の抜け方が天津人ぽくて、悪くても巻舌音の出る華僑の発音には聞こえる、のだそうです。ただ「鼻音の抜け方が天津人ぽい」というのはnとngの区別が曖昧な発音ということで、決して褒め言葉ではありません(笑)。

 ははあ……と講評を聞いているうちに録音の準備ができあがり、原稿(シュプレヒコール)を渡されてしまいました。そうなると仕方ありません。スラスラ読めるまで練習して、リハーサルを経て録音です。内容はいまでも諳んじることができます。

「強烈抗議中国保守派頭目××来日活動破壊中日友好関係!」

 録音で難儀したのは語調と語気でした。街宣車から流れるシュプレヒコールにしては温和すぎるから、もっと怒気と勢いを込めてやってくれ、と。……なるほど理屈はその通りでしょうが、これがなかなか難しく、何度もNGを重ねてようやくOKとなりました。

 当日は録音された私の声が中国大使館前で延々と流されたとのこと。20年ばかり前の話です。××もとっくに鬼籍に入ってしまいました。

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 中国語にはその後も精進を続けていたのですが、卒業後、ふとしたことから
「よほど不憫な環境」に7年間も身を置くことになってしまいました。ええ、北京語使いには鬼門筋、悪夢の香港生活です。

 現在は知りませんけど、1990年代の香港では北京語の使える香港人は少数派でした。仕方がないから広東語を見よう見まねで何とか話すようになったのですが、気付いたらそのために北京語の発音がすっかり崩れてしまっていました。

 崩れてからの話ですが、台湾に出張したとき、ホテルにチェックインするのに北京語を使ったら、

「香港の方ですね?」

 と言われて愕然としました。タクシーに乗っても
「お前は香港人だな」と決めつける運転手がいました。正確にいうと、この出来事で私は自分の北京語の発音がすっかり崩れてしまっていることに気付きました。orz

 少なくとも学生時代、「お前の北京語は香港人に似ている」というのは北京語学習者にとって最大の侮辱であり恥辱でした。また、学生時代の努力が水泡に帰してしまった、というのは何か大切な物を失ったような悲しみがありました。

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 日本に帰国してから、何とかならないものかと発音矯正に取り組み始めました。そこで下の音楽CDとなる訳です。発音の理屈はわかっているので、それを改めて身体に叩き込もうと。

 野球選手のやるフォーム改造のようなものです。文章を音読するのもひとつの手ですが、CDに合わせて口ずさみつつ自分の発音をチェックする方が気楽ですし、別のことをしながら行うこともできます。

 Su Rui(蘇●=草かんむりに「内」)は台湾の歌手。ただ今も音楽活動を続けているのかどうかわかりません。私が留学していた当時、上海ではこのアルバムが人気を集めていて、特に1曲目の「跟着感覚走」が大ヒット。

 私の留学生活の前半は民主化運動のデモに明け暮れる毎日でしたが、学生たちがシュプレヒコールや「国際歌」(インターナショナル)に飽きると、この「跟着感覚走」の合唱が自然に沸き起こったものです。

 外灘(バンド)の市政府庁舎前で座り込んでいるときもそうでしたし、人民広場をデモ隊で埋め尽したときもそうでした。また、当時上海のトップ(上海市党委員会書記)だった江沢民の自宅前に押しかけて、

「江沢民,出来!」
(出て来い江沢民)

 と怒鳴るのに疲れると、やはりこの「跟着感覚走」の合唱となりました。

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 ……私には発音矯正ギプスという意味合い以外に上のような思い入れもあるので、ついこのCDを使ってしまいます。個人的には最後の曲「聖誕礼物」が発音矯正には最適かと。

 この歌は一種の韻を踏んだ巧みな歌詞になっていて、「-n」と「-ng」の使い分けや巻舌音の有無、また巻舌したときの音の出具合をチェックするのに向いています。あと例えば「dong」の発音が「du + eng」でちゃんと出せているか「jing」は「ji + eng」になっているか、などといったことも点検できるので重宝しています。

 まあ、徒労に終わる試みかも知れませんけど、北京語を使って「香港人だな」と言われる恥辱は何としても雪ぎたいので(笑)。


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 標題の通りです。前回のコメント欄にて「とりいそぎ」さんが速報して下さったニュースを起点にネット上をひと回りしてきました。巡回してみたら事態が意外な展開になりそうな気配になっていたので驚きました。これじゃ胡錦涛も断固封殺に踏み切るわな、といった印象です。

 まずはその起点となるニュースから。時事通信電です。

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 ●「釣魚島の日」投票中止を指示=反日機運封じ込め-中国当局(時事通信 2006/06/20/11:00)
 http://www.jiji.com/cgi-bin/content.cgi?content=060620110010X414&genre=int

 【北京20日時事】尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権を主張する中国の民間団体「中国民間保釣連合会」が「釣魚島の日」制定に向けて進めていたインターネット投票が、当局によって中止を命じられたことが20日分かった。同連合会関係者が明らかにした。

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 ほほう、と思って「中国民間保釣連合会」のサイトに飛んでみました。くどいかも知れませんが改めて説明しておきますと、「保釣」というのは尖閣諸島(中国名は「釣魚台」)の領有権を主張しその防衛に力を尽す、という運動です。「保衛釣魚台」(尖閣諸島を守れ)の略語になります。

 で、「中国民間保釣連合会」は会長である反日活動家の代表格・童増を筆頭に「保釣」のみならず様々な「反日」を試みており、ネット上においては反日サイトの総本山のひとつといえます。

 そのサイトの投票が行われていた掲示板に飛んでみたところ、該当スレッドはすでに削除されていました。なるほど報道の通りです。このため別のスレッドを漁っていたところ、ありましたありました。

 http://www.cfdd.org.cn/bbs/dispbbs.asp?boardID=90&ID=40046&star=3&page=1

「『釣魚島の日』制定を民間から働きかけるっていうネット投票スレはどこにいっちゃったの?」

 という書き込みに管理者サイドの人間らしきレスで、

「上級部門から通達があって暫時中断することになった。いつ再開するかは追って通知するから」

 と、これまた時事通信電の通り明白かつ事務的な、それだけに無念さがにじみ出るような回答が示されています(2006/06/20/13:40)。要するに上から圧力がかかって潰された、ということですね。

 ――――

 この「『釣魚島の日』制定を民間から働きかけるためのネット投票」は「『中国民間釣魚島日』制定準備委員会」、……まあ「中国民間保釣連合会」が中心になっているのでしょうが、5月12日付でその制定準備委員会から趣意書というか檄文のようなものが発表されました。「保釣」絡みで因縁のある日付を4つ選択肢として並べ、ネット上での投票活動によって記念日を選出しようという企画です。

 ●中華抗日同盟(2006/06/03/22:49)
 http://www.cnni.com.cn/bbs/dispbbs.asp?boardID=96&ID=55038&page=1

 ●反日貨論壇(2006/06/18/13:57)
 http://www.cnni.com.cn/bbs/dispbbs.asp?boardID=96&ID=55038&page=1

 このイベントはもちろん大手反日サイトに転載され、「中国民間保釣連合会」をはじめ各サイトでそれなりに盛り上がっていました。ところが「上級部門からの通達で中断」、事実上の活動潰しです。

「(ネット投票は)どうやら潰されたみたいだな」

 という発言が掲示板に出たりもしました。上述した「中国民間保釣連合会」の「上級部門から通達があって暫時中断することになった」発言よりも早いところをみると、同サイトから投票スレッドが削除されたことに気付いて事態を察したのでしょう。

 ●中華抗日同盟(2006/06/20/12:37)
 http://www.cnni.com.cn/bbs/dispbbs.asp?boardID=96&ID=55038&page=1

 こうした「中国民間保釣連合会」以外の反日サイトにおけるネット投票活動も早晩潰されることになるでしょう。

 ――――

 私は以前のエントリーにおいて現在の日中関係などに照らして今こで尖閣問題が提起されることに唐突さを感じ、あるいはこれも政争なのかと勘繰ったりしました。

 ●どうしていま尖閣?(2006/06/13)
 ●尖閣問題に続報なし(2006/06/16)

 そのときに、

「現実に則した対応としては、空気を読めない香港の「保釣行動委員会」に裏から圧力をかけて船出企画を断念させるのが妥当なところでしょう。」

 と書きましたが、まず中国本土でそれが行われた、ということになるでしょう。あとは尖閣に船を出すと宣言した香港の「保釣行動委員会」に対して中共の在香港出先機関を含めて四方八方から圧力がかかることになるのかも知れません。

 この香港の「保釣行動委員会」は以前書いた通り資金難がボトルネックになっているらしく、ホームページに飛んでみるとトップには我らが海上保安庁に「公開処刑」されつつあるボロ漁船の写真を背景に、いきなりカンパ受付口座が大書されています。香港人はこういう即物的というか、取り澄ましたり取り繕ったりせず、あからさまにのっけから「カネをくれ」というところがナイスです(笑)。

 ●保釣行動委員会
 http://www.diaoyuislands.org/

 ――――

 ところで今回の尖閣問題、中国本土でのネット活動は封殺されたものの、香港の組織が「活動無期延期」をまだ発表していないので終息した訳ではありません。

 中共系通信社・中国通信社から以前配信された記事も大手ポータル「新浪網」などに削除されないまま残っています。

 「中国民間保釣連合会」にしてもネット投票は潰されたものの、昨春の反日騒動のときのようにサイト封鎖まではされていません。

 ……とすれば、やはり政治的保護者の影を感じざるを得ません。恐らく潰した側が「擁胡同盟」(胡錦涛擁護同盟)、「保釣」側が「反胡連合」(反胡錦涛諸派連合)ということになるのでしょうが、ネット投票を潰したことで「擁胡同盟」は一応優勢を得たものの、現時点までの情報では香港の「保釣行動委員会」まで手が及んではいませんから、決定的勝利を得たとはいえません。「反胡連合」も粘っている、というところでしょうか。

 何でも政争に結び付けるな、と叱られそうですが、一党独裁体制の中共にあって、民間組織が自発的な政治的活動を自由に行える訳がありません。必ず後ろ盾となる政治勢力が存在し、「民間組織」の勢いもそのバックボーンの栄枯盛衰によって消長するものです。

 今回の尖閣問題に関しても勘繰るに足る注目していい動きがあります。この「ネット投票」活動に並行する形で、街頭署名活動も行われているのです。以下は反日サイトの掲示板でたまたま見つけたものですが、いずれも写真が付されており、現場はいずれもそこそこ盛り上がった様子であることがわかります。

 ●湖南省・岳陽市(2006/06/08)
 http://www.cfdd.org.cn/bbs/dispbbs.asp?boardID=91&ID=39705&page=1

 ●河北省・石家荘市(2006/06/17)
 http://www.300000.org/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=77556&page=1

 ――――

 ここで想起すべきなのが、言うまでもなく昨春の反日騒動です。当初は「日本の国連安保理常任理事国入り反対」を趣旨とするネット署名活動だったのが、それら反日分子たちが「反胡連合」という政治的保護者のもと(たぶん)、街頭に出て署名集めを始めました。

 すると始めた途端、ネット上では威勢がいい連中ながら現実社会の現場を仕切る能力が致命的に欠如していたため、まず成都や深センでプチ暴動めいた騒動を呼び、最後には北京や上海、それに広州や深センで行われたデモ行進がプチ暴動に発展しました。

 今回のネット投票も、すでに一部で街頭活動に発展しているのです。それを知った私の驚きは、恐らく「擁胡同盟」の間でも共有されたことでしょう。

 微妙な駆け引きや肚の探り合いが続いている現在の日中関係に照らせば、中共側は絶対に自らのエラーで日本に得点させてはならない状況にあります。

 ところが、もしこの活動がさらに広がれば、例えば現役閣僚では他者の追随を許さぬ媚中派の2Fが胡錦涛や温家宝、さらに奴が最も尊敬しているといわれる江沢民の靴をどれほど念入りに舐めてみせたとしても、日本国民の多くは「また反日かよ。やれやれ」という反応を示し、観光客や対中投資にも響くでしょう。

 いや、外患よりもまず内憂でしょう。下手をしたら都市暴動の引き金にもなりかねないのです。「反胡連合」がそこまで想像しているかどうかはわかりませんけど。

 ……ともあれ今回は続報ではあるものの、後ろにもう一幕か二幕は控えていそうな気配です。紋切型ながら、やはり「続報待ちです」ということにしておきましょう。



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 久しぶりに暴動ネタいきます。参加者約5000名という近来稀にみる規模、しかも舞台は河南省・鄭州大学を舞台にした血沸き肉躍る学生大騒乱です。

 現場をより正確にいうと鄭州大学所属の升達経貿管理学院。発端はよくある話なのですが、同学院の学生も鄭州大学の卒業証書をもらえるという話だったのに、それが不可能になった、というより不可能であることを学校側がひた隠していたのが発覚し、学生側がブチ切れた模様です。

 統廃合などの際に似たようなトラブルに至ることがしばしばあるのですが、同学院のような大学に付属するような学校は正規の大学(一類)とみなされず、ワンランクダウンの「二類」とされて本科卒業生とは扱わない、という通達が国家教育部つまり中央から2003年に出ていたのに、同学院はこれを隠し続け、新入生募集に際しても、

「鄭州大学卒業生(一類=正規の本科卒業生)として扱われる」

 と学生募集資料に書いていました。ところがここに来て同学院卒業生は鄭州大学卒業生ではなく、「二類」の「なんちゃって学士」扱いの卒業証書になることが発覚。「騙された」と学生が激怒するのは無理もないでしょう。

 本科大学生のつもりで学んできたのに、という思いもありますし、大学生1年間の総支出額は農民の平均年収の3倍にも達するといわれます。「苦労して仕送りしてくれている親に申し訳ない」という気持ちにもなるでしょう。

 ――――

 香港紙『明報』と『太陽報』、そして反体制系タレ込みサイトとして名高い「博訊網」の報道によると、事件発生の引き金となったのは6月15日、学校側が卒業証書に関する隠匿があったのを発表し、升達経貿管理学院の卒業生は「二類」扱いになる、と明らかにしたこと。

 http://hk.news.yahoo.com/060618/12/1ovv9.html
 http://the-sun.orisun.com/channels/news/20060619/20060619022635_0000.html
 http://www.peacehall.com/news/gb/china/2006/06/200606160214.shtml

 騒ぎ(というか暴動)はその夜に起きました。6月15日午後11時ごろ、学生宿舎(中国の大学は基本的には全寮制)の学生たちが申し合わせたかのように一斉に騒ぎ始めたのです。恐らくどこか1棟の学生が騒いだのが全体に波及したのだと思いますが、宿舎の窓ガラスが次々に割られ、ビール瓶やポットが地上に投げ落とされてパリーンパリーンと断続的な音を響かせます。

 その絶え間ない破砕音にいよいよ怒りをかき立てられた学生たちは消火器やテレビから洗濯機まで投げ落とし、中には興奮して自分のデスクトップPCを窓から放り投げる者も出現。逆に絶望した女子大生が飛び下り自殺をしようとして慌てて周囲から止められる一幕もあったそうです。そうした中でさらに消火栓が破壊されて噴き上がる水柱。正に阿鼻叫喚の図ですね。

 ほどなく誰が用意していたのか旧正月に鳴らす爆竹があちらこちらでババババーンと弾け、火薬臭と爆煙が辺り一面に漂うなか、ついに学生たちは宿舎から飛び出し、一群の暴徒と化してキャンパス内の施設を次々に襲撃。駐車してあった乗用車はボコボコにされたうえリアウィンドウを割られるなどして大破し、自転車もひん曲げられ、売店なども破壊される有様。「飛び散るあーせと、煙の中に、あのころのー俺がーいたー」(古過ぎ)とか歌っていたらぶん殴られそうです。

 日付が変わった16日午前1時には学生たちが事務棟前に屯集する形となり、「鄭州大学の卒業証書を返せ!」と叫びつつ、校門が破壊され、学校創設者の像は燃やされ、事務棟と図書館もボロボロにされたようです。キャンパス内の窓ガラスというガラスはもう1枚残らず割られたとのこと。夜の校舎窓ガラース壊して回った……というオザーキの歌を地で行く展開です。しかも暴徒は5000名。

 ――――

 このあたりから情報が錯綜して状況が把握しにくくなるのですが、その後、学生たち数千名がいくつかの隊列に分かれてとうとうキャンパスを飛び出し、街をデモ行進した模様です。……といっても暴徒化していますから秩序も何もあったものではなく、行く先々で破壊行為が繰り返されました。学生の群れ同士が合流したりして騒ぎは大きくなる一方。

 その状況下で公衆電話や街灯はもちろん、銀行やスーパーマーケット、レストランまでが手ひどく破壊され、スーパーと電器店では略奪行為もあったようです。通報を受けて駆け付けた警官隊には多勢を恃んでお約束の投石攻撃でこれを撃退。学生たちの間からは湧くような歓声が上がったことでしょう。

 このあと今度は手強い武警(武装警察=準軍事組織)が出動してきたこと、それに学生らも騒ぎ疲れたのでしょう、午前3時ごろ、大声で叫びつつ三々五々に大学構内へと戻っていきました。

 とりあえず生々しい現場写真をどうぞ。

 http://www.peacehall.com/news/gb/china/2006/06/200606182307.shtml

 騒ぎはこれで収まったかと思いきや、17日から学生たちが事務棟前で座り込み、18日時点でも炎天下のなか座り込みが続けられているとのこと。続報に期待、というところでしょう。

 ――――

 この学生暴動で考えさせられた点がとりあえず2つあります。

 まずは学校側が学生募集や入学手続きに際して「二類」の卒業資格しかもらえないことを隠し、鄭州大学卒業生(一類)として扱われることを明記していたこと。要するに学生をペテンにかけた訳ですが、詐欺に及ばねばならない事情があるとすれば、それは一人っ子政策に伴う少子化でしょう。

 この十年ばかりの間に乱立した大学の間で学生争奪戦が激化しているということです。しかも「教育の産業化」という美名のもと国からの補助を大きく削られて独立採算制を強いられた学校側は、学生が定数通り集まらなければ経営の危機。それで事実を隠していたのですが、教育部の通達後に入学した学生が卒業シーズンを迎えたため、隠し通せなくなったということでしょう。

 もちろんこの問題は卒業生だけではなく1~3年生にも関わってきますから、全校生徒がブチ切れ、とうとう参加者約5000人という空前の学生暴動に発展した訳です。

 もう一点は、事件が深夜に発生したため地元当局は幸運だったということです。社会状況の悪化を常々指摘している当ブログですが、失業問題や貧富の格差拡大などに加え、なるほど都市暴動にはそういう火種もあるのかと目からウロコが落ちた次第。

 仮に今回、学生たちが勢いに乗じて街に繰り出したのが白昼だったとすれば、すでに暴徒化している学生たちに同調したり便乗したりする市民がわんさか湧いてきたことでしょう。そしてより大規模な破壊行為や略奪、ひいては焼き打ちなどが行われることになった筈です。そして大規模な官民衝突。

 もし暴徒の中に機をみるに敏な軍師がいるとすれば、暴れつつ「反日」の御旗を急ぎ掲げて暴徒たちにも唱和させ、暴動の性質をすり替えようと試みたかも知れません。昨春の反日騒動におけるプチ暴動は政治的に断罪されていませんから、暴徒たちにもお咎めはなし。私が軍師の立場にいれば必ずそうすると思います(笑)。

 ――――

 それにしても改めて思うことですが、都市暴動にはこういう火種もあったのか、と勉強させられた事件でした。上述したように「二類」卒業証書にまつわるトラブルはあちこちで起きていますから、また似たようなケースが現出するかも知れません。そのときは是非デーゲームでよろしく、とお願いしておきましょう(笑)。


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 最近、本業・副業そしてこの娯楽とは全く無関係な雑務に煩わされています。今後も煩わされそうな気配なので私の士気は低下気味です。それについては後日お伝えすることがあるかも知れませんが……鬱です。

 ……と先月後半のエントリーで書きましたが、要するに以下のことです。

 ――――

 まずは当家の隠居の話から始めなければなりません。家督を私に譲って悠々自適の老後、というには相応しくないほど、どうにかしてほしいほど元気です。数十年来のテニスに打ち込んだり、近くのジムで汗を流したり。……たぶん体力年齢は私などより若いでしょうし、腕相撲をして勝つ自身もありません。つまりは筋肉系、かと思えば定年までは某大手電機メーカーで半導体の技術営業をやっていたので侮れません。

 事の起こりは以前、当ブログがいくつかの雑誌に紹介されたことによります。親孝行のつもりでそれを送ってやったのがそもそもの誤りでした。アフィリエイト、というのでしょうか。家族にすでにその道に踏み込んでしまった不届き者がいまして、

「チナヲチぐらい人が集まっているのなら月15万は固いね」
(ページビュー1日平均1万前後)

 と、ふと口にしたのです。私は笑い飛ばしました。なるほど私もアマゾンのリンクなどを張っていますが、営利意欲が希薄なためか、毎月1万円はおろか、せいぜいタバコ銭程度にしかなりません。そんな甘いものではないのです。

 ところがその場に父と配偶者が居合わせていて、
「月15万は固い」という言葉にピクンと敏感に反応した模様です。ほどなく配偶者の書架に「1日5分で月15万稼げるアフィリエイト」のような本が何冊か出現し、私は嫌な予感に襲われました。

 果たせるかな、今度は隠居から
「秋葉原でパソコンを買うから付き合え。中古でもいい」との厳命です。それで半日を潰した後に、拙宅からほど近い人×町へと私を連れていきました。ここに隠居のテニス仲間で料理の大好きな人が、定年退職を機にオープンした居酒屋があるのです。

 私も香港や台湾から仕事仲間が来ると連れていったりしていたのですが、いつも色々サービスしてもらっていました。この日は隠居のおごりです。

 数日してふと気付くと、配偶者の書架からアフィリエイト関連の書籍が消えていました。聞くと
隠居に貸したとのこと。かくして私の嫌な予感は確信へと変わりました。

 ――――

 そして、このザマです。皆さんお気付きでしょうが、左サイドの「BOOKMARK」に先月から出現した
「義理ブクマ」の数々。無論いずれも営利目的のブログです。隠居や配偶者だけならまだしも、きっと隠居がEコマースだ何だと言いふらしたのでしょう。件の人×町の居酒屋の御主人をはじめ隠居のテニス仲間、ジム仲間などが我も我もと加わって、無償広告として当ブログが使われる破目になりました。

 義理もありますし隠居の顔も立ててやらないといけないので、ブックマークに加えたりトラックバックを打つことには渋々OKしたのですが、「初心者だからよくわからん」を隠れ蓑にして、アフィリエイト等の諸手続きから記事のupまでどうして私がやらなければいけないのか(怒)。

 向こうは「今回はこれね」と商材を指定してその説明文をメールしてくるだけ。そもそもそのセールストークも丸写しなのでリライトしなければならないことが多々あります。なぜ私がそんなことまで……。orz

 ……などと愚痴をこぼしても横着な面々ですから当ブログを読む習慣はないので無問題。で、各義理ブクマの成績はというと、いずれもそこそこ人は集まっているようですが売り上げはさっぱりです(笑)。ザクとは違うのだよザクとは。

 雑務に追い回される私としては隠居以下一同が早く飽きてくれればと願っています。でも当人たちは品定めなどで結構楽しんでいるようです。買い物などしなくて結構ですから、たまーにのぞいてやって頂ければ幸いです。
m(__)m



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 前回速報した話、……香港の活動家たち(保釣行動委員会)が尖閣諸島に船を出すという計画を発表し、それが中共系メディアによって中国国内にも報じられたという話題ですが、目下のところ続報はありません。

 この問題のミソは香港の活動家が船を出すことではなく、そのことが中国国内でも報道されたということです。

 この1年半ばかり、胡錦涛政権は「中国民間保釣連合会」に代表される国内の関連組織が尖閣上陸を目指して船出を計画するたびに警官や武警(武装警察=準軍事組織)を投入してそれを実力阻止してきました。むろん「実力阻止」が国内メディアで報じられたことはありません。

 それがここにきて香港の動きを伝えるというのは一転して「煽り」に変じたような印象を受けます。

 ――――

●どうしていま尖閣?(FromA)2006-06-14 10:00:42

 台湾島侵略より簡単だからと思います。尖閣も同様に領有権を主張していますし、一旦占領してしまえば、竹島のように、日本は手出し(攻撃)しないと踏んでいるのではないですか?
 要するに、米軍が後ろにいても動けるかどうか解らない腰抜け日本なら、ジャブ撃ってみても損は無いだろうと言うことでは?ないかと思います。
 伝聞ですが、日高義樹さんも最近の講演でそのようなことを言われているようです。

 ――――

●韓国との竹島問題(N)2006-06-14 12:38:20

 にタイミングを合わせてるんじゃないでしょうか。
 EEZでも竹島基点言い出しましたからね。
 日本に対し中国韓国と呼応して靖国やらいろいろ難癖付けてきてるようですし。

 ――――

●台湾政局が目的 (伴ちゃん)2006-06-14 20:49:25

 今頃の尖閣諸島は、胡錦涛が担当の台湾攻略が目的と思う。
 台湾野党の党首は強烈な反日家。その党首が、現台湾総統(親日家)を窮地に追い込む手段として尖閣諸島を利用する事への援護射撃。
 日本の対応を逆手にとり、台湾政局を北京の傀儡にする一貫と推理する。尖閣諸島だけなら、反日暴動まで発展することを押さえられるからだ。

 ――――

 といったコメントを頂いて私も興味深く読ませて頂いたのですが、北京五輪を前にしており、資本・技術・設備・市場を全て外国に委ねるという歪んだ経済発展モデル、さらに現在の日中関係を考えると、余りにリスクを伴うアクションになってしまうように思います。

 例えば、日米安保の範囲内に尖閣諸島が含まれる、つまり尖閣有事には米軍が動くということは米国側が明言しており、そのニュースは中国国内でも報じられました。

 それから、尖閣問題を騒ぎ立てているのは一貫して中共政権であり、日本側は尖閣諸島に領有権争いがあるという立場をとっていません。そして騒ぎつつも「領有権争いは棚上げして」というのがトウ小平以来の中共のスタンスです。

 日中関係についていえば、いま尖閣諸島に手を出してしまえば日本の対中世論が硬化することは想像に難くありません。むろんそれは中共が最も望まない人物が次期首相となり、その新政権のもとで、中共にとって最も手強い対中政策が採られることになるでしょう。

 靖国問題への口出しは内政干渉で済みますが、日本側及び日米安保の建前からいえば、中共が尖閣諸島に手を出すことは歴とした侵略行為です。日本国民のみならず、台湾の対中国民感情も硬化することになるでしょう。軍事力を用いたアクションは台湾人の「台湾こそわが故郷」という本土意識を高めることになっても、統一への気運を生み出すことはまずないかと思います。逆効果です。

 軍事力を用いずに、……つまり香港の「保釣行動委員会」が資金難を克服して船をチャーターした際、中国側から巡視船などによる護衛がつくことなく、単独で尖閣上陸を目指したとすれば、これはもう結果が見えています。旧日本海軍の水雷戦隊を彷佛とさせるわが海上保安庁の巡視船・巡視艇による神業ともいうべき操艦技術によって、恒例の「公開処刑」に遭うことになるでしょう。仮に上陸に成功すれば沖縄県警の出番です。

 ――――

 で、このネタについては数日間寝かせて様子をみていたのですが、私のみた限りでは続報が全くありません。続報がない、ということがニュースといえるかと思います。

 それから前回書いたように、胡錦涛系とみられる『中国青年報』や『解放軍報』はもちろん、新華社や『人民日報』、それに上海の『解放日報』すらこの記事をスルーしています。要するに主流派ともいうべき報道媒体には無視された形です。

 無視された、ということから今回のイベントが胡錦涛の意思に沿ったものでないことを想像できるのではないかと私は考えているのですが、だとすれば具体的にどういう政治勢力が仕掛けたものかは興味深いところです。「保釣行動委員会」の記者会見をいち早く、しかも最も詳細に報じた「中国民間保釣連合会」の関連スレ(前回参照)は未だに削除されていません。

 胡錦涛は支配下にあるメディアに報道させないようにすることはできたけれども、「中国民間保釣連合会」の関連スレには手を出せない(削除できない)。また中共系通信社・中国新聞社から配信されて国内メディアに掲載された関連ニュースを削除させることもできない、という力関係に基づいた事情が浮き彫りにされたかのようです。

 ――――

 もっとも、もし今回の報道が「反胡連合」(反胡錦涛諸派連合)が「擁胡同盟」(胡錦涛擁護同盟)に対して仕掛けた一撃だとすれば、目下のところ「燃料」としては低質で、不完全燃焼にすら至っていないというほかありません。ただ、あるいは別方面からの第二幕があるかも知れません。とは、

 ●中国国内で尖閣問題の総本山は「中国民間保釣連合会」。むろん香港の「保釣行動委員会」との連携がある。
 ●「中国民間保釣連合会」の会長は反日活動家の代表格・童増。
 ●その童増は「中国民間対日賠償請求連合会」の会長を兼任。
 ●「中国民間対日賠償請求連合会」の目標は民間による対日戦時賠償請求訴訟を中国国内でやること。

 ……という「童増つながり」です。

 ――――

 ●中国人の強制連行訴訟、2審も原告側が敗訴(読売新聞 2006/06/16/19:24)
 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060616i112.htm

 第2次大戦中に強制連行されて、日本の鉱山などで強制労働させられたとして、中国人41人(提訴後、17人が死亡)が、国やゼネコンなど10社を相手取り、1人当たり2000万円の賠償などを求めた訴訟の控訴審判決が16日、東京高裁であった。

 赤塚信雄裁判長は、不法行為から20年過ぎると賠償請求権が消滅する「除斥期間」を適用して請求を棄却した1審・東京地裁判決を支持し、原告側の控訴を棄却した。

 原告側は上告する方針。
(後略)

 ――――

 という折りも折りです。この「訴訟を中国国内で」という動きも続報が絶えてすっかり鳴りを潜めてしまった格好でしたが、ここにきて息を吹き返す可能性はあります。

 既報していますが、「中国民間対日賠償請求連合会」の「対日」は日本政府だけでなく、中国に進出している関連日本企業を血祭りに挙げんとの意図を含んでいます。この動きが再燃するかどうかはひとつのバロメーターとしてみてやってもいいのではないかと思います。



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 ちょっと妙な動きが出てきました。尖閣問題です。政争を反映したものなのかどうか、現時点では判断に迷うところなので本当はあと数日寝かせておくべきネタですが、まあとりあえず速報しておきましょう。

 尖閣諸島、中国語では「釣魚台」で、その領有権を主張し「釣魚台」防衛を呼号するのが「保釣」運動(保衛釣魚台運動)です。呼号するだけでなくボロ漁船をチャーターして尖閣諸島への上陸を試みては海上保安庁の巡視艇・巡視船に阻止される、といったことを繰り返していたのを御記憶の方も多いかと思います。

 その「保釣」を支持する連中の拠点が「愛国者同盟網」と並ぶ反日サイトの総本山、「中国民間保釣連合会」ですね。糞青(自称愛国者の反日教徒)が蛆のようにわんさか湧いている場所です。この組織の会長は少し前に、

「民間の対日戦時賠償訴訟を中国国内で立ち上げよう」

 と活発に動いていた童増です。珍獣(プロ化した糞青)の第一人者であり、代表的な反日活動家。……そういえばあの訴訟活動は続報がありませんが、一体どうなったのでしょう。

 あの活動は「反胡連合」(反胡錦涛諸派連合)が上海閥を中心として「擁胡同盟」(胡錦涛擁護同盟)に対し華やかな連続攻勢をかけていた時期に、そのひとつとして放たれた一撃だったと私はみていたのですが、「反胡連合」が最近凹みがちなので童増の活動も尻すぼみになってしまったのでしょうか。一応関連エントリーを挙げておきます。

 ●政争勃発か?対日戦時賠償請求、中国での訴訟実施へ。(2006/04/03)
 ●対日賠償請求問題――これはいよいよ香ばしい。(2006/04/04)

 ――――

 尖閣問題に話を戻しますと、いわゆる「保釣」分子というのは香港にも台湾にもいます。もちろん船を出したりもします。ただ顔ぶれから察するに騒ぎ屋中心で、「七・七」「九・一八」といった反日記念日に香港の日本総領事館前で抗議声明を読み上げたりする連中です。

 もちろん騒ぎ屋ですから、報道陣の前であることはお約束。だって連中にとっては一種の選挙運動ですから。船を出すのもそうした行動の一環で、マスコミ露出を狙ったより大仕掛けなパフォーマンスといったところでしょう。「反日」「保釣」だけでなく「天安門事件の名誉回復を!」なんて叫んだりもしています。

 で、今回は香港の関連組織「保釣行動委員会」が6月8日に記者会見を開き、10月までに「保釣2号」という船で尖閣諸島上陸を目指すと発表しました。「保釣」で散った烈士・陳某の10回忌記念だと香港紙は報じています。

 ●「保釣2号」10月にも釣魚島へ「邪魔する奴は中国人じゃない」(明報 2006/06/09)
 http://hk.news.yahoo.com/060608/12/1ol2n.html

 大陸(中国本土)の人間を「野蛮だ」「汚い」「教養に欠ける」などと見下している香港人が、こういうときだけは「中国人」になってしまうので不思議です(笑)。この烈士とされる陳某にしても、その死にっぷりがいかに無智で情けなかったかは下記のエントリーをどうぞ。まさに笑点を地で行く素晴らしさ。いや昇天でしたか(あっ山田君何するんだ私の座布団を……)。

 ●香港で経験した「保釣運動」の馬鹿さ加減(2004/08/04)

 それでも現在の香港がまだ健康的なのは、こうした活動が広範な市民から支持されている訳ではないことです。具体的には活動資金カンパには消極的ということ。今回の記者会見も、実は「保釣2号」をチャーターするのには資金不足のため、「中国人」という旗印を仰々しく持ち出して市民にカンパを呼びかけたものなのです。

 社会にある種の閉塞感が充満していれば、こういう馬鹿騒ぎがもてはやされて10年前のように火がつくこともあるでしょう。少なくとも現在の香港社会はそういう状態にない、ということです。

 ――――

 ともあれ「保釣」。香港でそういう動きがある、ということはいいのです。問題は「再び船を出す」というこのニュースが中共政権下でも流されたこと。まずは前述の童増率いる「中国民間保釣連合会」が6月8日、つまり記者会見が行われたその日のうちに掲示板で詳報しました。

 http://www.cfdd.org.cn/bbs/dispbbs.asp?boardid=90&star=1&replyid=67802&id=39714&skin=0&page=1

 このスレはいまなお健在です。都合の悪い内容だと当局に間髪入れずに削除されるのが常なのですが、今回はなぜか見逃されています。

 さらに昨日(6月12日)になって中共系通信社・中国新聞社が「米国の華字紙の報道によれば……」という形で記事に仕立て上げ、このニュースを中国国内メディアに配信したのです(2006/06/12/10:58)。

 http://www.chinanews.com.cn/news/2006/2006-06-12/8/742578.shtml

 当然のことながら大手ポータル「新浪網」はじめ多くのニュースサイトがこの記事を掲載しました。とうとうマスコミも動き出した次第です。

 ただ、国営通信社の電子版「新華網」や『人民日報』電子版の「人民網」、また胡錦涛・総書記の御用新聞である『中国青年報』やその電子版、さらに「擁胡同盟」の主力とみられる解放軍主流派が掌握している人民解放軍機関紙『解放軍報』も、その電子版ともどもこのニュースを報じていません。

 このあたりは上述した童増による訴訟活動や江沢民・前総書記が母校の上海交通大学を視察したときのメディアの反応に似ています。どうもキナ臭い、といったところです。

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 今回の一件、冒頭に書いた通り今回は速報扱いですし材料も多くないので大きく踏み込むことはできません。ただ単純に考えて「どうしていま尖閣?」という疑問が湧きます。日本側の報道(共同電)ではありますが、3月31日の時点で、

「日本の指導者がA級戦犯を祀っている靖国神社参拝をやめるなら首脳会談をする用意がある」

 と言っていた胡錦涛が、

「機が熟せば訪日する用意がある」

 とまで姿勢を軟化させてきています。しかも「機が熟せば」であって「靖国参拝」といった固有名詞は出てきません。

 http://hk.news.yahoo.com/060612/3/1oodr.html

 他方、日本による経済制裁ともいえる対中円借款(ODA)今年度分凍結が解除になる見込みといった歩み寄りムードが表面的には日中間に漂っています。さらに尖閣諸島についていえば、領有権争いを棚上げにして、と言い出したのは他ならぬ中国側なのです。

 それなのにどうしていま尖閣?ということです。「中国民間保釣連合会」の関連スレが削除されないのも、中国新聞社から関連記事が配信されたのも、政治勢力の後ろ盾あってのことでしょう。

 理論闘争で敗北した観のある「反胡連合」が攪乱策に出たのか?……とか、「反胡連合」のうち軍非主流派など電波系対外強硬派の画策か?……といった邪推ができるかも知れませんが、やはり裏付ける材料がないので現時点では文字通り邪推のままです。

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 この1年余り、「中国民間保釣連合会」は何度か尖閣諸島への船出を試みているのですが、その都度警察当局がメンバーを連行するなど実力で阻止し、「保釣」運動は封殺された状況が続いています。その理由は船出を許すことで日中関係がさらに複雑なものになることを避けようとした、というのがまずあるかと思います。

 さらに、毎回ボロ漁船が尖閣近海で海上保安庁に包囲されて「公開処刑」されています。中国代表(ボロ漁船)は護衛なしで見殺し、ということになりますから、その惨めさに国民感情が刺激されます。鉾先は政府だけでなく「海軍は何をしているんだ」という声が軍部にも寄せられます。これは兵員の士気に響くでしょう。

 国民にしても、同じことがまた起きれば自発的な反日活動が生起しないとも限りません。昨年10月の小泉首相による靖国神社参拝に際しても参加者十数名の「なんちゃってデモ」を一度やらせるだけにとどめ、「SAYURI」まで公開禁止にするほど神経質な胡錦涛政権です。社会状況が悪化しているなか、どう発展するかわからない自然発生的なムーブメントの出現は絶対に避けたいでしょう。

 そこで次に船を出すときは海軍はともかく、少なくとも巡視船の護衛付きで、ということになるでしょうが、そうなると日本側との接触で不測の事態になる恐れがある。胡錦涛政権としては、現時点ではそういうリスクを回避したい。だから「保釣」運動は実行する気配があれば即封殺、という姿勢を堅持してきたのだと思います。

 10年前の香港はまだ英国の植民地でしたから、中国は我関せずで済ますこともできました。でもいまは違います。現実に則した対応としては、空気を読めない香港の「保釣行動委員会」に裏から圧力をかけて船出企画を断念させるのが妥当なところでしょう。とはいえ中国国内でもニュースが流れたように「保釣行動委員会」にも政治的保護者がいる筈ですから、胡錦涛政権にそれができるかどうか、ということになります。

 「どうしていま尖閣?」という疑問は解けないままですし、何やらキナ臭い中国国内メディアの動きが今後どういう展開をみせるかにも注目ですが、ともあれ数日は転がしておいて続報待ち、ということになりそうです。



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 まるまる1週間更新できず申し訳ありませんでした。……いや、このブログはごく個人の娯楽として中国観察日記のつもりで書いています。当初も現在もそのことに変わりはないのですが、現実にたくさんの方が読んで下さっているので更新が滞ると気にもなりますし、申し訳ない気持ちにもなります。

 この1週間は俗世を離れて山籠り……なら格好いいのですが、実はぶっ倒れて入院を余儀なくされていました。仕事で某大手出版社を訪ねて打ち合わせをしていたら急に悪寒がしまして、ざわざわ、すーっという感じで気が遠くなりました。救急車で運ばれて気がついたら病院のベッドに寝かされていた、という次第。

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 以下は面白くもない話です。

 外地での激務や不摂生が祟ったのか隔世遺伝なのかはわかりませんが、中港台と10年ばかり流れ流れる生活を送ったあとに帰国して、ちょっと前に一応久しくやっていない健康診断というものを試してみたら、私の身体の中に宿痾というか病根というか、まあそういうものが住み着いてしまっていることがわかりました。

 ただ切りごろといいますか、ある程度機が熟してから手をつける性質のもののようで、

「しばらくは心配しなくていいですよ。でも様子をみる必要があるので月に1回通院して下さい」

 と言われてその通りにしていたのですが、今回の「ざわざわ、すーっ、昏倒」です。

「意外に早かったですねえ」

 と医者は冷静な顔で憎たらしいことを私の前で言い放ちましたが、落ち着いているところをみると、まだ大したことはなさそうです。

 とはいえ「大したこと」の段階に入ったらもう無理ぽ、かと思います。一昨年の秋に配偶者が入院して手術する破目になったのですが、そのとき医者から「5年後生存率××%」「10年後生存率××%」という表を見せられつつ説明を受けました。幸い配偶者の病気は命にかかわるものではなかったのですが、「生存率」という文字をみるとさすがにドキリとしました。

 私の場合は5年後はともかく「10年後生存率」がカナーリ低くて、15年後となると、さすがに「天命ですね」なんて言い方を医者はしませんでしたが、運次第みたいなもののようです。

 まあ娯楽でやっていることですからこのブログがいつまで飽きずに続くかはわかりませんが、仮に10年後も書き得る気持ちと体力があったとすれば、そのときは有志で集まって一献汲みましょう。

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 ……あ、現在は平素に復しているので心配御無用です。ただ仕事が忙しいとき以外にも、また「ざわざわ、すーっ、昏倒」とかで更新が滞ることもあるかも知れませんが、その点はどうか御了承下さい。

 それにしてもいまの病院はすごいですね。配偶者のところもそうでしたが、プリペイドカードでシャワーから売店での買い物から何から済む仕組みになっていて、ベッドごとに液晶テレビがついています。おかげで楽しみにしていたサッカーワールドカップも余すことなく観戦することができました。

 今日は日本の初戦ですね。いまからドキドキしています。

 ドキドキしつつ、いま「空白の1週間」の記事集めにかかっているところです。

 ●対中円借款(ODA)
 ●胡錦涛発言
 ●改革に対する『人民日報』署名論文
 ●尖閣諸島

 ……など気になる動きがあったのですが、いずれもタイムリーに書くことができなかったのは残念でした。仕事もたまってしまっていますが、何とか今週中に巻き返したいところです。



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 前回、昔話にもかかわらずたくさんのレスを頂き本当にありがとうございました。お蔭様で私にとっては色々考えるいい機会になりまして、きょうは地下鉄に乗っていても歩道を歩いていても、また仕事の打ち合わせをしているときも零戦を眺めつつ海軍カレーを食べているときも、常にそのことが念頭にありました。

 最初にニュースとして伝えておきますと、前回のコメント欄で「在香港」さん(改名了解しました。岐路に立った香港を現地で眺められるというまたとない恰好の時期に転居なされたと思います)がレポートして下さったように、6月4日の当日、いまや中国における「民主化の孤塁」(中共にとっては「反共の拠点」)ともいえる香港では恒例のキャンドル集会が開催され、4万4000人を集めました。

 今年で17周年。天安門事件(1989年)に対する風化や教育現場で事件が教科書にも掲載されず無視されていること(個人的信念で事件を教材とする先生はいるようですが)、また新聞の多くが中共寄りにスタンスを移しているという状況にあって、4万人以上という動員力はなかなかのものだと思います。

 たまたま大陸(中国本土)からの観光客がこのイベントに出くわして「感動した」と語った、と『蘋果日報』(2006/06/05)は報じています。別に6月4日でなくても、増加し続ける大陸からの観光客は香港で法輪功の活動に出くわしたり、『蘋果日報』を読んだりすることができます。

 『争鳴』『開放』『動向』といった中共批判や内幕記事が盛り沢山の政論誌を買っていく観光客も少なくないようです。それを目の当たりにして「我々でも何かできるんじゃないか」と私に変な企画を持ち込んでくる香港人もいてこちらが閉口するほどです。……そもそも私に一体何をしろと?

 ともあれ諸条件のなか4万人以上を集めたキャンドル集会は成功だったといっていいでしょう。以下は色物系姉妹サイト「楽しい中国ニュース」(2006/06/05)からの引用ですが、動員力を裏打ちするものと言えるのではないかと思います。

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 ●「天安門事件の名誉回復を」……香港の世論調査で支持率が過去最高に。
 http://appledaily.atnext.com/(『蘋果日報』2006/06/02)

 香港大学の世論調査機関がこのほど行ったアンケートによると、天安門事件(1989年)の再評価・名誉回復を「支持する」と答えた割合が53%に達し、1997年にこの調査を始めて以来最高の数字となった(「支持しない」は28.1%)。当時の学生たちの運動を「支持する」も56.2%(「支持しない」は21.5%)、また当時の中共による問題処理の手法(軍隊による武力鎮圧)を過ったやり方だとする比率も62%(「過っていない」は18%)。……中国返還の8年前に中共の本質を再認識させられた香港人は、そのときの衝撃をいまも忘れていないということか。でも事件から17年だから30代以下の世代は甚だ心許ないな。

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 要するに普通選挙を実施できる民度があるのにその権利を与えられていないという矛盾にここ数年で目覚めた香港人が、政治意識を高めるなかで、自分たちの社会の民主化とリンクする形で天安門事件を再認識しつつある、というところではないかと思うのです。

 課題は上述したようにジェネレーションギャップですね。私が上海で連日デモをしていたころ、配偶者(香港人)は中学生でクラスメートというか学校を挙げて支援デモに参加していたそうです。……ざっくりと言えば、30代から上でないと手ざわり・実感・記憶などによって「六四」を語ることができない、ということです。

 前回のコメント欄で皆さんが語って下さった「私の天安門事件」を私は非常に興味深く読ませて頂いたのですが、つまり皆さんそれなりのお歳を召されているということで(笑)。この世代間格差は当然ながら中共政権下にも存在しています。もちろん、反日風味満点の「愛国主義教育」という形でより磨き上げられています。

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 御家人さんのご友人たちは現在掲示板で見る騒ぐだけの連中と大いに違いますね。経済成長と反日教育のせいで家畜化してしまったのでしょうか。文化大革命を経験された先生も文献にでてくるような中国人ですが、どうしてこうも中国人全体は怪しくなったのでしょうか。

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 ……という「90」さんのコメントに私は考え込んでしまいました。昨春の反日騒動などと比較すれば確かにそういう感想が湧きます。「鏡に映りし者」さんが、
「劣化した」と喝破なさった通りです。確かに「中国人全体は怪しくなった」「劣化」していると私も感じます。

 ただ、それは本質的な変化なのかどうか。留意すべきことが少なくとも2点あると思うのです。第一に、中国人の根っこの部分、メンタリティとでも言えばいいのでしょうか。……そういう部分は基本的に変わっていないように私にはみえます。

 「根っこ」というのは当ブログでしばしば登場する「医学が扱う範疇」というアレです。「中華を自認するプライド」と「アヘン戦争以来のコンプレックス」、この2つが一人格(一民族)の中で同居しており、しかもどちらも病気といえるほど深刻な状態にある。……これは現在の中共や中国人を評したものですが、実は天安門事件当時の知識人や大学生も同じだったのではないかと私は思います。ただ、その病状の具体的表現として向けられた鉾先が日本ではなく、中共だったということが現在とは違うのです。

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「日本も中国も戦後ボロボロの状態からスタートした。いま日本はあんなに繁栄しているのに、中国は未だに発展途上国のままで、経済的にも大きな格差がある。なぜか。建国後30年ばかりを愚劣な政治運動で浪費してしまったからだ」

 という認識が当時は主流で(事実その通りだと思います)、私の好きな蘇曉康の『河殤』をはじめ80年代後半の様々な文章にこの見方が登場します。大学生はともかく、知識を吸収すべき時期を文革騒ぎで終わってしまった知識人には臍を噛む思いがあったことでしょう。大学生にしても「なぜ中国は後れているのか」と考えれば、制度、自由、民主といった政治の話に行き着かざるを得ません。

 こうした「時間を浪費してしまった」「後れてしまっている」といった認識が危機感につながり、民主化運動の火種のひとつとなったことは疑いようがありません。当時の大学生が求めたのは「打倒中共」ではありませんでした。そういう意見も一部にはあったでしょうが、全国各地で展開された運動をならしてみれば、あくまでも「体制内改革を要求する=民主化」が柱だったと私は思います。

 要するに、反日風味満点の「愛国主義教育」が行われていなかったため、「日本鬼子=反日」という意識は希薄だったけれども、日本を見下すような伝統的な「中華」心理、すなわち「小日本=侮日」は当時からあったのではないかと。ただ「病気」の鉾先が中共政権に向いていたため、また「後れている」という意識が自制心となって、それが目立たなかったということです。「日本はあんなに繁栄しているのに」という語気は、「日本」を「小日本」に置き換えても差し支えないと思うのです。

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 対するに現在の中国人は当時と同じ病状ではあっても、まず「愛国主義教育」を受けていること、それに歪んだ形ながらも実現した空中楼閣のような経済成長でつい軽躁かつ浮薄に増長してしまい、等身大の自分を把握することができなくなっているように見受けられます。

 「あんなに繁栄している」とみえた日本をいまや追い越す勢いじゃないかと考えて、「ザマーミロ小日本」という感情が強化されている。同時に中共史観と内政上の理由から政策的に「日本鬼子=反日」という意識もぐんと高められているのが現在の中国人ではないかと思います。夜郎自大といってもいいのですが、変に自身過剰になってしまっているのです。

 天安門事件当時の中国人学生と私たちは、まだ「民主・自由・人権」といった価値観を共有することができましたが、自身過剰に陥っている現在はどうでしょう。「民主・自由・人権」ということを持ち出せば、

「そうだ。結局はそれがないから中国はいまも後れている」

 というリアクションがあった当時とは違って、現在の大学生からは外交部報道官同様、

「いや、中国の特殊な国情をまず考えるべきだ」

 という反応が返ってくるかも知れません。

 それは、「中国は繁栄している」という認識が基礎になっての現状肯定です。その「繁栄」なるものが、実は国民の8割が犠牲になることと資本・設備・市場は全て外国頼みという危うさで辛うじて実現しているという歪んだ構造であることには目を向けず、その「繁栄」を自ら謳歌して消費市場の主役になっている。それが現在の大学生です。

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 第二点は「範囲」の拡大が「劣化」を感じさせているということです。全国から選ばれた一握りの学業優秀者で構成されていた当時の大学生と、大学進学率が大幅に高まって粗製濫造、「大卒者は普通の労働者」と教育部がわざわざ言うほどの現在の大学生を同列に論じるには無理があります。レベルが違い過ぎるのです。

 また、1989年の民主化運動が結局は知識人と大学生主導で終始して市民は応援団に過ぎなかったのに対し、例えば昨春の反日騒動は参加者の範囲が拡大して、レベルがガタ落ちしている大学生に加え一般市民までが主力の一翼を担って活動に参加しました。

 それゆえに秩序や自制心が欠如しがちになり、組織防衛といった観念も希薄になって、プチ暴動のような愚劣な事件を引き起こしてしまっています。身もフタもなく言ってしまうと「レベルの低い糞のような馬鹿どもまでが活動に加わったからああなった」ということです。

 いや、1989年にもよく似た事例が起きています。4月末に学生のデモに乗じて西安で破壊・略奪行為が発生していますし、成都ではこれも民主化運動の尻馬に乗った連中が市内最大のショッピングセンターを焼け野原に変えてしまいました。やはり「夾雑物」が混じると事態は暴走しかねない、ということでしょう。

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 ……何やら今回もとりとめのないことを書いてしまいました(反省)。標題の通り、中国人は変わったのかということを考えてみたのですが、基本的な部分は何も変わっていない、というのが私の結論です。

 ただ貧富の差や地域間格差の拡大や、農民暴動や都市暴動など様々な官民衝突が頻発する現状をみればわかるように、こうした環境で次に何事かが起きるとすれば、それは「通りすがり」さんが「紅天已死」というコメントの中で指摘されたように、「民主化要求」といったような形而上の問題が掲げられることはなく、運動の主体も大学生や知識人に限定されることはないでしょう。

 そうした本来「夾雑物」である層が主役を担うことに加えて「繁栄」幻想に基づく増長があることも手伝って、秩序や自制心が欠落したものとなり、一朝事あるとすれば、それが「運動」と呼ぶには相応しくない実質のムーブメントになるであろうことは想像に難くありません。不幸な結末になるでしょうが、まあそれは今年が文化大革命発動40周年であることに当局が真剣に向き合わないように、

「建国後30年ばかりを愚劣な政治運動で浪費してしまった」

 という事実(それと天安門事件)を正視しなかった自業自得の成れの果てということで。中国人はそれを甘受するほかないでしょう。



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 何年経っても、この時期になるとさざなみ立つような感情から逃れることができません。

 6月4日は天安門事件(六四)17周年です。

 いまこれを書いている6月3日夜、1989年はこの時点ですでに人民解放軍の市民・学生に対する無差別な実弾射撃が始まっていたかと思います。正規軍が、完全武装の歩兵が自動小銃を空に向けてではなく、自国民めがけて直接実弾を発射したのです。

 装甲車(歩兵戦闘車?)や戦車までが投入され、「先鋒として敵陣突入」という役目通りのことを行いました。あのキャタピラに轢かれて両足を失った学生もいれば、人間としての形を留めずに文字通りミンチにされてしまった人もいます。もちろん身元などわかろう筈がありません。

 歩兵による射撃にはダムダム弾が使用されたとも言われています。誰が書いたものか、色々読んだので忘れてしまいましたが、当時現場にいた大学生の手記の中に、

「畜生、奴ら『開花弾』を使いやがった」

 と罵るくだりが出てくるものがありました。また2003年、中共による北京での中国肺炎(SARS)流行隠匿を告発して有名になった蒋永彦医師、この人が天安門事件当時北京の病院に勤務しており、当直医として被害者治療にあたっています。その手記の中にも、本来なら人体を貫通ないしは盲貫(体内に留まる)するだけの筈の小銃弾が、着弾とともに体内で炸裂していたため手の施しようがなかった、という記述があります。

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 上で「自国民」とつい書いてしまいましたが、これは私たちの感覚にすぎませんね。なぜなら厳密にいうと「人民解放軍」は中国共産党の軍隊であり、中華人民共和国軍ではありません。その立場からいえば、北京に屯集した市民や学生は国民であろうとなかろうと関係ありません。「党の敵」という認定(定性)がなされれば、容赦なく殲滅して構わない存在なのです。

 実際に民主化運動に対しては4月末にまず「動乱」認定があり、武力弾圧に際してはさらにランクアップして「反革命暴乱」と規定されました。インフラを傷つけることを恐れたのか、手榴弾が使われなかったのは幸いでした。

 何せ海外プレスが常駐する首都で起きた出来事です。そうでなくても民主化運動の盛り上がりで平時以上に報道陣が集まっていました。ですからこの事件、私たちの常識では考えられないショッキングな映像は全世界に流され、いまもネット上で入手することが可能です。

 私も日本のテレビでそれを何度となく見ることができました。ただ、事件当時私は上海に留学生として滞在していたため、そうした映像はリアルタイムではなく、半月後に外務省の「退避勧告」と母校の「帰国命令」によって日本に戻ってから目にしたものです。

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 北京の詳細な動きはわかりませんが、上海ではソ連のゴルバチョフ書記長(当時)来訪に合わせた5月18日と19日が市民も大挙参加して運動が最高に盛り上がった時期でした。その19日の深夜に北京市に戒厳令を敷くことが発表されるのですが、当夜、ふだんなら午前0時の「晩安」(おやすみなさい)を最後に放送を終了する上海人民廣播電台(地元の中波ラジオ局)が、23時半すぎから、

「上海人民廣播電台。各位聴衆,本台今天夜裏將有重要新聞要廣播,請注意収聴。中央電視台將播出重要新聞,請注意収看」
(こちらは上海人民ラジオ局です。放送をお聞きの皆さん、今夜半に重要ニュースを放送致しますのでこのままお待ち下さい。また、中央テレビ局は重要ニュースを放映しますので御留意下さい)

 という不気味な一節を繰り返していました。すでに地方から投入された軍隊が北京に入ろうとしていた時期です。何事が起きるのかと日本人留学生の有志(笑)は私の部屋に集まって固唾を飲んで待っていたところ、飛び込んできたのが北京が戒厳令に入ったというニュースです。これは容易ならぬことになった、と私たちは顔を見合わせました。

 そのころ、上海・外灘(バンド)の上海市政府庁舎前で夜通しの座り込みを行っていた多数の中国人学生たちの間では、

「上海にも軍隊が投入される」

 という想像ないしは虚言から恐慌が発生していました。要するにパニックになって、その場にいた学生たちが秩序も何もなく、我れ先にとその場から逃げ出したのです。

 そのとき現場にいた私たち有志のひとりである日本人留学生が逃げ出す学生をとっつかまえて、これはつまりどういう状況なのかを知ろうとしました。ただし中国語会話が不得手だったためメモを持ち出して、書いてくれと迫ったのです。

 パニックに巻き込まれなかったその留学生も肝が据わっていたものだと私は感心しましたが、その求めに応じ、逃げようとする足を止めて差し出されたメモにひとまとまりの文章を書き付けてくれた中国人学生も相当なものです。後で見せてもらったのですが、

「政府はついにファシズムというその本性を露わにした。民主化を求める我々大学生の愛国運動に対し……」

 といった内容の、それだけで演説原稿になりそうなしっかりとした文章でした。

 ――――

 ……ともあれ翌5月20日以降、市民の運動参加が激減し、学生は連日デモを繰り返していましたが、その勢いが5月末にかけて徐々に衰えつつあるのを私たちは感じていました。NHKの国際放送「ラジオジャパン」をはじめ、VOA、BBCなど海外の短波放送が伝える政情も、趙紫陽・総書記(当時)を筆頭とする改革派の敗勢覆うべくもないことを思わせました。

 つまり、上海では民主化運動がともすれば尻すぼみになりかねない状態にありました。そんな中で天安門事件が発生した、というのが驚きでしたし、市民や学生に軍隊が実弾射撃を行って武力弾圧した、というのも私たち外国人はもちろん、私と同世代だった中国人学生の想像をも超えていました。いや、文化大革命をくぐり抜けてきた老教師も、

「学生運動が失敗するだろうとは思っていた。思っていたが、こんな結果になるとは予想だにできなかった……」

 と、暗い表情で話してくれたものです。

 1989年6月3日の上海というのは、学生によるデモは行われていたものの、終業シーズン(中国は9月が新学期)の空気が漂うなか半ば惰性でやっているという気配がありましたし、学生リーダーたちの間でも今後の方針に関して対立が発生していた時期でした。

 その日、私たち留学生は農村ツアーに駆り出されました。生活感のない、外国人や地方からの視察団に見せる目的で作られた郊外のモデル農村を見学させられ、党書記の演説を聞かされ、そのあとは御馳走が出て教師ともどもビールで乾杯を繰り返しました。……不謹慎なようですが、上海はすでにそういう空気だったのです。農村見学は自由参加でしたから、デモが盛り上がっていれば私たちも加わらなかったでしょう。

 ――――

 一同いい気分になって学校に戻り、留学生宿舎の自室に引き揚げました。ただ習慣となっている上海人民廣播電台と短波放送での情報収集は欠かしませんでした。……すると、また夜になって上海人民廣播電台が不思議な放送を繰り返し始めました。北京市郊外で軍の車両が人身事故を起こし市民4名が死亡した、といったニュースを何回も繰り返すのです。どうやら何かが起きたらしい、いや起きているのかも知れない、とそこでまた有志一同が緊張して集まり、色々考えてみましたが答は出ません。

 ちょうど、「ラジオ日本」の夜のニュースの時間でした。これは海外への放送を前提としていないため、NHKのラジオジャパンと違い、条件がよくなければ聞き取れないほど雑音の入る放送でしたが、その夜は幸運にも聞き取ることができたのです。

 そこで入ってきたのが、北京で軍隊が学生や市民に無差別に実弾射撃を始めている、というニュースだったのです。あのときの戦慄はちょっと表現できません。そして、他に情報収集の手段を持ち合わせなかった私たちにはそれ以上何もすることはできませんでした。

 テレビは1階の応接室にありましたが、職員が帰るときにカギをかけてしまうために入れません(入ってもテレビではニュースを流していなかったと思います)。緊張と興奮が混ざりあった気分と手も足も出ないやるせなさを感じつつ、私たちはそれぞれ床に就くほかありませんでした。

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 なかなか寝つけなかったのですが、少し眠ったかと思ったところで部屋のインターホンが私に電話が来たことを伝えました。いまは知りませんが、当時は電話は宿舎職員の勤める服務台(宿舎受付)にだけ設置されていて、電話が来るとインターホンで該当者に知らせる仕組みです。

 時計をみると6時45分でした。こんな朝早くに……と思いつつ受付に下りて受話器をとると、何と日本の恩師が自宅からかけてきた電話でした。珍しく興奮した声で、

●北京で軍隊が学生や市民に発砲して死傷者が出ている。
●NHK(テレビ)は一晩中北京の映像を流した。発砲シーンもあった。

 という趣旨のことを手短かに伝えたうえ、「学校命令」として、

●外地(上海以外の地区)には出ないこと。
●デモに巻き込まれないように十分注意すること。デモ参加などはもってのほか。
●何かあったら御家人まで連絡すること。(同じ学科からの留学者では私が最年長だったので)

 ……との3項目を宿舎に貼り出しておきなさいと言われました。加えて最後に、つい最前線に飛び出してしまう私の性質を知る恩師は、

「御家人君、あなたも駄目ですよ。デモに参加したらいけませんよ」

 と念を押すように言われました。後日留学仲介業者からの連絡もあって、やはり同じことを念押しされてしまったのですが、結局この点だけは私は守れませんでした(笑)。まあ留学先が北京ではなく、オフサイドトラップにも引っかからなかった(1回だけ私服に尾行されて危ないことがありましたがw)という僥倖により、今こうしてブログを書いていられる自分がある訳です(真剣)。ちなみに一時帰国で恩師宅に挨拶に行ったとき「すみません約束を守れませんでした」と正直に白状したところ、恩師は上品に笑いつつ、

「そんなことわかっていますよ。わかっていますけど、一応言っておいただけです。ともかく無事でよかったですね」

 と言ってくれました。……まあそれは後日のことです。何はともあれまず仕事。貼り紙を作って貼り出し、一応後輩たちの部屋を回って一声かけておきました。

 ――――

 そういうことをしているうちに腹が減ってきたのに気付き、近くの馴染みの汚い麺屋に出かけようと校門を出たとき、ふと時計を見たら9時ちょっと前でした。あっこりゃいかんテレビのニュースをチェックしないと、と思ったとき、雲南出身のY君という私と仲のいい学生がのんびり歩いてくるのに出くわしました。

「おい大変だぞ。北京で軍隊が発砲したのを知っているか」

 と聞くと何も知らないのです。事態がよくわからずただ驚いてしまっている彼の腕をとって、

「もうすぐ9時だからテレビでニュースをやるだろう。一緒にテレビを観よう」

 と留学生宿舎に戻り、応接室に入ってテレビをつけました。

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 ほどなく9時です。背景が青一色でセットも何もない北朝鮮のテレビニュースを思い出して頂きたいのですが、最初にその青い背景に何の変哲もない大きな文字で、

「重要新聞」
(重要ニュース)

 という4文字が画面いっぱいに映し出されました。続いてやはり文字だけで、

「新華社消息/戒厳部隊遭到歹徒野蛮襲撃/被迫採取果断措施」
(新華社電/戒厳部隊は暴徒の野蛮な襲撃に遭遇し/やむを得ず果断な措置をとった)

「新華社消息/戒厳部隊平息反革命暴乱/進駐天安門廣場」
(新華社電/戒厳部隊は反革命暴乱を鎮圧し/天安門広場に進駐した)

 という画面が出て、その後北朝鮮のニュース同様女性アナウンサーが登場して、

「党中央の決定を断固擁護せよ」
「反革命暴乱を断固鎮圧せよ」

 といった『解放軍報』社説を読み上げました(戒厳令下ですから党中央機関紙の『人民日報』ではなく、人民解放軍機関紙の『解放軍報』なのでしょう)。現場の映像は一切ない、ただそれだけのニュースです。ただそれだけであることが、事態が緊迫していることを強調する効果をもたらしているかのようでした。

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 Y君はぼんやりして私の顔を見ています。私もこの異様な画面に呑まれていました。ただいつまでもそうしていられません。Y君には同じ学科のC君にこのことを急いで伝えてくれと頼みました。C君は私の学校の学生運動リーダーのひとりである上に、私にとって最も仲のいい学生のひとりなのです。そして急き立てるようにして2人で留学生宿舎を出て、校門の前でY君と別れました。

 私はともあれ食事です。自転車置き場を改造したような露天で汚い馴染みの麺屋へ行って自前の箸(箸持参はB型肝炎が流行していた当時の常識)でうどんのような麺をすすりました。すすりつつ、

●午後には上海大厦(ガーデンブリッジ=「外白渡橋」のそばにある高級ホテル)に香港の新聞(親中紙の『香港文匯報』と『大公報』)が入るからそれを買いに行く。

●買ったら大学に戻って戒厳令布告のときのようにC君にそれを貸す。

●C君はそれを江沢民(当時上海のトップ=市党委員会書記)に潰された『世界経済導報』編集部に持ち込んでガンガンコピーする。

●今夜か翌朝にはそれが南京路など市中心部の目抜き通りに貼りまくられることになる。

 ……などと行動計画を練っていました(すでに恩師のいいつけを破っているも同然w)。

 不気味な仮定ながら、上海にも戒厳令が敷かれるのだろうか、とも考えたりしました。当時、党中央は実際にそのつもりだったようで、事実軍隊が上海市をグルリと包囲するような形で待機していたそうです。最も郊外に位置する大学には戦車を目撃した学生もいた、という話も後日聞きました。

 それから数年後、香港でプロのチャイナウォッチャーに教えてもらったのですが、政治生命を賭けて上海での戒厳令実施に反対し続け、ついにそれを防ぎ切ったのは当時市長だった朱鎔基だそうです。ある意味、私の恩人といえるかも知れません。

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 現状に背を向けて、とりとめもないことを長々と書いてしまい申し訳ありません。情緒不安定になるこの時期だから、ということで諒として頂ければ幸いです。


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