8月30日のことです。ファン歴38年、私が愛してやまない日立野球部が都市対抗野球大会の1回戦にて優勝候補筆頭のJR九州に2-4で負けてしまいました。
惜敗、とかでなく明らかな采配ミスによる敗北なので、ネット裏にて観戦していた私は予定通り、試合終了の挨拶で選手たちとともに本塁前に並んだ日立の監督に向けて、
「スズキ!腹切れ!腹切れスズキ!」
とネットにとりついて怒声を浴びせました。何せ地方球場ではなく東京ドームですから、歓声のなか奴の耳に届いたかどうかはわかりません。それでも私はしばらく怒鳴り続けました。
そのあと東京ドームで最後となる社歌を歌って、東京ドームで最後となる応援団同士のエールの交換をやって、……あとはもう何もすることがないのでさっさと球場を後にしました。
日立が負けると、私の夏は終わります。「また来年」と言うことのできない今年ばかりは私も気合が入っていて、4月から公式戦やオープン戦15試合ばかりを日立市はじめ関東各地に出向いては観戦しました。
6月末の北関東地区予選では見事第一代表の座を勝ち取り、補強選手に富士重工の有力選手を加えて近年まれにみる強力な布陣となりました。事実上のオフィシャルブックである『サンデー毎日』の都市対抗特集号では、7人の担当記者のうち4人が日立を優勝候補の「大穴」に挙げてくれました。
ああされど天意かくのごとし。
「神明はただ平素の鍛錬につとめ戦はずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安んずる者よりただちにこれをうばふ。古人曰く、勝って兜の緒を締めよ、と」
正にその通りでありました。外に出た私は通路に代表32チームを紹介するパネルが並んでいるのを発見。パネル1枚で1チームを紹介していて、監督の写真も出ています。目ざとく日立のパネルを見つけた私は、
(あの糞野郎)
という思いが一気にあふれ出してきて、私の最後の夏をあっけなく終わらせてしまった張本人に対し、180秒ほどフーリガンになりました。
狼藉三昧のあとも腹の虫は収まりません。仕方なく帰路は道を曲げて、前日に飲んだ菊川の居酒屋で焼酎「黒霧島」のボトルを空にしてから帰宅しました。
……以上は、私の事情です。いまは夏が終わってしまったので、自分の中で改めて季節を画すべく日程前倒しで大津というところへ来ています。分不相応にも、琵琶湖と比叡山を窓一杯に望める宿屋の33階の部屋でこれを書いています。
で、ここからが本題です。日立は負けてしまいましたが、その前日に靖国神社で行われたイベント「御家人壮行会」(海軍カレーを食べて御家人を野辺送りするOFF)は、私の生涯最後の夏を飾るには余りに贅沢すぎる内容となりました。
集まるのはせいぜい十数名と踏んで私は遊就館茶室のテーブルを3つ予約していたのですが、幹事役となって下さったpiyoさんが「20名オーバーは確実」というので急遽段取りを変更したりしたものの、実際には約30名もの方が参加して下さり、私はもう胸が一杯になってしまいました。
これでは分身の術で御家人を7人くらい現出せしめないと、皆さんひとりひとりとお話をすることができません。私は自分が果報者だと感激する以前に、この世に生まれた甲斐があった、と大袈裟でなく心からそう思いました。
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まずは参集殿に集合した参加者が「昇殿参拝組」と「普通の参拝組」に分かれ、前者はpiyoさんが先導、後者はオフィシャルものをこなすのが苦手な私が先鋒を務める形で参拝を執り行いました。私の方は拝殿のほか、知る人ぞ知る元宮(靖国神社の母体)と鎮霊社(世界の戦没者と賊軍認定された人の魂を鎮める場所)にもお参りを済ませ、人数が増えたので靖国会館の会議室のような部屋「偕行の間」にて「昇殿参拝組」と合流しました。
本当はそこに海軍カレーと飲み物を運んでもらう予定だったのですが、参加者が多いのに驚いた遊就館茶室の店長さんが店の一部を私たちの貸し切りにするというアドリブ技を使ってくれたおかげで、思いがけず零戦を望みつつ海軍カレーに舌鼓を打つことができた次第。
「偕行の間」では飲み物が来るまでの間、各自が簡単な自己紹介を行いました。私は、自分よりひと回りも二回りも年上の方がいらして恐縮したり、コメントして下さるときのハンドルネームを明かしてくれて「ああこの人が」と思ったり。
「壮行会」は「偕行の間」→「遊就館茶室」→「参道の茶屋」と場を移しつつ、常に談論風発。色々な方とお話しすることができて感無量でした。さらに、見知らぬ方同士がこのOFF会を媒介にして親睦を深めていく光景を目にすることもでき、私は「ああ良かった。この会を開いて本当に良かった」と改めて思いました。
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今回のOFF会を告知するにあたり、私はこのOFF会が、
「私と当ブログにとっての最後の仕事」
「このイベントの主役は、出席者の皆さんです」
と、これまでに書いてきました。
ブログ主の体調悪化により、当ブログが本来の活動を続けることができなくなりました。
ブログ主は、私は、ほどなく死にます。
そこで、私の手にあるバトンを、皆さんに託したかったのです。皆さん一人ひとりと手を握り、「後を頼みます」と申し上げておきたかったのです。
今回参加された方々の思いが、完全に一致することはないでしょう。ただし、最大公約数のようなものはある筈です。
「日本人に本来あるべき日本人の姿を取り戻させる」
「日本をもっと良い国にして次世代にタスキをつなぐ」
そういった思いを共有して、さらに各自が共有している仲間がいることをこの会で再認識して、より心強く自分なりの何事かを日々積み重ねていける契機になれば、というのが「野辺送り」に名を借りた、今回の主題です。
会を辞して行く皆さんが、ひとりひとり私のところへ足を運んで下さり、力強く私の手を握ってくれました。別れ難い思いとともに、自分は何と恵まれた奴だろうと思いました。
最後になりましたが、今OFF会の開催にあたり、幹事役に徹して下さったpiyoさん、dongzeさん、のとさんに御礼申し上げます。
さてここからは、最後の最後。
有志12名が都営新宿線・菊川駅前の居酒屋「はなの舞」へとさらに場を移しました。「はなの舞」は海鮮居酒屋の全国チェーンですが、この菊川店に限っては、全店共通のメニューとは別の、日替わりの手書きメニューが充実しており、店長さん、料理長さんのこだわりと意気を感じさせるので、私は近所でもないのにしばしばこの店で独酌します。
今回は人数が多いため宴会コースでまとめてしまいましたが、機会があれば是非皆さん足を運んで、店長さんのプロ意識に接してみて下さい。
閑話休題。予想もしなかった「御家人・地獄編」の幕が開きました。私はここで独酌するときは日本酒なら五合か一升、焼酎ならグラス2杯かボトル1本と酒量を決めているのですが、今回ばかりは勝手が違ったのです。
My徳利&Myぐい飲み持参の私は最初から一升飲むつもりで臨み、実際一升飲んでしまったようですが、宴会では皆さんから質問責めに遭い、また私も余計なことを喋ったりしつつ、七合目あたりから呂律が回らなくなってきている自分に気付きました。こりゃいかんと思ったのは、飲むばかりでロクに食べていないことです。刺身一切れと「shinji7n1」さん?がよそってくれたサラダしか腹に入っていません。
慌てて肉団子を2つ3つ口へと運んだのですが、時すでに遅し。20年ぶりの宴会で、私は生涯2度目の酔態を晒してしまいました。新選組が斬り込んできた訳でもないのに勝手に「階段落ち」の芸(てか事故)を披露したり……いい歳をしてお恥ずかしい限りです(笑)。これはトラウマになりそうだったので、東京を発つ前夜(一昨日)に独酌で一升飲んできました。払拭!
このあと、「新人A」さんたちに介添えされてタクシーに乗せられた覚えがあるのですが、そこから先は記憶がありません。気がついたら翌朝で、自宅のベッドできちんと寝間着姿で寝ていました。前夜の着衣はクローゼットにちゃんとかけられてありました。
レシート類その他から推測するに、私は一方通行が多く複雑な帰路について運転手さんをナビゲートして自宅近くのコンビニにたどりつき、そこで私にとっての「締め」である三ツ矢サイダーとバニラアイスを買って帰宅し、シャワーを浴びてからそれらを食し、出かけるときに「終了」させておいた愛機マクブクプロを立ち上げて最後にメールチェックをしてから床に就いたようです。
……てな訳で、不時着することもなく無事帰還致しました。同行の皆さん、御迷惑をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。m(__)m