中国の空母建造についてのエントリーが続きましたが、前回も引用した『参考消息』の記事、
「北京五輪閉幕後に2隻着工の予定」
というものですが、想像図つきで掲載されていたのを発見。これは『参考消息』からの転載ではなく、元ネタであるカナダの軍事専門誌『漢和防務評論』から直接引っ張ってきたようです。
●「千龍網」(2007/08/20/14:16)
http://mil.news.mop.com/jq/gn/p/2007/0820/141652257.shtml
想像図がイイです。スキージャンプ方式は採らずに、米国同様カタパルトを装備する模様です。おおお。その向こうにはイージス艦とおぼしき艦艇が。空母の舷側に記されている「81」は人民解放軍の誕生日たる「八一建軍節」にかけたものと思われます。心憎いです。……まあこれ脳内妄想的なイラストなんでしょうけど。
よく糞青(自称愛国者の反日信者)どもの集まる掲示板で、米空母の写真を加工して国旗を五星紅旗(中国国旗)にコラした画像などを目にしますが、これもまあ似たようなものでしょう。
――――
さて今回は引用が多くなりそうですけど諒とされたし。
インドを訪問した安倍晋三・首相がパール判事の長男と対面しました。首相の意向によるものだったそうです。まずは日本の主要各紙の報道をば。
●訪印の首相、東京裁判・パル判事の長男と面談(読売新聞 2007/08/23/21:47)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070823ia21.htm
【コルカタ(インド東部)=中沢謙介】安倍首相は23日午前(日本時間23日午後)、日本の首相として初めてコルカタを公式訪問し、同市内のホテルで、第二次大戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)のインド代表判事を務めたパル判事の長男、プロシャント・パルさん(81)と面会した。
首相は「お父様は、今も多くの日本人の尊敬を集めている」と述べ、判事団でただ一人、被告全員の無罪を主張したパル判事への敬意を伝えた。
同判事は東京裁判後も3度来日し、亡くなる前年の1966年にはパルさんも同行、首相の祖父、岸信介元首相と親交を深めた。パルさんはその時の写真を首相にプレゼントし、「首相も岸さん同様、日印関係発展に尽くされると確信する」と感慨深げに語った。
首相はこの後、同市内で、戦前に日本政府も支援したインド独立運動の英雄、チャンドラ・ボースの記念館を訪れ、両国関係に思いをはせた。
●安倍首相、パール判事長男と面会 「日印関係基礎築く」(Sankeiweb 2007/08/23 21:42)
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070823/shs070823000.htm
【コルカタ=杉本康士】インド訪問中の安倍晋三首相は23日午前(日本時間同日午後)、コルカタ市内のホテルで、極東国際軍事裁判(東京裁判)で判事を務めた故パール判事の長男、プロシャント・パール氏と面会し、東京裁判で被告全員の無罪を主張したパール判事の業績をたたえた。
パール判事は東京裁判に対する意見書で、戦勝国が事後法により敗戦国を裁くことに疑問を提起し、原爆投下を批判した人物。首相は冒頭、「お父さまは今でも多くの日本人の尊敬を集めている。日印関係の基礎を築かれた一人だ。パール判事のご遺志は日印関係を発展させることだったと思う。今日、日印関係は大変強化されている」と語りかけた。(中略)
安倍首相は、東京裁判で有罪判決を受けたいわゆる「A級戦犯」について、国会答弁で「国内法的に、戦争犯罪人ではない」と明言している。首相には今回の面会を通じ、A級戦犯の合祀(ごうし)を理由に首相の靖国神社参拝を批判する中国とはまったく異なるインドの対応を際立たせることで、アジアには多様な歴史認識が存在することを浮き彫りにする狙いもあった。
首相は、先の大戦で日本とともに戦った「インド独立の英雄」であるチャンドラ・ボースの記念館なども視察した。
●首相、東京裁判のパル判事の長男と面会(asahi.com 2007/08/23/20:30)
http://www.asahi.com/politics/update/0823/TKY200708230283.html
インドを訪問中の安倍首相は23日昼(日本時間同日午後)、極東国際軍事裁判(東京裁判)で連合国側判事を務めたインドの故ラダビノッド・パル判事の長男プロサント・パル氏(81)とコルカタ市内で面会した。首相は「判事は多くの日本人から今も尊敬を集めている。ご遺志は日印関係を発展させることだったと思う」と述べた。
判事は東条英機元首相ら25人のA級戦犯について、全員の無罪を判事11人の中でただ一人主張した。プロサント氏との面会は首相の強い希望で実現。同行筋によると、東京裁判をめぐるやりとりはなかったという。(中略)
東京裁判について、首相は昨年10月の衆院本会議で「我が国は裁判を受諾しており異議を述べる立場にない」と答弁。ただ、かつて裁判のあり方に疑問を唱える立場を取っていたため、今回の面会が注目されていた。
22日のインド国会での演説では「極東国際軍事裁判で気高い勇気を示されたパル判事は、たくさんの日本人から今も変わらぬ尊敬を集めている」と評価。ただ、日本政府関係者は「判事は戦中の日本軍の行為は厳しく批判している」として、今回の面会が東京裁判に疑念を示したり否定したりすることにつながるものではないと強調している。
●安倍首相:インド訪問 祖父をたどる旅 故パール判事長男と懇談(毎日新聞東京朝刊 2007/08/24)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/news/20070824ddm005010042000c.html
【コルカタ中澤雄大】インド訪問中の安倍晋三首相は23日午前(日本時間同日午後)、コルカタ市内のホテルで極東国際軍事裁判(東京裁判)で判事を務めた故パール氏の長男プロシャント・パール氏(81)と懇談した。
「日印関係の礎を築いたお父さまは、今でも多くの日本人の尊敬を集めている。ご子息にお目にかかれて感慨深い」。白い民族衣装をまとい、判事の面影を残したプロシャント氏と握手した首相は喜びを表した。
パール判事は戦勝国が敗戦国の指導者らを裁く東京裁判のあり方を批判し、被告全員の無罪を主張。A級戦犯容疑者だった首相の祖父、岸信介元首相も1966年に判事の3度目の来日を招請し、翌67年に亡くなった判事を弔うためにコルカタを訪ねている。没後40年の節目に祖父の足跡をたどることで、変わらぬ歴史認識など「安倍カラー」を国内の保守支持層向けに打ち出す狙いがあるようだ。
パル判事なのかパール判事なのか、歴史上の人物なのに表記がまちまちなのが不思議です。それにしてもさすがは朝日、「日本政府関係者」なる人物(誰それ?)を登場させて「いかにも」なコメントを語らせています。まあ、いつものことですから(笑)。
中国の反応はむろんネガティブ。下記2本の記事が「お手本」のようです。ちなみにタイトルは異なっていますが、この2本の記事の内容は全く同じです。
●安倍首相、東京裁判での戦犯無罪論者の遺児と対面(新浪網 2007/08/24/11:06)
http://news.sina.com.cn/w/2007-08-24/110612443398s.shtml
●安倍首相、第二次大戦の親日判事を賞讃(新浪網 2007/08/24/12:27)
http://news.sina.com.cn/w/2007-08-24/122712443596s.shtml
経緯については以下のように書かれています。
1946年1月19日、連合国によって極東国際軍事裁判所が設立され、同時に「極東国際軍事裁判憲章」を発表。同裁判が平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪を犯した日本のA級戦犯を裁く権利があるとした。裁判団は米国、中国、英国、ソ連などの11名による判事により構成されており、パール判事は当時まだ英国の植民地だったインドの代表である。
1948年11月12日、裁判は25名のA級戦犯に対し判決を下した。「戦争狂人」東條英機ら7名が絞首刑となり、16名が無期懲役、2名が有期懲役。判決内容は11名の判事による投票で決定された。パールはこの判決内容に異議を唱えた唯一の判事である。その理由は、第二次大戦が勃発した時点では国際法上には平和に対する罪、人道に対する罪という罪名が存在しておらず、事後法によって犯罪を追及することはできないとし、このため「法理」の面から25名のA級戦犯は全員「無罪」だと主張した。
パール判事のこの「ロジック」は他の10名の判事の賛同を得られなかった。国際司法界もまた、こうした考え方は国際法における戦争犯罪の発展の経緯と潮流を無視したものだと等しくみなした。
「戦争狂人」とはすごい表現です。それから「法理」「ロジック」がカッコ付きになっているのは、理屈の内にも入らない、取るに足らないデタラメだ、という気分によるものでしょう。パール氏が判事11名の中で唯一の国際法の専門家であることなんて、もちろん書かれてはいません。要するに選挙での泡沫候補のような、「基地外判事がひとり混じっていた」という扱いです。
だいたい「中国」って蒋介石の「中華民国」で中共じゃありませんし。……この記事には、
「韓国と日本のメディアはこの行動に懸念を表明」
とあるのですが、キムチはともかく日本の主要紙の反応は上の通りです。懸念?お約束の「中国の反発は必至だ」すら登場していないんですけど。
……まあこの程度なら「はいはいワロスワロス」なんですが、中共党中央機関紙『人民日報』の電子版である「人民網」がトンデモ記事を掲載していました。『人民日報』にも出たかどうかはわかりませんけど。
●反対論を無視、安倍首相が第二次大戦の親日インド判事の遺児と対面(人民網 2007/08/23/16:44)
http://world.people.com.cn/GB/1029/42354/6160366.html
「英国による植民地統治に反対する過激派で、ガンジーを主とする穏健派と折り合わずにインドを離れ、ナチスドイツに援助を要請、その後日本へ赴いて英軍に抵抗するインド国民軍を結成。天皇を支持した」
として異物扱いのチャンドラ・ボース記念館を安倍首相が訪問したのと抱き合わせになっている記事です。核心の部分はこちら。
安倍はまた戦後の極東国際軍事裁判のインド判事パール博士の息子と会見した。パールは同裁判において日本の戦犯を死刑にすることに反対した唯一の判事である。
安倍は他のアジア諸国の反発を招く可能性に顧慮せず、その遺児と会うことに執着した。安倍の祖父も同裁判において被告となったものの、最終的には戦犯とされなかった。パール博士はそのために重要な役割を担ったという。
パールの息子によれば、当時、パールは同裁判の合法性とその審判の規則に疑義を呈する一方、安倍の祖父と交友関係にあることついては隠していたという。
パール判事と岸信介・元首相がいわゆる東京裁判以前からお友達だった、というのは初耳です。
そうだったんですか?皆さん御存知でしたか?さもなくば東京裁判にまつわる重大なる新事実発覚ということになるのですが。……そもそもパール判事は「死刑に反対」ではなく、「全員無罪」を主張したのでは?
ともあれ何といいますか、後半ロスタイム終了直前にゴールキーパーまで攻撃参加するかのような、ものすごいパワープレーです(笑)。
こういう内容の記事をいやしくも『人民日報』の電子版に出してしまうあたりが中共クオリティ。しかもトップページに並べたメインニュース扱いです。そうでなきゃ私は見落としていましたから。
――――
一方でこの基地外記事、中共のフラストレーションを感じさせるものでもあります。
これが小泉純一郎氏の首相時代であれば叩きに叩いたことでしょう。ところが安倍首相の訪中を機に日中関係には薄っぺらい融和ムードが流れています。
胡錦涛政権はこれを維持しないと差し支えることが色々出てくるので安倍首相に対し非難攻勢をかけられません。せいぜい選挙で負けたとか支持率が落ちたとか閣僚の失態とかいうニュースで、
「やばいよタモさん安倍ちゃんピンチだよ」
といった空気を漂わせるのが精一杯。
ところが安倍首相は今回の外遊でASEANやインドとの関係強化を打ち出しています。支持率は落ちていても、麻生外相が提唱した「自由と繁栄の弧」という基本外交方針は崩していません。
重要なのは、これはまた今年5月に外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2+2)を開催した際、「共通戦略目標」に盛り込まれた内容とも一致していることです。
●言葉にならない?――中国、日米「2+2」に無反応。(2007/05/05)
――――
胡錦涛政権にしてみれば中国包囲網が形成されていくようにみえる筈です。中国が支配したいASEANへ日本が接近することや、中国のライバルたるインドと親密度を強めることにもイライラでしょう。
本当なら正面きって全力で「安倍叩き」をしたいところですけど、それができないので「安倍ちゃんピンチ」ニュースや「自由と繁栄の弧」政策批判報道を流したりして我慢するしかありません。ところが今回、「人民網」がちょっと筆を滑らせてしまったようです。
「安倍首相がパール判事の息子と対面」というのは、胡錦涛政権にとっては「歴史問題」です。日中関係を悪化させない程度で容喙しておかないと、国内の反対勢力に攻撃材料を与えかねないことになります。
それで前掲の「新浪網」に出た「お手本記事」のようになったのでしょうけど、『人民日報』電子版(人民網)が自らの立場を忘れて?つい突っ走ってしまったように思います。
「新華網」がこの記事を転載するようになると面白いのですが、転載したら転載したで、一方でかねてから持ち上げている安倍首相夫人に関する好意的なニュースを流してバランスをとったりするのではないかと思います(笑)。
最後にパール判事が「被告は全員無罪」とする判決を主張した意見書の結語を。
時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には
その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに そのところを変えることを要求するであろう