日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 いや、本当です。中共政権下で12月4日に大規模民主化デモを行う計画が進められています。ただし中国本土ではなく、特別行政区なんですけど。――香港の話です。

 この数カ月、香港は政治改革案をめぐって揺れに揺れています。現行の制度では非民主的なので、これを改善していこうというものです。その歩幅と歩みの速さに議論が集中しています。

 単純明快にいうと、立法会議員と香港のトップである行政長官(特首)選出に普通選挙制度実施を求めるデモです。正確には、全面直選、ということになります。

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 何が非民主的かといえば、現行の選挙制度にあっては民意が十分に反映されないところにあります。現在の香港においては、立法会議員の直接選挙枠は総議席数の半数以下に抑えられ、残りは有権者を限定した業界別の議席枠となり、金持ちや親中派が当選しやすいようになっています。

 ええ、金持ちもおしなべて親中派です。親中派という政治的スタンスの方が商売(対中投資)に有利ということもありますし、民主派が議会を制すると福利厚生など労働条件を手厚くする方向へと改善させられかねないので、搾取志向がきわめて強い香港の資本家たちはコスト増を恐れているということもあります。……これに対し、業界枠議席を廃して全面直選、つまり全議席直接選挙に改めよというのが民主派の主張です。

 現行の行政長官選出はもっとすごい制度です。400人の選挙委員を選んで、その投票によって行政長官を選出するというものです。たった400人の「民意」で香港のトップを決めるというのです。800人にする、という改革案もあるようですが、いずれにせよ人口700万人の香港にあって、これでは民意も糞もあったものではありません。この選挙委員も親中派中心で構成されます。要するに中共お好みの出来レースをするための400人です。

 「普選」「全面直選」という言葉が最近の香港紙に躍っていますが、つまり立法会議員全議席を直選化し、行政長官も香港の有権者全員による直接選挙で選べるようにしろ、というものです。

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 この動きを端的に言ってしまうと、植民地の奴隷だった香港人が、市民として覚醒する段階に入ったということです。その変化を呼んだ原因について、多くの香港人は1997年の中国返還を指摘するかも知れませんが、全て中共の責任に帰するのは誤りだと私は思います。

 確かに中共が選んだ初代行政長官(董建華)は無能であり無為無策、かといって主体的に動けば市民からブーイングが巻き起こるような愚劣な施策に終始しました。あまりの不評ぶりに胡錦涛が衆目の前で董建華を面罵し、今年春には病気か何かの理由を構えて中共によって更迭されてしまいました。

 ただ、それだけが原因ではありません。この間にアジア通貨危機やネットバブル崩壊があり、また中国経済の軸足が広東省などの珠江デルタから上海を中心とする長江デルタへと移りつつあったということもあります。中国進出の拠点としての香港の役割が小さくなった訳です。そこへ追い打ちをかけるように、2003年には中国肺炎(SARS)が流行し、多数の死者を出しました。

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 よせばいいのに……と当時私は思ったのですが、これも中共の指示なのでしょう。董建華政権はその時期に香港基本法(ミニ憲法)第23条に基づいた「国安条例」を制定しようとしました。国家分裂や政権転覆を図る行動を取り締まるという、いかにも中共が急がせたい内容の条例ですが、その中身は当局の恣意的な解釈でいくらでも政治犯を量産できるようなグレーゾーンに満ちており、市民から広く反対の声が上がりました。

 条例制定自体への反対もありましたが、お粗末すぎる草案が条例になってしまうことへの反対の方が強かったと思います。親中派が多数派を占める立法会で採択されれば条例成立です。その時期が2003年の初夏、ちょうど中国肺炎が終息し、疫病流行の一因となった董建華政権の対応のマズさが指摘され始めた時期と重なりました。

 そして、本来なら中国返還6周年を祝うべき2003年7月1日に、歴史的な50万人デモが発生することになります。人口700万人の香港で、炎天下に50万人を動員したという参加率の高さに驚くべきです。それは市民の危機感の高まりと同時に、もはやデモをする以外に方法がないという政治的自由のなさが原因だと私は考えています。

 ちょうど返還6周年記念式典で温家宝首相がゲストとして香港に来ていたときです。

「香港人は香港の主人であるということを大切にしなければならない」

 と温家宝が演説してみせたその日に、その顔に泥を塗るかのような50万人デモが発生しました。

「香港の主人であるおれたちに普通選挙権すらなく、自分たちのトップを選ぶ権利もないというのはどういうことだ」

 という温家宝ひいては中共政権への反論を、香港人は行動を以て示したのです。

 このデモが中共に与えた衝撃は大きく、国営通信社・新華社は3日経ってから外交部報道官記者会見の中で間接的にデモが発生したことを認めました。ざっとした言い方になりますが、香港で50万人というのは、東京だと100万人ということになります。この凄まじい民意の圧力はついに立法会で多数派を占める親中派の翻意を実現させ、「国安条例」は廃案となりました。

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「植民地の奴隷だった香港人が、市民として覚醒する段階に入ったということです」

 と私は書きましたが、要するに香港人はかつてない不景気にぶつかって政治に目覚めたということです。1980年代以降、天安門事件(1989年)による一時的な落ち込みを別とすれば、香港経済は基本的に右肩上がりで伸びてきました。

 それが中国返還の行われた1990年代末期に上述したような経済を冷え込ませる事態が立て続けに発生し、そのたびに董建華政権の対応のマズさが際立ってしまいました。こうなると報道の自由、言論の自由、そして経済活動の自由度も世界有数という環境を謳歌してきた銭ゲバの香港人たちも、董建華による政権運営の拙さに気付き、そんな董建華をクビにする権利すら自分たちの手にないことを実感し、政治的自由がないことにようやく思い至ったのです。

「結局は普通選挙制だよ。お前らにその権利がないからこういうことになる。そのことをよく考えろ」

 と私は副業の中文コラムで書きました。専門誌の分野と「50万人デモ」は一見無関係ながら、政治的自由のないところでは創意が制限され、クリエイティブな環境はないし人材は育たない。仮に天才が出現することがあってもそれは例外で、政治的自由のない国は結局のところ国際水準の業界を形成することはできない。だから恐らく天才が出てもより自由な環境へと活動を海外に移すことになるだろう、と専門誌の範疇から飛び出さないようにしつつ、

「つまり結局お前らに足りないのは政治的自由であって、具体的には普通選挙制だよ」

 と指摘したのです。密かに誇ることを許してもらうとすれば、いつまでもデモの熱気から覚めやらぬ香港のメディアにあって、最も速く普通選挙制に言及したのが私のコラムだったということです。

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 その後、香港でもようやく普通選挙制が広く論じられることとなり(もちろん拙文とは無関係にです)、それが政治的目標として確立されました。民主派は2007年の行政長官選挙、2008年の立法会議員選挙での「全面直選」を求めています。中共はもちろんそれに反対しています。直接反対すると香港市民に嫌われてしまうので、間接的にあの手この手で切り崩し工作を行っています。

 香港が再び熱い政治の季節を迎えた、というところでしょうか。そういう中で民主派が企画したのが、「一二・四」デモです。冒頭に「政治改革案」と書きましたが、董建華の辞職に伴い自動的に行政長官に昇格した曽蔭権・新行政長官は、民意を受けて普通選挙制導入へのロードマップを作成しました。

 ただしそこにはタイムテーブルが付されていませんでした。タイムテーブルがない以上、それは具体案とは認められない、と民主派が怒号し、一方で78歳の老人が、

「わしが生きている間に普通選挙制の実現をみることはできないのか」

 という新聞広告を出したことが話題を呼び、民主派への追い風となっています。デモは今度の日曜日。民主派は警察にデモ届を出す際、「参加者5万人」としたそうですが、天気が良ければ10万人以上集まるのではないかと私は思います。その人数次第では曽蔭権政権が揺さぶられるでしょう。

 北京の中共もグラつくことになるでしょう。言うまでもないことですが、香港に対する「一国家二制度」が十分に機能しなければ、台湾の独立派に「それ見たことか」という口実を与えることになるからです。

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 以上は、配偶者(香港人)の姉、つまり義姉からの、

「香港人の思いを是非日本の人にも伝えてほしい」

 というリクエストに応じたものです。仕事仲間(香港チーム)や副業の編集部からは、

「御家人さん、香港に来て一緒にデモしようよ」

 と誘われているのですが、冗談じゃありません。香港在住ならともかく、わざわざ日本から助太刀に駆け付けて外国人である私が親切を示す必要はないでしょう。香港人は自分で未来を決めて生きるなり死ぬなり勝手にしろ、というところです。ただ、今回もデモに絡めた内容のコラムにするよう頼まれてしまいました。そのくらいは承けてやろうと思います。



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