日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





「その1」の続き)


 民主化運動のはしりといえる「四五運動」(4月5日)に何のアクションも起こらなかったことに失望しつつ(汗)、じゃあやっぱり「五四運動」の5月4日か……と私が考えるようになった矢先のことです。意外にもいきなり「きっかけ」がやってきました。

 それが、89年4月半ばの胡耀邦前総書記(当時)の急死です。

 私のいた街は大都市ではありましたが、北京のようにすぐ反応することはなく、ただ胡耀邦哀悼の張り紙や、やはり追悼に徹した内容の「大字報」が出るだけでした。

 唯一の能動的な動きといえば、市内の最高学府である某有名大学の某教室で、胡耀邦の業績を再評価する講座が学生主催によって開かれたことです。そのころにはそういう情報を私の耳に入れてくれる中国人学生の仲間が、その最高学府にも、自分の大学にもいましたから、その情報を聞いて、取りあえずのぞいてみることにしました。講座が始まって3日目のことだった筈です。

 ――――

 その日、開講時間である夕食後の時間帯に某教室へ行ってみると、もう人で一杯で、窓枠につかまって中をのぞいている学生がいる程で、文字通り鈴なりの状況でした。それでも何とか教室の中に潜り込んではみましたが、ものすごい熱気で、進行役の学生の声も聞き取りにくい程でした。

 これで講座?と思いながらそれでも大人しく聞いているうちに、どうやら胡耀邦講座ではないことに気がつきました。途中までは確かに「講座3日目」だったのでしょうが、いつの間にか、翌日に初の組織的なデモを敢行するための決起集会になっていたのです。

 中国語を聞きとるのに一生懸命で気づかなかったのですが、ふと顔を上げると、黒板にはデモのシュプレヒコール(口号)に予定された字句が躍るような筆跡で5つほど並び、集会はデモの隊列を維持するように仕切る係(糾察隊)を選ぶ段階に入っていました。これは立候補制で、「俺も」「よし俺も」と手を挙げる学生が出るたびに、教室が拍手と賞賛の声で湧きます。

 ――――

 最後に進行役がひとわたり演説し、翌日の行動についての注意事項を確認していきます。

「それでは明日は授業ボイコットだ!学生証を必ず携帯するように!できれば白い花(服喪の意味)も!1時30分校門に集合、2時出発だ!」

 ……声が半ばかすれた進行役の、

「好不好?」(それでいいな?)

 という問いかけひとつひとつに、

「好!」
「好!」

 と応じる学生たちの語気、熱気というものは、筆舌を以て形容し得るものではありません。あのときほどその場にいる者たちの気持ちがひとつにまとまり、熱気と興奮に包まれた空間というものを、現在に至るまで私はついに体験していないのです。

 ――――

 私は第三者の見物客ですから熱くなったりはしませんでしたが、その異様な空間に身を置きながら、始まった、とうとう始まった……と心の中で呟いていたことを覚えています。

 これが、胡耀邦の死をタネ火として、やはりガソリンのたっぷり染み込んでいたその都市に、学生運動という炎が噴き上がった瞬間でした。その場に立ち会えたことは、私にとって誠に得難い幸運でした。

 多分、運動では終始全国をリードした北京の場合も、また他の各都市の学生デモも、概ねこんな感じで始まったんじゃないかと思います。

 ――――

 あれから15年になります。庶民が追い詰められるようにしてデモや労働争議に立ち上がる状況は、民主化という形而上のテーマを主題とした当時の運動に比べ、はるかに根が深いものだと思います。
 「民以食為天」。食わせてくれなければ庶民が政権を見限るというのが中国史の示すところです。
 「官逼民反」という言葉もあります。官によって極限まで追い詰められた民衆は、残された唯一の選択肢として成否を問わず叛乱に立ち上がるという意味です。

 前にも書きましたが、中国各地で散発的に火花を散らす動き――待遇改善やリストラに異を唱える労働争議、官僚の横暴に憤激した市民による暴動、定年退職者たちのデモ、政府の農地強制収用に抵抗する農民、再開発事業のため強制的に立ち退かされることを拒む市民――などは、「民以食為天」と「官逼民反」を地でいくものです。

 ――――

 15年前より政府の統治システムが成熟しているために簡単に比較することはできませんが、部屋中にガソリンをまき散らした状態、あるいはすでにその一歩手前の状況に至っていることは確かです。

 あとは、点火するだけなんです。インパクトを伴う出来事。それだけが、足りない。

 その「きっかけ」が今度はどういう形で現出するのか。

 現出したとき、どういう勢力が運動の主体となっていくのか。

 骨抜き状態にみえる学生たちには、立ち上がる力があるのか。

 ――最近はそういったことを考えながら、毎日チナヲチを続けています。


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 前回、学生のことを俎に乗っけたついでに、ちょっと昔話をさせてもらいます。

 前にも書いたかも知れませんが、私は天安門事件に象徴される1989年の学生運動をはさんで1年間(89年~90年)、中国の某都市に留学生として滞在していました。

「例えば1989年の民主化運動、あれは突発したものではなくて、その前年である1988年後半には政治・経済・社会の各面において、そういう運動が起きるための条件がほぼ揃っていました。」(「何をしている大学生」2004/10/29

 と、私は思っています。

 ――――

 88年から89年初めに至る状況を思い付くままに並べてみると、

 ●改革推進の経済政策が失敗して夏にスーパーインフレが発生。
 ●官僚の汚職が蔓延。
 ●利益再分配における不公平。例えば大学教授の月収が、大学の門前のワンタン売りの日収に等しい、など。
 ●秋に開かれた党中央委総会で、経済政策の引き締め転換を決定。改革派の趙紫陽総書記から保守派の李鵬首相へと主導権が移る。
 ●さらなる改革を求めるメッセージの詰まったテレビドキュメンタリー『河殤』が放映禁止に。
 ●民主化活動により逮捕された政治犯・魏京生氏の釈放を求める公開書簡を改革派知識人が連名で政府に提出。

 要するに、当時はまだ市場経済システムが穴だらけだったために、改革を進める中で経済が混乱して物価高や様々な「不公平」を生み、一方でシステムの穴を突いた党官僚の汚職がはびこる。そのために民衆には怨嗟の声が満ち、経済の引き締め転換で改革の流れが止まるのを恐れた知識人たちは思い切った行動に出て、経済の混乱に端を発した改革派と保守派の争いが政策論争の形で活発化していた――ということです。

 ――――

 日本を発つ前にすでにこういう状況でしたから、何か起こるかも知れないという予測は当然していましたし、何かあるかも知れないから気をつけるように、と私の性質を危ぶむ大学の恩師や中国人留学生の友人たちからも言われました。

 言うなれば、当時の中国は部屋中にガソリンをまき散らした状態でした。

 あとは、点火するだけだったんです。それだけが、足りなかった。つまり、「きっかけ」です。点火力を持つだけの、インパクトを伴う出来事です。

 ――――

 さて、スタートした私の留学生活はいたって平穏で、街を歩いても不穏な空気はどこにもありませんでした。

 そういう中で、「きっかけ」は何になるんだろう、と私は考えていました。

 とりあえず5月4日がある、と思いました。その年は中国の学生運動のルーツともいえる「五四運動」の70周年に当たっていました。

 でもその前に「四五運動」があります。これは1976年4月5日の第一次天安門事件のことです。

 御存知の方も多いでしょうが、清明節という日本でいえばお彼岸のような節句に、同年1月に死去した周恩来を悼んで、民衆が自発的に天安門広場へと集まり、人民英雄記念碑に献花し、自作の詩を捧げ、そうすることで当時政権を牛耳っていた江青ら「四人組」に対する無言の批判を行ったのです。

 当時の四人組政権はこれを反革命活動とみて、公安を大挙動員して天安門広場に突入させ、暴力を以て市民を鎮圧しました。「五四運動」が学生運動のはしりなら、余り知られていない「四五運動」は民主化運動のはしりと言えるでしょう。

 だから4月5日が臭いぞ、ということで、その日私は授業をサボって市内の有名大学をいくつか回ってみました。何か「大字報」(壁新聞)が出ているのではないか、もしかしたら学生デモがあるかも知れないぞ、と思ったのです。なるほど、恩師や友人が危ぶむ筈です(笑)。

 ……が、その日はどの大学も平穏で「大字報」もなく、私はよその大学をただ見物して回ったような格好になりました。


「その2」に続く)



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 前に引用したリンクを再利用しますが、反政府系ニュースサイト「大紀元」によると、9月中に29省・自治区でデモないし抗議活動が発生したということです。

 http://www.epochtimes.com/gb/4/10/27/n700739.htm

 それにつけても思うのは、天安門事件(六四)に象徴される1989年の民主化運動は、運動の主体があくまでも学生や一部の知識人で、市民はそれを応援・支援するというスタイルでした。
 しかし現今の中国社会において散発的に繰り返されるこうした運動の担い手は、失業者であったり、リストラの決まった工員であったり、政府に土地を強制収用された農民であったり、あるいは今回のような定年退職者であったりと、生活を背負う人々が行動に出ています。
 その点についていえば、社会状況は1988~1989年当時より遥かにに悪化していると言うことができるかと思います。(「安徽省の老人デモ詳報(下)」2004/10/26)

 何が言いたいかというと、学生は何をしているのか、ということです。

 失業者
 リストラを通告された工員
 政府に土地を強制収用された農民
 定年退職者
 ――こういう人たちかやむにやまれず立ち上がっているというのに……生活を背負っていない連中、危機感なさすぎです。
 それとも、普通に暮らしている分には、危機のカケラすら感じることができないのでしょうか。

 例えば1989年の民主化運動、あれは突発したものではなくて、その前年である1988年後半には政治・経済・社会の各面において、そういう運動が起きるための条件がほぼ揃っていました。
 そして1989年の胡耀邦死去を契機に、世相に最も敏感に反応した大学生が立ち上がった訳です。
 中国政府が天安門事件(六四)の後に強調しているように、運動が盛り上がっていく過程では、国外の民主化運動団体などからの関与は、実際あったと思います。ただ、そういう手合いの煽動だけでは、とてもあんな大規模な運動にはなりません。運動が発生し、大規模化するための条件が揃っていたために、かくなったと言うべきでしょう。

 15年前の話はこのくらいにして、いまの大学生、本当に何の動きもないのでしょうか。
 だとすれば、この世代を特徴づけるいくつかの点に加えて、江沢民の「反日教育」が効いている、ということになるのでしょう。

 いまの大学生、年齢でいえば18~23歳でしょう。
 ●一人っ子であり、蝶よ花よと育てられた「小皇帝」。
 ●天安門事件当時は3~8歳、つまり政治運動を全く経験していない。
 ●物心ついたときには、ひとつ前の世代と比べれば物質的に豊かな生活環境に囲まれていた。
 ●そして学生になったいまはインターネットがあり、情報統制は知っていてもそれほど痛切には感じていない。
 ――つまり社会の現状を肯定している連中が多い、ということです。

 これに加えて、物心ついたときには江沢民の反日教育がシステムとして教育の現場に導入されていますから、それをたっぷりと吸収して育った。純粋培養されたと言ってもいいでしょう。
 その反日教育ですが、日本と日本人への憎悪が高まるのは当然として、一方で、自分の属する社会への問題意識が麻痺させられることになります。もちろん江沢民はその両方の効果を狙っていた訳ですが、ここに来て、後者(社会への問題意識)の影響が深刻なように思います。

 お爺さんお婆さんが無許可デモに立ち上がらなければならないほど追い込まれているというのに……と思うのです。
 社会のニオイに一番敏感で、感受性も強い筈の世代が、こうなってしまっている。
 連中の反応を見るにつけ、中国はもうダメだなと思うのです。
 まあ、全部が全部そういう手合いという訳ではないでしょうけど。

 何はともあれ、大学生に目立った動きがないということに、歯がゆさを感じます。
 危機感が足りないとか感受性が鈍っている、というだけではないんです。
 例えば名門大学ですと、高級幹部の息子とかが学生の中にいて思わぬ情報が共有されたりします。
 あと全国から英才が集まっているので、故郷の家族や友人と連絡したりする中で、ごく自然な形で報道管制の網をくぐって各地の情報が集まってくる訳です。
 しかも建前として全寮制ですから、情報の伝播するスピードも速い。

 だからこそ世相にも敏感に反応して、学生運動という形で当局への異義申し立ての主役になることができるんです。
 あ、主役になることが「できた」、と言うべきですか。

 まあ大学の方も最近は商売優先になって……ああ「教育の産業化」と言わないと怒られますね(笑)。
 とにかくそのために入るのにも色々とカネがかかって、テストの点がいいだけじゃダメなんです。そのために笑えない事件も色々起きています。

 子供の学費を用意できないので自殺してその保険金で通わせようとする母親とか、やはり学費のために営利誘拐に走る父親とか……そういう事件記事が私の手元にあるのですが、リンクを張る気にもなりません。
 あと教育者の方にも賄賂を要求する奴がいますし。最近は南京の某大学で、党幹部を接待するために、女子学生の授業を休講にしてダンスの相手をさせた、なんてこともありましたね。

 ――何だか暗い話ばかりですね(笑)。


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 あーあ、10月21日付当欄「続々・重慶暴動」ではおバカなこと書いてしまいましたね。

 どうして重慶暴動(※1)が全国ニュースに昇格したのか?

 ひとつには隠し切れない、というのがあるでしょう。

 そしてもうひとつ、全国に重慶暴動の「オフィシャル・バージョン」を流す必要があったからなんでしょうね。

 隠し切れないニュースに予想もしない尾ひれがついて、全国に伝播されるのを防ぐ。そのために「公式版」を先に流してしまう。そんな意図があったのでしょう。

 そのくらい21日の時点で書けなければダメですね。反省。

 ――――

 で、こんなことを言い出したのは、ここ数日来、「重慶暴動の真相」みたいなアンオフィシャル・バージョンが中国のネット上に流れ出しているからなんです。

 とりあえずいくつか拾ってみました。

 ●暴動の発端となった喧嘩で日雇い労働者をタコ殴りにした男は、官僚を偽称したのではなく本当の局長クラスの役人(国土局長説、同副局長説と労務局長説がある)。取り巻きもそれを知っていたからこそあれほど憤激した。

 ●喧嘩の発端となった日雇い労働者が担いでいた棒がぶつかって怒った女性には局長夫人説と局長愛人説がある。

 ●事件後に公開された発端の喧嘩に関与した3名の写真は全て偽者。

 ●殴られた日雇い労働者の息子が重慶三峡学院の学生で、事件を知って仲間と共に大挙出動、区政府庁舎を取り囲んだときの一勢力となった。

 ●逮捕者は約200名。その中に万州第二中学の学生がかなりいた。

 ●市民に死者10名が出た。

 http://blog.blogchina.com/article_56903.210703.html
 http://www.epochtimes.com/gb/4/10/24/n698252.htm
 http://www.epochtimes.com/gb/4/10/26/n700432.htm

 上記リンク先の記事や中国国内のブログを参考にしたものです。中国ブログには他にもいくつかリンクがあったんですけど、記録していないまま流れてしまいました。

 http://blog.blogchina.com/cat_21900.html

 ここはいろいろ情報を拾えていいです。真偽は不明ですが、中国国内でこういう情報が流されているということに驚きます。……て、ここ中国国内のブログですよね?知っている人がいたら教えて下さい。

 ――――

 で、とりあえず言えること。マスコミが報じたオフィシャル・バージョンの「重慶暴動」の内容をまるまる信じている人は誰もいない。――とは言いませんけど、信じていない人がたくさんいることは確かですね。

 ところで、地元紙『重慶晩報』の報道によると、暴動の起きた重慶市万州区の前国土局副局長が多額の賄賂を受けたことで懲役6年半の判決が下った模様です。

 http://news.sohu.com/20041027/n222706802.shtml

 一見暴動とは無関係なようではありますが、何か含みのある報道なんでしょうか?タイミングが良すぎるような気もしますが。

 ま、万州区に汚職まみれの官僚がいたという事実はこれでわかるんですけど。


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 【※1】重慶暴動そのものについては当ブログの「速報:重慶で暴動発生!」(10月19日)及び「重慶暴動に思う」(10月20日)を御参照下さい。




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 日本人がまたイラクで拉致されました。

 いま「新華網」と「人民網」をのぞいてきましたが、どちらもトップページにその関連ニュースが出ています。

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 いやあれはニュースというべきなのか……とりあえず写真が出ています。

 申し合わせたように、どちらもデモの写真です。自衛隊を撤退させて人質の命を救え――というデモでしょう。

 で、キャプションには
「東京で市民はデモを行ったが、小泉首相は自衛隊を撤退させない方針」みたいなことが書かれています。

 何だか東京で大規模デモが起きたような印象を見る人に与えますね。むろん中共はそれを狙ってのことでしょうが。

 デモ特集ページまであります。至れり尽せりですね。

 http://www.people.com.cn/GB/guoji/1029/2947946.html

 ――――

 ところで、これ。

 反日ニュースかといえば、違いますね。反小泉ニュースであるということは、言えるかも知れません。

 いままでもそうでしたが、今後は反日報道が抑制されるなか、この
「反小泉報道」が増えていくかも知れませんね。

 小泉首相だけを悪者と位置付け、小泉が靖国参拝をやめれば云々、小泉が首相の座を下りれば云々……「云々」には例えば、

「日中関係は直ちに改善される」

 というような文言が入る訳ですが。

 わかりやすくて結構なことじゃないですか。

 ――――

「中共の嫌がることを真心を込めて念入りにやってあげる」

 というのは私のモットーであり趣味なのですが、小泉首相にはとてもかないません。

 どうかこのまま、この道を進んで頂きたいものです。

 中共が音を上げるまで。それは、そう遠いことではないでしょう。

 及ばずながら、不肖御家人も精進致します(笑)。



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 安徽省蚌埠市のお爺さんお婆さんによるデモ、一応続報らしきものをまとめてみました。

●月曜(10月25日)以降の動静は不明です。
 デモなどの抗議活動があったかどうか全く情報が入ってきません。
 これまで「大紀元」にレポートを送っていてた蚌埠市在住とみられる某コラムニストはかねてから公安にマークされていた人物ですから、あるいは彼が逮捕されたか?と思いましたが、そういうニュースもありません。

●デモがあったことは、地元用掲示板の中で言及されています。
 http://post.baidu.com/f?kz=5124075
 このスレの20番で言及されています。

●10月24日、安徽省政府は定年退職者の「養老金」支給額の引き上げを行うことを決めました。
 http://www.ahbbrb.com/dtxw/detail.asp?n_id=1158
 このリンクは地元紙の『蚌埠日報』……我ながらよく調べたものです。
 なお支給額引き上げの詳細は不明です。単なる金額上積みとデモ隊が求めていた物価スライド制は全く質の異なるものですから。ただこういう素早い対応でデモ継続の動きが鎮静化した可能性はあります。

●デモ期間中、河川浄化会議のため曽培炎副首相が現地に滞在していました。
 http://www.people.com.cn/GB/shizheng/1024/2939715.html
 デモのことはもちろんわかっていた筈です。上の養老金支給額の引き上げという措置に彼が関与したのかは不明です。

 なお反政府系ニュースサイト「大紀元」によると、9月中に29省・自治区でデモないしデモに類する抗議活動が発生したということです。
 http://www.epochtimes.com/gb/4/10/27/n700739.htm

 何だか、爆発寸前ですね。中国各地でパチパチと散発的に火花が散っているような感じです。
 胡錦涛が中央統制強化による強権政治・準戦時態勢を志向している(私の見方)のは彼のキャラにもよるでしょうが、一方でごく自然かつ常識的な選択でしょう。
 民主化とか政治制度改革とか、そういうことを悠長に進めている余裕が、中国社会にはもう残されていないということです。

 ただ一方で思うのですが、中共の独裁体制が見事に出来上がっているために、つまり強力な野党が全く存在しないために、こういう爆発寸前のような燻った状態が一定期間続く可能性もあります。

 それにしても今回のデモ、「民以食為天」(民は食を以て天となす)を地でいくようなものでした。各地で起きている抗議活動も、同じ性質のものでしょう。それだけに1989年の民主化運動より根の深いものであることを感じさせます。



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 安徽省蚌埠市の老人デモに目を奪われている間に、東シナ海資源&EEZ境界線に関する日中実務者協議が北京で開かれて、終わっていました。
 この件に関しては私は何の知識もないのですが、某巨大掲示板に関連スレがあって、内容がなかなか充実しているので、いつもそこを見て勉強させてもらっています。

【盗掘】東シナ海油田問題 統一スレ★8【確定】
http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/asia/1097209038/l50

 それにしてもこの会議は中国側から提案してきたのに、当の中国側は「実務者」にあるべき誠意のカケラもなかったですね。まずはひと当たりして、この件に関しては強気一本で来ている日本側の肚を探ろうというところでしょうか。
 会議に関するテレビのニュースを見ながら、何かどこかで見たことあるよなあこれは……とぼんやり考えていたのですが、思い出しました!拉致問題に関する北朝鮮との協議ですね。少しの誠意もなくただ時間稼ぎ……今回と全く一緒です。

 ならば、ですよ。日本としても北朝鮮に対するのと同じように、この問題では「対話と圧力」という姿勢で中国に向き合うべきではないでしょうか。圧力になるネタはいくらでもあるでしょう。そういう方向に、進んでほしいと思うのです。政府もそうですけど、何よりも世論が、ですね。

 対中認識って、世代によって意外と差があるんじゃないかと思うんです。あえて死語を使わせてもらいますと、「青春時代」に接触した中国の印象なり手触りなりが、原体験としていつまでも尾を引いているのではないかと。で、どうしてもそのフィルターを通して中国をみてしまう。

 大雑把に並べてみますとこんな感じです。
 (1)文化大革命(当人も学園紛争とか体験していたりして、文革にも変なシンパシー持っている)
 (2)パンダ(中国に対する憧憬をどこか捨て切れずに持っている)
 (3)シルクロード(「これからは中国だな」とか言うオヤジはこの世代)
 (4)天安門事件(六四で中共の本質にふれる)
 (5)在日中国人犯罪(カネカネキンコ&サムターン回し&「バールのようなもの」)
 (6)アジアカップ(中国人の民度の低さを肌で感じた)

 はっきり言って(1)~(3)の世代は戦力になりません(※1)。天安門事件で目が覚めて「転向した」というなら別ですが、いい歳になっても未だに中国人は素朴だとか純粋だとか思ってたり、中国に対する憧れなり期待感を捨て切れないままでいる。この(1)~(3)世代が決定権を握っているうちは、日本の世論が正確な対中認識でまとまるのは難しいように思うのですが、如何でしょう?


 ――――


 【※1】私は自己紹介にあるように(4)の世代です。でも中共なんか潰れちまえばいいのにと思ったのはそれより前です。かれこれ20年になる訳ですか。昔も今も私は一介の小市民で、もちろん活動家とかじゃないんですけど、学生時代、中国人留学生の友達にそれっぽいのがいましたし、あと勤王の志士である先輩などが身近にいたせいでしょうか。昔の荷物の中から、なぜか「北京の春」時代に手書きで発行された地下出版の民主化文集が出てきて驚かされたりします。どうやって入手したのか記憶にないのですが、あれはきっと超のつくレアアイテムに違いありません。


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 安徽省蚌埠市の定年退職者によるデモ、24日で3日目になりました。
 前日、前々日については当欄の、
「安徽省でデモ発生!」(10月25日)
「安徽省の老人デモ詳報(上)」(10月26日)
 を御参照下さい。

 一応繰り替えしておきますが、このデモは毎月支給される退職金を物価スライド制にしてくれないと、とても暮らしていけない、ということが発端になっています。参加者たちは最初から3日連続で行動することを決めていて、ただ当局が要求に応じた場合は即解散、ということになっていました。つまり24日が最終日という訳です。

 いきなり余談ですが、中国という国は発表される統計だけを見ていても実態が把握できない、という点が際立っています。統計を頭に入れて現地に行ってみたら、何だか状況が全然違うんですけど……ということが珍しくありません。統計の示す状況と現地での実感のギャップが甚だしい、とでも言いましょうか。
 例えばこのデモにしても、「ここ1年余りの物価上昇で退職金だけでは暮らしていけなくなった」というのがそもそもの動機になっています。9月末時点での物価上昇率は前年同期比で5%ちょっとだった筈ですが、どうも実態はそれを遥かに上回る物価高が起きているのかも知れません。地域差もあるでしょうからはっきりしたことは言えませんが、私のように日本にいて現地の実感を得ることができない場合、今回のデモのようなニュースは非常に参考になります。

 さてデモ3日目の状況ですが、今回も「大紀元」に発表された現地在住とおぼしき反政府系コラムニストのレポートに基づいて話を進めていきます。

 http://www.epochtimes.com/gb/4/10/24/n698810.htm

 この報告者は2日続けてデモを取材していて、3日目が最終日だと知っていたので、この日は朝から動き回ることをせず、デモがそろそろ終わりに近付くと思われる15時ごろに現場へ行ってみたそうです。
 そして、前日までとは一変した光景を見ることになります。

 初日には大通りにまとまって座り込み約1kmを占拠していたデモ隊は、2日目には一種の分隊行動となり、ある区間3kmほどの範囲にわたり、交差点という交差点を全て占拠しました。むろん市内の交通は2日間にわたってマヒに近い状態でした。
 で、3日目も基本的に前日と同じ戦術をとったのですが、報告者が足を運んだ同市の交通の中枢ともいうべき交通局付近の交差点には5000人ほどのデモ隊と野次馬が現場を取り巻いていました。ただしその取り巻かれた中にいたのは、ヘルメットと盾で完全装備した軍人数百名(これはたぶん報告者の誤解で、軍人ではなく防暴警察=機動隊だと思うのですが)と警官数百名だったのです。当局が先手を打って、デモ隊が占拠するつもりだった交差点を、警察が逆に押さえてしまったという訳です。

 あるデモ参加者によると、ここはデモ隊の占拠予定地だった3カ所のうちのひとつにすぎず、東寄りの中山街との交差点、及び中栄路との交差点(このあたり地図がないので状況がみえにくいのですが)の2カ所についてはちゃんと確保している、とのことだそうです。また、この日からは市内の様々な職場を定年退職した人々もデモ隊に合流するようになったそうで、これは当局を緊張させる大きな変化と言うことができるでしょう。

 別の参加者によると、蚌埠市当局は今回のデモに際し、中共の習慣とも伝統ともいえる思考法で臨んだとのことです。どういうことかと言えば、デモを組織し、周到に計画をめぐらした敵対勢力がデモ隊の中にいる筈で、まずそれを把握することが肝心という考え方です。このため索敵活動ということで、多数の私腹警官をデモや見物人の中に紛れ込ませ、あれこれ探ってみたのですが、結局収穫はゼロ、つまりデモ隊を操る黒幕の存在を確認できなかったとのことです。これについて参加者は、
「そりゃそうじゃ。このデモは我慢が限界に達したわしら定年退職の工員が、自発的に自然に集まってできたデモじゃからのう」
 とコメントしています。昂然とした参加者の気負い込みが伝わってくるようでもあります。

 事態が動いたのは15時半ごろのことです。老人たちに疲労の色をみてとった機動隊が、不意を突く形でデモ隊の中に突進し、ビラをまいていたデモ参加者を拘束、近くに設けられた指揮所まで連れていき、停まっていた救急車に押し込んだのです。デモ隊は不意をつかれて一瞬呆然としましたが、すぐ我に返り、連行された仲間を助けようと動きました。しかし機動隊の盾の前にその行動は阻まれ、救急車はすぐに走り去っていきました。

 これを機にデモ隊の興奮が一気に高まり、議論する声も大きくなって、付近一帯は緊張感に包まれました。このとき報告者はなるべく近くで見ようと、連れていた子供をだっこして(どうして子連れでデモ取材?)野次馬の最前列に出たのですが、そこで近くにいた警官から、もうすぐ強攻策で一気に事態を解決する(つまり武力行使)から、現場が混乱して関係ない人まで巻き込まれる可能性がある、特に子供は群集に踏んづけられたりするかも知れないから近くに来ないように、と忠告されたそうです。それで仕方なく報告者は人込みから離れ、近くのやや高い場所を見つけてそこから事態の推移を見守ることになりました。

 ところが、一触即発の事態になったことで、治安担当の指揮官はかえって躊躇したのでしょう。老人相手に強攻策に出れば、他の市民も憤激して加勢に加わり、大規模な衝突になる可能性もあります。そこで警官隊に撤収命令が下され、デモ隊が勝ちどきを上げるなか、すごすごと引き揚げていったそうです。最悪の事態は回避されました。

 さて、3日間の予定だった今回のデモですが、参加者の多くは「目的を達するまでやめない」と意気軒高であることから、デモは翌日以降も継続されるのではないかと報告者は書いています。中枢となる組織なり指導者がいないことから、そういう何人かを拘束することで運動を終息させることもできません。ただ当局はデモ隊との話し合いに応じることをきっぱりと拒絶しているため、翌日以降もデモが続いた場合、事態が悪化する恐れもある、というのが報告者の観測です。

 という訳で3日間続いたお爺さんお婆さんたちのデモ、事態が大きく動くこともなく予定していた最終日も無事に終了しました。25日(昨日)以降については確報が入っていないため、とりあえずはここまでです。
 それにつけても思うのは、天安門事件(六四)に象徴される1989年の民主化運動は、運動の主体があくまでも学生や一部の知識人で、市民はそれを応援・支援するというスタイルでした。しかし現今の中国社会において散発的に繰り返されるこうした運動の担い手は、失業者であったり、リストラの決まった工員であったり、政府に土地を強制収用された農民であったり、あるいは今回のような定年退職者であったりと、生活を背負う人々が行動に出ています。その点についていえば、社会状況は1988~1989年当時より遥かにに悪化していると言うことができるかと思います。


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 前回の「速報:安徽省のデモ、3日連続に!」を読み返して笑ってしまいました。
 何だかひとりで力こぶをつくって
「更新はたぶん夜になると思いますが、詳しくはそのときに。」
 なんて書いているのがおかしくて。このプログを読む人なんかいないよ、という想定で(つまり自分のための備忘録のようなつもりで)普段は書いているのですが、この件に関しては何か鉢巻しめて張り切っている様子なのが笑えました。
 もちろん、重大な事件であることには違いないんですけどね。

 閑話休題。安徽省蚌埠市にて3日連続して行われたお爺さんお婆さんのデモの話です。
 初日については10月24日の当欄「安徽省でデモ発生!」で詳報しているのでここでは2日目(10月23日)から。反政府系ニュースサイト「大紀元」に出たレポートに基づいています。

 http://www.epochtimes.com/gb/4/10/23/n698087.htm

 改めてデモ隊(市内の紡織企業を定年退職した工員いち)の要求を書いておきますと、毎月支給される退職金を物価スライド制にしてほしい、でないと生活がやっていけない――というものでした。
 で、初日の段階では当局が要求をはねつけた(多分無視されたんだと思いますが)ため、翌23日も引き続きデモ(座り込み)が実施されました。

「地元公安局への事前申請をしていない以上、これは無許可デモあるいは集会ということで、当局がその気になれば、違法行為で拘束されてしまいます。一見平和的なイベントのようではありますが、かように切羽詰まった行動に出るところまで追い込まれたお爺さんお婆さんたちには、激しい怒りとそれなりの覚悟があったのではないかと思います。」

 と前に書きましたが、怒りも覚悟も、半端なものではなかったようですね。自分たちが生活苦に喘ぐ一方で官僚が汚職で私腹を肥やしている、ということも怒りを増幅させたのでしょう。この意味において、重慶の暴動とやや重なる部分があるように思います。

 前回は勝利路に座り込んで交通を遮断させたデモ隊ですが、この日は占拠する範囲がやや広がったようで、ピーク時には交通局から珠圓賂に至る3km、この区間の交差点という交差点を全て占拠する勢いだったとのこと。もっとも当局の説得及び脅しがあったようで、参加者の数は幾分か減ったようです。

 この日は午前中から事態がやや動きまして、当局は機動隊(防暴警察)を出動させて、デモ隊が占拠する場所近くに配置させました。しかしデモ隊にはそれを恐れる気配は全くなく、一歩も退きません。一方の機動隊は機動隊で、待機命令しか出ていなかったらしく、衝突は起きませんでした。さりとて撤収命令も出ないのでダベったりしながら時間をつぶしていたようです。
 何しろ70歳前後のお爺さんお婆さんによるデモですから、日が高くなる正午近くになると、陽射しがキツいのか帰宅して休む参加者が数多くいたとのこと。でも午後になるとまた戻ってデモに復帰した人が多かったようです。

 レポートした報告者(反政府系コラムニスト)は午前中に現場をひとわたり歩いて、デモ隊と警察の間には衝突もなく、和やかな雰囲気だったとしています。午後になって様子を見に行くと、多くの老人が疲労した様子だっので、緑茶を2ケース買ってデモ隊に差し入れたそうです。
 そのときに参加者のひとりから、もともと3日連続のデモを計画していること、ただし当局が要求を容れればその時点でデモは中止するということを聞き出しています。デモ隊の中に入ってみると、官僚の汚職行為を痛罵する声があちこちで聞こえたとしています。

 一方の当局の動きですが、市内で最もランクの高いホテルである「錦江賓館」の一帯に大勢の武装警察が出動しており、一般市民でもその区域を通り抜けさせてもらえない厳戒態勢だったとのこと。どうしてホテル?というところですが、前日行われた同市新市場(ショッピングセンターか?)のオープンセレモニーに来賓として出席した中央ないし安徽省の高級官僚が、首都北京や省都合肥市から出張してきてこの錦江賓館に投宿しているからだろう、と報告者は想像しています。

 とにもかくにも、このデモは同市にとっては1989年の民主化運動以来の大規模な示威活動ということです。続いてこの報告者は反政府系コラムニストらしく、活動家の視点から今回のデモに言及しています。
「当時の学生運動と比べると、このデモには物足りない点がたくさんある」
 とまずは総評として厳しい点数をつけています。具体的には、

 ●宣伝工作を重視していない。プラカードや横断幕がほとんど見当たらない。
 ●例えば在職当時の部署ごとにまとまるなどして道路占拠を行えばいいのに、そういう組織立った動きがないために脱落者が出やすくなっている。
 ●演説活動をしない、というよりその役目を負った参加者というのがそもそも見当たらない。だから通りかかった一般市民には、何の集まりなのか伝わりにくくなっている。
 ●デモ隊は交差点を占拠するなどして交通を遮断することばかりやっていて、自分たちの境遇を訴えて広範な市民の同情を勝ち取るという本来の目的が全く達成されていない。逆に警察が交通整理の人員を出すなどして混乱回避に努めていることから、デモ隊は逆に孤立する(ないしは渋滞を引き起こす元凶とみなされる)結果になっている。

 ――とのこと。さらに、
「この2日間、当局が冷静に対応していることからみて、明日(3日目)も大事にはならないだろう。当局も鎮圧に出る必要はない。老人たちは疲労しているから、尻すぼみのような形でデモは終息する筈だ」
 といった内容の予測を示しています。逆に当局が重慶暴動の如く武力介入のような強硬手段に出れば、デモ参加者が老人なだけに、死者などが出ればたちまち市民の憤激を買って収拾のつかない事態になるだろう、と不吉な言葉でもってレポートを締めています。
(とりあえずハーフタイム)


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 いまは詳細を書く時間がないので、取急ぎ速報します。

 重慶の暴動が終息したばかりですが、今度は安徽省蚌埠市で22日、市内の紡織工場を定年退職した工員約1万名がデモを行いました。
 中国の退職金は年金のように月ごとに支給されるのですが、最近の物価上昇で生活が苦しくなり、せめて退職金を物価にスライド制にしてくれ、というのが要求のようです。
 1万人が大通りに集結したために交通は遮断され混乱が発生したようですが、何せ70歳前後のお爺さんお婆さんによるデモ(というか座り込み)ですし、重慶の暴動のように鎮圧して評判を落としたくないのでしょう。警察は手を出さず交通整理の人員を出しただけで、デモは平和裡に終了しました。

 ――以上は22日の話ですね。詳細は10月24日の当欄「安徽省でデモ発生!」を御参照下さい。

 で、このデモ、てっきりこれで終わったものだと思っていましたが、違ったんです。
 翌23日も同じようにお爺さんお婆さんのデモが行われ、そのまた翌日の24日(昨日)もと、3日連続のデモとなっています。3日目からは他の企業の定年退職者も加わっているようです。
 また、3日目には機動隊(防暴警察)なども積極的に介入して連行される人も出ている模様です。
 2日目、3日目についても蚌埠市在住らしい反政府系コラムニストが「大紀元」にて詳報していますので、中国語を読める方はそちらをどうぞ。

●大紀元のレポート(初日)
http://www.epochtimes.com/gb/4/10/22/n697218.htm

●大紀元のレポート(2日目)
http://www.epochtimes.com/gb/4/10/23/n698087.htm

●大紀元のレポート(3日目)
http://www.epochtimes.com/gb/4/10/24/n698810.htm

 3日目のレポートを斜め読みしたら「目標を達成するまではやめない」というデモ参加者もいるようなので、事態が拡大する可能性もあります。デモ参加者は老人ばかりなので、警察が変な手の出し方をしたら取り巻いている市民が黙っていないでしょう。

 更新はたぶん夜になると思いますが、詳しくはそのときに。
 何というか、風雲急を告げる状態になってきた、そんな感じですね。



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 新潟中越地震の被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 上は私自身の気持ちを言葉にしたものですが、これによく似た内容の電報が中国政府から日本政府に宛てて届けられました。
 御存知の方も多いでしょうが、温家宝首相から小泉首相に対してのものです。
 あ、でも知っているという方は先日の台風の被害についての電報かも知れませんね。今度は地震の件で電報を打ってきた訳です。

 http://www3.nhk.or.jp/news/2004/10/22/k20041021000187.html
 http://www3.nhk.or.jp/news/2004/10/22/d20041021000187.html

「外務省によりますと、台風の被害について、中国政府がこのような見舞いの電報を送ってきたことはここ数年、例がないということです。」
 とNHKは報じていますが、その直後、またまたお見舞いの電報です。

 別に有り難がる必要などありません。台風のときは、台湾が中国より1日も早くお見舞いの声明を出しているんですから。あるいは電報を打つというのは、台湾のリアクションをパクッたものかも知れません。何たって知的所有権の侵害と海賊版にかけて中国は世界一でからね。
 まあ、25日(つまり今日)から始まる実務者協議に向けて、少しでもいい顔を見せておこうということでしょう。台風に続いて今度は地震か、じゃあまた電報打っておくか、というところですか。
 それでまたそのことを国内的に大きくアピールしています。さっき新華網のぞいたらトップニュースになっていましたし、人民網でもトップページにその見出しを載せていました。

「日本地震死傷惨重 温家宝向小泉致慰問電」
 http://news.xinhuanet.com/world/2004-10/24/content_2133455.htm

 ――だそうです。ただ国内向けにこうして強調することには、どういう意味があるのでしょう。
「中国はこうして日本に優しくしてやっているのに、日本の奴らは盗人猛々しい理屈を並べて云々」
 と、実務者協議に関する報道でアピールするつもりでしょうか?ちょっと違うように思います。先日「抵抗勢力?」で反日気運をあおるようなニュースが最近まとめて出てきた、と紹介しましたが、ここに来てそういうネガティブな報道は影をひそめ、逆に「日中友好」を謳い上げた記事が出てきているんです。
 新華網、人民網に出ていた24日付の記事だけでも、上の電報以外にいろいろあります。

●中日論壇が東北振興と中日間の経済・貿易発展に寄与
 http://news.xinhuanet.com/newscenter/2004-10/25/content_2134349.htm

●魯迅の仙台留学100周年記念で魯迅と藤野先生の孫同士が「旧交」を温める
 http://www.people.com.cn/GB/guoji/1029/2939690.html

●同じ話題(魯迅ネタ)の別バージョン
 http://www.people.com.cn/GB/guoji/14549/2939233.html

●地震に絡めた解説で、日本の防災システムのレベルの高さを賞賛
 http://www.people.com.cn/GB/guoji/1030/2939593.html

●中日友好医院が設立20周年を迎える
 http://zqb.cyol.com/gb/zqb/2004-10/24/content_972536.htm

 で、ネガティブっぽいのは下の記事だけでした。

●国連改革の関連報告、日独の常任理事国化には言及せず
 http://www.people.com.cn/GB/guoji/1029/2937046.html

 魯迅の仙台留学100周年記念云々は人民網のトップページに出ていました。魯迅の孫というのは周令飛氏なんですが、かれこれ30年くらい前でしょうか、この人は来日した際に突如「失踪」しまして、台湾に渡るという騒ぎを起こしたんです。いわゆる「投奔自由」というやつですね。いま何をしてどこに住んでいるのか知りませんが、こうして『人民日報』に出てくるということは、台湾亡命はチャラにしてもらったんでしょう。掲載されている写真を見ると、なるほど魯迅の面影をどこか留めている風情ですが、祖父同様にたくわえた口ひげ、あと目つきが何だか……ペテン師臭いとは言いませんが、どことなく怪しげなオヤジという雰囲気です。

 余談はともかく、こうしたメディアの報道姿勢をみる限りでは、胡錦涛政権は例の実務者協議を控えたこの時点で「反日」ネタで揺さぶってくる政敵(?)の動きを封じることに成功したかのようです。「抵抗勢力?」で紹介した広州の「中国人お断り」喫茶店、あのニュースは転載されていくのかなと考えていたのですが、さにあらず。ネット世論でいうと昨日の「副作用」で言及した「穏健派」論壇もこれに足並みを揃えています。

 まあ、日本政府は本気モードだという姿勢を強調するニュースをどんどん流していますからね。過去にはなかったことです。

 http://www.asahi.com/business/update/1021/001.html
 http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20041024k0000m020121000c.html
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041023-00000633-jij-int
 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20041023ia28.htm

 こういう前例のない動きに対し、中国側はちょっと下手に出てみて、改めて日本側の意図を探ろうというところなんでしょうか。まずは今日の実務者協議で中国側が当初どんな姿勢をみせてくるか、注目ですね。
 で、温家宝は電報なんて打っているヒマがあったら生活苦に喘ぐお年寄り(「安徽省でデモ発生!」参照)を助けるよう働くように。厳命。


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 重慶暴動が終息したと思ったら、今度はデモです。安徽省蚌埠市で22日、地元では最大規模の企業、蚌埠市紡織厰の定年退職者約1万人が市内の大通りをデモ行進しました。――と伝えたのは台湾・中央社ですが、香港『東方日報』の報道が元ネタになっています。

 http://orientaldaily.com.hk/new/new_c57cnt.html

 ただし、実はそれよりも1日早く、反政府系ニュースサイト「大紀元」が比較にならぬ詳しさで報道しているんです。もしかすると『東方日報』の記事もこれに基づいたものかも知れません。

 http://www.epochtimes.com/gb/4/10/22/n697218.htm

 どうして「大紀元」がいちばん早くて最も詳細なのかといえば、「大紀元」はじめ反政府系メディアに評論を提供しているあるコラムニスト、この人がどうやら蚌埠市在住らしく、デモを目の当たりにしたのです。当然のことながら微に入り細に入ったレポートとなりました。

 さて、まずは何のためのデモかという話になりますが、定年退職した工員たちが退職金の引き上げを求めたものだそうです。中国の退職金は日本のようにまとめて支給されるのではなく、年金のように月ごとに支払われます。この工場の工員たちの場合、その額は毎月400~500元。もともとはそれで十分暮らしていけたのですが、ここ1年余りで物価がずいぶん上がったために急に苦しくなった、というより赤字状態になってしまったとのことです。で、退職金を物価上昇に合わせてスライドさせるよう求めている訳です。

 デモといっても定年退職者によるものですし、紡織工場だから女工さんが多いので、ふつう想像されるデモとは一風変わったものだったようです。それでもかなり組織的に動いていたようで、連絡をちゃんと行き渡らせて、22日の午前7時には出発点である同市・勝利路に続々と集合するお爺さんお婆さんの姿が見られたとのこと。それもあれよあれよという間に人数は膨れ上がり、最終的には約1万人に達したそうです。よく見ると板のようなものを各自持参していて、勝利路に着くと場所を選んで腰を下ろしていきます。板はプラカードとかではなく腰の下に敷くためだったんですね。

 なにせ1万人ですから道路は占拠された状態です。少なくとも午前中いっぱいは交通が遮断されたままだったという目撃談(報告者はある程度見物して帰宅したようです)ですが、それってデモじゃなくて座り込みでは?とツッ込むのは慎みましょう。この日は晴天でかなり暑かったらしく、行進するよりマシとはいえ、お爺さんお婆さんの体力ですから烈日にさらされての座り込みだって相当キツかった筈です。

 ところでなぜこの日を選んだかというと、新しくオープンする市場の開業セレモニーが行われることになっていて、そこに温家宝首相が来賓として出席するという噂があったからなんだそうです。「親民総理」といわれるほど庶民派のイメージを持つ温家宝がこのデモを見れば、きっと地元の役所に指示を出して問題解決に向けて善処してくれる筈……という可能性に一縷の望みをつないだ、とまあ、何ともいたましく切ない話じゃあないですか。

 途中、様子見のためか役所の人間が車で乗り込んできたのですが、逆に誰何されると何を慌てたか車を捨てて逃げていったとのこと。重慶の一件があったばかりですから、緊張し過ぎていたのかも知れません。
「大多数の役人は発覚すれば有罪ひいては死刑になるような汚職をやっていて、市民もそれを知っているから役人を内心非常に憎んでいる。役人は役人でそういう市民の感情を常々肌で感じているから、何をされるかと思って怖くなり逃げたのではないか」
 と報告者は書いています。

 重慶の暴動に加え、相手がお爺さんお婆さんということもあるのでしょう。警察も鎮圧に来ることはなく、占拠された勝利路を迂回させるための交通整理の人員を出しただけだったそうです。結局大通りを占拠するだけで終わった「デモ」、温家宝に会うことは出来なかったようです(そもそも温家宝が蚌埠市に来ていたのかも不明)が、3人5人と固まっては社会問題を論じたり幹部の腐敗に憤ったりと、なかなか盛り上がっていたようです。

 とはいえ、地元公安局への事前申請をしていない以上、これは無許可デモあるいは非合法集会ということで、当局がその気になれば、違法行為で逮捕されてしまいます。一見平和的なイベントのようではありますが、かように切羽詰まった行動に出るところまで追い込まれたお爺さんお婆さんたちには、激しい怒りとそれなりの覚悟があったのではないかと思います。


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 私がよく顔を出す中国の論壇が2つあることは前に書きました(※1)。

 ひとつは大手ポータルサイト付属のもの。膨大なアクセス数(つまり「視聴率」が高い)と、反日信者(糞青)でない人も多く集まってくるのが魅力です。

 もうひとつは、民間の論壇(非商業サイト)で、基調は反日ですが、結構理性的な討論が行われるもの。

 この後者のサイトに、「安全委員会」(管理者サイド)の名前で、「一部の敏感な話題の内容に関する規定(暫定)」というスレが19日付で新たに立ちました。要するに、以下の話題は削除するぞというものです。

 ――――

  http://www.tiexue.net/bbs/dispbbs.aspx?boardID=12&ID=373612
 たまには翻訳してみましょうか。

 (1)民主化運動関連。8*8事件(※2)の主要活動者やその無罪を求めるようなもの。
 (2)邪教関連。法輪功やその創始者を持ち上げたり、各地でそのメンバーが迫害されていることに異を唱えるもの。
 (3)反動関連。いかなる理由、いかなる話題であれ、中央人民政府(党中央、国務院、全人代、政協、党中央各部門、国務院各部門)またはそのポストに就いている者やすでに引退ないし物故した党・国家指導者に批判や攻撃の鉾先を向けるもの。
 (4)上書関連。スレタイ・内容に関わらず、中央人民政府に対する公開質問状なり上書とみられる形式をとるもの。
 (5)また、北京市、天津市、上海市、湖北省、広東省、四川省、新疆ウイグル自治区の7省・市・自治区が事実と認めていない内容のニュースは 全て安全審査区に回して審査を実施する。この点各位了解されたし。


 ――――

 それにしても、これだけ枠をはめられたら、じゃあどんな話題を語ればいいの?という感じですね。上の規定、必ずしも厳密に運用されている訳ではないようですが、これなら話していい内容を列挙してもらった方がありがたいです。「なんちゃって香港人」が立てたスレも3つぐらい安全審査区に回されています(笑)。

 上からの通達を受けたのか、あるいはサイトが御法度にかかることを恐れて自主規制したのか……いずれにせよ、胡錦涛総書記による「反日」統制の一端がよく出ているように思います。もうひとつの大手ポータルサイト付属の天下国家を語る板、ここも新規定こそ出てはいませんが、NGワードが増えたり削除率が高くなったりして、話題の幅が狭められています。以上は、お上の通達に素直に服したケース。

 その一方で、前回紹介した「反日貨聯盟網」のように反日主流の過激な論陣を張るサイトもあります。一時期大人しくしていたのが、最近急に勢いを盛りかえしてきました。後ろ盾(となる政治勢力)が強化されたということでしょう。そうでなければまた当局から処分を食いますからね。政争絡みではないかと、私はみているのですが。

 ただこの種のサイトでも、政府批判はまだ避けているようです。糞青というのは日本と日本人を憎悪し、自国の未だ強大でないことを嘆き、同時に日本に対して弱腰(と連中の目には映っています)の中国政府を詰りもするものですが、まだそこまでは元気が回復していないのか、一応リスクを避けているつもりなのか。

 ――――

 何はともあれ、「愛国・反日」あるいは「天下国家」の看板を掲げていた論壇の姿勢が、ここへきて2派に枝分かれしたような観があります。仮に穏健派と過激派、としましょう。以前、「愛国・反日」の糞青が「愛国」の方に傾きかけていると紹介しましたが、これは政府の統制に素直に従った穏健派です。アクセス数でいえばこちら側のサイトの方が圧倒的に多いので、ネット世論への影響力も大きいでしょう。

 いま、そういった穏健派のサイトでは、民主が語られ、政策が語られ、その一方で国内では報道されない情報がゲリラ的に流されたりしています。

 例えばいま現在ですと、安徽省で1万人規模のデモがあった、というスレが民間論壇の方に立っています(元ネタは反政府系ニュースサイト)。

 重慶暴動(※3)関連スレで「万州の民衆の憤激はなぜかくも高まったのか」というのもあります。スレタイがこれなら、官僚の汚職問題へと話が流れていくのは明白ですね。

 ――――
 
 「反日」を抑制した副作用とでも言いましょうか、「愛国・反日」といっても実際は「反日」一辺倒で、現状に結構満足していた糞青たちが、資源紛争・靖国問題で本来なら大沸騰する筈のこの時期に、当局の規制もあって「反日」を脇に置き、そのおかげで自分達の属する社会への問題意識に目覚めようとしています。その動向が注目すべきものであることは以前も書きましたが(※4)、一方の過激派がどこまで「糞青の本分」を取り戻していくのか、政府の弱腰批判まで過激度が回復するのか、これも見どころのひとつです。

 政府の立場からみれば、「反日」を野放しにするのはもちろん危険です。

 仮定として、例の重慶暴動で考えてみましょう。ただの喧嘩で済んだ筈のところが、一方が官僚を偽称して「いかにも」なことを口にしたために取り巻きが騒ぎ、最後には暴動にまでなりました。

 もしあそこで官僚と言わずに、「俺は日本人だ」などと言ったら、恐らくその場で惨殺されていたでしょう。

 そのあとに、昨年の西安の事例のように、日本人の店や日本関連の場所が襲われる。政府がそれを押さえ込もうとすれば、今度は警察(防暴警察=機動隊)と衝突する。

 そして重慶暴動のように、政府庁舎に押し掛ける。そのころには、運動の性質が「反日」ではなくなっているかも知れません。

 ――――

 ……民間主導の「反日」にはそういうリスクがあります。仮に政府に押さえ込むだけの力があっても、鎮圧してしまえば求心力は一気にダウンしてしまう。政府主導の「反日」であっても、暴発を押さえ切れない場合のあることは、昨年起きたいくつかの事例が証明しています。

 だからマスコミの反日報道や、ネット上の反日的言動は統制する。いまの胡錦涛政権の姿勢です(私の見るところ、ですが)。

 でも統制を敷けば敷いたで、今度は自分に批判の鉾先が向けられる(弱腰外交、などと)リスクを政府は覚悟しなければならない。進むもならず退くもならず、中国語でいうところの「進退両難」という状況です。

 それが意味するのは、中国社会の抱える様々な矛盾が、すでに沸点に近付きつつあるということでしょう。


 ――――


【※1】「反日サイトの総本山を中国当局が閉鎖!」(9月1日)参照。

【※2】8×8=六四事件を指しているとみられる。

【※3】詳細は「速報:重慶で暴動発生!」(10月18日)のほか「重慶暴動に思う」(20日)、「続々・重慶暴動」(21日)参照。

【※4】「漂う糞青に変化?盗んだバイクで走り出せ!」(10月17日)参照。




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 ちょっと気になる動きが出てきました。
 いつごろからかといえば、先のプーチン訪中で行われた中ロ国境線確定について、
「政府は石油欲しさに領土問題で大幅に譲歩した」
 という噂(外電)が中国国内に流れ始めたころからです(※1)。そのあと日本側から仕掛ける形になった東シナ海ガス田紛争があり、それに続いて靖国問題(中国の内政干渉)がありました。このため日中両国が角を突き合わせた格好になったのですが、その機会を捉えたともいうべきタイミングで、胡錦涛総書記の足を引っ張るかのような事象が現出してきたように思えるのです。
 要するに権力闘争のようなものです。で、権力闘争にはつきものである陣取り合戦(メディア争奪戦)が始まったのかな……という気にさせられる出来事がいくつか起きています。
 時系列順に並べてみましょう(以前紹介した記事もあります)。


 ●日本人団体旅行客の買春、中国当局が仲介の2人を起訴(読売新聞/10月15日)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041015-00000113-yom-int

 この記事によれば、こういうケースで起訴までいくのは珍しいとのこと。舞台が江沢民の牙城である上海だけに、色々と憶測してしまいます。ただし、国内メディアには全く取り上げられていません。


 そういえば、この記事と同じころに保護指定の骨董品を持ち出そうとした容疑で日本人2名が税関で逮捕され、裁判が開かれた、というニュースもありましたね。

 ●文化財密輸容疑で逮捕の日本人2名に判決
 http://www.people.com.cn/GB/shehui/1061/2921441.html

 ひとりが無期懲役、もうひとりが懲役5年&罰金50万元だそうです。これは中国国内で記事になりましたが、特に騒がれることもありませんでした。


 ●泥酔して屋根に登った日本人観光客、善意の中国人は蹴り落とされ死亡
 http://news.sohu.com/20041019/n222558502.shtml

 これも中国国内で報道されましたが、ことさらに特集を組まれたりする(江沢民時代ならやっていた)こともなく、他の国内犯罪事件と同じようなボリュームで、淡々と紹介されています。
 あとこの時期で思い当たることとしては、中ロ国境線確定における中国側大幅譲歩というニュース、これが胡錦涛政権を面白く思わない筋から海外メディアにリークされた可能性がない訳ではない、ということです。ただし中ロ国境線確定作業は以前から行われていて、江沢民の総書記時代にも随分譲歩したと言われています。つまりこの件では江沢民もスネに傷を持つ身、ということになるようです。


 では次の記事。

 ●新たな日貨排斥運動、今度は深セン地下鉄のプリペイドカード
 http://tw.news.yahoo.com/041020/43/1310t.html

 そうなんです。またぞろ反日運動をやろうとしている連中が出てきました。深センに地下鉄が通るらしいのですが、その乗車券となるプリペイドカードが日本製(この記事によればソニー)になるということで、抗議しているんだそうです。
 問題はその顔ぶれです。「反日貨聯盟網」という民間反日サイトの連中なのですが、このサイト、8月末に反日サイトの総本山である「愛国者同盟網」が閉鎖された際に、累が及んで一定期間の論壇封鎖処分を喰らった3サイトのうちのひとつです。前にも書きましたが、私は政府によるこの一連の措置は江沢民ないし上海閥の手足である「反日紅衛兵」を殲滅するため(だから他の過激なサイトは全てお咎めなし)、つまり権力闘争の一環だとみていましたから、その一派がまた動き出したことにまず注目しています。反日運動にせよ何にせよ、民間組織の活動は強力な後ろ盾がなければできないものです。「反日」に統制が敷かれている現在はなおさらです。それだけに権力闘争のニオイを感じます。

 だいたい、胡錦涛は幹部の腐敗撲滅を呼号しながら、民間の汚職摘発サイトを見つけ次第封鎖させるなど、あくまでも中央統制で、民間の先走りを許さない姿勢でいます。反日運動は外交に影響しますから、いよいよ座視できないでしょう。

 そういえば、胡錦涛政権が「反日」的な報道やネット上での言論に規制をかけている――というのは『読売新聞』の正式な取材によるものですが、これを香港紙や反政府系ニュースサイトが要点をかいつまんで報じたものも中国国内のネット(論壇)に入ってきていましたね。そのあたりを境に、ネット世論が胡錦涛政権に対してやや硬化してきている観があります。これが本当に計略だったのなら、目的は達成されたとみるべきでしょう。


 最後にもうひとつ。

 ●「中国人お断り」で市民に波紋――広州の喫茶店
 http://news.sohu.com/20041022/n222628544.shtml

 タイトル通りの内容なのですが、広州のある日本風喫茶店に入ろうとした市民が、「日本人専用」ということを理由に入店を断られた、というものです。喫茶店側は「ここは日本企業の一部(社員食堂のように)だから部外者は利用できない」と主張していますが、さてどうなるか。『南方都市報』が伝えたこのニュース、私が把握している限りでは大手ポータルサイトのtom.comとsohu.comに転載されていますが、新華網や人民網(人民日報)には載っていません。
 昨年末ぐらいに反日気運が高まった際、上海の「中国人お断り」というナイトクラブやバーがマスコミやネット世論から槍玉に上げられ、吊るし上げられていたのを思い出します。


 とにかく最近は毎日のように反日キャンペーンのネタになり得る記事が出ている訳で、キャンペーンを張って政権に揺さぶりをかけたい勢力と胡錦涛ら現指導部による駆け引きが水面下で展開されている、という印象です。
 で、もうおわかりでしょうが、冒頭に書いた陣取り合戦(メディア争奪戦)というのは、こういうニュースを転載させるさせないで綱引きが行われているという意味です。

 胡錦涛政権、各方面で江沢民時代とは違った自分の色というべきものを出し始めているのですが、まだ磐石だ安泰だと胸を張れるところまではいっていないようです。


 ――――


【※1】16日の「『日本人集団買春+ボルシチコンボ』に政争の香り?」参照。そういえば中国当局は、未だに確定後の中ロ国境線がどうなっているのか公表していません。



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 重慶の暴動は、民衆が官僚・幹部の腐敗ぶりに我慢できなくなっていることを示すものでした。

 同時に、もう「反日」では民衆をまとめることができないことも教えてくれています。

 「反日」でお茶を濁せるほどの余裕が、中国経済・社会にはもうないということです。江沢民時代とは全く異なる点です。というより、江沢民が何も手を打たなかったからここまで来てしまった、というべきなのですが。

 表面的な事象はかなり違いますが、経済・社会に余裕がないという点で、いまの中国は1988年後半の状況に似通ってきています。1988年というのは、天安門事件に象徴される民主化運動の前年であり、運動が沸き起こる伏線が整った年です。

 ――――

 さて、日中関係が政治面では深刻の度を深めています。最近の動きをもう一度おさらいすると、

 ●アジアカップ決勝後の騒動について、中国側が日本政府に謝罪。
 ●知日派の王毅外務次官を日本駐在の中国大使に起用。
 ●いくつかの形で「小泉首相の靖国参拝はやめてほしい」と日本側に要請。
 ●東シナ海ガス田紛争で、中国に日本の主張するEEZ内での採掘計画があることを日本側が暴露。
 ●王毅大使が記者会見で対日政策を表明。靖国問題にも言及。町村外相とも会談し、ガス田紛争に関する実務者レベル協議を実施することで同意。
 ●同日、小泉首相が国会で靖国参拝を今後も続行すると明言。
 ●中国政府が小泉発言に反発。
 ●秋の例大祭で国会議員らが靖国神社を参拝。
 ●中国政府が国会議員らの靖国神社参拝に反発。

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 ……以上の流れをみて、「靖国参拝をやめれば丸く収まるじゃん」と考える人がいるかも知れません。もしいたとすれば、その方はちょっとオツムが足りないのでしょう。靖国問題の是非を議論するのはいいことだと思いますが、あくまでも国内問題なので、議論する権利は日本人にしかないのです。むろん日本に永住権を持つような外国人にも口出しする権利はありません。まあ以前にも書いたことですから後は省きますが、私は「中国が靖国問題への内政干渉をやめれば丸く収まるじゃん」という考えに与する者です。

 それにしても、間合いが絶妙ですね。小泉発言といい、国会議員らの参拝といい、わざわざ中国の顔に泥を塗るようなタイミングで行われていて、日本側の意思表示としてこれ以上のものはないでしょう。しかも中国にとっては胡錦涛政権の足元がまだ固まらず、「反日言論統制」や「中ロ国境線確定」といった問題でグラグラしているところですから。もし日本側のこういう行動に筋書きがあるとすれば、その劇作者はよほどの腕達者といえるでしょう。

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 中国側の様子を見てみましょう。こういう目に遭ったら、もし江沢民なら新たな反日キャンペーンを立ち上げるところでしょう。胡錦涛は、どうなのか。

 結論から言いますと、胡錦涛は以前からの基本姿勢を崩すことなく、「反日」をギリギリの線で抑制している、と私の目には映っています。

 10月16日の「『日本叩き』に当局が圧力、メディアに加え反日サイトにも(下)」にて胡錦涛政権発足以来の「反日抑制」の事例を紹介しました。あれから一週間で事態は大きく変化して、報道にも小泉発言や国会議員らの靖国参拝が大きく報じられています。ヒマを持て余している方は下記のリンクを御覧になるのも宜しいかと思います。そりゃもう電波ゆんゆんですから(笑)。

 http://www.people.com.cn/GB/guoji/1029/2927123.html
 http://news.xinhuanet.com/world/2004-10/20/content_2114091.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2004-10/18/content_2107229.htm

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 中国メディアのこうした反応をみると、胡錦涛の「反日抑制」は後退したかのように思えます。実際、一週間前に比べれば反日ボルテージは高まっているようです。

 ただ、今回は実際に小泉発言や国会議員らの靖国参拝から行われたから、対日外交の「原則」(9月2日当欄参照)に基づいてそれを批判しているのだ、ともいえるのです。靖国問題に何の動きもないとき(例えば10月16日の時点)に、ことさらに歴史問題や靖国問題を持ち出す(江沢民時代がそうでした)のとは訳が違います。

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 もう一点、「反日」に走るなら利用できるニュースがありながら、それを騒ぎ立てることなく、現時点では黙々と処理していることです。

 ●日本人団体旅行客の買春、中国当局が仲介の2人を起訴(読売新聞/10月15日)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041015-00000113-yom-int
 前にも書いたこのニュース、国内では今回の「靖国問題」後も全く報道されていません。

 ●日本人観光客泥酔で屋根登り、善意の中国人は蹴り落とされ死亡
 http://news.sohu.com/20041019/n222558502.shtml
 タイトルそのまんまの事件です。屋根に登った酔っ払いの日本人を、「危ないですよ」と連れ戻そうとした中国人が日本人に蹴り落とされて転落、死亡。これが事実なら、こんな日本人は即逮捕即裁判即死刑判決即死刑執行で構いません。弁護士は弁護なんかしないで、被告のために死刑執行後に必要となる墓穴をせっせと掘ってやって下さい。

 ――それはともかく、「反日」をやるなら非常にオイシイ筈のこの事件、他の中国国内の事件とともに社会面で淡々と紹介されているのみです。

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 あとは中国外交部の反応ですね。日本では王毅が靖国問題に関する新説(10月19日当欄「続・東シナ海資源紛争」参照)を披露していましたが、外交部の定例記者会見はちょっと違います。記者の方から靖国問題の質問が飛んでも従来の原則論に終始して、「靖国神社」という具体的な単語は未だ回答の中には出てこないのです。

 http://news.xinhuanet.com/zhengfu/2004-10/20/content_2113546.htm
 http://news.xinhuanet.com/newscenter/2004-10/21/content_2122517.htm

 こういったことから、私は胡錦涛がその対日政策の基本方針を未だに曲げていないと考えています。

 「反日」は、いまもなお抑制されているとみるべきではないでしょうか。


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※最後に訂正とお詫びを……改題しました。元々のタイトルは
「反日に走れば御陀仏(上)」
 で、文末には、
「長くなりそうなのでハーフタイム。後半開始時刻は未定)(^_^;」
 と調子のいいことを(しかも顔文字付き!)書いておいたのですが、如何せん話題をまとめきれないまま、次々に入ってくる重要なニュースを扱わない訳にもいかず……かくなりました。申し訳ありません。


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