日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)









御家人(河井森太郎)

1967-2011



今生の つとめを果たし いまはただ ただ寄り添いたし 彼岸の君に





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 容態の悪化により、本日入院しました。

 ……この原稿は私が前もって用意しておいたものですが、今後暫く当ブログを管理してくれる知人が入院の時点でupしてくれる手筈になっています。つまり皆さんがこのエントリーを目にするときには、私はもう病院に入っているということです。

 そのとき私には意識があるのかすでに混濁しているのか、これを書いている時点では予測できません。もし辛うじて覚めているとすれば、恐らく多くの「先人」たちと同様、病室の天井や壁や、自分を取り囲んでいる医療機器を眺めている筈です。

 とはいえ、そこには一片の悲壮感もありません。十七歳のときに立てた志、「あるべき自分のカタチ」というものを、100点満点で70点ながら、ギリギリ及第点で私は何とか実現することができました。心を占めているものは、ある種の達成感のようなもの、そして「自分は、生き切った」という充実感であることは間違いありません。

 まあ、自己満足に過ぎないものでは、ありますが。

 自分は恵まれていた、という幸福感もあることでしょう。最晩年になって、私はこのブログの読者の皆さんとOFF会を通じて直に接することができました。皆さんの笑顔と硬軟取り混ぜての熱い語り合いは、私にとって宝物そのものです。自分は果報者だと実感することができました。

 むろん、OFF会に参加することのなかった読者の方も含めて、ここに心から御礼を申し上げる次第です。

 「日々是チナヲチ。」をずっと支えてきて下さり、本当にありがとうございました。

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 一応、「中国観察ブログ」を自称していますから、最後に中国について、いくつか。



 ●中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮。

 上海の摩天楼などの風景に騙されてはいけません。一党独裁という本質において中国は北朝鮮と等質であり、いざとなれば独裁を守るため、いかなる流血の事態を引き起こすことも辞さないでしょう。

 状況によっては、進出している外資企業の強制接収や、在中外国人に対する資産凍結や略奪などが、「官」によって行われても不思議ではありません。

 いざとなったら、何を仕出かすかわからない。……これは頭の隅に入れておくべきことだと思います。




 ●中国は、多民族国家である。

 「多民族」というとチベット人、ウイグル人、モンゴル人などを想起しがちです。確かに中国は56種類の民族によって成立しています。ただし、こうしたいわゆる少数民族が総人口に占める割合は僅か4%であり、残りの96%という圧倒的多数派を形成しているのは漢民族(チャイニーズ)です。

 私に言わせると、この漢民族こそが「多民族」なのです。北京人、上海人、福建人、四川人、広東人、河南人、東北人。……そのいずれもが国家として成立し得る規模を有しているため、感覚的には外国人同士といってもいいくらいの意識の違いがあります。

 中国が統一と分裂の歴史を繰り返してきた理由も、ここにあります。独裁政権は、実質的には武力に頼って統一を維持するほかありません。実際に中共政権も人民解放軍をあくまでも「党中央の指揮に絶対服従するもの」とし、国軍化を断固否定しているのはこのためです。

 「中国人」というものは、例えば国際的なスポーツの試合や外交問題のような限定的な状況でのみ、頭をもたげる特異な観念なのです。日常的には、あくまでも地縁・血縁最優先。例えば東京のコンビニや居酒屋の中国人アルバイトが、往々にして店ごとに「××人」と地方閥で固まっているのは、その好例といえるでしょう。

 もし中共政権による統治を保証している人民解放軍が地縁や利権その他の原因でバラけ始め、党中央軍事委員会を頂点とするピラミッド型命令系統の維持が困難になったときには、国際社会の思惑がどうあれ、中国には割拠に似た状況が現出することになるでしょう。




 ●必ず「中共語」でニュースを読むこと。

 以前にも何度か紹介したことがありますが、ここで念を入れておきます。一般に使われている中国語と、政府や党中央などから発せられる「中共語」は同じものではないということです。

 「日中友好」を中国語に訳すると「中日友好」。ただしこれが「中共語」になると意味が大きく異なってきます。凡例をいくつか挙げておきますので、ニュースで中国の公式声明に接するときは、これを以て解読してみて下さい。

 「対話」→「中共の言い分の押しつけ」「中共からの命令伝達」
 「協議」→「中共の言い分の押しつけ」「中共からの命令伝達」
 「協力」→「中共への奉仕」
 「平和」→「中共による制圧下での非戦時状態」
 「友好」→「中共に従順」
 「交流」→「中共の価値観の押しつけ&軽度の洗脳」



 しかしなから、と付け加えておきます。

 中国がどうなろうと、日本政府がしっかりしていれば何も心配することはありません。

 その日本政府を選ぶのは、私たち日本人です。

 ですから結局、日本人一人ひとりの、民度と品格が問われることになるのです。

 いちばん大切なのは、実はそのことではないかと私は考えています。

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 最後の最後に。一応「弱小・色物系ブログ」を自称していますから、臆面もなくお耳汚しを。

 16年前に作って録音した駄作です。本当はキータッチのパラメータを細かくいじるなどしてピアノに表情をつけたかったのですが、とりあえず録った直後から仕事が忙しくなったので、結局未完のまま恥を晒させて頂きます。諒とされたし。





 それでは皆さん、どうかどうか、御堅固に。

 6年半にも及ぶ長い間、駄文にお付き合い頂き本当にありがとうございました。m(__)m

 後を、頼みます。

 ニッポンと日本人を、頼みます。





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 「ひとつだけ」というものが、私には二つだけ、あります。いずれも香港在住で地元ゲーム誌にコラムを連載していたころの話です。

 とりあえず「ひとつだけ」といえば、矢野顕子の初期における名曲。……と、すぐ反応できる人が当ブログを読んで下さる皆さんの中でどのくらいいるかはわかりませんが、この歌のことです。↓





 あれは1997年の5月のことだったと思いますが、有名クリエイター飯野賢治氏率いるワープというゲーム会社が「リアルサウンド」という新作をセガサターンというゲーム機対応で発売することになりました。

 飯野賢治氏というのは知る人ぞ知るYMO狂でして、当時、東京の外苑前にあったオフィスに行くと、いつもYMOの曲が大音量で社内に流れていたものです(テンションを高めるためなのか、いつもライブ音源だったような気が)。

 「リアルサウンド」はテレビゲームなのに画面が終始真っ黒という型破りなもので、ラジオドラマ風のマルチエンディングゲームとでもいうべき作品でした。途中の選択肢で何を選ぶかによってストーリーが変わり、結末も変わります。

 で、そのゲームの主題歌として採用されたのが上記「ひとつだけ」。私はすぐに「ああ、あれか」と飯野氏がYMO狂であることを踏まえて納得したのですが、職場の連中はゲーヲタでゲームの攻略が上手なために編集部員に採用された、という奴らばかりなので、YMOを知る者など一人もいません。

 私はヒマなときはいつもシーケンサーをいじくり回していましたから、

「御家人さんはどんな音楽を聴くんですか?」

 と聞かれたりします。

「俺か?まあヒカシューとか……」

 などと、わざと濃いものから入っていくと意外なことに即反応があり、

「ああ、ピカチューですね」

 とゲーオタらしい解釈をされてしまいます。orz

「いや違うんだ。プヨプヨという名曲があってな……」

「ああ『ぷよぷよ』。パズルゲームですね」

 と、お決まりのオチ。せっかくだから例の動画をまた出しておきますか。





 他にもZELDAが好きと言ったら任天堂のゲーム(ゼルダの伝説)にされてしまったり、列車を運転するゲーム「電車でGO!」などは、

(タイトーの糞野郎が戸川純の楽曲から名前パクリやがったな絶対)

 と思ったり。↓





 ……「ひとつだけ」に話を戻しますと、ゲームの主題歌になったと聞いて、

「ほら、これが『リアルサウンド』のやつ。最後に流れるのかな。俺も好きなんだよこの曲は」

 と言いながら編集長に聴かせてやりました。編集長君は興味津々で聴き始めたのですが、だんだん奴の表情が凍り付いていき……曲の途中でイヤホンを外して私に手渡すと、

「御家人さんは、こんな音楽を聴いているんですか?」

 これが音楽ですか、という表情で言われてしまいました。この男はゲーヲタ以前にアニヲタであるため、聴く音楽はアニソンばかり。

 さらに輪をかけてセラムン好きで、その関連グッズなど部屋を埋め尽くすコレクションの数の凄まじさに地元週刊誌から写真入りで取材された経験まである奴ですから、私の側からいえば治癒不可能なんだろうなあ、ということになります。私はアニソンはアニソンで音楽だと思っているんですけどね。

 ともかく連中との間に横たわるこの辺の溝の広さと深さといったら話になりません。そういう環境下で長年仕事をしてきた結果が私の寿命を縮める一因になったのではないか、と思うほどです。

 ――――

 もうひとつの「ひとつだけ」は他愛もないことですが、このことばかりは臆面もなく自画自賛してもいいんじゃないかな、というケース。

 私は1995年秋に『ファミ通』香港版(当時)を出していた企業に翻訳者として入社し、香港ゲームメディアの一員となりました。ですから当初は日本語の原稿を中国語に翻訳する仕事に携わっていたのですが、

「せっかく日本人だし」

 ということで、別にコラムを書かされる破目になりました。私はその会社に入ってプレイステーションとは何か、セガサターンとは何か、RPGとは何か、ということを初めて知ったクチなので泣きたくなりましたが、社長命令とあれば仕方がありません。

 でもゲームそのものを語るなんてことはもちろんできませんから、あれこれ考えた挙げ句、香港在住初期に余暇の趣味としてやっていた中国観察を日本のゲーム業界やゲーム市場に入れ換えてやってみよう、という結論になりました。偶然ながらこれがニッチなテーマとなったのです。

 ゲーヲタ風情に市場動向の分析や今後の予測など、できる訳がありません。しかし1996年の夏になると、プレイステーションとセガサターンの販売競争が過熱してきたところに任天堂がニンテンドー64というゲーム機を発売し、「ゲーム機三国演義」などといわれるようになりました。

 こうなると、どのゲーム誌もこの話題を避けて通ることはできません。……ということで翌年に私を引き抜くことになるライバル誌をはじめ、他の雑誌も「どのゲーム機が勝つか」という記事を掲載したのですが、不思議なことに他誌はいずれも「セガサターン」が勝利するとの予測を立てました。

 その理由というのが、

「ゲーマーの好むソフトが多い」
「周辺機器が豊富だからゲーマーは喜ぶ」
「やっぱり『バーチャファイター』シリーズが客を集めることは必至だし」

 といったものばかりだったので抱腹絶倒させてもらいました。ゲーヲタが取り組むとどうしてもゲーマー視点で判断してしまうところに可愛げを感じたのです。ま、所詮馬鹿は馬鹿な訳で。

 ゲーマー視点がいかに無益かということを数字で挙げると、まず日本のテレビゲーム人口(携帯型ゲーム機を含めず)は約3300万人前後。そして日本におけるテレビゲーム機の市場規模というのは、どんなに売れても2500万台に届かないくらい。それでも2000万台は確実にあります。ところが『ファミ通』などテレビゲームを専門に扱った定期刊行物の毎号の販売部数の総和はといえば、いくら頑張っても300万部を超えることはありません。

 要するに日本のゲーム機市場というのは、ゲーム雑誌を熱心に読んでいるゲーマーがいくら頑張っても、その大勢を左右することはできず、勝敗はゲーマーとは無縁の、全く別の要素によって決せられるということです。それが何かといえば、ゲーマーではないし普段ゲーム雑誌を読むこともないけれど、数でいえば買い手の圧倒的多数を占めるライトユーザーの嗜好ということになります。

 ……という道理を私は説いた挙げ句、馬鹿は挑発するに限るとばかりに、

「勝つのは間違いなくプレイステーション。だってライトユーザー向きだから。お前らゲーム雑誌を読んでるような連中には何の力もないんだよ」

 とコラムで結論づけたところ、読者はもちろん他誌からも例によってゲーマー視点の反論がわらわらと湧いて出たのですが、結果は私が予測した通りに事が運び、プレイステーションの独り勝ちとなりました。

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 このことをきっかけに私は業界コラムニストとして重んじてもらうようになり、原稿料も大幅に引き上げられました。実際翌年には引き抜かれましたし。……てなことはともかく、このとき私は「ライトユーザー」の翻訳語で適当なものがなく、その存在について紹介する上で非常に不便を感じたため、広東語でゲーマーを意味する「機迷」という単語の対極ということで頭に「非」をかぶせて「非機迷」という言葉を造語しました。

 この「非機迷」を以て、ライトユーザーというものがテレビゲーム機を含む大衆市場にはいるんだよ、こいつらが一番大事な働きをするんだよ、ということを香港の読者や同業者に知らしめました。

 するってーと、この「非機迷」という日本人による造語が、いつしか香港では業界用語として定着してしまい、いまではゲーマーの集う掲示板やブログ、さらにゲーム雑誌ばかりか、地元紙も文化面で平気で使っているのを知って驚きました。

 おヒマな方は、雅虎香港(Yahoo! Hong Kong)に飛んで「非機迷」で検索してみて下さい。大衆紙『東方日報』や、ややお堅いとされる『明報』まで「非機迷」を使ってくれています。たぶん、記者がたまたまかつて私のコラムの読者だっただけのことだと思いますけど(笑)。

 誰が「非機迷」という造語を行ったか、ということが忘れられてもいいのです。業界コラムニストとしての私の名前が忘れ去られてもいいのです。ただ「非機迷」という単語が今でも使われ続けていることに、外国人コラムニストとしては冥利を感じるのです。

 まあ、どうでもいいことではありますけど。

 死期の迫った老人の、昔誇りのようなものだと思って頂ければ幸いです。





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 遺言めいたものがあるとすれば。……と言ってみるテスト。









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 なーにつまらないものです。








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 私にとって故郷・茨城県日立市を象徴する最大の存在のひとつが、日立製作所野球部。

「今年が最後だから、せめて」

 と、昨シーズンは時間の許す限り公式戦・オープン戦を問わず関東各地へ試合観戦に赴きましたが、その内容は私を満足させるものではありませんでした。

 社会人野球にとって最大の祭典である夏の都市対抗野球に北関東地区第一代表として出場したはいいものの、2ー4であえなく初戦敗退。

 相手が優勝候補の最右翼で実際に準優勝したJR九州とはいえ、明らかにベンチの采配ミスによる惜敗には不甲斐なさを感じたものです。……ていうか怒髪衝天。

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 とはいえ、バス約120台に加えJRに臨時列車2本を走らせて人津波状態を現出せしめた日立市民の「民族大移動」は今回も健在。

 内野席はもちろん、外野席までを日立カラーであるオレンジ色で染め抜きました。

 そして、日立大応援団の半世紀以上にわたる伝統芸、例の得点が入ると舞い踊る「日立ヨイ!ヨイ!ヨイ!」も、敗れたとはいえ2点は奪っていますから、東京ドームという晴れ舞台で2回観ることができました。

 至福のひとときであります。

 という訳で、半年近く前のものですが私の生涯最後となる「日立ヨイ!ヨイ!ヨイ!」を、どうぞ。









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 皆さん、新年明けましておめでとうございます。

 2011年が、皆さんにとって幸福に満ちた一年となることを祈念申し上げております。m(__)m

 今年もよろしく……と言いたいところですが、そこはちょっと自信がないので割愛。

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 かなり体力が落ちてきていまして、最近では近所を散策するだけで青息吐息。

 酒は飲まなくなりました。飲むだけで体力を使いますし、元々美味いと思って飲んでいた訳ではないので。

 でもタバコと珈琲は相変わらずです。こればかりは死ぬまでやめません。(´々`)y━・~~~

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 いまは、わが病状を観じて「来月までは無理ぽだな」と思いつつ、それでも2月に訪れる旧暦の新年(春節=旧正月)を楽しみにしています。

 午前零時とともに、香港や台湾の古馴染みどもに「あけおめ!」と電話やskypeで声をかけてやりたいので。

 ……あ、いまなお意気軒昂な風水のY老師や、大学を卒業して社会人一年生となったアオイちゃんにも。

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 ともあれ皆さん、Z旗ではありませんが「各員一層奮励努力」して、ニッポンと日本人を今年も盛り上げていきましょうぞ。





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