日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 久しぶりに楊子削りを。はいはい内職内職。m(__)m

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一個都不能少 / あの子を探して

VCD

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■生計のため中国農村の小学校で代用教員になった13歳の少女。お目当ては児童が誰も学校を辞めなかったら、との条件で支給されるボーナス。このため授業二の次で児童を監視していたところ、ある日ひとりの児童が町に出稼ぎに出されて姿を消してしまう。ボーナスで頭がいっぱいの少女は児童を探しに知らない町へと出かけて行くものの……素のままに振る舞う子供達の演技?のまぶしさが印象的な作品。コミカルなようで農村問題や教育問題といった社会派の一面を持たせているあたりはさすがに張芸謀(チャン・イーモウ)。

■VCD・109分。音声1種類(北京語)、字幕2種類(中国語、英語)



秋菊打官司 / 秋菊の物語

VCD

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■山深い農村に暮らす秋菊が、些細な喧嘩で夫に怪我を負わせたのに謝ろうとしない村長に激怒。身重な体にもかかわらず遠くの町にある公安局に出かけ白黒つけようとするが、やがて裁判沙汰に発展してしまう。……張芸謀(チャン・イーモウ)のどこかほのぼのとしたコメディタッチ、そして従来とは全く違う役柄を演じ切った鞏俐(コン・リー)の魅力あふれる作品となっています。

■VCD・100分。音声1種類(北京語)、字幕2種類(中国語、英語)



大紅燈籠高高掛

VCD

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■嫌々ながら50歳の資産家に第四夫人として嫁いだヒロイン(鞏俐/コン・リー)。その家には代々受け継がれてきた習慣があり、主人の夜の相手を務める夫人の部屋の前に紅灯籠を掲げることになっていた。4人の女性の思惑や生きざまが複雑に交錯する様子を張芸謀(チャン・イーモウ)が描いた逸品。

■VCD・126分。音声1種類(北京語)、字幕2種類(中国語、英語)



活着 / 活きる

VCD

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■素封家が没落しつつも激動の時代を生き抜いていこうとする家族の絆を描いた張芸謀(チャン・イーモウ)の手による叙事詩。舞台となる1940年代-1960年代といえば日中戦争、国共内戦、大躍進、文化大革命・・・と正に動乱の時代。「活きる」という意志の凄まじさに半端じゃないパワーをもらって元気になりそう。

■VCD・134分。音声2種類(北京語、広東語)、字幕2種類(中国語、英語)



老少無猜 / Go Home

DVD

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■年老いた京劇役者・張金和のもとに突然、孫を名乗る金髪で青い目の男の子が訪ねてきて大騒ぎ。娘の子と知りつつも張金和は孫を相手にせず追い出そうとする。手塩にかけて育てた娘が外国人へと嫁いだことで傷ついた過去を持つ張金和は、その痛みと怒りを孫にぶつけたのだった。周囲の説得で追い出すことは諦めた張金和だったが、孫への冷たい態度は相変わらず。だが天真爛漫な孫にほだされるように、張金和の感情も次第にほぐれ、二人は心の絆を少しずつ強め、親密になっていく。ところが男の子の父親に雇われた弁護士が現れて、張金和のもとから孫を連れ去ろうとする・・・。淡々としていなから、ほのぼの、しみじみとさせられて終盤にホロリ、とさせられる北京独特の四合院を舞台にした素朴な秀作。

■DVD・100分。音声1種類(北京語)、字幕3種類(中国語繁体字、中国語簡体字、英語)



和[イ尓]在一起 / 北京ヴァイオリン

DVD

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■田舎に生まれながらヴァイオリンの才能に恵まれた少年を一流奏者にすべく、貧しい父は節約して貯金しては有名教授に指導してもらうため北京に息子を連れていく。そこでの様々な出会いに翻弄されながらも強まっていく親子の絆。ところが・・・ベタなようでもやはり最後に泣かされてしまう名作。さすがは陳凱歌(チェン・カイコー)監督、本領発揮の逸品。

■DVD・119分。音声2種類(北京語、広東語)、字幕2種類(中国語繁体字、中国語簡体字)



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 前回のコメント欄からお題を拝借します。テーマがテーマですから、今回は十字砲火を喰らうかも知れませんねえ(笑)。

 私はつい中国語を学んだために、それに引きずられて中国、香港、台湾と10年ばかり流浪する破目になってしまいました。

 そのため現在もそうであるように、現地在住のころもローカル(現地の住民)と手を組み肩を組んで、同じ塹壕にこもってローカル向けの仕事をすることが多く、自然に日本人駐在員と接触する、現地の日本人社会で交際する、などという水位ではなかったため、個人的には関連業界の人とお付き合いがあった程度でした。

 それから私は中港台と流浪したのですが、中国にいたころはまだ駐在員自体がそんなに多くなかったり、台湾では仕事一辺倒で周囲を眺める余裕がなかったので、私の場合は香港の「駐在員」に限定されるといってもいいです。

 印象でいえば、私がいたころの中国はまだ対中投資が盛り上がる以前のことで、派遣されてくる駐在員も中国語のできる人が大半だったので、現在のようにその質を嘆くまでには至りませんでした。ただ社費の浪費癖はそのころからありましたね(笑)。

 ちなみに、いま日本にいる私の肩書は「東京駐在員」みたいなものです。でも大手企業の外地の日本人駐在員のように家賃を会社が持ってくれるとか諸手当がついてオイシイ、といったことはありません。給与も香港ドルとかNTドルで向こうの現地通貨建てですから、常に円安たれと祈っている毎日です(笑)。

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 さて、「駐在員」というと、ローカル身分の日本人や留学生、あるいはローカルそのものから蛇蝎のように嫌われているイメージが先行します。

 ただイメージ先行という部分もあって、同じ駐在員でも私にとって接触頻度の高かったサブカル業界の駐在員は商売柄意外にくだけていて、ローカルにも気さくで、その目線で物をみることのできる人が少なくなかったです。むろん、そうでない人も結構いましたけど。

 あと金融など他の業界でも10年から20年くらい香港駐在員を続けている人などはいわゆる「駐在員」の範疇に収まらず、ローカルからも慕われる存在、といった人が少なくありませんでした。

 それから駐在員ながら公費で贅沢なんてことに縁遠い人もたくさんいました。ただ贅沢しなければローカルスタッフに好かれるという訳でもありません。

 要するに愛着なのかなあ、と私は思います。個人的経験に照らしていえば、「駐在員」が悪い意味で使われる場合は、第一に往々にしてその土地への愛着のない人のケースが多いように思います。

 それから言語ですね。香港でいえば広東語や北京語でコミュニケーションがとれる人は当然ながらローカルスタッフとの距離感がぐっと近くなります。

 英国統治時代の香港でも、英語で押し通す人、これは広東語や北京語ができないためやむを得ず英語に頼らざるを得ない面もあるのでしょうが、こうなるとやはり壁ができてしまう部分があります。

 統率力や人格的魅力のある人は英語しかできなくても「モーマンタイ、モーマンタイ(無問題)」と片言を差し挟むだけで愛嬌になっていた人もいますが、これは例外的なケースでしょう。

 ――――

 そこで愛着という訳です。一般論としていえば、現地の言葉が使える人は当然ながらその土地に一種の思い入れがありますし、ローカルスタッフとのやり取りも直接できますから、いわゆる「駐在員」としてローカルに嫌われることは少ないように思います。

 そうでない人は……例えば「来たくなかったけど社命で仕方なく住んでいる」とか「何でこんな歳になって駐在員をやらなきゃいけないんだ」という思いのある人はその土地に馴染もうという意識が希薄ですから、いわゆるローカル日本人&ローカルに蛇蝎のように嫌われたり唾棄されるタイプになりがちです。

 言葉ができないから(英語も下手糞だったりしますし)住みにくい。部下との意思疎通もどこかうまくいかない。さらにその土地、ここでは香港ですが、そこに愛着がないのと日本より後れている部分があるということでどこか見下した態度をとる。これはすぐローカルスタッフに見抜かれてしまいます。

 それから「社命で仕方なく住んでいる」という部分もありますし、「駐在員」同士の付き合いがそうであることから、経費でバカ高い日本料理屋で飲み食いしたり高級マンションに住んだりします。そうせざるを得ない、という面もあるでしょう。ランチなど日常的な食事も高いところが多かったり。

 ……ただそうやって「日本」をそのまま持ち込むような生活を送っていれば、ローカルスタッフの顰蹙を買っても仕方がないと思います。

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 私は配偶者が某大手電器メーカーの駐在事務所で働いていたこともあって、「駐在員」の悪い噂はよく耳に入ってきました。

 ●接待名目で会社のカネ使って自分名義のゴルフクラブの会員権なんか買ってんじゃねーよ。
 ●お前の分際でなんでミッドレベル(半山区=香港の高級住宅地)なんだボケ。
 ●女買うために名目つけて中国出張してるんじゃねえ阿呆。

 しかも全て社費での贅沢三昧。日本に帰れば奥さんがスーパーでパートしたりしているくせにねえ。何のぼせ上がっているんだか、舞い上がっちゃってるんだか、こういうときにしか機会がないから増長しているのか、そこら辺はわかりませんが。

 支店長クラスになると50歳を超えて定年間近であることを理由に、家事については不如意だからとより豪華なホテル住まい(もちろん社費)。それでクリーニングとか光熱費の支払いをローカルスタッフにやらせたりしているんですから、そりゃ嫌われますね。

 単身赴任している人は日本でパートをしている奥さんが遊びに来ると、その暮らしぶりの豪華さに目を見張ったりしています。もちろん旦那が週末ごとに中国本土に「出張」して××してるなんてことは知りません。

 奥さん帯同で香港駐在になってもそれをやっている奴もいましたね。細君が美人で慎ましい大和撫子タイプだったので義憤しましたよ私は(笑)。

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 ただ、こういうのは駐在員に限らず、私が上海にいたころ、あぶく銭を持たされている留学生にもそういうタイプの日本人がいたことを付記しておきます。いまはどうなのでしょう。

 常識云々ということでいえば留学生も「駐在員」を笑うことはできず、週末に彼女同伴で高級ホテルに泊まった奴が枕やバスタオルや灰皿などを持ち帰ってきたために留学先の大学にホテル側から連絡が入ったことがあります。日本人の面汚しですね。

 そういう留学生やローカルの眉をひそめさせる「駐在員」、あれは常識があるかないか、年齢がどうかというより、現地や現地人への見下した感覚や「旅の恥はかき捨て」的な感覚が作用しているのだと思います。

 少なくとも
「おれは日本人だから恥ずかしい真似はできない」といった矜持のないことは確かですね。

 例の瀋陽の事件、タクシーのシートに口にしていたガムをべったりと貼り付けたとされる日本人。

 事件の全容が明らかになっておらず、この発端となったとされる部分が事実かどうかもまだわかりませんが、赤信号で後続するタクシーに乗っていた中国人たちが加勢に駆け付けて運転手を車外に引きずり出して暴行するというのは、事実だとすれば堅気臭がありませんねえ。

 ガムの一件が事実だとすれば、日本人の面汚しです。

 ――――

 私の香港時代は常にローカル待遇でしたし、みんなで力を合わせてひとつの物事を成し遂げるという性質の仕事ですから、現在もそうですが幸い同僚とうまくいっていないということはないようです。

 ライバル会社の連中も来日すると挨拶に来ますし、それではと定例になっている場所に酒席を設けて一夕仕事抜きで歓談すると、それが嬉しいのか一人前扱いされている基準のようなものらしく、雑誌編集者などは自己宣伝なのか編集後記にわざわざそれを書いたりします。虚名というのもいいものです(笑)。

 ただ私個人は、香港と香港人は大嫌いです。いやもうホントに大嫌い。

 むろん一般論であって、配偶者は別です。たまたま香港人だっただけのことですから。……仕事仲間も苦楽を共にする「戦友」ですからまた然りです。

 「嫌いな理由」を思いつくまま挙げてみると、

 ●私自身が北京語出身(香港は広東語)。
 ●台湾の温かさが身に沁みている。
 ●香港人は現実的で計算高い。
 ●香港人は長期的視点で物事や人材を育てようとする意識が希薄。
 ●香港人は実力がないくせにプライドばかり高い。
 ●香港人の意識の底流に反日の土壌がある。
 ●ハード(高層ビルとか)だけは東京並みでもソフト(例えば店鋪のサービスなど)のレベルが伴っていない。

 といったところです。むろん香港という土地に格別の愛着もありません。香港人を一種見下したような感情もないとはいえません。

 ――――

 ただ統率上、また公私共に余計なトラブルを避け、「日本人」に対するイメージを多少なりとも好ましいものにするために、そういう気配を微塵も感じさせないように香港では振る舞いかつ愛嬌を振りまいてきました。演技でも誠を込めた演技であれば真に入るものです。

 その気がなくてもローカルと一緒に泣いたり笑ったりすることは朝飯前です。涙なんて統率上必要ならいつでも必要な分だけ流せます。何せ相手は外国人で自分だけ日本人なんですから、そのくらいのことができなければローカルスタッフを引っ張っていくことはできません。

 副業のコラムでも「懇切丁寧でいい日本人」「日本人だけど香港人の味方」(日本批判をやるということではなく、香港人と同じ目線ながら香港人にはない視角を持っているということ)といったイメージを最初から徹底させていますから、しばしば香港に苦言を呈しても大抵の読者は憎むことなく、私の言葉を素直に受け取ってくれます。

 そして現在に至るまで、実際に上述したような「本性」を気取られたことはありません。

 ですから業界内を見渡したところ私にとっての敵はいないようですし、仮に私を敵視しても仕事をさせればその差は歴然。おめーらの実力で何とかなると思ったら大間違いだ、日本人を舐めるんじゃねー!……くらいの気持ちは常に持っています。

 まあ駐在員でないため仲間意識が生まれやすいということも幸いしているのでしょうけど、前述したように関連業界の日本人駐在員にも本音はともかくローカルにごく気さくに接し、「気取られない」ことに努めて仕事のしやすい環境を作り上げている人がいました。

 ――――

 何だか締めようのない話になってしまいましたが、要するに自分がいまいるところはアウェーであって日本ではない、ということを意識せず、無理に「日本」をそのまま持ち込んだりするような無茶や油断やスキがあるからバッサリと斬られるのです。

 あとはローカルスタッフや現地住民と接する際に「自分は日本人だ」という矜持が欠落しているのではないでしょうか。

 以前、日本の統治下にあった台湾やパラオには日本人によるたくさんの美談が残っていますが、その一方で支配者風を吹かせて嫌われたケースも少なからず存在した筈です。

 俗にいう「駐在員」、悪いイメージを伴う日本人というのは、そういう弊風を地で行っているのではないかと思います。

 もちろん、私は山師の類ですから立派な日本人ではありませんけど(笑)。



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 おやおや。流して済むと思っていた話題が意外な新展開をみせましたよ。

    ∧_∧
 ( ・∀・) ドキドキ  もしかして
 ( ∪ ∪           荒れはじめ?
 と__)__)

 いやー推移次第ではそうなるかも知れませんね。いや、そうであれかし、と日本にいるので無責任にワクテカしてみたり(笑)。

 ――――

 この事件です。

 ●瀋陽の日本総領事館に300人 「日本人が暴行」と抗議(asahi.com 2006/08/23/00:45)
 http://www.asahi.com/international/update/0823/001.html

 中国・瀋陽で21日深夜から22日未明にかけて、日本人が中国人タクシー運転手に暴行したとして、これに抗議する約300人の市民らが在瀋陽日本総領事館前に集まり、抗議活動を行う騒ぎがあった。
(後略)

 ……屯集した市民らは興奮して「打倒小日本」などと叫んでいたようですが、地元の警官隊に追い散らされた模様。

 ――――

 当の瀋陽日本総領事館は「事実に異なる」との発表をこれより早く、つまり事件後ほどなく行っていました。

 ●注意喚起(当館に対する抗議行動)(瀋陽日本総領事館 2006/08/22)
 http://www.shenyang.cn.emb-japan.go.jp/jp/connection/security/security_l_20.htm

 昨日(8月21日)午後11時25分頃から0時30分頃まで、当館前及び周辺においてタクシー運転手を中心に約200-300人による当館への抗議行動が発生しました。なお、当館に対する物理的な加害行為はありませんでした。

 本抗議行動の詳細については未だ不明な点がありますが、昨夜、瀋陽市内において、日本人と同乗していた複数の中国人乗客がタクシー運転手に暴行を加えたことが、日本人による暴行としてタクシー運転手の間に広まったことが原因と言われています。

 現在、当地公安機関が本件について調査中ですが、皆様には以下の諸点についてご留意の上、 ご自身の安全確保には十分ご注意下さい。

 ◆今回の事態を踏まえ、タクシー乗車の際には特別の注意を払い、大声で日本語で話すことは慎むこと。
 ◆集団で騒ぐなど、日本人と分かるような目立った行為は慎むこと。
 ◆自社の従業員を含め中国人と接する際には、言動等に注意すること。
 ◆当館のホームページ、外務省の海外危険情報などをこまめにチェックすること。

 なお、当館に対する照会・連絡は、当館代表電話(024-2322-7490)にお願い致します。(勤務時間外は自動アナウンスが流れますが、案内の音声に従って緊急連絡担当者につながります。)

 ――――

 香港紙では『明報』電子版がNHKの報道に食い付きました。

 ●日本メディア:瀋陽で反日デモ出現(明報電子版 2006/08/23/10:30)
 http://hk.news.yahoo.com/060823/12/1rssa.html

 ただここには「集まって騒いだ」とあるだけで、瀋陽日本総領事館が「事実関係が違う。殴ったのは日本人ではない」と発表した、などという肝心の部分は省かれています。

 ともあれ「なーんだ空騒ぎか」「いやこれは反日デモを狙う連中の謀略かも」などと思いつつも、事件は一件落着した。……とみられたのが、あにはからんや。

 中国の国営通信社・新華社が
「事件は事実」報道を配信してしまいました。

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 この新華社電、たぶんまだ海外限定だと思いますけど、香港メディアが早速記事にしていますので、このニュースがネットを通じて中国国内へと逆輸入されるのは確実でしょう。

 ●瀋陽にて日本人とタクシー運転手が衝突(明報電子版 2006/08/24/11:15)
 http://hk.news.yahoo.com/060824/12/1ruah.html

 ●日本人がタクシー運転手を殴打……瀋陽(星島日報電子版 2006/08/24/11:30)
 http://hk.news.yahoo.com/060824/60/1rucp.html

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 「明報電子版」によると、新華社が報じた事件の経緯は次のようなものです。

 8月21日夜、日本人某と新婚であるその妻(瀋陽人)、それに中国人の友人5名が瀋陽市内で白酒とビールを軽く引っかけてからタクシー2台に分乗、食事のためレストランに向かった。

 事件が発生したのはその移動中のこと。先行するタクシーに乗っていた日本人某が口にしていたガムを取り出して座席にベッタリと貼り付けたのが発端で、これを不満とした運転手谷某と日本人某・その妻との間で口論になり、やがて掴み合いや引っ張り合いに発展。

 この様子を2台目のタクシーから見ていた中国人趙某、張某(いずれも瀋陽人)が赤信号で停車したところで車から飛び出し、日本人某らの乗るタクシーに駆け寄って運転手谷某を車外に引きずり出し、殴るなどの暴行を行って谷某は右目に重傷を負う騒ぎに。日本人某はこれをみて急いで現場を離れたとのこと。

 たまたま現場に居合わせた市民が暴行を目にして警察に通報、警官が到着して趙某、張某を警察署に連行し事件の経緯などを追及。翌日には日本人某を含む事件の関係者一同を警察署に出頭させて事情を聞き、現在取り調べが進行中。

 ……とのことで、これを伝え聞いた同業のタクシー運転手や市民が市内の日本総領事館前に集まって騒いだ模様。

 ――――

 要するに瀋陽総領事館の発表の通り、殴打などの暴行に及んだのは日本人ではありません。

「本抗議行動の詳細については未だ不明な点がありますが、昨夜、瀋陽市内において、日本人と同乗していた複数の中国人乗客がタクシー運転手に暴行を加えたことが、日本人による暴行としてタクシー運転手の間に広まったことが原因と言われています。」

 という様子なのです。ところが香港紙の報道はどうでしょう。「明報電子版」のタイトル、

「瀋陽にて日本人とタクシー運転手が衝突」

 はまだしも、「星島日報電子版」の、

「日本人がタクシー運転手を殴打」

 は明らかに事実を歪曲しています。記事もリードの部分では、

「地元のタクシー運転手1名が日本人に殴打されて入院した」

 としていながら、後段では殴ったのが中国人であると書いています。悪意を感じますねえ。まあ『星島日報』てのは以前からそういう新聞ではありますけど。

 ――――

 それにしても、

 ◆今回の事態を踏まえ、タクシー乗車の際には特別の注意を払い、大声で日本語で話すことは慎むこと。
 ◆集団で騒ぐなど、日本人と分かるような目立った行為は慎むこと。
 ◆自社の従業員を含め中国人と接する際には、言動等に注意すること。

 ……何でこんなことに気を使う必要があるのでしょう。江沢民が始めた反日風味満点の愛国主義教育と、それを受け入れてしまう中国国民の民度の低さを示して余りありますね。

 ともあれこの事件、瀋陽市当局ひいては中国政府がしっかり対応しないと噂が噂を呼んで騒ぎを招くことになるでしょう。騒ぎを起こすことで胡錦涛を困らせたい政治勢力が存在しているでしょうから、ここはメディアに対する胡錦涛の掌握力が問われるところです。

 時期が時期ですし、「SAYURI」の上映禁止よりはインパクトがありそうなこの事件、ともあれ続報に期待です。



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 正確には「中国人臭」とでもいうべきものです。

 中国三千年の歴史を煮詰めたかの如き体臭があるそうなのですが、当人にはわからないので困ってしまいます。

 いまもなおそれが存在しているのかどうかもわかりません。

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 私が上海留学中に中国では天安門事件(1989年)が起きて、不本意ながら半強制的に帰国させられたころの話です。

 やることもなく実家でプラプラしていたのですが、後日母が言うところによると、最初の一週間くらい、私の身体は「支那のかほり」を発していたそうです。

 私自身はそれがわからないものですから、表現のしようがありません。母の言によれば、いい香りでなかったことは確かなようです(笑)。風呂に入ればとれるというものではないようです。

「最初の一週間」
「風呂に入っても落ちない」

 ということから考えると、恐らく食い物と関係があるのでしょう。留学当時の私は嚢中が乏しく、トタン張りの屋根付き自転車置き場のような場所を厨房にした青空屋台のようなところで食事をすることが多かったので(もちろん箸持参)、恐らく発生源はそのあたりかと。

 普通の家庭に招かれて御馳走を頂いたりする機会もよくありましたが、当時は料理といえば「味精」(中国版味の素)をガンガンふりかける風潮が一般的だったようですから、あの「味精」のニオイかなあと考えたりしました。

 ――――

 数年後、香港へ渡って最初で最後の日系企業に勉めていたとき、雑談中にふとその話題を持ち出したら、やはり中国留学経験者(北京)の同僚の女性が、

「あるある。それあるよー私も家族に言われたもん」

 と大いに頷いてくれました。でも私同様、彼女もどういうニオイなのかは自分ではわからないので形容しようがありませんでした。

 存在していることは確かなのです。でも、当事者にはそれを確認することができません。

 最近は都市部は随分と近代的高層ビルが立ち並んだりしていますから、もうそういうニオイはしないのでしょうか。

 駐在帰りとか留学帰りの方で指摘された経験のある人、いますか?

 ――――

 香港や台湾は「支那のかほり」からは自由であるらしく、帰国してから尋ねてみても、家族からは苦情が全く出ませんでした。

 香港人の中には「大陸の連中は臭い」という人もいましたけど、あれは不潔・不衛生をそう表現しているのか、広東省などの親の実家に帰省した際のトイレに辟易した記憶がそう言わせているのか、それとも実際に体臭を感じるのかは聞き損ねました。

 配偶者にはわからないそうなので、今度仕事仲間に聞いておきます。

 ベストセラーとなった『醜い中国人』で長い歴史に育まれた伝統的な弊風の蓄積を「漬物瓶」と喝破し、それによって現代中国人の行動原理を批判したのは台湾の作家・柏楊でした。

 観じるに、この「漬物瓶」は未だに健在、というか表面的な経済発展に目が眩んで増上慢になってしまった分だけ状況は悪化しているように思うのですが、私にとって大きな謎である「支那のかほり」が絶滅せずに残っているのかどうか、これは興味のあるところです。

 ――――

 最後だけチナヲチらしい話をしておきますと、中共系メディアによる靖国参拝への直接的なリアクションは一段落したようです。

 もう興味は自民党の総裁選に移っているらしく、安倍官房長官叩きらしきものが始まった一方で、出馬表明をした麻生外相に日中関係改善の期待を寄せているような報道が出てきています。

 たまたま安倍氏と競う形になっただけで、麻生氏が昨秋、中共に散々煮え湯を飲ませたファンタジスタ(笑)であることを忘れてしまったとは思えないのですが、フックだが消えてしまったので選択肢がなくなってしまったのでしょうか。

 ●ファンタジスタ。・上(2005/11/04)
 ●ファンタジスタ。・下(2005/11/04)

 ――――

 あ、もちろん「谷垣財相が小泉首相の靖国参拝を批判」というソツのない記事もありました。中共が馬鹿なら、今後はこの谷垣ヨイショにまとまっていくのではないかと思います。それで谷垣財相が迷惑するという(笑)。

 まあ迷惑してもしなくても結果が見えているレースではあります。それだけに、中共からエールを送られれば媚中派イメージが強まっていよいよ迷惑することになると思うのですけど。

 香港紙ではすでに小泉首相の靖国参拝を支持する日本人が急増したとの世論調査結果を報じていますが、新華社以下には、というより胡錦涛にはまだそこまで踏み込む度胸はないのでしょうか。

 今回は日本のマスコミが世論から乖離するという珍現象が発生しました。……というより以前からあった傾向がひどく派手に顕在化した訳ですが、香港のマスコミにはそこまでの分析能力はないようです。

 むろん、国民の中で決して少数派ではない日本のネット世論から本音をうかがう、というアプローチも欠けています。

 まあ中共にせよ香港にせよ、「軍国主義」なんて言葉をいまでも使っているようでは当分無理ですね。

 ――――

 何はともあれ「支那のかほり」です。封印されていた記憶が「小便事件」でにわかに甦った次第。そうなると気になって仕方がありません。

 どなたか是非、納得のいく説明をして下さい。m(__)m



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 続報、とうたっていますが、それほどの内容はありません。

 きのう(8月21日)たまたま仕事で近くを通ったので靖国神社にて愉悦のひととき。参拝してから例によって遊就館で海軍コーヒー&海軍カレー&零戦を楽しんできました。

 その遊就館へ行く前に社務所に立ち寄って受付の方に事情を話したところ、

「上の者を呼んで参りますので少々お待ち下さい」

 と言われたので玄関口の椅子に座って待っていると、靖国名物ともいえる折からのものすごい蝉時雨で、まるで全身にシャワーを浴びているような感じがしました。日陰なので陽射しに煎られることもなく、ときどき涼しい風が吹き込んできて、スーッと汗がひいていくような爽快さです。

 8月15日もこういう静かなときに参拝できたら良かったのに(誤解なきよう申し上げておきますが、私は小泉首相による参拝断固支持派です)。……などと考えていたところに担当の方が出てこられて、改めて事情を話して御存知でしょうか、と尋ねたのですが、靖国神社としてはそんなことがあったとは知らなかったし、特に警察から連絡を受けてもいない、ということでした。

 ――――

 参拝するところにいつも立っているガードマンの方も、

「小便?そんなことがあったんですか?……まあ、あの日は色々あったからねえ」

 とのことで、事件については全く知らなかった、とのこと。犯行は小泉首相が参拝したと聞いて衝動的に行われたもののようなので、たまたまナマコイズミにぶつかってしまった私もその時間には撤収していたでしょう。九段坂を下りきったところに香港並みに冷房のきいた喫茶店があるので、そこで大休止して暑さと疲労で消耗した体力に回復魔法を施していた筈です。

 ……それはともかく、前回紹介したように有名な反日活動家・童増は香港紙『明報』に犯行に及んだ者の名前まで出しており、善後策を講じるためにメンバーを日本に派遣したとも話しています。

 なにせ「小便」ですから、それを吹聴しても香港であれば逆に顰蹙を買ったり馬鹿扱いされることはあれ、拍手する人はそう多くないでしょう。本来童増としては「日本の警察が不当逮捕」と訴えたかったのではないかと思います。

 それだけに事実である可能性は高いと思うのですが、この先は所轄の警察署にでも行って取材しないとなりません。さすがに私にはそこまで手間ひまをかける余裕はないので、童増による『明報』経由の続報を待つしかありません。

 ――――

 その童増が翌日の『明報』(2006/08/21)でこれまた面白い話を明らかにしています。中共当局から8月15日、童増に連絡があり、日本への対抗策を民間からも提案してほしいと言ってきたそうです。

 http://hk.news.yahoo.com/060820/12/1rn2e.html

 童増によればこういうことは過去十数年来例がなく、中共当局といえば今まではいつも童増を重点的にマークしたり弾圧してくる存在だったので戸惑っている模様。胡錦涛政権が開放的・現実的な対日新思考型外交を志向していることの現れだ、としています。

 まあそれが事実なら反日気運を煽るかのような報道をマスコミに許す一方、中国国内では民間の反日活動を徹底的に抑え込むといったマッチポンプともいうべき矛盾を蓄積してきたツケが回ってきた、といったところでしょう。

 統治者としては、民間組織に勝手に反日活動をやらせて昨年のような反日騒動を再現されては困るものの、抑圧一辺倒で鬱屈した「糞青」(自称愛国者の反日教徒)ら反日分子どものエネルギーが、都市住民や農民の人権保護活動ひいては反政府運動といった方向に噴出してしまうのも避けたい。

 ……そのあたりのバランスをとるのが限界に近くなってきた、と胡錦涛政権が感じているのかも知れません。

 ――――

 ただ党上層部が決して一枚岩でないことを考えると、これは胡錦涛サイド(「擁胡同盟」=胡錦涛擁護同盟)による反日組織懐柔策である可能性がありますし、逆に『江沢民文選』学習運動という追い風に乗っているであろう「反胡連合」(反胡錦涛諸派連合)が童増らを使って何事かでひと騒ぎさせ、胡錦涛政権を困らせようとしている、という考え方もできます。

 いずれにせよ童増は「道具」にすぎないのですが、これは一党独裁政権下で「反日」など政治的な活動を許されている「民間組織」の宿命ですから仕方ありません。

 これは貶していうのではなく、「中国民間保釣連合会」や「愛国者同盟」といった著名な反日民間団体は政治的保護者という飼い主が常に必要な「犬」といってもいいでしょう。中共政権下において「野良犬」の存在は許されません。

 それにしても、童増はまた余計なことを喋ってしまったのではないかという気もします(笑)。対日民間賠償訴訟や尖閣諸島問題に十年以上携わっている苦労人の割に、童増には
「空気が読めない」のと「口が軽い」という致命的な欠点があり、そこが反日活動家ながらどこか憎み切れない一種の可愛げを感じさせるところです。

 ――――

 ちなみに当局の要請に対する童増の献策というのは、

 ●靖国問題を国際化させた上で、国連安保理常任理事国という立場を生かして靖国を封じ込める対日決議案を成立させる。

 ●一種の経済制裁として、右翼勢力を支持する日本企業の中国進出を規制する。

 ●日本の対中円借款の中から民間対日賠償分を割り引く。

 というもので、その無茶さ加減と現実認識はさすがに「珍獣」(プロ化した糞青)だけのことはあります(笑)。「尖閣諸島奪回作戦」が含まれていない分、童増にとっては現実的なプランに絞ったつもりなのかも知れませんけど。

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 ちなみ昨日は靖国神社に立ち寄ったあと、遊就館で配偶者と合流して中文歌曲の充実したカラオケ屋に行ってきました。

 確かに北京語・広東語とも至れり尽せりの豊富な陣容でしたが、それよりも戸川純の歌が色々あって驚きました。「玉姫様」や「レーダーマン」はまだわかるとしても、「隣の印度人」「昆虫軍」や「母子受精」、そして「夢見る約束」まであるとは!配偶者は「好き好き大好き」がない、と憤慨していましたけど(笑)。

 YMOも「君に、胸キュン。」だけでなく「過激な淑女」などまでありました。それなのになぜ「以心電信」がないのか、と私は歯ぎしりすることしきり。まあせっかくですからアンディ・ラウ(劉徳端)の「忘情水」とか「纏綿」とか、あと劉歓とかその辺の北京語の歌を楽しんできました。

 戸川純にYMOといえば、最近は家で流しているCDが「超時空コロダスタン旅行記 アポジー&ペリジー」、これ一辺倒。アマゾンや楽天に始まって意表をついてyesasia.comまで回るなどして苦心惨憺して手に入れたものです。

 「アポジー&ペリジー」で聴きたい歌は「テクノ歌謡・真空キッス」が大方カバーしている上に「夢見る約束」が細野晴臣版・戸川純版とも入っていてお腹一杯なのですが、唯一、越美晴の手による名曲「逆さ賢人イーガス」だけが収録されていなかったのです。

 だからもう嬉しくて嬉しくて。……って何だか最後は関係ない話になってしまい申し訳ありません。

 ……あ、カラオケに興じているヒマがあるなら警察に行って取材しろ、とか言わないで下さいね。中共風にいえば「社会主義精神文明」をより豊かなものにするために不可欠な「精神食糧」の補給であり、大事な夫婦の営みなんですから(笑)。

 それにしても小便事件、どこか週刊誌あたりが動いてくれませんかねえ。鮮度は賞味期限ギリギリながら、時節柄の小ネタとしては恰好の素材だと思うのですが。



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 例の江沢民に負けじと劣らぬ下卑た顔が持ち味で、日本では「ゲンメイしました」で有名な唐家セン・国務委員が昨日(8月20日)、土井たか子と北京で会見したそうです。ゲテモノ対決ですね。社民党って議席いくつ持ってましたっけ?唐家センも落ちぶれたものですねえ。

 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/20/content_4984427.htm

 さてこの席上で唐家センが例によって小泉首相の靖国神社参拝を批判していますが、内容は参拝当日に出た中国外交部の抗議声明の枠から外に出ておらず、特に目新しいものはありません。靖国神社参拝によって、

 ●中国人民の感情を深刻に傷つけた
 ●日中関係の政治的基礎を損なった
 ●国際正義への挑戦であり、人類の良知の歩みを踏みにじるもの
 ●日中関係の改善の進展に深刻な衝撃を与えた
 ●日本の国際的イメージと国益も損なった

 といったもので、例によって何の根拠もない言いがかりです。

 ――――

 いや人民の感情傷つけたというなら、唐家センの豚の内臓みたいな顔だって理由になりますね。日本国民に不快感を与えてその感情を著しく傷つけ、日中関係の政治的基礎を損なって、日中関係の改善の進展に深刻な衝撃を与えていますよ。

 同時に国際正義への挑戦であり、人類の良知の歩みを踏みにじるもので、ついでにいえば中共の国際的イメージと国益を損なっているんだけど、その辺はどーよ?

 ……てな感じで唐家センの下卑た顔にも同じような難癖をつけられます。で、そういう糞みたいな理由じゃなくて、少しは真面目に話そうぜトーカセン。とりあえず日中関係の原点である「日中間で取り交わされた3つの政治文書」のどこに違反しているのか具体的に指摘してみな。A級戦犯を云々する資格が中共政権にあるのかどうか、あるならその根拠を示してほしいものですね。

 例えばその「日中間で取り交わされた3つの政治文書」。前にも書きましたが、中国は抗議声明を出した時点で内政干渉確定ですから「日中共同声明」第6条及び「日中平和友好条約」第1条第1項に明確に違反しているのですが、日本もそのくらい言い返してほしいものです。

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 試問有沒有人能給我解釋中國政府憑甚麼就「靖國神社」説三道四?
 簡直是毫無法理根據的内政干渉。
 胡錦濤切記,如此離普行為是顯然違反著《中日聯合聲明》第六條以及《中日和平友好條約》第一條第一項。

 ――――

 ……と香港の某BBSに書き込んだら誰も反論できませんでした。
「それは認める」と同意した奴もいて、

「でも釣魚台(尖閣諸島)は中国の領土だ」

 ……て、一体それは靖国神社と何の関係が?そういえば尖閣諸島に船を出すっていっていた香港の保釣行動委員会は結局何もしないのかな?そりゃ口だけで何もしないってのは中国三千年の美しき伝統なのは知ってますけどね(笑)。

 只動嘴不動手,是中國三千年来的優良傳統。

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 ●「困難だが対話続ける」 靖国参拝で中国国務委員(共同通信 2006/08/20/18:18)
 http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=MRO&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2006082001003885

 中国の唐家セン国務委員(前外相)は20日、北京の人民大会堂で社民党の土井たか子名誉党首(元衆院議長)と会談し、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を非難する一方、中国共産党と政府は「困難な時期に日中友好を進め、対話の努力を続ける」と強調した。
(後略)

 ……てトーカセンも抗議声明同様、最後は及び腰になっちゃってるし。

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 ところが8月15日の靖国神社で、口だけでなかった奴もいたという報道が昨日の香港紙『明報』(2006/08/20)にチラリと出ていました。事実とすれば由々しき事件です。

 ●日本領事館から警報 当局は反日活動抑え込みに全力
 http://hk.news.yahoo.com/060819/12/1rmj5.html 

 というこの記事、この土曜・日曜に深セン市で反日デモが実施される可能性があるということで広州の日本領事館から在留邦人に注意報が発せられ、中共当局はデモが行われるという情報のあった華強北路一帯に警官多数を動員して厳戒頽勢。……でも土曜日は何も起きなかった、というニュースなのですが、真ん中に全く別の内容を織り込んでいました。

「中国国内の民間における主要な反日団体がきのう明らかにしたところによると、同団体の重要メンバー1名が8月15日、小泉純一郎首相が靖国神社に参拝した当日に神社の施設に小便をひっかけ、日本の警察に拘束、現時点まで拘留されており、同団体がこのため日本にメンバーを派遣した」

 ――――

 ……て事実ですかこれ?日本側では報道ありました?

 どうも事実らしいのは、この情報は反日活動家の代表格である童増が明らかにしたものだからです。

 童増といえば、当局によって30人内外に参加者を限定され、北京の日本大使館にショボい「なんちゃってデモ」をかけた「愛国者同盟」と並ぶ反日組織の総本山「中国民間保釣連合会」の会長であり、今春から強制労働など民間の対日戦時賠償訴訟を中国国内で実施しようと奔走していることを御記憶の方も多いでしょう。ええ、そのために設立された「中国民間対日賠償請求連合会」の会長でもあります。

 その童増が『明報』に明らかにしたところによると、逮捕されたのはこの「中国民間対日賠償請求連合会」の重要メンバーである徐雷(安徽省出身で年齢約40歳)。

「徐雷は8月15日に靖国神社へと出向き反日ポスターを掲げる予定だったのが、小泉首相が参拝したと聞いて激昂。計画を急遽変更し、靖国神社内の施設に小便をひっかけることで抗議の意を示したところ、現場にいた警官に逮捕され、パスポートを没収された」

 とのこと。

 関連情報をお持ちの方は是非御一報下さい。



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「上」の続き)


 さてその弁論大会。要するに感情を込めて上手に読みゃあいいんだろ、ということで練習して本番に臨みました。

 参加者の顔ぶれには将来が楽しみと言われていた下級生や留学帰りの腕利きの先輩などもいたのですが、私も自分の水準を把握していましたから、ああこのメンツなら勝てる、楽勝だと思い、肝っ玉の小さい私には珍しく、緊張する以前にその場を呑んでかかっていました。

 で、私の順番が回ってきて最初の数段落を読み終えたら会場の雰囲気が変わるのがわかりました。それみろ楽勝だと読み進んで予定通り優勝です。

 例によって掲示板に名前が貼り出されたりしましたが、恥ずかしいばかりで別に嬉しくもありません。ただ、恩師がとても喜んでくれたので唯一の目的が果たせたと、ああよかったと心から思いました。

 優勝して賞状以外に中国の工芸品などいくつか副賞をもらったのですが、別に有り難いものでもありませんし、ただでさえ狭い下宿には迷惑です。扇子とか花瓶とか茶器セットとか色々あったのですが、みんな人にやってしまいました。

 そのころ上海の大学から半年交代で2人ずつ教官が派遣されてきて、普段の授業以外に、土曜日の午後に有料で中国語講座が開かれていました。日本語ができない先生ばかりなので、私はその都度講座に参加していました。

 ちょうど弁論大会で優勝したころの講座の担当は30代の女性教官です。でも恩師から「御家人君、あの人は党員(中国共産党員)ですよ」と聞かされていました。その前任者で来日した教官が帰国を前に亡命というか失踪していたため、その調査も兼ねての来日だというのです。

 ――――

 されば天魔覆滅たるべし、とその講座では私は別種の不遜さを発揮していました。「造句」(例文作成)などで、

「赤い帽子と黒い帽子、あなたならどちらを買いますか?」

 といったような、他の学生には全くわからなくても教官の顔色がサッと変わるような例文ばかり作っていたのです(笑)。何て嫌な学生だろう、と相手は思ったことでしょう。

 そして弁論大会優勝後の最初の講座で、優勝したときにどういう挨拶をするか、という問いが私に出されました。

「優勝は全く予定通りでした。テキストは簡単でしたし、参加した人の実力をみれば僕が優勝できない方がおかしいと思いました」

 とつい正直なことを答えてしまったところ、絶好の反撃機と思ったかどうかは知りませんが、その党員先生、「それは全く間違っている」と言って、

「先生の御指導と学友の激励のお蔭で優勝することができました。先生や学友に心から感謝します」

 と正解を示しました。いや実際そう言うべきなのでしょうが、お前にためになることなんか何も教わっていないのに何で感謝しなきゃいけないんだこの糞党員が。……と思ったりしました。

 この「党員先生」はもう1人とともに何事もなく帰国しましたが、その後任者2名のうち1人はまたしても失踪し、もう1人は息子夫婦の日本留学の下準備をちゃっかり行って帰国しました。そのとき失踪した教官を下宿に匿ったり来日した息子夫婦の世話を焼いたりしたのが私です。

 その後私はその教官たちの大学に留学。ちょうど1989年の民主化運動から天安門事件の時期及びその後半年と重なったので相当無茶なことをやりまくったのですが、私の日本での働きと恩師の人脈によって訪中前に強固な「後台」(後ろ盾)を確保していたので、全てお咎めなしで済みました。

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 ところで、私は入学当初の愚劣な「合宿」参加を蹴ったことに始まって、自分の学科に自然と距離を置くようにしていました。大学は必須科目以外は自分で授業を選択できますから、これも自分の定めた「カタチ」に沿ってむしろ経済学部の授業に出るようにしていました。

 もちろん私の学科からの受講者は私だけですが、これは裾野を広げる上で随分とためになりました。いま思い出しても、大学で一番有益だった授業は名物教官による経営学に関する講議でした。

 大学でも空き時間のための居場所がほしかったのでサークルに入っていました。入学当初に勧誘されてそのまま入ったのですが、偶然ながらこれまた経済学部の麾下にある一種のサークル連合に属したひとつで、時事問題を研究することを旨としていたサークルです。

 時事問題といっても時局を論ずるといったような政治色がある訳ではなく、公務員試験に合格するための一般常識を学ぼうというような大人しい和やかな集まりで、先輩や同輩、それに後輩にも私のように癖のある不遜な人間はおらず、穏やかな人ばかりでした。

 経済学部下にあるこの一連のサークル組織には、簿記とかマーケティングとか米国経済とか税務とか色々な研究会がありましたが、ここでも私の学科からは私が唯一の参加者でした。

 自分の学科の連中とは肌合いの異なるこうしたサークルの面々と酒を飲んで騒いだり空き時間に余太話をしたりしたのは、恩師の知遇を得たことと並んで大学時代の良き思い出のひとつです。

 ――――

 このサークル連合には名前は忘れましたが右翼系の研究会がひとつと、マルクス何とか研究会、通称マル研という両対極の研究会が存在していました。マル研には一学年上で中国語を学んでいる経済学部の先輩がいて、いまでも親しくさせて頂いています(別に左翼の人ではありません)。

 一方でなぜか右翼系の研究会の先輩にも私は可愛がられて、いろいろなことを教えてもらいました。

 この先輩は宮崎滔天ら孫文の革命活動を支援したグループの系譜につらなる正統派ともいうべき流れのなかの一派の人で、当然ながらその伝統を継承して中国の民主化運動を支援していました。街宣右翼などとは全く違います。

 私は無知で何も知りませんでしたが、その世界では有名なところに色々と案内してくれました。

「彼は御家人と言って勤王の志はありませんが……」

 などと私を紹介するのが面白かったです。考え方に違いはあってもそれを包容してしまう広さを持った人でした。

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 私は部室が隣同士ということもあって上記マル研の人たちともよく付き合っていたのですが、上述したいまでも連絡のある先輩を別とすれば「なんだかなー」という感じの人の集まりでした。

 給湯所の洗い場に置かれているママレモンに「人民洗剤」と書くようなシャレっ気もあったのですが、一緒に飲みに行くと、いまの若い人は問題意識が低くて云々……などとよく愚痴っていました。

 そこに同会OBが出てくると全学連崩れみたいな人たちで、いよいよコチコチで治癒不可能、といった手合いでした。

 私が「なんだかなー」と思ったのは、自分たちの言っていることは正しいのだが一般市民に受け入れられない、それは一般市民の問題意識が低いからだ、というような論法で、「一般市民」を「学生」に置き換えてもいいのですが、これには常に反発を感じたものです。

 あんたら一般市民の目線で物事みてる?言っていることがいくら正しくてもみんなに話が通じなきゃ意味ないよ、という感想がいつも私にはありました。

 いや、私は学問もないし難しいことのわからぬ俗物でしたから、単純に考えてみただけです。ナンパひとつするにしてもまずは第一印象で、ルックスがよくて話が面白くなきゃダメなのと同じではないかと。あんたらじゃ女のコひとり口説けないよ、という表現しかできなかったのですが、もちろん正義に燃える面々には話が通じません。

 特にOBがどうしようもなかったので、それじゃ馬鹿どものためにひとつ弁論大会でもやってやるか、という気になりました。

 ――――

 どの大学でもそうですが、研究会というのは学園祭で必ず研究発表を行います。それぞれが教室ひとつを借りて展示を行ったり、別の場所で共同で口頭による研究発表をやったりするのです。口頭発表には顧問の先生方も来ますしOBも顔を見せます。

 で、私は展示発表の一方で、別のテーマでこの口頭発表に参加しました。持ち時間が30分くらいあったかと思いますが、私はそれに合わせて現代日本事情といった内容の文章を中国語で1本書き上げ、当日は自分の番になると地元の銘酒である多満自慢(たまじまん)の一升瓶を引っさげて演台に立ちました。

 動揺する客席を見渡すなり、まず栓を抜いてぐいぐいっとやってから口頭発表にかかりました。書き上げた中国語の文章を、そのまま中国語で読み上げていくのです。合間合間に一升瓶をラッパ飲みしながら、また中国語で読み続けます。

 時間が経つにつれ、飲むにつれ、私は少しずつ酔態を示すようになり、発音もやや呂律が回らなくなっていきます。客席は呆気にとられるばかり。……で、私は持ち時間を使い切って文章を読み終え、一升瓶をカラにした上で聴衆に向き直り、

「御覧の通りです。私は中国語で私なりの意見を述べましたが、みなさん中国語がお出来にならないので内容は一切わからなかったでしょう。いや、ちょっとマル研さんの真似をしてみただけです。学生の意識の低さを嘆く前に、まず自分たちの言葉が相手に通じているどうかを考えるべきだと思います。……では」

 と面当てのパフォーマンスだったことを捨て台詞に演台からおりるとその筋からすぐ反論が上がったようですが、一升瓶をカラにした私は酔態を呈しているので、それに構うことなく覚束ない足取りでさっさと引き上げました。

 ――――

「バカ!何やってんのよー」

 と、廊下に出てから当時の彼女が駆け寄ってきて私は叱られてしまいました。

「先輩大丈夫ですか」

 と研究会の後輩たちも集まってきて心配してくれたのは、私の演技力というものでしょう(笑)。一升瓶の中身は水に入れ替えて、ただ酔っ払った振りをしていただけです。

 ちなみに私が書いたこの文章がそれなりのものだったのかどうかは知りませんが、上海から派遣された先生(もちろん党員先生ではありません)がなぜか一読するなり絶賛して、さらに「これは新聞に出そう」とまで言い出して結局上海紙の紙面の一角を飾ることになりました。

 そのときはいい思い出ができたとしか思いませんでしたが、後年香港、台湾と流浪する先々で中国語のコラムを持たされた(というかいまも副業として続いていますけど)ので、中港台制覇、と密かな自己満足の種となりました。

 ……いや私にとっては本当に貴重です。だっていまさら中共メディア好みの文章なんてどう努力したって書けそうにありませんから(笑)。

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 私はいまでも高校生のときに定めた「カタチ」に向かって歩いています。随分歳を重ねて残り時間が少なくなってしまいましたし、手に職のつもりで学んだ中国語に引きずられる人生になってしまいましたが、気付いてみると20年以上前に想定した「カタチ」に不満足ながらも近付きつつあるように思います。

 不満足なのはもちろん私の精進と器量が不足していることによるものですから恥じ入るしかありません。ともあれ強く願ってそれなりに自分を躾けていけば何となくその方向に行けるようで、これは自分でも不思議に思っています。



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 世間的に日曜日のようですから、恥を忍んで気楽に昔話でもしますか。標題の件、私は2回ほど経験があります。そのうち1回は自分で主催したものですけど(笑)。

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 いまはどうだか知りませんが、私が学生のころ、中国語や中国文学を専攻する学科というのは東京にもそんなにありませんでした。

 私はその数少ない中のとある三流大学に入り、形の上では中国語を専攻したことになります。ただこれは私の本意ではありませんでした。

 当時の私はもう若年活気の塊のようなもので、高校生のころ「自分の将来あるべきカタチ」というのをかっちりと定めていて、そのために自分を躾けていこうと常に考えていました。

 「自分探し」という言葉はそのころからありましたけど、私はそういう連中を内心ケッバーカと思い、この歳にもなって目標もないのは低能の証だと軽蔑していました。そこは若年活気ですから、そういう馬鹿が増殖してくれた方がこっちはありがたいぐらいに思っていました。

 で、大学では自分のカタチをつくるための勉強をしようと当初は思っていたのですが、ふと考えるとそういう勉強をする学科に入ってしまうと就職活動に有利ではない。それならツブシのきくことを大学でやって、社会人になってからやりたいことをおいおいやっていこうと考えました。

 私は文系でしたから、ツブシの聞くものといえば第一に外国語です。でも英語は授業がつまらなくていつも辞書を枕に寝ていました。あの英和辞書というのはなかなか分厚いものですが、1頁1頁をクシャクシャと丸めてから引き伸ばす、という作業を全頁仕上げると、ふわふわして実に快適な枕になるのです(笑)。

 ――――

 まあそんな調子ですから当然ながら成績も悪かったので横文字は勘弁、と思い、種々の理由から中国語ならよかろうと思い、ラジオ中国語講座や入門書で初歩の文法や構文を独習し、特に発音は執拗なばかりに耳コピ。あとは形ばかりの受験勉強をして幸い合格しました。

 当時は中国語への需要も少なかったので1学年60名ほどです。そのうち何割かは古典専攻なので、実際に中国語や中国文学のコースに進むのは40名くらいだったかと思います。

 ところが入学早々馬鹿らしいことがありました。私の入った学科には4月か5月だったかに「合宿」という催しがあり、新入生全員強制参加で千葉県の民宿のようなところに泊まり込み、缶詰状態で上級生の先輩から中国語の基礎を教えられる、とのこと。一方で新入生歓迎コンパのような色彩もあったのでしょう。

 おいおい冗談じゃないよ、と私は思いました。入学してから観察してみると上級生には優秀な人もごく少数いましたが、大半は中国語の発音が汚い上に会話も下手糞でテキストもロクに読めないので驚いていたばかりです。

 何なんだこいつらは、と驚愕したことを覚えています。そして、これはよほど心してかからないと4年で中国語を一応のレベルまでには持っていけないぞ、と気合を入れていた矢先です。

 ――――

 学科にとって代々の伝統であるらしい「合宿」なんざ、私には笑止千万でした。下手糞に教わったら下手糞がひとり増えるだけじゃないか、と考え、そんな馬鹿なイベントに参加できるかと思って、上級生で組織された合宿実行委員会のようなところへ乗り込んでいって、

「おれは行きませんから。以上」

 のような形で素っ気無く宣言しました。

 相手は強制参加であることをタテに随分説得してきたのですが、私は馬鹿に教わるのは御免だ、という本音を言う訳にもいかないので他のことは言わず、

「親戚の法事ですから無理です」

 で押し通しました。相手は小憎らしい新入生だと思ったことでしょう。でも、私の態度があまりに強硬(というか半ば喧嘩腰)だったので、馬鹿どもも説得をあきらめたようです。

 そんな訳で合宿には出なくてよくなったのですが、その代わり「合宿で中国語のイロハを学ぶのだから」(笑)という理由から、私は放課後に教官から補習を受けることになりました。

 この方は教官1年目という新任助教授だったのですが、何年か後に母校である東京大学に戻られて、魯迅や現代中国文学の研究ではいまや第一人者で小説の翻訳をしたりテレビに出たり関連誌にコラムを連載したりしています。この先生からマンツーマンで補習を受けたというのは私の密かに誇りとするところで、いい思い出です。

 ただ補習自体は入学前に独修した部分と重なっていたので発音も文法も退屈で仕方がありませんでした。先生は学生相手でも物腰も言葉遣いも柔らかで丁寧な方で、

「あなたは筋がいいですね」

「はあ、そうでしょうか」

 なんてやり取りをしながら何日間かの補習を終えました。

 ――――

 「合宿」も終わり、授業が本格的にスタートしてから、語学とは何と残酷な学問だろうと思いました。学問というより技術というべきかも知れませんが、会話をしたりテキストを読んだりするだけで、上手下手がはっきりとわかってしまうのです。

 単細胞な私はこのことに狂喜しまして、これは緒方洪庵の適塾みたいなものだと考え、そうなると一心不乱に勉強しました。いや、勉めて行ったのではなく、楽しくて仕方がありませんでした。

 そのうち教科書ばかりやっていてはダメだと思い、図書館で香港や台湾の雑誌を読んだりして、わからないところは研究棟に行って居合わせた教官にどんどん質問しました。

 同級生からはずいぶん大胆で厚かましいことをやっているという目で見られていたようですが、別にゴマすりに行っている訳ではありません。大学は高校と違って自分の意志でカリキュラムを組んで自分を躾けていかなければいけないと私は考えていました。

 また、こっちは学費を払っているお客さんで、お前ら(教官)を養ってやっているんだから、授業時間外であろうと学生の質問に答えて当然だろうと(笑)。不遜な学生でしたが、不遜でないと学費の元はとれません。

 中国語を勉強する上でも私は「カタチ」を想定していました。私は社会とか政治経済に元々興味があったので、時事評論とか分析記事などを読んだり書いたりできるようにしよう、と定め、4年でオールマイティーになるのは無理だと思ったので、その一事につながることのみに特化することにしました。

 文学や古典には全く興味がなかったので、そういう授業は適当で済ませました(いまはもう少し勉強しておけばよかったと後悔しています)。

 そういう授業のレポートは書く気にもならないので同級生に酒を飲ませたり、私が守備範囲とする授業の課題を代わりにやってやるといったバーターで代行してもらったりしていました。これは余りお勧めできませんが、4年間という限られた時間ゆえに私は一点豪華主義を選択したのです。

 不遜な学生であることが幸いしたのか、そのうちに恩師の知遇を得ることができました。

 中国語以外にも中共政権下の社会や文化大革命など政治運動の経験など色々なことを教えて頂き、そのころになると授業より授業外で恩師から教えられたり、図書館の雑誌で得られることの方がためになっていました。

 聞き手の姿勢にもよるのでしょうけど、それが他愛のない雑談であろうと、私にとって恩師の言葉ひとつひとつが宝物のように身に沁み入ってくる貴重なものでした。

 ――――

 一応意識を持って積極的に勉強していたこともあり、同級生の中で私はごく自然に中国語の上手な部類に入れられていました。そうなると「弁論大会に出ないか」という声がかかるようになりました。

 当時は1年に何回か、それぞれ主催者の異なる弁論大会が開かれていました。自分で作文して(往々して教官の手が入っています)それを暗記し、学校代表として学生が参加して、口頭による発表会で技を競うのです。入賞したり優勝すると教務課の掲示板などに大々的に貼り出され、大学の株をあげることになります。

 ところが私は自分の中国語の「カタチ」を形成するにあたって、この弁論大会ほど愚劣で無用なものはないと考えていました。

「本当の国際人とは何か」
「真の日中友好は草の根から」

 なんていうおためごかしで下らない原稿をこしらえて一生懸命に暗記して……なんていうのは、私にとってはこれほど時間の無駄なものはありません。

 恩師から勧められたことはありませんが、他の教官や、技量優秀で卒業後は大学に残ることを約束されているような先輩が話を持ってくるのです。でも上の理由によって何回誘われても私は断固として拒否していました。

 しつこい手合いには、

「おれにはそんな実力はありません」

 と強く言ったら敵もさるもの、

「それは一種の傲慢じゃないか?それなら将来弁論大会に出るときは自分の実力に満足し自信がある、ということになる」

 と切り返してきます。これは一応の理屈であり私は閉口しましたが、

「上手な人なら他にもいるでしょう。……お・れ・は・い・や・で・す」

 と最後はそれで断っていました。

 ――――

 ところが3年生のとき、学内で初の弁論大会が開催されることになりました。

 実際には朗読大会というべきでしょう。課題の文章をいかに上手く朗読するかというもので、自分で作文する必要も暗記する必要もありません。

 それでも私に参加する意志はなかったのですが、口説き上手の先輩が恩師の名前を出して、

「お前が賞をとれば先生の株も上がるんだ」

 と殺し文句。それなら恩師のために出よう、出る以上は必ず優勝しようと私は誓いました。


「下」に続く)



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 いずれにせよ、この『江沢民文選』をめぐる動きが政局の焦点に発展しそうな空気です。

 ……などと当ブログで以前書きましたけど、この
「『江沢民文選』に学べ」運動、予想以上のスピードと規模で展開されつつあります。

 『江沢民文選』が発売された翌日には全国各地で自発的な「学べ」運動が起こっているという記事が出て、それから一週間を経ずにしてついに党中央が「学べ」指示を発令。これによって「『江沢民文選』に学べ」運動は中共公認の活動となりました。

 そこからあっという間に事態が展開していきます。まずは党中央が率先して「学べ」の報告会なるイベントを開催。党中央政治局常務委員会という中共の最高意思決定機関のメンバー全員を揃えて胡錦涛が「学べ」演説を行っただけですけど、この顔ぶれ+最高指導者(胡錦涛)の演説というのは、イベントとしては最高レベルの格式といっていいでしょう。

 ――――

 この『江沢民文選』の持ち上げ方はちょっと異常なほどです。葬式に例えてみればわかります。中共のトップ9名が参列して胡錦涛が弔辞を読み上げる。これは故人が国家指導者級という場合の待遇です。

 そして、全人代常務委員会や人民解放軍も「学べ」運動に取り組むことを表明した、と報じられたのが一昨日。胡錦涛の演説と党中央の「学べ」に関する決定が出版されることも記事になりました。

 昨日(8月17日付)の中共系メディアの報道によれば、胡錦涛の出身母体である「共青団」(共産主義青年団)が「学べ」運動に取り組むことを表明し、中華全国総工会(労組の元締め)は「学べ」記念座談会を開催。そういえば中華全国総工会の主席でこの座談会にも出ている王兆国も共青団出身で胡錦涛とは同じ人脈ということにになりますね。さらに『人民日報』(2006/08/17)には『江沢民文選』万々歳の大論文。

 http://zqb.cyol.com/content/2006-08/17/content_1481776.htm
 http://news.xinhuanet.com/politics/2006-08/17/content_4970931.htm
 http://news.xinhuanet.com/politics/2006-08/17/content_4970964.htm

 まさに燎原の火の如き勢いです。

 ――――

 でも正直なところ、現時点ではどういう流れで何が起きているのか、私にはよくわかりません。「自発的な学習運動から始まった」といっても、元々そういうシナリオなのはお約束。その芝居の筋書きを書いたのが誰で、ここまでサクサクと台本通りに事が進んでいるのはなぜなのか。常識的にいって、胡錦涛とその周辺がシナリオライターということはないでしょう。

 つい先ごろまでは胡錦涛オリジナルの「科学的発展観」が改革の指導理論として持ち上げられていたのに、ここにきてかくも大規模な「『江沢民文選』に学べ」運動が展開されたら、「科学的発展観」がどうしても霞んでしまいます。霞む分だけ胡錦涛の影も薄くなっていくのです。『江沢民文選』を持ち上げることで自らの立場をいよいよ確固たるものにする、なんて手の込んだ芝居のできるキャラではなさそうですし。

 まあしばらく寝かせておくネタ、ということになるでしょう。全国展開されていく過程では極端な動きも出てくるでしょうから、そこから何かが垣間見えるのではないかと思います。

 ――――

 では今回はといえば、一転して台湾の話です。

 いずれにせよ、この『江沢民文選』をめぐる動きが政局の焦点に発展しそうな空気です。

 と書いたエントリー(2006/08/16)で頂いた「muruneko」さんのコメントを使わせて頂きます。

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 ●朱に交われば紅くなる (muruneko) 2006-08-16 23:10:58

 先日8/13(日)の日経に「注目すべき台湾の政治変動」と題するコラムが載りました(副題は「馬英九国民党主席」への疑問;山本 勲論説委員署名)。

 まぁ、内容は陳水扁政権の後釜として確度の高い次期国民党総統の政治姿勢の分析なのですが(つい先日、日本にゴマ摺りに来ましたよね、このヒト)、一部を以下に抜粋します。

 # 記事から左巻き発言の部分のみを抜き出してますから、余り強い先入観持たないで下さいね、読者の方々。

 -----------------------------------------
 「日本は台湾や韓国を侵略した事実は無い」との日本側メディアの反論に対して、馬氏は「台湾では日本が植民地支配を始めた(一八九五年)最初の半年間で十万人以上の死傷者を出した」と、再び驚くべき発言をした。台湾の歴史教科書は植民地書記の抵抗事件で一万四千人の犠牲者が出たと記しているが、十万人以上とは初耳だ。
どうやら馬氏にとっては日本の侵略戦争は一八九四年の日清戦争から始まり、台湾や朝鮮の統治もその一環という事のようで、この点では中国の歴史観と相通じるものが有る。
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 で、このヒト U.S. に留学しており(確か NYCU の法科?ええと Wiki には以下のように書いて有ります)、論文は御承知の通り「尖閣諸島」。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E8%8B%B1%E4%B9%9D

 そう、朱に交われば紅くなる、それを地で行ってるのじゃないの、このヒト?というのが当方の主張です(そんなの、誰でも知ってるじゃん、と言われそうですが)。

 台北市市長としての政治力量は良く知りませんが、U.S.留学中に刷り込まれたのであろう大中華の夢に恋焦がれるばかりに、「併呑」を積極的に受容する事は無くとも、徐々に(経済分野から)消極的・暗黙的に認知するのでは?と思います。

 # 随分と大きな地殻変動になりそうですが。

 我等の愛すべき南鮮大統領・盧武鉉氏が北鮮に飼いならされ、半島丸ごと支那属国になるのも秒読みのこの時勢、数年先に日本として二正面作戦をする羽目に陥るのは少々荷が重い(戦争するって行ってませんよ)。

 御家人さんはどう読みます?台湾の今後を。


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 どう読みます?と斬り込まれても私は素人ですから答に窮してしまいます。とりあえず個人的には、私は台湾と台湾人に格別の思いと愛着があります。

 格別の思いと愛着がありますけど、国家主権に関わる領土問題は別です。

 台湾人が漁船で尖閣諸島方面に向かったそうですが、予想通り我らが海上保安庁の精鋭に前途を阻まれスゴスゴと退却しましたね。台湾当局からもブレーキがかかっていたようですが、台湾人が何と言おうと尖閣諸島は日本固有の領土であり、この点について私は相手が台湾人でも容赦しません。

 連中は海保の巡視船に対して投石したという報道があります。海保にも容赦してほしくありません。

 その神業のような操艦技術を以てすれば、台湾人の漁船が日本の領海に入ってきたところでオットーリリエンタールじゃなくておっと軽くこすっちゃったなー的接触事故で漁船を海の藻屑にしてしまうことも可能でしょう。乗り組んでいた台湾人は拾い上げてタイーホ送検起訴実刑判決でおk。

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 ……てそういう話ではありませんでした。「台湾の今後」というのは茫漠たるテーマなのですが、その茫漠たるところに重心を置いていうなら、私は台湾の未来は明るい、と考えています。うろ覚えなんですが、

「大河がやがて海へと流れ込むような自然さで台湾はひとつの国家になるだろう」

 という趣旨のことを『台湾紀行』かどこかで故・司馬遼太郎氏が書いていました。私も同意見です。現状維持が続けば続くほど中共政権の選択肢は狭まり、最後には統一するなら軍事侵攻以外に手がない、ということになるでしょう。

 なぜなら、このままの状態が続けば続くほど、台湾人の間に
「おれたちは大陸の連中とは違う」という意識がいよいよ強まっていくからです。中国本土の人間と接触する機会が増えるほどそういう異質感は強まるかと思います。

 台湾というと本省人と外省人の対立がよく挙げられます。私が以前台湾で仕事をしていたとき、部下にそっと聞いてみたらやはり外省人への悪感情のようなものがあるようです。

 ただ現在のティーンズや大学生といった世代なら外省人といっても3代目ないし4代目でしょう。土着するというか、台湾で生まれ育ち、教育を受けている訳ですから、ごく自然に台湾を故郷と思う気持ち、自分を台湾人と思う気持ちが身についていくのではないでしょうか。

 確か江沢民が以前、台湾統一へのタイムテーブルを描いていたかと思いますが、上のような理由からそうやって時間を限りたくなる焦燥感は理解できます。

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 むろん、実例があります。香港ですね。香港人の多くは中共政権で政治的動乱が発生するたびに香港へと密入境してきた世代と、その子供と孫やひ孫で構成されています。大陸生まれで脱出してきた第一世代、例えば私の岳父などもそうですが、この人たちは中国本土に望郷感があり、夏休みに田舎にある親の実家へ泊まりにいくような気安さで、香港と大陸の実家の間を往復しています。

 ところが私の配偶者のような第二世代は香港で生まれ育っていますから、自分は香港人だという意識がごく当たり前に自分の中で定着している。しかもこの世代は英国統治時代に成人して社会人になり、学生のころに天安門事件(1989年)を見ていますから、中共に抜き難い不信感があります。

 加えて中国本土に比べ経済的には段違いに豊かな香港で生まれ育っていますから、大陸の人間に対する一種見下したような感情が一般的にあります。親の実家に行くこともずっと少なく、田舎だし臭いし不潔だから嫌だ、などと言って結婚式や葬式のときしか足を運ばなかったりします。

 これが第三世代になると、社会に出る前に香港が中共政権に返還されているので、香港人意識や大陸の人間を見下す感覚は根強く残りつつも、国情教育(愛国主義教育)を一定期間受けているので政治的にちょっとだけ怪しくなります(中共への不信感がやや薄くなる)。中学に入ったあたりから必須科目となっているので、北京語も多少使えます。とはいえ第二世代とともに2003年の50万人デモを経験したりしていますから、普通選挙制が必要なことを素直に受け入れることができます。

 そして第四世代、これはもう小学生から北京語の授業も国情教育もありますから、どう育っていくのか戦々兢々です。とりあえず中国は世界に誇るべき歴史を持った国家でやましいことは何もしておらず、政治的には多党制で共産党が善政を敷いているといったことを教わります。天安門事件は教科書にも出ていませんし大躍進や文化大革命はさりげなくスルー。

 ただ言論・報道面で現在のような自由度が維持されている限りは大陸の糞青(自称愛国者の反日教徒)みたいなのが量産される、ということにはならない……と思うのですが、実際には大半のマスコミが返還後は親中色を強めていますし、記者にも世代交代がありますから、さてどうでしょう。

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 それに比べると、台湾の置かれている条件はずっと恵まれています。中共政権の統治下になく、変な教育を受けることもない。外省人もごく少数派で、おまけに「二・二八事件」や戒厳令統治をした過去があります。

 そして現状維持派の多くは事実上潜在的独立派ともいうべきもので、要するに民進党のあくの強さが嫌だとか戦争になったら困るなどといった理由でアンケートでは現状維持を選んでいるにすぎません。「国民党支持=中共政権との統一希望派」ではないところが重要です。

 その国民党にしても、政権を奪えば奪ったで制約される面も出てきます。仮に大きく舵を切れば、潜在的独立派である現状維持層から愛想をつかされ、選挙(議会選挙=立法委員)で負けるでしょう。馬英九が次期総統に就任することで中国本土の人間との接触が深くなればなるほど、香港の第二世代のような異質感ひいては見下すような感覚が台湾人に浸透していくように思います。

 日本からみてもそうですが、一党独裁で党が政府を支配し、軍隊は党の私兵で法治主義が行われていない中共政権というのは全く異質な世界で、価値観を共有しようがありません。ですから付き合いが深まるほど、台湾人意識が強化される方向に動くということです。

 ……以上は「台湾の今後」というテーマの茫漠さに安んじての私見です。経済面での対中依存が過度になっていることが気になりますが、水は高いところから低いところへと流れるものです。要するに、これは中国が台湾企業にとって魅力的な投資環境を維持できるかどうかにもよるでしょう。

 そして幸いなことに台湾は普通選挙制の国ですから、最後はやはり民意です。となると、国民党政権になってもフリーハンドはそう大きくないように思います。

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 日本としては台湾との絆をいよいよ強める方策を講じ、日米台の紐帯を太いものにしていくよう努めればいいでしょう。一種の謀略宣伝として
「中国と台湾はこんなに違う。違うんだ」という意識を日本人に徹底させればなおよろしいかと。

「中国=反日デモ、台湾=癒されるゥ」
「中国とは価値観が全然違うけど、台湾となら話が通じる」

 という図式が根付くような方向に持っていければいいのです。何といっても極東で唯一日本と価値観を共有できる国家が台湾なのですから。

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 ……てこれじゃ回答になっていないでしょうね。でも素人の悲しさで精一杯考えてもこの程度の粗餐しか御出しできません。

 「muruneko」さん、せっかく斬り込んで頂いたのにフニャフニャで斬りごたえがなくて申し訳ありません。

 m(__)m



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「上」の続き)


 私は子供の頃から零戦が好きでした。長じてからは、日本海軍でいえば飛行機は零戦、そして艦艇なら駆逐艦と海防艦が好きになりました。『大空のサムライ』で知られる故・坂井三郎氏の著作に加え、『ルンガ沖夜戦』『海上護衛戦』を愛読書に加えているのもそのためです。

 当時の日本海軍の駆逐艦は、乗員の練度でいえば間違いなく世界最高の水準にあったと思います。日本海軍は日露戦争における日本海海戦のような、仮想敵・米海軍との艦隊決戦を想定し、駆逐艦には米主力艦の土手っ腹に魚雷をぶち込む役目が与えられました。

 それも昼間の海戦で1回、さらに夜戦で1回と、2度にわたる魚雷戦です。そのために日本の駆逐艦は予備魚雷を搭載していて、魚雷発射管の全てを使う全線雷撃を2回行えるようにしてありました。他国の駆逐艦なら全線発射を1回行えばもう魚雷が残っていないので雷撃はできません。

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 とはいえ、駆逐艦は排水量が1000トンから3000トンといった小型艦で、装甲もないため防御力がゼロに等しく、分厚い装甲の鎧に包まれた敵重巡洋艦(1~2万トン)や戦艦(3~5万トン)の砲弾が命中すれば一発で撃沈される可能性もありました。

 実際に米戦闘機の機銃弾が偶然搭載魚雷に命中して大爆発を起こし、一瞬にして轟沈してしまった駆逐艦もあります()。

 でもその代わり、搭載している魚雷の破壊力は抜群で、その数発を命中させることで重巡洋艦や戦艦といった敵主力艦を撃沈させることもできました。表現を変えれば、海上を自走する動力を持った魚雷発射管、というのが駆逐艦の本質です。

 ただし、確実に命中を期するためには思い切って目標に肉薄しなければなりません。そのために駆逐艦には快足が与えられてはいましたが、危険きわまりない大口径砲弾の雨をものともせずに接近し、必殺の魚雷を放つのです。自らの命と引き換えに、護衛者に囲まれた目指す相手を一刀で仕留めんとする刺客のようなものです。

 ……ともあれその昼夜を問わぬ肉薄雷撃のために、日本海軍の駆逐艦は血のにじむような猛烈な訓練を文字通り日夜、繰り返してきました。

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 ところが、真珠湾奇襲で始まった対米戦争は、日本の雷撃機や爆撃機が米国や英国の戦艦を撃沈するという従来の常識を覆す「事件」からスタートしました。それまでは、航空機が戦艦を沈めることなどできる訳がない、と思われていたのです。

 これによって「制空権なくして制海権は成立しない」という新たな法則が確立され、海上の戦いは戦艦同士の叩き合いではなく、航空兵力や航空母艦を中心とする機動部隊が主役を務めることになりました。

 こうなると駆逐艦の役割も変わらざるを得ません。敵艦隊に肉薄しなくても、何百キロも遠くから飛んでくる航空機が敵主力艦を始末してくれるのです。

 このために海戦は機動部隊同士のぶつかり合いが主流となり、一方で大平洋に散らばる島々に航空基地を設けることで勢力圏を確立する、つまり航空基地の争奪戦が勝敗のカギを握ることになりました(※2)。

 そのために駆逐艦に与えられた任務は、島々の航空基地争奪戦に伴い陸軍部隊やその弾薬や食糧を運ぶ輸送船の護衛という思わぬものとなりました。日夜鍛練を重ねてきた敵主力艦への雷撃なんて出番はなく、輸送船を攻撃してくる敵航空機との慣れない戦いです。

 やがて鈍足の輸送船が米軍機にどんどん撃沈されるようになると、今度は駆逐艦が自ら陸兵や弾薬を搭載し、その快速を利して敵機の飛ばない夜間に目標地点に到達し、ひそかに陸揚げを行うことになりました。

 艦隊決戦の魁たらんとすることを誇りとし、またそのために腕を磨いてきた駆逐艦乗りたちは、この任務を嘆いて「鼠輸送」と自嘲しました。

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 しかしこの「鼠輸送」も肉薄雷撃に劣らぬほど高いリスクを伴うものでした。いかに駆逐艦が快速とはいえ、航空機の行動半径は広いですからどうしても昼間にどこかで敵機の攻撃を受けることになります。ところが日本の駆逐艦は上述したように敵戦艦に魚雷を命中させることを主眼として造られていますから、対空戦闘については要領も装備も無きに等しいのです。

 あれほど猛訓練を重ね、高い練度の乗員を揃えた駆逐艦が、全く想定されていなかった「鼠輸送」と「対空戦闘」でどんどん消耗していく、という思いもよらぬことになりました。

 ときに敵艦隊と遭遇することがあっても、今度は日米の技術力の差が立ちはだかります。レーダーです。日本の駆逐艦乗りは猛訓練を経て超人的な夜間の見張り能力を有していましたが、米艦隊はそれよりも遥かに遠い距離からレーダーで日本艦隊を発見し、先制攻撃をかけてきます。

 そうした逆境の中で奇跡のような完勝を収めた海戦を描いたのが『ルンガ沖夜戦』ですが、要するに例外中の例外です。現場からは本務でない「鼠輸送」などで駆逐艦と練度の高い乗員を失っていくことへの不満の声が海軍上層部に届けられます。

 その挙げ句にようやく発想の転換が行われ、輸送船の護衛や「鼠輸送」を目的とする駆逐艦が大量に建造されることになりました。

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 この新しいタイプの駆逐艦は艦隊決戦に使われることを想定していないので、魚雷発射管は従来の四連装×2基(合計8線)や三連装×3基(合計9線)から思い切って四連装×1基(4線)に減らされ、2回の全線雷撃を可能とする予備魚雷の搭載もなくなりました。

 速力も最高27.8ノットと、戦闘艦艇としては鈍重な部類に属する巨大戦艦「大和」並みでしかありません。主砲も12.7cm砲6門を搭載するのが常識だったのを、12.7cm砲3門へと半減。その代わりこの3門は高角砲で、一応の対空火力を持つことになりました。

 とはいえそれは従来の日本駆逐艦に比べれば、であって、実際に敵機の空襲を受ければひとたまりもありません。砲撃・雷撃の装備も半減していますから敵艦隊に遭遇すれば御陀仏は必定。……しかしすでに戦争は日本の頽勢が明確になってきた時期であり、技術力・工業力でも圧倒的に米国に負けている現実を前にして贅沢を言ってはいられません。

 こうして造られたのが「松」型駆逐艦と「橘」型駆逐艦であり、「松」型駆逐艦の二番艦として就役したのが「竹」でした。

 その竣工すなわち誕生日は昭和19年6月16日。一時は赤道を越えて南半球の一角までを勢力圏とし、オーストラリアに空襲を重ねたりしていた日本も、このころになると敗退に次ぐ敗退で、「竹」が戦列に加わってほどなくサイパン島が陥落。ここを有名なB29爆撃機の基地とすることで、米軍は日本本土の大半を空襲圏内に置くことが可能になりました。

 同年も秋になると主戦場はフィリピンに移ります。米軍はルソン島南方のレイテ島に大挙上陸し、ここに橋頭堡を築いてルソン島進攻の足掛かりとします。もちろん日本軍はそうはさせじと陸軍を展開させました。

 海軍も呼応して決戦を挑みますが、航空兵力の護衛が乏しいため米機動部隊の空襲などによって「大和」の同型艦「武蔵」を含む艦艇多数を失い、敗北を余儀なくされます。これがレイテ沖海戦で、神風特別攻撃隊、いわゆる特攻隊がこの時期に組織され初めて出撃することになります。

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 ともあれ、日本海軍がレイテ沖海戦に敗れたことで、レイテ島をめぐる戦いは陸と空の戦闘が中心となります。

 航空部隊はまだ日本の占領下にあったマニラ周辺からレイテ方面へと出撃していきますが、問題は陸軍です。陸兵を上陸させればそれでいいというものではなく、戦闘力を維持させるための食糧や弾薬、薬品、装備などを補給し続けてやらないといけません。

 しかし制空権はすでに米軍に奪われています。そこでまた「鼠輸送」ということとなり、まさにそれを本務とする「松」型駆逐艦の出番となります。マニラ湾から日本軍の制圧下にあるレイテ島オルモック湾への輸送任務です。

 このころになると、ガタルカナル争奪戦で懲りた日本海軍には、従来の民間から徴用した輸送船に比べれば速度の出る一等輸送艦、二等輸送艦といった自前の輸送船が登場しており、「竹」などの「松」型駆逐艦がこれを護衛して輸送任務を行う形となりました。

 ところが、マニラからオルモック湾までの距離はガダルカナル島への「鼠輸送」に比べると遥かに長いのです。その長い分だけ敵機の行動圏内を昼間に航行する時間も長くなる訳で、米軍機の空襲で次々に駆逐艦や輸送艦が失われていきます。

 レイテ沖海戦を生き延びた従来型の駆逐艦などもこの作戦に投入されていましたが、魚雷発射管の数と最大速力の両面で日本海軍駆逐艦の最優秀艦だった「島風」やルンガ沖夜戦で大功を樹てた歴戦の「長波」がオルモック湾で撃沈されています。

 ――――

 「竹」もまた最初の輸送任務で米軍機の空襲に遭って護衛していた輸送艦2隻を撃沈され残る1隻も損傷、また「竹」自らも敵機の機銃掃射で被害を受け、乗員にも死傷者が続出しました。

 いうまでもなく、無茶な作戦でした。この空襲で大損害を受けた輸送部隊の指揮官である「竹」艦長・宇奈木勁少佐は任務遂行は不可能と判断、いったんマニラに帰投する旨を司令部に打電します。

 ところが司令部からの返事は「輸送任務を続行せよ」という非情なものでした。軍隊において命令は絶対です。しかし唯一生き残った輸送艦と「竹」自身の損害に照らし、29歳の指揮官は独断専行でマニラ帰投を決意し、それを行動に移しました。

 マニラに入港後、宇奈木少佐は軍刀を携え、いざとなれば自裁する覚悟で司令部に出頭しました。ところが司令部では罰されることもなく、「竹」の生還を喜んでくれました。非情な命令電は司令部のそのまた上級の司令部の強硬意見によるものだったのです。

 ――――

 宇奈木少佐が無事に「竹」に戻ってみると、「艦長が切腹覚悟で司令部に出頭している」ということで乗員が気魄と覚悟をみなぎらせ、「次は死んでも成功させるんだ」という気持ちでひとつにまとまっていました。

 そこは乗員200名内外という小型艦の良さで、駆逐艦には往々にして家族的な雰囲気があり、一水兵にとっても艦長は雲の上の人ではなく、家長のような存在だったそうです。

 そして、応急修理を終えた「竹」に再び出撃命令が下されます。輸送艦3隻を「竹」とその同型艦である駆逐艦「桑」が護衛するというもので、揚陸地点は例によってオルモック湾です。その出撃前夜、宇奈木艦長は艦内に大事にとっておいたビールや日本酒を取り出させ、全てみんなで飲み干してしまいました。

 無事にマニラに戻って来られるとは思えないから、海に飲ませるより自分たちで飲んでしまおう。……という理由からで、宇奈木艦長自らが艦内各部署に顔を出して別杯を交わして回りました。このとき、負傷してマニラの病院に入院していた乗員も再出撃と聞いて病院を勝手に抜け出し、「竹」に帰艦してきました。

 乗員たちの気持ちはそれほど一つにまとまり、高揚していたのです。もちろん、無茶な作戦であることには変わりがなく、乗員もみなそれをわかっていました。現代を生きる私たちには想像することのできない、決死の覚悟というものでしょうか。

 ――――

 さて、11月30日朝にマニラ湾から出撃した「竹」など輸送部隊は、今回は幸運にも途中で空襲に遭うこともなく、12月2日の夜を待って一気にオルモック湾へと突入しました。輸送艦3隻が揚陸作業にかかり、「竹」と「桑」がそれを護るように湾内を遊弋して警戒にあたります。

 ところが、敵に見つからず無事揚陸にかかれた輸送部隊は実は早くから米軍に発見されており、これを迎撃すべく米第七艦隊が最新鋭のサムナー級駆逐艦3隻をオルモック湾へと急行させていたのです。

 サムナー級駆逐艦の武装は12.7cm砲6門、40mm機関砲12門、魚雷発射管10門。最大速力は36ノットで、どれをとっても「松」型駆逐艦のかなう相手ではありません。単純な比較でいえば、「竹」と「桑」2隻を合わせても敵駆逐艦1隻に見劣りするほどです。

 この米駆逐艦3隻がオルモック湾に侵入してくるのを、湾口寄りを警戒していた「桑」が発見しました。「桑」は発光信号で「竹」に敵発見を伝達するや、見敵必殺とばかりに「竹」の合流を待つことなく単艦で挑みかかります。

 しかし、高性能のレーダーを搭載し、武装も充実している米駆逐艦に対してこれはやや無謀ともいえる行動でした。米駆逐艦3隻がレーダー射撃で「桑」へ次々に命中弾を送り込み、集中砲火を浴びた「桑」はたちまち炎上、火だるまのようになってほどなく沈んでいきました。

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 このとき米駆逐艦からみて「桑」より遠方にいた「竹」はようやく敵のいる方向に進路をとったところでした。勢いに乗じた米駆逐艦3隻が砲撃を開始します。「竹」も負けずに砲門を開いて応戦しつつ、雷撃の機会をうかがいます。

 魚雷は3本しか搭載していませんでしたが、航走中に雷跡が残らないため敵艦がその接近に気付いたときにはもはや回避不能の間合いになっている、という日本海軍が世界に誇った61cm酸素魚雷です。

 「竹」はさきの空襲でジャイロコンパスを破壊され、これは応急修理も間に合いませんでした。GPSのある現在ならともかく、当時はこのジャイロコンパスがなければ自艦の位置を正確に把握することはできません。狭い湾内でしかも夜間、暗礁があるかも知れぬ状態での行動には気を使ったそうです。

 ……この「竹」に関するくだりは下にある『艦長たちの太平洋戦争〈続篇〉』(これまた私の愛読書)に拠って書いています。日本海軍の各種艦艇の艦長だった人へのインタビュー集で、要するに宇奈木艦長が語り手なのですが、

 じつはこの進撃の途中で、沈没した「桑」の乗員が海面を泳ぎながら、「"竹"ッ! がんばれ!」と叫ぶ声が聞こえました。すべてを私たち「竹」に託したあの悲愴な叫び声は、いまでも鮮やかに耳底に残っています。

 という部分まで読むと、私は何ともたまらない気持ちになって、いつも思わず本を閉じてしまいます。この気持ちばかりはうまく説明できません。毎回しばらくして落ち着いたところでページを開き、先へと読み進みます。

 靖国神社の掲示板で「駆逐艦竹会慰霊祭」という文字を最初に目にしたときもそのくだりを思い出して、掲示板を凝視したまましばらく動くことができませんでした。

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 オルモック湾に話を戻しますと、1対3という劣勢のなか、米軍の正確なレーダー射撃で被弾しつつも貧弱な火力で反撃しながら、宇奈木艦長は巧みな操艦で「竹」を雷撃の好射点(魚雷発射に適した位置)へ持っていきます。

 頃はよしとみた艦長と水雷長の息がピタリと合って、「竹」は手持ちの61cm酸素魚雷3本を全て発射。このうち1本が米駆逐艦の先頭を走っていた「クーパー」の右舷中央部に見事命中し、艦体が真っ二つに折れてわずか36秒で轟沈したそうです。

 雷跡が見えなかったからでしょう、残る2隻の米駆逐艦は日本潜水艦の攻撃と勘違いして泡を食って逃走したとのこと。このうち1隻は「竹」の砲撃で小破したそうです。

 ……特に名前のついていないこの海戦、オルモック湾夜戦ともいうべきこの戦闘が、対米戦争において日本海軍が水上戦闘で米軍艦艇を撃沈した最後のケースとなりました。

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 日本海軍の武勲艦といえば空母「瑞鶴」や駆逐艦「雪風」の名前が真っ先に上がりますが、私は真っ先にこの「竹」の名前が浮かびます。

 なるほど出番が遅かったため踏んだ場数は少なかったかも知れませんが、29歳の艦長による独断専行、乗員の結束といったドラマ、また貧弱な火力と雷装で格上の新型米駆逐艦3隻を相手に回して奮戦し、見事雷撃を成功させて轟沈1隻・小破1隻の戦果を挙げたこと。

 そして、撃沈されて漂流している僚艦「桑」の乗員による「がんばれ!」という叫び声……。

 「竹」は終戦まで生き延び、外地からの復員者輸送任務を務めたあと、賠償艦として英国に引き渡されました。


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【※1】ついでにいうと、母方の祖母の実家の血筋をたどっていくと、遠縁ながら桜田門外で井伊直弼を要撃し見事その首級をあげた元水戸藩士たち(&薩摩脱藩者1名)の一人に連なっているそうです。その末裔がどういう経緯か下級幕臣となって「御家人」になった、とでもしておいて下さい(笑)。

【※2】ガダルカナル島をめぐる一連の戦いはその最たるものであり、結果的にこの争奪戦で兵力を消耗したことが日本敗戦の端緒となりました。



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 前回の主題だった江沢民の一件ですが、党中央が「『江沢民文選』に学べ」にゴーサインを出したためにその動きが急速に広がりつつあります。全人代常務委員長の呉邦国が同委にて「学べ」運動を展開すると表明し、人民解放軍も総政治部が「学べ」指令を下達しました。

 また、党中央によるゴーサインとなった「中共中央の『江沢民文選』学習に関する決定」、それに最高意思決定機関である党中央政治局常務委員会の全メンバーが揃った前で胡錦涛が行った「学べ」演説が出版されることになりました。いつもの小冊子かと思います。

 http://news.xinhuanet.com/politics/2006-08/16/content_4969335.htm
 http://www.chinamil.com.cn/site1/xwpdxw/2006-08/16/content_556350.htm
 http://www.chinamil.com.cn/site1/xwpdxw/2006-08/16/content_556362.htm
 http://www.chinamil.com.cn/site1/xwpdxw/2006-08/16/content_556385.htm

 何やらみるみるうちに潮が満ちてくるというか引いていくというか、いかに「科学的発展観」「調和社会」の枠内でやろうと試みても、『江沢民文選』を錦の御旗みたいにここまで持ち上げてしまっては、胡錦涛を利することにはならないでしょう。

 今後、党中央の決定を受けて「学べ」運動が全国各地に広がっていくのでしょうが、末端にいけばいくほど拡大解釈されて、貪官汚吏それに従来型改革の既得権益層にとっての恰好の口実になりそうな気がします。

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 ……ああ今回はそういう血なまぐさい話題にするつもりではありませんでした。一昨日の靖国神社参拝に関する余談と、それと脈絡がありそうな無さそうな話です。

 要するに雑談なのですが、私自身としてはそういう気軽なものでなく、ちょっと真面目に臨んでいるので雑談で片付けたくない気分があります。

 閑話休題。

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 8月15日の午前7時半近くでしたか、私が地下鉄で九段下に着いて、改札を抜けたあたりでのことでした。このあと階段でワンフロア登ってから、通路をいちばん奥まで歩いて向かって右側が靖国神社の最寄りである1番出口です。

 最初にその階段を上ろうとしたところで後ろから声をかけられました。振り返ると片手に杖を持ったお婆さんでした。ごく自然な和服姿で、腰の曲がった姿勢で立っています。

 昔の田舎のお婆さんはみんなそうでしたけど、最近の東京ではこう腰の曲がったお年寄りはあまり見かけなくなったなあ……と失礼なことを思いつつ用件を聞くと、お婆さんは階段の方を指差して、

「あの、外に出るのはこちらでよろしいんでしょうか」

 と私に尋ねました。はいそうですよ、とまず答えたのですが、九段下の駅というのは地上を走る靖国通りの坂道(九段坂)の上下に出口があります。しかも念入りに道路の右側と左側にそれぞれ出口が設けられています。

 ですから間違えるととんでもない方向に出てしまう場合があるのです。坂の上なら靖国神社(右側出口)や武道館方面(左側出口)ですが、坂の下はもう神保町まで歩いてすぐの場所です。……いや、番地でいえば実際に神田神保町三丁目にあたります。

 そこで一応どちらに行かれるんですかと聞いてみると、皆さん予想通りの展開でしょうが「靖国神社」とのことでした(笑)。それなら私も同じですから一緒に行きましょう、ということで、お婆さんの介添えをするようにゆっくりと階段を上って通路を歩いていきました。

 ――――

 お婆さんには北関東の訛りがあって、尋ねてみると栃木県から朝一番で上京してきたとのことでした。私は同じ北関東でも海沿いの茨城県日立市の出身です(※1)。出がけに空を仰いだら曇天だったのと、九段下で下車する人がやけに多かったので、まさか小泉参拝で大混雑?……と嫌な予感がしてやや不機嫌になっていたのですが、お婆さんの方言につい和んでしまいました。

 普段はせわしく歩いている私にとっては、そのお婆さんに合わせて歩くとひどくのんびりとしたペースで、1番出口まで随分時間をかけました。お歳を尋ねると86歳ということで驚きました。壮健なのと栃木から一人ではるばる出てきたことの両方にびっくりです。

 お婆さんによると、靖国神社は初めてではないものの、今までは親戚が付き添って連れていってくれていたそうです。でも今回は都合で自分だけが上京することになり、家族に乗り換えなどを間違えないよう丹念にメモしてもらい(私も見せてもらいました)、それでもわからなければ人に聞け、と言われて送り出されたとのこと。で、九段下の改札を出たところでわからなくなったので人に聞いた、その相手が私だったという訳です。

 北関東の方ですね、いや言葉でわかります。私は生まれが茨城で……などと話しているうちに互いに打ち解けてきました。そこで職業病というか悪い癖が出て不躾ながら尋ねてみると、フィリピンで弟さんを亡くされたそうです。それがルソン島なのかレイテ島なのか、海軍か陸軍か、歩兵か戦闘機乗りか、といった立ち入った話も実は聞きたかったのですが、それはさすがに慎みました。

 ――――

 通路を歩き終えて右手に折れて、長いエスカレーターを2つ乗り終えるとようやく地上です。蝉時雨に迎えられて出てみると地面には雨の跡がありありと残っていて、見上げればやはり曇天。……どころか今にもまた降り出してきそうな空模様です。

 その空にヘリが数機飛んでいるのが見えました。靖国神社の入口も去年と違って物々しい警備態勢。先刻の嫌な予感が再び頭をもたげます。だいたい大鳥居に吸い込まれていく人の数が去年とは段違いに多いのです。混雑というほどではないのですが、人の流れのようなものができていました。

 その人の流れが「参拝」というひとつの明確な意思を伴って歩いていくことをふと思って、一瞬、戦慄するような感覚にとらわれました。出店が並ぶお正月や「みたままつり」なら、わかります。でも今日は、8月15日なのです。

 それにしても、この時間にしては参拝客が多過ぎました。せっかく静かにお参りしたかったのに。……と私はちょっと憂鬱な気分になったのですが、お婆さんには別の感慨があったようで、ちょっと足を止めて大鳥居の方を望むような風情をみせたあと、私に向かってひとまとまりのことを口にしました。正確に記憶していないのですが、

「私のように身内を戦争で亡くした者は、弟に会いに来るような心積もりで出てくるから靖国神社にお参りすることは当たり前のように思っている。でも何の縁もゆかりもないような若い人たちがこんなに朝早くからたくさん来ているとは思わなかったから、とてもうれしい」

 と、大体そういう内容で、聞かされた私は胸をつかれるような思いがしました。

 ――――

「もう大丈夫ですよ。私はゆっくり行きますから、気にしないで先に行って下さい。御親切にありがとうございました」

 と言われて、大鳥居のところで私はお婆さんと別れました。付き添ってあげた方がいいような気もしたのですが、そうすることでせっかく栃木からひとりで上京してきたお婆さんの気持ちを乱してしまっては、と遠慮したのです。何か大切な時間を過ごすことができたような気がして、こちらこそありがとうございました、と最後にお礼を言いました。

 ――――

 ひとりになった私は、いつものペースでさっさと歩いていきました。報道陣と警官で混み合う道路際を抜けて第二鳥居をくぐり、大手水舎で手と口を浄めると、もう神門の前です。

 このあたりは警官や報道関係者が慌ただしい雰囲気で行き来しています。それを尻目に私は一礼して神門をくぐり、続いて参道を左から横切るので一礼して、道の右側に出ました。そこに掲示板があるからです。

 私は仕事の関係で月に2回か3回は近くを通るので、そのたびに靖国神社に立ち寄ります。まず参拝してから遊就館で海軍カレー&海軍コーヒーそして零戦、という愉悦のひとときを過ごすのですが、参拝の前に必ずこの掲示板をのぞいていくようにしています。

 掲示板には××家結婚式とか奉納相撲、また当時の所属部隊ごとの集まりや慰霊祭などが日付とともに書かれています。「神雷部隊」など耳慣れた名前に出会うと、掲示板にも一礼したくなります。……で、先月から気付いていたのですが、その掲示板には8月15日の催しとして「駆逐艦竹会慰霊祭」と書かれていました。

 駆逐艦「竹」と聞くと、私は何か平静でいられないような気持ちになります。


「下」に続く)



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「上」の続き)


 小泉首相による「八・一五靖国参拝」といえば本来の中共にとっては大事件の筈なのですが、意外にも「上」で紹介したような、熱を帯びていないリアクション。その理由についてぼんやり考えてみたところ、3つばかり浮かんできました。

 (1)日本の対中世論をこれ以上硬化させたくない。
 (2)騒ぐことで中国国民の反日感情が沸点に達し、昨春の反日騒動のような無秩序な状況が再現されては困る。
 (3)「八・一五靖国参拝」は織り込み済み。むしろ外患より内憂で、国内に靖国問題よりも頭の痛い重大な案件が控えている。

 ……という訳で、ようやく標題の件ということになります。(3)ですね。ええ、『江沢民文選』です。

 ――――

 「靖国」報道が溢れるなか、ドーンと出たのがこの記事。

 ●中共中央の『江沢民文選』学習に関する決定(新華網 2006/08/15/15:12)
 http://news.xinhuanet.com/politics/2006-08/15/content_4964322.htm

 「靖国」記事20本分くらいの存在感があります。この日に中共系メディアから発信されたニュースで最も重要なのが実はこのニュースかも知れません。『江沢民文選』については、

 ●江沢民文選と謎の靖国声明。――政情緊迫は必至だ?(2006/08/12)
 ●予想以上のインパクトに?――江沢民文選は既得権益者の聖典。(2006/08/13)

 ……と当ブログでも最近取り上げたばかりですが、江沢民語録ともいえるこの談話集、趙紫陽への批判や対日外交では歴史問題で叩きまくれといった記述が含まれているそうで、意外に読みごたえがある予想以上に赤裸々な内容かも知れません。この問題の『江沢民文選』1-3巻が発売されたのは、8月10日のことでした。

 胡錦涛としては有り難くない本でしょう。これを「聖典」とする従来型改革が生んだ既得権益層は、「科学的発展観」「調和社会」といった改革新路線を掲げる胡錦涛にしてみれば紛れもなく抵抗勢力であり親の仇も同然。

 とはいえ先代の最高指導者の著作ですから粗略には扱えません。そこで江沢民の顔を立てて発売当日の10日に「『江沢民文選』1-3巻発売」のニュースと「各巻の主な内容紹介記事」を全国各紙やその電子版、また大手ポータルのニュースサイトで大きく賑々しく報じさせました。

 胡錦涛の拠点である『中国青年報』や『解放軍報』もそれにならいました。「新華網」の「『江沢民文選』発売」記事に飛ぶと、タイトルの下にいきなり江沢民の下卑た顔写真が大きく掲載されていました。日本国民の感情を傷つけ日中関係の基礎を破壊しかねない言語道断な振る舞いといえるでしょう。国際正義への挑発であり、人類の良知を踏みにじる行為でもあります。

 ――――

 胡錦涛にしてみればこの『江沢民文選』、抵抗勢力の追い風になりかねないアイテムですからなるべく地味に扱って流してしまいたかったところでしょう。ところが、発売翌日である8月11日に早くも不穏なニュースが新華社から配信されました。

 ●各地の幹部や民衆『江沢民文選』を真剣に学習すると表明(新華網 2006/08/11/19:48)
 http://news.xinhuanet.com/politics/2006-08/11/content_4951207.htm

 「各地」とあるので地方当局レベルであり党中央には至っていない動きですが、「江沢民に学べ」という流れが生まれてしまいました。

 ほーらこの通り。末端レベルの賞賛報道ひとつひとつは断片にすぎなくても、それをひとつにまとめ上げて全国ネットが報じると意味合いが違ってきます。こうした幾筋もの細流が合流していき、まとまった大きなムーブメントに発展する可能性があるから怖いのです。

 ……とそのときに私は書きましたが、幾筋もの細流が実際にまとまっていくのです。

 この胡錦涛にとって禍々しいかも知れない記事は10日付で出た「各巻の主な内容紹介記事」とセットになって、「新華網」のトップニュースに続く主要記事一覧の上位に座を占めました。それが14日まで続くのです。ある種の意思が存在していなければかくも不自然なことにはなりません。

 そしてその14日にはまた新たな動きが。

 ●河北省各地の幹部・民衆が『江沢民文選』を真剣に学習(新華網 2006/08/14/09:33)
 http://news.xinhuanet.com/politics/2006-08/14/content_4958057.htm

 河北省は首都であり直轄市の北京市とかなり仲が悪いそうですが、それと関係があるかどうかは知りません。ちなみに関係が険悪な理由は、北京五輪を控えて北京市の大気汚染改善や黄砂減少を実現するために、河北省がその盾となってきたことにあります。

 北京に砂が飛ばないよう防風林・防砂林を作らされたり、大気汚染を呼びかねない企業の進出・設立はNG、などと経済発展にも枠をはめられ、北京のために犠牲になるという役回りを演じさせられているのです。ちょっと前にそのことでついにマジギレした河北省側が、北京に賠償を求めるといった出来事もありました。

 ――――

 香ばしい方角に話がそれましたが、こうした『江沢民文選』礼讃の動きに胡錦涛が対応した形跡があります。

 ●第2期全国幹部学習研修教材に胡錦涛が序文を寄せる
 http://news.xinhuanet.com/politics/2006-08/13/content_4956781.htm

 その翌日である14日、つまり河北省の記事が出た日には序文の全文が報じられています。

 http://news.xinhuanet.com/politics/2006-08/14/content_4957544.htm

 一方で、黒龍江省を視察した温家宝・首相が、

「経済成長方式の転換が持続的発展を実現させるのだ」

 と訴えています。「諸侯」すなわち各地方勢力が勝手に疾走して経済に過熱懸念が出てきたなか、この発言はそうした「諸侯」を牽制するものであり、「科学的発展観」「調和社会」の実現を目指す改革新路線を売り込むものともいえるでしょう。

 一応、胡錦涛への掩護射撃といえるかも知れませんが、そのこととは全く無関係に病院を視察した温家宝、赤ん坊を抱っこしてみせるという取材陣の期待を裏切らないお得意の庶民派イメージ形成に余念がなかった模様です。

 http://news.xinhuanet.com/politics/2006-08/13/content_4956179.htm

 ともあれ、15日には前掲のこの記事が出現。

 ●中共中央の『江沢民文選』学習に関する決定(新華網 2006/08/15/15:12)
 http://news.xinhuanet.com/politics/2006-08/15/content_4964322.htm

 とうとう党中央にまで動きが及んでしまったという訳です。この決定によって党中央の「『江沢民文選』学習報告会」なるものも開催され、最高意思決定機関である党中央政治局常務委員会のメンバーが全員顔を揃えるなか、胡錦涛が長々とした演説をぶつ破目になっています。

 中共のトップ9名が勢ぞろいして胡錦涛が演説。……格式の高さをうかがわせるには十分すぎるボリュームですね。

 http://news.xinhuanet.com/politics/2006-08/15/content_4962183.htm
 http://news.xinhuanet.com/politics/2006-08/15/content_4964223.htm

 ――――

 と、現時点ではここまでです。まあ『江沢民文選』を学習するといっても、どの部分をどう学ぶかによって経済政策も外交も政情も変わってきますので、未だ先のみえない状況です。

 ……とはいえ、『解放軍報』の「八一建軍節社説」に「科学的発展観」を連呼させて、胡錦涛が指導理論の主導権掌握を内外に印象づけてから僅々2週間ばかりで「先のみえない状況」まで逆戻りしてしまったことは事実。今秋開かれる「六中全会」(第16期中央委員会第6次全体会議)における人事権の争奪戦が白熱化しそうな気配を帯びてきました。

 実のところ、私は胡錦涛サイドが基本的にはいまなお優勢だとみています。ただ「六中全会」での人事権を掌握できるほど相手を圧倒できていませんし、この先そこまで持っていけるかは不透明。優勢ではあってもそれが圧倒的なものでなければ、結局人事に手をつけられない。……ということは、昨年秋の「五中全会」で証明されています。

 いずれにせよ、この『江沢民文選』をめぐる動きが政局の焦点に発展しそうな空気です。この展開では胡錦涛もさすがに「靖国」に入れ込んでいる場合ではないでしょうね。苦しいでしょうが、辛くなったら呉儀の胸に顔を埋めて思いっきり泣いてしまいなさい。



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 小泉首相による「八・一五靖国参拝」についてまだ何か書くことがあるかも知れませんが、私の方はまだ昨日(15日)の疲れを引きずっていて士気が著しく低下しているところです。

 そうそう、前回の文末で「靖国参拝」の報に接して中国外交部がすかさず発表した「強烈抗議」声明がありました。「強烈」とうたいつつ読んでみると実は及び腰で、

「悪いのは小泉だけですから、日本のみなさん、どうか中国をこれ以上嫌いにならないで下さい」

 というあの情けない声明。糞青(自称愛国者の反日教徒)があの内容にどう反応しているか非常に気になるのですが、もはやそのためにちまちまとネット上を見て回る気力もありません。

 ――――

 ……あ、でも15日の当日に北京の日本大使館前で「愛国者同盟」あたりの30人ばかりが「なんちゃってデモ」をやったそうですね。昨年10月の靖国参拝時同様、中共系メディアでは一切報じられていませんでしたけど(笑)、香港の新聞に出ていました。そういえば日本でもニュースになっていましたね。

 日本大使館前で抗議行動 中国の民間団体(共同通信 2006/08/15/12:37)
 http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=KNG&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2006081501001314

 この記事は最後の段落が面白いですね。

「メンバーらは中国国旗や『日本の軍国主義打倒』などと記した幕を掲げて行進、大使館前で『参拝に抗議する』などとシュプレヒコールを上げ、
抗議文を大使館の郵便受けに投じた。

 ……投じたそうです(笑)。

「手渡しじゃないのかよっ!」
「渡せよ直接!」

 といったツッコミが入るところですね。日本大使館はお盆休みだったのでしょうか?いくら「なんちゃってデモ」とはいえ、これでは余りに情けないというか可哀想というか(笑)。

 ――――

 まあ香港も中国も昨日はさすがに靖国参拝関連の記事がどっと出てきました。香港は憎々し気なスタンスで報じていて、議員や活動家は親中派も民主派も絶好の機会とばかりに、マスコミ同伴のもと日本総領事館へと抗議に赴いたようです。

 一方の中国本土は例によってお芝居調の紋切型が中心。……え?URLを晒せと?そりゃもうお易い御用です。

 ――――

 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4961972.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4961282.htm
 http://world.people.com.cn/GB/4701982.html
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4961298.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4961344.htm
 http://news.xinhuanet.com/comments/2006-08/15/content_4961403.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4961481.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4961580.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4962169.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4962360.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4962972.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4963325.htm
 http://news.sina.com.cn/w/pl/2006-08-15/111010731098.shtml
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4963473.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4963525.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4964038.htm
 http://news.xinhuanet.com/politics/2006-08/15/content_4964645.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4964785.htm
 http://news.sina.com.cn/w/pl/2006-08-15/174810733065.shtml
 http://news.xinhuanet.com/politics/2006-08/15/content_4965187.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4965526.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4965539.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4965545.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4965565.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4965571.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4965579.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4965791.htm
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4965966.htm

 ――――

 国営通信社の電子版「新華網」と「人民網」(『人民日報』電子版)を主としてこれだけありました。このうちかなりの記事が人民解放軍の機関紙『解放軍報』に転載されています。それだけ軍部も注意を払っているということでしょう。

 で、上述したように香港各紙の報道は「小日本」という言葉が記事文中で使われていても不思議でないような憎々し気なスタンスで報じられていたのですが、中国本土の報道は分量の割に「熱」を感じませんでした。だからといって冷めた見方という訳でもありません。

 例えば李肇星・外相が日本大使を呼びつけて、

「(小泉首相の靖国参拝は)日中関係の基礎を破壊するものだ」

 と言っていましたが、その激語にふさわしい危機感や憤激を帯びた報道は非常に少なく、字面ほどに騒いではいない、むしろ騒ぐポーズをとってはいるけれど、実は騒ぎ立てることを避けている、あるいは避けようとしているような雰囲気を感じさせるものが多い、という印象でした。


「下」に続く)



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 行ってきました。驚いて、途方に暮れて、やれやれと思って、とにかく疲れました。

 持ち前の現場運の良さが災いしたようです。小泉首相をナマで見ることができました。でも、だから何?という感想です。私は参拝に行ったのであって、小泉首相見物をしに行ったのではありませんから。

 ――――

 去年と同じ時間に行ったのに、雰囲気が一変していました。曇天は残念でしたが、それより何より九段下の駅から吐き出されて靖国神社に向かう人の数が多いのです。上空にはあちこちにヘリの姿が。

 小泉首相の参拝が確実視されていたせいか警備も物々しく、去年は人影もまばらだった参道は蝉時雨だけが相変わらずで、参拝客は前年比2倍か3倍といった盛況ぶりです。盛況はいいことですが、私はその人出を避けるためにわざわざ早い時間に出てきたのです。天気に恵まれなかったこともあり、残念ながら清清しさと静謐さを楽しむことができませんでした。

 去年遭遇した香港のテレビクルーにまた会えるかな、とかすかに期待していたのですが、人数が多くてそれどころではありません。プレスはもうすっかり本番モード。参拝客が多いため、今回は打って変わって最後の鳥居をくぐったところで行列する破目になりました。いやあれは並ぶというより人間が屯集しているという感じです。

 脇には各局のテレビカメラや紙媒体のカメラマンがズラリと勢揃い。そして私たちの行列はある程度進んだところで止まってしまいました。すると神社側の人が出てきて、

「前の方の人は座って下さい」

 と連呼し始めたのてす。それで小泉首相が昇殿参拝することがわかりました。ふと空を見上げると私の視界内だけでヘリが6機も飛んでいます。他にも視界外に何機かの姿があり接触事故が起こるのではとこちらが案じてしまいます。まあ接触して墜落するなら御近所に朝鮮総連という恰好の目標がありますけど(笑)。

 ――――

 私は普段出かけるときはコンパクトなデジカメをバッグに放り込んでおくのですが、あいにく今は人に貸していて手元にはありません。写真は素人ですけど、取材者になるときのため一眼レフのデジカメ及び関連機材一式は持っています。

 今年の靖国も去年同様の静謐な好ましい雰囲気があるだろうと思って、それを記念に撮影しておきたかったのですが、大仰なカメラを持ち歩いていて「プレス登録して下さい」などと言われると面倒なので今日は持っていきませんでした。

 ところが、それが杞憂であることがすぐにわかりました。まずは悪天候に加え参拝客や報道陣がたくさんいて、私が写真に残しておきたかった清清しい雰囲気がまるでなかったこと。そしてモーニング姿の小泉首相が渡り廊下から本殿に入っていくと、みんながデジカメや携帯を振りかざして一斉にパシパシパシッと連写の嵐。

 誰もが爪先立ちで背伸びして携帯電話を高くかざして撮ろうするものですから、将棋倒しになりかけたこと数回。一億総プレス時代であることをはからずも実感させられました。ちなみに私は携帯を持っていません。どうせ仕事の催促とか原稿の締め切りがどうのとか日本側でトラブル発生とか……いいニュースを全く運んでこないので、せめて外出している間は気楽でいたいのです(笑)。

 参拝を終えた小泉首相が帰っていくところでまたパシパシパシッです。お前ら参拝に来たんじゃねーのかよ、と言いたくなりました。小泉首相が姿をみせたときには万歳万歳の声や「いいぞーっ」という掛け声、それに期せずして拍手喝采が湧き起こりました。

 が、私は何もかも期待外れだったせいか拍手も万歳もする気がしなくて、ただ、

「これでよし」

 と思いました。

 ――――

 当ブログで何度か書いていますが、小泉首相は日中関係の構造改革を意図的に進めてきたのではないか、というのが私の考えです。麻生外相の言を借りるなら「上下関係のない対等な二国間関係」。……価値観や歴史観の違いがあっても現実的かつ実務的な付き合いの成立する関係です。

 それを構築するために、小泉首相は5年連続で頑に靖国神社を参拝してきたのではないかと。何かといえば歴史問題を持ち出し自らの歴史観や価値観を押し付けてくる中共や韓国に対し、靖国参拝という象徴的な行動を以て、身を張って、

「譲れないものは譲れない」
「内政干渉は断じて許さない」

 という新しい日本の姿勢を示してきたように思うのです。中韓から「問題発言」とクレームがついて閣僚が引責辞任させられる、という馬鹿げたこともなくなりました。

 次期首相がこの構造改革路線を継承していけば、いずれ毅然とした態度で、

「それは内政干渉だ」

 と明言することができるようになると思います。相手も「この手はもう使えない」と認識するようになるでしょう。たとえそう認識できなくても現実に通用しなくなるのです。

 その土台を小泉首相が5年間かけて築き上げ、最後に「八・一五靖国参拝」という最も象徴的なパフォーマンスをみせて、バトンを後継者に渡す。小泉首相は、日中関係で為すべきことをちゃんとやり遂げたと私は感じました。だから「これでよし」なのです。

 ――――

 小泉首相が去ってから、ようやく人込みが動き始めました。どうやら半数はナマコイズミ目当てだったようで、私はほどなく賽銭箱の前に立つことができました。

 「トラ・トラ・トラ」という映画で真珠湾奇襲に出撃せんとする第一波攻撃隊の搭乗員たちが、空母の艦内に設けられた神社の前でキビキビと二拝二拍一拝を済ませていくシーンがあります。

 普段の私が参拝するときはそれに似ていて、短いその一刹那に思いを込めて「ありがとうございました。本当にありがとうございました」と念じています(それが正しい作法なのかどうかはわかりませんけど)。

 ただ今回は「田舎のじいちゃん」さんの御依頼を受けているので二拍の後の間を長くしました。お引き受けした務めは果たせたつもりです。……あ、僭越ながら「90」さんの分も祈念してきました。

 ――――

 で、ともあれ帰途ということになるのですが、これは小泉効果なのかどうか、今年は右翼団体の関係者とおぼしき人数が去年とは段違いに増えていました。

 中には「英霊たちの犠牲の上に現在があることに思いをめぐらせよう」という趣旨のプラカードを掲げて歩いている人もいましたが、率直に言ってあれは低能だと思いました。それとも一種の自慰行為なんでしょうか。

「英霊たちの犠牲の上に現在があることに思いをめぐらせよう」

 という趣旨は正論で全くその通りだと私も思いますけど、マーケティングというものを考えていませんね。わざわざ8月15日に足を運んで来る人たちなら先刻承知の理屈を大書したプラカード、それを靖国神社で高々と掲げることにどんな意味があるのでしょう。

 簡単にいえば、ライトユーザー(一般市民)を取り込むという発想が全く欠落しています。テレビに露出させるのが目的なら、変な服を着て頭五分刈りの段階でダメ出しでしょう。異質感満点で濃すぎるため逆効果です。

 バカ高い年間購読料で薄っぺらい機関誌を上場企業に売りつけるという独特の商法がいまも健在なのかどうかは知りませんが、多少の資金があるなら篠原涼子とか伊東美咲とかエビちゃんとか、男なら速水もこみちか伊藤英明あたりに15分限定でプラカードをかざしてもらうとか(笑)。

 テレビクルーにとってはいい絵になるところなんですけどねえ。……まあタレント事務所の方がそんな仕事を承けたりはしないでしょうけど。

 ――――

 帰宅して「新華網」(国営通信社の電子版)をのぞいたら中国外交部が早くも抗議声明を出していました。「07:13」は北京時間ですが、小泉首相が参拝を終えてから30分と経たぬうちのリアクションは予定稿が準備されていたからでしょう。

 ●「新華網」(2006/08/15/07:13)
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-08/15/content_4961332.htm

 この声明、
「強烈抗議小泉又一次参拝靖国神社」というタイトルになっているのですが、「強烈抗議」というほどには気合が入っていません。まず小泉首相の靖国神社参拝を非難しているのですが、法的根拠がないものですから、

「人民の感情を傷つけた」
「A級戦犯」(中共政権とは全く無関係)
「国際的正義に対する挑発で、人類の良知を踏みにじる行為」

 とフニャフニャした理由付けになっています。ちなみに、中国はこの声明を出したことで内政干渉行為ということになり、「日中共同声明」第6条及び「日中平和友好条約」第1条第1項に明確に違反したことになります。

 中国側にはそういう根拠がないものですから「日中間で取り交わされた3つの政治文書」に違反するとかその精神にもとると言うこともできないのです。

「小泉首相は歴史問題において絶えず中国人民の感情を傷つけ、国際社会での信用を失っただけでなく、日本人民の信頼も失い、日本の国家的イメージと利益を損ねた」

 と、「日本人民」を持ち出したところに以前とは違って日本国内の共闘勢力の退潮が著しく、有効な共同戦線を張れない焦りがのぞいています。同時にこの物言いで悪者は小泉首相限定となります(タイトルからしてそうですね)。下手な声明を出して日本側の世論が硬化し、日中関係に影響が及ぶことを恐れたのでしょう。

 そして最後の段落で「お互い手を携えてやっていこう」という違和感たっぷりの前向きスタンスで声明が終わっています。

 これで「強烈抗議」ですか(笑)。これまたヤル気に欠けた初動ですねえ。あとは定例記者会見でのパフォーマンスに期待したいところですが、孔泉の抜けた外交部報道官は大根揃いですからねえ。

 それよりいまは「内憂」で手一杯のところでしょう。外患で遊んでいる余裕があるとは思えませんが。……まあ余裕がないから上のような気の抜けた「強烈抗議」声明なんでしょうけどね。



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 8月12日から御盆休みに入るというので、その前日、仕事の合間を縫って床屋に行ってきました。

 行きつけの店はカットハウスとかそういうカッコいい体裁のところではなくて、伝統的な日本の床屋さん。カットというより「散髪」という言葉がよく似合います。

 小さな店ですけど腕は確かです。

 その店構えにしては不釣り合いにすぎる気宇壮大な店名(例えば「バーバー北海道」とか「大阪理髪店」といったような)を冠しているところも気に入っています。

 ――――

 いつもの人にカットしてもらいました。むろん雑談しながらですが、どういう流れからだったか、

「御家人さん、私は今年は15日に靖国に行きますよ」

 という話になりました。

「あ、私も行きます」

 と私。そのために休みに入る直前に散髪してもらいに来たのです。

「行くなら早い時間の方がいいですよ。まだ人も少ないですから」

 と昨年の経験に照らして言うと、

 散髪屋
「早い時間って、何時くらいですか?」

 御家人
「8時くらいです。それならまだ静かですから」

 散髪屋
「8時?……8時ですかあ。そこまで早く出るのは難しいなあ」

 などという会話を交わしました。

 ――――

 私の場合、靖国神社には地下鉄ですぐですし、完全夜型生活(参拝から帰宅して就寝)でもあるので、早い時間は得意です。去年は参拝を終えて喫茶店に入ったら8時くらいでした。

 あの時間ですと特設ステージや主催者のテントなどもまだ準備中の物腰で、参拝客も少なく、普段と同じような感じで御祭神に向き合うことができます。

「ありがとうございました。本当にありがとうございました」

 と、いつも通りに念じるのみです。

 去年は香港のテレビクルーに喧嘩を売って大感謝されるという思いがけないイベント(笑)がありましたが、参拝を終えて参道を歩き終えるまでの間に日本のテレビ局の取材も受けました。

 特に人目をひくような風体もしていないのに。……たぶんまだ参拝者が少ないせいでしょう。合計3回、カメラの前に立たされてのインタビューです。

 もっとも、私はときに「取材者」の立場になることもあるので「要領」はわかっています。ですから至極気軽に、いい加減にやりとりして済ませました。……とは、あの時間のインタビューというのは取材者にとっては予行演習でしかないことが多いからです。

 インタビュアーにとってはリハーサルのようなものですし、カメラマンにとっては立ち位置の調整(背後に靖国神社っぼい風景が入るような場所の確認)なのです。「要領」とは、そういうことです。

 本気の取材であれば、きっと私は緊張してしどろもどろになってしまうことでしょう(前例あり)。

 ――――

 以下は余談のようなものですが、そのあとひと息入れたくて、喫茶店に立ち寄りました。

 近くだと混むかも知れないので靖国通りから折れて、5分近く歩いたところにあった小さなお店です。ドトールとかスターバックスのようなものとは違う、何の変哲もない個人営業の地味な喫茶店でした。

 菅井きん(ビッグマザー)似のお婆さんと、その息子夫婦とおぼしき人がやっていました。客は私だけです。

 お婆さんが水を持ってきたときに、私が脇に置いていた日の丸の団扇を目ざとく見つけました。二の鳥居を過ぎたところで「桜チャンネル」が配っていたものです。

「お参りに?」

 と言うのでそうですと答えると、

「私もそろそろ行ってこないと。今日は混むでしょうからね」

「そうですね。いまならまだ人が少ないからいいですよ」

 と私。……ところが、それで話を切り上げて注文をとるのかと思ったら、お婆さんは隣のボックスに座り込んでしまい、

「昔話ですけどねえ」

 と勝手に話を始めてしまいました。お婆さんがまだ娘時代だった昭和18年の秋、学徒出陣に際して雨の神宮外苑で行われたあの有名な「壮行会」に見送る側として立ち会ったそうです。

 学業半ばで兵隊にとられる学生さんたちが可哀想で。……とそのとき思ったそうです。いまでも不憫に思う、と話してくれました。

 そのあとひとしきり話をしてお婆さんはようやく注文を聞いてくれたのですが、私は柄にもなく、立原えりかという作家の小篇「ピアノのおけいこ」をふと思い出していました。

 それだけの出来事でオチも何もありません。その喫茶店にもそれ以来足を運ぶ機会がないのですが、靖国神社へ行くたびに、そのときのことを思い出します。

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 よく晴れた空の下、まだ朝の気配を残す静かな参道を、蝉時雨を浴びつつ歩くというのはいいものです。

 都心でありながら近くに高層ビルが少ないこともあって、靖国神社から見上げる空は意外に広くて大きくて、青空がまたよく似合う場所でもあります。

 今年も好天であれかし、と願っています。



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