日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 死にかけたオサーンの欲は、とどまるところを知りません。だって動けるうちに出かけないと損でしょう?てな訳で「末期旅」から帰ってきたと思ったら、今度は「乗り鉄旅」第一弾として、寝台特急「あけぼの」で青森まで往復してきました。

 てか、いまその復路でこれを書いています。寝台特急に乗車したときの常として、どこか緊張しているせいか02:15に目を覚ましてしまいました。覚めたら揺れていないのでトイレに立ってみたら乗降扱いをしていない長岡駅で、02:42にようやく動き出しました。機関車の交換でもしていたのでしょうか?

「上野発の夜行列車降りたときから♪」

 という「津軽海峡冬景色」のモデルはこの「あけぼの」ではないと思うのですが、いまや上野ー青森間を結んでいる寝台車はこれしかないので、そういうつもりで上野発に乗り込みました。とはいえ私の世代だと甲斐バンドの「安奈」の方が馴染みます。

「二人で泣いた夜を覚えているかい? 分かち合った夢も 虹のように消えたけど♪」

 車両改造に消極的なJR東日本でも札幌行のまだ明色である「北斗星」に比べ、さらに古臭くまた青森止まりの「あけぼの」に乗って、うっかりiTuneで上の一節を聴いてしまうと、もういけません。

 歳月を重ね各地を転々として、辛い思い出ばかりを流れの悪いニーハオトイレの糞のように積み上げてしまったオサーンとしては、「ごめんな」と言うしかない過去の数々を思い出してどうしてもウルウルしてしまいます。

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 しかしまだ冬でないせいか朝に着いた青森は明るく、何やらベイブリッジのようものがあり、駅舎も改造中でなかなか活気がありました。目抜き通りの新町通りも死にかけたシャッター商店街に堕すことなく元気です。

 青森に朝着いて、ホテルで一泊して、翌日の夕方に帰路の「あけぼの」に乗り込むという強行軍ですけど、何せ「あけぼの」に乗るというのが主題なのでそれでいいのです。

 その一泊の宿は駅前の「東横イン青森駅正面口」にとりました。最上階の部屋に入ると、14階という展望も手伝ってか、自称11.88平米という部屋にしてはゆったりとしていて快適そのもの。

 ベイブリッジや青森港が見渡せるばかりか、青森を抱く形で伸びた下北半島と津軽半島を遥かに拝むことまでできます。今までに泊まった「東横イン」では最高ランクといっていいでしょう。

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 さて、一泊するので夕食をどうするかという話になります。いまの私の場合、安っぽい居酒屋というのが定番。ホテルの近くに「魚民」がありましたが、ここは往々にしてアドリブが利かないのでスルー。手書きのオリジナルメニューが売りの新町通りにある「はなの舞」青森駅前店へ入りました。

 入ってみたらここが大当たり。さすがに日本海と太平洋の魚が集まる青森です。むろんこちらも海鮮三昧で、オリジナルメニューの刺身も揚げ物も美味いこと美味いこと。しかも安い!さらに「タラ鍋」というのがあり、これで締めたらもう幸福な気分に包まれ十二分に満足してホテルに帰館しました。

 なかでもブリの刺身とタラ鍋は絶品だったので、翌日は17:00の開店と同時に飛び込んで両者を大急ぎでしかし心ゆくまで味わい、鍋は雑炊にしてもらいました。

 しかしながら「乗り鉄旅」ですから時間がありません。滞在40分で帰館して、すでにまとめてある荷物をピックアップして青森駅へ急ぎ、入線間もない「あけぼの」に乗り込むという慌ただしさ。

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 「あけぼの」は往復ともに「シングルDX」というA個室を確保しました。

 とはいえ前述したように、JR西日本に比べヤル気なさげなJR東日本の手による改造ですから、A個室といってもその最高峰たる「ロイヤル」(「トワイライトエクスプレス」と「北斗星」のみ)に比べれば狭いしベッドも窮屈だし洗面台は黄ばんでいるしもちろんウェルカムドリンクのようなものはありません。

 こういう中途半端な豪華さはいただけません。しかもよく揺れるし。これなら「サンライズ出雲」のB個室「シングル」の方が寝台に特化されているうえ新しい車両なのでずっと居心地がいいと思いました。

 ちなみに、同じ「ロイヤル」でも「トワイライトエクスプレス」と「北斗星」は雲泥の差です。サービスの質も含め、後者はとてもお勧めできません。

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 しかし、「あけぼの」の「シングルDX」にも「サンライズ出雲」のシングルより優れた点がひとつだけあります。電源です。

 私は常に「東横イン」だの「ホテルルートイン」だの「ホテルα-1」といった安宿ばかり泊まります。このクラスだと部屋にはIH方式の湯沸かしサーバーしかなく、コーヒー党の私としては飲む度に湯を沸かさなければならないので面倒です。しかも保温機能がありません。

 ですから常にメタリックな電気ポットを持ち歩いているのですが、「サンライズ出雲」の「シングル」だとコンセントはあるものの、これをつなぐと瞬時にブレーカーが下りてしまいます。

 で、「あけぼの」のA個室や如何に?と試してみたところ普通に使えたので狂喜しました(良い子のみなさんは真似してはいけません)。

 こうなると居心地がよくなります。「香味焙煎」という私にしては贅沢なインスタントコーヒーを飲みつつ、喫煙しつつ、「末代機」(マクブクプロ)からYMOや戸川純を流しつつ、腹が減ったら夜食にカップラーメン。いま現在のように未明に起きてしまってもモーマンタイなのです。

 いま03:50なのですが、終点の上野までもう眠る気にはなりません。そんな訳でこういうどうでもいいエントリーを書いている訳で。

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 ところで話は変わりますが、毎週土曜に「笑笑」茅場町駅前店で開いている定例化した突発OFF、明日30日(土)は何やら雨模様のようですが、何よりも機会を惜しむ私は例によって独酌致します。

 最近は少しずつ体調が悪化しているのが自覚できるので、正直、これもあと何回開けるかわかりません。ただ現在の私は皆勤賞の「ざる」さんをはじめ読者の皆さんと歓談するのが現在の最大の楽しみ。最近は中国の話題以外で盛り上がることも多いのですが、それもまた楽しからずやであります。

 来るところまで来てしまった私は、御存知のようにもうマトモにブログを書けません。ですからせめて皆さんと顔を合わせることだけでも、という気持ちもあります。書けなくても、まだ口は動きますから(笑)。

 とはいえ、いつ病院に入れられるかわかりませんから、そこは突発OFFらしく、いきなり最終回になるかも知れません。御容赦されたし。

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 午前4時を過ぎました。これから夜食を食いつつDVD観賞です。上野まであと3時間弱。「Uボートディレクターズ・カット」あたりが間尺に合いそうですね。

 それでは。





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 先日の「笑笑」茅場町駅前店における突発OFFで私が話題にしたパラオの話、その元ネタの動画がありましたので置いておきます。





 やせ我慢かも知れません。悪い日本人もたくさんいたと思います。しかし、

「俺は日本人だから恥ずかしい真似はできない」

 という矜持があったればこそ、そしてその矜持を大半の日本人が持っていたからこそ、現地の人々の信頼と尊敬を集め得たのではないかと、私は思うのです。

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 中国在住の方はYouTubeが観られないでしょうから、ニコニコ動画版を。

 コメントがうざったければ、再生中に画面下部の一番右側のアイコンをクリックすればコメントは消えます。





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 上田から長野新幹線で東京に戻ったのは10月20日のことです。

 中央線で新宿に出て、時間があったのでサザンテラスにあるオサーンブランドのEB旗艦店をのぞいたら、辞めたと思っていた親しい店員さんが復活していて、喜んでちょっと買い物してから小田急線の特急電車に乗り込みました。

 御殿場で下車して「ホテルルートイン御殿場駅南」にチェックインすると、霊峰富士がバーンと目の前にあって、上田から抱え込んでいた不愉快な気分がスーっと浄化されました。

 富士山は、やっぱり良いです。

 しかしながら、日没とともに雲が張り出してきて山頂部が定かでなくなってしまいました。

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 私は予定通り、御殿場駅前で見つけた「はなの舞」御殿場駅前店へと足を運び、例によってMy焼酎マグで「黒霧島」のボトルを空にして帰りました。

 ここの店長の松田充由さんは明朗快活かつ楽しい人で、まだ客の少ない時間帯だったので話相手になってくれました。私が「はなの舞」のメニューを見ずに注文できるので、ちょっと盛り上がったということもあります。

 「はなの舞」の良いところは、店長と料理長のこだわりによる、手書きのオリジナルメニューがあることです。私が過去に訪れたいくつもの「はなの舞」の中で、それが最も充実していたのが先日OFF会を開いた「はなの舞」菊川店でした。この日の御殿場駅前店は生憎それが前日で終わってしまって手書きメニューはなかったのですが、代わりに「明日からはこれでいきますよ」と全店共通の秋冬メニューを見せてもらいました。

 ちょうど親会社たるチムニー創業何周年だかのキャンペーンをやっていて、鍋をつつけたのは意外な収穫でした。

 ところが。楽しく飲んで20時すぎに帰館したあと、私にとって「御殿場といえば、この人」である「麓人」さんからのコメントがブログに届きました。


 ●Unknown (麓人) 2010-10-20 23:22:34

 御家人さん、こんばんは。

 以前、御殿場駅前でフリチベTを着た人を捜してしまいそう・・・と書いた者です。

 1年後、「着た人」には残念ながらお会いできなかったものの、フリチベ缶バッジに見事遭遇してしまいました!なんだか感無量でした。

 明日、お忘れ物忘れずに取りにいらして下さいね。

 お店の若いお兄さんが御家人さんの体調をとても気遣ってましたよ。

 ぜひ今度また、お天気の良い日にあっぱれな富士山を見に来て下さいね!



 そうなのです。私はジャケットをハンガーにかけたまま、そのことを忘れて帰途に就いてしまったようで。……てことを麓人さんが御存知ということは、「はなの舞」でニアミスをした、ということになります。惜しいことに突発OFFの機会を逸してしまいました。

 そこで翌日も「もしかしたら麓人さんに会えるかも」と期待して「はなの舞」に出かけました。店に入ったら店長の松田さんが私の顔を見て「良かった良かった」と、ちょっと大袈裟なくらいに喜んでくれました。もちろん忘れ物の一件です。

 何でも私がジャケットを忘れて帰ったあと、御殿場のホテルひとつひとつに電話して私の消息を尋ねてくれたそうです。

「丸刈りで黒いメガネをかけていて口ひげがあって……東京から来た人ですが、そんな人、泊まっていませんか?」

 という口上で、これではホテル側も「ちょっとわかりません」と答えるしかなかったようです。

(カードで決済したのだから、その名前で当たればいいのに)

 と思いつつ、松田店長の親切に感謝しました。東京の居酒屋では、一見客にそこまでしてくれるところなど、まずありません。

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 ジャケットを受け取ったら、ポケットに麓人さんからの温かいメッセージが書かれた紙が入っていました。

 私は平素、居酒屋といえば開店直後に飛び込んで、混んで来る前に飲むだけ飲んで退散します。この日も早々の入店だったのですが、突発OFF開催を期待して、珍しく4時間も粘りました。……が、残念ながら麓人さんとは遭遇できず。

 しかしこの日も松田店長と話をすることができました。何でもこの「はなの舞」御殿場駅前店というのは、純益だと「はなの舞」の全国トップなのだとか。してみるとこの松田さん、単に明朗快活なお兄さんというだけでなく、凄腕店長という一面も持ち合わせているのでしょう。

 ともあれ楽しく帰館することができました。松田さん、麓人さん、本当にありがとうございました。m(__)m

 ……で、肝心の富士山はチェックインの翌朝から雲に隠れて山頂部が見えずじまい。結局山麓を眺める二日間になってしまいました。

 これは「御殿場にまた来い」という天意でしょうか。天意ならばその分の余命は与えられている筈です。麓人さん、もし次の機会があったときは、松田店長の「はなの舞」で突発OFFを是非。そのときは「あっぱれな富士山」も堪能することができるでしょう。

 ……てな訳で、本命の富士山には振られてしまいましたが、温かさに触れる二日間となりました。麓人さん、頂いたメモは、御殿場での思い出として大切に東京に持ち帰らせて頂きますね。m(__)m





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 情けない話なんですけど、実際に起きてしまったことなので、ありのままに。

 忌まわしい「上田東急イン」を後にした私は、大きなトランクを片手にエスカレーターで「温泉口」から上田駅に入りました。新幹線の切符を買うべき「みどりの窓口」は反対側の「お城口」の1階にあります。

 「お城口」への出口は上りのエスカレーターしかなかったので、脇にあるエレベータを使いました。私が乗り込むと、それに続いてバックパックを背負った20代後半~30代前半とおぼしき男性が続いて入ってきて、私の背後、つまりエレベータの奥に立ちました。

 大人2人が並んで立てる程度の狭いエレベータで、大荷物を持った私がドア際に立って動かないのでそうしたのでしょう。私に言わせると、両手が空いている男性に比べ、大きなトランクを片手に持っている私が先に降りるのが自然ですし、マナーでもあります。

 私がその男性の立場でも同じように奥に立ったでしょうし、大荷物を抱えていてもお年寄りが乗ってくればドア際を譲り、降りるときは「開」のボタンを押し続けてお年寄りに先に降りてもらいます。

 ところが、その男性はそうしませんでした。「開」のボタンを押さなかったばかりか、私の横の狭い空間に割り込んで先に降りようとしたのです。

(何だこいつ)

 と思った私は、トランクで割り込もうとする男性を阻みつつ、当然ながらドア際なので先に降りました。……すると、

「何すんだよ」

 と、その男性が文句を言ってきたのです。度し難い野郎だなと思いつつ、

「ドアの前に立っている俺が先に降りるのが当然だろ?それにこっちは大荷物抱えてるんだ。お前手ぶらだろ?何割り込んでんだよ。マナーも知らないのか?情けねーオトナだな」

 と言い捨てて歩き出そうとしたとき、

「何だと!」

 とその男性が言うなり、私の背中を両手で小突いてきたのです。不意を衝かれて私はよろめきました。

 ――――

「おい、何すんだよ!」

 と私が態勢を立て直して振り向くと、その男性はいきなり両手で私の胸倉をつかんできました。そのときの勢いで、ジャケットの胸につけていたフリチベカンバッジがピーンと音を立てて外れ、床に転がってカラカラと乾いた音を響かせました。

(あっ、やりやがったな!)

 瞬時に戦闘モードです。私は腕っぷしが弱いので、普段はなるべく喧嘩にならないようにしているのですが、降りかかる火の粉は払わなければなりません。

「喧嘩はな、気合と呼吸と覚悟なんだよ」

 と高校のとき同じクラスの奴に教えてもらったことがあります。気合とは闘志のことでしょう。呼吸はタイミング。そして覚悟というのは、この一戦で命を落としても構わないと思い切ることです。

 この場合、いきなり背中から小突かれたので呼吸も何もあったものではありません。しかしフリチベカンバッジが外れたことで私の闘志は一気にレッドゾーン。余命幾許もない身ですから命なんざ鼻っから捨ててかかっています。

「何すんだこの野郎」

 と言いざま、私が両手で相手の胸を突き返すと、男性の両手が私のジャケットから簡単に離れました。今度は逆によろめいた相手の胸倉をこっちが掴んで、高校のとき体育で教わった柔道で唯一覚えている払い腰モドキで相手を硬い床に投げ飛ばしました。

「痛てっ」

 そりゃ痛かったことでしょう。男性のバックパックが背中から外れて、中から何冊も難しそうな本が飛び出してきました。

 ――――

(大学院生かな。それとも若手研究者かな)

 と私は思いました。それでも立ち上がった男性に、今度は健ちゃん(谷垣健治君)直伝の蹴りを入れてやりました。見事に胸にヒットして相手は吹っ飛んだのですが、すぐ後ろに壁があったのでそれにぶつかって男性はよろめきました。しかしそれも一瞬のことで、再び私に突進してきました。

 敵ながら天晴なファイトです。しかし口舌の徒というか青瓢箪というか、格闘戦が苦手な私より弱いのでは話になりません。私は向かってきた相手の腕を掴むと、再び床へと投げ飛ばしました。

 男性はそれでも立ち上がろうとします。面倒臭くなってきたので、私は立ち上がる時間を与えずに相手の腰の辺りで馬乗りになりました。

 このときは、私の全体重を乗っけて相手の腹部に飛び乗ることもできました。でも内臓破裂とかになると面倒なので相手を組み伏せることにしたのです。中国人相手なら手を抜いたりはしませんけどね。

(こういう馬鹿な日本人が増殖しているのか。それでこいつらが親になる。日本人の民度は下がるばかりだな)

 と、組み伏せつつ悲しい気持ちになりました。

 PRIDEのような格闘家同士のマッチなら、馬乗りになった以上ここでガンガン相手の顔面を殴るところですが、流血は嫌なのと、素手ですから殴れば私の拳も傷つきます。傷つかないような殴り方も知らないのでそれはしませんでした。

 右手で相手の頭を床に押さえつけつつ、左手で喉輪です。相手が中国人なら頭を掴んで何度も床に叩き付けていたことでしょう。喉だって本気で締めていたところです。

 それでも男性は息が苦しくなったらしく、

「死ぬ~殺される~」

 と情けない悲鳴を上げました。そうか苦しいかと思い、左手を喉から相手の両瞼へと移して指で目玉の奥を圧迫しました。これも中国人相手なら容赦なく左右の眼球をくり抜いていたところです。その予行演習のつもりでちょっとやってみました。

 ――――

「どうだ?止めるか?止めるなら放してやる。もういいだろ?もう終わりにしよう。な?」

 と私は言いました。いや、そろそろ新幹線の時間が気になってきたもので(笑)。……ところが相手はなおも抵抗を試みるので組み敷いたままにしていたら、警官が数名駆けつけてきました。誰かが110番通報したそうです。

 取りあえず駅前の交番で事情聴取をするというので、面倒なことになったと思いました。いやだって新幹線に乗り遅れたら大変ですから。こういうときの私は不遜です。

「あのー、交番に行ってもいいんですけど、私は10時35分の新幹線で東京に戻らなきゃいけないんです。それまでに終わらせてもらわないと困るんです。乗り遅れたら切符代弁償してくれますか?乗り遅れないようにすると約束して下さい」

 と駄々をこねると、「約束はできないけど、なるべく早く終わらせるから」というので渋々交番へ行きました。

 事情聴取は交番の2階の部屋で別々に行われました。このときも階段しかないのでトランクを抱えた私は、

「ああ重い重い。バリアフリーがなってねーなー警察は」

 と毒を吐きつつ指定された部屋に入りました。すぐに警官が入ってきて身分を証明できるものはないかと聞かれたので、迷うことなく障害者手帳を取り出し警官の前にポーンと放り投げました。

「いやー久しぶりに運動したんで息が上がっちゃいましたよ」

「まだですか?こっちは時間がないんだから早くして下さいよ」

 ……と、私の一挙手一投足があくまでも太々しいのは、

(こいつら長野県の警察官だ)

 と気付いたからです。長野県警は2008年の長野で行われた聖火リレーで、日本人を排除することだけに専念し、中国人の横暴を野放しにしました。この交番に詰めている連中はその眷属です。憎悪さえ覚えました。

 ――――

 ともあれ取っ組み合いに至った理由をありのままに話して警官がそれを書きとめ、最後に「被害届は出しません」という誓約書のようなものを持ってきました。向こうが被害届を出さないということを確認した上でその書類に署名捺印。ここでも「警察への要望」という欄があったので、

「日本人が日本人たるべきマナーを守るよう指導に努めよ。厳命」

 と書くことを忘れませんでした(笑)。

 それでようやく部屋を出してもらえたのですが、時計を見ると10時半。これは急がねばと階段を下りて交番の外に出ようとしたとき、一番偉そうな席に座っていた警官が腕時計を眺めつつ、

「大丈夫?10時35分に間に合うかな?」

 とかすかに笑みを浮かべて聞いてきたので私の憎悪が爆発しました。

「何言ってんだ!あんたらの事務手続きが遅いからこうなったんだろ!効率悪すぎるんだよ糞公僕が」

 と言い捨てて上田駅へとダッシュ。改札に入ろうとしたところで新幹線がホームに滑り込んできました。こりゃいかんと思い、大きな重いトランクを片手に2段飛ばしで階段を駆け上がり、発車寸前のところで車内に飛び込みました。やれやれです。

 ……とまあ、そんなところで。売られた喧嘩を買ってみたら絡んできた相手が驚くほど弱かったんで拍子抜けしました。何だか私が一方的にやっつけているみたいですが、本当にそうだったのですから仕方ありません。

 でも何ていうか、何だかなあ。……というある種の名状し難い情けない気持ちを抱え込んでしまい、御殿場に着いて富士山を見るまでは気分が晴れませんでした。以上。





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 このホテルに泊まるのを前々から楽しみにしていました。六文銭は大好きなんですけど上田城とかは以前見学したことがあるので、今回は宿に籠って千曲川とその両側の重畳たる山並みを眺めようと。

 東急インというのは以前、別の場所で何度か使ったことがあり、いずれも高いクオリティで満足していましたし、千曲川を眺めるにも絶好の立地だったので迷うことなく「上田東急イン」に予約を入れました。

 ところがこれが大失敗。「上田東急イン」だけは例外でした。

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 立派な外観と落ち着いた雰囲気のロビー。さすがに「東急イン」だけのことはあるわいとチェックインして自室に入ると、なるほど並のビジネスホテルよりは部屋が広く、調度品もしっかりしていて窓の外には私が望んでいた通りの風景が広がっていました。満足。

 壁にはエアコン用の液晶パネルがついていて、温度や風量を自分で設定できるようです。古いビジネスホテルだとエアコンは「弱・中・強」の三択しかないのですが、さすがに「東急イン」は温度調節が自在な個別空調(と思っていたらこれが大間違い)。

 ともあれ一泊して2日目の朝に朝食バイキングへ行ってみたらサプライズでした。メニューは格下である筈の「ホテルルートイン」に比べて貧弱であること甚だしく、しかもどの料理も冷えていて何これ?と裏切られた気分になりました。むろん、過去に私が宿泊した他の「東急イン」の朝食に比べるべくもありません。

 ガッカリして、それでも食べて部屋に戻ったらいきなり下痢に見舞われました。

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 腹の具合が落ち着いてから、鉄道時刻表を持ってくるのを忘れたので書店に出かけました。

 上田駅は「お城口」と「温泉口」の2つがあって、繁華街は「お城口」。「上田東急イン」は何もない「温泉口」に建っているので、駅を抜けて「お城口」側に出てからちょっと歩いて書店にたどり着き、時刻表を購入してホテルに戻りました。

 さすが信州だけに空気はひんやりしていたのですが、それなりに歩いたので身体は暖まっています。閉め切られた自室に戻るとちょっと暑さを感じたので個別空調のパネルをいじったのですが、驚いたことに全く反応しません。

 そこでフロントに電話して作動方法を尋ねてみたらビックリです。

 ●「上田東急イン」の空調はホテル側が外気温との差を勘案して室内の温度を調節している。
 ●いまは外気温から考えて冷房も暖房も必要がないと判断して空調は止めている。

 という答が返ってきました。要するにエアコンを入れるか入れないか、また温度を何度に設定するかはホテルが勝手に判断して決めている、と。じゃあ壁の液晶パネルはお飾りじゃないか、と言うと、ホテルがエアコンを作動させているときに設定温度と同じ温度にパネルを操作すればちゃんと風が出ます、との返答です。

 つまり「上田東急イン」は個別空調でないばかりか、旧型である「弱・中・強」の三択式エアコンよりも劣っているのです。だって客がいくら壁のパネルをいじっても、ホテル側が空調を止めていれば反応しません。たとえ空調が動いていても自分で強度を調節することもできません。呆れて物が言えないとはこのことです。

 ――――

 夕方、書店に行った際に発見した「魚民」で痛飲しました。焼酎のボトル1本を空けていろいろ食べれば当然ながら身体はホカホカです。「上田東急イン」に帰館して自室に戻ればそりゃ暑さを感じます。そこで例のパネルを操作してみたのですが反応しません。

 さすがにイラッとしてフロントに電話しました。

「あのー、外で飲んで帰ってきたんで暑いんですけどエアコンが言うことを聞きません。どうなってるんですか?」

 相手は「客室アシスタントチーフ」の「関善典」という男性です。

「あ、今は25度に設定されているんで、パネルでその温度に合わせてくれれば風が出ます」

「いや、こっちは暑いんですよ。25度じゃいよいよ汗かくことになるじゃありませんか」

 すると関善典のレスポンスがまことに見事でした。

「あ、それじゃ窓を開けて下さい。カギがかかっていますけど、お部屋に入れて頂ければこちらでカギを開けますから」

 ――――

 私はキレました。

「あんた、ホテルマンとしてのプライドはないのか?冷暖房完備をうたうホテルで暑けりゃ窓を開けろって言い草は何だ?結局、壁の操作パネルはお飾りって訳だな?」

「……申し訳ありません」

「謝られたって涼しくならないだろー春日!今からそっちに行くからあんたの名刺を出せ。それから支配人を呼んでおけ」

「あいにくいま支配人は不在でして」

「なら支配人の名刺を用意しとけ」

 と吐き捨てて電話を切り、私はすぐにフロントへ下りました。そして、

 ●上田東急イン 総支配人 長谷川周一(はせがわ しゅういち)
 ●上田東急イン 副総支配人 久保邦二(くぼ くにじ)
 ●上田東急イン 客室アシスタントチーフ 関善典(せき よしのり)

 ……と、「東急イン」を名乗るのもおこがましい木賃宿の担当者どもの名刺をゲットした次第。

 その夜は実に寝苦しかったです。だって操作パネルの温度を26度に上げてみたらエアコンの風が出てきたんですから。26度ですよ。

 翌朝起きてカーテンを開けてみたら、窓が真っ白に曇っていました。そりゃそうです。この日の最低気温は13度で、エアコンから出る風は26度なんですから。

 ――――

 忌まわしい朝食バイキングはもちろんスルー。支度を整えて1階へ下りて、チェックアウトの手続きをするときにこの日の分の食券をフロントのお姉さんに渡し、

「ここは珍しい東急インですね。朝食はルートインより貧弱だし、昨日食べて部屋に帰ったら下痢しましたし」

「申し訳ありません」

「今頃謝られても遅いんだよ春日!」

 隣に関善典がいたので二人まとめて説教してやりました。

「あんたら、昨日の夜のエアコンは26度だったぞ。知ってるか?気象庁は25度を夏日って呼ぶんだよ。上田では10月の夜を夏日に設定する習慣でもあるのか?」

「それにお前らの勝手な判断で空調止めたり温度決めたりしやがって。そんなことホテルの案内には何にも書いてなかったぞ。冷暖房完備じゃないじゃないか。どうだ、ホテルの案内に書いてあるか?チェックインするときに事前説明をしたか?」

 ――――

 私がまくし立てていると、横合いから「あのー」と言って貧相なオサーンが出てきました。名刺を受け取ると、副総支配人の久保邦二でした。

「今回は不愉快な思いをさせてしまいまして誠に申し訳ありません」

「謝る前に設備をちゃんとしろ春日!何が環境保護に努力してるだ。エコを唱えてこの季節に26度の暖房か?いい加減にしろ春日!」

 と私は怒髪衝天。その真っ最中にチェックアウトで下りてきた別の男性客が久保邦二に向かって、

「ちょっと昨日の夜の暖房、何だよあれ。暑くて寝られなかったじゃないか」

 と苦情を言いました。

「ほら見ろ。ムカついてるのは俺だけじゃねーんだよ。わかったか?」

 ――――

 チェックアウトの手続きが終わったのでそのまま外に出ようとすると、久保邦二が白い封筒を持って追いかけてきました。

「あの、これは不愉快な思いをさせてしまったせめてものお詫びです。どうか受け取って下さい」

 私は振り向かずに出口へ歩いて行きました。

「そんなもんで口封じする気か?いい加減にしろ」

「いや口封じとかそういうことではなく」

 と久保邦二が玄関を出てもついてきたので、私はようやく振り向きました。

「そんなもんいらねーんだよ。ついて来るな。引っ込め春日!」

 自分でも驚くほどの大声になっていました。久保邦二もそれでようやく諦めたようです。私はもう振り返ることもなく上田駅へと歩いて行きました。

 ――――

 という訳で、標題の通りです。とびっきりの思い出作りをしたい方には、是非「上田東急イン」に宿泊することをお勧めします。期待を裏切ってくれることは絶対にありませんから。

 ……で、駅に向かった私は思いがけずスポーツで一汗かくことになるのですが、そのお話はまた後日。





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 これが最後、という訳ではなく今後も「乗り鉄旅行」がいくつか控えているのですが、余命幾許もない身としては「これだけは見ておきたい」というものがあり、とりあえずそれを消化すべく「末期旅」と称して東京を離れたのが10月18日。

 信州上田に二泊してただ千曲川をボーッと眺めて、そのあと御殿場に二泊して神奈備山の頂点と私が信じて疑わない富士山を拝み、さらに富士に移動して東海道側からの富士山を望んで帰京、というものです。先刻、御殿場の「ホテルルートイン御殿場駅南」にチェックインしました。

 上田の二泊は……残念ながら最低でした。ホテルがひどすぎ。空調が間歇的に止まるしフロントの対応が糞だし朝食バイキングは貧弱だしそれ食って部屋に帰ったら下痢したし。

 六文銭を慕って上田に来る「歴女」の皆さん、嫌な思いをしたければ「上田東急イン」に宿泊することをお勧めします。フロントやその上司に対して「春日」(カスが)を連発する二日間でした。これについては後日書きます。

 あとは上田駅でマナーの悪い20代後半~30代前半とおぼしき男性に口頭で注意したら手を出してきたので、何しやがんだこの野郎、と心ならずも応戦したら信じられないくらい一方的な戦いになってフルボッコにしてやりました。

 ……正確には流血の事態は避けたかったので、過剰防衛にならぬようフルボッコにできる状態で封殺するに留めたのですが、結局誰かが110番通報して駅前の交番で事情聴取される破目に。いやー何年ぶりかで年甲斐もなく取っ組み合いをやってしまいました。だって降りかかる火の粉は払わなきゃなりませんから。体罰のようなものでもあります。

 相手が被害届を出さないというのでこちらも無かったことにしてやりましたが、糞公僕の事務効率の悪さのおかげで新幹線に乗り遅れそうになってもう大変。

 警官どもを思いっきり怒鳴りつけてから交番を後にして、大きな重いトランク持って走りに走って、ホームに駆け上がって何とかギリギリ間に合いましたので善しとしましょう。いやーでも何か久しぶりにスポーツで一汗かいたという感じで、これについても後日書くことにします。相手はトラウマになるだろうなーあのザマじゃ。

 で、東京→新宿→御殿場と乗り継いでホテルにチェックインして自室に入るとバーンと富士山。さすがは霊峰、不愉快な思いがスーッと消えて、いまは極めて上機嫌です。

 駅前に「はなの舞」があったので、「今日は我ながら良くやった」と自分を褒めるべくこれから飲みに行ってきます。もちろんMy焼酎マグで黒霧島をボトル&ロックで。





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 当ブログにて告知していた「たぶんこれが最後OFF」が10月16日、東京は菊川の海鮮居酒屋「はなの舞」(私にとって最も居心地の良い場所)にて予定通り開催されました。

 参加者数は……私が会計役を務めてはいないので実数はわからないものの、合計40席のお座敷のほとんどが埋まりましたから、少なくとも30数名はいたのではないでしょうか。

 京都、名古屋、長野など新幹線でわざわざ駆けつけて下さった方をはじめ参加者の皆さん、本当にありがとうございました!私にとって、本当に一期を飾る思い出となりました。m(__)m

 また、都合により出席できないけどこのOFF会に別の形で加わりたい、と「はなの舞」店長さん宛に手紙を出して、過分なお心遣いをして下さった静岡在住のSさん、靖国OFFに続いての御厚意には、ただただ感謝するばかりです。

 そのSさんの私宛の手紙には、

「御家人さんはじめ参加される皆さんの背中には、散華された先人の方々が必ず乗っています。その分もどうか楽しんで下さい」

 という趣旨のことが書かれていました。確かに年齢・職業などは様々ながら、参加者のみなさんはニッポンと日本人に対して何らかの意識を持った方々だろうと思います。

 その反映とでも申しますか、OFF会はもう談論風発というか乱戦模様。

 靖国OFFのときは座席移動が不自由でなかなか皆さんとはお話しできませんでしたが、今回はお座敷なので座が乱れていくつもの話の輪が広がっており、私は飲み物は「韃靼そば茶」一筋、つまりアルコールを控えてそのひとつひとつの「島」を飛び回らせてもらいました。

 むろん話題は中国問題にとどまらず、日本のことからビルマ問題、サブカルチャー、音楽、香港芸能界w、果ては誰かさんの女性問題(orz)にまで及ぶ始末。17時スタートで6時間もあればたっぷり話せるだろうと思っていたのに、あっという間にラストオーダーが来てしまいました。

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 今回の目玉は、何といってもpiyoさんが奔走して出席して下さったスペシャルゲスト。

 ……とは何と何と、元『産経新聞』北京特派員で「北京東京趣聞博客」(ぺきん・とうきょうこねたぶろぐ)で有名な、あの福島香織さんです!私にとっては腰を抜かしそうになるほどのサプライズであり、福島さんの登場とともに満堂はどっと湧き、建物が揺れんばかりの拍手喝采。

 福島さん、お忙しいなか私のような弱小・色物系ブログのOFF会に出席して下さり、本当にありがとうございました。m(__)m

 私はずっと正面に陣取って喰いついていたかったのですが、ブログ主としては読者の皆さんと色々な話をしたかったので、暫くして席を移さざるを得なかったこと、諒として頂ければ幸いです。

 福島さんとずっと同じテーブルにいた「島」の皆さん、どうか「福島語録」をコメント欄にて紹介して下さいまし。御尽力して下さったpiyoさんには、ただただ感謝するのみです。

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 宴のあとは、また宴。二次会であります。予定通り「魚民」小川町駅前店で馴染みの店長さんに手早く席を整えてもらい、15名が参加して結局閉店時間の5時まで飲み明かしました。

 このときもサプライズがありました。反日デモのニュースです。これは恐らく「対外強硬派」の蠢動だと思い、ヲタの血が騒いで僭越ながら即席ヲチをやらせてもらいました。

「これは尖閣問題ではなく一種の権力闘争だと思います。まずはこのデモに対する政府見解でそのニオイがどれだけするか判断して下さい」

「それから中国語の読める方は、明日の『新華網』『人民日報』『中国青年報』『南方都市報』そして『解放軍報』の関連記事の内容に差異があるかどうか、火付けメディアと火消しメディアが存在するかどうかを確認してみて下さい」

「また、もし外交の専門家で第一線を退いている呉建民がマスコミに登場して一席ぶつようであれば、これは胡錦涛が火消しを狙っていることの現れです」

 とか何とか。まあ「素人による中国観察。出鱈目な解釈」が当ブログの売りですから当てにはなりませんけど。

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 ともあれOFF会に参加して下さった皆さんが、それぞれ楽しく過ごされたことを願うばかりです。私としては、この集いをダシにして新たな人のつながりが生まれて、様々な広がりをもたらしてくれればいいな、と思っています。

 「たぶんこれが最後OFF」と銘打ったものの、私の身体の現状に照らせば、事前告知をしっかりと行う形でのOFF会はもう開けないだろうと思います。ただし、動けるうちは馴染みの店にこれからも気軽に飲みに行きますので、コメント欄にて突発OFFを示唆することはあるかと思います。

 もっとも、今回の「はなの舞」菊川店や、突発OFFになるとカウンター席が特設個室に変貌する「笑笑」茅場町駅前店では誰にも知らせず独酌していることが結構あるのですが(先日は新人Aさんに捕捉されてしまいました)。

 ……書きたいことは色々あるのですが、胸が一杯でこれ以上、筆が進みません。皆さん、私に一生の思い出をプレゼントしてくれて本当にありがとうございました。m(__)m





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 たくさんの方々から参加表明を頂いている「たぶんこれが最後OFF」について、下記の通り実施することとなりました。




 【日時】10月16日(土)・17:00開始(途中からの参加も大歓迎)。

 【場所】海鮮居酒屋「はなの舞」菊川店(都営新宿線菊川駅下車)






 終電前にラストオーダーにしてもらいますので、過ごしてしまいありゃりゃ……ということはないようにします。

 飲み足らない・飲み明かしたい方々には御家人が朝までお付き合いします。突発OFFで使っている茅場町の「笑笑」へは乗り換えの便が悪いので、同じ都営新宿線・小川町で前「笑笑」茅場町駅前店の店長さんが新規立ち上げを任された「魚民」あたりでZ旗を掲げましょう。

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 以上、取り急ぎお知らせまで。

 皆さんとお会いできるのをとてもとても楽しみにしています。





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 えータイトルの通りです。このブログは私の死後いつパッと雲散霧消するのかわからないので、piyoさんが「mixi」に新たなプラットフォームを立ち上げてくれました。

 「分所」において私は参加者の一人に過ぎません(開設者・管理人としての関与はありませんので)。書き込めるうちは私もカキコします。

 http://mixi.jp/view_community.pl?id=5263074

 でもpiyoさん、当ブログは「日々是チナオチ」ではなく「日々是チナヲチ。」が正しい名称です。修正ノ要アリト認ム。





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 ちょうど1カ月前の9月9日。いま北京の記念堂だかどこかで充電中の毛沢東が死んだ日のことです。

 その日、なぜか気分がいいので人形町を散策し、ついでにアパレルの問屋街である横山町の方まで足を伸ばしてみました。

 道すがら、JR馬喰町駅の前を通りました。ふと時計を見ると09:45。おお、それならちょっとやってみるか。……と考え、「みどりの窓口」へ行きました。

 1カ月先の切符を発売開始時間である10:00押しです。列車名・日付・寝台の種類など各種諸元を入力した駅員さんは電話(117)で時報を聴きながら10時ジャストに予約ボタン。

 すると、おおお!ストンと予約マシンの口から切符が吐き出されたではありませんか!余りの呆気なさにしばし茫然としていまいました。10月9日大阪発札幌行「トワイライトエクスプレス」のロイヤル(一人用A個室)がゲットできたのです。

 大阪発は札幌発に比べ入手が難しく、しかも乗車日が10月9日というシーズン真っ最中。この時分だとまさに「トワイライト」で、この列車が売り物にしている日本海へ沈む夕日も拝めます(前にB個室に乗車したときは11月下旬だったため日本海はただ闇が広がるだけでした)。

 それだけに御家人大興奮。とりあえず近くのドトールに入って一服しつつ、我がものにした夢の切符を眺めて独り悦に入っておりました。

 数日後にまた足を運んで、今度は札幌→上野の「北斗星」ロイヤルを確保。よっしゃー!てなもんです。この鉄道旅行、まず新幹線で大阪へ行って……という不自然(無駄)な形になりますが、この時期の「トワイライトエクスプレス」のロイヤルはそれをするに値するプラチナチケット。

 この「末期旅」を終えるまでは絶対死なねーぞ、と私は誓いました。

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 ところが。

 そのまたしばらく後に定期検診へ行った私は、N医師から驚天動地の言葉を浴びせられることになったのです。

「うーん、あなた旅行好きですけどね、もう一人旅はNG。どうしても出かけるときは必ず介添人に同行してもらうこと」

 えええええええええええええええええ!?

 そんな御無体な、と「トワイライトエクスプレス」の話をして、この時期にその切符を奪取することが如何に困難か、ということを粘りに粘って説いたのですが、

「ダメです」

 と、N医師は取りつく島もありません。N医師によると介添人は私に同行して、万一ぶっ倒れたときに119番とN医師へ連絡することだけが仕事なので、介護士などの資格は必要でなく、要するに電話をかけられれば誰でもいいのです。

 サッカーに例えると、私の身体は後半40分くらいのところまで来ているのだそうです。……だからいま現在は後半ロスタイムくらいでしょうか。もちろんその後に延長戦前後半があって、最後にPK戰があるかも知れませんが、そうした試合規定は天のみぞ知ること。

 泣く泣く断念した私は東京駅八重洲口の「みどりの窓口」でプラチナチケットなど一切を払い戻しました。プラチナであることを知る窓口の駅員さんは、

「うわーもったいない。これはもったいない」
 
 と私以上に残念がってくれたのですが、これは慰めのようでもあり、トドメを刺されるようでもあり……。

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 これ以降、今回の日立行も含め、私が泊まりがけで出かけるときには必ず介添人がつくことになりましたとさ。あーあ。

 本当ならいま湖西線あたりで、琵琶湖を右手に望みつつ「シェフのおすすめコース」に舌鼓を打ったいただろうに……。





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 昨夕、私にとって最も居心地の良い居酒屋「はなの舞」菊川店で独酌しました。

 打ち上げであります。私にとっての最後の仕事である「私的な公務」をし遂げた、そのお祝い。

 「私的な公務」というのは、私の連載コラムを掲載した香港のゲーム週刊誌などを、私が卒業した大学(「母校」とは死んでも言いたくない)の図書館に引き取ってもらうため、雑誌ごとに号数順に並べて、自分の文章が掲載されているページに付箋紙をつけた上で梱包するという作業。

 数が200冊くらいあるというのと、「ヘー俺こんなこと書いてたんだ」とか思ってつい読みふけったりしたので数日かかりました。

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 この連載コラム、自分が書いたということから離れて眺めても、それなりに価値のある資料だと私は考えています。

 とりあえず7年間分のものを今回まとめあげたのですが、この時期に現地の新聞・雑誌で、中国語でこれほど書きまくった日本人というのは私だけ。そのちょっと前の時期には新井一二三さんがいるのみです。まずこの点だけでも価値があるように思います。

 特に私の場合は、香港人に乏しい概念を浸透させるために造語した単語が現地で定着して業界用語となり、いまでは香港の新聞でも使われているように、現地の業界やユーザーに影響を与えたというレアなケース。

 まあ年端もゆかぬゲーヲタどもがそのままゲーム雑誌の編集者を務めていたような環境でしたから、日本業界の動向解説、市場の現状分析や予測といった硬派でマトモなコラムを書けば読者が喰いついてヒットするのはごく自然なことです。次元が違いますから。

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 ともあれそういう日本人の活動があったことを示す資料として、私の所蔵しているゲーム雑誌は有用なのではないかと。また中国語だと政治・文学などの定期刊行物ばかりの大学図書館にとって、サブカルチャー誌というのも貴重ではないか、とも考えました。

 しかも、それらが自分の大学の卒業生の手によるもの、ということは、臆面もなく言いますが大学としては誇るべきことです。

 ところが、糞大学はやっぱり糞なんですね。中国関連学科を持ちながら、大学図書館には中国語の資料を処理できる職員が少なく、要するに手が足りないので引き取りは容易ではない、とまず言ってきました。……さらに、

「私の文章もこうして掲載されたから、掲載誌を所蔵しろ」

 とか言い出す教員やOBが相次いだら困る、と要らぬ心配をしたのか教授会から意見が出たのか、ともかく大学図書館はそれを理由に及び腰になっているのです。

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 バッカジャネーノと私は思いました。それなら私のケースを基準にすれば宜しいじゃありませんか。そこいらのボンクラな学者先生やOBどもに、私に匹敵する仕事(当ブログを含めて)ができるものかどうか、よーく考えてみろや春日。

 ……結局、

 ●取捨選択については図書館に一任すること。
 ●受け入れない分の処分についても図書館に一任すること。

 という条件付きで私の作品群は引き取られることになりました。やれやれ。

 ところで上述した価値のほか、香港における日本のサブカルチャー受容度を跡づける資料にもなりますので、私は自分の文章が掲載されているということを別にして、これらの雑誌をしっかり残しておきたいという思いがあります。

 もしどこかの大学なり研究機関なりで「それは是非ウチに欲しい」というお声掛かりがあれば、私の所蔵資料は「唔識貨」な大学図書館に預ける分も含めて全て提供しますので、どうかご連絡の程を。m(__)m

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 さてここからが本題。

 私にとってたぶん最後になるであろうOFF会を、10月16日(土)に開催したいと思います。

 今回はカウンターでなく、座が乱れて話がしやすいお座敷で、ゆっくりと。

 場所はまだ確定していませんが、

 ●「魚民」小川町駅前店(都営新宿線小川町・丸ノ内線淡路町・千代田線新御茶ノ水下車)
 ●「はなの舞」菊川店(都営新宿線菊川駅下車)

 ……のいずれかを予定しています。

 本当は23日か30日にもう1回やりたいところですが、

「サッカーでいうと、いまは後半40分~ロスタイム突入くらい」(N医師)

 という状態で、自分でも今月末まで無事でいられる自信がありません。

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 てな訳で、ともかく10月16日の「たぶんこれが最後OFF」の出席者数を大雑把に把握しておきたく思います。

 コメント欄にて名乗りを挙げて下さい。m(__)m


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 【追記】「はなの舞」菊川店の売りである店長&料理長のこだわりを体現したオリジナルメニューのうち、

 ●もつ煮焼うどん
 ●太刀魚ときのこのバターソテー
 ●にしんの干焼
 ●ふろふき大根

 ……の4つがまさに絶品でした。11日までの期間限定メニューとのことなので、是非一度、お試しの程を。





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