日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 12月も目前となりました。この時期になるとどの業界も忙しいのでしょうが、私の属する世界もまた然りです。副業の世界には「年末進行」という言葉があります。週刊誌がお正月に合わせて合併号を出したりしますが、要するに編集部が正月休みをとるために10日間で2号分(最新号+合併号)を無理して仕上げてしまうのです。

 いや、日本ならまだいいのです。私の副業だと旧正月前が「年末進行」となる訳ですが、競争の激しさもあり、頑として合併号を出さないのです(涙)。「年末進行」という言葉自体は無味無臭ですが、そこには難行苦行、そして編集者やコラム書きたちの血の涙が隠されていると思って下さい(笑)。

 という訳で、合併号を出さない私の書いている専門誌は2週間で3回分を仕上げてしまいます。印刷は中国本土で行われていて、工場は出稼ぎ労働者によって稼動していますから、旧正月は帰省とUターンを織り込んだ長期休暇となります。それまでに3号分を2週間で編集するのですから地獄です。

 本業には年末進行めいたものはないのですが、日本の年末の忙しさが私のスケジュールに反映されます。おかげで日本の年末は本業の方が立て込む上に正月三が日でも副業の原稿書きがあり、旧正月前は副業が悪夢の締め切り地獄。そして旧正月中は日本側が動いているので私だけは本業の仕事をしなければなりません。何かが間違っています(笑)。でもこういう境遇、駐在員の方なら御理解頂けるかと思います。

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 以上が言い訳です。多忙をきわめる時期に入ったので土日は気楽に書くようにしようと考えていたのですが、きのう(11月27日)は日曜にも関わらず仕事がどっと入ってきてブログを更新できませんでしたので、順延とさせて頂きます。今日も今日とて打ち合わせが控えているので眠らずに起きています。私の感覚ではまだ日曜日です(笑)。折角近くまで行くので時間があれば靖国神社にも立ち寄るつもりです。遊就館で海軍カレー&海軍コーヒー&零戦です。

 もちろん遊就館へ行く前に参拝を済ませます。近くに行くたびに靖国神社へ詣でるのは、私にとっては朝起きて顔を洗うようなものです。前に書きましたが癒される場所ということもあります。お願いをする神社ではないと考えているので、二礼二拍一礼の間に、

「ありがとうございました。本当にありがとうございました」

 と心で唱えます。

 そして零戦です。私の零戦好きは幼少のみぎりからのもので、都市対抗野球より古い趣味です。幼稚園のときに母親と書店へ行った際、「仮面ライダーの本がほしい」と言ったのに駄目だと言われたので、飛行機が表紙の本を選んだらそれならいいというので買ってもらいまた。
『ゼロ戦――坂井中尉の記録』というもので、ふくろうの本とか何とかいった小学生向け書籍シリーズの1冊でした。

 説明するまでもありませんが、坂井中尉とは日本を代表する撃墜王のひとりだった故・坂井三郎氏のことです。氏の著作では
『大空のサムライ』が特に有名ですが、私が買ってもらった本はそのベースとなった『坂井三郎空戦記録』を下敷きに書かれているようです。

 いまでは歳を食って零戦関連や対米戦争関連の書籍も多少は読んだので(マニアとか軍オタというほど詳しくはありませんけど)、遊就館で海軍コーヒーを飲みながら零戦を眺めていると、当時の日本の技術力と職人技の素晴らしさ、そして国力の限界を一身で象徴しているように思えて、心打たれるものがあります。その美しい機体のラインも芸術としかいいようがありません。

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 どうやら脱線してしまったようですが、小泉首相の靖国参拝に関してです。今回の参拝(10月17日)後に記者団に対し、

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「今日の平和というのは我々生きている人だけで成り立っているんじゃない。心ならずも戦争に赴いて命を失った方々の尊い犠牲の上に成り立っているんだということを、片時も我々は忘れてはならないと思う。平和な時代を続けていきたいと、戦没者の皆さんに敬意と感謝の気持ちを伝えることが意義あることだと思っている」

 http://www.sankei.co.jp/news/051018/morning/18pol001.htm

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 と、小泉首相は語っています。私個人は特別な政治的信条に拠って靖国神社に行く訳ではないので、このコメントに素直に同意できます。ただ参拝反対ではなく、「心ならずも」という部分に異を唱える方もいるようです。西尾幹二・電気通信大名誉教授のブログでたまたま目にしたのですが、

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 今回の参拝は邪心あるパフォーマンスにすぎず、評価できない。行くのであれば、自らが当初約束していた8月15日に実施すべきだった。首相は今夏に発表した談話で「戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々」との表現を使ったが、自ら進んで出かけていった将兵たちの心をまったくわかっていない。そんなことを言う首相の心がこもっていない形だけの参拝など、むしろしてもらいたくないぐらいだ。

 http://nishio.main.jp/blog/archives/2005/10/post_240.html

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 私は難しいことはわかりませんけど、確かに自ら進んで出かけていった人々もたくさんいると思います。でもその一方で、社会人であれ大学生であれ、心ならずも日常生活から引き離され、戦地に赴いた方々もまた少なくないのではないかと考えます。進んで出征した人々にしても、そこには戦死という可能性があるとはいえ、多くの人は死ぬためではなく、死ぬかも知れないことを覚悟しつつ、日本を護るために出陣したのではないかと思うのです。

 坂井氏の著作の中にも、硫黄島沖に接近した米機動部隊に対し体当たりするよう命じられて出撃する話が出てきます。坂井氏はその一員として発進し、幸いに機動部隊に接敵できずに生還するのですが、坂井氏のような筋金入りの戦士でも、「体当たりしろ」(=死ね)と命じられたことに対し、心の動揺があったことを吐露しています。

 60年余り前、あるいは毅然と、あるいは思い悩みつつも、自らの命と引き換えに日本と日本人の未来を護らんとした先人たちがいます。

 懐かしい人たち、忘れ得ぬ人たちの面影を慕いつつも、その一方で自らの生命を投げ出して護らんとした日本と日本人の「未来」というのは、5年先や10年後といった短いタームのものではなく、いまを生きる私たちにつながるような、次世代、そのまた次世代といった長い時間を見据えたものではなかったかと思うのです。

 ……という趣旨のことを以前書きましたが、散華された先人は特攻隊の隊員ばかりではありません。軍上層部の無能無策や前線指揮官による無理な作戦を押し付けられたことで戦死を強いられた方々も大勢いるでしょう。サイパン島にバンザイクリフという場所があるように、あるいは沖縄戦のように、民間人が巻き込まれ犠牲になったケースもあります。

 戦場、特に最前線の士気というのは平和な時代に生きる私たちには恐らく実感することのできないものでしょう。望んだものであれ、強制されたものであれ、追い詰められた環境の下で散華された先人たち全てに、私は「ありがとうございました。本当にありがとうございました」と念じます。ですから私は、小泉首相のコメントに素直に頷くことができます。

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ピアノは知っている―月光の夏

自由國民社

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 実話に基づいたエピソードを絵本にしたものです。遊就館の売店で偶然目にして購入しました。私は人の親ではありませんが、もし子供がいたら、きっとこの本を読んで聞かせただろうと思います。


ガダルカナル戦記〈第1巻〉

光人社

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ガダルカナル戦記〈第2巻〉

光人社

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ガダルカナル戦記〈第3巻〉

光人社

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 『ガダルカナル戦記』、こちらは絵本以上に御家人推奨です。「戦記」とタイトルにありますが、戦記めいた内容ではなく、一種のルポルタージュのようなものです。対米戦争の転換点はミッドウェー海戦だと語られることが多いのですが、実質的にはその直後に生起したソロモン諸島・ガダルカナル島をめぐる陸海軍の消耗戦が戦争の帰趨を決したと思います。

 一種のルポだと書きましたが、ガ島戦に関わった旧陸海軍の一兵卒から現地司令部の要員、さらに大本営参謀に至るまで幅広く取材し、そこで語られる内容は戦記よりも生々しいものがあります。

「軍上層部の無能無策や前線指揮官による無理な作戦を押し付けられたことで戦死を強いられた方々も大勢いるでしょう」

 と上述しましたが、その典型例といってもいいのがこの本に書かれている内容です。ざっとした言い方をすると、陸軍は3万人を投入して2万人が戦死。……とされますが、実際には米軍との交戦による戦死よりも、補給不足による餓死や病死が多かったとされています。

 日本と、いまの日本の繁栄の礎となった先人たちを思うとき、特攻隊だけではなく、この本で語られる人々のことも忘れてはいけないと私は思うのです。

 むろんガ島攻防戦のような不条理な実例は、対米戦争で発生した数多くのケースのひとつにすぎないことは言うまでもありません。ただ著者による取材と構成の綿密さにおいて、この本は同ジャンルの作品における白眉だと言えるかと思います。



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