*ウチの庭の木々も色づきはじめました。文化の日は、久しぶりの快晴でした。
春日部市立図書館で借りてきた本を読んでいる途中に、買ってしまうことがあります。ネット=アマゾンがあるから、古今東西、どんな本でもすぐ買うことができるのです。図書館にあるから買わないでは、ないのです。
*図書館から借りている(中)のに、買いました(右)。
この本“ミシシッピ=アメリカを生んだ大河”もそうです。アメリカ好き、アメリカ南部好き、で、本屋、図書館で手を出す本の著者、“ああ、また、著者はこの人、ジェームス・M・バーダマンか!”もさいさいあります。結果として、すべて買ってしまうことになっています。5冊くらい、あります。
アメリカ好きのワタシには、ミシシッピという響きは、とてもいいのです。ゆったり大きく流れる河です。暮らしも文化も大きく育んでいるようなのです。
2年ほど前に、ミシシッピを下ってきました。むろん船で下ったのでなく、流域を1か月程さすらっただけの話です。
河が淀むというか、人が淀む所には、必ず、文学あるいは音楽といった、自分を表現していく世界の吹き溜まりができます。その旅で、ブルース、ジャズを聞いてきました。というか、その街にあるジャズやブルースの空気を感じてきました。ミシシッピの大河なしには、ブルースやジャズは生まれなかったでしょう。
本“ミシシッピ=アメリカを生んだ大河”を読みながら、ミシシッピの河口、ニューオーリンズの街角に残る、ウィリアム・フォークナーの足跡のことを知ります。ちょっと抜き書きします。
<1920年代のパリと同じように、フレンチ・クォーターは、文学の聖地として長いあいだ多くの作家たちを惹きつけてきた。彼らは、ここに居を構えたり、生涯の一時期をサロン的な雰囲気のなかで過ごしたりした>
<例えば、シャーウッド・アンダーソンは、妻のエリザベスとともにボンタルバ・アパートメントに住み、1920代の数年間、地元の作家やニューオーリンズ滞在中の作家を自宅で歓待した>
<1925年のはじめには、フォークナーが自分の部屋を見つけるまでの期間、夫妻のアパートメントに身を寄せ、アンダーソンに感化されながら文章修業に励んだと言われている。27歳でニューオーリンズにやってきた凡庸な詩人フォークナーに対し、アンダーソンは「故郷に帰り、自分の知っていることを書きたまえ」と助言した>
<・・・・いま、パイレーツ・アレーのフォークナーの旧居には、ジョーとローズマリーのサルヴォ夫妻が2階に住み、1階でフォークナー・ハウス・ブックスという書店を営んでいる。ここはニューオーリンズを訪れる新進の作家たちが必ず顔を出す場所である。・・・>
ニューオーリンズに2日ほど居ましたが、この本屋“フォークナー・ハウス・ブックス”のことは知りませんでした。残念です。
旅に出て、その地らしい本屋、古本屋にはしばしば立ち寄る私ですが、知らなかったのです。私が“昔いた会社の大先輩に、フォークナーの研究者の顔を持たれる”Hさんがいます。このブログで、何度か、フォークナーの話が出てくるのは受け売りです。アメリカ南部を足掛かりに、お話をするのですが、当然“フォークナー・ハウス・ブックス”に寄られていることでしょう。
私は、旅好きです。この頃、観光地巡りより、旅に出て、その地の古くからの本屋、古本屋、古レコード屋に、立ち寄ることが好きです。むろん、そこの名物コーヒー屋さんも探します。つまり観光ガイドブックは、役に立ちません。
寝転がって、なんとなく読んでいて、この本にあるような“数行の記述”を見つけ、メモし、ファイルし、そして“行きたいなあ”と思うのです。
【おまけ】
*ウチの近所の江戸川です。
*ウチのごく近くを江戸川が流れています。大・利根川の江戸時代に作った支流です。ミシシッピ程の大河ではありませんが、大きな川、物流の川で、そこには文化があったでしょう。
*利根川と江戸川をショート・カットする運河,“利根運河”が明治のころ掘られました。ちょうど通水120年の今年、野田市と流山市の3つ(*)の博物館が連携し、それぞれが独自の利根運河、江戸川が育んだ文化を展示をしています。いい企画だと思います。
*わがまちの対岸・野田市(千葉県)は、独自文化を持ち、文化を大事にしているように感じることがあります。来週あたり、出かけようと思っているのです。すぐに行ける所です。(*野田市郷土博物館、松戸市立博物館、千葉県立関宿城博物館)