梅雨の休みに畑で、安保、沖縄、朝鮮戦争、岡山空襲、皆6月だと思う(2010.6.22)

2010-06-22 18:09:34 | Weblog

*今日23日、草をとった後の畑。

 昨日(22日)は、夏至でした。これから太陽の夏だというのに、ここから陽が短くなる憂鬱な日ともいえましょう。
 一日中晴れて暑かったので、夕方に畑に行きます。しばらく来ぬ間に、畑は青草、雑草畑になっていました。 出がけに、“晩ごはんに野菜がないから、採ってきて”と家人さん。そんな風に、わが畑を期待されたことはなかったのです。夏至とはいえ、7時には畑作業には暗くなります。
 それでも、じゅがいも畑を、ごそごそ土中を手で探って、4つ5つ掘り出します。ナスを2つ、しし唐をひとつ、それからサラダ菜を10枚ほどむしります。

*その夜です。わが家は、私の身体のために日々野菜攻めです。焼き鯖少々以外は全てさっき採ってきた野菜です。つまりゼロ円です。

 翌日午後から雨という予報だったので、今朝は、8時から草取りに。這いつくばって草を抜きます。ムシムシします。けっこう大変です。すぐに腰をあげ、ぼーっとしてしまいます。

 雨は降りそうにありません。突然、今年は60年安保の50年だと思ったりします。
 6月だったなあ。梅雨の雨つづきだったのだろうか。私は、岡山の田舎の高校2年か3年、新聞だけが情報源時代でした。それから60年安保の話は、何度も読んだり見たり、今年も50年回顧の記事がたくさんありました。ただ“雨”だった、雨中の闘争だった、の感じはありません。

 沖縄戦も6月でした。3月から6月の戦争だった。6月23か24日に大きな犠牲をだして、完全に終わりました。

 朝鮮戦争が始まったのも6月です。6月25日です。1950年(昭和25年)だから、小学校2年生です。小学校2年生なのに、朝鮮戦争が始まった瞬間をよく覚えているのです。その頃、母親は働いていて学校から帰ってもひとりです。いつものようにラジオをつけ、野球中継放送を聞いていた、さなかに“臨時ニュース”が流れたのです。それだけです。

 そして、6月28日深夜、29日未明。1945年(昭和20年)です。岡山市が米軍機に空襲されます。私は3歳です。私の人生は、ここから始まったのです。この日が原点です。

 6月は、政治の季節という言葉があったような気がします。6月は、雨の月ですが、これら歴史と雨が重なりません。ちょっと不思議です。
 それから1970年の6月には大阪にいました。6月30日、つまり安保自動延長の夜、大阪を発って北海道(札幌)に住居を移しました。

   【おまけ】

*万延元年のフットボール、昭和42年9月12日、講談社発行。大江健三郎さん32歳の作品。定価は、なんと490円です。ラーメンも珈琲も100円だったかなあ。

* 突然、大江健三郎さんの小説、“万延元年のフットボール”を思いました。深緑の木々、湿った6月の話、そうだ60年安保だ、と。昭和42年に初版を買って読んで、苦労して読んで、その後一度も開いたことはありません。

* 今読めば、もっと楽に読めるかもしれません。読んでみよう。

* 万延元年は1860年、ちょうど150年前です。日本人が初めて公式にアメリカに渡った年です。咸臨丸です。そうだ、咸臨丸航海のことはブログに書いたことがあります。<ここクリック>


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