“井上ひさしと憲法を熱く語ろう”でサッパリした気分に(2007.11.25)

2007-11-26 10:34:01 | Weblog

先週末、花金(11月22日)の夜のことです。
知人から、メールでお知らせをもらって出かけました。会場は日比谷図書館向かいの日本プレスセンターです。ここには、現役の頃、20年以上、毎月1回ぐらい通っていました。私は、井上ひさしさんの芝居はみたことはありません。しかしメディアには再々登場されます。発言にも同感することが多いのです。

案内メールを送ってくれたのは、トークセッション“「憲法」を熱く語ろう”の聞き手の山田健太さんでした。その昔いっとき同じプロジェクトをやっていました。二まわりぐらい若く、今専修大学の准教授さん。井上ひさしさんは、長く日本ペンクラブの代表でしたが、山田さんは、そこの“報道と表現の自由”に関わる部門の責任者であります。

 

私は、日本の憲法、大事な憲法が、変えられそうだという危機意識を持っていますし、さらに付け加えれば、人生をリセットし、社会から隔離した身なのですが、そのことに何もできないという焦燥感もどこかに残っていたのです。

戦争の終わった日に、わずか3歳であった私ですが、父、母、兄と同じ感情を一緒に持つことはできるのです。ほんとに“三つ子の魂百まで”なのです。
“戦争はもういや”なのです。ずっと大事にしてきた憲法です。
私らのすぐ下の世代に、壊されたらたまらいと思うのです。

73歳の井上ひさしさん、山田さん、山田さんの研究室の学生さん。活字メディア、テレビ、そしてケイタイ、の3世代が同じフロアで議論ができると、山田さんが紹介しました。

ほんとに久しぶりです。かなり細かくメモをとって聞いたお話でした。フロアの多くの方もペンを走らせているようでした。

井上さんは、戦後すぐの新制中学の一期生です。その時、冊子“憲法の話”は教科書であって、それから副読本になり、昭和27年には、学校で使われることはなくなったといいます。

その日のメモの中から少しだけ拾い出してみます。
“戦争を起すのは、政府であり、そのつけを払わされるのは国民です。また、それを止めるのは国民です”
“国と国民を一緒に考えてはいけない。日本の運命を自分の運命と重ねてはいけない”
“戦争に突入していった政府は狂っていたのですが、国民も気が狂っていました。国と国民は一心同体と思っていたのです。あの戦争に責任者が出てこないのは、日本全体をおおう雰囲気こそ責任者だからです”
国民すべての考えが“同じ方向に、だーっと行くのが危険なのです”。“ちょっと待ったをかける構造が必要なのです”。

その時代の多くの人が、この憲法によって“これで生きていけると思った”といいます。“自然とそう思ったのです”と。
“人間が苦しんで獲得したものが流れ込んでいる、書きこまれているのです。アメリカの押し付けでもなんでもない。人類の英知なのです”。
私もそう思います。

 “平和を守れ”は、よくいって現状維持です“ “少しでも前にいくようにすることが大切なのです” と、締めくくられました。

   【おまけ】

* さっぱりした気分で、プレスセンターを出ました。日比谷公園の闇が冬の近いことを教えていましたが、寒くはありませんでした。

*いつだったか、日本国憲法は、英文の誤訳だと話題になりました。それで、英文で読んでみようと思って買ったのです。対訳調で書かれています。2002年12月、マガジンハウス発行。

*このブログで、一度、憲法にふれています。<ここです>。国民投票法制定の時です。憲法をかえることを目的にした法律ですが、投票の前の国民の自由な議論や書くこと、あるいは報道を禁じていることに鬱積する感情を持っているのです。


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