オランダの田舎町へーレンは、わが青春の地(2007.1.25)

2007-01-25 23:31:58 | Weblog

*近くの炭鉱で使われていたランタン(記念の刻印も)を、業務提携の新聞社からいただきました。今日、へーレンの町とゆかりの人を思い、灯を点しました。ひとり、裸火を見るとしんみりします。

ブログは、あくまでプライベート日記です。旧庄和町(現春日部市)での生活を書くべきで、仕事、しかも過去の仕事なんて書くべきでないでしょう。しかし、仕事も私の生活の一部ではあったのです。20年前のオランダの片田舎のことを、ほんの少しだけ書いておきたい気分なのです。

私が所属していた会社は、1987年に、オランダの新聞社とある業務提携をはじめたのです。

その時、以前(2006年12月24日)ブログで一度紹介した“炭鉱で使われたランタン”をもらったのです。この仕事を始めた時の記念品なのです。
その後の20年間に、このランタンに灯をつけたことがなかったのですが、この暮れに、初めて灯をともしたのです。

そうしたら・・・・・・でも、ないでしょうが。 少し感傷を感じてしまったのです。
昨日(1月24日)に、私が現役時代にお世話になった大先輩HHさんから、突然メールをもらいました。

<あれからもう20年もたちますが、そのDro**さんが、アメリカのフロリダにある別宅で亡くなったとの手紙が届きました。Dro**さんは、寒いうちフロリダで過ごし、夏になるとランスダールの自宅に戻る・・・・という暮らしをしていたのですが、――(略)――今月13日に亡くなり、きのう23日に葬儀があったようです。オランダ語の知らせですので詳細はわかりません。英語で詳細を知らせ欲しい・・・と奥さんにお願いしておきました。78歳だそうです。みんな年をとり、私の周囲にも、最近、このような不幸が目立ちます。>

Dro**さんは、当時の相手方、オランダの新聞社(Limburgs Dagblad)の社長さんだった方です。 私は、その提携開始の1987年7月頃から、1ヶ月少々、オランダのへーレン(Heerlen)という町にいました。アムステルダムから、電車で南へ2時間。オランダ南部リンバーグ地方、ドイツとフランスの国境の町です。
駅前を離れるともうすぐに“ゴッホの麦畑”の世界の広がる、とても静かな町でした。

*いつも私が泊まっていた、Grand Hotel Heerlen

その後の10年間に、4回行っています。外国で、初めて重い仕事をした町、わが青春の地のように思えるのです。むろん20代はとっくにすぎていましたが。

 *少し歩くと、そこに“ゴッホの麦畑”の風景

  【おまけ】

*今でも、“地球の歩き方”やガイドブックに、登場しないへーレン(Heerlen)という町。1ヶ月少々、まさに日本人なんて誰もいない、日本語の全くない世界。初めてのヨーロッパは孤独な日々でしたが、ヨーロッパの田舎暮らしの素敵さを知ったのです。

*今からおよそ10年前。4回目のへーレンには、たぶん、これが最後と感じられ、街中のホテルから、古城をホテルにした、オランダ語で"Kasteel Terworm",英語では、"Catle Terworm"に、移りました。5日ほど泊まっていました。王様とまではいかないが、中世ヨーロッパの領主様気分にはなれました。

 *城にいたる道もがとてもいいのです。まさにラブリィ・ウォーク道なのです。ひとりでしたが。
 *正面2階の部屋に泊まっていました。