春日部市は円空仏の宝庫だったのですが、今は・・・(2011.11.29)

2011-11-29 23:37:43 | Weblog

 *博物館駐車場の看板。左の円空仏は、聖観音菩薩立像で、高さ194.0㎝です。春日部市にあったものです。

 春日部市に、円空仏がかなりあると何とはなしに知っていました。

 が、円空に関する本や雑誌の特集を読んできましたが、春日部と円空のことを記述しているものを知りません。

 

 この間、108日~1127日に、大宮の博物館で、<特別展 円空 こころを刻む~埼玉の諸像を中心に~が開かれていました。オープンすぐに出かけるつもりで、さらには記念講演会にも応募していたのです。講演会に落選して、いつの間にか日がたって、最終日の1127日(日)、一昨日にやっと出かけました。

 大宮公園の中、<埼玉県立歴史と民俗の博物館>です。名前が変わったのか、こんな長ったらしい名前ではなかったと思います。

 講演会落選ハガキ持参者には入場料割引ということだったので、受付でハガキを差し出したら<老人は無料です>と。しかも、チケットも切り取らず、一日なんども出入りOKというのどかさでした。

 雑誌のグラビアなんかで見覚えのある、粗削りな鉈ぼりの仏像が並んでいました。

 めずらしく買ってもいいと思っていたのですが図録(カタログ)は売り切れていました。

 だから円空仏のお顔を見る以上の知識がえられません。

 それでも、所有者に注目して歩きました。春日部、越谷に、何体あるのかを確認したかったのです。

 この日の出展の円空仏について、近隣の市町のものだけ数えました。

 春日部市;17

 越谷市;6体

 宮代町;11

 杉戸町;2

 幸手市;3

 白岡町;3

・・・・・・でした。

 春日部市の17体の内、7体が、春日部市小淵の観音院の所蔵ですが、県の博物館に寄託されています。いずれも埼玉県指定の文化財です。他の10体は、春日部市の個人の所蔵品です。

 

 春日部市が発行している<図録 春日部の歴史>(平成103月)があります。

*<図録 春日部の歴史>から。

 そこには、春日部市には、円空仏が17体あると書いています。今回の展覧会と同じ17体ですが、観音院7体、小淵の浄春院1体、内牧の香林寺1体 個人(5人)蔵が8体です。今回の展覧会とは異なっています。つまり、市の調査にもれているものもあって、春日部市には、17体でなく、20体少々があったのでしょう。

*小渕観音院は、この6体と下の写真の右端。

*春日部市の個人蔵などの円空仏。

*春日部市では小渕に集中している円空仏。

 円空は、江戸時代前期の修行僧です。全国各地を遍歴し、生涯5000とも12000体ともいわれる仏像を残しています。埼玉県にも150体が確認されています。

 埼玉県、春日部あたりにいつ頃いたのか、はっきりしないようです。元禄2年(1689年)の日光山登山のおりに滞在したのでしょう。春日部の小淵観音院は、修験寺院であったため、長期滞在した可能性があるとの記述があります。

 円空は、諸国放浪の修行僧、修験者で、正確な記録が残っていないのは当然でしょうが、学者の研究テーマになっているようです。埼玉県東部地域、春日部市あたりの円空の動静を書いている研究者もきっといるでしょう。

 

 今、その春日部の小渕観音院に、円空を拝観しようと、出かけても、7体のすべては、県立博物館に寄託されていて、見ることはできません。博物館でも、保存はしていますが、陳列しているわけでは、ありません。

 円空仏の宝庫である春日部市ですが、今、円空仏を訪ねる旅も、散歩もかないません。

 

 江戸時代から明治~昭和の時代に、春日部・粕壁で、円空がどれほど敬われ、円空仏がどれほど大事にされていたのかよく知りません。

 今ごろになって、春日部の<まちおこし>に、円空仏があったらと思ってみますが、古くさいものとして、もうとっくに捨て去られたといえるでしょう。春日部に残すことを考える文化行政があったらよかったのですが。

 とはいっても、円空仏は、博物館や美術展で観るものではないでしょう。小さなお寺に、さりげなく置かれた円空仏をみてみたい。春日部になければ、近隣の市町を訪ねてみたい。

 以前、春日部市で円空展が開かれたことがあるやに聞きました。その展示会図録もあるでしょう。図書館ででも探してみたい。

 

 【おまけ】

*右;<図録 春日部の歴史>をめくっていて、執筆協力者の中に、最近、よくお話をする市役所の職員 y.yさんの名前をみつけました。<文化財係学芸員>さんだったのです。今は、全く違うお仕事の担当です。

 

 


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