ウッドストック1969は、ジミヘン“米国国歌”とバエズ“勝利をわれらに”(2009.9.30)

2009-09-30 17:13:49 | Weblog

*朝日新聞2009年9月27日日曜版、見出しは<反戦ではなかったのか>です。

 今年は2009年だから、私らの青春ど真ん中の1969年から40年です。
 その年、アメリカであったことは全部40周年です。
 だから、ウッドストック・ミュージック・フェスティバルも40周年。あるに違いない40周年イベントには行こうと思っていたけど、行けなかったと、つい先日、このブログに書きました。

 この間(9月27日)の朝日新聞日曜版に、でっかくウッドストック1969&2009の原稿が載っていました。
 朝日の2面をつぶす原稿にしては、ちょっと軽いなあ。この記事を読んだ私ら世代、あるいは、ロック評論家さんは思ったでしょう。筆者の田中光記者はわざわざ1969年生まれと書いています。その時0歳だったなら、しょうがないでしょう。

 そこで、1969年に、ギターが質屋を出たり入ったりしていた、ごくごく普通の若者(私!のこと)にとっての、ウッドストック1969を書いておきます。

 1960年代の初め、アメリカはプロテスト・フォーク(反戦フォークでも社会派フォークでもまあいいでしょう)の時代。日本には、3~5年遅れぐらいで、その風が吹いていました。そしてアメリカでは、1965年あたりから急速にエレキ・ギターのロックに移り、若者が社会問題・時事問題を歌うことが流行らなくなりました。たぶん、そうでしょう。

 アメリカからちょっと遅れる1969年の日本は、まだまだフォークの余韻がしっかり残っていたでしょう。そんな中 1969年8月、ウッドストックでのミュージック・フェスティバルが、30万人の観客を集め開かれたのです。
 中村とうようさんのニュー・ミュージック・マガジンは、3,4ヶ月遅れで記事にしていました。 そうして、実況録音盤のLPレコードが出ます。それから、記録映画ウッドストックが日本でも上映され、そのすごさが日本人にも明らかになったのです。

*発売されたLPレコード(左;まず3枚組み、右;それから続編2枚組み)

*映画ウッドストック・パンフレットの表紙

 私が、この映画が観たのは、札幌で暮らしていた時だから1970年の秋ではなかったかな、と思います。その時、なお社会派フォークの余韻を引きずっていた私は、ジョーン・バエズやアーロ・ガスリーのステージをスクリーンに観たかもしれませんが、映画には、ステージの演奏より、とにかく観客の多さ、自由奔放さのすごさに圧倒されていました。

 そして、その余韻の中に、映画のラスト近くで、ジミー・ヘンドリックスたった独り<アメリカ国歌・星条旗よ永遠なれ>弾くの夜明けの光景にジーンと来てしまったのです。 他のミュージシャンの演奏の記憶は、完全に消えてしまったのです。
 ベトナム戦争反対なんて・・・全然なし、これが<アメリカの若者の今>なんだと思ったのです。

 そうして、日本で、だんだんウッドストックの解説記事がでます。
 ボブ・ディランのバックバンドからスタートして、カントリー・ロックで私を夢中にさせていた“ザ・バンド”も出ていたのです。その頃、3、4年遅れで、初めて知った、ジャニス・ジョプリンもそこに出ていたのです。レコードにも映画にもでてきません。マネージャー(プロダクション)との関係もあったらしい、のです。

*映画パンフレットの中のジョーン・バエズのページ

 ウッドストックの研究者やマニアが雑誌に、その全ての出演者・演奏曲を発表します。 99年の30周年の時には、レコード・コレクター誌99年10月号が、全リストを載せました。同時に、レコード会社や映画会社は、残りの映像・音を新しく売り出します。 私は、せっせと買いました。金銭的にピンチに陥るほどでした。

 ジョーン・バエズが、5曲歌っていることを知ります。
 その中には、We shall overcome(勝利をわれらに)も歌っているのです。そこ、ウッドストックで、歌っているのです。
 We shall overcome(勝利をわれらに)は、社会派フォーク<一番の曲>です。1960年代後半、私も何度も、<大阪の>集会で歌っていました。

 もし、ウッドストックの映画の中で流れれば、気分はシンクロして、涙ボロボロだったでしょう。

 日本のロック評論世界、例えば、ニューミュージック・マガジンなんかは、ジョーン・バエズを扱う時は、もうボロクソに書きはじめていた時代でした。

 私は、まだまだジョーン・バエズに未練を残していました。
 ベトナム、カンボジアから、その後も持続させていくジョーン・バエズの良心・志にひかれていました。むろん、2001年9月11日から、今もなお、志は変わりません。

 そのウッドストックでのWe shall overcome(勝利をわれらに)は、LP,CDに登場しませんが、一度だけ、ビデオになって売り出されました。
  しかし、他のCDなどで買いすぎて、ピンチで買いそびれてしまったのです。今でもその映像をみたことがないのです。

   【おまけ】

*左;ニュー・ミュージック・マガジン(70年1月号)、右;ジョーンバエズのシングル盤

*ウッドストック・ミュージック・フェスティバルと書きましたが、正確には、3days  of  Peace & Music(平和と音楽の3日間)がタイトル。会場もウッドストック近郊のベセルにある農場です。

*映画ウッドストック、後に、ビデオを買い、後に、DVDを買いましたが、いずれも見ていません。映画館のスクリーンしか、感動(?)の再現はできないでしょう。

*ウッドストックで熱狂のステージを持ったジミー・ヘンドリックスも、ジャニス・ジョプリンも、翌1970年に死んでしまいます。


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