武威滞在、玄奘三蔵法師より鳩摩羅什(くまらじゅう)(中国西域放浪6)(2011.9.25)

2011-09-25 17:52:08 | Weblog

 *後ろ脚で踏んづけているのはツバメです。

 9月11日は、朝8時に蘭州を発って、午後1時27分に武威という街につきました。昼食のあと市内観光です。大きな街です。砂漠のオアシスから発展した街はどの街も、真ん中にシンボルの大きな像をおいて都市開発されています。

 この街の武威のシンボルは、空を駆ける馬です。空飛ぶツバメを踏んづけて駆ける馬、飛燕を踏む馬、銅奔馬のモニュメント像があるのは、雷台と呼ばれる後漢時代に墳墓エリアです。1969年雷台下から、レンガ製の墓が見つかり発掘され、副葬品の軍団のミニチュアがみつかったのです。その複製品が実寸模型が並べられて公園になっています。

 バスは、ほっそりした十二層の塔につきました。ガイドが鳩摩羅什(くまらじゅう)の話をしてくれます。ここは羅什寺です。鳩摩羅什は、亀慈国の王子で拉致され唐につれてこられ、時代に翻弄されながら生き、翻訳した経典を残したのです。

 

 私ら世代が、シルクロードの旅にロマンを感じるのは、たぶんに、若い時代にみたNHKのテレビ番組“シルクロード”の影響でしょう。正確には忘れましたが近年、再びNHK

テレビが番組“新シルクロード”を放映しました。私はこの新シリーズを一度もみていませんが、この旅の出発前に、書籍化された番組、3天山南路・敦煌編を読んでいました。NHKのディレクター(柴田昌平さん)は、思いいれたっぷりに鳩摩羅什の生涯を書いています

 

 少し長いのですが、拾い読みします。

 <羅什の死から200年後、滅ばされる直前に亀慈国を訪れた僧玄奘。亀慈国に3か月も滞在したにも関わらず玄奘の「大唐西域記」には、鳩摩羅什の記述がない・・・・200年前のライバルについては多くを語らなかったのかもしれない>

 <鳩摩羅什が時代に翻弄されながら翻訳した経典は、今も日本人の精神文化の底流に流れている「阿弥陀経」「般若経」「法華経」。日本でも、鳩摩羅什訳の経典は、宗派を超えて、日々のお勤めや法事の際に読まれている>

 <玄奘と羅什の漢訳した経典を比べてみると、玄奘訳のものは正確緻密な大学論文のようで、羅什訳のものは血の通った美しい文学となっているといわれる。玄奘は有名だが、今一般に読まれている経典は、玄奘訳のものより鳩摩羅什訳のものが多い。羅什の訳した経典は多くの人の心を捉え、今も読みつがれているのだ> 

 武威の街には2泊しました。到着した翌日(9月12日)は、沙漠植林の日です。

 

【おまけ】

*旅から帰って、ウチに引きこもっていました。彼岸の中日に“曼珠沙華を探しに”家人に散歩に誘われました。

*そのおり9月23日に旧庄和町で、“青森まで歩くのです”という修行僧に会いました。国道4号線と平行に走る田舎道です。若い求法僧の道の平穏成就を祈ったのです。今日25日はどこまで行ったでしょうか。


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