「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

光市母子殺害事件・最高裁上告審判決(4)--『神が与えた被害者』

2006年06月21日 11時22分14秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36574858.html からの続き)

 この事件が起きた1999年は、心子と僕が 付き合いはじめた年でもありました。

 その時期は 犯罪被害者支援の運動が起こり、マスコミにも取り上げはじめられた時でした。

 心子と僕も 「犯罪被害者の会」設立のシンポジウムに出席して、

 そこで本村さんの話を聞いたわけです。
 

 本村さんは被害者の身でありながら、非常に論理的で 説得力のある話をします。

 事件の翌年に 「犯罪被害者の会」ができ、

 犯罪被害者保護法成立、刑事訴訟法改正、少年法改正と、

 犯罪被害者支援運動が次々と実っていきました。

 この間の本村さんの功績・影響力というのは 絶大なものがあり、

 犯罪被害者支援運動の草創期にあって 本村さんの存在は、

 『神が与えた被害者』かと 思われるほどだったといいます。

 本村さんは大変に勉強をされ、下手な弁護士はかなわないくらいだそうです。

 普通 被害者は喪失感で 何もやる気がなくなってしまい、

 弁護士や検事でも 被害者になると 脱け殻のようになって、

 論理的にも混乱し 何もできなくなってしまうといいます。

 そんななかにあって 本村さんのように、理知的で 感情をコントロールしながら

 世の中に訴えられる人の存在は、非常に貴重だと言えるでしょう。

 記者会見などでは、時に厳しく 攻撃的な印象も与える本村さんですが、

 自分の言っていることは 本当に正しいのか、常に悩み 葛藤してきたそうです。

 疲れ果てて すべてやめてしまいたいと思ったことも、

 遺書を書いて 上司に引き止められたこともあるということです。
 

 本村さんは、「人生とは、偶然を必然にしていくことだ」

 という言葉が好きだそうです。

 事件は 本村さんにとって 非常に悲しい偶然でしたが、

 そのために 分かったこと、世の中に訴えることができたこと などがあれば、

 いつか、妻子の死も無駄ではなかったと 思えるときが来るかも知れないと、

 本村さんは言っていました。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36639075.html
 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 光市母子殺害事件・最高裁上... | トップ | 光市母子殺害事件・最高裁上... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

光市母子殺害事件」カテゴリの最新記事