( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36847183.html からの続き)
僕は独身だし 子供もいませんが、もし自分の娘が 性犯罪の被害を受けたら、
それを公にすることができるだろうか と考えました。
僕は 母親が脳出血で入院の末 肺炎で亡くなったとき、
それだけでも、「そっとしておいてほしい」という気持ちになり、
遺族の感情というのは こういうものなのだなと思いました。
また、心子が亡くなったとき 彼女のお母さんは、
心子が自殺だったため 近所の人にも葬儀を知らせず、
心子が精神科に通院していたことを 知られるのも嫌いました。
でも、僕は精神科や自死に対して 特に先入観はないので、
それを人に話すことは はばかりませんでした。
心子もカウンセラーであり、心の病などが理解されることを 望んでいたと思います。
心子は生前、「あたしのことを書いて」 とも言っていましたし、
心子のお母さんも 拙著「境界に生きた心子」を読んで、
心子の内面が 理解されるように書かれてあるのを、とても喜んでくれました。
本村さんは、妻・弥生さんが受けた 強姦という言葉を使うことを躊躇せず、
弥生さんが強姦されたことによって、妻が辱められたとは思わない、と明言していました。
一瞬驚きますが、強姦によって 被害者の人格が貶められたわけでもなく、
何かが汚れたわけでもありませんから、
僕には 本村さんの言葉がよく理解できます。
例えば、自分の恋人が大怪我をしても 彼女が穢れたはずはないし、
誰かに心を傷つけられても、それで彼女が卑しくなったなどとは 思わないのと同じでしょう。
彼女の傷を回復し 癒してあげようとしこそすれ、
レイプされた彼女を汚いと思って 別れるような男は最悪だと、僕は思っています。
本村さんも、あいりちゃんの父親・健一さんも、被害者の実態が知られないために
陰で苦しんでいる人たちがいる、という日本の現状のなかにあって、
あえて真実を伝えていかなければ、さらに苦しむ人が増えることを防げない
という使命感に 駆られているのでしょう。
僕もそういう立場だったら、彼らと同じようにするかも知れませんし、
僕が亡くなった被害者の場合でも、死を無駄にしてほしくないと 思うかも知れません。
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37055938.html
建一さん、とても励まされることと思います。
ブログを拝見しました。
とても貴重な活動をなさっているのですね。
ただ僕は死刑制度反対の立場だったので(現在はそう言いきれなくなっています)、申し訳ありませんが署名は控えさせてください。
なお、僕はこのブログと同じ内容を、ヤフーブログをメインにしてやっています。
こちらのほうへ是非お越しください。
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531
記事中の「心子」は、境界性人格障害という心の障害を持っていました。
彼女とのドラマティックな体験を、「境界に生きた心子」に書いています。
彼女とは、本村洋さんのシンポジウムも一緒に聞きに行ったことがあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/29181389.html
これからもどうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m