「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

自己愛性人格障害の実話を元に

2006年06月17日 18時54分58秒 | ボーダーに関して
 
 脚本家の清水喜美子さんが、拙著「境界に生きた心子」を、

 ご自身のブログに紹介してくださっています。

http://see-saw.way-nifty.com/diary/2005/05/post_c334_1.html

 清水さんとは、ネット上のシナリオライターのグループで知り合いました。

 清水さんは、自己愛性人格障害の人の実話を元にした、

 「闇夜の花」という脚本を ネット(au)で配信中です。

(EZWEB公式電子書籍サイト「ドラマティックブックス」
 http://www.iyashi-web.com/dorama_hp/index.html )

 また最近、メールマガジンでも

 「彼女がネットストーカーになった理由(わけ)」の 配信を始めました。

 http://www.mag2.com/m/0000192734.html

 自己愛性人格障害の人が、ネットの場で言葉を濫用し

 人々を振り回していくというお話です。

 清水さんご自身が関わってこられた現実を、

 書き記して人々に知ってもらうことによって、自己愛性人格障害の人の行動に備え、

 それが、ご自分にできることだとおっしゃっています。

(心子のような 境界性人格障害の人が、犯罪と関わるという 誤解を招かないことを願っています。)

 
 ちなみに清水さんは、下記の記事で紹介した、

「ぼくはうみがみたくなりました」の筆者・山下久仁明さんとも、偶然お知り合いでした。

 山下さんは自閉症の子を持つお父さんで、「ぼくうみ」は自閉症の少年が主人公の小説です。

 しかし、山下さんのお子さんは過日、事故で亡くなってしまいました。

 山下さんは、「ぼくうみ」の映画化を目指しておられます。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/33025085.html
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/33117065.html
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/33322550.html
 

反社会性人格障害,境界性人格障害,自己愛性人格障害の診断基準(DSM-IV)

2006年06月16日 11時31分32秒 | ボーダーに関して
 
●反社会性人格障害の診断基準

他人の権利を無視し侵害する広範な様式で、15才以来起こっており、以下のうち3つ(またはそれ以上)によって示される。

○法にかなう行動という点で社会的規範に適合しないこと。これは逮捕の原因になる行為を繰り返し行うことで示される。

○人をだます傾向。これは自分の利益や快楽のために嘘をつくこと、偽名を使うこと、または人をだますことを繰り返すことによって示される。

○衝動性または将来の計画をたてられないこと。

○易怒性および攻撃性。これは身体的な喧嘩または暴力を繰り返すことによって示される。

○自分または他人の安全を考えない向こう見ずさ。

○一貫して無責任であること。これは仕事を安定して続けられない、または経済的な義務を果たさない、ということを繰り返すことによって示される。

○良心の呵責の欠如。これは他人を傷つけたり、いじめたり、または他人のものを盗んだりしたことに無関心であったり、それを正当化したりすることによって示される。
 

●境界性人格障害の診断基準

成人期早期に始まり、様々な状況で明らかになる、対人関係、自己像、感情の不安定および著しい衝動性の広範な様式で以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。

○現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとする気違いじみた努力。
注: 基準5 で取り上げられる自殺行為または自傷行為は含めないこと

○理想化と脱価値化との両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係様式。

○同一性障害:著名で持続的な不安定な自己像や自己観。

○自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの。
(例:浪費、性行為、物質濫用、無謀な運転、むちゃ食い)

○自殺の行為、そぶり、脅し、または自傷行為のくり返し。

○顕著な気分反応性による感情不安定性。
(例:通常は2~3時間持続し、2~3日以上持続することはまれな強い気分変調、いらいら、または不安) 。

○慢性的な空虚感。

○不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難。
(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いのけんかをくり返す)

○一過性のストレス関連性の妄想様観念、または重篤な解離性症状。
 

●自己愛性人格障害の診断基準

○自己の重要性に関する誇大な感覚。
(例:業績や才能を誇張する,十分な業績がないにも関わらず優れていると認められることを期待する。)

○限りない成功,権力,才気,美しさ,あるいは理想的な愛の空想に捕らわれている。

○自分が特別であり,独特であり,他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない,または関係があるべきだ,と信じている。

○過剰な賞賛を求める。

○特権意識,つまり特別有利な計らい,または自分の期待に自動的に従うことを理由無く期待する。

○対人関係で相手を不当に利用する,つまり自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

○共感の欠如:他人の気持ち及び欲求を認識しようとしない,またはそれに気付こうとしない。

○しばしば他人に嫉妬する,または他人が自分に嫉妬していると思いこむ。

○尊大で傲慢な行動,または態度。
 

秋田豪憲君殺害事件--鈴香容疑者は反社会性人格障害? 

2006年06月15日 14時49分38秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
 連日マスコミをにぎわせている、豪憲君殺害事件。

 その容疑者である 畠山鈴香が、反社会性人格障害だとか

 そこかしこで言われています。

 そういう傾向があるかもしれないとしても、

 診察や鑑定もしていない人間が、軽々にそんなことを言っていいのか と思います。

 何よりも僕は、「人格障害」に対する誤解が 広まってしまうことを恐れています。
 

 10種類ある人格障害のうち、反社会性人格障害はちょっと特別なものです。

 他の人格障害が、心理学的な基準で診断されるのに対し、

 反社会性人格障害は その診断基準が、社会的な行為に基づいています。

 つまり、反社会的・犯罪的な行為を繰り返す(そして良心の呵責を感じない)者を、

 「反社会性人格障害」とするという、トートロジー(同語反復)的なものです。

 例えば、心子のような境界性人格障害の人が、際限のない愛情を求めるあまり、

 結果的に相手を巻き込んでしまう というのとは、因果関係も異なります。

 反社会性人格障害は 精神医学的な基準というより、

 社会的な価値基準による診断だと、批判や議論を招いているところです。
 

(ちなみに、反社会性人格障害の原因は 生育歴によるものか、

 生物学的な要因によるものか、分かっていないようです。

 また、治療は極めて困難とされています。)
 

 凶悪で特異な事件が起こるたびに、犯人は人格障害と マスコミで喧伝され、

 人格障害 = 犯罪者 などと誤解されるのは、非常に遺憾なことです。

 心子が犯罪と全く無縁だったように、大部分の人格障害の人は 純粋すぎるために、

 誰よりも自分自身が 言い知れぬ生き辛さに苦しんでいます。

 人格障害の人は、自分自身を傷つけることはあっても、

 他人に危害を加えることは 多くありません。

 一番苦しんでいるのは、本人自身なのです。

 「人格障害」という言葉が 人々に知られないだけなら まだしも、

 誤解をされるというのは いたたまれないことです。

 人格障害が、多くの人たちに 正しく理解されることを、願ってやみません。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51046836.html
 

[境界性人格障害のノンフィクション「境界に生きた心子」(新風舎)紹介のページ]
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/16276477.html
 

心子の教会の牧師先生

2006年06月14日 19時19分51秒 | 心子、もろもろ
 
 過日用事で、心子が住んでいたマンションの近くへ行ったとき、彼女の部屋を外から見てきました。

 今は別の人が住んでおり、何事もなかったかのようなたたずまいでした。

 それから、マンションのすぐそばにある、心子が通っていた教会にも寄りました。

 教会には、彼女が母として慕っていた牧師先生がいます。

 アポもなしで失礼しましたが、お邪魔して彼女をしのびました。

 心子のことを書いた拙著も、牧師先生にお渡ししました。

 心子は僕と付き合っていた年のクリスマスに、教会で洗礼を受けたいと言っていました。

 でも12月は教会も行事が詰まっていて、残念ながら先生は洗礼の予定を組めなかったのだと話されました。

 心子は生前、先生が自分のことを少しも考えてくれてないと、僕の前でしたたか毒づきました。

 信頼している人が応えてくれないと、心子はその揺れ戻しが倍増してしまうのです。

 僕はそのとき、牧師先生にまだお会いしたことがありませんでしたが、

 彼女の悪口雑言を聞いていると、てっきり先生がひどい人だと思えてしまったのでした。

 でも先生のお話を伺うと、ありし日の心子は、随分先生に甘えたり頼ったりしていたようです。

 夜8時ごろ教会にやってきて、朝8時まで先生と話をしたり、

 教会からマンションまで先生と手をつないで帰ったり、

 薬などを買ってきてほしいと頼んで、先生が買いに行かれたり……。

 どこまでも愛に飢えていた彼女に、今さらながらいじらしい思いを募らせたのでした。

[関連記事]
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/20134735.html
 

「パソコン通信」時代の仲間

2006年06月13日 19時34分52秒 | Weblog
 
 「パソコン通信」と言っても、もう知らない人も多いでしょう。

 インターネットが普及する前、ニフティをプロバイダにする人の、会員制のコミュニケーション方法でした。

 例えば、医療,心理,テレビ,コミックなど、テーマごとにいくつもの「フォーラム」があり、

 さらに、各フォーラムごとにもっと細かいテーマで、いくつかの「会議室」に分かれています。

 会員は、自分が関心のあるフォーラムと会議室を選んで登録し(無料)、

 コメントの読み書きができるのです。

 形としては「掲示板」に近いでしょう。

 会員限定ではありますが、ニフティだけでも何十万か何百万人の人がいるはずで、

 ひとつのフォーラムにも何千,何万という人が参加しているでしょう。

 いつも書き込むアクティブな常連は数十人ですが、オフ会なども盛んに行なわれていました。

 自分が書き込んだコメントは、確実に関心のある人数千人に読まれるわけで、沢山スレッドができたりします。

 また、何か知りたいことがあれば、質問をアップすると、専門家などの人が即答してくれます。

 反対意見などもアップされますし、皆で検討することができます。

 常連は毎日、また一日に何回もアクセスし、コメントを書き込んだりするので、やり取りはとても盛況でした。
 

 しかしながら、インターネットの波に押されて、次第に低迷していき、

 5年ほど前から形を変えながら、1年ほど前に完全撤廃してしまいました。

 コミュニケーション手段は、ホームページからブログ,ミクシィと、新しい形式が次々と生まれてきます。

 時代の流れでやむを得ないとはいえ、パソコン通信にはインターネットに換えがたい、メリットや魅力がありました。

 実際、何年経っても集まるような仲間は、インターネットではまだできていません。
 

旧友の弔事

2006年06月12日 20時03分24秒 | Weblog
 
 昨日は、旧友のお母さんのお通夜でした。

 彼女は10年間、お母さんの介護を続けていましたが、お母さんは心不全で突然の最期だったそうです。

 働きながら一人での介護生活は、本当に大変だったと思います。

(僕の母親は全介助が必要で、入院生活だったのですが。)

 家に手すりを付ける工事をした直後だったそうで、その喪失感はいかばかりのことかと思います。

 お父さんもこの前まで入院していて、介護が必要になりはじめたということです。

 「二人いっぺんには大変だから……」と、お母さんが気遣ってくれたのかもしれない、

 と彼女が言っていたと聞きました。

 いまや介護の問題は、誰にとっても他人事ではありません。

 でも彼女は元気に、前向きの気持ちでやっていこうとしているようです。
 

 彼女のお母さんのいざないによって、はからずも昔の友人が数人、何年かぶりに顔を合わせました。

 実は僕たちは「パソコン通信」の仲間です。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36255406.html
 


心子を知る臨床心理士の人

2006年06月11日 16時07分18秒 | 心子、もろもろ
 
 僕の知り合いで、ありし日の心子を知る人は、心子の主治医の先生や、

 心子の友達・沢ちゃんなど、非常に限られています。

 そのなかの一人に、ある精神科病院の臨床心理士・Aさんがいます。

 Aさんはこの病院で、患者さん,スタッフとともに、一般人も参加できる

 ユニークな話し合いの会を開いており、僕は以前そこに顔を出していました。

 Aさんは他にも患者さんの立場に立った、数々の活動を精力的にされています。

 臨床心理士の国家資格化の動きに対しても、Aさんは当初からそれに反対する急先鋒です。

 臨床心理士が国家資格になると、病院の中で臨床心理士は医師の指揮下に入ってしまい、

 医師の命令でしか動けなくなって、本当に患者さんのための治療行為ができなくなるという理由です。
 

 心子と僕が初めて知り合った一週間後、彼女と一緒に、Aさんの病院のクリスマス会に出席したことがあります。

 そこで心子とAさんは、1度だけ顔を合わせました。

 もう10年以上も前のことです。

 昨年、拙著「境界に生きた心子」ができ上がったとき、Aさんに連絡しました。

 Aさんは心子をちゃんと覚えておられて、彼女を偲んでくれました。

 Aさんもボーダーの人と深く関わったことがあり、身も心もボロボロになるような経験をされたそうです。

 そんな体験から拙著を読まれて、息が詰まるような、しかし澄んだ、切迫した空気に包まれた、と言ってくださいました。

 そして、病院で拙著を10冊ほど購入してくれました。( ^^;)
 

「海猿」,「ポセイドン」

2006年06月10日 18時51分13秒 | 映画
 
 海洋アドベンチャー映画が、日米で続きました。

 「海猿」は大層人気が高く、海上保安庁への応募者が倍増したと言います。

 確かに日本映画としてはスケールが大きく、手に汗握るシーンが山盛りです。

 感銘する場面もありました。

 でもσ (^^;)は、日本映画の間延びした演出に、イライラして着いていけないことがあります。

 “溜め”を作っているつもりなんでしょうが、現実には人はそんな漫然とした行動は取らず、リアリティが感じられません。

(他の観客は泣いたりしてるんですが (^^;))

 「海猿」も、僕にとってはそういうシーンがいくつかありました。

 「こんな緊急事態にそんな一息ついてる場合じゃないだろう!」

 てなもんで。 (^^;)
 

 一方「ポセイドン」は、最初から最後まで息をつく間もない、緊迫したシーンの連続でした。

 幕開き早々、巨大津波に襲われて転覆し、冒頭からパニック状態になります。

 天地がひっくり返ったら、そりゃあ地獄絵図になるでしょう。

 そして、数人の乗客が船外に逃げようとする話になるのですが、

 船の構造も知らない一般乗客が、ダクトや機械室などをたどって脱出路を見つけていく

 という設定は、相当無理があります (^^;)

 それに、アクションに終始して、人間ドラマはほとんどありませんでした。

 その点では「海猿」のほうが、よく作られていたでしょう。
 

 それにしても、「海猿」も沈没する船からの脱出を描く話なので、当然といえば当然なのでしょうが、

 両者そっくりなような場面が幾つかありましたね。

 海洋スペクタクルの日米対決は、どちらに軍配が上がるでしょうか。
 

「ダ・ヴィンチ・コード」

2006年06月09日 19時24分26秒 | 映画
 
 公開後の“下馬評どおり”、今ひとつでした。( ^^;)

 話が分かりにくいと聞いていたので、先日TVで放送していた、

 ダ・ヴィンチが絵に託した秘密を明かす番組のビデオを、予め見ていきました。

 また、日本語翻訳版の評判がいいというので、そちらを観ました。

(元々込み入った話が苦手なんですσ( ^^;))

 お陰で一応よく分かりましたが、TV番組の焼き直しを見ているようで、新鮮さはなくなってしまいました。( ^^;)

 謎解きもセリフによるものがほとんどで、ひねりやサスペンスなどが少なく、

 映画的な面白さがあまり感じられませんでした。

 原作の作者は、大変な博識を駆使していると聞きますが、作品としてはどうだったんでしょうか? 

 イエスに子供がいたというメインのモチーフも、キリスト教圏でない者にとっては、

 それほど作品への関心をかき立てられるものにはならないんですな。

 公開前の評判が特に高くなければ、それなりに結構楽しめたのでしょうが、

 興行的に盛り上げて、期待を高めすぎるというのも逆効果ですね。 (^^;)
 

「デイジー」(2)

2006年06月08日 19時44分00秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35988260.html からの続き)

 ヘヨン(チョン=ジヒョン)は画家の卵で、祖父の骨董屋を手伝いながら、街頭で似顔絵を描いています。

 ヘヨンのもとには、名前も分からない人から、いつもデイジーの花が届けられます。

 ヘヨンは、送り主はきっと以前自分を助けてくれた、顔も知らない人だと思い、

 まだ見ぬ心の恋人に、いつか出会えると信じています。

 そんなヘヨンの前に現れたのはジョンウ(イ=ソンジェ)。

 ヘヨンはジョンウを心の恋人だと確信します。

 ところが、実はジョンウは国際警察の刑事で、

 ヘヨンに近づいたのは麻薬捜査の張り込みのためでした。

 一方、ヘヨンの幻の恋人は実在し、常に陰からヘヨンを見守っていました。

 彼・ハクウィ(チョン=ウソン)はスナイパー(暗殺者)で、ヘヨンのためを思って名乗ることができずにいたのです。

 ジョンウは素性が知れしまったため、ヘヨンの前から姿を消し、入れ代わるようにハクウィが現れます。

 やがてジョンウとハクウィは、相対する立場上、互いに命をかけあって対峙することになります。

 数奇な運命に翻弄される男女のトライアングル。

 過酷な殺戮(さつりく)を繰り広げながら、切ない純愛に心を震わせる物語を、スタイリッシュに描いています。

 韓国のベタなラブストーリーには乗っていけないσ (^^;)ですが、この映画には引き入れられました。

 全編オランダロケというのも、スマートな雰囲気をかもしているでしょう。

 ラストもひとひねりあり、余韻を残して幕が引かれます。

 チョン=ジヒョンは、アクションシーンも吹き替えなしで取り組んだそうで、

 国際女優への第一歩を踏み出したところでしょうか。

 今後の活躍が楽しみです。
 

「デイジー」(1)(「猟奇的な彼女」)

2006年06月07日 20時17分39秒 | 映画
 
 「猟奇的な彼女」でブレイクした、チョン=ジヒョン主演の映画です。

 「猟奇的な彼女」は、わがままで傍若無人だけど可愛くて魅力的な彼女、という前宣伝を聞いて

 境界性人格障害の女性が主人公ではないか、と僕は思ったりしました。

 実際はそうではありませんでしたが、チョン=ジヒョンの愛らしさにはとても好感を持ち、ファンになりました。 (^^;)

(主人公は「彼女」というだけで、名前がないというのは、この作品くらいでしょう。)

 この話は、ネット上に書き込まれた実話だったことで話題を呼び、

 この「彼女」は、今も韓国の空の下のどこかで生きている、というのも興味を引きました。


 チョン=ジヒョンは、続く主演作「僕の彼女を紹介します」でも、「猟奇的な彼女」と似たキャラクターを引き継ぎ、

 コミカルでありつつ、切ない悲恋も演じました。
 

 今回の「デイジー」は、シリアスなサスペンス仕立ての、純愛ロマンスです。

 監督は、「インファナル・アフェア」のアンドリュー=ラウ。

 共演は「私の頭の中の消しゴム」のチョン=ウソンと、「エンジェル・ スノー」のイ・ ソンジェです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36025586.html
 


「嫌われ松子の一生」

2006年06月06日 19時43分44秒 | 映画
 
 中学教師をしていたとき、生徒の窃盗事件で不始末をおかして退職。

 同棲相手にDVを受けた末、その相手に自殺され。

 不倫が破局して、ソープ嬢になり。

 新たな同棲相手を殺害し、自殺未遂。

 連行されて服役。

 次の同棲相手はやくざで逮捕される。

 それから10年以上世間との交流を絶って、引きこもり生活。

 53才のとき、河原で中学生に殴り殺される。
 

 ……とまあ、悲惨で不幸な一生を送った松子。

 暗く重い映画になりそうな話を、「下妻物語」の中島哲也監督は、

 松子が愛しくなるようなファンタジーに仕立て上げました。

 ミュージカルあり、CGあり、紙芝居のようでもあり、アニメのようでもあり、

 悲劇も笑って楽しめる、見たこともないような映画です。

 決していい人間ではない松子にも感情移入し、

 むごい人生でもいいじゃないか、という気持ちになってしまいます。

 主演の中谷美紀は、今までにない汚れ役、というよりも、“きたない役”という感じがするのですが、

 よくぞこなしたと、「あっぱれ」をあげたい思いです。

 松子のその時々の相方をつとめる脇役に、豪華な俳優陣やコメディアンなど、

 ユニークな顔ぶれが登場しているのも見どころです。

 満席で立ち見状態の館内でしたが、今年の話題作の1本ですね。
 

「ナイロビの蜂」

2006年06月05日 19時31分21秒 | 映画
 
 妻の死の真相を追求するサスペンス,大手製薬会社の人体実験と外務省局長の不法を暴露する社会派劇,

 そして夫婦の深い愛を描くラブストーリー、それらが三位一体のように結び付いた作品です。

 監督のフェルナンド・メイレレスは、アフリカの国土を舞台に、

 卓絶した映像美と計算されつくした構成で、観る者を引き込み圧倒します。
 

 英国外交官のジャスティン(レイフ・ファインズ)のもとに、妻テッサ(レイチェル・ワイズ)の訃報が伝えられます。

 テッサは強盗に襲われたという当局の報告に、ジャスティンは疑問を抱きはじめます。

 ジャスティンは折り目正しい穏健な男でしたが、テッサは血気さかんで正義感にあふれていました。

 ジャスティンは妻の死を追ううちに、テッサが巨大な陰謀に巻き込まれて、

 葬り去られたのだということに辿り着きます。

 大手製薬会社がアフリカの貧民たち相手に行なっていた人体実験を、

 テッサは突き止めてあばこうとしていたのでした。

 テッサはジャスティンを愛していたが故に、夫にそれを打ち明けられませんでした。

 二人は結婚するとき、ジャスティンがテッサを守ると誓ったのと同じく、

 テッサもまたジャスティンを守ると言っていたのです。

 夫を危険にさらさないため、テッサは一人で苦難を抱えていきました。

 一時は妻の不義を疑ったジャスティンでしたが、やがて、テッサが決して夫を裏切らなかったことを確信します。

 ジャスティンは妻の足あとをたどっていく過程で、自分の生き方も見つめ、

 テッサの真の愛の深さを知り、自らも彼女の愛に殉ずるのでした。

 社会の巨悪に立ち向かうのは、真実の愛だけということでしょうか。

 とにもかくにも、全体から細部に至るまで、熟思と着想に満ちた、メイレレス監督の手腕による映像に魅せられます。
 

 
 僕の彼女・心子もテッサのように、悪を許さない正義漢であり、弱い人たちのために犠牲になることもいとわない純粋な女性でした。

 でもその極端な心性のために苦しみ、旅立って逝ってしまったのでした……。
 

命の重さ(2)

2006年06月04日 17時53分33秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35808908.html からの続き)

 一方で、心の障害によって、自らの命にピリオドを打たざるを得ない人も増えてきています。

 幼いときから、愛されること,大切にされることを体験していると、

 愛すること,人や自分を大切にすることなどが、無意識のうちに体得されていくのだと思います。

 翻って心子の場合は、純粋である故に、生へ求めるものが高く、強いエネルギーがありました。

 理想が高い分だけ、それが裏切られたときの絶望は深く、一転して死へ傾倒してしまいます。

 死への衝動は、生への欲求の裏返しです。

(僕もかつて、人生最大の挫折をしたとき、自殺の観念がよぎりました。)

 心子をはじめボーダーの人は、百かゼロか、天国か地獄かのどちらかしかありません。

 それに対し、昨日の記事に書いた、生と死の敷居が低い人は、全てが10くらいで、

 あらゆるもののコントラストが薄いのではないか、という気がします。

 ボーダーの人の百かゼロかの「分裂」は、幼児期の母親からの分離独立過程に支障があったと言われるのに対して、

 生死の差が希薄な人は、幼児期以降の人格形成がしっかりできなかったのではないだろうかと、

 素人考えで推察するのですが、いかがなものでしょうか? 
 

命の重さ(1)

2006年06月03日 19時17分17秒 | 心理
 
 以前、仕事の関係で、ネットの自殺サイトを見たことがあります。

 書き込みを読んでいて、ネット心中を望む人たちは、生に対する感覚が“薄い”、という気がしました。

 人は生きる目的や希望,喜びや楽しみがあれば、生への価値を感じることができるのだと思います。

 現代はそれを感じにくくなっているのでしょうか。

 彼らは小さなきっかけで向こう側へ行ってしまう。

 生と死の敷居が低い,生きていることと死んでいることの違いが小さい、というように感じられます。
 

 核家族化によって身内の死を間近に見る機会が少なく、自然や小さな命との触れ合いも減り、

 バーチャルゲームでは死者もリセットすれば簡単に生き返る。

 社会や自分の将来の展望が見えず、夢や生きる希望も持ちにくい。

 また、親から自然な愛情を得られないで、自分が生きていていいんだという

 無意識の自己肯定感を育めないことがある。

 死んだ人が蘇ると思っている子供がかなりいるという調査結果が出たり、

 命の重さを実感できない世代が増えているようです。

 何かに感動する心や、感謝したりされたりする体験が、生きる力に繋がっているのではないでしょうか。

 そういう子供のときからの環境や経験が、とても大事なのだろうと思います。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35843310.html