goo blog サービス終了のお知らせ 

「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

光市母子殺害事件・最高裁上告審判決(2)--本村さんにとっての死刑制度

2006年06月21日 00時51分31秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36556382.htmlからの続き)

 本件の加害者元少年と、面会を続けてきたという住職がいます。

 住職の話によると、元少年は今は苦しんでおり、

 今の自分を見てほしいと、一言一言かみしめるように 話していたといいます。

 どういう形で償えるかは分からないが、生きて償いたいと言っているそうです。

 一方、別の面会者は、元少年に反省の色は見えないと話していました。

 本当のところはどうなのか 分かりませんが、

 加害者が友人に宛てた 昔の手紙のマスコミ報道だけで 感情的に判断せず、

 包括的な情報を見ていくよう 気を付けたいと思います。
 

 もっとも、本村さんによれば 加害者の悔悟の念は、

 死刑の可能性が出てきたことによって、初めて自分の命が奪われる恐怖にさらされ、

 死にたくないという気持ちになった、

 自分が犯した罪の深さを 知る契機になったのだ、といいます。

 そういう意味では、死刑制度があるからこそ、加害者の自責が生まれる

 という構図はあります。

 ただし、死刑制度による犯罪抑止力を示せるデータは かつてどこにもなく、

 逆に加害者が 捕まって死刑になることを恐れて、

 目撃者を殺してしまうこともあるといいます。
 

 本村さんは、加害者が反省して、罪を悔いて、その時に死を持って償うことこそが、

 死刑の意義だという考えのようです。

 けれども本村さんは、加害者が死刑になれば 自分は癒されるとは、

 一度も言っていないと語っていました。

 ただ、死刑判決が出れば「納得」できる、ということだそうです。

 事件のことは 一生背負っていかなければならないけれど、ひとつの区切りをつけて、

 自分の人生を 憎悪だけで終わらせるのではなく、新たに踏み出していくためには、

 死刑判決という段階が必要だという、前向きな真意があるのだと思います。

 
 一審で無期懲役判決が出た直後、本村さんが声を震わせて訴えていた言葉を、

 僕は忘れられません。

 「遺族だって、被害から回復しないといけないんです……! 

 人を怨む、憎む、そういう気持ちを乗り越えて、また優しさを取り戻すためには、

 死ぬほど努力しないといけないんです……!」

 その時の激情に呑み込まれるだけでなく、行く先の心のあり方までをも洞察した、

 これほど熱情的で繊細で明哲な、深い人間的な言葉を、僕は他に知りません。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36574858.html
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 光市母子殺害事件・最高裁上... | トップ | 光市母子殺害事件・最高裁上... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

光市母子殺害事件」カテゴリの最新記事