風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

なんて陽気

2007-03-29 18:33:36 | 徒然
今日は昼ご飯を事務所で食べてから、あまりにいい天気なので近所を散歩した。暖かいお日様の光、暖かく優しい風、木々は白やピンク、黄色、花で彩られている。なんて幸せな気分になるんだろう。桜はもちろん、息をのむほど完璧に美しく咲いている。僅かな時間だけど、春を満喫した気分だった。そんな帰り道、一匹の猫に出会った。うちのムサシとは全然違う、鋭さとたくましさと、儚さをもった猫だった。私が近寄っても逃げない。でもきっと心の中では警戒しているんだろう。
私はこういう猫が一番好きだ。

成長しすぎた子株

2007-03-28 22:39:15 | 徒然
 先週末~今週は父方の祖父母の墓参りへ行き、入院中の母方の祖父に会いに行き、今日は祖母がうちに泊まりにくるなど、じいちゃんばあちゃんとの交流のある一週間を過ごしている。

 そんな中、最近妙にひっかかることがあった。
それは親戚の家へ行った時やうちにばあちゃんがきているときなど、
「まったく、なおちゃんももうちょっと成長してもらわないとね」
「自立してもらうことが望みですよ」などと母が言うのだ。

 自立?成長?

 一体親の望む成長や自立とは何なのだろうか?
これ以上どう頑張ればいいというのか…?

私は自分でやっと落ち着いてきたと思っていた矢先だったので、
母の言葉に愕然としてしまった。

「ねえ、お母さん、お母さんの望む私の自立ってなんなの?」

「…ウーン、そりゃぁいい人と結婚するってことじゃない?」

「じゃぁお母さんが望む私の成長って?」

「そりゃぁ何か生きがいみたいなものを見つけるとか、心の成長よ」


 私はこのやりとりを通して、ああ私は親元で大きくなりすぎたと思った。
親元で成長しすぎたということだ。
母は「早く自立して欲しい」と望み、私は「まず自分を認めて欲しい」と望む。
親元を離れることは、親との繋がりを大切にしつつ自分を頼りに社会で人とのつながりをもって生きていくということだと思う。

 あ~あ、私は親に認められたい、周りに認められたいそれだけでここまできてしまったのかもしれない。なんて、刹那的なエネルギーなんだろう。
いつまでたっても満たされることはない。

だからずっと、親元を離れることが私にとって第一歩だったのかもしれない。
でもできなかった。それはきっと、両親が私を大事にしてくれたからだと思う。それに甘えてきてしまったんだと思う。

 今年28歳、私は夢をおいかけてとか、就職が決まってとかではなく、家を出ようと思った。離れてきっと大事な人を大事にできるんだと思う。
今日は心の中で一つ大きな気持ちの整理がつき、今後の一つの目標がみえてきた。
まるで、どこをどうすれば動くのか分からないくらい複雑な、でも動力の中心となる心の中の大きな重い歯車がゴトンと動いたようなそんな感覚だった。

この仕事

2007-03-28 00:01:58 | 徒然
 宮崎駿のアトリエを訪ねた女性アナウンサーの「なぜ映画作りをしているのか」という質問に対して、宮崎駿は

「そんなのわかんないですよ、そりゃあなたがなんでアナウンサーみたいなことやってるかってことと同じですよ。そうやって自分が存在しているってことでしょう」ってなことを言っていた。
 
 ものづくりの仕事に関わってるということは宮崎駿と自分の共通点だと思う。
立場や経験や年齢や才能や環境や業種も職種も違うけど、同じことは、その仕事の成果が物になって目の前に現れるということ、そしてその先にお客さん、人がいるということだ。だから、手は抜けないし、真剣勝負になるし、それが求められるからこそ私はやりがいを感じる。そして少しでも自分が手を抜いたら…うーん、その時の自分を出し切らなかったら?創作活動ではなく「仕事だから」と割り切ってやっていたら、やりがいをもってできなかったら、やっぱり自分に返ってくるんだ。だから体力も精神力も使うし、仕事以外のことで悩んだり不安になったりそんな日々もある。でもそれでいい。割り切ってしまうよりもずっと、そんな自分のままの方がいい。
「自分に厳しくするのも自分だけど、自分を許せるのも自分なんやで」とある人にいわれた。
その「自分を許す」ということがどういうことなのか…それがとても自分にとって必要な答えであり救いだと感覚的にわかるものの、具体的にどうすればいいのかまではその言葉を聞いてすぐにはわからなかった。でも自分を許すということは、できた人間じゃなくてもいい、自分にしかわからないものがあってもいい、だけど周りの世界、人に対して笑顔で応じる必要がある時もあるし、笑顔でいる時もある。そういう人が人を感動させるものを真剣につくっているということが何より慰めになった。そして解放された気分になった。ああ、自己中心的だけど純粋な子供な自分と周囲のことを考えて行動できる大人な自分、両方が今の私であっていんだと、それが自分を許すということなのだと思った。
 私は直接何かを創作する仕事ではないけど、でも創る一部になっている。ものをつくる仕事は、そんな自分そのままと向き合う仕事なんだと思う。だから、やっぱりこの仕事でよかったと思った。

ポニョ

2007-03-27 23:34:25 | 徒然
 さっきまでNHKでやっていた宮崎駿監督が『崖の上のポニョ』制作準備にとりかかるまでのドキュメンタリー番組を観ていた。なんだかとても慰められた。そしてカチンコチンになった頭がどんどん自由になって、でもカチンコチンになっていたことも「ああこれでいいんだ、そうなってしまうもんなんだ」と思った。

 自分の人生に面白みを与えてくれる、そういう視点をくれるのが宮崎駿だ。

「理想を追求する現実主義者でなきゃならない」「理想をなくした現実主義者って最低でしょ」と。

 自分がそういうことで悩むとは思わなかったけど、私は自分の人生の意味を見出せずにいた。過去は過去、もう過ぎたことなんだからときっぱりと言う宮崎監督の言葉は、あっさりと言い放った言葉なのに、とても説得力があった。

 面白いことは、とても単純なことなんだ。
理屈ではないんだ。そういうことを忘れてしまうけど、宮崎駿は大事なことを思い出させてくれる。そういう人と同じ時代に生まれてよかったなと思う。だって、同じ時間を過ごしているんだから。同じ天気、同じニュースを聞き、同じような情報を受け取る。でも、そこで全然違う発想をしている人がいるそのことだけで、なんて勇気をもらえるんだろう。

 全然まとまらないけど、生きていくには想像力が不可欠なんだと思い出した。
現場事務にしたって、想像力をもって、創り上げる感性が必要だ。私が全く忘れていたのはそのことだった。
私は私の人生を創っていく、その過程が今なんだと。だからそこに特別な意味なんてないけど、でもそれこそが人生なんじゃないのか。

 わかんない、これから先の考えがどう変わるかなんて全然分からない。
でも、とにかくイメージをする力もっともっていいこと…そんなことを思い出した。

 今回の主人公男女は5歳ってことは、今の時代を生きる子供たちにとってポニョの映画が私が小学生の時に観たトトロのような、そんな大人になっても懐かしい映画になるんだろうな。ああ、なんてワクワクするんだろう。

ふくふく

2007-03-26 23:31:02 | 徒然
 卒業式のシーズンですね。
桜の蕾もふくふくふくらみ、0.8分咲きくらいでしょうか。
いよいよ桜が咲き誇る季節がやってきました~イエーイ!

考えてみたら歳の数しか桜は見られないわけです。
60歳であの世へ旅立ったら60回、当たり前ですが、今日の桜は今日しかみられない。
だから特にこの桜が日ごとに咲き始めるこの一日いちにちを丁寧に生きようじゃないかと思うわけです。今年は京都と青森の桜を観に行きたい…

 なんでか分からないけれど、別にとりたてていいことがあったわけじゃないのに、いやむしろ思い通りにいかなくてうっぷんがたまりまくっているのに、テンションが高いです。

もー、悩んだり考える暇なんてない。
昨日は「無我の境地」に一歩踏み込もうと、白いシャツを丁~寧にアイロンがけした。アイロン用キーピングを使ってシワというシワを伸ばし、
切り替えしの部分やポケットのところもアイロンの先の方を使って丁寧に。
こんなところにシミあったんだとか、洋服を愛でる感覚でかけていると、自然と感謝の気持ちがわいてくるから不思議だ。
いつも雑な使い方してるけど、お世話になってます、ありがとうね~と。
やっぱり、身なりがピシっとしている人は年齢問わずかっこいいです。
アイロンはいいです。無心になれます。そして気分がスッキリするし、アイロンをかけた洋服を着たときも胸を張れるから気持ちがいい。

ストレス発散方法一つできたよ…

掃除は動き回るから、疲れてしまうときは、アイロン。
ジュワー~~~っと蒸気の音を聴きながら無心にシワをのばす。

あとは洋服の糸のほつれを直したり、ボタンを付け直したり、毛玉とりで毛玉をとったり、シミぬきしたり、ニットを丁寧に洗ったり…地味だけど毎日着ている洋服を手入れすると気持ちもスッキリする。

あとは、通勤一週間分の洋服のコーディネートを決めておく。
これは一週間分はまだできてないけど、前日に決めておけば本当に朝ラクだ。
そして気持ちに余裕ができる。なかなか面倒で朝「これで~~~まぁいいやッ!」と着てしまうんだけど、バチっと決まんない時は決まらないから時間をロスする。
そして駅までの道をダッシュ…
そんな生活はなるべくやめよう。

気が付くと考えていたりする。
「はっ、無心~~無我の境地~~~」と思いなおして体を動かす。
そうやっているうちに、少しずつ前に進んでいくんだろうと思う。

 無心といえば、今日は風呂上りに『となりのトトロ』を歌っていたら、
「も~し~も会えたな~ら~♪」
「会えないよ」と母。
濡れた髪をタオルで拭きながら間髪いれず言ってきた。
夢がないねぇ、あ~ヤダヤダ。
トトロを否定されると凹みます。
だからトトロの歌では「子供の時にだけあなたに訪れる不思議な出会い」って歌われちゃうんだよ。
森の妖精なんだよ。それを感じる感性…あ~ぁ、わかんないかなぁ。
純粋な心をいつの間にか忘れちまうんだなぁ大人って。
ハァ~ア
そのくせ母は『千の風になって』を気持ちよさそうに歌う。
私はまぁそこで横やりはいれないけどね。

 
 全然話は変わりますが、
最近ちょっとヘンなのだ。
いや、前からちょっとはヘンなのだろうけど…
男の人と二人っきりで会うこと恐怖症になりつつある。
全く意識していない人とか…昔からの友達とか知り合いとかなら多分大丈夫だと思うのだけど、なんかキャパが狭くなったような気がする。
愛想笑いができないというか、いや、今まで愛想笑いをしてきたつもりはあまりないんだけど「この人は苦手だな」と思うとモロにそんな反応がでてしまうようになったのだ。

 このままでは気疲れしてやっていけない…

 しかも、これは私だけかと思っていたらそうじゃないらしい!
「あんたは絶対そんな風になることない!」って思っていた、キレイでスタイル抜群で性格はカッコイイ女友達が「男の人と二人でご飯を食べてると気持ち悪くなっちゃって、その場を離れたらラクになってる自分がいた」と言っていた。彼女が一緒にご飯を食べる相手っていうんだから、多分なかなかイケてるメンズなんだと思うのだけど…何かが違うんだね。
今ちょうど彼氏がいないというのがそこには共通点としてあるんだけどね。
私は意識しすぎるのか?何か敏感すぎるのか?自意識過剰なのか?
今そういう年齢なのか?少しはオトナになったってことなのか…

 ああ、また考えてる。
アイロンは・・・もう昨日したからとりあえず、来月のお金の使い道考えようかな…

ただ、色々考えても、結局は自分の気持ちに素直になることが一番なのだと分かった。目の前にこれというものがないと、ついつい、気はあせってしまうけど日々の積み重ねが明日をつくる。だから自分の「好き・嫌い」に素直になってその気持ちを押し殺そうとしたり、抑えたりせず、大事にして前に進めばいい。
でもそれって本当に難しいんだよなぁ

 ちなみに最近、柄本明や現場に来ている元準大手ゼネコン部長で今はグループ会社の職長をやっているおじいちゃんに惚れ惚れしてしまうのだった。雰囲気が気が抜けているようで隙がなくて、かっこいいんだよなぁ。分かってくれる人いるかしら…

ロダンの言葉

2007-03-24 16:57:20 | 徒然
「肝心な点は感動すること、愛すること、望むこと、身ぶるいすること、生きることです」
私がこの大学に来てよかったと思ったのは、3年生になってからキャンパスが御茶ノ水に移り、その図書館入口にこのロダンの言葉が刻まれていたのを初めて見た時だった。

同じ時間を過ごすなら、喜怒哀楽色々あっても、傷ついたりしても、色々な感動を味わいながら生きていきたいとつくづく思う今日この頃です。

無我

2007-03-23 22:09:20 | 徒然
 今日は私の知りたかったことが、ひょんなことで分かった。

ずっとずっと、ずーっと頭の中で、私の頭の中でぐるぐるしていたことが、
ひとつ明らかになった。
しかも、意図せず、ふいに舞い込んだ知らせだった。
それを口にした人は、別に私がどれだけそのことを知りたかったか、ぐるぐるしてきたかなんて知らないので別に大したことなんて思っていないはずだけど、

それを聞いた私は、放心状態とまではいかないけれど、
少なからず動揺していた。
その気持ちの同様を周りの人には悟られないように、つとめて平静を装い、普通に振舞っていた。

 果たして私は動揺してるのかさえ、よく分からない。
割と冷静なようで、実はすごく色々な気持ちになっているような…
ちょっと混乱している。

夢か幻になっていた、私の想像するしかなかったある事実が
現実としてある、それだけのこと。

色々考えるときりがないけれど、
たとえ離れていても、目の前にいても私の気持ちはただ一つ変わらないということがこの半年でわかったから、割と冷静でいられるのかもしれない。

 私は相手を想うといいながら、自分の思うようにいかないことに苦しんでいた。
ただ相手を想う自分がいるということ、それだけのことなのに。
そんな相手に出逢えただけで、本当はとても幸せなことなのにね。

満開の桜が咲く頃、あの人も一緒だった、去年の激寒のお花見を思い出したりするのだろうか。その思い出の中に私はいるのだろうか。
そんなことをつい、考えてしまうけれど、
そこで立ち止まるのはなるべくよそう。
今年も桜の季節がやってくる。ずっとずっとこの時を待っていた心にまるで応えてくれるように、花が咲く。優しい淡いピンクの色に染まる街で、今年はどんな思い出ができるかな。

仕事のできる人

2007-03-22 00:22:54 | 徒然
 今まで出逢った沢山の人の中で「仕事のできる人」の共通点がある。
これは会社に限らず家庭でも、どんな場所でもいえる、と私が感じたことです。
仕事ができる=お金、時間が有効に使える、貯まるということです。お金も時間も無駄遣いしないということだから。

それは、、、
①身だしなみが整っている(服がいいものとかではなく、清潔であること)
②机の上が綺麗(殆ど物がない)
③身の回りのものが整理整頓されている
④どんなに偉くても自分の後片付けは自分でする
⑤基本的に殆ど残業しない

 これ以上は、秘密。なぜか?ということも説明できるけど、書きません。
それは社会に出てからの3~4年間で私が自分で「この人はすばらしいな」と思った人の普段の様子を見ていてまねをして自分でやってみて、経験して得たことだから…実践してみないとわからないと思う。
そういう尊敬できる人がいる環境はとても恵まれているのだと思う。
もちろん、職場でもそうだし友人関係でも、家庭環境でもそうだ。
あとはどんな場所でも相手のいいところを見出して自分のものにするかが大事なのかなぁと思う。
全ての基本は「整理整頓」…
それだけで食べていけると言っても過言ではないくらい。

 実は、面倒くさがりやの方が仕事ができる。
いかに効率的にということを考えるから。
それはいい加減であるのとは全然違う。

 そして、上に書いたことの更にもっと根本的なことがある。
それは「礼儀」だ。
人としての基本的なこと。
挨拶、「ありがとう」、「ごめんなさい」が心から言えるかどうか。
相手を思う思いやりがその根本にある。形だけでも整えることも大事だけど、形だけではなくそこに心をこめられるかどうか…
仕事ができなくても、技術が未熟でも↑ができていて謙虚に学ぶ姿勢や向上心があれば必要な人材になれる。

 「整理整頓」と「礼儀」が身についたら怖いもんなしなのだ。
ただこのバランスをいつも保っていることって案外難しい。
どんなに仕事や環境に慣れても、初心を忘れないようにしたい。
これらが前提にあって、初めてなぁなぁになれる。

 むむ~、最近私はどうだろう?

なりたいもの・やりたいこと

2007-03-20 01:34:58 | 徒然
 よく考えてみたら当たり前といえば当たり前なんだけど、

将来なりたいもの(姿、自分)と、やりたいこと(好きなこと)は別物なんだと最近わかってきた。
前は両方がごちゃごちゃだった。

それをしっかり分けて考えると、現実的に私の未来を描けそうな気がする。こんな曖昧な言い回ししかできないのは、まだあまり具体的に何か目標を設定しているわけではないから。まだ、考える余裕がないんだな。片付けたいことがもう少しある。

 でも最近、実感として自分がとてもポジティブになっている感覚がある。それは…体の調子が戻ってきたことと、自分の限界を知ったことと、自分が女であることは色々な制限はあるけれど実はとても楽しいことなのだということ…、ムリをしなくていいということを知った。自分の能力以上に頑張らなくていいんだと。
男性に頼るということの意味が分かった。それは単なる甘えじゃなくて、役割分担をするということで、必要なことなんだ。
そしてそれは向上することを放棄することとは違って、
自分が伸ばしたいことを伸ばす努力を怠らなければいいんだと分かった。

 
 今日はほぼ定時であがることができたので、前の職場に顔をだしてきた。
昔一緒に働いていた同僚と話していると、昔の自分と今の自分がだいぶ変わってきたことに気が付く。
仕事に関して、やっぱり自分は今の業界で生きて生きたいと思った。今まで働いてきた体に障害を持った方の介助、園芸店、そこで働くことは私にとってとても誇らしいことだった。でも建物をつくることに関して私は特別に情熱を傾けられるんだと思った。その自信があるから、多分、現場事務の仕事もいい緊張感をもってできるんだと思う。
今までいた職場はみんないい人達ばかりだった。
そんな環境を飛び出すことはとても勇気がいることだった。そこでは私を必要としてくれたから。
でも、みんなに送り出してもらって、色んな人の助けを借りて色々学ばせてもらって今建築に関わる仕事ができてとても幸せだなと思う。

 やりたいことは、山ほどあるけど、とりあえず…生きているこの時間を、二度と帰ってこない27歳の3月20日を楽しみたいと思う。「自分なんて」なんて思わずに、臆することなく女を磨いて、自信を持って生きたい。

 先週、いつも何かといい刺激をくれる設計監理のおじさんがまた面白いことを言っていた。
「人間の脈拍数って人によって死ぬまでに何回って決まってるんだって。あと、DNAを調べるとこの人はあとどのくらい生きるってだいたいわかるらしいよ」…このへんは難しい話だったのであまり良く覚えていない…
「でもね、人間は寿命がある程度短いから進化してきたんだよ。人間の平均寿命がもし200歳だったら人類は今まだサルだよ」

 「今って大事なんだ」と思う話じゃあないですか。
最近、ああいつまでも若いわけじゃないんだなと思うことがよくある。
だからといって悲観的になることはないけど、やっぱりその事実からは目はそらせない。

 なりたいものに私は少しずつ近づいてきている。遠回りしてきたけど、本当に少しずつ自分の居心地のいい世界にやってきた。建築物も好きだけど、建物を作ることが好きなんだ。そこでは本気になれるし、臆せず自分のエネルギーをぶつけることができる。

 やりたいこと、好きなことは色に関わること。表現すること…
それはモチロン建物についてもそうだし、2次元の紙やパソコン上、3次元の空間をコーディネートする花などの植物、インテリア、ネイルアートなどファッション…そして自分自身や生活そのもの、それらを自分のセンスでデザインすること。
それはお金を稼ぐこととは違うことだ。
むしろ自分がお金や時間を費やして身につけて、アウトプットするもの。

 この「なりたいものとやりたいこと」はリンクしているけど、別の世界で実現していくものなんだと思った。

街には

2007-03-16 21:01:23 | 徒然
本当に色々な人がいる。最近帰りに必ず駅ビルをウィンドウショッピングしたり、家族にたいやきを買って帰ったり、ドラッグストアでケア用品を買ったりと寄り道しているのだけど…
ここ1週間で3回も同じキャッチにあった。
「あのすいません、お姉さんお姉さん、違うんですよ、キャッチとかじゃなくて美容室なんですけど」
「行きつけのとこがあるんで」
「いや、じゃ、美容サロン」
「すいません…」
いつもは無視するのだけど、まわりこんできたのでは足早にふりきろうとしたら
「じゃせめてこれを…」
と『和風パブ〇◯ イチオシお姫様◯〇 初回\3000』という紙の入ったティッシュをくれた。
全然美容サロンじゃない。
しかもこの後別の日に同じ場所で2回も「美容サロン」で声をかけられた。ほぼ毎日寄り道しているからっていうのもあるけど、さすがにうざったい。
どうせなら「お姉さんキャバ嬢やりませんか、かわいいから」とか「ホステスさんやりません?美人だから」とかストレートに言えばいいのに。言われた方は、全く相手にしないか、ちょっと興味をもつかどっちかだと思うけどな。最初からそう言ってるんだから後で話が違うなんてなんないし、次から次へといくぶん成功率高いと思うけどな。
なーんてどうしようもないことを考えたりしながら…

続きは家に帰ってから。
今日は花男2最終回だぁ~
また一つの季節が終わるなぁ。心して観よう。