風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

2005年最後の夕陽

2005-12-31 22:26:44 | Weblog
  今年一年、本当に色んなことがあったなぁ。
 なによりも、人との出会いが多かった!!!
 そして新しい自分との出会いもね。
 
 園芸店で雪かきや雪だるまを作った1月、
 園芸店でパート社員になろうとした2月、
 フルタイムで働いた4・5月、
 5泊6日という当分経験できない贅沢な京都旅行を経験した5月、
 職業訓練の福祉住環境リフォーム科4ヶ月コースが始まった6月、
 就職活動に専念するため園芸店のアルバイトを辞めた7月、
 企業研修で設計事務所にお世話になることになった8月、
 設計事務所でアルバイトをすることになった(ブログを始めたのも)9月、
 アルバイトをやめざるを得なくなり、工務店などを受け就職活動をした10月、
 迷った末に某美大建築学部3年次編入試験の出願をした11月、
 編入試験を受け、不合格の結果がでた12月…そして現在

  この間、新しい刺激的な出会いと多くの再会があった。
 特に年上の人との出会いが多く、いろんなことを教えてもらった。
 職業訓練で出会ったみなさん、
 こんな私に色々おごってくれてありがとうございます。
 このご恩(特に食べ物)はいつか必ずお返しします。それだけじゃないですが。
 そして同級生のおまいら、いつ会っても最高です。離れていてもライバルじゃ。
 園芸店のみなさん、年末はお騒がせしました。
 退職時、温かい言葉をありがとうございました。
 前の職場の同僚、先輩、今年もあまりお役に立てず申し訳ないです。来年こそ。
 コンビニバイトの仲間たち、久々の再会、とても嬉しかったです。
 来年もどうぞよしなに。
 そして両親、いつまでも甘えてしまってごめんなさい。
 来年はきちんと進路を決め、自立します。
 そして弟、この歳になってもいつも喧嘩ばかり。
 なかなか大人になれなくてごめん。
 この間は本当に心臓が飛び出るかと思った。姉がお前を守ってやる。
 他にもお世話になった人、じいちゃんばあちゃん、大切な友達、沢山いる。
 今年一年ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
   
  本当にめまぐるしく環境が変わり、
 昨年に引き続きなかなか一箇所に落ち着かず変化の激しい一年で、
 嬉しい日もあれば辛い日もあったけれど・・・
 ジェットコースターに乗っているみたいで楽しかったなぁぁぁぁ
 
  来年はもう少し地に足をつけて一歩一歩着実に歩んでいくぞ。
 
 
 
  
 
 

 

全国大会

2005-12-31 14:52:54 | Weblog
 ここ3日間くらい漫画『スラムダンク』を1巻から読み続けている。
この漫画は読み出すとなんで止まらないんだろう・・・?
全国大会の2回戦目「山王工業」との試合が始まるところまで読んでしまった。

 私は剣道部だったけど中学の時に『スラムダンク』が発刊されてから部員ほぼみんなが部室でこの漫画を読み、熱い気持ちになったものだ。
初心者・桜木花道の素質があり、勢いがあり、チームメイトに恵まれて、なにより最大限の努力をして成長していく姿は見ていて本当に面白い。

 そして今日母校の浦和東高校サッカー部が全国大会の初戦を突破した。鳥取県の代表米子北高校の選手たちは涙を流し、浦和東の選手と握手していた。
…私が高校を卒業してはや8年、そのときから浦和東のサッカー部の監督は変わっていない(野崎正治先生)。体育教官室へ部室の鍵を返しにいったりした時に無言でギロっとこちらみた時の威圧感…とにかく怖い先生だった。保健体育の授業を受けたことがあったけれど、そのときもこの先生は真面目なんだか不真面目なんだかよくわからないところがあった。でも、まるで子供のようにサッカーに対する情熱だけは誰にも負けない、そんな先生だった。
 私が高校生の時に初めて全国大会に出場してからもう9年が経とうとしている。ただひたすらボールを追いかけ、高校の3年間をかけて努力する姿にとても勇気付けられた。先生も後輩たちも頑張っているんだ、負けてられないと思った。
 

Merry Christmas!!!

2005-12-25 14:01:32 | Weblog
 昨日試験の結果が出ました。真冬の桜は咲かず…でした。
覚悟はしていたものの、自分の受験番号がないのを見たときはショックでした。

 でも昨日はこれからどうしようか、母校の大学の理工学部の事務室に電話したり(休みだったけど)、美大の資料請求をしたり、美大卒の高校の先輩に連絡したり、動揺しながら、次の道を探している自分がいました。

 試験が終わってから21日は短期バイトを探し、22日は1日バイトをし、23日は部屋の大掃除、昨日は発表を見てから進路を探し、夜に居酒屋で飲んできました。

 高校時代からの友達が私の誕生日祝いを兼ねて…と言って最初はイタリアンレストランを予約してくれていたらしいのだけど、私の結果を聞いてかしこまったところよりはと居酒屋飲みにしてくれた。どうやら私を励まそうという気持ちでいてくれたみたいで、でも気を遣いすぎず自然に普通に付き合ってくれてすごく嬉しかった。
 今私はすごくわがままな生き方をしていると思う。
自分がこれだと信じた道を進むことは決して楽ではないけれど、それ以上に支えてくれる人や応援してくれる人、理解してくれる人、もちろん厳しい意見を言ってくれる人も含めて周りの人がいるから自分は好きなことを生業にすることができるのだと思う。子供の頃はそういう意識が殆どなかったから無邪気に思うままに生きられた。
 その友達は「専門的なことはわからないけど、けんちゃん(私のあだ名)建築を本当にやりたそうだし、頑張って欲しいよ。この歳でまっすぐに突き進もうとするけんちゃんを見ていたら、私ものびのびやりたくなったよ。もうやりたいようにやるって今決めた」と言った。私は焦って「いやいや、そんなやりたいようにやるって、しんどいもんだよ、この20日間だって私はモグラ生活だったし、周りに気を遣う余裕もなくなることもあるし、どうなってもあたしゃ責任もてないよ」と言っておいたのだけど友達は、最近仮面を被っていてがちがちに固まって自分らしく生きていなくて、息苦しかったと言った。
 なにおいて自分を解放するのかその友達にとっての「肩の荷」をおろすということは私と同じものではないのだろうけど、こういう私のありのままの姿が誰かに勇気や力を与えられるなら挑戦するということは無駄ではないのかなと少し思えた。
 
 色々と応援してくれたみなさん、ありがとうございます。
まだ始まったばかりだと思ってしまうのは私のわがままだとは思うのですが、やってきたチャンスは掴める時に遠慮なくつかもうと思います。

 よいクリスマスを!

実技試験が終わりました‥

2005-12-20 14:53:24 | Weblog
只今試験会場の控え室です。受験生は22人、結構います。スーツの人もいればジーンズにスニーカーとカジュアルな人もいて様々です。
午後の面接は13:30~で私は22人中15番目であるためまだあと1時間は待つと思われます。‥というわけでブログを書いています。
午前のテストの出来について‥
タイトルを書き忘れました。(タイトルを明記することとなっていた)そして動揺して、試験会場から持って退出しなければならない受験票を机の上に置いてきてしまった。
気持ちは沈んでいます。

テストの内容は「150m3の小住宅をデザインしなさい」というもので、配付物はA2の紙と下書き用の紙のみで色鉛筆はなし。
簡単なコンセプト図を3つ、春夏秋冬の家の様子を表現した内観、外観図を合わせて4つ、1・2階平面図を描きました。外観はほとんどかけなかったけど‥
あ~あ‥途中、タイトルなんで描いておかなかったんだろう。
そんなこと言っても仕方ない。面接は長くて一人10分程度らしい。長々と説明はできない。一番言いたいことは整理できた。これだけ言えればいいや!ということ。それだけは言って帰りたいと思います。

Feeling is believing

2005-12-19 01:03:01 | Weblog
 いつからだろう、自由に絵を描けなくなったのは…
小学校3、4年生の時に「パン工場」を見学&写生しに行った。
その時はキャットウォークのような所からベルトコンベアやパン生地をこねる機械や緑の床タイルなどを見下ろしてスケッチをし、確か教室で着色したような気がする。とにかく好きなように描いた。
 それが金賞をとった。といっても校内のその学年での賞であったのでたいしたことはないのだけど、その時は「この絵のどこがよかったんだろ?」と不思議に思ったので先生に聞いてみた。すると「ベルトコンベアの前に立って作業している人や機械を動かしている人などの様子がよく描いてあるからだよ」といったような答えが返ってきた。その絵はもうどこかにいってしまったのだけど、できることならもう一度みてみたい。
 それから少しずつ先生や友達から「絵が上手だね」と言われるようになった。最初は自分で絵が上手いなどと考えたことはなかったので、気が付かなかったが、どうやら私は絵が上手いらしいということが分かってきた。
 小学校~中学校では毎年行われる写生会というイベントが運動会よりも何よりも自分にとって自信を持って取り組めるイベントだった。中学生くらいになると自分でも「私は絵が得意だ」と思い込んでいるので写生会などで、「うまく描けない」と最初からあきらめて描こうとしない人や最初から丁寧に繊細に描く人をみると、「絵を描くってのはそういうんじゃないんだよ」と思っていた。要は記録じゃないのだから細かく写真のように描く必要はないということを分かっていた。
伝わるかどうか分からないけれど、絵を描くときには頭か身体か心かどこかのスイッチが入るのだ。
宮崎駿の映画『魔女の宅急便』でいうと、キキが修行に出発するシーン、「ゴーゴーキーキ」という友達の声援を背に飛び立つ直前、ぶわ~っと髪の毛が逆立つときのような感覚。
あるいは…やったことないですが、直線の道路でアクセル全開でぐわ~っと走る時の疾走感。ハンドルを握っているときの車と一体になる感じとでもいうのかな…
とにかく余計なことは考えず、その世界に入り込むことです。
 そのスイッチの切り替えが自由にできたのは中学2年生くらいまでだったかな。
それから、描けなくなった。描かなくなったというのが正しい。
絵を描くことが怖くなった。それは上手くかけない、思い通りにかけない自分がそのまま絵にでてしまうから。描こうと思って描くと何を描いても気に入らなかった。

 このスケッチは今日、上下ともに同じストレリチアという観葉植物の葉を描いたものです。絵のテストじゃないから絵を描くことのみをやっても仕方ないのだけど、空間を表現する時にどうしても効果的な絵の表現は必要で、特に陰影についての表現をカラーでやっておきたかったのだ。実際のテストでは当然対象を見ながら描くことはできないのでやったからといって不安はあるけども…とにかく色鉛筆の表現を少しでも自分のものにしておきたかった。
 スケッチの上の方は職業訓練で学んだ、色相・明度、光について理論的に考えながら描いたもの。明らかにおかしい。まるで病気にかかったような葉だ。そう思ってもうまく描けない。そこで…スターウォーズでいうところのフォースのようなものをつかってみた。つまり、感じるということ。知識を使って描くということを考えずに描いてみたのが下の方の葉だ。その結果、良く見ると粗い表現だが、最初のよりもずっとストレリチアの葉っぱだ。色鉛筆だと陰影や光、微妙な色あい、や立体感の表現がうまくできなくてずっと苦手意識があったけど、上手い人はもっと上手いだろうけど、自分なりにはよく描けた。文章でも、絵でも良くかけたと思うときは、自分のかいたものを何度もみてしまう。そんな時「絵を描くのが好きだ」と思う。
 今日改めて分かった。真っ白い紙に絵を描くということは、自分の心がそのままでるんだ。迷ってる時も、頭でっかちになっている時も、そのままでる。でも、そこから逃げずに本当にストレートにしつこく描いてみると…これだ!って思う表現ができる、あるいは発見があるということが分かった。
 私の場合、絵を描くことは好きだけど、対象を深く知る、あるいは伝える手段として描くことが好きなんだと思う。子供の時は上手い下手関係なしに純粋に描いてきた。純粋に描くことを楽しんでいた。いつからか、自分は上手く描けるんだと過信して技術を磨くことを怠ってきた。社会で絵をかくことのみで生きていくことの難しさと意義を見出せずに放っておいた。
 でも、やっぱり私は絵を描く自分が好きだ。それは自分を信じ、向き合っているということと同じだからだ。それくらい、私にとって絵を描くことや表現することは自分らしくあるために必要なことなのだ。
 このスケッチが物事をみる時は表面的なことじゃなくて、心で感じ、捉えなさいといっている。それが「みる」ということだと。これは私にとっては大きな発見だった。そして、少し自信がついた。
 もう日付は19日、試験前日となってしまった。
後悔のないように、試験を楽しんできます。

デザイン

2005-12-15 04:38:56 | Weblog
 今までずっと一人で製図や過去問の作図をしていたのだけど、12日に職業訓練でお世話になった先生にこれまでやった過去問の課題を見てもらった。

 計7枚。3種類の課題を2、3回ずつ描いた。
当然7枚目に描いたのが3時間ジャストで描けたし、評価されると思っていたら
「一番最初のがいちばんいいよ」と先生に言われた。
 建築にあまりとらわれないで描いているし、言いたいことが伝わってくる、と。
あとの多くは、確かに「建築」っぽくなってるけど、技術が未熟なぶん幼稚に見えるらしい。
必要なのは発想力と表現力ということらしい。あと、このデザインテストは一見論理的でないようで実はとても論理的だといっていた。論理的に考え、イメージを膨らませてそれを論理的に絵にして表現する。

 紙芝居や絵本のような感覚に近いのかしら。
こんなの建てられないよなーという考えを捨てる必要があるらしい。
「こんなものいいな、できたらいいな、あんな夢こんな夢いっぱいあるけどー」
ドラえもんの道具のコンセプトはものづくりの発想の原点ですね。
  
 理工系の学校を受けるよりも希望が見えてきたけれど、今日は15日、あと5日。
ああ、もうやるしかないんだな。
だめだったら、どうしよう…
落ちたらこうする…ということを考えているようじゃ多分この先何をやっても続かないんだと思う。

 午前4時、森山直太朗を聴きながら、やはり夜型に戻ってしまった。

うちのワイちゃん

2005-12-12 10:14:22 | Weblog
 試験まであと1週間、気持ちばかりが焦ってこの12日間があっという間だった。
 いろいろと考えたけれど、やっぱり朝はちゃんと起きて夜寝て、質のよい睡眠をとり、栄養のある食事をとって、仕事と遊びのメリハリをつけて、というリズムのある生活を送ろうと思った。ただ焦って悩んで不安になってだらだらと過ごすより、ずっと能率がよさそうだからだ。
 
 朝の光を浴びると気持ちが前向きになる。今日も一日がはじまったぞーって体で感じる。午後目覚めるとどうも出遅れたような気持ちになってしまう。

 今日は2、3ヶ月ぶりに去年買ったワイルドストロベリーの鉢の手入れをした。枯れた葉や黄色くなった葉、ナメクジにやられた葉や実に風に舞った犬の毛がからまっていた。いつも手入れしなきゃと思いつつやらなかった。でも、ぜんぜん見てやれなかったのに、けなげにも元気に実をつけ、花芽をつけてくれているのに感動した。
 手入れをして、表面の土を軽く耕してジョウロで水をやったらワイルドストロベリーはとてもさっぱりして気持ちよさそうにしていた。植物はパワーをくれるなぁ。ワイちゃん(友達がそう呼んでいた)ありがとう。


なぜ、「なぜ」と考えるのか

2005-12-10 22:40:00 | Weblog
 建築の道を志すと決めてから1ヶ月足らずで、おでこにふきでものができるようになった。
 特に12月1日から本格的に試験勉強を始めてから現在に至るまで、その状態は悪化の一途をたどっている。

 なぜ?

 生活が不規則になっているから。
 本当にそうか?
 ここ最近の就寝時刻は
 4:00
5:50
7:30
3:30
5:00
6:00
2:00
3:30
8:30
 睡眠時間は平均6時間だが、10時間寝てしまう日もあれば4時間寝て2時間昼寝をする日もある。

 食生活は?
 バラバラだ。間食も多くなった。
 運動は?
 家で勉強をしているので殆どしていない。
 肌のお手入れは?
 外出をしないので簡単に済ませている。念入りに保湿などをしていない。精神的な余裕がない。

 おそらく不規則な生活、社会生活を送っていないことなどの問題が私のおでこのふきでもの(20歳をすぎたらにきびって言わないんだって)として表出しているのだ。

 なぜ、「なぜ?」と考えることが重要なのだろうか?
 なぜだろう、と考えるきっかけは解決したい問題がそこにあるからだ。それを解決したいという動機が強ければ強いほど、なぜ?なぜ?と考え、問題解決のために試行錯誤をし労力を費やし、行動する。
そして新しい発見を生み、新しい成果を手にする。もちろん失敗もその成果のうちとして考える。
 
 ではどうすればその問題を解決したい!と思うようになるのか?

 私のふきでものの場合、治したいと思うからなぜ?と考える。
なぜ治したいのか?女性として美しい肌を手に入れたいから、異性に好かれたいから、自分の美意識として許せないから…という動機づけがあるから。
その気持ちを今の勉強よりも優先させるならば、問題を解決するために行動すればいい。
 今のふきでものに対して問題意識をもちつつも解決に乗り出さないのは間近に控える試験の勉強を優先させているからであり、それはそのままでよい。

 という結論に至る。

 なぜ?と考えることによって物事をより深く客観的にとらえることができる。
頭のなかで漠然と考えるよりも思考が明確になる。思考が明確になることによって自分の意見というものの軸ができる。そうすることで人との会話の中で自分とは違う意見や考え方の人とも自信をもって自分の意見を言うことができる。もちろんそこでは新しい見方を学んだりすることもできる。そうすることで成長できるし、人間関係も豊かなものとなる。

 ではなぜ、「なぜ」と考える必要があるのか、あるいはどんな状況で「なぜ」と考える思考がうまれるのか。

 前置きが長くなりましたが…それは、自分しか向き合う人がいないときではないかと思うのです。
 つまり、自問自答しているとき。自分について考えるしかなく、自分しか頼る人間がおらず、自分を育てねばならない状況になったときにこそなぜ?という疑問の答えが、自分の目や頭を通して見える外の世界から得た刺激をもとに、返ってくる。
 
 私は今、社会的にはどこにも属していない。
両親の家に住み、その一部屋を借り、住宅設備を使い、食事をまかなってもらっている。働いていないので、収入もなく、貯金もない。当然、人との直接的なかかわりも減る。お金が必要ならもう今すぐにでも仕事を探さないといけない状況だ。勉強できる時間は限られている。

 一人旅にでて知らない土地にいるわけでもない、自分の部屋で毎日「できない自分」と向き合い、逃げ出したくなったり、なきたくなったり、逆にやる気になったりしている。家族はいるけれど、家族は家族であり、自分の人生に責任を持ってくれるわけではない。答えは自分の外にあるわけではなく、自分の中にあるのだということがわかった。そこでなぜ?と考える必要性も、実感として理解することができた。
 
 何かに行き詰ったらしばらく一人になるのがいいのかも。排他的になるというのではなく。そこで自分というものを見つめて、とことんいって、色々と工夫して、見えてきた答えがきっと自分の行動を決める。もちろん全部自分で決める。人の意見を参考にすることは大切だけど、決めたことに責任をもつ…私はここが甘い。

 ただ、そうやって考える起爆剤となる刺激に出会うことは広く外の世界を見渡していないとありえない。日本産業の空洞化や、若者の学力低下などについて、私個人のレベルと比較対象とはならないのかもししれないけれど本質的には共通する問題やテーマであると思うのは私だけかな。

 …なぜ?勉強しなければいけないこの時にこうしてブログを書いているのか。
書きたいから…、書くことで自分の思考を客観的にみて整理することができるから。後は…やはり向き合いたくない自分が居るから。面倒くさい、逃げたいという自分もいるんだろう。
 
 ありのままの自分でいるということで感覚を研ぎ澄ませることも、発想力を求められる試験をクリアする上では必要で、ブログを書くことはそれを達しうるから?

 なーんて、…これから第2ラウンド開始、勉強します。

山小屋

2005-12-09 18:45:15 | Weblog
【デザインテスト過去問題】(3時間)
 八ヶ岳山中に建築面積25~50㎡程度の山小屋を建てたいと思う。設計図をかきなさい。平面図、断面図、立面図、そして周辺の状況を添えた外観図の各種を解答用紙1枚に収めなさい。縮尺は1:50、着彩は自由です。なお山小屋の特徴、材料、建てる方法など文章で記入してください。

 昨日まで製図のテキストを使って平面図、立面図、断面図を描く練習をしていたのですが、いざ、問題をやってみると…3時間じゃ終わらない。

 まず、プランニングの最初の段階、敷地の状況が想像がつかない。
八ヶ岳ってどこの山?なるべく予備知識なしの状態でまずチャレンジしようと思い、やってみたけど、正直この問題を見たとき八ヶ岳がどの県にあるのかわからなかった。
 大学の卒業旅行で屋久島へ行きトレッキングをした時のことを思い出して描いた。でも思うような表現ができない。
 そしてその山小屋って誰が使うの?どんな用途?そこからまず考えねばならない。
材料、建て方については、山の中に建てるのであれば周辺の自然環境との調和を考え、軽量で伝導率が低く、断熱効果の見込める木材を材料とし、在来軸組構法を採用した。というより今自分の勉強した範囲はそこまでだから使うとしたらそれしかない。

 結局この課題は約5時間半かけて平面図と外観図まで描いてやめにした。
時間かかりすぎ。
 プランニングで1時間
 平面図で3時間半
 外観図で50分
恐ろしい、昼からやっていたのにあたりはもう暗い。
なぜか2階建てにしてしまった。車椅子で入れるようにしようと思いつき、スロープと別の入り口と広いトイレをつくった。描いているうちにアイディアがでてくるので描いては消し描いては消し…を繰り返して3時間半もかかったんだ。
平面図もずっと1/100で練習していたので1/50の尺度の感覚がつかめなかった。

 うあーーー、できない自分が図面によくでている。
junさんがコメントをしてくれたように、いろいろ考えすぎて結局なにがいいたいのかわからない図面になっている。というかこれじゃあ試験に通らない。
八ヶ岳と山小屋と木造についておさらいしてから、もう一度やってみよう。

 表現力と想像力と本質を見抜く力、そして構成力…
あと10日だよ、どうしよう。
うあーーーと叫んでいたら親に怒られた。

「愛」について考えるゼミ

2005-12-08 01:47:14 | Weblog
 大学2年生の時、今年はどの講義をとろうか迷っていたとき、教養セミナーというゼミナールの紹介文に書いてあった一文が目をひいた。
面白そうだと思って履修することにした。
このゼミでは主に小説などの文学や哲学の中における愛について記述されているものを読み、「愛」とは何かをみんなで考えるというものだった。
ストーカーや幼児虐待などの社会問題をとりあげたり
『スプートニクの恋人』(村上春樹・著)を教材としてその中に描かれた愛の形について論じた。

 今日はこのゼミの担当だった先生に会ってきた。
というのも今度受ける試験当日に作品(論文または近作、日ごろの成果を収めた作品集)を提出することになっており、私はこのゼミで書いた論文を提出しようと決め、それが私の作品であることを証明する書類に先生のサインをしてもらうためだ。
 3・4年に入るはずのゼミの入室試験に落ち、結局ゼミに入らなかったので卒論を書かずに卒業した私にとってここで書いた論文が唯一のものだ。

 昨日久方ぶりに先生にアポをとり、今日は1・2年に通った校舎へ行ってきた。
新しい校舎ができており、ちょっとこ洒落た雰囲気になっていた。

 先生は変わっていなかった。そして左手の薬指に指輪が…
「やったわ」と言う先生、相変わらずお茶目でかわいいです。
学生時代は空振りの片思いや失恋の連続でぜんぜんエンジョイできたほうではないと思うけど、やっぱりここには私の居場所があって、19、20歳の思い出がある。
先生は再会をとても喜んでくれた。私にとっていつまでも先生は先生だ。
 
 あーあ…
 愛ってなんでしょうね?
今日はずっと一日中受験の関係資料を集めるのに都内を回っていてくたびれたので少し休むことにしました。
だからこうやってぽっかりと疑問がわいてきました。
 
 人を愛するってどういうことなんだろう。
私は…愛すべき人がいるということだけで幸せなんじゃないかと思います。たとえそれがかなわない恋愛や届かない愛であったとしても。
愛だの恋だのって普段あまり真剣に考える機会は少ないし、そんなことよりまずはやるべきことをやるっていう風に普段は急ぎ足で通り過ぎてしまうテーマだけど、人として生きる上で基本となる、この世界で一番大切な感情あるいは心なんじゃないかと思う。とても直感的で主観的ですが…このテーマはたまにブログに書きたいと思います。

 さいごに、今日は職業訓練でお世話になった先生にも書いてもらう書類があり、会いにいったら、なんと課題をみてくれると言ってくれた。またあと何作か自分でやった課題をもってまた東中野へ行く予定だ。