風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

うまくいかない

2006-04-24 02:08:22 | 徒然
 先週末から体調が悪かったのだけれど、単なる風邪だと思っていた。
2~3日で自然治癒するさと高をくくっていたら、咳がとまらなくなった。
水曜、木曜あたりは咳がひどくて夜中に目が覚め、殆ど眠れなかった。
たんも黄色っぽく、よくない予感がした。

ちょっとおかしいな…と思い、家にあった『家庭のお医者さん』なる本を開いて自分の症状をチャートに当てはめて追っていくと…急性気管支炎のところに行き当たった。

 大きな病気をしたことのない自分の健康状態に一抹の不安を抱きながら居間へいくと、ぐうたら寝転がってテレビを見ている父がいた。「咳がとまらないんだけど、ここでタバコ吸うのやめてよ」というと「は~いはいはい」と適当に返されたので一人、哀しくなっていた。
でもその後すぐに、私が本当に咳込んでいる様子を見て父は不安になったのか、急に真面目な顔で「おい、本当に咳がとまらないのか、病院にいったほうがいいぞ。午前中病院へってから会社にいけよ、だめだとは言わないだろうから」なんて言った。
そうそう、いつもそうやって優しくしてくれればいいのにね。一応、娘なんだから。
 
 そして20日の木曜日、職場の上司から許可をもらって午前中に病院へ行った。
好都合なことに、現場から徒歩2分の場所に内科のお医者さんがあったのだ。
正確には病院ではなく診療所で、『市民が推薦する信頼のできるお医者さん』という市民のアンケートに基づいて作られた、良いお医者さんリストの冊子に載っていた。ちなみに私の通っている歯科医もこの本に載っているお医者さんで、相当遠くに引っ越さない限り、ここに通うのだと思うほど頼りにしている歯科医である。
 
 初めてかかる内科医は現場から近かったので、診療所の門の前は以前から頻繁に通っていた。全然、診療所という感じじゃないんですよ。邸宅といったほうがいい。
立派な門に、木々に囲まれた広そうな敷地、その木々の中に古くて品のある白い建物がひっそりと建っているのが外から見えていた。そこから黒塗りの車がでてきてもおかしくないような、そんな雰囲気が漂うところなのです。
 どきどきしながら敷地に入ってみると、建物は古い診療所といった感じだったので、少し安心した。そして待合室は混んでいた。
受付を済ませて、椅子に腰掛けて待っていると窓の外に見える景色は緑・緑・緑…そしてツツジのピンクがちらほらと見え、なんとも癒しの空間だった。
待合室の中にはそこかしこに観葉植物があり、玄関先や診察室の入り口付近に150センチはあろう見事な観音竹が3鉢も飾ってあった。
建物もケミカルな感じは殆どなく、特に受付の台は木、壁面は石が張ってあった。薄暗いとはいかないまでも、照明はそんなに明るくなく、ちょっと古めの図書館のような明るさだった。昔からの建物を大切に使っている感じがした。
 さて、診察室に入って少し待っていると、お医者さんらしき人の声が聞こえてきた。声からして、なんと、おばあちゃん先生だ。しかもしゃべり方が上品で、豊かで、女優さんのよう。パーテーションの奥で私の前の患者さんを診るおばあちゃん先生への想像が色々ふくらんだ。診察室にはこれまた豪華な8本立ての白い胡蝶蘭が飾られていた。今までこんなに豪華な胡蝶蘭はみたことない。推定…5万はするな、もっとかもしれない。他にもカーネーションの切花やデンドロビュームの鉢植え、ガーベラのフラワーアレンジメント、シャコバサボテンなど…植物が沢山飾ってあった。
 「次の方どうぞ」
 そう呼ばれて、ゲホゲホいいながらパーテーションの奥へいくとそこには、
着物の上に白衣を着て、お化粧をした、綺麗なおばあちゃん先生がいたのだ。
私は感動してしまった。まるで純文学の世界に迷いこんだかのようなそんな錯覚に陥るところだった。そんな診療所と、この先生に会えたことがとても嬉しかった。
「じゃあちょっと心音を聞いてみましょう」
前、後ろ、洋服を捲り上げると先生は私の下着を見て「まぁ、素敵」とコメントした。
「ちょっと背中で音がしますね」

その日は血液を採って、次の日その結果を聞くことになった。
そして薬は全部で5種類、中には漢方の薬もあった。
「わたくしも先日風邪をひきましてね、この薬がもう…まずいんですよ。
まずいんですけれどね、効きます」

 翌日、また上司に断って1時間ばかり抜け出し、診療所へ行くと
「ほんださんはね、いいですね、特に結核や肺炎という心配はないようです。
ただ、ちょっと疲れているのと、お若いのにウィルスに対する防御力が低いようですね。暖かくしてゆっくりお休みになってください」という結果だった。

 そしてまた心音を聞いてもらい再び「まぁ素敵」と下着へのコメントをもらった。
「私達が若い頃はレースの下着っていうのはそれこそ10円とか15円とかしましたのよ。今でいったら5~6万円っていうところかしら。そのころはそんないい生活できませんでしたからね、憧れが…ホホホ」
お茶目な先生…私はこのひと時に大変癒されましたよ。まさか下着について何か言われるなんて思ってもいませんでしたしね。
こんなユーモアのある人柄、普段から着物を着る習慣、なんて素敵なんだろうと思いました。そりゃ慕ってくる人も多いでしょう。
生活がどんなに便利になっても、どんなに医学が進んでも、根本的には人間は昔からそんなに変わっていないんだろうし、病気や健康に関することも変わらないのだろうと思った。
「薬を飲み終える頃には良くなっているでしょう。今度は胆がでるとか、症状が変わってくるかもしれませんから、そしたらまたいらして下さい」
そんな時にこういう診療所と自分がいいなと思える医師に出会えることは幸せなことだと思った。薬と土・日よく寝たお陰か、だいぶ咳もおさまった。

 あとは溜まった疲れをどうとるか…体の疲れと精神の疲れ。
「体が少し疲れている」と先生に言われてちょっとショックだった。
自分では薄々感じてはいたものの、本当にそうだったなんて。
確かに、最近少し自分を見失って焦っていた気がする。
気持ちを整理して、目標設定しなおさないとな。焦ってるのかな。
自分にとって今が一番充実しているといえるのは確かなのだけど。

クヨクヨする時間

2006-04-19 01:01:36 | 徒然
 今日はなーんだかミスを連発して、空回りの一日だった。

帰りに駅前のカフェで90分くらいクヨクヨしていた。

本当はもう今日は1時間、とことんクヨクヨしようって思っていた。
「悩んでる暇があったら次の行動へ移せばいい」とか
「笑顔が大事だ」とか頭では分かっているんだけど気持ちが追いつかない。
街灯のない暗い路地に逃げ込みたい気持ちというか。
でも、自分の弱いところってここだなぁって思う。

 試行錯誤して悩むんじゃなくて、「ああすればよかった」「あの人にこんな風に思われた」とか「仕事ができないと思われたんじゃないか」とか、クヨクヨといつまでも自分の失敗を自分で責めることで苦しんで…結局なかなか前に進まないというのが今までの自分のパターンだった。

 でもここでうずくまってたのが今までの自分だって分かってるから、
同じことを繰り返したいくない。
強くなりたい。
だからもう、思い描くようにスムーズに仕事ができなくて、整理できなくて凹んでいる自分をいったん受け止めちゃおうと思いました。
「じぶんはこんなはずじゃない」なんてクヨクヨしている今の自分を認めないっていうのは苦しくなるだけ。まだまだ精神的に弱いなぁ
そんなこと言ってたって、過ぎた時間は取り返せない。
どんだけ失敗を悔やんでも始まらない。

 ん~寝よ!

お引越し

2006-04-17 13:36:09 | 徒然
 今日は現場事務所の引っ越しのため、午後出なのだ。
今まであった事務所の場所は駐車場になる。だから隣りの敷地に事務を移転するんだけど‥、
引っ越しと言っても事務所のプレハブをユニットごとにクレーンで吊って、どかっと新しい場所に移してまたジョイントするんですよ。
ダイナミックだわ~。
というわけで、その作業が終わってからじゃないと現場で仕事ができない。内装監理室は表向き今日一日休業なわけです。

私はここぞとばかりに午前中に区役所の保険年金課、課税課へ行ってきた。
自分で手続きを踏むって大事だな‥と実感した。
今まで、今自分は年金や税金の制度の中でどんな位置付けでどんな支払い状況なのか‥ピンとこなかった。自分のことなのにな。

これからは公的な書類や重要な書類についてファイルを作って管理しよう。
んで早速、駅ナカの無印で紙ファイルを買いました。
これ、シンプルなデザインでいいですね、しかも158円で3冊入ってる。

 関係ないけど、現場の女の子たちと第一回魔女会を開くことになり、
「エスニック料理のお店でいい?」とメールが入ってきた。
そこでエスニックってどんな意味だったっけと疑問が浮かんだので、
とりあえず携帯の辞書機能で調べてみると…
そしたらエスニックはでてこなくて、「えせ・似非」という単語がでてきた。
(というより、国語辞典じゃなくて英和か和英で調べればいいんだよなと後になって気付いた)
そして使い方に「えせ紳士」って書いてあった。
これ何かの文章に使われてるのかしら?聞いたことないけれど。
‥つい思い浮かんでしまう人がちらほらいたりして。
もっともな顔していい加減なことを言う大人の男性に出会ったら、使えるかもしれないな。

 さて、いざ現場へ

 ちなみに…エスニックは「民族的な」という意味だそうです。
エスニック料理というと、ベトナムやタイ、韓国、インド、メキシコなど主に東南アジアの地域の郷土料理を指して使っているけれど特定地域のことを指す意味はないようだ。日本料理だって、外国人からみたらエスニック料理になるのよね。
でもアメリカやフランス、イタリアの料理はどうしてエスニックと言わないのかしら。高級だからってこと?そこにきて民族料理というと発展途上国のイメージを浮かべてしまうのは差別的なのかな。これって「エスニック料理」という言葉の使い方を改めたほうがいいんじゃないのか?と思った。

8年間のロスタイム

2006-04-16 22:14:47 | 徒然
 今週末は寒かった~。

最近の不摂生がたたってか、金曜日から風邪っぴきになってしまいました。
って今さっきまでは「自分はノロウィルスにかかっているかも」と、自分の軽い風邪の症状からそういう疑いを持ち、ブログの記事に書いていたのだけど、特に根拠もないし、そこまで書きたいことじゃないな・・・と思い直し、やめました。

 
 さて、週末はもっぱら家で一人で過ごしていました。
不調なりにも動けたので近場に買い物に出かけたり、植物を植え替えたりして・・・なかなか有意義な時間の過ごし方だったと思う。

 最近本当に少しずつ自分のペースで生きられるようになったのかなって思う。
というのも、先々週あたりにやっていた細木数子の『ズバリ言うわよ』という番組でニート100人が集められていたんだけど、そこでニートと呼ばれる人の言っていることで「わかるな…」と共感できるところがいくつかあったのですよ。
その番組に出ていた人は「俺は絶対に働かない」なんて言い張っている人もいたし、この状態から脱したいと言う人もいたり様々だった。
 でもあるニートの女の人の一日というVTRで午後14時くらいに起きて、料理と呼べないくらい簡単な料理を作って食べ、漫画やテレビを見て、午後20時には寝る生活を映していて…
「私も下手すればこの状態になっていただろうな」って思ったんですよ。
 なんていうか、とにかく眠くてでもやりたいこともなくて、お金もなくて、でもお腹は空くからとりあえず食べて寝るっていう・・・そういう「ただ生きているだけ」っていう虚無感にとらわれるような状態に陥りそうになったことあるもの。
現実と向き合うのが怖くて、こうありたいという自分の理想と、できない自分のギャップを受け入れることができなくて、でも孤独で不安で、でもすぐには状況が変化するわけでもないという状態。

 細木数子が言い放ったセリフは忘れられない。
「この子たちはね、自分が何のために生まれてきたのか、何のために生きているのかわからない人たちなのよ」・・・本当にそうだと思う。私もそうだった。

前にこのブログに書いたけど、私も「つまづき型ニート」に分類されるような時があった。
私は働きたいという意思はあったし、NEETは定職につかず、就業のための教育を受けているわけでもなく、職業能力の訓練を受けているわけでもない、働く意思のない人のことだから、正確にはニートではないのかもしれない。
でも、ちょっと矛盾するようだけど、暇にしているより誰かの役にたちたい、色々できるようになりたい、働きたいと思う反面、何のために社会に出て働くのかという意味がわからなかった私はニートだったと呼べるのだと思う。

 自分は何のために生まれてきたのか?
 生きていることに何の意味があるのか?

 特に浪人生、大学生の頃にはよくそんなことを考えてた。
今思うと暗いなぁって思うな。
でも、何で働かなきゃいけないのか本気で分からなかった。
だから就職活動もうまくいかなかったし、仕事の能力につながるものとしてアピールできることもなかった。

 何で働くの?就職活動しなきゃいけないの?
 ゆくゆくは自立しなければならないから。
 なんで自立しなきゃいけないの?
 親にいつまでも面倒見てもらうのは人としての道に反するから。もうそんな歳じゃないから。
 じゃぁ何をしたいの?どんな仕事をしたいの?
 分からない。
 これだけは頑張ってきたこと、好きなことって何? 

 … … …ない。

 ちょっと絵が得意、ぐらい。
 マーケティング、ビジネス、建築、インテリア、広告、表現、
 そういうことに興味はあるけど、特に得意分野っていうものはない。

そんなんでしたよ。
勉強も全部中途半端だった。
だからね、積み上げてきたものがない。
何か一つこれはやったぞっていう、トコトンやってきたことがない。
それに気が付いたとき、というかそういう自分にぶちあたったのが大学3~4年生の就職活動からつい最近、去年の暮れまでだったのだと思う。
大学を卒業してからずっとバイトや正社員で働いてはきたけど、
ずっと、そのままの自分で受け入れてもらえることが確実な場所にいた。
つまりいい人達の中にいたってこと。
特別な技能や能力がなくてもやる気さえあれば、認められる場所。
その中で私なりには頑張ってきた。
だから沢山のいい出会いがあったし、それはかけがえのないものだと思う。
でも、そこで自立ということを意識していたかというと・・・
そうじゃないかもしれない。親に負担をかけたまま、描いていた自由だった。
生きるために働く。そこで社会人の責任を果たして自分で税金を払って、そこで初めて本当に自由に羽ばたける羽が生えてくる・・・ってわけですが、
それに気が付くのに、・・・高校を卒業してからもう8年、それだけの時間がかかったってことです。8年です。
長かったな。生きる目的を見失ったままそれでもそれなりに楽しく過ごしてきた8年間。楽しかったな~って言いたいけど、一つ言える事は、ずっと自分に自信が持てなかったっていうことだ。

 でもね、今は違うんですよ。
まだ完全じゃないけど(国民年金の支払いは去年の11月から支払いの猶予期間をもらっているから)、まず生きるためにちゃんと働こうっていう腹がきまってる。
それからやりたいことをやろうって。
それから、責任という言葉の重みが分かるようになった。
仕事ひとつとっても、コピーとりでも何でも、前はだいたいこんなもんかな?という感覚でやっていた。それがきちんと確認してこの仕事は責任をもってやりましたといえるように、一つひとつの作業を丁寧にするようになった。

 それを積み重ねていくうちに、自信を持てるようになるんだろうと思う。
少なくとも数ヶ月前の、色んなことに迷っていた自分よりは、胸を張れる。
あとよく「ほんちゃんはもっと社会でもまれたほうがいい」と言われたんだけど、今はそう言った人たちの気持ちが分かる。いい人ばっかり、自分の理屈や正論が通るところばかりじゃない、社会にでてみて自分の出し方を考えるようになった。
バカ正直に生きられるほど、社会は甘くないんだと思った。
バカ正直に生きるっていうことは、自分の至らないところや未熟なところも全部さらけだして、人に迷惑をかけてもなんでもありのままだからしょうがないでしょって、周りに甘えてるってことであるんじゃないかと思う。私はバカ正直だから、理解してくださいって。哀しい時には泣いて、楽しいときには笑って、辛いときには思い切り辛い顔しちゃってね。そういうのが通らないのが仕事で、そのことを受け入れるキャパが必要なんだなと思いました。
 あとは、自分がしっかりしていないと、知らないところでどんどんお金は吸い取られていく仕組みになっていたりするんだなって思った。そして、それに気付かずお金に対する感覚が鈍ったままでいると、損をするだけじゃなくてモノを創る想像力や創造力、無駄を省くセンスが失われる。必要なものはなんでもお金払って買って済ませればいいや、になる。

 それは今の私にとって一番怖いことだ。

 細木数子はニートたちにむかって「仕事はどんな仕事でもいいから、働きなさい。そして最善を尽くしなさい」と言った。
「今ならまだ間に合う」と。
私にはその言葉が、胸に突き刺さった。
そう、8年のロスタイムは長すぎたけど、まだ間に合う。
仕事のスキルや社会経験を積む時間としてのロスタイムなだけで、そこで見つけたものや出会った人々は私にとってはかけがえのないものだ。
ただ周りは素晴らしくても、自分が成長していなければ意味がないわけで。
だから仕事をして、お給料をもらって、公共料金を払って、
自分が生きるのにかかる費用をちゃん負担した上で自分を磨く。
そのリズムができつつある今日このごろ、普通で当たり前のことができなかった自分を懐かしく思うのであった。

 細木数子の番組を引き合いにだしたけど、私は、細木数子は好きなところとそうでないところがある。占いに頼っているわけでもないし、特に信じているわけでもない。一時ははまっていたけどね。でも、その回を見ていていいことを言うなーと思った。

 前よりお酒を美味しく感じるようになったのは気のせいじゃないはずだ。

ぐでんぐでん

2006-04-13 23:36:03 | 徒然
 二日続けて飲み会だった。

昨日は内装監理室の室長と私の上司とその上司の4人。

今日は昨日の上司とその上司、それから現場の設備、電気、ゼネコンの長+ご意見番の方、そしていつも明るいチアリーダーの女の子と飲ませていただきました。

うー…まだふらふらする。

今日の反省、
私は内監の名札を作ることを命ぜられてるのだが、そこで使うロゴをメモリースティックにコピーしてくれるというので、上司に「クリップ貸してみ」と言われた。
そこで私は本当によく書類を留める金属のクリップを渡したら、
上司はそれをUSBに差し込み、そのクリップを私に渡してくれた。
「ほら、これに入ってるから」
「君たちはなにをやってるの」と室長からのツッコミが入った。

私は本気でぼけていたのだが、ノリツッコミをしてくれた上司のお陰でボケとツッコミという形ができあがった。

…やばい、私はものを知らなすぎる。心の中では青くなっていた。

 それから今日はうわさには聞いていたゼネコンのお偉いさんと飲んだ。
その方は九州男児だそうで、もうかなりの暴れっぷりだったけれど、みなさん下に下にという感じでその方を立てていた。私はさすがだなぁと思った。

前に父に「飲み会の席では女の子はどう振舞ったらいいの?」と聞いたときに
「単純にその場を楽しんでいればいいんだよ。多少緊張しているっていうのは好感を持てるけど、気を遣いすぎてあまり楽しんでないっていうのはかえってよくないよね」
と聞いていたので、今回は私も飲ませていただくことにした。

生ビールと日本酒熱燗1合半…結構やけっぱちで飲んだ。
お陰でその場は盛り上がったけどね。
これが毎週だと身体がもたないけど、みんなが楽しそうにしているのを見ているのは私も楽しい。でも明日大丈夫かな。

勉強したいこといっぱいあるのに…
今日も上司からCADで「ここの面積はかれる?」といわれて、はいとは言えなかった。
悔しいぞ。仕事はサクッと終わらせて、やりたいことをやる時間を少しでも多くつくる。勉強の時間を多くする。・・・社会に出るとそういうのって難しいんだなと思った。
今とてもお酒がまわっているけれど、面積の求め方くらいは勉強しよ。
これで「ほんちゃんにこんなことできるわけないじゃん」と言われるのは癪に障るし、まずこのアルバイトを次の仕事につなげないと・・・

 スケッチをしたり、本を読んだりそいういう気持ちのゆとりはいつになったらもてるのかしら。
でも昨日は初めて現場の建物の中に入った。とても刺激になった。これがロックウールだとか、これが軽量鉄骨だとか、現場にいるうちに勉強しないと損だ。





「小心者」は言い訳にならない

2006-04-11 23:38:26 | 徒然
 はぁ~

前向きに人生歩んでいかないとな~

内装監理室では現場事務所のゼネコンの所長や電気、設備会社の主任が来て打ち合わせをしたりするんだけど、その人達の背中っていうか、しょってるものっていうのは大きいんだなと感じる今日この頃。
みなさん、いい人なだけじゃなくて厳しい。それぞれの企業の代表として現場の所長、主任を任されているわけだよなと思う。
だからその仕事ぶりを見ているだけでもすごく勉強になる。
気が引き締まるというか・・・冗談を言っているけど、締めるとこしめるというか、仕事のことは厳しいみたいなね、そういうメリハリのつけ方なんか、とてもためになる。
こういうのって学校じゃ教えてくれないことだし、社会に出て肌で覚えていくことなんだろうな。もちろん学生のときからこういう切り替えができている人もいるのだろうけど。
馴れ合いにならないこの適度な緊張感のある現場の関係や雰囲気はとても好きだ。
といっても、色々とうまくいってないところもあるのだろうけど。
私なんて、空回りしてるかもしれないし・・・もっといい動き方効率のいいやり方があるんだろうけどどうすりゃいいかな?と常に考えていて、結局まだまとまってない感じだ・・・。

 今日の反省(昨日のことも含め)

 1.施主さんからの電話の取次ぎで、打ち合わせ日時の設定について
   日時だけじゃなくて、どんな内容か、どんな人が来るかをいっぺんに
   聞いておけばよかった。

   あとで上司に報告したら「で、それは誰が来るの?」と聞かれて答えられず、
   また施主さんに電話をすることになり、その時打ち合わせ参加メンバーについて
   聞いたときに身内の人のことを「あと、○○さんですね」と「さん付け」
   して言ってしまった。
   それを聞いてか、施主さんからはちょっとムッとした調子で
   「さっきも電話で話したんですけどね」と言われてしまった。
   おっしゃるとおりです。一度の電話で済む話だったんですもの。

   更に今日、その施主さんからまた電話がかかってきた時に、担当者が不在だった。
   それで「どういったご用件でしょうか」と一言いえなかった。
   電話の内容や急ぎかどうかくらいは聞いて、担当者に電話させるかどうかの判断は
   私のとこですべきだったよな・・・。
   気持ちが一歩引いてしまってた気がする。   
 
 2.今日のテナント店舗打ち合わせのとき、現場の電気、設備の人から
   「ストーブが熱くて、もー我慢大会だったよ」と言われた。
   今日は寒かったから石油ストーブを入れていたんだけど、ストーブに近い人は
   結構暑い。そいでもってストーブから遠い、特に窓際の人は寒いという・・・
   やっぱり断熱材って大事だわと思う今日この頃なのだが、
   打ち合わせをやっているテーブルと私のいる所とでは距離があり、
   私のいたところはとても快適な温度だった。
   だから現場の主任の方々に暑かったよと言われた時に
   「すいません、暑かったですか?私のところは快適でした」と答えてしまった。
   あー、今思うとなんて自己中な発言だ。まるで自己弁護。
   最初の頃はもっと謙虚に、色々気付いていたんじゃないか。
   すごく後悔した。別に特に角がたった感じではなかったけど、
   自分の中で、もっと気を回せよ!って思った。
   気が付けることだもん、もしかして暑いかな?と感じたら行動しなよ!って
   反省しました。
   相手の立場を考える。
   同じことを繰り返さない、失敗から謙虚に学ぶ、これが一番大事。
   
 こういう後からもやもやとした気持ちになるのが一番やだ。
あの時こうしておけばよかったと後悔するのは本当にやだ。
仕事は最善を尽くす、これは細木○子がテレビ番組で言ってた台詞だけど、
本当にそうですよ、自分のやること責任をもつ。
その上でミスしたならしょうがない、素直に認める。
怒られたりするのがいやでミスを恐れててもなんもできないし・・・。

 なんか言い逃れしたくなるときってあるんだけど、そういうことばっかりじゃ自信を持てなくなる。自分はこれだけやりました、さああなたはどうなのっていう位の度胸を持つには地道な努力と地味な作業、丁寧な仕事と下調べ、積み重ねが大事なのだ。
面倒くさがらないこと、「ま、いっか」と投げ出さないこと。
適当に済ませていいことと、そうでないことがある。
優先順位を考えることが大事だ。
周りの評価でなく、自分自身の評価。
でも、盗めるところは盗む。
周りに完璧に自分の理想となるモデルが居なくても、一から教えてくれるなんてことはないのが当然、自分を高める努力をする。
周りに依存しない、でも報告・連絡・相談を大切にする。
出過ぎない、周りをよく見る、人の話をよく聴く。
気を遣うのでなく、気を利かせる。
そして笑顔。

 は~、今度は逃げないぞ。
反省する時間を持つって大事だな。

2006-04-11 00:54:26 | 京都
 京都に着いたのが6:30、真っ先に向かったのが清水寺だった。

午前中は
京都駅→清水寺→二年坂、産寧坂→円山公園→知恩院三門→平安神宮→哲学の道→法然院

午後は
三条河原町→四条河原町→京都駅→嵐山(天竜寺、渡月橋)→四条河原町→京都駅

というコースをたどった。
とにかく京都の桜はスゴイということだけが頭にあったので、
「見なくちゃなんねぇ」という思いで歩きまくった。
朝一番に清水寺と円山公園の桜を見ておいたのは正解だった。
清水寺方面のバスも京都駅からは7:40が始発だったから、
6時台から迷わず歩いて東山へ向かって良かった。

きっとこっちだろうな、と思って行くとだいたい思う方角へいけるのが京都中心部の街の便利なところだ。7:30には清水寺に着いた。

でも何より、今回円山公園のしだれ桜を見て、これが見たくて京都へ来たんだなと思った。
嵐山の渡月橋や天竜寺のしだれ桜、哲学の道、清水寺など・・・今回まわった所の桜は一番の見ごろで素晴らしかったけれど、とにかく人が多くて情緒を感じるということがあまりできなかった。
でも、この円山公園のしだれ桜はとにかくくっきりとその存在感が際立っていて、最高に美しかった。この旅で写真はデジカメで50枚くらいとった(これは携帯で撮影)けど、美しさを切り取る写真として満足いくものが撮れたのは円山公園のしだれ桜の写真、たった一枚だ。

 桜が満開で日曜日で天気もわりとよかった・・・そのためにバス停に並ぶ人の多さや嵐山の渡月橋付近を歩く人の多さ、自分も含めてカメラ片手にうろうろしている人の多さには・・・うんざりしてしまった。人を写さないように風景を撮るのが大変・・・。そりゃ最初から無理があるんですよね、みんなして見にきてるんだもの。

哲学の道より、高瀬川沿いの桜並木をのんびり歩いている時の方が情緒を味わうことができた。でも、1月に行ったときにはしーんとしていた哲学の道が賑わっていたのを見ていて春の訪れを実感したのだけれどね。
つい3ヶ月前に来たときの自分と比べた。
1月に出会った桜たちは見違えるように美しく咲き誇っていた。
でも次に行ったときは違う楽しみ方ができるんじゃないかと思う。

 あとは、ミーコの首輪につけていた天竜寺の健康お守りを天竜寺へお返しにいった。去年もらったものだったのだけど、ミーコの手術後にそのお守りを首輪につけた。命を一日でも長くと守ってもらったのだと思う。

 桜は勿論見事だったのだけど、もう一つ素敵な出会いがありました。
・・・四条河原町の路上で「あなたを見てインスピレーションでその場で言葉を書きます」という人がいて、妙に気になって私も描いてもらったのだ。
書くというより、言葉を描く人だった。
私の前に並んでいたおじさんは、どうやら東映の殺陣師さんらしく「東映」という言葉を入れてもらっていた。
なんといっても描いているお兄さんがとても素敵で私のタイプだったからっていう理由が主なんですけれどね。
よく路上で絵を売ってる人、描いている人はいるし相田みつをっぽい作風で言葉と絵を組み合わせて描いている人は沢山いる。でもお客さん一人ひとりを見てその場で一瞬で書くというんで、一体自分は人の目にはどう映るのか、そしてどんな言葉を投げかけられるのかとても興味があったのだ。

頭にタオルを巻いて、5本指ソックスをはいた大変美形のお兄さんに見つめられて緊張し・・・なおこという自分の名前をお兄さんから差し出されたメモ帳に書くと、
「なおこさん。・・・じゃ、いきます」と言われてから数秒後、お兄さんは一気に書き始めた。
でも隣でさっきの東映のおじさんが話しかけ続けるので「まちがえた・・・」だって。
すぐにもう一度一気に書き上げた。
「じゃ、読みます。

 台本どおりにいかん
 なおこの道。
 でも 
 それでよい。
 それがよい。
 うまくいかないことが
 成長の一番の近道。

 微妙ですか・・・?」

「いや、ズバリです」
正直、JRのCMに心を揺さぶられて桜を追いかけてきたものの、桜は確かに素晴らしいけど、思うように綺麗な写真はとれないし、人は多いし、疲れるし・・・なんだか今回はせっかく京都に来たのに、精神的に落ち着かないなぁ、思っていたのと違うなぁとちょっとイライラしていたところもあった。
疲れた顔をしていたんだろうな。この旅に至る経緯も顔にでてたのかな。
一瞬にしてこういう言葉をくりだせるっていうのは・・・才能なのかしら。
お兄さんは何かを感じ取り、それを表現してくれた。
バスの中や新幹線で何度もその言葉の書かれた紙を取り出し、眺めた。
そのお兄さんはチラシをくれて、それによれば私と同い年だった。

 色んな人がいるものだ。
とにかく、この言葉が書かれた紙はかなり大切な旅の思い出となった。
そのお兄さんには御代を1000円払った。
夕方19時ごろ再びお兄さんがいたところへ行ってみるとお兄さんの姿はなく、今度は別の人だかりができていた。
「7歳のジャズドラマー大我」君なる少年が大人顔負けの情熱でドラムを叩いている。
思わず足を止めて夢中になって聴いていた。
チラシをもらい、それによれば・・・天才ベーシスト(渋谷のバーのマスターが熱く語っていた)ジャコ・パストリアスバンドの看板ソリストとして活躍し、ハービーハンコック(これもマスターが熱く語っていたジャズピアニスト)と共演したスティールドラム奏者オテロ・モリノーなる人物とセッションすると書いてある。
世界最年少ジャズドラマー大我君はどうやらすごい人物なようだ。

 というより、演奏を聴いていて、7歳の少年は悔しいくらいに楽しそうに、セクシーに演奏するからこれは本物だと思った。
最後まで演奏を聴いていたら、乗らなきゃいけなかった新幹線ひかりに乗り遅れ、帰れなくなるんじゃないかとひやひやしたけど・・・楽しい一人旅でした。

桜の都へ

2006-04-09 01:28:24 | 京都
ずっと考えていたのだけど、行くことは今日決めた。また京都へ行くことにしました。
というわけで今再び高速バスに乗り、京都へ向かっている。1月に行った時とどう違うのかな。
どうやら9日は天気がいいようなので楽しみだ。京都の桜を見るのは初めてだぁ~
今回乗った高速バスでは後ろの座席に人がいないので気兼ねなくリクライニングを倒せる。幸せだ‥前回は一睡も出来なかったけど、今日は寝られるかな。
今まで行きたいと思って行った旅はいくつかあるけど、その時行くことを決断して良かったなと後になって思う。そうしないと、なかなか行く機会を逃してしまうから。
日曜日だし、天気もいいらしいし、桜は見頃だしすごい人なんだろうなぁ‥泊まらないけど一応、宿があるかを調べてみたら、京都市内の宿の空室はなかった。車中泊です。
 楽しみだなぁ‥


ミーコへ

2006-04-04 02:10:27 | 徒然
 今日は4月に入って最初の月曜日で、会社は新年度が始まり、
新入社員の入社式が行われていたりするのだろう。
今朝はそんな門出の日にふさわしい、澄んだ青空だった。

 2006年4月3日午前3時40分、三毛猫のミーコは16年の生涯を終えた。

 ミーコの誕生日は知らない。
でも最期は看取ることができてよかった。
ミーコは私の腕の中で息をひきとった。
前のブログを書いてから床に就こうとしたのだけど、
ミーコが気になって眠れなかった。
だからミーコのそばにいた。
ミーコがもぞもぞしたかと思うと「ミャン」と思いがけず鳴いたので驚いて見てみると
おしっこをしたようだった。
おしっこマットを変えようとミーコを少し持ち上げたら、ミーコの様子が急変してしまった。
呼吸の間隔が3秒に1回くらいになって、荒い感じになってしまった。
慌てて、そっとミーコを寝かせ、バスタオルをかけた。

もう瞳孔の開きかけた右目も、左目も両方開いて、はき捨てるように呼吸している。
もう行っちゃうんだと思った。持ち上げなければよかった。
でもそんなことを今更思っても仕方ない。
私もホットカーペットに寝そべって、ミーコの寝ている座布団ごとミーコを抱いた。

 ほんの数秒後、ミーコを見るともう呼吸をしていなかった。
さっきまでそこにいたミーコはもう旅立ってしまった。
ドラマチックに仕立てるつもりなんか、全然なく、本当に腕の中で行ってしまった。

よく猫が亡くなる時は、飼い主の前から姿を消すなんて聞くから
ミーコも姿を消すんじゃないかと少し思っていたけど、そんなわけないよね。
ずっと屋内飼いだったし、ミーコは家の中の世界がすべてだった。
それに、もう足腰が立たかったのに姿を消せるわけない。

 
 もう、泣きたくないのによう、涙がでるよ、ミーコ。
まだ昨日の目の腫れがひかなくて、さっきお風呂でマッサージして少し回復してきたのに。
この場を借りて、ミーコへ

 ミーコが死んでからもうすぐ1日経つけど、全然実感がなくて、
ミーコがいつもいた台所にはまだミーコの気配がするんだ。
気配がするってことはまだ、ミーコはそこにいるんだろうね。
今気がついたけど、私はこんな風にミーコに色々語りかけてたよね。
「疲れた~~~~~」とか
「かわいい~~~~」とか
「うるさい!」「静かにしなさい!」とか
「ミーコさんどう思う?」とか
「チーズ食べる?」とか
「ミーコのバカ」とか
「肉球プニプニ~~~」とか
「ミーコさん大好き」とか
あと色々、今日あったこととか訳のわからないことをミーコにぶちまけてた気がする。
 振り返ると、ミーコと過ごした時間はないようで結構あって、
ミーコと撮った一番古い写真は弟も私もまだ小学生のポラロイド写真だった。
私はミーコが家に来た日のことをよく覚えているよ。
紙袋に入って、ノミだらけで、まだ小さい猫だった。
2回シャンプーをしてやっとノミの姿がいなくなったんだ。
シャンプーをするとすんごく痩せてしまったように見えて可哀想だと思った。

ミーコにぬいぐるみ用の洋服を着せて、それがミーコにぴったりサイズで、友達と遊んでいた。
でもある日その洋服が入らなくなった時があって、ミーコの成長を感じたんだった。

 あとは…ミーコのことをよくいじめたよね。
掃除機で吸ったこともあったし、靴下を顔にかぶせたこともあった。
しっぽを洗濯バサミではさんだこともあった。
今考えると、ヒドイよね、ごめんなさい。

若い頃は全然人になつかない猫だった。
だから人なつこい猫に出会うと「ミーコもこうなってくれないもんかね」と思ってたよ。
友達にお前を紹介しても、引っかいたり噛んだりしてさ、
私としてはミャーンといってひざの上にでも乗ってきてほしかったんだけどね。

 でも晩年、2年前くらいから私はミーコと仲良しだった。
なんでだか、ミーコが気ままにしているのを見てるのが楽しくなった。
たまに気まぐれにひざの上に乗ってきたり、赤ちゃんみたいに抱っこして
揺らすと目をほそめて心地よさそうにしているのを見てると幸せな気持ちになったもんだよ。
6年前にリフォームして扉や壁がきれいになったから
そこに爪とぎをすると家族みんなでミーコを叱ったね。
でも、今はそのガリガリしてケバケバしたところもミーコがいた証で
なんだかいとおしく思うよ。

 もう、ミーコは帰ってこないんだね。
不思議とそんなに寂しくないよ。
ただ、もうミーコ柔らかくてあったかい体に触れられないと思うと寂しい。
ミャーと鳴いてくれないと思うと、やっぱりすごく寂しい。
でも、やっぱり16年も家にいたから目をつむるとミーコのシルエットがそこにあるんだよ。
布団の上にズシリと寝転がるミーコの重みも思い出せるし、
足を揃えてお行儀よくお座りしてこちらを見ているミーコの姿も目の前に描ける。
ミーコが苦しんでいるのを見ている時が一番辛かった。
ミーコは今どんなこと考えているのかな。
「死ぬ」ってどんな感じだった?
私の腕の中で数秒前まであったお前の命は一体どこへ消えちゃったの?

私は、勝手にこう思うんだけど・・・
ミーコに甘えていたんだと思うのよ。
なんていうか、私の精神的に幼い部分をミーコが補っていてくれたというか、
ミーコをはけ口にしていたというか…。
ミーコの前なら素直に泣けたし、バカみたいなこともできた。
ミーコの前では全然飾らなくてよかった。
強い自分でいる必要なんてなかった。
ミーコがいるから寂しくなかったときもあった。
そうやって私自身の気持ちのバランスをとっていたところがあるのかもしれないよ。
精神的にとても助けられていたんだと思う。

でも、おばあちゃんと同じように、ミーコも私の心の中にいて、
呼び出せば出てきてくれるんだよね。
そう思うとあんまり寂しくない。
いつまでも哀しんでるわけにはいかなし、なんか少しほっとしたところもあるんだ。

これからもミーコを心の頼りにすると思うけど、
お前のぶんも頑張って生きるよ。
最期まで、生き抜いたミーコの生き様は誇りに思うよ。
小さいのに、どうしてそんなに強いんだろうね。
ありがとうね、ミーコ。
本当に、楽しい時間をどうもありがとう。
どうか安らかに眠ってください。
おやすみ、ミーコ。

生命力

2006-04-03 03:14:46 | 徒然
 短いスパンで書きすぎですが、ミーコについて。

まだ生きている。
でもすごく苦しそうだ。

右目の瞳孔はもう開きかけており、光に反応しない。
でも左目と左耳だけはかすかに動いている。
耳をすませると、「ヒン、ヒン」と1秒間に1.5回ぐらい呼吸をしている。
ずっとずっと、今日一日ずっとそんな感じだ。
ホットカーペットの上の座布団とペットシーツの上に横たわり、
ずっと寝ている。

もう見ていて耐えられない。
苦しんでる姿を見たくない。
早く楽にしてやりたい。
どうしてそんなに頑張るんだよ、ミーコ。
もういいよ、もう充分だよ。