風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

いよいよ

2005-11-30 22:19:43 | Weblog
 今日、某美大建築学部編入試験の願書を出してきた。
締め切りは今日の消印有効だったので受けようか迷っていたのだけど速達書留で送ってきました。

 そして送る前に願書に貼る写真を撮りにいって、できた写真を見て愕然とした。
私ってこんな顔だったっけ?と思うくらいへんな顔だった。

財布の中にグリーンアドバイザーの顔写真入り認定証があったのでその写真と比べたら別人のようだった。グリーンの写真は今年の8月に撮ったもの。

たった3ヶ月足らずでこの変化はなんだろう?
どう変かというと、まず目に輝きがない。肌がくすんでる、荒れている。
ほっぺの肉がだぶついている。色気がない。
使用前、使用後みたいな感じでお見せしたいところなんですがね、
恥をさらすことになるのでやめておきます。

・・・つくりの問題じゃないんです。
生気が感じられないというか。
魂の抜け殻といった感じ。

少なくとも、自分でこの顔には納得がいかなかった。

考えてみたら8月にグリーンアドバイザーを受けたときは、自分の中で自分に挑戦していた。受験料39000円、園芸店で1年バイトしただけで特別植物に詳しいわけじゃない、事前にテキストが郵送され試験当日も持ち込み可、過去問がない、試験前の講習会の内容から多く出題される、園芸店でお世話になった上司に「絶対受かってよね」といわれた、職業訓練の大切な2日間を講習会のために休んだことなど・・・と色んなプレッシャーがあったけど、それをバネにしていたと思う。

今はどうか?
ただ、道を決められずに迷っていただけ。

これからしばらく集中して受験勉強と対策を練ります。

夕方最後のバイオリンレッスンを受けてきた。
もう殆ど通えなくなっていたので2年前に通い始めたレッスンを今月いっぱいで辞めることにした。っていうか仕事辞めた時点で通ってる場合じゃないんですよね。
最後の課題曲は『My Favorite Things』(私のお気に入り)
ご存知JR東海「そうだ、京都いこう」キャンペーンのテーマ曲。

そして最後に先生が久石譲の『Summer』を弾いてくれた。
もちろん感動したけど、最後だからこの手の動きを見ておこうと思って手元ばかり見てしまった。

 昨日は前の職場のお茶会に参加したら、いつの間にかお腹の大きくなっている人が2人もいてびっくりした。
と、同時に私は自分の生き方を考えさせられてしまった。

まさに風にふかれてぶらりと歩いていたら、さいたま新都心駅のけやき広場に行き着いて、そこは白と青のイルミネーションに彩られていた。
その光に見入ってる一瞬は時間を忘れることができた。

もうあと少しで師走だな~はやいな~

真っ白から復活!

2005-11-22 03:31:45 | Weblog
 今日は昼間1時間ばかり集中してブログを書いていたのに、次の瞬間消えてしまった。

 がーんがーんがーん…
 何度戻っても真っ白。

 デジタルの世界ってこういうことが起こる。
 怖いなぁ…1時間が一瞬にして消えるんだもんなぁ。

 さて、最近すごく落ち込んでいた。
 大学のHPを見たり専門学校の資料請求をWEB上でやったり、
 でもこのままじゃどんどん落ちていきそうで怖くなって寝てばかりいた。
 
 社会から取り残されていきそうで怖くなった。
 そう思うとどんどん焦りが襲ってきた。
 
  このままだとちょっと精神衛生上良くないなと思い、高校時代の友人に電話をしたら会おうといってくれて、
 昨日は時間をつくって会って話を聞いてもらった。
 その帰りに偶然大学の同級生カップルと遭遇し、近況を語り合った。
 そして家に帰って親に今の自分が抱えてる悩みや親への思いを話した。
 夜には学生時代のバイト仲間に電話をして他愛ないけれど楽しい話をした。

  それでだいぶ気持ちが楽になった。
 やはり一人で考え込んだり、客観的に自分を見られなくなると
 焦ったり空回りしたりしてしまう。
 そんな時はこうしてブログに自分の思いを書いてみたり、
 人に聞いてもらうことで気持ちを整理できるのだろう。
 
 私が一番ネックだったのは、今現在仕事に就かず家にいることや
これから先も親に学費を出してもらいながら学生をやることで、実社会とかけ離れてしまうということではないかという恐怖感だった。
 ついこの間、自分は自立のスタートラインにたったと思っていたのに
なんだか逆戻りしてしまったかのような、不安と恐れが襲ってきた。
 
 結局、親のせいにしている自分がまだ残っていたのだ。
私は学費を負担してもらうことで自立から遠ざかると思っていた。
一人暮らしをすれば、生活の厳しさや親のありがたみをちゃんと感じられるようになれるし、そうしたいと思っていた。
でも、実際そうするには就職して生活のお金を稼がなければならない。
やりたいことから少し遠ざかる。
貯金があれば少しは違うのに、情けないことに、貯金はない。
無計画だった。
でもなんとかなるさと思って生きてきた。
でもどうにもならなくなった。
 
  それを親にぶつけてみた。
 そしたら「お前はわがままなんだよ、恵まれてるんだな」と言われて
 正直腹が立った。
 物があまりない時代に生きている両親の世代は働いて生活用品や車などを買って
 物質的に豊かになることで満たされていたのだろうが、今は違う。
 物質的に豊かになりすぎて、あることが当たり前になっている。
 テレビだって当たり前にある。
 車だって当たり前に乗れる。
 欲しいものを手に入れるための苦労をして、勝ち取った喜びというのを飛び越えて
 そこに物がある。
 昔から欲しいといったものはだいたい買ってもらえた。
 私は苦労して働いて得る喜びや充実感というものが欲しかった。
 そこで学ぶことというのが自分で考えて生きていく力になると思った。
 私にはそれがない。
 ぽん、と買い与えられて、それに慣れてしまった自分にした親を憎んでいた。
 
 しかし、それをいつまでも親のせいにしていては自立はできないということがわかってきた。
今のままじゃ大人になれない。
そこが自分の進路を考えることよりも先に考えねばならないもっと根本的な問題なのだと思った。
 
 その気持ちも親にぶつけてみた。
 すると父は「これだけは言わせてもらうけどさ、俺たちの時代は貧しかったし、悩んでる暇なんてなかったんだよな。やりたいことっていうんじゃなくて、生活のために働くしかなかった。でもその中に自分のやりがいというものを見出して頑張ってきたんだ。だから、子供にはその苦労をさせたくないし、その分お前たちがやりたいことに時間やお金を遣って欲しいんだよ。」と言った。

 私は自分を情けなく思った。
周りにどんなに悩めることは幸せだと言われても、苦しいだけだった。
でも、父の言葉を聞いて私がやりたいようにやることは親の願いでもあるのだと、親の愛情であるのだとやっと理解することができた。
私はもっと愛情をかけてほしい、頑張ったことを褒めて欲しい、
お金なんかいらないから、ただ自分の存在を認めて欲しい、それだけでいいのにと思っていた。
 でも、私は今まで十分に愛情をもらっていたんだ。
それにこの年齢まで気がつけなかったなんて、とても恥ずかしかった。
心から、ありがとうの言葉が言えるようになった。
 
 まだ何も結果をだしていないから、いえないけど、いつか今自分がやりたいことで形になったら、ちゃんと親に感謝の言葉を伝えたい。
親からのバトンを受け継いで何か人の為となるようなものの礎を創っていきたい。それが形あるものか、それとも心なのかわからないけれど…

 そして、10日ほど前、私の友人(というと失礼かもしれない紳士で優しいお兄さん)から、知り合いに平滑筋腫という筋肉のガンの病気の人がいて、その治療法の研究費の助成を厚生労働省に求める署名活動に協力して欲しいと言われた。
 その友人のお知り合いというのが30代の女性で1歳になるお子さんのお母さんなのだそうだ。治療法の研究はあと一歩のところまで進んでいるらしいが、その方の余命は1年と宣告されていて、署名活動が認められて研究費の助成がおりても、命が助かるのにはもう間に合わないかもしれないということだった。
 お子さんはまだ小さい。
お母さんはどんな想いなのだろう。自分に子供ができて、自分の命がもうあとわずかだったら、どんな生き方をするんだろう。
でも、その方は同じ病気で苦しむ人で一人でも多くの人が救われてくれればという思いで署名活動をしているそうだ。
 もし、興味がある方はhttp://www.curesarcoma.jp/sign.htmlのアドレスにどうぞ。
 キュアサルコーマという団体のHPです。
 管理人さんのブログもあり、リンクの許可をもらったのでのぞいてみてください。http://blog.livedoor.jp/curesarcoma/
 私も微力ながら力になれればと思います。

 あともう一つ、10月に買った本で印象に残った部分を一部抜粋。
 94歳で現役のお医者さん(聖路加国際病院理事長・同名誉院長)の著書です。
 「私は自分より若い人たちと会議をしながら、彼らの発想のスケールが私に遠く及ばないことに嘆息することがあります。私は若いころから革新的で大胆不敵なところがありましたが、この10年あまりはさらに発想のスケールがぐんと大きくなってきています。『小さな円を描いて満足するより、大きな円の、その一部分である弧になれ』父が好きなブラウニング(1812~89)の詩の言葉です。大きなビジョンをもちなさい、もし、そのビジョンが自分の生きているあいだに達成されないとしても、自分は大きな円のひとつの弧になれば、いつかは後に続く人が大きな円をつくることができる、そんな意味です。私も、たとえ私が生きているあいだにその実現の日を見なくとも、ビジョンはつねに大きくもち、その布石を築き、後の人にバトンタッチすればよいと、今は考えるようになったのです。自分に残された時間にばかり気が向いていると、自分以外の人のために、という発想ができなくなります。」『新生きかた上手』日野原重明・著/ユーリーグ

 ちょっと引用が長くなってしまったけれど、生き方に迷ったときにこういう考え方ができればだいぶ気持ちにゆとりができて視野がひろがるのではないだろうか。私はこの文章を読んで自分の考えの狭さを感じたのと同時に励まされた。
 今は何をいっても口だけになってしまうけど、今のこの気持ちはこの先忘れたくない。私に至るまでずっとつながっている命というものの尊さを感じて生きていたい。そうすれば不安も迷いも霧が晴れるように消えていく。進む道が見えてきそうだ。

学生になる

2005-11-17 23:59:21 | Weblog
 この間は気弱な記事を書いてしまったけれど、人は皆一人だからこそ、
支えあって社会は成り立っているんだということを感じる今日この頃です。

 今日、進路の相談で10年ぶりに中学の数学の先生に電話した。
私は今大学への編入か、専門学校への道を考えている。そのことでの相談。

 先生は部活の顧問の先生でもあって、経験者ではなかったけれどいつも明るく励ましてくれた。
そして先生は毎年年賀状をくれて、私も毎年「今年は会いたいです」と書いて出していた。
 「あの…昔中学校で先生にお世話になったほんだと申しますが…」
覚えてないだろうな…と思ったら覚えてくれていた。
しかも「ほんださんが1年生の時、確か平成4年から3年間いたのよね!」とはっきりと。
何年いらっしゃったということは私のほうが忘れていた。先生スミマセン。
もう教員の仕事は退職されてご自宅にいらっしゃるということだった。
 
 私が今回先生に電話をしたのは、これから建築を学ぶにあたって大学の編入試験に数学や理科の科目が必要で、その内容がどの程度の難易度なのかということや勉強法などアドバイスしてもらえたらな…と思ったから。
あわよくば『ドラゴン桜』みたいに教えてもらえるかな…なんていう下心もちょっぴりあったけど、
「私じゃ教えられないわよ」ときっぱり言われてしまった(笑)
 
 理工系の大学の数学・理科(私が受けようとしたのは物理)は細分化された内容なので基礎ができていないと解けないそうだ。って当たり前か。
予備校などに行くか、高校の教科書レベルの基礎の内容で解法を詳しく解説してある問題集からやってみるといいかもしれないというアドバイスをいただいた。
 
 さっそく書店へ行き、赤本や試験範囲の線形数学、微分積分、などの本を開いてみると
見慣れない記号や式が沢山ならんでいた。
英語は国立大学入試程度といってもやはり学力アップには時間がかかる。
昔どんなに努力しても知識は使わなきゃ忘れるものだ。

 「鉄も知識も使わなければ錆びる」レオナルド・ダ・ヴィンチ
 学生時代、大学で面白くて好きだった広告論の先生が、最後の講義で贈ってくれた言葉だ。

 まさに、痛感しております。
 これからは得た知識を人のため、自分のために使って人生楽しくいきたいものです。
  
 中学の数学の先生と久しぶりに電話で話して、元気そうで安心した。
こうして10年経っても話を聞いてくれて、アドバイスをくれて本当に嬉しかった。
ああ、人とのつながりって大切だな、一人じゃないんだ~って思った。感謝です。
 色々な人の存在に支えられているなら、やっぱり自分もしっかりしなきゃ
支えあうことはできないのだなと思った。
 
 さて~、次は文系学部いってみよー!

コンドルの景色

2005-11-14 14:42:32 | Weblog
 私は今、自由だ。
小学校3、4年生の書道の時間に先生から「自分の好きな言葉を書きなさい」と言われ、皆は「希望」とか「未来」とか書いていた。
私は「自由」という言葉を選んだ。
本当にただなんとなく。
でも授業参観の時、私の仲の良いクラスメイトのお母さんに「よっぽど束縛されてるのねぇ・・・」と言われたことを今でも忘れられない。
そ、そんなネガティブじゃないのに!と思ったんですが、実際は当時の私は空を飛ぶ鳥にでも憧れていたんじゃないかと思う今日この頃。
自由ってなんて心細いものなのだろう。

 自立とは、と考えて、自分に自分で責任をとって生きていくことだという結論に至った。
 しかし、その先さてどうしたものか考えてしまう。
今は無職、志は意匠建築設計、デザイナー。
目標は定まったもののどういうルートをたどっていくべきなのか、いま足踏み状態だ。
 安藤忠雄のように独学で建築を学ぶべきか。
 無給でもいいからと設計事務所に飛び込むか。
 社会人入試で大学に入るか、または学士編入をするか。
 専門学校へ行くか。
 
 私は身体に障害を持った人の介助という仕事をアルバイトも含めて2年間やってきた。そこで目の当たりにした住宅の問題、公共施設の使いづらさ。
例えば全身性の障害を持ち、電動の車椅子で自走はできるが5センチの段差は乗り越えられない人の場合、既存のマンションやアパートではまず玄関から段差があり、すんなり入ることができない。廊下やお風呂、トイレなど各部屋に繋がる開口部が狭く、車椅子が入りづらかったり、回転できなかったりする。
 せっかく病院などの施設からでて地域で生活をしたくても、まず住むところを探すことで何ヶ月もかかってしまう。そして介助者の派遣を受ける点でも派遣業者の事務所から近いところなど、住む地域が限られてしまうことが多い。勿論それらの課題をクリアして自分の希望するところが見つかる人もいるが、そうでない人のほうが多い。
 そして病院や施設などの建物のありかたももっと考えていきたい。どうすれば人々が自分らしく暮らせるのか、または利用できるのか…
 私はそういうことをもっとじっくりと調べ建築を通してどう解決できるかを考えたい。

 今はもう少し本を読んで古典から近代の建築家について勉強しようと思う。そして大学の講義を聴きにいったり、有名建築家の建てた建物の空間を体感したり、もっと社会の問題と向き合おうと思う。
 そうすればおのずと道は開けてくる…はず。
 
 昨日はまた設計事務所の先輩にダメだしをいただいた。
けちょんけちょんに言われた。
悔しくて悔しくて、今日は朝から上中里にある旧古河庭園に行った。
ジョサイア・コンドルの設計する建物は学生時代から好きでよく通った。
なぜこの景色が好きだったのか、具体的にはまだ説明がつかない。
でも重々しい扉の向こうに洋館がたたずんで、その眼下には整えられたバラの庭園と日本庭園が広がって、ただただその景色に酔った。
 この感覚が私の原点であると思う。
もうあの初めて見たときの感動は二度と体験することはできないけれど、その感覚はきっと心や身体のどこかに残っていると信じていきたい。

自立とは

2005-11-08 03:17:36 | Weblog
 5日、東京都小金井公園内にある江戸東京たてもの園と六本木ヒルズに行った。

 江戸東京たてもの園を知るきっかけとなったのは映画『千と千尋の神隠し』だ。
主人公の千尋が迷いこんだ世界は八百万の神様が疲れを癒しに足を運ぶ「油屋」という巨大な銭湯が舞台となっている。
その銭湯やその周りの景色のモデルとなったのが江戸東京たてもの園内にある「子宝湯」という東京を代表する銭湯や、昭和初期の下町の<看板建築>と呼ばれるいくつかの建物である。
 『千と千尋の神隠し』が公開される前後はたてもの園によく通った。
スタジオジブリからも近いらしく、宮崎監督もぶらっと散歩したりする場所ということで、いつか会えるんじゃないかと期待しながら歩いたものだ。

 あれから40年!…でなく4年の月日が経った。
年に数回は訪れるたてもの園だが、今年に入って職業訓練校や設計事務所でのバイトでインテリア、色彩、建築などの世界に触れ、今は光についてかじって、改めて訪れてみると違った見方をしている自分に気づいた。

 以前は子宝湯や三省堂、鍵屋(居酒屋)や会水庵(茶室)など昔ながらの建物に惹かれた。今も古い日本建築は好きだが、今回は「前川國男邸」という日本の近代建築の発展に貢献した建築家の自邸に惹かれた。ちなみにお隣さんは堀口捨己が設計した家だ。

 前川邸は「外観は切妻屋根の和風、内部は吹抜けの居間を中心に書斎・寝室を配したシンプルな間取り」だ。前は特に面白いとは思わなかったのだけれど、このシンプルさと木造の温かさが好きだなぁと感じた。
10月~3月は閉園時間が16:30と早くて1時間ほどしか居られなかったが前川邸の前のベンチに座り、スケッチブックにみたままをスケッチしてきた。
この時に久しぶりに「絵を描くって楽しい」という感覚が戻ってきた。
絵を描くということは対象をよく見ることから始めるんだったと思い出した。
昔高校の美術の先生が言っていた。実際に描く時間より、見る時間の方が長いくらいよく見ろと。

 スケッチをしていると、建物の構造を解体して一つひとつ確認している作業をしているような感覚になった。今まではいいな!と思う建物や風景があってもそれを自分の中に落とし込むことはできないもどかしさがあった。
「うわぁ~」と感動するだけして、おわり、という感じ。よく感動はするのだけどそこから何かを生み出すことはできなかった。というよりしてこなかった。
今年に入って京都に旅行した時に写真を200枚以上とった。それはその一瞬の感動を写真でとっておけたから。絵を描こうとするには時間が足りなかった。
 対象とじっくり向き合うということはとても幸せな時間だ。夕暮れ時の美しい時間に前川邸の前のベンチでスケッチブックを手に鉛筆を走らせながら、「もっとこういう時間が欲しいな」と思った。

 その後、照明デザイン会社の手がけた六本木ヒルズの照明空間を実際に見に行くため武蔵小金井から六本木に向かった。
生まれて初めて行った六本木ヒルズ。
まるでおのぼりさんのだが、六本木ヒルズ周辺の夜景は素晴らしかった。
こんな場所があったなんて、もっと早く来ればよかったと思った。
広場から東京タワーがろうそくのような温かい色で光っているのが見えた。
私のえらい東京タワー好きな友達に見せてあげたかった。
周りの灯りが明るすぎないので本当にきれいに見えた。

 十分に五感を使って感じた一日だった。
でも戻ってから照明デザインと向かいあった時、自分のやりたいことがわからなくなってしまった。今まで大学の商学部を出て障害を持つ方の介助者をやって、園芸店でバイトしてグリーンアドバイザーをとって、職業訓練の福祉住環境リフォーム科で4ヶ月学んで設計事務所でバイトをして…現在。
私は一体何を学びたくてここまできたのか。
何のためにこういう足跡をたどってきたのか。
これから先どうしたいのか…。
それを人に説明できなかった。私自身がそれをわからなかったからだ。

 まだ今年を振り返るのはちょっと早いけれど、この1年は本当にいろんな人と出会った。沢山の人から色んな影響を受けた。そこで見えてきたものはあると思っていた自分の個性というのものの薄さ。
人から「どうしたいの?」と聞かれても困ってしまう自分のなさ。
それにずっともがいてきた気がする。
なぜ自分がないのか、それを色んな人が色んな言い方で教えてくれようとしていた。でも最近まで一体それがなぜなのか、どうすれば「自分の意見」が言えるようになるのか分からなかった。
 事務所の先輩に「腹をくくれ」と言われた。
社会に参加しなければ国は滅びるんだ、働ける人が働かなければ日本は弱っていくんだ。成人してある程度の年齢になったら社会人として世にでて自分なりの関わり方で社会に貢献しなければならないのはなぜか?
今まで守って育ててもらったからだ。自分のやりたいことをやらせてもらえるなんて幸せだろう。今度は自分たちが日本を守って、創っていくんだ…と。

 私は思い切り親や周囲の人に甘えていた。
家にいるのは当たり前、親に言いたいことを言うのは当たり前。
自分の部屋は自分のものであるのは当然。
「やりたいことが見つかるまでは色々挑戦してみようと思うんです」
一時ならばそれはそれでいいのだとは思うが、私はそこからもう一歩踏み出せていなかった。
そして、本当に色んな人にお世話になってここまできた。お世話になった人に自分なりのお礼がしきれていない。考えの中心は「我」だった。個性と「我」は違う。

 自分はここに居させてもらっているということは口ではいくらでも言えるけど感覚としてなかった。自分で責任を持って生きるということを放棄していた。

 今、私は自分の部屋という同じ空間に居るけれど心持は違う。
とても自由な気分だ。同時に少し緊張感がある。
これから先どうするか…精神的にだが、やっとスタートラインに立った気がする。

勉強大好き

2005-11-04 00:32:58 | Weblog
 こういうタイトルにでもしておかないと、本当に勉強をやる気が失せそうなのであえて肯定的な表現にしてみた。
あれ?!この台詞ははるちゃんのブログで読んだことあったな。ぱくるつもりはなかったのよ。

 ああー もう、早く解放されたいーーー
『照明デザイン入門』という本に沿って照明に関する基礎知識を学んでいるのだが
ぜんぜん進まないーーー

 がくっ

 寝てしまおうかな

 だめだっ、負けるなっ

 お布団が待ってるよ
 優しく包んでくれるよ

 うううーーー
 悪魔のささやきが聞こえる!!
 
 今月の11日が照明デザインの会社のバイト募集の締め切りなのだ。
それまでに自分で作品をつくって添付するくらいのことをしないと、競争率が激しいだろうからまず通らないだろうという先輩のアドヴァイスにより、私は一人今日一日家で勉強をしていた。

 家だと勉強に適している机がない。父の書斎はなんとなく落ち着かないので自分の部屋で閉じこもってやっていた。まずずっと机に向かっていることが苦痛。
書き続けていると手がおかしくなってくる。
こんな調子で間に合うのかというあせりが襲ってくる。
床座でやっているので足がしびれる。

 基礎知識といえど、基礎であるがゆえにちゃんと理解していなければその先の話がわからなくなる。だから今は進みは遅いが理解しながらやっている、つもり。

 結局覚えたことを人に説明できなきゃ意味ないんですよね。
今はいろんな人が「照明デザインって何」とか「色温度って何」「だからなんなの」という質問をしてくるシチュエーションが頭の中でぐるぐる回っている。
それはいいことなんだろうけど、さっきから独り言ばかり言っている。

 ああー遊びに行きたいよう
 走り回りたいよう

 でもlx(ルクス)lm(ルーメン)W(ワット)K(ケルビン)MK-1(メガケルビン)cd/m2(カンデラ)とは一体何のことを言っているのか、位は理解できた。
まだ誰にも説明していないけど。
インテリアコーディネーターの試験範囲にもしっかり入っていたのにちゃんと勉強していなかった。
 ああー、まだ基礎から抜け出せない。
早くデザインや照明計画に入りたい。

 ほら、お布団が呼んでるよ
 でも昼寝しちゃったし、がんばるぞーーー

まだありました

2005-11-02 03:10:01 | Weblog
 今日は定期の残っているうちに都心の照明を見に行こうと六本木ヒルズに行こうとしたらなぜか秋葉原に来ていました。
ヤマギワで照明の名品を観てからでも外の照明は見られると思ったから…
17:40ごろ勢いよく家を飛び出したものの、なんだか調子が悪く秋葉原に着いたらペースダウンしてしまいました。

 夜の秋葉原の街は目が痛くなりそうなほど派手な電飾で彩られています。
面白そうなお店はたくさんあるのですが、いるだけで疲れてしまった…
ヤマギワに着いて10分くらいで気がついたら閉店の時間だった。
とぼとぼと歩いていると見たことのあるものが…
ドラマの『電車男』にでてきた垂れ幕?です。
このドラマはかなりハマっていたので思いがけずとても嬉しかった。

 あと交通博物館そばの万世橋という橋もレトロで良い味をだしていました。
思わず写メールで撮影。ギラギラと輝く秋葉のネオン街から、自然な夜の闇と電灯のあかりの安らぎを感じることができました。
万世橋の橋の向こうには本当に「肉の万世」の建物がありました。万世やるじゃん!

 今日はお財布を忘れてsuicaにチャージしてあった金額でやりすごしていた。なんとなく効率悪く動いてしまい、凹んでいたらバーのマスターからメールが来た。愛にあふれたメールだった。とにかくまた泣いてしまった。

 今自分がたどっている道がこれであっているのかなんて誰も教えてくれないし、
誰にもわからないことだ。だからこそ不安になる。
でも、そうやってもがきながら前へ進めば成長していけるのだと信じたい。

 明日は照明デザインの勉強と、集めた資料を見直す作業だ。

不採用通知

2005-11-01 01:07:20 | Weblog
 早いものでもう今年も残り2ヶ月!みなさん風邪などひいていませんか?

 今日、先月25日に面接を受けた会社から不採用通知が届きました。
合同企業説明会で説明を受けて、向こうから連絡があって面接を受けにいったら落ちたという…
 説明会では「こちらから連絡することはございません」と言われていたのに、向こうから連絡をくれたので、説明会の時はわりと好印象だったのかな~と思っていたらこの始末です。
 履歴書を何回書いても気に入らず、延々書き直していたら時間がなくなって、職務経歴書はぎりぎり電車の中で書いたという…これじゃ落ちるの当たり前です。
説明会の時に担当の人の話を聞いていて、「合わないな…」とあまり気がすすまなかったのもあるけど、そういう会社を振り向かせられないようじゃまだまだ修行が足りないです。未経験とはいえ、それを見越して電話をくれたんですから。
 あーあ、なにやってんだろなー。
いちいち凹んではいられない。もっとしっかり準備をして真剣に取り組まねば熱意は伝わらない。
 今、一つ行きたい会社があり、その会社は長期アルバイトを募集している。
11日が締め切りなのでそれまでに準備をするのだ。今度はぬかりなく。

 立ち止まらず、動き続ける。