風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

京都を頼りに

2013-11-30 15:29:55 | 徒然
2013年11月24日(日)日本武道館で高橋優の武道館ライブに行った。
翌日は、仕事が終わってからそのまま広島に出張し
26日の昼に人生で初めて広島で広島風お好み焼きを食べた。
そして昨日、私が現場事務のバイト時代に出会い
以来かれこれ7年経つ先輩が会社をやめた。

色々なことがあったのに、心がついていかない。
もう、遠い遠い昔のことのようだ。

びゅんびゅんと、まるで時が風をきり、音を立てて過ぎ去っていくかのようだ。
この新幹線のぞみ号のように。

私は今、新幹線で一路京都に向かっている。
明日は朝から大阪で仕事があるので、関西に前日入りするのだ。
今晩の宿は、京都にとった。
大阪に泊まる方が色々楽なのだろうけど、私はやはり京都の方が落ち着く。
ちょうど紅葉のシーズンの土日で、京都の宿は殆ど満室だった。

でも、一部屋くらい手頃な部屋があるだろうと粘って探したら
奇跡的に京都駅に近いビジネスホテルがとれた。

紅葉の季節の京都なんて、来たことないわ。
京都に着くのは夕方だし、赤や黄色の葉に彩られる景色は
あまり味わえないかもしれないな。

でもいいの。

今日は心ゆくまで、大好きな京都街中にあるカフェでノートを広げて文章を書くんだ。
ぶらぶらと歩きながら、面白いものや美しいもの、好きなものを見つける。
足の向くまま心のままに、体を自由にする。
まるで子供のように純粋に、自分の好奇心とデートするんだ。

さあ、あと10分で京都だ!

同じ空の下

2013-11-24 10:55:46 | 徒然
別に、この年齢だからという訳じゃないのかもしれないな。
子供の時から今までずっと、出会いと別れを繰り返してきたのだ。

旧友から、結婚したとか、子供が生まれたとか、たまには会おうとか
一年の中でも特に秋はそんな「おぉ!懐かしい」という便りがさり気なく届く。
それに私からもふとした時に、思い出してメールしてみたりする。
10月~11月はそんな季節というか、そんな風が吹く気がする。

高校くらいまでの思い出や、友達関係は濃い。
今は全く別の道に進んでいるのにそう思うのは、やはり多感な時期に
いつも一緒にいて同じ体験をしたからだと思う。

高校時代までの思い出は、別にその時が一番というわけではないけれど、特別だ。
馬鹿なことばかり言って、くだらないことで笑ってた。
世界は狭くて、何でも真面目に受け止めて、一生懸命だった。
そんな時代の共通の思い出を語り合える仲間はやっぱり特別だ。

でも…
最近、過去を美化している自分に気づきはじめた。
前から薄々気づいていたんだ。

昔からの友達は私のことを理解してくれているはずと
共感してくれるはず、そして私も相手の話に共感できるはずと
昔の関係を今に持ち込もうとしている私がいた。
喧嘩しても分かり合える相手だと思っている私がいた。
でも、そうであって欲しいという私のワガママだと
今という現実を受け入れてない幼い願望であることに気づいてしまった。

昔はほんの少し感じていた価値観の違いやズレが
いつの間にか、埋められないくらい大きくなっている。
そんな現実を見たくなくて、自分でも気づかないフリをしていた。

でも…
もう分かりあえないなぁと、改めて思うことが沢山あって
確信に変わった。
仕方ないのだと。
人は変わり、私も変わる。

私は、恋愛ではよく陥りがちだけど、恋愛に限らず
過去の信頼関係全般に「こうであって欲しい」「分かり合えるはずだ」と
人に寄りかかっていた自分に気づいた。

それは一つひとつの小さな「あれ?」という違和感が
一定の目盛りに達したような感覚で
失恋なんかよりずっと深く、着実で決定的な
じわじわと効いてくる、とても切ない気づきだった。

でも、同時に
今私の周りにいる人達をもっと大切にしようと思った。
それでいいんだと思った。
私は今を生きていて、周りにいるのは今の私に縁ある人たちなのだから。
そしてもっと自分の気持ちや感覚を大切にしようと思った。

現実を受け入れて、不思議と心が落ち着いた。
まるで心の霧が晴れたように
トンネルから抜け出たように
心は明るく、スッキリした。
これは喜怒哀楽という感情とは違う、心の状態をみている不思議な感じ。

皆同じ空の下で生きている。

ちょっぴり大人になった気がする。