風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

京都だよ!

2006-01-14 23:53:20 | Weblog
 京都のビジネスホテルの一室より…お布団に包まれて。
 来てしまいました、京都。6:30着です…あたりはまだ暗かった。

今までこんなに早い時間帯に京の街を動き回ったことはなかったので
30分くらいウロウロと無駄な動きをしてしまいました。
お店もマックやスタバくらいしか開いていなくて、結局朝マックをしました。
考えていることはみんな同じだったらしく、京都駅前烏丸通りに面した早朝のマクドナルドは混んでいた。ちなみに夜は散々迷った挙句、京都駅の伊勢丹のラーメン小路でチャーシュー麺をいただきました。京都の街にでたかったのだけど、疲れて眠くて限界が近づいていたので…ラーメン。胃袋を刺激してくれるのを期待してチャーシュー麺したけれど、薄味だった…

 さて、今日の日中、京都は雨でしたがそれほど寒くはなく、気合いを入れてニット帽とダウンジャケットを持ってきたのに全く不用でした。来てすぐコインロッカーにあずけちゃった。
な~んだか拍子抜け、おかげで身軽でした。

ただ‥夜行バスに9時間乗っているのは私にはきつかった‥
ほとんど眠れなかったので今、軽く頭痛がします(笑)。
あと腰が痛い‥やはり宿をとっといて正解でした。
横になれるって幸せだ‥
あと一人で泊まるっていうのもいいものですね。
自分しかいないわけだから、だらしなくしようと思えば
いくらでもだらしなくできるし、疲れてすぐにベッドに倒れ込みたかったけど
湯船にお湯を張り、荷物をほどき、湯につかり、ハンカチや下着を洗って干して
明日の準備をして床に就きました。
当たり前のことですが、えらい!と自分でほめてあげたい。
文句を言う人もいなければ、褒めてくれる人もいないからね。

 入浴と睡眠で疲労って回復するんだなーと実感。
いや~今日は疲れたけどそのぶん着いた時の喜びは大きかった~。

 学校見学のことはまた後日、やはり来て良かったです。
およそ想像していた通り、よい学校でした。

 今日は朝早くについたので学校見学の時間まで約3時間と、学校見学が終わってからの空いた時間、観光することにしました。

 午前中は京都の東、永観堂(外からみただけ)から哲学の道を通り、盛り砂の造形が美しい法然院を巡り、夕方は京都駅舎をウロウロしてきました。
雨の降りしきる中、哲学の道では春を待つ桜がしっかりと花芽をつけていました。
あと2ヶ月ほどでここは美しく桜が咲き乱れるなんて信じられないくらい、
木々ははだかんぼうで、観光客などだれもおらず、静かでした。
時折すれ違うのは柴犬をつれたおじさん、おばさんばかり。
(京都は柴犬を飼っている人多いです、きっと)
お土産屋さんもカフェも閉まっていたり、開いていてもお客さんは殆どおらず、
ちょっと寂しい気持ちになりました。
ガイドブックとデジカメをポケットにいれて1月の雨の日にのこのことやってくる観光客はそういないだろうから…
でもそこでここの桜の木に励まされました。
今は花も咲いていない、葉もついてない木々だけど、この木の中では数ヶ月後に満開の花を咲かせる準備を着々と進めているのだと思うと元気がでました。

 春は待ち遠しいけど、なんとなく、春を待つ気持ちというのもいいものだと思った。冬の寒い時期は、春の暖かい幸せな季節を望むゆえに、ほんの小さな変化も敏感に感じ、思いを馳せることができるから。


ここは静岡県

2006-01-14 01:03:07 | Weblog
 東京駅の八重洲口にあるJRハイウェイバスのりばに着いたのが22:30、
結構ギリギリだった。
想像していたより乗客がいて、ちょっと安心‥。
席は2階建てバスのドリーム号の2階、ひざ掛けよりちょっと大きい毛布が各座席に一枚ずつあって、なかなかあたたかい。
22:50に出発してから0:33静岡県駿東郡小山町のパーキングエリアで約20分休憩‥
バスの運転手さん、引き続き安全運転でお願いします。
バスジャックなんて起こりませんように‥
それにしても…覚悟はしていたけれど、
シートはリクライニングになっているとはいえ足がのばせないのは辛い‥
腰にもくる。こんなにもぞもぞ動いているのは私くらいだ。
んぁ~眠い‥
 6:45に京都に着く予定‥無事に着きますように おやすみなさい‥


旅支度

2006-01-13 20:49:56 | Weblog
 今日これから22:50東京発の夜行バスドリーム号で京都へ行ってきます。
目的は観光…ではなく、京都にある建築専門学校の体験入学会に参加するためです。
ちなみにこの学校に通うことは現実的にまず、難しいので通うことはないと思います。でも京都で学びたいという夢や、伝統建築の特別講座があったり、本科も木造建築に力を入れているというところなど、今まで資料請求した専門学校の中で特に私自身がずっと気になっていたところだったので、やっぱり行くことにしました。

 というわけでさっき当の専門学校へ体験入学参加の申し込みをしようと電話をしたら、「明日の説明会は人数が少なくて、個別対応になってしまうんですが」と言われ、どきどきしてしまった。
 つい数時間前に散々悩んで夜行バスと新幹線とホテルのチケットをとったのに、「中止になりました」なんて言われたら…でも行くと思うけどね。

 多分、がっかりすることもあるだろうし、お金の無駄だったなと思うかもしれない。明日は京都雨らしいし、なにしろ冬の京都は寒い!!!(2年前に1、2月に京都へいったら凍えそうだった)それが一番悩んだ理由だったりして。
実際に通うことはないのに、体験入学へ行くなんてばかげてるのだろうけど。

 さて、のんびりしている場合じゃない。
もうあと20分くらいで旅支度をして家を出発しなくちゃぁ。
夜行バス…ちょっと不安。一人旅は何度かしたことがあるけど、う~、自分が頼りだ。
親にはえらい心配をかけてばかり、負担をかけてばかりだ。
どこまでも甘い憧ればかり抱いて、何にもしなかった自分とさようならです。
「これからかかるお金は返してもらうから」と父に言われた。
今までそういわれた事なかったな。守られてきたんだな。

 明日の朝早くに着いて、一泊し、15日に新幹線で帰る予定です。
清水の舞台から飛び降りる気持ちで行ってきます。

体験入学

2006-01-12 22:56:39 | Weblog
 今日は渋谷にある専門学校の夜間部へ体験入学をしに行ってきた。
内容は募集に関する説明と授業見学と簡単なパースの実習。
‥もちろん初心者対象なので、パースの実習は実に簡単だった。
半年前はこんなんだったんだな‥こんな自分でも成長してるんだ。
職業訓練で習った設計や製図の基礎は初心者の私には丁度良かったと思うけど、経験者の〇兄やKちゃんにはすんごく退屈な時間だったんだろなー‥と想像がついた。
 感想はといえば、たとえ社会人の学生のいる夜間であっても、
その専門学校で学んでいる自分の姿がイメージ出来なかった。
たった数分だが、見学した建築史の授業ではスライドを見せながら講師が解説していた。
教室に30人くらいの生徒がおり、机をくっつけて仲良く授業を受けたり、横を向いて座っていたり、これで平均年齢27歳?と疑いたくなる授業の受け方をしていていた。もし私がこのクラスにいたら確実に浮くだろうなーと想像ができた。なんて好き勝手言っていますが、全体的に夜学校にいってまで建築を学ぶぞ!という熱気は感じなかった。
それでも学校の担当者が「夜間のクラスはまじめです。教えがいがある」というのだから昼間はよっぽどひどいんだろうと想像がついた。
 去年の夏、職業訓練で4ヶ月講義を受けて感じたことだけど、
たとえ一級建築士の資格を持ち設計事務所を開設していている人でも、
介護事業所の人や看護士として現場の第一線で働いている人でも、
いざ人に教えるとなると中身の濃い講義ができるかといったらそうとは限らない。
やはり教えることが好きだったり話す技術、プレゼンの技術がないと聞いている方には伝わらない(プレゼン能力のない私が言える立場じゃないんだけど)。
 もちろん、「習う」という授業に比べ、講義(専門学校の1年次の科目は授業なんでしょうね)は自分から学ぼうという姿勢がなければ成り立たないものだから講師まかせではいけない。でも少なくとも学校が「事務所を開設してる人しか講師として迎えない」ことが授業の質とイコールではないと思った。

 今日の収穫といえば、私の他にも2人体験授業を受けた人がいて、自分と同じようにこれから建築を学ぼうとする人と話せたことだ。これは嬉しかった。
あとは製図用のシャープペンと消しゴムをもらった…箱をあけてみたら既に持っていて使いづらいなぁと思っていたのと同じものだった。こういうのって無駄だと思うんだけどな…といいつつ、いただいてきました。
一緒に体験入学を経験した人は私より年下と思われる男性、女性だったけど(っていうのも失礼か)
とてもこぎれいな身なりをしていて、うす汚れたジャケットにジーパンにスニーカー、がんがん使い込んで傷のついた愛用のPRADAのトートバッグを肩にしょって大して化粧もしないで出かけた自分が恥ずかしくなった。なんて、そんなことを感じてしまうのは私自身の精神的な幼さもあるんだろうな‥
これまで「本ちゃんは年齢の割に見た目も中身も幼い」と色々な人に言われてきた。
年末に乗ったタクシーの運転手さんにまで言われた。今日は本当に「そうかもな…」と思った。

 そして帰りの電車、相変わらず基礎数学を勉強しているとどこかで聞き覚えのある声が・・・
 私の隣の隣に、どうやら中学の同級生らしき女の子2人が座っていた。
おそらく絶対に同級生で同じクラスだった女の子だと気付いていたんだけど、
何となく、声をかけたくはなかった。
カッコいいブーツにブランド物のバッグ、右手の薬指には指輪、なんだかキラキラ輝いていた。
 このとき自分をみじめだなぁとは思わなかったけれど、なんとなく、「お!久しぶりだね」と声をかける気にはなれなかった。
人と比べるのはもうやめようと思ってから少し強くなったと思ってはいたけど、やっぱりもうちょっと身なりをちゃんとしないと恥ずかしいなぁと正直思った。
人生は本当にひとそれぞれ、別々の道を歩んでいるんだなーと感じた。
 
でも今日は行って良かった。

どうでもいい話だけど・その2

2006-01-12 02:03:42 | Weblog
 今日、学校見学へ行こうと駅へ向かう途中、
私道を通り抜けようと歩いていて、ふと垣根に目をやると、
女性ものの黒い下着がくたっと置いてあってびっくりした。
 きちんと手入れをされ、よく刈り込まれたドウダンツツジの垣根の上に、黒い下着。
見てはいけないものを見てしまったような気持ちになった。
どういう経緯で道路に面した垣根の上にのっかっちゃったんだろう?
風?べつに強風ではなかったから違うだろうな。
洋服ダンスの中にキチンと納まっていればちっとも違和感のない黒い下着なのに、
ドウダンツツジの上にあるとこんなに違和感を感じるというこの差はなんだと驚いた。
 同じモノなのに、置かれる場所、目にする状況ひとつで見る側の気持ちが変わるというのがちょっと面白かった。
同じモノといっても人の下着じゃ、比べようがないんですけどね。
こんなこと、わざわざ「ねぇねぇちょっと聞いてよ」と人に話すほどのことじゃないけど、私の胸にとどめておくにはあまりにもヘンな光景だったので書きたかったのでした。

名コピー

2006-01-10 17:39:08 | Weblog
日本教育大学院大学の電車内の広告
「先生をあきらめなかった
あなたが、
先生になるべきだ。」
久しぶりにぐっとくるコピーを見た!
緑地に白抜きのこの三行だけの広告だけど、これぞ相手のウォンツ(せっかくだからマーケティングで学んだ言葉をつい使いたくなってしまうのよね)を突いた名コピーだと思った。
本当に、先生になりたい人に先生になって欲しい。

どうでもいい話だけど

2006-01-09 00:10:34 | Weblog
 今日はぶらっと立ち寄ったお店のレジの前に女性週刊誌があり、表紙が私の好きな赤西仁だったので立ち読みした。赤西仁(あかにし・じん)はジャニーズのアイドルグループKAT-TUNのメンバーで人気を『野ブタ。をプロデュース』の亀梨和也と二分しているらしい。他のメンバーがんばれ!
私は『ごくせん』で好きになった。
ちなみに、大宮駅のリニューアルのセレモニーでKAT-TUNが来ていたのだが、私はその頃特に興味もなかったので騒ぎもしなかった。あ~あ、せっかくわざわざ大宮に赤西仁が出向いてくれていたというチャンスだったのに、惜しかったな。
 それで、女性週刊誌ではKAT-TUNのメンバー一人ひとりが「いい女・いい男とは」という題にそれぞれ答えていて、いかにも女性のファン心理をくすぐるための記事といった感じだったが、私はまんまとそれにひっかかった。
 亀梨和也が「いい女とは男を支えてくれる女」というのに対し、
私の好きな赤西仁は「いい女とは俺が愛する女」だって。
なんてカッコいいの。たまらないわ。断然、赤西仁よ。ナンバーワンよ。
しかも「はやく子供が欲しい。若いパパになりたい」なんて、アイドルがそんなことをいっていいの?まだ21歳なのに、そんなこと言うなんて、カッコいい。
…なんとでも言ってくださいよ。見ているだけで幸せなんだもん。
もうこうやって妄想の世界に連れて行ってくれるのがアイドルの力量なんだわ。
日常や現実に活力を与えてくれる存在なんだわ。
 
 そして赤西仁をいい!と思うのはアイドルでは終わらない気がするから。
若さが武器にならなくなったときもきちんとエンターテイナーとして生き残っている気がするから。
ああ~、いい女になりたい。

これが答えだ!

2006-01-08 04:21:03 | Weblog
 お風呂の中で考えた。
どうして勉強がはかどらないんだろう?
どうしてなんとなく無力感があるんだろう?
どうして自分に自信がもてないんだろう?

 そして仮説をたててみた。
私は生来の怠け者だから。
周りの評価を行動の主軸にしているから。
そして失敗を恐れ、無駄、後悔を恐れている=正解を求めているから。

 正解ってなんだ?
これが答えだよ。ってこと、成功したって結果。

 そんなの、死ぬ間際にならないと分からないよなぁ。
「いい人生だったなー」と思って死にたいよなぁ。
死を迎える時の自分が今の私に声をかけるとしたら…?
「おーい、いくら迷っても遠回りしてもいいから方法は自分で試行錯誤して考えなよね。簡単に、君の求めてる「答え」ってのが見つかったら面白くもなんともないんだからさー。でも、私は今幸せだよ~、本当に感謝だよ~、じゃあ迎えがきちゃったから、そろそろいくよ。またどこかで会いましょう、さようなら」なんて言いたい。会えるわけないんだけどさ。

 私って怠け者か?
うーん・・・そうとも言えるし、そんなことない気もするぞ。
だって、てきぱき動いていないと気がすまないし、やることが絞られると集中できるし、本気で物事に取り組むって楽しいと思うもんなぁ。その力の入れどころやもっていき方のピントがあっていないから疲れるのかもしれない。それで集中力を欠いているのでは…。

 周りの評価を行動の主軸にしている、多分これだな。
例えば、身近な例で高級ファッションブランドはなぜ高価でも人々に支持されるのか。ブランドはある一定の品質の基準を満たしているという保証だから。そして、そのブランドを持つということはステータスシンボルであるから=周りへのアピール、また周囲からの高い評価を自分に付加することを求め、期待するから。私は素材そのものや縫製や加工の技術、デザインなどが優れているということの証だからいわゆる「ブランド」は概して好きだ、自分に似合うかは別として。品質と名声が伴っていないブランドや品物も数多くあると思うけど。
 私はだから○○のブランドが好き、といえる、そこはブレていない。
ただ流行っているからとか、有名人が持っているからとか、そういう周りの評価ではなく自分のものを見る目や感性を基準としている。どう優れているかという判断基準となる情報が自分にない場合は選択を誤ることもあるけど。
 
 例えば大学を学校名で選ぶ。学歴社会だからいい学校をでたいという考え。
学歴社会で成功するためには学歴が必要だ、その学校を出ているということはある一定の学力の基準を満たしている、あるいは満たす努力をしたという判断基準になる。ただ、何のためにその努力をしたのか?ということが一番肝心だ。
このままの考えだと、社会で評価されるため、だ。

 そんなの、いらねぇよじゃなくて、いらないわよ!と全否定はしない。
私もただ「大学生になりたい、自分はこんなもんじゃないはずだ」と思って勉強したのは無駄ではなかったと思う。でももっと実りある時間のすごし方って、やはり周りの評価ではなくて自分の自分への評価が基準じゃないといけない。
じゃないと、何をやってもつまらなくなる。
誰かにアドバイスをもらうことはとても大事だ。それは痛感している。
人の生き方に学ぶことも大切だ。人の話や、本に書いてあることはすべてヒント。
でも、そこに答えを求めたってしょうがないんだ。
最後に自分で一つの考えに辿り着かなければ意味がない。

 だから、大学を出たほうがいいとか、学歴は必要だからとかそういう理由で大学編入試験を受けてもしょうがない。勉強に身が入らないのも、気持ちが散漫になるのも、やりたい!この学校へ行きたい!と思う何かを自分でそこに見出していないから。まず今私がやるべきことはそれだ。
 おそらく、学歴社会でもなんでも、評価されるには理由があるはずだ。
もしかしたら中身のないことなのかもしれないが、中身があるから評価されるのかもしれない。これがいい、と思える気持ちになる努力は必要だと思った。

 そして、これからは何事も周りの評価は参考に、やはり自分で確かめて決めよう。そうすれば誰のせいにもしない。借り物でない、自分の人生が送れる。そしたら後悔なんてないだろう。

やりたいこと・2006シリーズ

2006-01-07 01:07:04 | Weblog
 今、私の机は『ドラえもん』にでてくるタイムマシンのような状態です。
もともと勉強机がないので、床から高さ33cmのテーブルの上に蕎麦打ち台を置いて(その上にケント紙を貼って製図版にしていた)、手元を照らすための卓上スタンドを置き、そしてノートパソコンを開いて座布団に座ってパソコンを打っていると…時空は超えませんが、時間はあっという間に過ぎていきます。
 勉強のお供に、猫を連れてきてみたらさっそく布団の上に落ち着いていた。
そりゃぁ、あたたかいでしょうよ。まぁゆっくりお眠りよ。
猫でも何でも黙ってそこにいてくれるだけでほっとするなぁ。

 さて、今度は大学の理工学部・工学部の編入試験を視野にいれているのだが…
前回の美大入試は、デザインテストというまだ解答の自由度が高いと思われる分野で、1パーセントでも可能性があるならそこに賭けてみようと思ったからこそ受けようと思えたし頑張ることができた。
 結果的には基礎ができていないと面接官に言われてしまったし、設計事務所のおじさんにも受験に持っていった作品集を見せたら「3年生からじゃこれはキツイな」と言われた。先輩にネットで設計コンペなどのプレゼンボードがあることを教えてもらい、それを見ると自分の幼稚さを思い知ったのだった。
 でも、図面の練習やデザインテストの演習は手探りながらも発見も多く、とても楽しいものだった。自分で設計を考えてそれを表現するということを経験できたことは大きかった。
 今度は一年生から美大を受けたらどうか?という考えが浮かんだので経済的なことを度外視して、高校の部活動の先輩で彫刻家をやっている先輩に自分の作品集を見せにいった。年末に。
 結果…「予備校、いかなきゃだめだね」と言われた。
私の絵からは本気を感じないのだそうだ。すべてスケッチで、完成させようという気が感じられないらしい。美大入試を目指して受験生たちが予備校時代に描く絵は「こんなのもう今じゃ描けねえよ」と先輩が言うくらい、受験に通る為に技術を結集した本気の絵なのだそうだ。個性云々以前の問題で、その気持ちを見るのか…。
先輩は「もうあの頃にだけは戻りたくない」と言っていた。中には13浪した人もいたそうだ…恐ろしい。ちなみにその人が一番輝いていたのは予備校時代だというから、私には到底飛び込めない世界だと思った。だいぶ脱線してしまったけれど、とにかくデッサンや水彩にも技術的な基礎があるということが良く分かり、その作品にかける情熱というものはおのずと出てくるわけで、自分のレベルを知った思いだった。ただ、今回の受験とは関係なく、土日だけでも予備校に通ったりしてやはり絵の勉強はしたい。今の自分でちょっと突出しているものといえば「絵」くらいだからだ。彫刻家をやっている先輩に「ずば抜けているものがなければ武器とはいえない」と言われた。うーん、今の時点でずば抜けているものなんてないぞ!器用貧乏なのかな?器用というほど器用でもないし、それ以下?ってただの貧乏?…くっ 悔しい。
 そして先輩の話で一番心に響いたのは「俺らは団塊ジュニア世代で大学受験の競争が激しかった時代、世間一般で『いい大学へ行っていい会社に入れば幸せ』という価値観が主流だった頃だった。その時に俺は思ったんだ。そのままその流れにのって行って社会に出て何かうまくいかないことがあったときに、人のせいにするようになるんじゃねぇかなって。その頃からかな、自分でこれがいいと選ぶものが多くなったのは」という言葉だった。かっこいいな、覚悟を決めるってこういうことなんだと思った。と同時に自分の甘さを痛感、さすが先輩だ…。ってこのことを語ると更に長くなるのでやめておこう。
 で…話を元に戻すと、これから受けようとするところは英語・数学・物理の科目がある。毎日1時間でもいいから集中してやることを心がけているものの、恥ずかしながら今はまだ中学レベルの数学だ。「学問に王道なし」というが、私がやろうとしていることは実現実の薄いことなのだろうな。数学を基礎から勉強すること自体は楽しいのだけれど…もう少しやってみて結論をだそう。まだどこからスタートするかが決められない。やはり情報収集が大切だな。
 改めて、建築関係の仕事は厳しいんだなと思った。男性が多いのもうなずける。人生を賭けているという感じなのだ。私は建築の世界に生きるということは戦国時代を生き抜くような感覚というか、武士道の世界であるような気がする。設計事務所の先輩も、今まで出会った建築業界の人はみな、この業界は厳しいというが、今まではその厳しさを良く分かっていなかった。まだまだ、分かっていないのだと思う。私の叔母が設計事務所をやっていて、従兄弟が設計の仕事をやっているが、従兄弟は大学の経営学部を出た後(ここまでは私と少し似ている)専門学校の夜間へ2年通い、設計事務所で働きながら更に資格の勉強の為に学校に通ったらしい。
従兄弟と私が決定的に違うのは特待生で大学に入ったことと、数学が得意であったことと、目標が明確であったことだ。
 私はまだ…設計をやりたいのか、それとも設計の知識を持った上でインテリアの仕事をやりたいのか…ただフリーで仕事ができるくらいに自分の得意分野で実力をつけてアトリエ系の設計事務所で働きたいということははっきりしている。
 
 そこで【やりたいこと・2006】めぐちゃんにならって考えてみた。

 1.インテリア・コーディネーターをとる(去年は落ちたので今年はりべンジ)
 2.木造の建築を学ぶ・好きな建物を一つ研究する(やっぱり木造が好きだ。これは譲れない)
 3.絵を描く(アイディアや、いいと思う風景をスケッチするって大切だ。突然デザインしろと言われても浮かばない)
 4.個展を開く(去年友達とやろうと言っていたのに結局できなかった)
 5.2級建築士の勉強を始める(何事も準備は早いほうがよい)
 6.カフェ、銭湯めぐり
 7.得意料理をもてるようになる(去年鍋に入れる具の順番が分からなかったので今年は鍋奉行になる)
 8.茶道
 9.パソコンでグラフィックデザインをやる
10.沖縄、京都に行きたい(旅ならどこでもいい。今年は温泉街に行きたい)
 
 去年はちなみにグリーンアドバイザーをとる、スタジオジブリに応募する、転職する(できてないけど新しい道を模索し始めたということでは)ことは達成できた。
自分でたてた目標をクリアする、それが自信につながっていくんだろうな。きっと。
 うし!元気でてきた!

あけましておめでとうございます

2006-01-04 12:52:52 | Weblog
 新年早々こんなことを書くのもなんだけれど、
今、不安でいっぱいである。これから大学受験をするのか、専門学校に進むか、それとも働きながら専門に通うか…本当に建築なのか、建築のなかでもインテリアに絞ってもいいのではないか、小売の方が向いているのではないか?
迷ってしまう。…情けないけど、今の自分にはどれをとったらいいのか、わからない。
受験するにしても今少しずつ進めているが、苦手で避けてきた数学がネックとなって受かる自信がまったくない。勉強していても嫌になってしまう。
英語は昔の努力が無駄ではなかったようで、単語も構文も忘れていることもたくさんあるけれど少し勉強すると思い出せることも多い。

…そう、無駄なことなどなにもない。
でも目標なしに勉強することは苦しい。
でも高い目標に向かって努力して結果が届かなくても、得るものは大きいはずだ。
でも専門学校でも自分のやる気次第だ。
でも就職してからはどうだろう?やはり学歴社会なのではないか?
それに左右される仕事をするのか?

分からなくなる。でも、専門学校のパンフレットには25歳から入学した人のコメントがあり、この年齢からのスタートだったから不安があったと書いてあった。

誰でも不安なんだ。自分の人生この先どうなるかなんて誰にも分からない。
働きながら勉強する大変さと社会に出るのが遅くなること覚悟で大学や専門学校で勉強するプレッシャーと、どちらもリスクがあるけれど、自分で責任をとらなければならない。
そこで責任をとれる保証なんてどこにもないんだ。
その努力をする、だけなんだ。
なんでもこれから先決めるのは自分で、その決断をくだすことは不安があって当然、でもその先にある自分の考えはどうなのか?
自分を信じるしかない。
不安も迷いもあるのは当然で、欲にも誘惑にもおぼれて楽なほうに流れるのが人間の弱さで、それは誰にでもあることだ。
私は今までそういう自分の弱さを否定してきた。
でも、そういう所を受け入れて初めてそれが自分だといえる。

 強い人になりたい。