風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

初夏の終わりの曇り空に

2011-07-31 19:10:18 | 徒然
 ブログの記事の書き始め、
特に、デスクトップのパソコンで書くときは
この、まだ何も書かれていない
真っ白な画面に向かうと頭の中がリセットされる。

最近はずっと携帯のメールで投稿することが多かったから
まるでキャンパスに絵を描くように文章を書く、こういう感覚は、久しぶりです。

書いていると、言葉が自然に出てくる。
それを目で見ながら、ここはこうした方がいいとか
この方がもっと、言いたいことに近いとか、読みやすいとか

下書きと推敲を同時にできる。


 まぁこんなことは置いといて、


 今日で7月が終わる。
あっという間の7月、明日は8月。
そしてあっという間に夏が終わり、秋がきて、冬が来て、
誕生日がきて、一年が終わっちゃうんだ。

 最近よく思う、
大人になったって、ちっとも立派なわけじゃぁないんだって。
強い人なんていなんだってさ。

だから私はそれをちゃんと認められる人でいたいって、思うんだ。
歳をとっても、どんなに偉くなっても(ま、なんないけど)
自分の弱さを認められる人でいたい。
そうしないと、あっという間に時代に取り残されていく気がする。
新しい自分になれない気がする。

 私は、やっぱりいつまでも若くいたいんだ。
体は老いていっても、不自由になっても
いつも心は何か新しいことや希望にときめいていたい。
こういう風に思うのって、バカかな。

まあ、それでもいい。

だから、そのためにはいつも自分の心に正直に、まっすぐにいる必要がある。
でも、それをやっちゃうとうまくいかない時もある。

自分がこうしたい、と思ってやることが
なんでも許されるわけじゃない。
だけど、その気持ちをはきだす場所がないと多分、生きてはいけない。

だから大人になると
お酒を飲んだりするんでしょうね。
そうやって、ままならない現実を
飲み込むしかないんだろうな。

 今日は曇り空だった。
神社にお参りして、上着をクリーニングに出して外に出たのはそれだけ。

でも、曇った日の方が、夏を感じるなって思った。
なんでだろう。

蝉の声や雷の予感、半そでに短パンのラフな格好からのぞく肌に触れるしっとりとした空気
やけにくっきり見える朝顔の紫
夏の暑さが和らいで、少しほっとした感じ

夏の日差しの元では眩しすぎて目に入らない景色が
一つひとつ鮮やかに見えるからかな。

 今年の夏は、気ままに過ごそうと思う。

やっぱり女だから、浴衣など着たいし
風情を感じたい。

そういう欲求に素直になりたいと思う。

たとえ他の人からしたら、ちっちゃなことでも、ね。

帰宅すると

2011-07-15 23:08:37 | 徒然
帰ったら、玄関のタイルの上に
バスタオルに包まれ、保冷剤で冷され冷たくなったムサシがいた。

撫でてみると、まだ生きてそこにいるようで
ぷにぷにの肉球も
爪とぎができない真ん丸い手足も
そのままで

涙がこぼれた。

目をあけたままだったので、まぶたを閉じたら
寝ているだけみたいだった。
ただ、普段は脚など触ると怒るのに
もうぴくりとも動かないのがかなしかった。

そう、哀しくなった。
そんな自分に少し安心した。

ムサシは、本当に突然、ふっと死んでしまった。
普通に暮らしていたのに、自分でも気付かぬうちにいつの間にか魂が抜けてしまった
そんな亡きがらだった。

今日から、レオもムサシもいない生活が始まる。
ペットは自分のところのが一番可愛いと思うのが常だけど
やっぱりムサシは今まで出会った猫の中で一番可愛かった。
死んでしまったその姿も
顔も目も尻尾も手足も真ん丸で
とても可愛かった。

全然構わなかったけど、沢山たくさん癒されていた。
私が気が付かないだけで
ただ憮然とそこにいるだけのムサシに救われていたのではないかと思う。
仕事から帰って「今日の猫ちんは?」と、どうでもいい質問を母にしたり
用もないのにムサシの名前を呼んだり

たくさん癒されていた。

人間だって、いつ周りにいる人や自分が死んでしまうかなんて分からない。
昨日まで元気だったのに
今日いなくなってしまうことだってある。

それくらい、今生きていること、健康を保っていることは奇跡なんだと思う。
少し環境のバランスが崩れれば、簡単に生き物は調子を崩したり、死んでしまったりするのだから。

もう少し、家族や友達、大切な人に丁寧に接しようと思った。
そうすれば、きっともし何かあっても後悔が少なくなる。
今日生きていることは当たり前ではなく、こう有るのが難しい状態なんだ。

そんなことよりムサシよー

なんで急にいっちゃったんだよー

…でも、もうこれでペットが亡くなって哀しむことはないと、少しほっとしている自分もいて

自分がよく分からなくなった。

ムサシは明日、父が火葬場に連れていくらしい。

でも日常は続き、時は流れる。
生きていかなければならない。

レオとムサシ

2011-07-15 21:54:40 | 徒然
7/3(日)、そして今日7/15(金)
飼っていたゴールデンレトリバー犬のレオ
耳折れ猫スコティッシュフォールドのムサシが

続けて死んでしまった。


レオはもう16歳の老犬で、文句なしの大往生だけど
ムサシはまだ4歳の若さで今日突然あの世へ行ってしまった。

今朝、母から「ほら見て、ムサシ氷水飲んでる」と出掛けに声をかけられたけど、
急いでいたのでそんな様子は見なかった。
最後に見た生きたムサシの姿は、台所の端、扉の入口付近でコルクタイルの上にごろんと寝転び
テレビを見ながら朝食をとる家族の方を見ているムサシの後ろ姿だった。

先月一度ムサシは呼吸が異常にあらくなり、毛なみも艶がなくなって
父と私で動物病院に連れていった。
そこでも「いつどうなるか分からない。ムサシは触られることを嫌うし、診察中に暴れれば、そのショックで突然死んでしまうこともある。最近の室内飼の猫はこういうケースが多いよ」と言われた。
その時は、肺に水がたまっているのが分かり、薬を使い尿で水を出す処置がされた。
その後何度か通院して、一時よりは元気になり割と容態は安定していた。

でも、相変わらず、お腹で大きく呼吸をしていて
たまに「ゴボボ…」と苦しそうに咳をしたりしていて
余り長生きしないな…と思っていた。

…でもまさかこんなに急に逝してしまうなんて

あまりに突然で

信じられない。

レオが死んだ時もそうだったけど
不思議と哀しくはなかった。
寂しいけど、胸が引き裂かれるような思いはない。
ミーコが死んだ時は、かなりショックで
次の日は仕事が手につかなかった。

もう家にはペットは一匹もいない。
今まで何かしらの動物を飼っていたから
こういう状態は物心ついてから初めてだ。

レオとムサシは身体を捨てて、どこにいってしまうのだろう。

今、まだ帰り道だ。
家に帰って、ムサシの亡きがらを見たら実感がわくのだろうか。

当たり前にそこにあるものが、なくなる。
形あるものは、いつか必ずなくなる。

今はただ、続くと思って疑わなかった日常が
ある日突然変わることに
呆然としている私がいる。

ムサシを一番可愛がっていたのは父だったので
きっと落胆しているだろう。

レオとムサシ、
うちの家族に付き合わされた動物たち。

自分と彼らがいた期間を重ね合わせ、また一つの時代が終わるような
そんな気持ちになった。
レオとムサシのいる生活は幸せだった。

ああ、やはり、寂しい。