風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

暗闇エンターテイメント

2006-08-31 00:48:08 | 徒然
 2004年、介助の仕事を辞めた年、辞めたのにもかかわらず前の職場の忘年会にお呼ばれした私はその席でMさんというお友達ができた。Mさんは視力に障害をもっており、忘年会の席では「私目が見えないから、こういう初めての人ばかりの場所に来るのはためらったのよ~」確かこういうことを言っていた。だいぶ前のことなので正確ではないけど…。

 私は介助者をやっていた頃、視覚障害を持つ方の在宅介助に入ったことがあり、上手くコミュニケーションがとれず、利用者の方に寄り添った介助をすることができなかったことがあった。視覚障害を持つ人に自分の存在を知らせるにはわかりやすく簡潔に、的確に、スピーディーに状況を説明し、自己表現ができねばならない。そして利用者さんを理解し、介助者を理解してもらう、そういう信頼関係ができなければ介助はできない。何も喋らないで黙々と仕事をしていても、利用者さんは介助者が今どこで何をしているのか、どんな状況なのか分からないからだ。
 自分を言葉で表現する…私が一番苦手とすることだった。
結局、私の勤めていた事務所では視覚障害を持つ方の介助者派遣は事業自体が縮小してしまったのだけれど(私が勤めていた当時は)、心の中にはどこか未消化な部分があった。

 忘年会の席で私はたまたまMさんの隣に座ったのだけど、Mさんと初対面にもかかわらず色々なことを話した。Mさんは自分の思っていることを素直に口にする人だった。私は「この人好きだなぁ」と思った。裏表がないというか…多分、私の言うことに反対の意見だったら「そうかしら?私は違うと思うわぁ」と言ってくるそいういう人だと思った。だから私もちゃんと自分の思ったことを言えるなと思った。というか、Mさんはお子さんがいて、私の何年も人生の先輩なのだ。Mさんに、私が介助者時代に視覚障害を持つ方の介助で抱いたの未消化な私自身の気持ちをぶつけたら、きっとMさんのまっすぐな意見が返ってくるんだろうと思っている。私はそれを聞いてみたい。

 といいつつ、2004年の年末に会って以来、会えずにいた。
でも合間に「最近どう?私はこんなことやってます」と、メールをくれるのだった。
そのMさんから8月の半ばにメールが来た。
今、東京の青山で行われている「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」、暗闇エンターテイメントというキャッチフレーズのイベントのスタッフをしているのだという。そのイベントは完全に光のない世界で8人のグループを組み、白杖を渡され、ガイドの人に導かれてあるコースを回るというもの。頼れるのは視覚以外の感覚と、周りの人の声、ガイドさんの案内のみという世界らしい。
そのMさんは毎回深い感動を味わうのだそうだ。
興味があったら是非きてねというメールだった。
そのチケットはネットでの予約制で既に完売しており、夜中にHPをみていてタイミングよくキャンセルが出たので1枚入手でき、明日行ってくる予定なのである。
Mさんは明日はいないらしいから、2年ぶりの再会はまだ先になりそうだけれど。

 今回このイベントに行きたいと思ったのは、純粋に真っ暗な闇の中で自分がどういう感覚になるのか興味がある、それだけだ。こういう企画は障害を一つの個性とみるオープンな視点があるからこそ成立するものだと思う。

愛して愛して愛しちゃったのよン

2006-08-30 01:46:53 | 進路のこと
 いやぁ…残暑が厳しいですね。
部屋にいてエアコンをつけないと汗がタラタラたれてくる。

ちなみにタイトルと記事の内容は全く関係ありません。
たまたま今、サザンオールスターズのアルバム『稲村ジェーン』を聴いているだけです。夏の終わりにぴったり。ゆらゆらと波に揺られているような心地いい気分になります。

 
 さて、本日は前から気になっていたパソコン教室へ行き、講座内容の説明を受けてきた。こういう○○スクールっていうのはあまり好きではないのだけど、話を聞くだけでも聞いてこようと思い、思い切って行ってみた。
大宮のとあるビルの一室にあるその地味なパソコン教室の前で、パンフレットなどを眺めていたら職員の人に声をかけられそのまま無料体験を受けることになった。

私が勧められたのは「店舗デザイナー」コース約32万円(税込み)。
VectorWorks、AutoCAD(又はjw_cad)、建築理論、店舗デザイン概論・製図/パース実習、実践課題制作/色彩理論の内容で、トータル150分×34回、約半年のコースだ。
ここは強引な勧誘をしないということを謳っており、コースの見積もりを5分くらいで出して、「ご検討ください」と手渡すという中々大人な態度のスクールであった。

 はぁ~どっちにしても仕事探さないとなぁ。

っていうか、夏も終わっちまうなぁ。。。
夏らしいことしてない。
海も花火大会も行ってない!浴衣も着てないし、プールも行ってない。キャンプとか釣りとかお祭りとかそいういの一つも行ってないぞ!
って学生じゃぁあるまいし、そんな理想的な夏休みを過ごせるわけないんですけどね。でもこういう理想の夏休みの過ごし方って大人も子供も一緒なんだろうな。
来年こそ、
①浴衣を着て夏祭りor夕涼み
②プールor海
③キャンプ(釣り、BBQ)
なんて普通すぎるか。
でもこの夏ならではの行事を絶対にエンジョイしてやるんだ!!!!!!
「コドモだね」と言われたって一向に構わないもんね。

それにしても夏休みの子供の行事って本当に時間の密度が濃くていいなぁ。
自分に子供ができたら、予定表を子供の代わりにこっそり作っちゃうな。
下手したら絵日記もつけちゃうかもしれない。
「ママの計画はこうなんだけど、どう?のる?」みたいに。
そして子供の自主性を育てるといいつつ…自分ももちろん参加!
まず絶対に自然と歴史に触れ合う時間を作る。軟弱な子にはしない!
あと絵本を読破とか、すいか割りとか(勿論庭で友達を呼んで行う)、精進料理を味わうとか、夏のデザートを作るとか、和紙づくりとか、火おこし?とか体験できることをいっぱいやる。お祭りも神輿を担がせるなどして参加させる。なんて、そんなに遊んでる場合じゃないんでしょうけど。ああ~早く子供欲し~。家族は多いほどいいよね。

…って妄想してしまった。でも考えるだけで楽しい。

 話を現実に戻して…今日はPCスクールへ行ってみてよかった。
それと同時に、フットワークが重くなっている自分に気付いた。

戸惑い

2006-08-28 01:52:28 | 悩み事
 24時間テレビやってましたね。
みなさん見ました?私は今まであまり興味がなかったのだけれど、今回は結構観てしまい、感動した。特に筋肉が骨になってしまう病気を持つ少年とKAT-TUNの田中聖の絆の話。人はひとりじゃ生きていけない、「ない」っていう【否定】じゃなく、心を開いて周りに助けを求めれば手を差しのべてくれる人がいる。ひとりじゃないから、頑張れる「れる・られる」の【可能】の考え方をすることで人は繋がる、成長できる、生きていけるってことを教えてくれた。「絆」っていいテーマだったなぁ。

…さて、ちょっとさかのぼって8月25日、昼に上尾のショッピングセンターへ行き(←で感じたことは別にまた書くつもり)、夜は学生時代のコンビニバイトの仲間だった女子2人に会ってきた。

 18:30に待ち合わせてファミレスに入り、出たのが深夜2時すぎだったかな…お酒も入らず、ドリンクバーでよく8時間!も居たもんだ。
古い付き合いの女子同士だと、よくやりますよ、長丁場。
今回は約半年ぶりに会ったのもあったんだけどね。

 話すことは仕事、家族、バイト時代のこと、最近の若者(ティーン)について…そして必ずする恋愛の話。でも昔よりも仕事の苦労話や生活の知恵?のような話題が増えた気はするな。

 そして私も近況を報告し、今抱えている悩み事などを話し終えると…
友人Yが言った。
「ほんちゃんは、設計の仕事をしたいの?それとも結婚をしたいの?」

「うーん…(苦慮)好きな人とは結婚したい」

「…ほんちゃんはね、今結婚したい時期なんじゃない?」

「そうかもしれない」

「でもそれは…今26、27歳だっけ?女だったら30歳を前にそう思うのは自然なことだと思うよ。だって男は結婚したって子供できたって仕事にそんなに影響ないじゃん。でも女はそうはいかないからね」

「そうだね…」…と凹む私。

 なんだか痛いところを突かれ、図星だったことにショックを受けた。
現場のバイトが始まって1ヶ月を過ぎたあたり、建物の総合監修をしていた設計者のFさんに「ほんだチャンは結婚したいとかいうのはないの?」と聞かれたことがあった。
「結婚したいとかいうのはないですねぇ~。流れでそうなったらなったでいいかなぁって思います」
「それはいいねッ」
「(結婚したいって思う女の人はがっついているようでイヤってことなのか?)」

なぜいいねなのかはよく分からないけれど…少なくともその会話があった4月頃っていうのは本心でそう思っていた。その時は内監の仕事を覚えることと、空いた時間にスキルを身につけたい、現場のことを覚えたいその緊張感を持って仕事することが楽しかった。
でも…いつしかそうではなくなった。
結婚や出産をするなら今から設計の道を志して、一から経験を積もうと飛び込んでもいずれ辞めることになり中途半端になるのは分かっている。それだったら身をすり減らして働くよりももっと家庭的な女性になるために必要なことをしたらいいのではないか?別に楽したいっていうんじゃない。(誰もそんなこと言ってないけど…)私にとっては料理だって家事だって家を守ることだって一人で考えて責任もってやったことがないからそっちも未経験なのだ。結婚は逃げじゃないぞ、うん。

 だいたい、私はやりたいことをやるには生活するためのお金を稼ぎながらっていう条件がつく。そこで例えば設計事務所などにバイトでもいいからと飛び込めば安い給料だけど技術を身につけられる。
つまり私がやりたい仕事は、技術がいるし一人前になるには時間がかかるのだ。仕事をする時点でポテンシャル採用とかそいういうのは殆ど見込めないのだ。学校へ行くのもお金がかかる。それにはお金を貯めるあるいは借りるしかない。けれどもし結婚したら?そしたらその投資したお金はムダになってしまう。それでもいいじゃんっていう覚悟がない。
だったらもっと今すぐ始められる仕事をして、ちゃんと安定した収入を得て、余裕ができたら好きなことをする…そっちにした方がいいのではないのか?
でもその安定した収入を得るための仕事って何するの?

 だいぶプライベートに接近したことを書いてしまったけれど…
今私は↑のことを悩んでしまう状況なのです。
明快な答えがでない。
でももうすぐ9月!9月にはまたチャレンジを始めようと思っているので、
そろそろ決めないとなぁぁ…

 こういうことを考えるのは自然なことだと、科学的な裏づけっていうのがあったりしないのかしら。…ハァ。でもしょうがないよなぁ、悩んじゃうんだもん。
植物に例えたら、夢っていう名の鉢に「設計」ていう芽がやっとでて、水をやり、肥料をやり、陽の光をあて、一生懸命育てていたら…いつの間にかその同じ鉢の中に「結婚・出産」っていう芽が芽生えて急成長し始めたというか。どっちか間引かないとねっていう状況になりつつあるのか?

 じゃあ植物の場合は、鉢に後から芽をだした苗木もちゃんと育てたい場合はどうする?それは…別の鉢に植え替える。もしくは地植えにする。この場合は庭がないとなぁ。そしてどちらも春と秋っていう植え替えの季節があるからなぁ…
って何考えてんだ私は…

 私はほんの数ヶ月前までは「好きなことを見つけたから、30歳を前に結婚したいとかそいういうことで悩まないヨ~ン」と余裕でいたのに、この有様。こんな自分に戸惑いを感じている今日この頃なのであった。

なりたいもの

2006-08-25 02:24:38 | 徒然
少し考え疲れたのもあるんですが、

将来なりたいものっていうのは…

「いい女」、、、ですよね。

実はそれに尽きます。

「いい女」っていう言葉を発してるだけで、なんかワクワクするもんね。

んじゃ、私にとっていい女って何だろう?

そういうことになりますよね~。

でもこの先の不安を考えるより、素敵な女性になるって考えると
少し心に希望とゆとりが生まれるので、きっとこの考え方は正しい。


今、友人から借りたイラストレータの基礎テキストを読みながらPCとにらめっこし、色々な操作を試しているのだが、なんといっても集中力がない。PCの画面の前にじっとしているのが得意じゃないのかも。せいぜい1時間だな…。
ブログを書いているときはそうでもないけど。
パースも製図もベクターもテキストを持ってるし、スケッチをする時間だって余るほどあるのに、集中できないから描けない。そんな自分に苛立ったりして、疲れて、眠るといった悪循環に陥っていた。

やっぱり今、トコトン自分と向き合って考える時期なのかな。絶対そうだね。
そうじゃないと、エンジンがかかりそうにない。
なんか、燃料に火がつかないってカンジなんです。
今無理に走りだしたら、プスン、ガコッ、ポロッ、コロコロ…っとボディが壊れてしまいそう。
方向性をバシッと決めたら、エイヤッと飛び込む。
もー…こーなったら、トコトン考える、これが最優先。
オーバーヒートしてた自分を冷ます期間が必要だった。
今度は充分あっためて、次に走りだす為の準備だ。

自問自答ブログ

2006-08-24 16:57:46 | 徒然
 今までやってきたことを振り返ると、

介助者の仕事、
園芸店での販売+売り場管理、
設計事務所のバイト、
内装監理室の事務、

園芸店は少し違うけれど…
介助の仕事、設計事務所、現場事務所の事務も、
みんな補佐というかサポート的な仕事だった。
それが自分に合っているのか?

障害を持った方の自立生活をサポートすること
アトリエ設計事務所のアシスタントのような形で働くこと
大規模な建設現場の内装監理室でスタッフの方をサポートすること

共通するのは障害を持ってる人の生活を支える事業や設計の仕事に興味はあるものの、結局裏方に回る仕事をしてきたということ。
そいういうことがやりたいのか?
…多分、好きなんだと思う。
でも、それを辞めてきた(設計・現場事務所に関しては辞めざるを得なかった)のは何かが合っていないからなのだろう。

園芸店でのバイトは、正直学ぶことも沢山あり、実際に植物に触れて、夏の暑さや冬の寒さなどを感じることができた貴重な経験だった。
けれど、なぜ辞めたのか?
それは…もっと成長したい、広い世界をみてみたいと思ったから。
好きだったけど、いつまでもここにじっとしてるわけにはいかないと思ったから。もっと自分の可能性に挑戦したいっていう気持ちがでてきた。

 これは私の直感的に感じたことを荒々しく組み立てた仮説で、根拠があるわけではないのだけれど…

社会の中で、介助、園芸店の業種自体は家庭的、閉鎖的、女性的、といった特徴を持ち、役割を担っていると思う。いわゆる福祉業界、園芸・生花店などは利益を追求するという市場原理に合わない業界だからだ。人や植物という生命と対する仕事だからかもしれない。介助の質を上げようと思えば、いい人材、福利厚生、教育が必要になる。つまりコストと時間がかかる。また一人の介助者が長年介助職を本業にして職務に徹することは肉体的にも精神的にも負担を考えて難しいことで、そこに個人の能力の成長が必要となる。パソコンができる介助者であればそれを利用者は使うことができる。逆に介助者が手話を習得すれば聴覚に障害のある人の介助に入ることもできる。個人の能力の伸びと人間性のよさ、それがダイレクトに障害を持つ人の生活の質の向上になる。つまり…求められる役割は障害を持つ人の手足となって生活を支えるサポートという立場だけれど、常に社会に対し問題意識と向上心を持って行動でき、情緒の安定、社交性があり、積極的に現状を切り開いていく革新性が求められるのだ。そういう人材はどんな企業だって欲しがると思う。そしてそういう優秀な人材を確保するのと同時に、そこだけで抱えていても組織の活性化に繋がらないという矛盾がある。介助者の生活の安定と介助の質の向上をその組織だけで担うことは難しいのだ。事実、老人保健施設で働く人の話を聞いたりするとそのスタッフがいかに疲れてしまっているか、モラルが低下しているか、そいういうことを感じるのだった。
 まとめると、介助、園芸店での仕事の立場は女性的なきめ細やかさや配慮が必要だが、働く人に求められるものは逆に男性的な行動力、バイタリティ、社交性、革新性、陰と陽でいえば、「陽」のパーソナリティだった。少なくとも私はそう感じた。私のいた園芸店でも本質的には同じことが言えるのではないかと思う。共に働く人は女性が殆どだった。

 設計事務所や建設現場の事務所へ行ってみて初めて、自分がいかに社会人としての経験が浅いかを知る。いかに、知らないかということを知ったことは自分にとってとても意味のあることだった。
そこで感じたことは、言うまでもなく男性の職場であるということだ。
まず、関わる人の多さ、そして対人ではなくモノを介して利益を得るということだ。体力的にも精神的にも人と競う、争う、新しいものを創造する、エネルギーを何かにぶつけることで利益が生まれるそいういう業界だ。だから、それに堪えるだけの知識、経験、技術、社交性、行動力、交渉力、管理能力などが必要となる。それが未熟な者は競争に負けてしまうし、それに長けている者は利益を得られるつまり仕事を得られる。幅広い視野とタフな精神力と体力、頭脳勝負となる。けれどそこで更にさっき書いた陰と陽でいえば、「陰」の心遣いや気配りができる人が伸びるし一流、あるいは「仕事ができる人」と評価される。
 
 何が言いたかったのかというと、、、自分に適した業種と職種のマッチングがあるのではないかということだ。
好きなこと、やりたいこと、だけでは漠然としているけれど、
自分はどんな業界で、どんな職種で働きたいのか?
自分はどんなことに興味を持っていて、どんな性格なのか?
この二つを分けて考えることで少し見えてきそうだ。

 介助時代のことを思い出したついでに、
クローゼットにしまってあった1年前に描いたスケッチを取り出して眺めてみた。
まだ職業訓練に行く前のこと、スケッチとかパースとかそいういうことを知らなかった時に描いたんだ。介助の事務所の近くにある、小さな神社だけれど、落ち着いていて好きな場所だった。「自分は絵が好きなはずだ!描きたい思いはある!」と思って描いたらやっぱり描けなくて、がっくりした絵だった。
「描かないと」と思うとなぜかけなくなるんだろうな。
今は少し、描くときの感覚を思い出せるときもある。
その木肌や曲線に頬を寄せるように、体がその対象と一つになるように、
まるで溶け合うように、純粋に目に映るものと仲良くするっていうイメージだ。
話し合うように。
そうすると、他の人は下手と言っても、自分は納得できる絵が描けるものだ。


半年を振り返って

2006-08-18 16:18:30 | 徒然
 ここ半年の間、どんなことを思って過ごしてきたのか、1月から今までのブログを読み返してみた。

 2月の後半に現場のバイトを始めてから、
唇に口内炎ができたり、ものもらいができたり、咳が止まらなくなったり、結構今までにない体の不調が目立った。
毎週木曜日は必ずといっていいほど飲み会でよく同席させてもらっていた。
4月に愛猫が5月に叔母がこの世を去り、深い哀しみを味わった。
この5ヶ月で、百人以上の人と会ったと思う。
スーパーの内装のデザインを考えるチャンスをもらったり、
屋外看板の監理をさせてもらったり、事務以外の仕事をやらせてもらった。
っていうか、事務の仕事も、内装監理室での仕事も、建設現場も初体験だった。
ほぼ毎日ジーンズやチノパンにスニーカーで過ごせる環境はとてもラクだった。
男性率99パーセントの職場はサポートに徹している限り、サバサバしたいい職場環境だった。
よく叱られたり怒鳴られたりした。
でも特に竣工2ヶ月前の4・5月あたりは現場に活気があり、なぜか私自身とても充実感があった。
ただ、密度は濃かったけれど短期間に色んな事が重なって起きていたことも改めて感じた。少し精神的に疲れが出ているんだろう。プロ野球選手だって、シーズンオフがあるように、私にもシーズンオフが必要なの…か?

 昔の自分のブログを読んでいるとすごく前向きな自分に驚かされる。
とりあえず、今日一日頑張ろう!というキラキラとしたオーラというか…
少し力が入りすぎだよ…と後から自分でつっこんでしまうような記事。
エネルギーに満ち溢れていたなぁ。

4月のブログに「どんなに人や環境に恵まれても自分を鍛える精神と謙虚さだけは忘れたくないと思った。」

こんなことを書いている。
私は一体どこへいってしまったんだろう。目標を見失ってしまったのかな。
いや、今までがむしゃらに走ってみれば何か見えるかもしれないと思ってきた自分を少し冷静に見る時期なのかもしれない。だって、あの時はやっぱり人を気遣う余裕もなかったし、振り返る間もなく、いつも追い立てられてるようで苦しかったもんな…。

 今は昼間もよく眠っている。「眠っても眠くて仕方がないときは人生が大きく変わる節目が近づいているサイン」スピリチュアルカウンセラー、○原啓之の本に書いてあったけれど、本当にそうなのか、単に堕落していってるだけなのか…よく分からない。でも、少し働いた方がいいような。リズムがないのはよくないぞ。
そして現実問題として…お金だってなくなるわけですし、
これからまたやりたいことを仕事にするならちょっとよさそうなPCスクールを見つけたので通おうかなとも思っているし…
独学では続かないというか、どうしていいか分からないのです。弱いなぁと思うんだけど…

どっちにしても今の自分じゃ思うような転職はできませんね。
やっぱり、色々考えたのだけど、長い目でみたら今伸ばしたい何かを身につけておいた方が職場は変わっても自分のやりたいことに近い仕事ができるのだと思う。それが自分にとって一番楽しいというか、困難なことも乗り越えられる条件なんだろうな。この間、WEBで求人のサイトを閲覧していてそう思った。
※ちなみに、CADオペの派遣会社の人によれば今求人はWEBで探すのが主流なんだそーです。掲載する側からすると、そうじゃないと人が集まらないんだって。
業種も様様、職種も販売や営業や色々あるけど、今方向転換してキャリアを積んだら後悔しそうな気がする。ふっきれないというか、まだ自分の満足するまでやりきった感がないというか…。

まだ入り口にも立ってないのにこういうのもなんだけど、どうせここまであがいてきたならもう少し頑張ってみようかなと思う今日この頃なのであった。

 とりあえず、少しゆっくりペースで歩きだしてみますか…

ロックンロールだぜ!

2006-08-16 18:29:44 | 徒然
 昨夜、ブログを更新している時に…yahoo!のポータルサイトにブライアン・セッツァーと布袋寅泰がコラボレーションした新曲『Back Streets of Tokyo』のPV映像へのリンクが貼られていたので観たら、魅入ってしまった。最近やってる発泡酒SlimsのCMで布袋が「のってるか~い?乗ってるぜ(贅肉が)」と言ってるときに流れているあの曲。

…何を隠そう、私はプロモーションビデオ好きなのだ。マイケル・ジャクソンを好きになったのも中学生のときに友人宅で観た「Remember The Time」というPVがきっかけなのだ。や~、どんなに売れているアーティストでも、マイケル・ジャクソンの作品だとしても、「なんじゃこりゃ?!観るに堪えない」というものもある。逆に最高にワクワクするものもある。

 布袋とブライアン・セッツァーのPVは良かった。
シンプルで、カッコイイ。普通、ただアーティストが演奏しているのを色んなアングルで撮ってるのって大概「けっ!ナルシストめ!つまらん!」と思っちゃうんだけど(といってもこれはあくまでも私の主観ですので…)、これはいい歳した二人が革ジャンを着て飛んだり跳ねたりギターを弾きながら歌っていて、ギターとロックンロールを愛してるぜベイビーみたいな波が伝わってくる。ギターを奏でる技術の頂点を極めた人たちの余裕を感じるというか…荒川静香がアイスショーでいきいきと楽しそうに滑ってるのを観ているのときっと同じような感覚なんじゃないかと思う。あとPVの監督のセンスが良かったのと、今、ロックっていうのが新鮮なのかもしれないな。

 PCで観られる方は是非→http://streaming.yahoo.co.jp/c/y/mic/10034/1003400004/

 あと、ブライアン・セッツァーって私は名前だけ聴いたことがあって、でもものすごく有名で、日本のロックバンドのギタリストのインタビュー記事などをみるといつもその名前が挙がっていたので、何となくものすごくギターが上手い(速弾き?)んだろうな~という感じで知っていた。
ストレイキャッツというバンドのギタリストだったとか…。
何年前のバンドなのか知識が全然ないけど、このPVを観て聴いてみようと思った。

しみじみと

2006-08-16 03:17:11 | 徒然
 13、14日と父と母の実家両方に里帰りしてきた。

13日に母方の実家へ行くと今年結婚したばかりの同い年の従兄弟がお嫁さんと一緒に来ていた。聞いたら、なんと妊娠4ヶ月なんだそーで。
おばさん、嬉しそうだったなぁ…。
というわけで、料理のお皿の乗ったお盆などは私が率先して運ぶことになり、なんとなく従兄弟のお嫁さんを女性として羨ましく思ったりした。そのお嫁さん、H美ちゃんは同い年で、最初はぎこちなかったけどこの日は結構話すことができた。あかの他人だった人が親戚になるって不思議だな…と思いつつ、歳が同じ女の子ということもあって嬉しいのも事実だった。
妊娠4ヶ月というのはお腹も殆ど変わらず、たまにつわりがあるくらいなんだそうだ。私の高校時代の同級生、暗黒の(笑)青春時代を送った同志も結婚4年目、今妊娠6ヶ月、もうすぐ7ヶ月になってこの間会ったらだいぶお腹が出ていた。そういえば!敬ママ先輩ももう生まれたんだっけ!!!…いやぁ~~~、おめでたい。
最近夏休みで街で子供をよく見かけるからか、小さい子供を連れた親子に目がいく。生まれてくる子供達はみんな宝物だ。どんな命もみんな同じ。

 田んぼの真ん中にある母の実家の台所でH美ちゃんに最近のこのどっちつかずの私の胸の内を聞いてもらった。夕暮れ時、窓の外には高速道路が遠くに見えて、その手前には青々とした田んぼが一面に広がっている。視界をさえぎるものなんて何もない。外からはリリリリリと虫の音が聞こえる。
「今の歳って微妙な年齢じゃない?仕事一筋になったらもうずっと結婚とかとは縁遠くなっちゃいそうで、なんていうか、一人で生きていけるぞ!ってなっちゃったら嫌だなぁって思うんだよね…。私の場合結婚や出産の予定があるわけじゃないし、あるわけじゃないんだけど、なんかこれからどういう方向へ行って良いのか正直わからないっていうか…、将来に対する漠然とした不安があるんだよね」
「そうだね、先への不安はあるある」
「なんかさぁ…子供が巣立った後のこととか考えちゃうんだよね…」
「エッ!!もうそんなこと考えてるの?!」
「な~にそんなこと考えたってしょうがないのよぉー」…台所で洗い物をしながら私たちの話を聞いていた叔母さんがすかさずツッコミをいれた。
「考えないですか?考えないかぁ、私考えちゃうんですよね、子供が巣立ったら夫婦でどうやって過ごすかとか、手に職つけておかなきゃとか…」
「う~ん、まだそこまでは考えないなぁ…」H美ちゃんは言う。
まだ結婚もしていないのにだいぶ先のことを考えて喋っているのは勿論私だ。
「今のこと考えなさ~い、先のこと考えたったてどうなるかなんてわかりゃしないんだから。今できることを一生懸命やればいいの。大丈夫、大丈夫。」
「そ、そうですよね。明日の心配してたってどうなるかなんて誰にも分からないんですもんね、ハハハ」

「そぉよぉ~。なに、なおちゃんはお付き合いしている人はいるの?親としてはね、誰か娘を大事にしてくれる人にお願いしますって託すつもりでお嫁にだすんだよね。そんな~、勿論何かスゴイ才能があるとかそういうんなら違うけど、女の人が一人で生きていくって…大変よぉ。だって仕事してくって男の人だって大変なんだから。仕事じゃみんなライバルでしょ?」
叔母さんはしみじみと語った。
「あの『人という字は』ってやつね(笑)」そう言いながらH美ちゃんと私は笑った。

 なんだか、私ががんじがらめになっていたのは「一人でも生きていけるように、何でもできるようにならないと」っていう気負いだったのかもしれない。それは決して独りでいたいからという思いからではなかったのだけど、誰にも頼らないで生きていけるように今自分が力をつけなきゃ、と思っていたところは否めない。
仕事のこともこれからどうするか、考えるとどうしても行き詰ってしまって答えがでないでいたけれど、一昨日H美ちゃんと話していて私はもしかしたら意地を張っていたんじゃないかと考えさせられた。

 私がこれからどう進むか、何か目に見えて進んでいるわけではないのだけど…、一昨日は「ああ、私も一人で生きてはいけないんだな」と意識する機会となって、こう書くのも恥かしいのだけど、私そういえば女なんだな…としみじみと思った。一つ、自分を認めたというか、気付いたというか、肩の荷がおりたように少し気が楽になったのだった。

誇りを持って仕事する

2006-08-12 20:21:39 | 徒然
 先に書いた『光の教会 安藤忠雄の現場』という本で最も印象に残った部分がある。

 それをちょっと抜粋。

 
 「『変更』っていうのが、現場で一番困りますからね。僕らもよう打ち合わせしとって、それこそ安藤事務所のスタッフでも、時に文句言うたり、小言いったりしますけどね」
 ちょっと昔のことであるが、安藤事務所との仕事中、設計変更を当然であるかのように命令口調の高圧的な態度で要求されたことがあった。さすがにその時は那須も怒った。

「あんたはそこで線を一本引っかいたらそれで終いや。しかし、それを形にするためにいったいどんだけの人間が動いてるか、その辺よう考えてやれよ」

建築の図面に描きこまれる線はその一本一本のすべてが意味を持っている。曖昧な線は許されない。図面を受け取った他人がそれを現実のモノとしてつくり上げねばならないのだ。少なくとも現場監督が職人に指示を出す時には、職人が納得できるような説明をしなければならない。そうでなければ人を動かすことはできない。それを同様、安藤事務所のスタッフにも現場監督を納得させられるだけの根拠が必要なはずだ。



 ちょっと長くなってしまったけれど、この本の中で強烈に印象深かった部分だ。「那須」という人物は現場の工事をまとめる建設会社の現場監督だ。著者はこの立場について描いているのだけど…これはまさに、私が現場でよく目にする光景だったのですよ。
すでに実施の図面が現場の施工側に行き渡っている段階で、設計者のアイディアが途中から盛り込まれたり、逆に削られたりすると現場ではそれに伴って工事も中断したり、新たにやり直したりする。
図面を描いている方は紙の上、コンピューターの画面の線一本を動かすだけでも、実際に工事をする側はそう簡単にはいかない。せっかく取り付けたものを「やっぱり変更ね」と当たり前のように言われたんじゃ頭にきて当然だ。また、その変更に伴う工事費の増額分は施主に渡してある見積もりには入っていないから、結局工事を請け負う側の負担となることが殆どらしい。
「変更」にはお金と人の気持ちが絡むのだ。
それを考えず、「当たり前のように」指示することがよろしくない。

 以前現場の施工の責任者の人に聞いたことがある。
「現場で変更があるのは日常茶飯事で仕方がない、変更がないことなんてない。現場が1/1の図面なんだ。生き物なんだよ。でも当たり前のように変更だからやってと言われてもこっちは職人動かさなきゃなんないんだからそのへん分かってんのかって言いたくなる。逆に申し訳ないけどっていう気持ちというか一言でもあれば気持ちよくやるよ」

 私は線一本でどんだけ熟練しているかがわかる昔の手書きの図面の時代と、操作さえ覚えてしまえば私でもCADで簡単に図面がひける時代、今は設計者はこの職人気質がなくても建物を描くことができるようになったのではないかと思う。同時にそれは実際に現場の作り手との気持ちの開きを生んでいるのではないか。
設計者は何もないところから空間を生み出す。でもそれは実際に作る人がいなければ現実には生まれない。施工側は設計者の意図を理解しようと努めて、設計者は施工側がどんだけ体張って建物を作っているかを知らなければならない。
工事の変更はお金で解決できることもあるのだろうけれど、それ以前の意識で両者の理解があるか、コミュニケーションがとれているかが本当に建物を作る上で大事なのだ思った。

 これは建物を作る仕事に関わらず、複数の人が関わって何か一つのことを成し遂げようとするときにいえることでもあると思う。

愛すること

2006-08-09 19:48:10 | 徒然
 一昨日、昨日で一冊の本を読んだ。
『光の教会 安藤忠雄の現場』(平松剛・著/建築資料研究社)という本だ。

実はこれは現場のアルバイトに入る前、2月に女性の設計士の先輩に借りたものだった。でも殆ど断片的にしか読んでおらず、この間その先輩のいる事務所を訪ねたら「ぽん、本は?」と聞かれてしまった。

「殆ど読んでません」と答えたら
「今度8月の半ばに飲み会来るんでしょ?その時に返してね」と言われた。

現場のバイト中は特に後半、ブログを書く余裕もないほど精神的にゆとりがなかったから、読む余裕なんてなかった。でも読んでおけばよかったかなぁとも思った。それは設計者、施主、施工会社、職人その他色々な立場の人が出てきて、建物ができるまでの一連の流れが描いてあったからだ。でも、今読むとバイトで出会った色々な人や場面が浮かんできたから、やはり今がその本を読むタイミングだったのかもしれない。

 この本の著者は早稲田大学理工学部建築学科を卒業後、同大学院をでて構造設計事務所で4年間働き、フリーとなって仕事をしているらしい。つまり、建築の専門的な知識を持った人が書いたノンフィクション作品なのだ。読み物として軽い内容ではなく物語として成立していて、かつ、設計や施工について技術的な解説も平易な表現でわかりやすく描いてあるのだ。だから入りやすい。

 そして内容は全部で10章に分けられ、構成されているのだが、特に建物の竣工(完成)~その後の人々の反応までを書いた9・10章は感動して一人、喫茶店で涙を流して読んでいた。近くに女子高校生か中学生の男女6人が座っていたのだが、多分一人で鼻をかみ、涙を拭く私は視界に入っているだろうから、「この人はなんなんだろう」と思ったに違いない。でもそんなのはお構いなしだった。

 ものづくりを愛する人の情熱、ストイックさに胸を打たれた。
かなりの低予算で妥協をせず、美しいものを創るその姿勢には正直尊敬すると同時に、やはり次元が違うと思ってしまうのだった。でも私はものづくりってこういうもんなんじゃないかと思うところもあって、やるなら自分が目指すのはこういうレベルなんだなって思った。ただ、そしたら一生を懸けないとなぁ…と。そんなことを考えたら涙が…この本に出てくる「光の教会」の施工を請け負った建設会社の社長の人物像が最も泣かせるのだった。

 今日はオシムジャパンが今、試合をしている。
父と私はちゃぶ台をはさんでにんにくの茎や秋刀魚の開きをつまみながら、テレビの前で観戦していた。私が「やっぱさ~、この試合に出てるサッカー選手も本当にサッカーが好きでやってるんだよね~~」と当たり前のことをため息混じりにつぶやいたら、
「いや、オシムは『日本の選手は遊んでいる。家庭も顧みないくらいの覚悟でサッカーにのめり込まなければ強くならない』っつってんだってな~。やっぱ世界で勝てるようになるにはそうなんだろうな」と父が言った。「これからが楽しみだね」「そうだな、長い道のりだな」そんな会話があった。

 私は、この本を読みながらいくつか思い浮かんだことがある。
それを喫茶店の紙ナプキンにメモした。
そのメモには「共に生きる」と書かれている。

好きと愛することの違いは、「共に生きる」ことを考えてるかどうかではないかという仮説が浮かんだのだ。好きな人ならいっぱいいる。でも愛する人は一人、そういう人との恋愛にもいえるけれど、職業にも置き換えられるのではないかと思った。

好きだけじゃだめなんだってドリカムの歌があったけれど、サッカー選手も建築家もただ「好き」だけじゃだめなんだ。その瞬間に人生を懸けられるかどうか、それが一流かどうかなのだと思った。私は自分の力を存分に発揮できる場所で一流になりたい。だから悩むのだった。最初の一歩をどこに踏み出すか…

 また、今日は夕方、18:30ごろ音楽を聴きながらぷらっと近所を散歩しに出かけた。マンション郡の周辺に広がる緑の田んぼと美しい夕焼けを見ることができた。一瞬であったけれど、ずっとみていたい風景だった。人の一生なんて、宇宙や地球の長い歴史に比べれば私が見た夕焼けより一瞬で終わってしまうものなのかもしれない。