風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

成長しすぎた子株

2007-03-28 22:39:15 | 徒然
 先週末~今週は父方の祖父母の墓参りへ行き、入院中の母方の祖父に会いに行き、今日は祖母がうちに泊まりにくるなど、じいちゃんばあちゃんとの交流のある一週間を過ごしている。

 そんな中、最近妙にひっかかることがあった。
それは親戚の家へ行った時やうちにばあちゃんがきているときなど、
「まったく、なおちゃんももうちょっと成長してもらわないとね」
「自立してもらうことが望みですよ」などと母が言うのだ。

 自立?成長?

 一体親の望む成長や自立とは何なのだろうか?
これ以上どう頑張ればいいというのか…?

私は自分でやっと落ち着いてきたと思っていた矢先だったので、
母の言葉に愕然としてしまった。

「ねえ、お母さん、お母さんの望む私の自立ってなんなの?」

「…ウーン、そりゃぁいい人と結婚するってことじゃない?」

「じゃぁお母さんが望む私の成長って?」

「そりゃぁ何か生きがいみたいなものを見つけるとか、心の成長よ」


 私はこのやりとりを通して、ああ私は親元で大きくなりすぎたと思った。
親元で成長しすぎたということだ。
母は「早く自立して欲しい」と望み、私は「まず自分を認めて欲しい」と望む。
親元を離れることは、親との繋がりを大切にしつつ自分を頼りに社会で人とのつながりをもって生きていくということだと思う。

 あ~あ、私は親に認められたい、周りに認められたいそれだけでここまできてしまったのかもしれない。なんて、刹那的なエネルギーなんだろう。
いつまでたっても満たされることはない。

だからずっと、親元を離れることが私にとって第一歩だったのかもしれない。
でもできなかった。それはきっと、両親が私を大事にしてくれたからだと思う。それに甘えてきてしまったんだと思う。

 今年28歳、私は夢をおいかけてとか、就職が決まってとかではなく、家を出ようと思った。離れてきっと大事な人を大事にできるんだと思う。
今日は心の中で一つ大きな気持ちの整理がつき、今後の一つの目標がみえてきた。
まるで、どこをどうすれば動くのか分からないくらい複雑な、でも動力の中心となる心の中の大きな重い歯車がゴトンと動いたようなそんな感覚だった。

この仕事

2007-03-28 00:01:58 | 徒然
 宮崎駿のアトリエを訪ねた女性アナウンサーの「なぜ映画作りをしているのか」という質問に対して、宮崎駿は

「そんなのわかんないですよ、そりゃあなたがなんでアナウンサーみたいなことやってるかってことと同じですよ。そうやって自分が存在しているってことでしょう」ってなことを言っていた。
 
 ものづくりの仕事に関わってるということは宮崎駿と自分の共通点だと思う。
立場や経験や年齢や才能や環境や業種も職種も違うけど、同じことは、その仕事の成果が物になって目の前に現れるということ、そしてその先にお客さん、人がいるということだ。だから、手は抜けないし、真剣勝負になるし、それが求められるからこそ私はやりがいを感じる。そして少しでも自分が手を抜いたら…うーん、その時の自分を出し切らなかったら?創作活動ではなく「仕事だから」と割り切ってやっていたら、やりがいをもってできなかったら、やっぱり自分に返ってくるんだ。だから体力も精神力も使うし、仕事以外のことで悩んだり不安になったりそんな日々もある。でもそれでいい。割り切ってしまうよりもずっと、そんな自分のままの方がいい。
「自分に厳しくするのも自分だけど、自分を許せるのも自分なんやで」とある人にいわれた。
その「自分を許す」ということがどういうことなのか…それがとても自分にとって必要な答えであり救いだと感覚的にわかるものの、具体的にどうすればいいのかまではその言葉を聞いてすぐにはわからなかった。でも自分を許すということは、できた人間じゃなくてもいい、自分にしかわからないものがあってもいい、だけど周りの世界、人に対して笑顔で応じる必要がある時もあるし、笑顔でいる時もある。そういう人が人を感動させるものを真剣につくっているということが何より慰めになった。そして解放された気分になった。ああ、自己中心的だけど純粋な子供な自分と周囲のことを考えて行動できる大人な自分、両方が今の私であっていんだと、それが自分を許すということなのだと思った。
 私は直接何かを創作する仕事ではないけど、でも創る一部になっている。ものをつくる仕事は、そんな自分そのままと向き合う仕事なんだと思う。だから、やっぱりこの仕事でよかったと思った。