風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

上手にお付き合い

2006-01-30 00:26:30 | 悩み事
 最近ちょっとしんどいことがあって、気持ちが低迷気味…

自分の進路のことも、書類を送った先からのお返事はまだなく、
なんだかやっぱり現実から逃避していて、足踏み状態。
やらなければいけないことはわかっているのに、動かない、臆病な自分。

ああー、こんな自分は嫌いだ。
まずは生活する為のお金を稼ぐ仕事と、自分の興味のある職業がマッチした職を
探すことが先決だ。
こうして書いていると考えが明確になる。
なんだか、自分を自分で焦らせているな。

 とにかく今はあんまり調子がよくないらしい。
そのうち、ペースができてくるだろう。
私は頑張りすぎて(といっても努力するのとは違う)気負いすぎてしまうタイプらしい。
そういう私はまぁ、いってみれば臆病者なのだけど、それを焦らせると決していいことはない。自分ではうつになりやすいタイプ、だと思う。
他人から求められる自分にならなきゃ、と頑張ろうとするのだが、
そんな完璧な人はいないし、なる必要はない。

それが人の為にも自分の為にもならないことも分かっている。
でもつい、あれもこれもできたらいいのにと思う。
そしてブレーカーが落ちるように、プツンとすべての動作が停止する。
(あるいはオーバーヒートする、か)
今まではそういう風に何度かブレーカーが落ちて、その度に周囲の人に支えられ、
周りからも頑張りすぎるなと言われ、自分ももっと気楽に生きようと思った。

でも、今のままじゃだめだって結局自分を否定し続けてきた。
向上心からそう思う時もあれば、恐怖心からそう思う時もある。

そんなの疲れて当然だ。
でも自分の性格につきあっていかなきゃな。
背伸びせず、等身大の自分で、なりたい自分に向かって、少しずつ順番に地道な努力をしよう。
思い通りにいかない時はつい焦ってしまうけど、でもそれも自分なんだ。

 今日は気温が10度、暖かいので気分転換に徒歩で30分ほど買い物がてら駅前まで散歩した。
空は青いなぁ。自分の歩幅で歩いていると気持ちがいい。小春日和の陽気の中で歩いていて、生きててよかったなぁと思った。
駅前の本屋に寄ると正面に「別冊太陽」という聞いたことのない雑誌のムックが並んでいた。
…金子みすヾの世界、司馬遼太郎、狩野派(日本画)、假屋崎省吾の花の世界について等等、どれも魅力的だった。特に歴史小説作家・司馬遼太郎のムックはページをめくると、「二十一世紀を生きる君たちへ」というメッセージが目に飛び込んできた。その文章は『千と千尋の神隠し 千尋の大冒険』という本で読んだことがあり、宮崎駿が尊敬する人物として司馬遼太郎をあげていることから司馬氏が二十一世紀を生きる子供たちへ宛てたこの全文が掲載されていたのだ。
ムックにはその一部が大きな活字で誌面の空間を広くつかって、レイアウトされていた。

 「君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心をもたねばならない」
 この一文を読んで泣けてしまった。
今の私を律するこの言葉にとても励まされた。

 あと、最近感動した作品:
 ウルフルズ『サウライソウル』…厳しい音楽業界で売り上げ不振の時にはレコード会社から何度も契約を切られそうになって(と、ウルフルズ好き元ミュージシャンマネージャーの元同僚であり友人である人から聞いた)、でもここまでやってきたウルフルズ。ストレートすぎるほどストレートで、それが時代のその時々の気分に受け入れられない時もあった。でも、10年間自分たちのスタイルで頑張ってきた、そのことが今の自分を励ましてくれたんだと思う。
 YUI『TOKYO』…洋服屋で流れていた有線放送で聴いた。店員さんに「今流れているのは有線ですか?」と思わず尋ねてしまった。ネットで調べたらYUIという人が歌っているらしい。「強がらないと夢はつかめない」というような歌詞をアンニュイな調子で歌っていて、よかった。よかったっていうんじゃないな、心に響いた。

26の日に感じたこと

2006-01-27 00:35:25 | 銭湯
 昨日は26日で「ふろの日」だったらしく、銭湯に行ったらカウンターのおじいさんがクリームスープのレトルトパウチをくれた。なんだか得した気分だ。

 念願の銭湯、今日は寒い日だったのでもしかしたらお客さんも少なくて閉まってるかもなと思ったらしっかり開いていた。
おばあちゃんたちは元気だ。地元の区役所の脇にあるこじんまりとした銭湯の女湯はおばあちゃんたちの情報交換の場だ。90歳のおばあちゃんも一人で来ている。

 「きょ~うは、寒いねぇ」
 「ほんと、わたしゃ大概のことは辛抱できるけど、こう寒いとねぇ~」
 「娘はうちの風呂入ってと言うんだけど、こっちの方が気楽でいいやね」
 「そうだいね、うちもお風呂は24時間風呂でいつでも入れんだけど、やっぱこっちのほうがいいやね」

 なんだか盗み聞きしているみたいで申し訳ないが、へぇ~、そういうもんなんだとお年寄りの本音を聴いた思いだった。社会勉強になる。
今はスーパー銭湯など、設備の整ったお風呂屋さんが沢山ある。
でもお風呂に浸かっている時間はそう長くはない。
しかものんびりとそこですごしていては時間がもったいない。
スーパー銭湯にはスーパー銭湯のよさがあるのだが、最近はこういう街中にある昔ながらの銭湯がシンプルで好きだ。
お湯は43℃で熱い!湯に浸かった部分だけ体が真っ赤になる。長湯はよくないが芯から温まる。

 やっぱり銭湯はいいなぁ~と思って出るとまたおばあちゃんたちがお話をしていた。

 「いや~さっぱりしたね」から話は税金、年金、最近の若者の話題にまで発展していた。
 「そういえばこの間、お正月に年賀状配達のアルバイトの子が配達するのが大変だから自宅に持ってってたんだってよ。んでお母さんがそれを全部配ったって」
 「は~、アルバイトも簡単に雇えないねぇ」
 「でもドブに捨てたんじゃないから、まだねぇ、ほらこの間ドブに100万円捨ててあったって、あれ盗んだお金なんだってね」
 「ねぇ、まだ持って帰ったならあるんだもんね、でもお母さんは容易じゃないやね」
 「コンビニとかでお金ネコババしたなら監視カメラとかあるから分かるけど、
 公共のものはね、はがき燃しちゃったらわからないもんね」
 「昔じゃ考えられないようなことが起きてるよ」
 「時代は変わったんだね」

 そう、時代は変わっている。なんだか今の若い世代は価値観が危うくなっている気がする。なんでもあり、というか…。自分も含めていえることだけれど。
でも私は10代の頃でも、例えば郵便配達のアルバイトで配らないとかそういうことは考えられないなー、うん、まともだ。と一人で思っていた。

 「でもね、最近は大学でて就職もしないでアルバイトして、でも結局年金とか税金払えないから親が代わりに払ってるって家もあるみたいよ。○○んとこの息子なんてそうだもん。仕方ないからお父さんが払ってるんだって」

 それ、今、私もおんなじことしてます。
今までののぼせ気分はいっきにさめた。
そんなこといえる訳なくて、恥ずかしくて、情けなくなった。
おばあちゃんたちは、「わたしゃ税金だけ払えればそれでもういいって思ってんの」「消費税あがりゃいいと思うよ、だって私ら年寄りはそれだけ余計なもん買わなきゃいいんだもん、別にねぇー」

 そうやって自分の意見を言うには痛みを知らなければならないのだと思った。
今日は寒いからと車で銭湯へ行ったとき、外の空気の寒さと車の中の暖かさの差を感じて、車のボディに守られ、自由に行動している私はやっぱり親に甘えているし、感謝が足りない思った。
銭湯でとても大切なことを教わった気がする。

 一つの道に決まってしまうことを心のどこかで恐れていて、就職活動もいざとなると少し尻込みしてしまっていた。現実から逃げてるんだな、私は。

きれいになりたい

2006-01-25 00:00:54 | 進路のこと
 今日夕方18時半、やっとパースを描き終え、履歴書などとまとめて24時までやっている郵便局へ出してきた。
昨日の夜0時すぎから今日の午前中まで構想、作図をして、4時間昼寝して、15時から18時まで仕上げ。この間いった上野の奏楽堂の内部の廊下を描く、これを決めるのにも時間がかかってしまった。あと、客席は階段のように段になっているのでそれを表現することが思ったより難しく、何度も描いて失敗して、結局描かないことにした。表現方法もカラーにするのか、鉛筆にするのか、マーカーにするのか、どれがいいのか悩み、結局鉛筆で描いた。
…とにかく時間が経つのがあっという間で、これだけ長い時間集中していたのは生まれて初めてだ。やっぱり夜通しやるのはよくない。目が痛い…
パース…多分無駄な線が多い。
それは心の表れ、あとは経験のなさ。もうこれは訓練だ!

 部屋は今までで一番物が散乱している。
足の踏み場がなくて、紙の上を歩いたら「バキッ」と音がして三角定規が折れた。

 今の自分が出せるすべての力を出し切った。
もー!書類選考ぐらいは突破してよね!!!
今回応募したのは設計事務所の秘書の仕事だ。
秘書だって未経験なのだから雇ってもらえる可能性は殆どないと思う。
でも書類出さなきゃ始まらない。

 仕事を辞めて、アルバイトをして、職業訓練を通して、やっと興味のあることを見つけたんだ。簡単に引き下がってたまるかってのよ。
そしてこの時間を有効に使うんだわ!
そのうち仕事が見つかったら思う存分勉強したりする時間を創るの大変になるんだから。
ああ~もう中途半端な自分にはコリゴリ!!!
遊びも半端にやってても面白くない!やるならトコトンやろ。
食事も緑黄色野菜を採るんだ。

 郵便局の帰り、書店で雑誌の立ち読みをした。
『ELLE』という雑誌に私がかつて大好きだった「モデルたちの現在」という記事が載っていた。ナオミ・キャンベルやクラウディア・シファー、カレン・マルダー、リンダ・エバンジェリスタなどなど…その世代のスーパーモデルはとても個性に溢れている。本当にマイケルジャクソンのVTRと同じくらいテレビ番組『ファッション通信』のスーパーモデル特集を何度も繰り返し観ていた。
 当時中学、高校生の頃の私は漠然とファッションや雑誌やモデルに憧れていたのだろうけど、今思えば彼女たちの放つ個性や魅力に惹かれていたのだと思う。
おそらくそれは生まれ持ったスタイルと整った(あるいは整えた?)顔、などの容姿が完璧なだけではないからだと思う。
 精神ですね。ナオミ・キャンベルは昔と変わらないスタイルをキープしていると書いてあった。写真をみたら確かに、変わらない。すごい。それなりにお金をかけているのだろうけれど、そういういやらしさって写真に出たり観る方に伝わってくるものだ。でもそういうのはあまり感じない。やっぱりきれいだった。苦労や辛い思いは決して無駄にはならないのだな。年齢を重ねて深みがでるそういう女性になりたい。
ああ~、きれいになりたいっていう気持ちが持てるのって女の幸せだわ。
ここ4日ばかり不規則な生活をしていたので、お肌はすごいことになっている。
お手入れしてとにかく寝るのだ!

銭湯はお休み

2006-01-23 18:42:23 | 進路のこと
 昨日から今日にかけて書類審査に必要な書類を書いていた。
ほぼ3日間、ずっとその作業をしていた。今日もこれから、スケッチとパースを描く。
 なんというか、客観的に自分をアピールするのって難しいですね。
書いていても自分でなにが言いたいのかわからなくなってしまう。
そういえば、あんなこともあった、こんなこともあった、
私はまちづくりについてこう思うんですよ、という様なことまで書いてしまい
まるで飲み屋でちょっと聴いておくれよ、と延々と自分の話をするおじさんのような、そんな文になってしまった。
母から「あんまり長々と書かないほうがいいわよ~。自分はこう思うみたいな、そういう心情のようなものが書かれていても、読んでいて面倒くさいって思う人もいるからね」
と、鋭い指摘をされ、修正。もう一回初めから書き直し…。

 でも、そうやって試行錯誤してあきらめないで自分の思っていることを表現しようと努めていると、なんとか書けたりする。そして自分でも納得のいくものが書けた時にとても気持ちがすっきりする。

 絵でも文章でも自分の作品を人に観て貰って率直な感想を聞くのは勇気のいることだけれど、
見せたほうがよいと思った。
あと言いたいことを絞るというのも大切だと思った。
この会社にはこのアルバイトでの経験をアピールしたほうが伝わる、といった具合に。

 これからスケッチを描くのだけど、やっぱり描こうと思って机にしがみついてかけるもんではない。だから銭湯にでも行ってリラックスしてこようと思ったのだけれど、銭湯へいく道のりでいろんな風景に出会い、いろんなことを感じた。
そこでそういう感じたことをメモするって、何かを作るときにとても重要だと思った。
モーツァルトもトイレットペーパーに作曲をしている。
面倒臭がらずにそういう努力というか、習慣をつけるのだ。

 ところで銭湯はお休みだった。がっかり。
広い浴場で熱めのお風呂につかると本当に疲れがとれるのに。
さて、家のお風呂で温まろ…。

すごろく

2006-01-23 00:52:06 | 悩み事
 「ふりだしに戻る」
げっ!ふりだしか…
今の心境はそんな感じです。

 進学するのはやめました。
今日、履歴書に貼る写真を撮ってきたけれど、目の下にクマが…すんごい疲れた顔。
まったく余裕のない顔。
母にはちょっと前に撮ったスピード写真のほうが断然いいと言われ、困った。
でも、これも自分だから仕方ない。
写真は調子のいいときに撮っておかないとだめですね。

自分を見放したらおわりだから…
働こうと思います。
そして自立しようと思います。
当たり前のことですが、今の私にとってはとてもエネルギーのいることです。

 認めたくはなかったけど、私はNEETだと思う。
つまづき型ニートというらしい。
年齢なんて関係ない、私の精神年齢は中学生あたりでとまっているんじゃないか。
大人と対等に話す自信がない。

 でももう決めた。気持ちは固まった。
社会にでて、仕事をしてお給料をもらい、責任を果たして最初の自由を手に入れる。そこからやりたいことをやる。

そんなこと、25歳を過ぎて今更何言ってるんだ、なんて救いようがないと思う人もいるだろう。
幼いと思われるだろうし、せせら笑う人もいるだろう。
でも、それに気付くのに私の場合これだけ時間が必要だったんだ。
そう思うしかない。

上野の桜

2006-01-19 18:54:05 | お気に入りの場所
 今日は上野公園内、東京芸術大学のそばにある、旧東京音楽学校奏楽堂へ行ってきた。
ここではよく芸大生がリハーサルやコンサートをやっているので運が良いと入館料300円で音楽家のタマゴの演奏や音色を聴くことができるのだ。
だからここは秘密の場所…というほど秘密の場所でもないのだけど、心から落ち着ける場所のひとつである。木造2階建てでこぢんまりしているけれど外観も内装もレトロでシンプル、滝廉太郎や山田耕作が演奏した歴史あるホールだ。
 今日は奏楽堂の音楽ホールをスケッチしに行こうと赴いたのだが、
東京芸術大学音楽科の学生さんによる声楽のコンサートが開かれていた。
ちょうど2部の開演前だったのですんなり会場に入ることができた。
「木曜コンサート」は定期的に行われているので時間のある方、行ってみて下さい。
気軽に芸術を楽しめる穴場ですよ。人も少ないし。
 芸術なんて何の役に立つのとか、芸大を出たからといって社会では使いものにならないとか、
そんなチンケなこといってちゃいけませんよ。
だって、鑑賞するのと実際にやるのとはぜんっぜん違うんだから!!!
美大受験を経験して、美大へのルートを一時本気で模索していた時に
芸術で生きていくことの厳しさを垣間見たのです。本気度が違うんですよ。
特に東京芸大は芸術大を目指す人がみんな目指す大学なんですから、
そこにいる学生さんたちがどれだけ才能がありそれを磨く努力をしてきたか…
私はその人たちが奏でるメロディーを聴くだけでも価値があると思います。
勿論、芸大がすべてではないけれど、並々ならぬ努力をしてそこにいるということは確かです。
社会でその才能と経験をどう活かすかは人それぞれなのでしょうけれど…。

 次回、芸大生による「木曜コンサート」は2月16日「邦楽」と3月16日「室内楽」だそうです。
今回私が聴いた演目は山田耕作、高田三郎、中田喜直の曲。
作曲家の名前は知っていても、知っている曲は中田喜直の『ちいさい秋みつけた』くらいしかなかった。
え?これが曲?みたいなのが沢山あって面白かった。
同じ中田喜直の曲で『結婚』という曲があって、
「結婚!結婚!」しまいにはお金!というような歌詞を、男性の美しくも腹からの力強い声で歌っているのはおかしくて会場からも笑いが起こっていた。
ヘンな歌詞~と思ったけれど、とにかくそこには当時の時代を感じさせ、歌詞にエネルギーがあった。
私でも知っているような一般的に有名な曲というのは、作曲家が作った沢山の曲のうちのハイライトともいえるほんの一部の曲なのかなと思った。

 出かける前の午前中、なにげなくテレビをつけていたらNHKで岡本太郎の特集をやっていたのでつい観てしまった。岡本太郎と両親、岡本一平と岡本かの子との関係についてスポットがあてられていた。
とにかく感動してしまって、涙がでた。テレビに映る岡本太郎の目は赤ん坊のように澄んでいた。今までよくわからん作品を残している芸術家だなぁと思っていたけれど、今の自分にとっては衝撃だった。迷いや悩みを吹き飛ばしてくれるようなそういう衝撃だ。
来週もみちゃお。来週は岡本太郎の恋についてだそうです。
 
 そして今日は上野へ向かうために地元の駅へ向かう途中に中学の同級生に会った。とてもかわいい女の子で、更にきれいになっていた。本当に中学卒業以来会っていなかったので、何年ぶりだろ?
10年ぶりかな?あの頃はよくうちでお泊り会をしたり、同じクラスでいつも一緒にいた。面白いメンバーだった。また会いたいなぁ~。みんなどんな生活しているんだろう?どんな恋愛をしてきたんだろう?そしてどんなことを思いながら今を過ごしているんだろう。同級生ってやっぱり特別だ。子供の頃を知っているんだもんなぁ~。今日はなんだかいい日だ。

 上野に着いてお腹が減っているのに気づき、松屋で牛めしを食べた。
それから奏楽堂へ向かう途中、上野公園の桜並木を通りながら満開の春を思いうかべた。まるでようこそここへといわんばかりに、手を差し伸べるかのように桜が並木をつくっている。これを書いていてユーミンの『春よ、来い』を思い出した。ちょうど今この歌の季節ですよね。そういや中学の時に友達が替え歌して歌ってたっけなぁ。
ああ、なつかしい。

求めているものって

2006-01-18 01:53:30 | 悩み事
 私が求めているものってなんなんだろう。
京都へ行って、そう思った。

 私は色んなものに憧れる。興味ももつ。
バイオリンをやれば一流のバイオリニストのように弾けたらと思うし、
絵だったらデザインや作品を世にだしてあっと驚くような表現をしたいとおもうし、
歌を歌えばそれなりにうまいと言われ、歌手になってみるのもいいと思ったし、
背の高さと個性が勝負の世界で、きれいな服を着られ、脚光を浴びるのも気持ちがいいからモデルになりたいとも思ったし、
胸の張り裂けそうな失恋やドラマチックな出来事、その感動を残したいと作家や映画づくりをしたいと思ったこともあるし、

 料理もうまくなりたい、
 頭もよくなりたい、
 人と仲良くやっていきたい、
 色んなところに旅行にもいきたい、
 お洒落したい、

 なに言ってんだろ?
子供じゃん!それで親のお金で進学しようとしているなんて、ばかじゃん!

 欲張りなんです。きっと。
優先順位をつけなければなにをやっても中途半端だ。
なにから先にやろうかな?
そしてやっぱり自分で責任のとれる範囲でやらなきゃだめだ。

 じゃないと自分の実力をわきまえず、今の足元をみずに、自分では抱えきれないほど大きな夢や理想を描いてしまう。

 何が一番大事なんだろう?
もう一度整理しなければ…モラトリアム期間ももう終わりにしなければ。

ただいま帰りました

2006-01-16 00:22:39 | 京都
 22:30、帰宅~~~~~。
いや~楽しい旅でした。
京都からの記事は携帯電話での投稿だったので文が乱れたままですが、
少しずつ編集していこうと思います。
 19:00京都発ひかりの新幹線に乗り、東京に着いたのが21:40…
はやいはやい。車内ではしっかり眠れたし、自由席だけど余裕で座れたし、足は適度に伸ばせるし、帰りはもう楽チン極まりなかったです。
 埼玉についてから一応家には連絡をし、
母は「迎えにいこっか?」とたずねてきたので
「来てくれるなら、頼みます」と答えたら
「お父さんが自分で帰ってこいって」というので普通に駅から徒歩で帰ることにした。
別に期待してなかったのに、期待をもたせて落とす、という…相変わらず母は天然である。
 地元の駅についても、旅から帰ってきたときの「あーあ…現実が待ってるよ」というがっかりした気持ちはない。むしろ、また今度京都に行ったらここに行こうとか、もっと調べようとかそんなことを考えている。
やはり、家にとじこもってじっとしていはだめなのだ。
お金がなきゃはじまらないけど、わがままと言われようとそれも自分の責任として負った上で、行動していないといつまでたっても井の中の蛙なのだ。
 埼玉は特に誇るもの、特筆すべきものというのがない。
少なくとも今の時点ではそう思っている。
私自身もない。だからこそ、個性的なものや何か秀でたものをから受ける刺激は大きく、感じることもあるのではないのかと思った。
埼玉にだっていいところはきっと沢山あるはずなのだ。
自分達の住む町のいいところを知ってそれを磨き上げていけばいいんだ。
 京都には京都だから育った文化があって、そこに住む人にはそれが当たり前になっているけど、埼玉には埼玉の文化があって、情熱を持って生きた人がいて、それを見出して大切にすることができたら…
最高なのに。
京都で感じた見せ方、考え方、心というものを研究して真似ではなく、地元に生かせたらと思う。

 そんなことを考えながら家路についていると一台の白い車がゆっくり近づいてきて
私の前で止まった。
あやしいあやしい!と思っていたら中から人がでてきた!

 …襲われる、絡まれる、と思ったら、父でした。
どうやら母に迎えにいけと言われて駅で待っていたらしい。
「なーんだよまったく母さんはいいかげんだよなー」
確かに。
私はなんにもしてないよ。
家まで歩いて10分ちょいだし、最初から徒歩で帰るつもりだったし、
「自分で帰って来い」と言われたから普通に帰ってきただけだよ。
私には自分で帰って来いと伝え、父には迎えにいけといい、
自分では迎えにいかない母。むちゃくちゃじゃん!
でもちょっと面白かったのはなぜだろう?
結局父とおちあえたからかな。
「ちょっと脅かそうと思って」と悪びれる様子もなく母はいう。
そんなどっきりいらないよ!本気でびびってしまったよ。

 私がすっとぼけているうえにわがままなところがあるのは母の血なのかな…
と人のせいにしてみたりした。でも多分そうだ。

 家に帰って自分の部屋に入ると、おとといのままだった。
でも、部屋はおとといのままでも京都へ旅立った私がここにいる。
家は居る場所ではなくて、帰る場所なのだと思った。

嵐山~大徳寺

2006-01-15 14:58:10 | 京都
 いや~いい天気だ~!気温は11℃、上着を着てマフラーでもしていれば全然寒くないです。青空もみえて天晴です。は~、幸せ‥。

 午前は京都駅からバスで鈴虫寺へ行き、500円払ってお茶とお菓子とお坊さんの説法を聞いてきました。ここにはわらじを履いた幸福地蔵さまがいて、一つだけ願いを必ず叶えてくれるのだそうです。願い事を一つ、しかも必ず叶うと言われると‥なかなか絞れないもので己の欲深さを感じました。お坊さんのしゃべりの腕はさすがでした。お地蔵様には自分の住所と名前を言うんですが‥名のり忘れた!わらじを履いているので自宅まで来て願い事を叶えてくれるらしいんですが‥来てくれるかな‥。鈴虫は確かに一年中鳴いているようですが‥そこには3代にわたる住職の努力があるようです。

 ちなみに苔寺は鈴虫寺のすぐ近くにあったけど道路の渋滞などの問題があって普段は予約しないと参詣できない、と門に書いてありました。

 11:33、またバスで戻って数分、嵐山で降りると渡月橋が目の前に‥
川面がキラキラと輝いて美しい‥
渡月橋かかる桂川沿いを天龍寺方面に歩いていると竹林の葉がさらさらとこすれる音、暖かい陽の光を背に鐘の音が遠くで聞こえました。
ポケットに手を突っ込んで少し冷たい風にふかれながら道路にうつった自分の影をみながら歩いていると‥心の中にささったトゲ、いやごろごろとした黒い石の塊のようなものが雪解けのように融けていくようなそんな気持ちになりました。

 天龍寺では以前見られなかった龍雲図をみてきました。お庭はまた今度にして、500円払ってお堂に入ると‥ 天井一面の大きな龍が睨みをきかせていました。試しに絵のまるい輪郭にそって歩いてみると、本当に目がぎょろりと動いているようでずっとこっちを睨んでいるようにみえました。そして龍が下にぐぐっと降りてくるような感覚‥は少しわかったような気がするけど、燭台があり一周できなかったので‥なんとなく動いた気がしました。それにしても迫力があった‥

 それから嵐山電鉄にのり、バスで大徳寺前へ。
どうにもお腹がすいたので、今さっき「レモン館大徳寺前店」という喫茶店でぜんざい700円をいただきました。
この喫茶店はたまたま入ったとこですがBGMもインテリアもマスターの品のあるおばさまも、素敵です。
お店の窓の曇りガラスから差し込む柔らかな光(一番上のガラスだけ透明)、窓の下にはターンテーブルにアナログレコード盤、その隣りには『スイングジャズジャーナル、ジャズレコード百科』なる雑誌が‥
活けてある花も、千両、白いカラー、梅?などがさりげなく棚の上やカウンター、壁などにいけてあります。
壁には畳1畳以上の大きさの絵が‥今マスターに伺ったらなんとご自身で描いたらしいです。なんかそんな気がしたんだよな。デザートもありカレー(サラダつきで800円)やスパゲティもあります。普通観光名所のそばの飲食店って高いと思うんですが、大徳寺のそばでこの値段、東京の喫茶店でくつろぐのとさして変わらないです。値段、雰囲気、飾らずさり気ない気配りをしてくれるマスターの人柄‥ぜんざいそのものは普通においしかったのでこのバランス感覚に脱帽です。
 感動のあまり、「ごちそうさまでした」と案内希望の署名の紙をわたし、挨拶して店を出ようとしたらお金を払い忘れてて、無銭飲食しそうになりました。我ながら自分のボケ加減にびっくりでした。

京都観光

2006-01-15 09:42:39 | 京都
「旅は道連れ世は情け」というけれど、特に一人旅の場合は旅先での出会いも楽しみの一つだ。
昨日は学校見学に行ったおかげで、学校の職員さんや一緒に見学をした嵐山在住の人とも話すことができた。
話していて、歴史ある街京都に住んでる人は現実に京都で現代の生活をしているわけで、京都のいい所だけでなく不便な所も感じているのだとわかった。

「嵐山(桂川沿い)に住んでるというと他県の人には羨ましがられるけど、秋の紅葉シーズンなんかは家の前の三条通りにダーっと車が並んで全く動かないんだよ」
‥と、そりゃあ不便だろうなぁということを話していた。
あと‥仕事も少ないらしい。アルバイトはたくさんあると言っていたけど‥「働く場所というより、色々観たり勉強したりする所」なんだそうだ。

 それでも、外国人が日本に憧れるように、多くの日本人が京都の美しさに憧れる。
 それは京都市の中心部においていえることなのかもしれない。美しい景色や職人技の結晶ともいえる豪華な寺社仏閣、庭園、京都に根付く伝統的な生活文化などが街のそこかしこに見られるのは、かつて日本の歴史における権威と富の中心であった場所だからこそ残っているもので、それに憧れるのは、単なるないものねだりなのかもしれない。
 さっきから、どうしたら京都を安く効率的に回れるかとか、住むのと観光は違うとか、色々と余計なことを考えるなぁ…こんなんじゃ疲れてしまうな。

 京都の魅力は中途半端でない突き抜けた本物の美しさであり、だからこそ守る価値がある。
壮麗な寺社仏閣を建てる一方では貧しい人々が苦しい生活をしていたわけで、単に京都は素晴らしいと言えるわけではない。ただ、文化を育てるには富が必要だ。豊かな国には文化と文化への理解がある。
 『もののけ姫』で、もののけと人間の共存という理想を思うアシタカがサンに「生きろ、そなたは美しい」というような気持ちと似ていると思うのだが、
さまざまな歴史的背景、矛盾を持つ京都だけれど、やはり美しいものは美しい。

今日はこの最もこのブログのタイトルにふさわしい記事を書いているなぁ。
空いた時間に感じたことを書いていこうと思う。
今向かっているのは鈴虫寺、苔寺です。
バスの窓から外を眺めると太秦の文字が。
ここから見える看板などに「右京」と書いてある。
地図でみると右京と左京って右と左、逆なんですよね。
それは昨日教えてもらった。
西の方が右京、東の方が左京‥なんだか頭が混乱するなぁ。
ちなみに洛西は「らくさい」と読むんだそうです。知らなかった。