風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

仕事のできない人

2006-05-31 00:57:49 | 徒然
 「すいませんが」

 今日は何回このセリフをいったんだろーなー。

 なんでもかんでもすいません。
 無意識のうちに口癖になってたらどうしよう。
 
 
 はーあー
 疲れた。
 今日は23時まで残っていたのだけど、そんなの全く自慢にならない。
 
 今日は、一日テナント企業へのFAXを送っていた気がする。
 
 看板を出す、出さないをテナントへ聞いて、その回答をまとめて、
 看板の割付を調整する担当なのだけど、
 そりゃみんないい条件の場所に看板をだしたいのは当たり前で、
 「御社にはここをご案内しますよ」というのは
 その裏に理由づけがなきゃいけない。
 例えば通りに面した、よく人目につくところは
 お店の面積の広いテナントを優先的に案内する…とか
 
 でもその理由付けを探すというか、見つけるのがまた頭をひねるところで、
 公平性を保つことが難しい。

 看板のパネルを2分割して、上半分下半分に分けたとき、
 やっぱり下より上の方がより有利な印象を持つらしい。
 「上」という看板の位置ひとつに各社の解釈があり、意味づけがある。
 それを下半分でのご案内になります、と言うアナウンスですんなり
 納得してもらうには、やっぱり道理が通っていないといけない。

  いったんモメると収集つけるのが大変なので、こちら側が発信する情報や表現の一つひとつに気を配らなければならない。

 でもさ~、それがえらい疲れるんですよ。
 いや、私がその担当で責任あることをやっていることを周囲にあまり理解してもらえてないのか、私のキャパが単に狭いのか、
「ほんだはやることが遅い」と言われる。
でもそれ半分あたってるけど、半分は本当にやることがいっぱいあるからなんですよ。あと気疲れするところでもあるっていうか。

 今までやってきたデータ入力やファイリング、FAXの送信や文書の作成、
 経費の精算や買出し、電話応対も全部私のところにくるから
 看板の仕事がはかどらない。
 その上「さっき時間あったら送っておいてと言われたコノ書類、FAXしておきました」と言ったら、「まだ送ってなかったの?」と言われる始末。
 
 なにを!
 こっちは忙しくて看板をやる余裕がないから、といって看板担当を任されたものの、皆が忙しくなれば皆のサポートの仕事も増えるわけで、あたしゃ体がいくつあってもたりません。ご自分の関わる仕事で簡単な作業はご自身でやってください。
といいたい気持ちでいっぱい。
でも打ち合わせに出ているわけでもないし、図面をかけるわけでもないし、現場の監理をできるわけでもない、私は目に見えて何かをうみだしてるわけじゃない。
だからこの状態を分かってもらうのは難しいんだろうな。
は~あ~
なんか自分の要領の悪さと自己表現の下手さにいらっときました。

 今日の帰り、現場事務所棟の2階にある事務所を出て、靴ひもを結ぼうと前かがみになった瞬間にバッグから携帯が落ちて、電池が雨どいにポチャンと落ちたとき、
思わず涙がこぼれました。

 
 仕事とプライベート、この時間の使い方の原点に帰らないとなー
勉強をする時間を確保する為に、合理的にスピーディーに正確に仕事を片付けるにはどうしたらいいか。
そのけじめをもういっかい考えて、
無駄をなくせるようにしたい。

 だって、現場のこともっと知りたいもん。
設計図面かけるようになりたいし、材料のこととか知りたいもん。
あとは仕事終わりに飲みに行くのも後ろ髪ひかれながら飲みにいくのはいやだもん。

 は~、明日は定時にあがるのを目指して、勤務後最低1時間現場を回る時間を作るぞ!!!


 
  

えっへん

2006-05-27 20:02:34 | 徒然
 ここ3日前あたりから、急に忙しくなった。
本当に、ビッグウェーブがきたっていう感じです。

今日も午前中、9時半~11時まで現場へ行ってきた。
ショッピングセンターのオープンまであと1ヶ月を切って追い込みの時期に入ってるから仕方ないといえば仕方ないのだけど…

 1日の私の仕事は…

 朝、人数分のお弁当を注文して、
   事務所の机を拭いて、
   ゴミ箱のゴミを捨てて、
   流しにある洗い物を洗って、
   週に1回くらい掃除機をかけて、
   トイレ掃除をして、
   タオルを交換し
   灰皿を洗う
   
 その後はその日によって違うけど、
昨日一昨日はもう同時にいくつも用件を頼まれて、頭で優先順位を考えて片付けてくという感じだった。
 
 でも、電話応対(1日に何本とってんだろう、数えてみよ)
    来客対応
    テナント提出書類へのはんこ押し、データ入力、ファイリング    
    工事業者の作業届けへのはんこ押し、ファイリング    
    打ち合わせ資料の資料準備
    (テナント設計者への設計ルールブック、区画図、工事区分(どこまではディベロッパーが負担して、どこまでがテナント負担かを決めたもの)、デザイン規制、電気・設備プロット図、全体の平面図等をそのテナントごとに打ち出す)
    現場への入館証の発行申し込み受付と制作と販売、
    (これがめんどくさい!!!)
    テナント打ち合わせスケジュールの伝達(建築、電気、設備の事務所へ)
    
    ルーティンワークはこんな感じです。
    最初の頃よりだいぶ内容が濃くなってきたぞ~
    
 ここまではかなり重要な作業で、特に打ち合わせスケジュールの伝達なんかは打ち合わせの内容を確認して、現場の打ち合わせ担当者を呼んだほうがいいものか、判断してスケジュールを伝える。常勤でないスタッフもいるので、その人たちにスケジュールを伝達するのも私の仕事…にしてもらった。

 というのは、現場事務所の打ち合わせ担当者っていうのは、当然責任者の人たちで、内監のスケジュールの事前の伝達の徹底がなされていなかったからだ。
だから急にその日になって「ちょっとほんださん、電気と設備の人呼んであがってもらってきて」なんて言われてそれをそのまま伝えると、びっくりするわけです。
んな、急に言われてもみたいなね。
テナントからいつ打ち合わせしたいっていう連絡がくるのは内装監理室なので、
その連絡をすぐにするっていうのは当然なのに、それを誰がやるのかっていうのは特に決まっておらず、いつもいつも「それはまずいんじゃないか」と思っていたのだ。だから自主的に現場事務所の担当者に「今日、明日の打ち合わせスケジュール」を紙に書いて配っていたのだけど、ある日私もいっぱいいっぱいで打ち合わせスケジュールの変更されていたことに気が付かなかったことがあった。

 当然現場の各社責任者に私が伝えた時刻に集まってきたのだけど、
「え?今日の打ち合わせは二日後になったよ」ということがあった。
現場の担当者はいい迷惑だし、私も責任を感じ…「スケジュールの伝達は私の役目にしてください。だから、打ち合わせや日時の変更があったらその都度一声かけてもらっていいですか?」と申し出たのだ。
 そうなると、現場の事務所の担当者に連絡が伝わらなかったら私の責任になるのだけど、そうやって役割を明確にしておかないと内装監理室がうまく機能しない。
だからスケジュールの伝達といっても責任重大なのだ。

 あとは、細かいことだけど、コピー用紙が切れそうだったり、トイレットペーパーがなくなりそうだったり、飲み物がなくなりそうだったり、買っといてといわれたものを買ったり(床が仕上がってから内部をみるときに必要な上履きを7足買ったり、法務局へ登記簿をとりに行ったり…)
 
 それからお金の管理も私の仕事で、もう月末だから清算しないといけない。
 宅急便や入館証用のケース購入の代金の支払い、お弁当の集金と支払い、各種領収書をまとめて合っているか計算する作業…
あと自分の出勤簿をつけたり、残業代も計算して、請求書をつくらなきゃいけない。

 それから…これだけでも十分な仕事量なのに、最も気を遣う仕事がある。
それは、屋外看板の担当という仕事だ。
テナントにこの場所でこの大きさで、看板だしませんか?と15~20社に案内をだし、その回答や質問をとりまとめて上司に報告する。
これはテナントが依頼した設計屋さんとのやりとりではなく、テナントのオーナーあるいは担当者と直接やりとりするのでこれまた気を遣う。
お金を払う立場の人ですからね。

 ああ~…これが全然まとまってない。
私の中で整理整頓できてない。
どこにどんな文書をだして、どんな回答がきたか、頭に入っているけどまだ書類の整理やデータの整理ができていない。そうすると間違いが起こったりする。
この忙しい時に間違いが起こったら大変なので、こういう時こそ心を落ち着けて取り組みたいものだ。

 というわけで、それは明日現場に行ってやることにした。
土曜日は現場にとっては平日なので、人が沢山いる。
そうなると中々集中できないんですよ。結局色々使われちゃってやりたいことができないし、家で仕事をずーっとやってんのも嫌だし。

今日は午前中にASKULで注文すべきものを注文し、
現場用品のネットショップで名札用のケースを200個注文し、今朝家で作っておいた名札の中身をセットして申し込みのあったテナント工事業者がいつ取りに来てもいいように領収書等も用意して、打ち合わせ資料の印刷だけしておいてあとは綴じるだけにして、
 という作業を1時間半でやって、帰りに銀行に寄ってお給料をおろして帰ってきた。
お昼から夕方まで昼寝。
そしたらその間に携帯に着信があって、現場からだった。
たいした用ではなかったみたいだけど、こうして休日も電話がかかってくるっていうのはある意味新鮮ではあった。必要とされる人間になったという証でもあるんだなって。

 叔母の葬儀の日仕事を休んで、翌日職場にいったら、書類が机の上に何枚も乗っていてうちの室長が
「いや~昨日はなんか疲れたよなぁ…、テナントから書類がきて住所やなんかをデータ入力してたら段々『なんでこんなことやんなきゃいけないんだ』って思ってきて、あとはほんだに任せる!っつって置いておといた」
と言うんですもんね。そう、雑用ってコーヒーを入れるとかそういうことはたいしたことじゃないけど、細かい連絡先表を作るとか、書類のファイリングとか、そういうの疲れる作業なんですよ。間違えちゃならないわけですし。
それをわかってもらえたということで、シメシメって感じでした。
私もちゃんと役に立ってるんだな~と思った。
あとは、そこからどんなふうにステップアップするかだと思う。
ステップアップできるかは、勤務時間外にどれだけ自己研鑽を積めるかってことですね。

 でも月曜からスムーズに仕事をするためには、明日は一人で集中して仕事の整理をしないといけないわ。
あくまでも、みんなの仕事をサポートするのが私の主たる役目だからなぁ。
こういう時に落ち着いて、笑顔で仕事するって…困難なことですね。

 今日は2時間くらいかけてお風呂に入って、疲れをとって、洋服の手入れをして、掃除をして…なんかやることいっぱいあるな。
余裕のない顔を鏡でみると、疲労感は倍増する。
は~
こういう時こそ女性であることを忘れちゃいけないわ…現場の雰囲気を明るくするなんてことはできなくても、せめて自分はスッキリ元気に「ハイッよろこんで」と言える臨戦態勢は整えてたい。
 
 プラス、そろそろ本気で現場をうろつく時間をつくんないと建物できちゃうので、1時間でも見て覚える時間をつくらないと!
無駄な時間なんてどこにもないっす!

CHANEL and HERMES

2006-05-22 23:22:04 | 徒然
 心に封じてある思いをひも解くために、十日ばかりタイムスリップします。

 
 棺の中で穏やかに眠る叔母はもう旅立った後だった。

5月10日の夜8時頃、叔母が心筋梗塞で倒れ、この世を去った翌々日、
私は仕事帰りに上尾から高崎線に乗り、埼玉県深谷市へ向かった。

深谷駅で降りると、そこには1年ぶりくらいに会う従兄弟が手を振って待っていた。
その日、先に車で叔母の家へ行っていた父と駅まで迎えに来てくれたのだ。

 19時半すぎ、夜の道を走る車の助手席に座る従兄弟は言った。
「びっくりしたでしょ」

そう、この従兄弟こそ亡くなった叔母の息子だ。
従兄弟といっても私より16歳も年上だから、私にとっては従兄弟というより親戚のお兄さん、あるいは叔父さんという感覚だった。

 従兄弟の顔は真っ赤で、お酒のにおいがした。飲まずにはいられなかったんだろう。
私が「本当にJ子おばさんが死んじゃったなんて、全然実感がなくて、ご愁傷様なんて言葉も出ないくらいだよ」というと、
「でしょ?あのねぇ、だってその日電話で話したんだよ、ほんとにどうでもいいようなことで珍しく一日に2回も電話がかかってきたの。そんなこと今までほんとに滅多になかったんだよ」
もしかしたら一言でも多く最後に話すように神様か誰かが計らってくれたのかもしれない。
きっと、その日の午後8時までの61年間が叔母さんにとっての寿命だったのだ。


 車で駅から15分ほど走り、叔母の家に着いた。
夜に叔母さんちにいくというこの非日常のことが楽しいことで集まれたらよかったのにと思った。
「どうも、わざわざ来てもらって悪いね」
玄関を入ると、叔母の旦那であるS叔父さんが出迎えてくれた。
叔父さんは最愛の妻を亡くした哀しみの色に染まりきって、影に抱かれていた。

私は、それから真っ白な大輪の百合に囲まれお棺の中で眠る叔母の姿を見ることになる。

「会ってやってよ」
かなりいい大人の従兄弟は顔を真っ赤にしていつの間にか、泣きながらそう言った。
従兄弟は礼儀やマナーに厳しくて、私は会うたびに緊張していた。
そんな従兄弟が泣いていたのを、真正面から見ることはできなかった。
「なっこが来てくれたよ」
「ほら、色々心配してたじゃん」
「見てやって」

 私は何かまるで、足がすくむような、何か現実を突きつけられてそれを受け入れる覚悟をしたばかりのような、そんな心持で棺を覗き込んだ。

 叔母は黙っていた。静かに、ただ静かに、そこに横たわっていた。
ほっかむりして、「どうも」なんて言いながら現れそうなのに、そこに叔母の亡骸があった。
「なっこのこと本当に心配してたんだよ」
「おい、トシんとこのなっこちゃんが来てくれたんだよ、おい、起きてくれよ」
S叔父さんが、お棺の側に置かれた籐の椅子に座って妻の遺体を眺めがら、
そう言う。
私は、まるで何にも喋らない叔母さんを前にしてなにも言葉がでなかった。

 なんで急にいっちゃうんですか。
私、今年のお正月はこっちにこなかったから会えなかったんだ。
従兄弟なんて、一人っ子で、東京に住んでて、叔父さんと二人でこんな贅沢な家に住んでたんじゃないですか。自慢の一人息子と、旦那残してどうしていっちゃうの。
しかもちゃんと聞いたら、材木屋始めたのおばさんだっていうじゃないですか。
創業者であり、実質社長であったおばさんがしんじゃったら、材木屋どうなっちゃうの。
うちの父さんも叔母さんのことをだいぶ頼りにしていたよ。
どうすんの。
こんなに沢山の叔母さんを頼りにしてる人を残してどうしてそんなに早くいっちゃうの。
私叔母さんに進路のこと心配してもらったままだよ。
その先の話、してなかったじゃんよ。
今上尾の建設現場で事務のバイトしてて、やっぱり建物に関わる仕事がしたいって思うようになった、そんな実感を持ったんだよ。

 色んな思いがこみ上げてきて、棺の前で私は泣いた。
叔父さんも、従兄弟も、父も、皆泣いていた。

 叔父は妻である私の叔母の側を離れようとはしなかった。
きっと亡くなった一昨日からずっと側にいるんだろう。
まだ、叔母の突然の死を受け入れられてはいないようだった。
伴侶を亡くすということは、どれだけ寂しいことだろう。
これから先の自分の人生をどう生きればいいのか、考えると寂しくて寂しくて
きっと夜も眠れないだろう。
叔母は若い頃、一人で材木を軽トラで現場に運んで大工に心配されたというくらいパワフルな人で、ある意味男前なところがあったのだけど、
9歳年上の旦那の前ではとても女らしかった。
それは周りの誰もが知っていた。
だから叔父の埋められない寂しさを思うといたたまれない気持ちになるのだった。

 「これから二人で色々旅行にいこうって言ってたとこなのになぁ…いっちゃうんだもんよ、そりゃないよなぁ。やっと落ち着いて好きなとこ行けるって言ってたときだったのによう、死んじまうんだもの」
そんな叔父の言葉を聴いていてなんだか、女の人より男の人のほうが実は脆く、弱いもんなんじゃないかと思ってしまった。
私は、できることなら、結婚したら夫になる人よりも後に死にたいと思った。
こんなに哀しみに包まれて今にも消えてしまいそうな愛する人を残して死ぬくらいなら、自分がその哀しみや痛みを味わったほうがいいと思った。
そう思わせるくらい、残された叔父と従兄弟、男二人の悲しむ姿は痛々しかった。

 棺の中の叔母は買ったばかりだという今シーズンのCHANELの春夏のツィードのスーツを着ていた。叔母はCHANELとHERMESが好きだったらしい。
靴もCHANELで首元には従兄弟がプレゼントしたHERMESのスカーフが巻かれていた。
そして体の上には初めての家族で行った海外旅行先の香港で買ったという、CHANELの冬のスーツがかけられていた。そして、家族やペットや家の写真と、リリーフランキーの『東京タワー』が棺の中に入れられていた。
「お通夜の日がね、ちょうど母の日なんだよ。前から母の日に『東京タワー』をあげようと思ってたら、これお母さんが死んじゃう話なんだよね。まさかこんな形であげることになるなんてね」

 家族に囲まれ、大好きな百合の花に飾られ、お気に入りのCHANELのスーツに身を包み、旅立っていく叔母を心からかっこいいと思った。
太く短く生きたその生き方は叔母らしいと思う。
きっとその叔母が支えていたものは計り知れないほど大きく、これからは父も私も叔母が支えてきた何かを背負って大きくならなきゃいけないんだと思った。

 「私が死んだら他の花はいらないから、百合の花をバーっと飾ってね」
叔母は生前から従兄弟に色々と自分が死んだらこうして欲しいようなことを言っていたらしい。心臓は悪かったらしいけど、特に最近具合いが悪かったようではなかったということだった。でも、生前から自分が死ぬときはこうして欲しいとか、自分はこれが好きだとかそいういう自分のスタイルが確立されているっていうのはなんてかっこいいんだろうと思った。

 思う存分生きて、人との出会いを大事にして、人生を楽しみたいと思った。
今何気なく側にいる家族や友達や恋人が今ここに生きているということが、
どれだけ自分を支えてくれているか、
叔母の死はそんなことを教えてくれた。

 私はだいぶ背伸びをして、叔母の通夜の前日、表参道のPRADA本店で靴を買った。普段はコンバースのオールスターだけどね。

外装監理室

2006-05-20 23:31:34 | 徒然
 これは5月9日(月)…だから先週の月曜日に撮った写真。
通りから見えるファサード(正面)の壁面です。

 つい最近、内装監理室の皆が皆忙しくてサイン(看板)監理に手が回らないということで、どの企業がどこの看板を使うかということを監理する業務の担当になってしまったのだ。もちろん一人でやるわけではないのだけどね。
これは一週間以上前の写真なので、今はこの四角いマスのところにもう白いボードが貼ってあります。
ここにテナント店舗の看板がばーんとくっつくわけです。正方形のは5m×5mです。

 現場の建物についてのことはだいぶ書いていなかったのですが、もう工事はかなり進んでしまった。でもこの工事の進み具合についてはなるべく書き残しておきたいと思ってます。
今はテナント店舗の工事業者が着工している。でも本体工事が完全に終わっていないので…果たして6月の建築確認検査に間に合うのか???
果たして6月半ばに建物の引渡しができるのか???
ほんとに6月末にオープンできんの???

っていう殺気だった雰囲気で追い込みの時期に入っています。
私はもうすぐ現場が終わっちゃうじゃん!何かできるようになったんか私は?
と少し焦りが出始めてきたところです。
ここにきて少しやることを整理して、気持ちを整理してとりかからないとな…

 なんでもかんでもできるようになんて、ならないんだから基本的なことを身につけよ。
焦るとロクなことない。
そう考えると少し見えてくる気がするな。
まず…今担当している仕事を責任持ってやること。
それからパソコンをもっと使えるようにすること。
具体的にはCADで図面を描けるようになること。
あと、電気や空調、給排水、防災設備なんかの基礎知識を覚えること。
それとセットで現場で現物を見て覚えること。

それから…現場に来て思ったことは、建物は施主や設計者、施工会社全員で創るものだということ。だから打ち合わせも重要だし、その技術も工期内で魅力的な建物を完成させるのに重要なことだと思う。だから、個々が自分の会社のことだけ考えて連携できてないんじゃ、いい建物はできないし、工期も延びる。
つまり…情報の共有ができていないと、余計な工事が増えるってことらしい。
「ここの変更は聞いてないよ」
そういうことがゼネコンとサブコンの間、勿論各社の内部でも結構あるみたい。
それって結局、人間関係と一緒なんだなって思いました。
だから連携していい建物をつくるってこと、その大切さを分かっていれば、
自分のところの変更したら、それがどこにどう影響するかまで考えられるはずなのだ。ま、いい建物って何かっていうのはまた別の機会にでも書くとして…

 そういうことを肌で感じられるのが今一番の勉強になっている。
もう一件ぐらい現場で仕事したいなぁと思う今日この頃です。
事務でもCADオペでも、現場に足を運べるなら何でも。
内装監理室はテナントもディベロッパーも、テナント設計者も施工業者も、ゼネコンやサブコンの現場責任者の人も出入りするからそれぞれの立場を考えるチャンスをもらっていて恵まれた環境にいるなぁと思います。

 さて、外装監理室の準備もどんどんしておかないとね。
最近全然ブログを更新できなかったので、書きたいことが溜まってるんですが、
一番最近のことをとりあえず書きたかったのでした。

おばさん

2006-05-11 22:51:07 | 徒然
 昨夜、22時頃、飲み会から帰る途中、自宅からの着信があり、
母から留守電が入っていた。
「あの、お母さんだけど、J子おばさんが亡くなったの。気付いたら電話ください」

 

 おばさんの死はあまりに急なことで、唖然としてしまった。



 J子おばさんは父の姉で、5人兄妹の上から二番目のお姉さんだった。
すごくしっかりした人で、自分のことよりもいつも周りの人のことを考えている人だった。
中卒で働いて、旦那さんであるS叔父さんと結婚して材木屋をやっていた。
その材木屋は設計事務所でもあって、今私たちが住んでいる家もおばさんのところで設計してもらい、おばさんの知り合いの大工さんに建ててもらった。
だからうちの家はそんなに斬新なデザインなどではないけれど、
しっかり造ってある木の家だ。

 また、数年前に新築したおばさんの家はまるで旅館か料亭のようで、平屋建てで木のサッシだったり、薄い木のふすまだったり、節のない杉を長押にしていたり、とにかく木のぬくもりのする家だ。
私が木造好きなのも、おばさんの影響が強い。

 J子おばさんは、とても厳しくて優しい人だった。
身内なのに、会う時は結構緊張したりして…礼儀やなんかに厳しい人だった。
お小遣いも、必要以上にくれなかった。
低いハスキーな声で笑う、かっこいいおばさんだった。
「なっこは最近どうなん?」っていつも気にかけてくれていた。
最後に話したのは、私が建築の勉強をしようと進学を考えている時だった。
今年の2月だったかな。
「設計の仕事や建築関係は厳しい世界だからやめたほうがいい」そんな電話が最後だった。
でも従兄弟が通った専門学校の情報をFAXで流してくれたり、
私が南青山の設計事務所の面接を受けた時も、色々と心配してくれた人だった。
今愛用しているPRADAのトートバッグもそのJ子おばさんが買ってくれたものだ。
結構裕福な家なのに、いつも頭にほっかむりして手ぬぐいを巻いて、ノーメイクで、軽装で、タバコをプカプカふかしている人だった。
おばさんの作る料理やうどんは美味しかった。
そんな男前な性格で、S叔父さんと夫婦仲良しで、いい女だったおばさん。

心筋梗塞で、倒れたときにはもう遅かったらしい。

 
 とにかく、急で信じらんなかった。


まだあまり実感がない。
明日かあさって、おばさんのところへ行く予定だけど、
なんだか黙って永遠の眠りについているおばさんの姿が想像できない。
だって、電話で話したのはほんの3ヶ月前だ。


 私これからの自分を叔母さんに見て欲しかったのに。
もっと色々しゃべっておけばよかった。
そう思うとものすごく悔しい。

 
人の一生なんて、いつどこで終わるかわかんないもんだ。

人が死ぬってことはどんなことなのか、生きていることの意味ってなんなのか、
おばさんが教えてくれるんだね。

通勤電車の車窓から

2006-05-09 09:02:06 | 徒然
連休中にはりきって衣替えをしたのに昨日は寒かった‥
やっぱり衣替えは6月頃が適しているのだな。

というわけで昨日は例によって仕事終わりに駅前のカフェ‥
というより喫茶店にて、ぼんやりしたり反省したり勉強したりしていた。
なんだかな、気持ちがやっぱり空回りしててうまくいかなかった気がする。連休中に事務所に出て仕事を整理したつもりだったけど‥連休の成果を発揮せんとばかりに、打ち合わせに使う資料を揃えようと思ったら既に上司が準備していたり、その日の打ち合わせスケジュールを現場の各事務所に伝えようと思っていたら向こうから問い合わせの電話をもらったり‥とにかく後手後手になってしまった。
というより、後手後手になった感が強いというか。でもそれで自分でだめ出しして良くなればいいけど気持ちが折れちゃうんじゃ意味ないんだよな。よし!次いってみよー!って前向きにもっていけるのがベスト。

‥で、そこにきて元気をなくしてる自分は、多分まだ自惚れが強いんだろうな。

 去年から周りの人からも言われた言葉だけど「責任」という言葉が自分の中でキーワードになっている。仕事の優先順位を決めるのもこの「責任」が根っこにある。
仕事も、責任のとれる範囲でやって、それが十分にできるようになるまでは他のことに手をひろげない。
そしてその仕事がある程度片付いたり、自分の能力が向上したり、余裕ができて責任をとれる範囲が広がったら次のことをやる。
やると言ったら最後までやるし、やらないならやらない。仕事ではその態度をはっきりさせることがその仕事に対して責任を持っているといえることなんじゃないかと思った。

自惚れず、でもがむしゃらに、笑顔にだけは責任持ってたい。

あ、それは仕事じゃないか、人としてだな。


穴だらけ

2006-05-07 21:33:16 | 徒然
 G・W連休最終日ですね。

私は金曜日まで現場の事務所で過ごし、土日は家で過ごしました。
事務所ではウルフルズのアルバム『YOU』をずーっとかけながら
一人で歌いながら、テナントファイルの中身を閲覧したり、整理したり、
自分の「事務マニュアル」ファイルを整理したり、
今後の仕事をあらいだしたりしていました。

特に毎週木曜日に行われている内装監理室定例会(建築・電気・設備担当者を交えて内装監理室で行われたテナント打ち合わせの報告や連絡、議論する場)
の議事録ファイルは2日に分けて音読した。

詳しい中身についてはよく分からなかったけど、流れをつかめた。
そして自分に足りない知識やスキル、分からない用語をピックアップして持ち帰ってきた。
これから何をやればいいのか、自分には何が足りないのかという見通しを立てるの上でこの3日間は貴重な時間だったと思う。
だから仕事人としての自分の中身を成長させるのはまだこれからなんですけどね。


 そして土曜日、せっかくの休みなんだからやりたいことしようと思い、
衣替えをしました。そして洋服や靴の手入れ。
まぁ、私が衣替えをしたなんて、どうでもいいっちゃあどうでもいいってことですが、お時間のある方は読んでいってください。

 いや~~~、それにしても、穴の開きそうな靴下やストッキングの多さったらない。
知らなかったことが沢山ありました。
「え?この白いジャケットってこんな色だったっけ?!」とかね。
もうね、ストッキングやタイツは全滅でした。
なんでとっといてあるんだろうってものばかり。
これじゃあ履くとき全部はずれじゃん・・・って思いながら、
最後のほうはもう何とも言い難い怒りがこみ上げてきた。
靴下もヨレヨレだったり、親指が透けそうなものをとっておいてある。
レースの靴下(昔おばちゃんが授業参観に履いてきたスリッパのような形の)も
「これはいけるかなー・・・」と思って親指のところを触ると指がにょきっとでる。
なんなんでしょうね、靴下のサイズが合わないのか、私の足が大きいのか。
ストッキングやタイツって確かに消耗品だけど、女性はかなりの頻度で履くものでしょ。
それのにこんなに破れやすいなんて…穴が一箇所開いただけでもう使えないなんて。
電線しにくいストッキングや穴の開かないレースの靴下ってないのかしら。
作ってほしいわ。そしたら確実に売れますよ、そして買います。

 そして、最もショックだったのは4年前くらいに買ったトップスで、
2年前に虫に食われてかけはぎに出したのに、再び虫に食われていたのを発見したこと。

はー…  ため息ですよ。

これも怒りがこみあげてきた。
誰に対してでもないんですけどね、結局自分がいけないんだから。
そのトップスの値段は9000円くらいだったのかな。
カジュアルなんだけどエレガントで可愛らしくて、当時まだ学生だった私には合わせる服がなく、着る機会があまりなかったのだけど気に入って買ったのでどうしても直して着たかった。
そしてそういうテイストの服を着ようと思えるようになったのに、
穴が!
二箇所も!
…ほんの5ミリくらいの穴
それでこの洋服の全体が台無し。
なんなんでしょうこの気持ち。

確か2年前にかけはぎに出した時は5000円くらいしたんですよ。
今回もそれくらいするんだろうな。

…5分くらい悩んで、やっぱりもいちど直して着ることにしました。
お給料が入ったら、直しにだしてみよう。トホホ…

でもこんな風に結局は捨てられない、もう一度大事にしようって思われる洋服って、本物だと思いません?
今回虫に食われた洋服はそんなに何回も着ていないけど、時が経っても買った時の「これは好きだな」っていう気持ちが変わらない…
「愛着がわく」ってまさにこのことだわ。

多分私のクローゼットの中にはヘビーローテに耐えられるくらい丈夫な洋服か
デザインや形が美しくて気に入ってとっておきで着るものか
どっちかしかない。
でもそれでいいような気もした。
今回ヨレていたものや汚れたりしているものは処分した。

するとだいぶクローゼットの中身はすっきりして、大事にしたいものが残った。

そして、土曜日は大変天気が良かったので4回も洗濯機を回し、
シーツやベッドカバー、肌かけ、かけ布団カバーや枕カバー、
ジャケットやニットなどそう何度も洗濯しないものを洗い、
漂白が必要なものは漂白し、ほこりをとり、アイロンをかけ、
ボタンのほつれなどを直した。

それに一日を費やしてしまったが、大変気持ちがすっきりした。
昔テレビか雑誌でフリーアナウンサーの安藤裕子が語っていたのを思い出した。
確か、大人のお洒落着とは、丁寧にアイロンがけされた白いシャツに象徴されると言ってたな…印象的な言葉だった。
ファッション誌をみれば上質で綺麗な洋服や靴やバッグが欲しい…と思うけど、
今はそんな10万も20万もする時計やバッグ、靴を買う余裕なんてない。
学生時代は1枚1万円以上するTシャツがいい物だなんて勘違いをしていた時もありました。バイト代を洋服に使ったり、その洋服がすごく個性的だったりして…無駄遣いしてたなぁ。その頃の服って今あんまり残ってない。

それにいつも選んで着るものって値段関係なしに着心地だったり、コーディネートのしやすさだったりする。そしたら着ない服を何十着も持ってたって無駄なだけだ。
だからいつも着る服を丁寧にお手入れして、長く着られるようにする、
その心がけが大人のお洒落の心意気なんだわ…と思いました。
あら、綺麗にまとまった。
ちなみに私の尊敬する元バイト先の上司の女性は身につけるものを自分でデザインして作っていて、とても刺激を受けました。いや~…そこまでいくのにはまだまだです。

 なんて身だしなみに関してはこのくらいにして、食いつないでいけるか、そっちに時間をかけないと。まだこれからが勝負なんですけどね。
ああ…明日からより緊張感のある現場へと出陣だわ…。
オープンまであと1ヶ月半、工事はあと実質1ヶ月。
みんなピリピリしてんだろうな…気を引き締めてかからねば。

 そして緊張感といえば園芸シーズン真っ盛り、最も忙しいG・Wをお過ごしの、前のバイト先、園芸店の皆さん、G・W本当にお疲れさまでした。
まだこれから母の日を前に忙しい日々が続くと思いますがどうぞお体だけは大事に、乗り切ってください!
陰ながら、心から応援しております。

福祉住環境整備の必要性を実感

2006-05-04 12:23:51 | 徒然
 先週からG・Wの人にとっては、連休も後半に入ってしまった今日、
私は再び上尾の現場にいる。

そして事務所には誰もいない。
というわけでせっかくだから自分のために花を活けてみた。
スーパーで一束200円のバラと大宮駅のAoyama Flower Marketで買った
アスチルベと…キンギョソウ。
もちろん花瓶の水がこぼれてPCにかかったら大変なので、
邪魔にならないところに配置しました。

事務所の外は本当にいい天気で、
家の庭先では去年園芸店を辞めた時にいただいた寄植えが咲き誇り、
来る途中も民家の庭先に見事な牡丹、ツツジ、シャクヤク、
ハナミズキが色とりどりの花を咲かせているのを見た。
街路樹も新芽が青々として元気いっぱいだ。
なんて気持ちいいんだろう~風も穏やか、さわやかだし…
ずっとこんな陽気が続けばいいのに。
こんな日は鎌倉あたりに行きたいなぁ…って思うのですが、
多分観光地の混み様は尋常じゃないと思われるので、こういうのんびりした
気持ちを味わえるだけで幸せだと思わないとな~と思いました。

今の私が感じることはやっぱり今この時しかないわけで、
いかに充実させるかは自分次第なのだな。
多分、30歳になり、40歳になった時には季節の変化に対しても別の感じ方を
しているのだろうし・・・その感動などをより豊かに表現できるようになっていたい。

 さて、話は変わって、さかのぼること4日前、日曜日の出来事…

私、家の階段から滑り落ちたのですよ。
階段の電気はつけなかったのですが、そんなのいつものことで、勢いよく
駆け下りたら、なぜか滑って階段の真ん中あたりでガガガガ~と滑ったのです。

でも下まで転げ落ちることなく止まったので良かった。
頭も打たず、骨も折れず、大事にはいたりませんでした。

ただ、もう痛くて痛くて、意識がとびました。
まるでテレビのノイズのように視界がザザ…と消えていく感じだった。
そして「いたいーーーーーー!!!」と叫びました。
両親は大慌てですよ・・・多分ショックで気を失ったんだと思うけど、
心配かけてごめんなさい。

んで、反省として

家の階段は踊り場のない14段で上りきる直線の階段で、
蹴上げ(一段の高さ)が22cmある。
更に7段目あたりで2階の床面をくぐる形になっており、なんとそこで
私は頭がぶつかるのです。
前にちょっと調子よく階段を降りていたときにゴンッとぶつかったことがある。
たぶん私の背が高めなのはあるけど、170センチ以上ある人ならぶつかります。
もう25年以上住んでいるからちょっと前かがみになって頭上をよけて通るのに
慣れてしまったのだと思う。
あとは…階段の塗装の色、これがこげ茶色で暗いと段の境目が見えない。
これは直接的ではないけど、手すりも降りる方の利き手にあるべきらしいのに
反対側つまり降りるときに左側となる場所にある。

あとは…慣れてるから大丈夫だろうという気持ちの緩みかしら。

 とにかく、落ちたのが私でよかった…と思いました。
足と腕には巨大なアザが!!
右太ももの裏に直径15センチはあろう青アザができました。
腫れているし、変なグラデーションになって気色悪いったらありゃしない。
例えて言うなら…バラ星雲
でもそんなきれいなもんではなく、そういうのが太ももの裏にあると自分でもびっくりします。
あとは両足首と右ひじにもアザ。

 まとめると、
階段は直線ではなく、折り返してあがるものがよい→下まで一気に落ちないから
蹴上げは15~18cmにする→法律では23cmまでが許されている範囲(以前24センチ、と誤ったことを書きました。申し訳ありません)だが、高すぎ。公共の歩道橋などはどの年代の人も楽に上がれるという15cm前後の高さらしい。もちろん個人差はありますが…
手すりは降りる方の利き手側につける→手すりの断面の直径は…さて何センチが一番握りやすいでしょう?福祉住環境コーディネーターのテキストに書いてあります。
階段は一段一段を分かりやすく塗装する→段鼻(足を乗せる面「踏みづら」の向かって手前側)と踏みづらの境目を分かりやすくする
あと階段部分の天井面を高くする→無意識のうちに頭上を気にして前傾姿勢になったり足元に注意がいかなかったりする

くらいでしょうかね。
福祉住環境って別にお年寄りや障害をもった方のためにあるわけではなくて、
普通に家族が安心して暮らせる家だったり、その他の施設だったり、
そういうところに活かされてしかるべきと思いました。
ああ、痛いけど、とてもいい経験になった。

天晴!

2006-05-03 15:57:06 | 徒然
 ゴールデンウィークですね。

私は今誰もいない現場事務所のPCでこれを書いている。
ってもちろん暦どおり休みなのはうちの事務所ぐらいで、
他のゼネコン、サブコン(電気、設備)の事務所は開いている。
突貫工事ですからね…6月末のオープンに間に合わせるために皆さん必死ですよ。

 そんな中、私は暦どおりのG・W5連休を現場事務所で過ごすことにした。
だって、電話も鳴らない、来客もない、作業途中にコピーを頼まれることも、
お使いを頼まれることもない・・・
全部自分のペースでこの現場のことを理解する時間ができたんだもんね。
もう…今まではそんな余裕なかった。

だから一人で勝手にG・W内監講習会。
現場の責任者の人は夜遅くまでいるし、ある程度遅くまで残ってても問題はない。
PCも使い放題だし、目の前に建物はあるし、勉強する場所はあるし、
やっておきたい作業も落ち着いてできるし、借り物だけど自分の空間です。
こんなチャンスないっすよ。
って勝手に事務所を使ってるのは申し訳ないから業務に関わることをやるつもりですが。

何かできるようになんないと、次の仕事はないもんな。
やっぱり、2月20日から勤務し始めて、はや2ヶ月半が過ぎて、
「このままじゃ事務の経験しかしないで終わっちまうよ!」って気づいた。
テナントの依頼した設計会社から事務所へ郵送されてくる基本設計図や実施設計図を目にしたり、設計打ち合わせで来た女性の設計士の人を見ると、
「ああ、私も設計できるようになりたいな」こういう打ち合わせで建物を創ることに関わりたいなという思いが強くなった。
私だって一応、事務として間接的に関わっているけど、やっぱり事務どまりで、
グリーストラップがどうの…とか
リーシングラインが…とか
エコアイスがどうの…とか
カットリレーがどうの…とか
そういう言葉が耳に入ってもよくわからない。
それを理解するのには時間もかかるし、事務の仕事をある程度きちんとやらないと
勉強する時間もとれない。
そういうと事務って「そんなに忙しいの?」って聞かれるんだけど、
やることは際限なくある、と思う。
だって、それでお金もらってるんだもん、適当にできないっしょ。
こまかーいことだけど、
今日のうちの事務所でやる打ち合わせスケジュールを現場の各事務所の責任者にメモして書いて渡したり、
朝はお弁当を注文したり、
掃除機かけたり、お茶菓子や飲み物を補充したり、玄関を掃除したり、机を拭いたり、打ち合わせ資料の予備をチェックしたり、用紙切れしていないかチェックしたり、ゴミを捨てたり、金庫のお金の出納を管理したり、回覧板で全員に回っているかチェックしたり…

最近一番の仕事はテナント・設計会社・施工会社の連絡先リストを作ること!
これがもう、一番時間がかかったのと早く作っておきたかった。
まずあらかじめある資料をもとに表を作って、そこに打ち合わせを通してもらった名刺や書類から、テナント・設計会社・施工会社の各担当者をリストに載せる。
そのフォーマットを作って、メールアドレスを入れてそれをハイパーリンクですぐに新しいメッセージを作れるようにして…って
普通に勤務時間中にやってると恐ろしいほど進まない。
なんか、やっぱりアンテナを張っているからか、集中できない。
特にFAX番号なんかは間違えて打ち込んでそれをもとに誰かが送信して
誤送信…なんてことになったら私の責任だもん。

だからこの連絡先表は先週の土曜日に出てきてつくりました。
そしてやっと気持ちに余裕ができた。
なんか、本当に、他愛ないことって思われるかもしれないけど、
それって、とりあえずやり終えてみないとわからないことなんだよな。

それから「あーここ、無駄だったな」とか
「なんで私あんな回りくどいことしてたんだろ」なんて気がつく。
あとは、資料を大量に印刷していて、その印刷の仕方にもっと簡単な方法があったらしくて、上司から「だから仕事が遅いんだよ」って言われたことがあった。
その時に、内心はすっごく悔しかったんだけど、事実だなぁって思った。
PCの一つの操作を知らないだけで、こんなに無駄な時間と労力を使うことになるなんて…とへこんだりすることがあった。
でも、それでも何でもとりあえずやることは責任もって最後までやって、
それから仕事が遅かったりできなかったりするのは事実なんだから
それをどこかで取り返さなきゃって思う。
それがこのG・Wの宿題だ。

こっちも事務の仕事をプライドをもってやってる。
打ち合わせに来る担当者のコーヒーの甘さの好みを覚えたり、お茶の入れ方も勉強したし。
だからもっと内装監理室の業務についていけるように、上司の求めることにすぐにこたえられるようになる。
この現場でどこまでいけるかはわからないけど。
誰も何も指示してくれない場所だから自分の頭フル回転で疲れるんだけど、
そうやってることが今一番の充実感と自信をくれるんだ。

 あと、ちょっと前に書いたスーパーマーケットの内装デザイン…
結局「もう心配しなくていいから」ってことで白紙になって、今までその会社が作ってきたパターンで金額の交渉等を進めてるらしい。
なんか拍子抜けだけど、でも今までずっとデザインをする時間も余裕もなくて、
大きな空間をどうデザインするかってすごくプレッシャーになっているのも事実だった。
だから少し安心した。
今中途半端なままで何かを生み出しても多分中途半端なものができるんだろうし…
だからまた仕切りなおし、建物の構造やスケッチ、図面のトレースや実際のビジネスの現場や昔の建築やデザインを学ぶところから、またスタートだ。

 いっそがしいわけだ、自分で書いてて気づいた。
しばらくブログを更新できなかったし…

友達と会えたりする日なんか、もう最高に楽しいもんな。
ああ、みんなどうしてるのかな。
お世話になったあの人この人の顔が浮かんでくる。
最近お酒を飲む機会に誘っていただくことが多くて、お酒を飲む楽しさを
感じるようになってきた。
お酒は弱いくせに、私はお酒が好きなようだ。

私は私なりにマイペースでやってますよー。


 さて、いつまでも書いててもここに来た意味がないのでそろそろ作業にとりかかりますか。
それにしても今日はいい天気だ。
5月の晴れの日、上尾の駅のホームから見える「あげお」と刈り込まれた植え込みに癒されつつ過ごすG・Wなのでした