風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

あのう、石の声を聴く

2015-06-24 22:58:15 | お気に入りの場所
この石垣は、「穴太(あのう)積み」というそうです。

3日ほど遡りまして先週の日曜日、
私は京阪坂本駅から日吉大社までの参道を歩いた。

この場所は落ち着いていて品があり、風情がある。

またその日は雨の予報だったのに運よく天気も良くて、人もまばらで
私は一人「うわ、ここは穴場だ!」と静かに興奮しながら写真を撮った。

前にブログにチラリと書いたとおり、5月末に一度訪れてはいるけれど、
改めてそう感じた。

そうそう京阪電車で終点の坂本駅に着く前に、
途中に「穴太駅」という駅があった。
その駅に停車したら「あのう~、あのう~」という車内アナウンスが流れた。

「はい?なにか御用ですか?」と
なんて思わず返事をしたくなるような
変わった駅名だな~と思っていた。

「穴太」と書いて「あのう」と読むんですね。
初めて知りました。

そして京阪坂本駅から日吉大社までの参道には
道の両側に石垣が続いている。

その途中、植木の間にこの石垣についての案内板がそっと佇んでいた。
この地域には穴太積みという石垣があり、穴太衆という石工がいたらしい。

さっきの駅名にあった「あのう」って、このことか~と繋がった。

穴太積みは、石があるべき場所に収まるように石の声を聴きながら積み上げ、
整形せずに石の自然な形を生かす積み方なのだそうです。

この整然とした、まるで全てがつながっているようなピタリとくる感じは、
石をそのままの形で使っているからなのだろう。

ありのままで無理なく役目を果たせる場所に石(意思とも言える)を配置するのは
ただの建築材料ではなく、石を命ある自然として活かす理にかなった技術なのだ。

…こういった脇道も素敵です。


日吉大社や比叡山の門前町である坂本の街は、
凛としてとても癒される。

ここは新しいお気に入りの場所になった。

またぶらっと行きたいな…
その時は、もう少し石の声に耳を傾けられる私でいたい。

来ちゃった

2015-06-21 12:33:05 | 徒然
また来てしまいました。
京都に。

正しくは滋賀に、か。
京都の宿は高いし予約がいっぱいなので、
最近はお隣の滋賀県によく来ます。
昨日から一泊二日のぶらり旅です。

ゆったりしているし、人もそれほど多くはなくて
湖も山もあって、また歴史ある建物が沢山あります。

歩いていると心が癒される。
木や緑の息吹きの香りがします。

天気が荒れる予報でしたが、
驚くほど晴れて良い天気です。

今日はこれから比叡山に行こうと思います。
その前に、比叡山の氏神様という日吉大社にお参りしていきます。

旅の頻度が増えたのは
どうしてなんだろうなあ。

吾唯足知

2015-06-09 07:41:00 | 徒然
 昨日の朝は、昨年の夏に京都の竜安寺で見た
「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」のつくばいを思い出した。

昨日の朝、週末を越えた月曜日の通勤電車の中で
週末にノートに綴った自問自答を何気なく読み返していたら
文章の最後に「多くを望まないことだ」と勢いよく書いてあった。

それを書いていた時は特に何も思わなかったけれど
改めて読み返してハッと気づいた。

そうなんだよな…

「もっともっと」「まだまだ」と満たされない状態だったから、
中々虚無感が拭えず苦しかったんだ。

その状態から抜け出すには、多くを望まないことだ。

確かに!

というわけで…昨日の私は、モヤモヤの原因が判って非常にスッキリしたのだった。
周囲の状況は全く変わらないんだけどね。

そしてその時直ぐに浮かんだのが「吾唯足知」の言葉だった。
つくばいに刻まれた文字は、本当に洒落がきいていてカッコいい表現だ。
この気づきを忘れないように、また苦しくなったら思い出せるように、
私の座右の銘にしよう。

 ささやかだけど、私にとっては大きな気づきのあった昨日は
仕事で外出した帰りに少しだけ寄り道をした。
前々から気になっていた神社、王子稲荷神社に吸い込まれるように立寄った。
こじんまりとしているけれど、創建は平安時代前と結構古くてまた華やかで堂々としている。
そして少しだけ、タイムスリップしたような雰囲気が味わえる。

ああ、こんな場所もあるんだなあ。
見上げれば、お稲荷さんのお宮がどーんとある。
今だからこそ目に入る。
無明のモヤモヤの中にあったらこれは目の前にあっても心は向かなかっただろう。

私は外の世界を見ているようで見ていないのかもしれない。
何かに囚われている時間が多ければそうなってしまう。

まだまだ、知らないことだらけだ。
私はもっと世界を知りたい。

諦めの空

2015-06-06 13:07:05 | 徒然
旅に出たい。

先週末、午前中に都内の歯医者で治療を受けた後
その足で京都に向かってしまった。

そして、土日1日半のこの旅はまるで1週間くらい旅をしたような充実した濃い時間だった。
持っていたノートに沢山たくさん言葉を書いた。
その時思っていることを脈絡もなくただ綴った、日記ともいえないような
心のデトックスのためのような文章を。

1日目は八坂神社、四条通り、京都御所近くのホテル
2日目は北大路、鷹ケ峰源光庵、三井寺、日吉大社

本当は比叡山延暦寺にも行きたかったけど、ゆっくり回りたかったので別の機会にすることにした。
とにかく新緑の京都・滋賀はさわやかで人も少なくて、最高だった。


…5/30・31の道中のことは、ちょっと置いといて


一人旅から帰ってきて気付いたことがある。


それは、今の私の生活が、私にとって大変ハードであることだった。
朝5:30に目覚め、シャワーを浴び、7時前に出て新幹線で東京まで乗る。
そこから在来線で職場の最寄駅まで満員電車に揺られ、始業15分前くらいに職場に入る。

帰りは会社から新橋駅あたりまで歩いて、座れない在来線で1時間ほど電車に揺られ埼玉まで帰る。

20代の頃は行き帰りの満員電車も何とか耐えられたけど、
今では行きの新幹線という手段を覚えてしまってからはもうやめられない。

毎日、毎日同じことの繰り返し。
毎日、毎日同じ道を通り同じ場所に行って、帰る。

行き交う人・人・人の中、遅れまいと足早に職場に向かう。
ヒールの靴での通勤は、色々試行錯誤をしてもやはりつらい。
たまにスニーカーで行ったり、ペタンコ靴で通ったりもするけど
イマイチテンションが上がらない。

人に見られることを気にして、小さくなる。
人に見られることを気にして、磨かれる。

その時によって両方ある。

今、実家で暮らす私は、家に帰れば家族がいて
ごろごろしていてもご飯を作ってもらえる。
「おかえり」って言ってもらえる。

定時であがったとしても、帰りは19時を過ぎて
ご飯を食べてテレビを観たりお風呂に入って少しぼやぼやすると
あっという間に24時近くになってしまう。

そして朝が来る。
朝5:30の目覚ましが鳴る。

同じことの繰り返し。
勿論、仕事の内容は同じではないけど
考える間もなく色んな方向から様々なボールが飛んでくる。
それをキャッチして投げて、キャッチして打って、走って
お疲れ様でした~と言って、そこそこのところで見切りをつけて帰る。

ため息をする息継ぎの時間を確保するために。

…これはきっと幸せなのだ。
家族もいる、家もある、仕事もある、パートナーは…いないけど
とても自由で安定した充実した生活をしていると思う。

思う?

誰が?

私は本当にそう思ってる?

そう思ってるのかな…

安定した生活を送っている今だからこそそう思うのだろうけど
ここに辿り着いた今だからこそ、見えてくることがある。

先週末、ぶらっと旅に出て
パソコンやスマホの画面を眺める時間より、周りの景色を眺めて歴史に思いを馳せる時間を過ごして

旅から戻ったら
惰性の毎日に戻りたくないという私になってしまっていた。

だから旅に出たい。
その時に感じたことを表に書きだしていきたい。

先週末の一人旅は、人・人・人の波と現実に溺れて窒息しそうな自分に気が付いた旅だった。
5/31京都駅17:29発新幹線のぞみで大人しく程よい時間に良い子に帰る私は、
うん、これで良いのだと思うと同時に
つまらない大人になっちまったなという自分への落胆と寂しさを感じながら
夕暮れに染まる前の京都の空にさよならをしたのだった。