風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

京都観光

2006-01-15 09:42:39 | 京都
「旅は道連れ世は情け」というけれど、特に一人旅の場合は旅先での出会いも楽しみの一つだ。
昨日は学校見学に行ったおかげで、学校の職員さんや一緒に見学をした嵐山在住の人とも話すことができた。
話していて、歴史ある街京都に住んでる人は現実に京都で現代の生活をしているわけで、京都のいい所だけでなく不便な所も感じているのだとわかった。

「嵐山(桂川沿い)に住んでるというと他県の人には羨ましがられるけど、秋の紅葉シーズンなんかは家の前の三条通りにダーっと車が並んで全く動かないんだよ」
‥と、そりゃあ不便だろうなぁということを話していた。
あと‥仕事も少ないらしい。アルバイトはたくさんあると言っていたけど‥「働く場所というより、色々観たり勉強したりする所」なんだそうだ。

 それでも、外国人が日本に憧れるように、多くの日本人が京都の美しさに憧れる。
 それは京都市の中心部においていえることなのかもしれない。美しい景色や職人技の結晶ともいえる豪華な寺社仏閣、庭園、京都に根付く伝統的な生活文化などが街のそこかしこに見られるのは、かつて日本の歴史における権威と富の中心であった場所だからこそ残っているもので、それに憧れるのは、単なるないものねだりなのかもしれない。
 さっきから、どうしたら京都を安く効率的に回れるかとか、住むのと観光は違うとか、色々と余計なことを考えるなぁ…こんなんじゃ疲れてしまうな。

 京都の魅力は中途半端でない突き抜けた本物の美しさであり、だからこそ守る価値がある。
壮麗な寺社仏閣を建てる一方では貧しい人々が苦しい生活をしていたわけで、単に京都は素晴らしいと言えるわけではない。ただ、文化を育てるには富が必要だ。豊かな国には文化と文化への理解がある。
 『もののけ姫』で、もののけと人間の共存という理想を思うアシタカがサンに「生きろ、そなたは美しい」というような気持ちと似ていると思うのだが、
さまざまな歴史的背景、矛盾を持つ京都だけれど、やはり美しいものは美しい。

今日はこの最もこのブログのタイトルにふさわしい記事を書いているなぁ。
空いた時間に感じたことを書いていこうと思う。
今向かっているのは鈴虫寺、苔寺です。
バスの窓から外を眺めると太秦の文字が。
ここから見える看板などに「右京」と書いてある。
地図でみると右京と左京って右と左、逆なんですよね。
それは昨日教えてもらった。
西の方が右京、東の方が左京‥なんだか頭が混乱するなぁ。
ちなみに洛西は「らくさい」と読むんだそうです。知らなかった。

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