クラシック 名盤探訪

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「古代朝鮮と日本文化」 「日本の中の朝鮮文化(相模・武蔵・上野・房総ほか)」 金 達寿

2007年03月25日 | 読書中
  

このブログでも、自分の足で歩いたウォーキング・コースをいろいろ紹介しているが、歩きが健康に良いことはもちろん、その地の神社仏閣や遺跡を訪れその由緒・由来などを知るのも、いろいろ思わぬ発見があってとても面白い。
今、ふと本屋で手にした金達寿氏の「古代朝鮮と日本文化」、「日本の中の朝鮮文化」という本を読んでいるのだが、これが謎とされる古代史とそれに関わる各地の神社仏閣等とのかかわりを実地の紀行内容をもとに書いていて、その説得力のある文章が私の心を捉えて離さない。
作者の金達寿氏は、残念ながら1997年に亡くなられたから、もう10年にもなる。
今までに散歩した所からだけでも、この本で知った興味ある内容をを、氏の文章を借りて載せてみると、
・毎年お参りに行く寒川神社について、「相模とは朝鮮語のサガ(寒河)からきている。
サガとはわたしの家、社などの意、朝鮮人の居所で、相模には朝鮮渡来人の集落があった。
寒川神社はその氏神」とある。
・また、「埼玉県日高市(旧高麗郡高麗村)にある高麗神社の祭神は、郷の長であった高句麗からの渡来人の高麗若光王で、そこから分かれ出た支族は「駒井、井上、神田、新井、岡上、本所、吉川、大野、加藤、和田、福泉、阿部、金子、中山、武藤、・・・」とよく知ったたくさんの名前が続く。
・また、狛江郷についての氏の文章を要約すると、「奈良朝の頃、高麗(こま)からの渡来人が武蔵国の開発に当たり、この地で麻を栽培しその繊維で布を織り朝廷に貢としていた。
万葉集では多摩の名を多麻と書いているし、調布は朝廷に貢として出す麻布を織ること、砧は布を水にさらしたたいて柔らかにしつやを出す作業のこと、狛江は高麗人が住み着いた狛江郷のあとと記している。」となる。
・さらに、「浅草・三社祭で知られる浅草神社の総鎮守となっている”三社さま”の三者とも古代朝鮮から渡来した神様であることを知っている者は、はたしてどれだけいるのだろうか。」とある。
・・・「浅草寺についで古い深大寺は、高句麗系の人々の開発になる狛江郷にあり、その開基と伝える僧満功は、渡来人糸と考えられている。
まさに律令時代に入ったころの東京周辺は、朝鮮半島系開発者の転地だったらしい。」とある。
読んでいると、興味ある内容がどんどん続き、本のページが止まらない。
この本は、氏の紀行先が全国に亘っていて全12冊に分かれているので、歴史・散歩好きの興味ある方は、その地のシリーズのものを、まずは読んで欲しいと思う。

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