会津のさざえ堂があまりにも遠いため、青春18きっぷで行くのをあきらめたことがあった。当時ぼくにとって鉄道はまだ移動の手段にすぎなかったのだ。その代わり、去年の6月自転車で児玉にあるさざえ堂を見に行った。残念なことに見学期間が合わず、さざえ堂を見ることはできなかったのだ。こちらにその顛末。
しかし、今のぼくは少しテツ分が増えてきたらしく、鉄道に長時間乗ることがストレスどころか楽しみにすら思えてきた。そんなわけで朝7時半に池袋を出発して、午後1時半に会津に辿り着くという、昔だったら考えられないことを行ったわけだ。
電車を降りると雪国に来たんだという感慨ひとしお。家を出るとき、スニーカーをはこうとしてふと、防水の登山靴を選んだ自分にグッジョブと親指を立てる。いや、スニーカーだったら偉い目にあったはずだ。東京でこれくらい積雪があったら必ず死者、骨折などの負傷者が出るのだけれど、雪国の人たちは慣れたもんである。ぼくもすいすい歩く。
駅から飯盛山まで歩いて30分ほど。中腹あたりにあるのがさざえ堂だ。
登る回廊と下る回廊が出会わない一方通行のお堂。建物に水平部分が少ないので、見ているとなんだかこっちの目がおかしいのか錯覚してしまう。
このさざえ堂の切符売り場のおばさんがナイス。不思議な雰囲気を醸し出している。高く張った声でずっと歌うようにお堂の説明を続けている。神田の藪蕎麦のおばちゃんが注文し続けているのに似ていると言えば、おわかりになる方もいるかもしれないな。
中は階段ではなく延々スロープが続いている。昔は観音さまが祀られていたらしいが、明治になって皇朝二十四孝に変えられた。会津だから気を遣ったんだろうか。
この構造は特異で、登りと下りが二重らせんによって作られている。すごい。
さざえ堂の頂点から見た会津若松。この上から見る会津若松という図は白虎隊ぽいな、と感じてしまう。鶴ヶ城を探すが見つからず、このあと白虎隊んとこまで登って探そう。
しかし、今のぼくは少しテツ分が増えてきたらしく、鉄道に長時間乗ることがストレスどころか楽しみにすら思えてきた。そんなわけで朝7時半に池袋を出発して、午後1時半に会津に辿り着くという、昔だったら考えられないことを行ったわけだ。
電車を降りると雪国に来たんだという感慨ひとしお。家を出るとき、スニーカーをはこうとしてふと、防水の登山靴を選んだ自分にグッジョブと親指を立てる。いや、スニーカーだったら偉い目にあったはずだ。東京でこれくらい積雪があったら必ず死者、骨折などの負傷者が出るのだけれど、雪国の人たちは慣れたもんである。ぼくもすいすい歩く。
駅から飯盛山まで歩いて30分ほど。中腹あたりにあるのがさざえ堂だ。
登る回廊と下る回廊が出会わない一方通行のお堂。建物に水平部分が少ないので、見ているとなんだかこっちの目がおかしいのか錯覚してしまう。
このさざえ堂の切符売り場のおばさんがナイス。不思議な雰囲気を醸し出している。高く張った声でずっと歌うようにお堂の説明を続けている。神田の藪蕎麦のおばちゃんが注文し続けているのに似ていると言えば、おわかりになる方もいるかもしれないな。
中は階段ではなく延々スロープが続いている。昔は観音さまが祀られていたらしいが、明治になって皇朝二十四孝に変えられた。会津だから気を遣ったんだろうか。
この構造は特異で、登りと下りが二重らせんによって作られている。すごい。
さざえ堂の頂点から見た会津若松。この上から見る会津若松という図は白虎隊ぽいな、と感じてしまう。鶴ヶ城を探すが見つからず、このあと白虎隊んとこまで登って探そう。
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