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140km児玉への旅(1)

2008年06月18日 08時51分01秒 | 観光
 五月晴れ、だ。
 暦が旧暦の頃は梅雨が5月にあたった。五月晴れとは、本来こうした梅雨の合間の貴重な晴れ間を指す。同じように、五月雨は梅雨の雨。だから最上川の流れも速くなるのだ。
 ま、この貴重な晴れ間、出かけないわけにはいかない。埼玉県の児玉ってとこにさざえ堂があるという。是非見てみたい。
 さざえ堂とは、お堂の形式のひとつ。板東33カ所、四国33カ所、秩父34カ所霊場の観音レプリカ像100体を納め、このお堂に参ることでそれら3カ所お遍路したのと同じ功徳を積める、という、まあ、富士山レプリカ登山にも似たもの。通路に沿って100体並んでいるのだが、回廊が一方通行。参拝者がすれ違うことなくぐるぐるとお堂の中を巡って歩くような仕組みになっている(会津のものが有名で、青春18切符で行こうとして、あまりの遠さにめげて宇都宮・大谷観光になったのだが、つまり、あの大谷観音はだからそういうことだったのだ)。
 会津の敵をここに討ち取るつもりなり。なり。
 そんなわけで朝食を済ませて自転車で出発。訳あって、いつもの自転車はお休み。同じGIANTのESCAPE R3というクロスバイクで出かける。ロードバイクと違って、前傾姿勢が取りにくいのでちょっとお尻に負担がかかるのと、意識しないと腕を伸ばして走りがちで、肘を痛めやすいところが要注意であった、と気づいたのは、家を出て60kmほど走ったところ。


 なわけで、60km過ぎの大芦橋。熊谷に行くにはこの橋を右に渡る。でも、見るからに直進しようよ、というように見えませんこと? 先日「初心者のための荒川サイクリングロード」にも書いたように、初めて来たとき見事に直進してしまい、ただまっすぐ走っているのだけなのに、横を流れている川が荒川ではなく、いつの間にか和田吉野川になっていて目を見張ったことがあった。
 しかし、児玉はここから西。このまま直進して西向きに進路を取ればいいのだ。いやあ、この辺の地理に詳しくなったなあ、と我ながら感心して進む。
 やがて国道254号線に出る(これ、うちの上を通っている国道だ。あの道をまっすぐ来りゃ近道なんだろうな。あ、うちの上たって、別に屋上に国道が通ってるわけじゃないよ)。
 この先食事をするところがあるか不安だったので、ファミレスで食事をする。
 ぼくは日本の街の景観の貧困さの一因にファミレスを挙げる。貧困とは量の多寡によるものではなく、質の多様性のなさによる。もちろんその要因はファミレスだけじゃない。ぼくらの街、そこには同じようなファミレス、コンビニ、チェーンの居酒屋、ときにはサラ金。同質の金太郎飴のような街の景色。どうやったらこの街を愛することができるだろう。みんな同じしゃべり方をして、同じ化粧をしている女子高生のような存在をひとり別して愛することなんてできるわけがない。
 でも、こうしてファミレスでシーフードカレー、スープ、デザート、ドリンクバーのついた890円のランチメニューを食べている自分が現実として存在しているわけで、思想と空腹との間には、ミケランジェロの描いた「天地創造」における神とアダムの触れ得ない指の隙間(あの隙間に永遠があるのだ)が存在する。
 ランチを食べて254号線を北上する。結構食事をするところがあって、中には手打ち蕎麦だのうどんだのあって、大変後悔しながら走る。俺の大切な空腹を返せ、と涙ながらに訴えつつ走る。同じ国道でも秩父や奥多摩とはえらい違いであった。



 108.93km走ってさざえ堂到着。正式には平等山成身院百体観音堂。こう書くと、さらっとここにたどり着いたような印象を与えるかもしれないが、大丈夫、ちゃんと迷ってから着いたのだ。108.93kmのうち、10km近くは無駄足だったかもしれない。走っていて、おかしいなあ、と思って鞄から磁石を取り出して見たら、南北逆に走っていたこともあった。人間に生まれてよかった。渡り鳥に生まれていたら、間違いなく、この能力の欠如は命取りになっていただろう。シベリアから北極へ越冬しに行ったりしたに違いない。あれえ、元いたとこよりちょっと寒くね? などと呟きながら死んでいたことだろう。人間バンザイだ。ああ、口が曲がる。
 さっそくさざえ堂見学である。だが、なんだかあたりは閑散としている。板東・四国・秩父、一度に百カ所巡ってしまえる、こんなありがたいとこなのに、この無人っぽい雰囲気はなに? さざえ堂見学の方は寺務所に300円納めて下さい、との張り紙に忠実に従い、横にある寺務所へ。すべての戸が閉まり、ぼくの300円を受け取ってもらえそうにない。と、そこに別の張り紙を見つけた。「百体観音堂の見学期間が変更になりました。」ふむふむ。「3月15日から5月15日までといたします」ふーん。
 さて、どうやってこの事実を頭の中にソフトランディングさせるか。もっと悲惨なことを考える。ロシアで沈没した潜水艦のこと、とか。あの乗組員たちはさぞ辛かったことだろう。あれから逃れるためなら、児玉まで無駄足を運ぶことぐらい厭わないどころか、嬉々としてペダルをこぎ続けるだろう。
 いや、それじゃだめだ。
 この出来事をもっと前向きに捉えなければ。そうだ、とそのときぼくは思ったのだ。これは縁(えにし)の始まりなのだ、と。縁の曼荼羅なのだ、南方熊楠。この観音さんたちとこれから何度か縁が重なっていくに違いない。
「今回はそのきっかけなのさ、ハニー」
 傍らにいる見えないエア・キャサリンに話しかける。
 誰だよ、キャサリンって。


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