毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

シャカリキ

2007年01月30日 14時29分42秒 | 読書


 自転車で走っていて常々思っていたのだが、車道と歩道との間にある変に半端な段差はどうにかならないだろうか。垂直に近い角度で歩道に入るとショックが大きい上、下手するとパンクの恐れがある(ぼくのはそうでもないのだが、ロードバイクなどでは危ない)。浅い角度で入ると滑って、下手すると落車してしまう。
 ったく、この段差ときたら、どうにかならないだろうか、と、しばし天を仰ぎ、痛む体を自転車から引き抜き、自分と自転車のダメージを確認しながら思ったのは飯田橋の職安のそばだった。そう、浅い角度で入って滑って転んだのだ。こうした打撃による体の痛みはいつ以来だろう。きつい運動での筋肉痛、200Vでの感電、二日酔いの翌朝の精神的絶望を伴う鈍痛、こうした痛みは人生の友と言うべき存在であったが、ストレートに痛烈な痛みにはご無沙汰していた。ひょっとすると雨上がりの夜、原チャリにのって、マンホールで滑って以来、20年以上味わっていないかもしれない。
 湿布をしたりしているが、左手はものを握れないし、左胸は息をするのも辛い。
 しかし、一番辛いのは、この痛みで自転車に乗れないことだ。
 自転車という名のなんという麻薬。
 自転車に乗れないことで訪れる禁断症状と痛みに絶えながら、ブログを書く今日この頃、みなさんもお気を付けて下さい。
 しかし、こんなぼくよりもっと熱い自転車馬鹿がいる。それが「シャカリキ」である。単行本では18巻だったらしいが、ぼくが手に入れた文庫本では全7巻に集約されている。このマンガの主人公野々村輝、ようやく自転車を手に入れた小学校2年生だ。しかしせっかく手に入れた自転車なのに、父親の転勤で坂の多い街に引っ越してしまう。あまり坂が多いので、誰も自転車に乗らないという街。そこで輝は歯を食いしばり、汗を流し、鼻水を垂らし、顔面を歪め、坂を登る。街で二番目に大きな二番坂にチャレンジ、ようやく登ると今度は歩くだけでしんどい一番坂へ。何度も失敗しながら、中学に上がる頃に一番坂も自転車で登り、街の子どもたちのヒーローになってしまう。中学3年時、この坂でライバルに出会う。そして輝はライバルのいる横浜へ、そこで高校生、大学生、実業団、海外組と競うようになっていく。
 ストーリーは少年マンガに典型的なスポーツものだろう。図抜けた才能があり、誰にも負けない武器があり、そして情熱、ライバル。
 ぼくのように自転車が好きな人間だけでなく、読む者を引き込む力は、しかしそれだけではない。主人公野々村輝の一点突破的な情熱に引き込まれていくのだ。それは勉強や部活、ともにバランスよく行うべきという日常生活の視点からすれば歪んだ情熱かもしれない。明らかに輝の情熱はバランスを欠いている。
 輝の情熱を禁欲的と言っていいだろう。
 日本で禁欲と言えば、快楽から遠ざかることを意味することが多い。性的快楽から遠ざかり、暴飲暴食をしない。酒を飲まない、セックスをしない。禁欲とは日本では「~しない」道徳観である。
 しかし、阿部謹也によるとヨーロッパ的な禁欲とは一つの欲望のために他を顧みないことだ。ここでは一つの大きな「~する」ために、他のことを「しない」のだ。逆に、その大きな「~する」ためにプラスになるのなら、その範囲でセックスもするだろうし、酒も飲むだろう。
 この禁欲観の違いは大きいと思う。
 輝はヨーロッパ的な意味で禁欲的である。
 その彼の欲望とは、「自分を燃やすこと」。それがかつては二番坂であり、それから一番坂になり、石度山になり、沖縄になった。沖縄を経た彼が次に自分を燃やすことの出来るもの。
 それを見つけた彼の未来は、また一つ大きく広がっていく。また、汗をかき、鼻水を垂らし、顔面を歪めながら、彼は未来を登っていくのだろう。

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