毎日が観光

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誰も知らない

2007年01月19日 07時59分02秒 | 映画
 途中で「ああ、火垂るの墓の二の舞になる」、「ああ、サクマドロップが今度はアポロチョコだ」、「飛行機見に行きたかったね」と、涙。

 あるアパートに引っ越してきた母子。夫は海外勤務、よくできた6年生の男の子と二人暮らしだと近所に説明する。引っ越し屋さんが運ぶ荷物とは別に大きなトランクが二つ。
 でも母親の説明は嘘。夫はいない上、子どもは男の子だけじゃない。トランクの中から小さな子どもが二人、他にもう一人女の子。
 みんな父親が違う。戸籍もない。
 引っ越してきた初日、ご飯を食べながらルールを確認する。「騒がない」「外に出ない」。 ちょっといびつだけれど、漢字を勉強したり、ぬいぐるみを抱いて寝たり、カレーを作ったり、この子たちの生活の質感が丁寧に描かれる。静かにほほえましく、奇跡とも言えるほど子役が自然で素晴らしい。
 あるとき、母親が長男に言う。
 「お母さん、今、好きな男の人がいるの」
 「またぁ?」
  どんな状況になっても、子どもたちは自分たちの「今」を生きる。学校に行かないどころか、外にも出ないから友達もいない。ぬいぐるみが友達だったり、一人カードゲームでの一人二役で楽しむ子どもたち。
 その姿がいい。監督は子どもたちに台本を渡さず、「***って言われたら、xxxって言ってね」と演技をつけたそうだ。そのせいか、本当に子どもたちが自然の演技をみせる。自然に笑う、自然におどける。
 その自然な感じゆえ、この子たちの生活の手触りまでこちらに伝わってくる気がする。
 かけがえのない普通の日々。
 そしてその普通の日々がいかに貴重だったか、それはそれが失われたときにわかる。
 母親がいなくなってしまうのだ。
 健気に持ちこたえつつも、次第に荒れてくる生活。それでも子どもたちは「今」を生きる。電気もガスも水道も止められているから公園で洗濯をする。そこで見つけた花の種をとってカップ麺の容器で育てる。容器にはちゃんとお絵かきする。
 子どもたちはいつまで「今」を生きていられるのだろうか。
 ある状況下における子どもたちの今を生きる姿を質感豊かに描いた素晴らしい映画だった。


 この映画は実際の事件の設定を使っていると冒頭でことわり書きがある。映画の論評も事件との関連を物語るものが多いが、ぼくは事件と映画とは別の物だと思っている。だから、あえて事件については触れなかった。
 事件についてはこちらをどうぞ。巣鴨子供置き去り事件
 長男は今、33歳くらいだろう。どんな人生を歩んでいるのだろう。
コメント
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