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大正11(1922)年から昭和3(1928)年に渡って行われた高松港の第三次築港事業に伴い、新たな県桟橋の待合・券売所及び事務所として昭和2(1927)年に建設された建物。 設計は田村工務所によるもので1階の東側1/4が各船会社の事務所として細分化され、残りの大部分はほぼ全て待合室、2階には貴賓室や広間が充てられ、3階も広間になっていたそうです。 平成13(2001)年に新しい高松港旅客ターミナルビルの完成により業務を終えた後は閉鎖された状態で残されていましたが、建物の老朽化を理由として去年(2012年)の初め頃に解体されてしまいました。 香川県高松市玉藻町10 10年08月中旬
※参考『香川県の近代化遺産』 2005
『香川の明治建築―大正・昭和の原風景』 1983
※現存せず。
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平成22(2010)年に開催された瀬戸内国際芸術祭に伴って建物はギャラリーとして活用され、正面中央部分はミラーパネルに覆われた状態でした。 どのアングルで撮っても自分の姿が映りこんでしまうので玄関周りの写真が一枚も無い…。
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昭和28(1953)年に高松港湾事務所と改称され、更に昭和38(1963)年からは高松港管理事務所となっていました。
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1階待合室の柱。 無料のギャラリーとして開放されていたので中に入る事が出来ました。
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2階へと続く階段にはシャッターが降りたまま。
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瀬戸内海へと向いた2階の1/3はバルコニー。 船で旅立つ人に迎える人、旅行客にビジネス客など様々な人々の思惑が交錯した場所だったでしょう。
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昭和モダニズムまではまだ行っていない感じです。
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昭和58(1983)年刊行の写真集『香川の明治建築―大正・昭和の原風景』を読むと、高松港に沿って高松桟橋駅(昭和5年・RC造 昭和34年に移転してきた高松駅に統合され消滅)、大阪商船待合所(昭和3年・RC造 後に関西汽船待合所 設計/施工・清水組)、玉藻ビル(昭和3年・RC造の雑居ビル)、そしてこの高松港港務所と並び建つ姿が昭和の初めに完成していたようです。 80年の歳月を経て土地の記憶は完全にリセットされてしまいました。
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