丸西産業旧社屋 2007-05-31 07:06:36 | 長野県 大正12(1923)年築。 『信州の近代遺産』によると、和紙問屋として開業した丸西産業により創建され、昭和25(1950)年から同33(1958)年まで八十二銀行八幡支店としても使用されたとあります。 現在は飲食店として活用されています。 長野県飯田市八幡町2100 07年03月下旬 ※おまけ こちらは同じ通りで見かけた下見板の洋館。 閉鎖される前は写真館だったみたい(?) 詳細は不明です。 #長野県 « 福井市水道記念館 | トップ | 足尾キリスト教会 »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 これはRC造でしょう! (ミカエル) 2007-05-31 14:02:57 esさん、こんにちは!正面のエンタシス風の柱は、銀行が入居するにあたって装飾用に取り付けられたように思えますが・・・。ミカエル 返信する しまった! (es) 2007-05-31 21:06:55 ミカエルさん、こんばんは。この建物の構造に関する資料が見当たりません・・・でも銀行になるくらいですから、多分RC造だと思いますよ(確信なしですいません)。手持ちの資料によると創建時の書類が見つかっていない旨が書かれているので、正面の柱がオリジナルかどうかも分からないですね。見た感じでは違和感はありませんでしたが、果たして真相はどうなんでしょうねぇ。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
正面のエンタシス風の柱は、銀行が入居するにあたって装飾用に取り付けられたように思えますが・・・。
ミカエル
この建物の構造に関する資料が見当たりません・・・
でも銀行になるくらいですから、多分RC造だと思いますよ(確信なしですいません)。
手持ちの資料によると創建時の書類が見つかっていない旨が書かれているので、正面の柱がオリジナルかどうかも分からないですね。
見た感じでは違和感はありませんでしたが、果たして真相はどうなんでしょうねぇ。